神社や寺を回ってると暗澹となることがある。どんだけ神仏分離の爪痕ひどいんだよ。明治政府って宗教政策においてはタリバーンなみ、あるいはそれ以上の悪政を強いて日本人の伝統や文化を破壊した。文明開化の途上、迷信や旧習にとらわれた江戸時代までの宗教を整理する必要があった、という意見はまったく正しくない。そもそも宗教は「整理」できるものではないのだ。
多くの寺院は、寺を選ぶか、神社を選ぶか、あるいは神社部分を切り離すか迫られた。それによって多くのものが失われ、二度と戻ってくることもない。よく保守の人間が「伝統」を口にするが、その「伝統」が明治以降の薄っぺらなものを指していることがある。日本の伝統、いいじゃないか、大切じゃないか、とぼくも思う。しかし、明治以降だけの底の浅い、たかだか150年にも満たない伝統なら勘弁して欲しい。それとこれも保守の人間が「単一民族」発言を繰り返しちゃ抗議されて撤回しているのだけれど、日本における多民族(他民族の間違いじゃないよ)の豊かな歴史も忘れることはできない。伝統とは強者の歴史ではない。そういう意味で赤坂憲雄の東北学など、大変興味深いものがある。
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さて、そんなわけで鬼子母神の近くに大鳥神社があり、ここはもともと鬼子母神の境内社。妙見さん、さらにその妙見さんが神仏分離で打撃を蒙ったことに関しては
但馬但馬妙見 日光院のページへどうぞ。
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その大鳥神社にあるのが、弦巻川の暗渠記念碑。あ、ようやく弦巻川に戻ってきた。1932年この川は暗渠化された。蛍が飛び、牛を養っていた川の終焉だ。
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川はなくなってしまったけれど、魅力的な路地はこの辺すごく多い。
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駒込駅あたりもそうだけれど、川筋は急に標高が低くなるので、鉄道がその斜面に忠実に昇り降りできない。そんなわけで高架になるのだけれど、これはかわいい都電の高架(駒込の高架もかわいい)。手のひらサイズ。
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雑司が谷。右の石柱は木村さんが建てましたという橋の記念碑。
こうした坂はある種他界とつなぐ回路になっていたので、ふもとや途中に神仏が祀られていることが多い。まさにここがそう。ふもとも中頃にも寺があり。京極堂のいるだらだらとした坂は、要するに気づかないうちに異界へ達する坂なのだ。町にある他界への回路は、坂の他には橋や辻などもある。
横を見ると、やはりここが谷筋なんだなあ、と実感する。
ぶつぶつ文句を言いながらも、川下りは続いていく。