毎日が観光

カメラを持って街を歩けば、自分の街だって観光旅行。毎日が観光です。

弦巻川5

2010年03月09日 19時35分29秒 | 観光

 今回は弦巻川をくねくねと縫うように雑司が谷散歩。暗渠につきものの銭湯。



 こうした風情は水窪川にも見られる(日の出町商店街)。しかし、あちらは再開発の波に洗われ、もう風前のともし火。再開発地区は都電沿いなので、都電と垂直に交わるこちらはまだ安泰。
 あとはその街角の風情をお楽しみ下さい。








 こういう市場って子どもの頃、護国寺や音羽などに点在してた。懐かしい風景。
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トンネルウォーク

2010年03月07日 21時27分15秒 | 観光

 何かスポーツのスタジアムっぽい外観ですが、ここは首都高速大橋ジャンクション。
 今月開通予定の中央環状線新宿~渋谷間の渋谷側ジャンクション。ここで3号渋谷線と中央環状線とに分岐する。
 今回はこの開通前の大橋ジャンクションを歩くトンネルウォーク・イヴェントに参加しました、というご報告。



 入ると、なんだかプチミレナリオっぽい感じ(神戸的にはルミナリエ)。


 さらにこんな感じ。


 そしてこんな感じ。



 首都高で見かける標示版も歩きながら見ると新鮮。



 トンネルの先は現役の首都高が。ここにつながるわけ。ぼくが首都高を使うときは、東池袋入口か護国寺入り口。で、そこから南に行き、環状線を使ってあちこち行くのだけれど、実は池袋の先からもう4号新宿線までは繋がっていたんだ。地図をもらって初めて知った情報弱者。



 よく見かける分岐状の赤白物体。生まれて初めて触った。硬化プラスチックっぽい感触で、車がぶつかったときに、こちらがへこむことでショックを和らげているような感じ。



 R60というカーヴを描いているので、案外バンクがきつい。
 今回は小学生によるコンサートや放水ショーなどのイヴェントまでも付属していたらしいのだけれど、とりあえず、この巨大構築物に接しられて満足。あるものの質をそのままにして拡大しても質は変らない気はするんだけれど、ある大きさを越えると、巨大さは質を変える。そこら辺のマンションもこのジャンクションも同じコンクリートの建造物なのに、質の差を感じてしまうのだ。でけえもん作りたくなる。地下鉄とか堀りたくなる。
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弦巻川4

2010年03月04日 20時49分32秒 | 観光
 神社や寺を回ってると暗澹となることがある。どんだけ神仏分離の爪痕ひどいんだよ。明治政府って宗教政策においてはタリバーンなみ、あるいはそれ以上の悪政を強いて日本人の伝統や文化を破壊した。文明開化の途上、迷信や旧習にとらわれた江戸時代までの宗教を整理する必要があった、という意見はまったく正しくない。そもそも宗教は「整理」できるものではないのだ。
 多くの寺院は、寺を選ぶか、神社を選ぶか、あるいは神社部分を切り離すか迫られた。それによって多くのものが失われ、二度と戻ってくることもない。よく保守の人間が「伝統」を口にするが、その「伝統」が明治以降の薄っぺらなものを指していることがある。日本の伝統、いいじゃないか、大切じゃないか、とぼくも思う。しかし、明治以降だけの底の浅い、たかだか150年にも満たない伝統なら勘弁して欲しい。それとこれも保守の人間が「単一民族」発言を繰り返しちゃ抗議されて撤回しているのだけれど、日本における多民族(他民族の間違いじゃないよ)の豊かな歴史も忘れることはできない。伝統とは強者の歴史ではない。そういう意味で赤坂憲雄の東北学など、大変興味深いものがある。



 さて、そんなわけで鬼子母神の近くに大鳥神社があり、ここはもともと鬼子母神の境内社。妙見さん、さらにその妙見さんが神仏分離で打撃を蒙ったことに関しては但馬但馬妙見 日光院のページへどうぞ。



 その大鳥神社にあるのが、弦巻川の暗渠記念碑。あ、ようやく弦巻川に戻ってきた。1932年この川は暗渠化された。蛍が飛び、牛を養っていた川の終焉だ。



 川はなくなってしまったけれど、魅力的な路地はこの辺すごく多い。



 駒込駅あたりもそうだけれど、川筋は急に標高が低くなるので、鉄道がその斜面に忠実に昇り降りできない。そんなわけで高架になるのだけれど、これはかわいい都電の高架(駒込の高架もかわいい)。手のひらサイズ。



 雑司が谷。右の石柱は木村さんが建てましたという橋の記念碑。
 こうした坂はある種他界とつなぐ回路になっていたので、ふもとや途中に神仏が祀られていることが多い。まさにここがそう。ふもとも中頃にも寺があり。京極堂のいるだらだらとした坂は、要するに気づかないうちに異界へ達する坂なのだ。町にある他界への回路は、坂の他には橋や辻などもある。


 
 横を見ると、やはりここが谷筋なんだなあ、と実感する。
 ぶつぶつ文句を言いながらも、川下りは続いていく。
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