毎日が観光

カメラを持って街を歩けば、自分の街だって観光旅行。毎日が観光です。

隅田川の桜

2007年03月30日 16時44分31秒 | 観光


 このところの暖かさゆえか、東京では一気に桜が咲きました。
 隅田川沿いでは墨提さくら祭が開かれていて、大にぎわい。
 お天気もいいし、水上バスに乗ったら気持ちよかっただろうなあ。
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佃島観光

2007年03月29日 10時39分06秒 | 観光


 チャリに乗って佃島へ。
 月島、佃島、どちらも江戸情緒溢れる、古い下町の良さを伝える町のように考えられている。
 しかし、リバーシティーに代表されるように、現在では高層建築がばんばん建っている近代的な街並みと古い街並みとが共存する面白い景色に溢れている。
 しかも、同じように考えられている月島と佃島だが、実はまったく違うのだ。

 「だが、この猫の額ほどの広さの島に住み出して、ひとたび島の歴史に首を突込もうものなら、月島が明治時代の中頃まで影も形も存在せず、大川の底の土砂を浚渫して造りあげた埋立地であることを知るだろう。浅草や深川が下町であるように、月島は決して下町ではない。少し大袈裟な比喩を使えば、さながらアメリカ合衆国のように、日本全国の人間が集まり、造船所や鉄工所の工場労働者として住みついた町なのである」(四方田犬彦「月島物語」)

 徳川家康が摂津国佃村の漁民を住まわせた佃島が漁師町として栄えた江戸時代、月島は存在しない。
 それはそうと、この「月島物語」は大変面白い。レトリックにうならされる。
 たとえば、月島特有の玄関と台所の間にある二畳ほどの部屋について、かつて玄関と台所は同じだったことを説明したのち、
 
 「これは台所が玄関から完全に独立する直前に設けられた曖昧な空間の名残りであり、ある意味ではかつて存在していた表台所の唯一の痕跡であるといえるのだ。水棲動物に足と肺が生じ、やがて陸にあがって哺乳類が生じたように、井戸と深い関係にあった土間の台所はこの一世紀の間に「陸にのぼり」、板の間と化して、客の眼の届かない後方へ退いた。したがって二畳間は埋立地月島に似て水辺に出自をもつ場所であり、かつての台所の位置にあってその記憶を無意識裡に留めている空間なのである」(「月島物語」)

 写真は中央大橋に飾られているオシップ・ザッキン作「メッセンジャー」。この橋が造られたときに当時パリ市長だったジャック・シラクから贈られたもの。




 隅田川とパリは縁がある。
 友好河川とは初めて聞くが、そういうものもあるんだな。
 そんなわけで、リバーシティーにはこんなものがある。



 ちょうどこの広場から中央大橋の「メッセンジャー」を見上げることができる。
 さて、このリバーシティーを越して、清澄通りに出ると橋の途中に公園がある。
 川にぽっかりと浮かんでいるかのような中の島公園だ。



 眺めのよい小さな島で、潮位によって水が出入りする池がある。
 橋をくぐって、橋の右、左を自由に行き来ができるが、そこはこんな風になっており、筒状の石柱にはフジツボがついていた。



 最初なぜ通路をこんな風にしたのかわからなかったが、たぶん、これはホームレスが住み着かないようにしたのだろう。
 住吉神社にお参りして佃散歩はおしまい。
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新国立劇場 「蝶々夫人」

2007年03月28日 01時21分49秒 | 音楽
 行ってきました、新国立劇場。
 蝶々夫人、初日。
 蝶々夫人というのは基本的にアジアンロリータの純真、純粋さがストーリーの肝なので、ヒロインちょっと不向きな気が。
 多少でも子どもっぽさを感じさせてもらわないと、いい年した大人がいつまでも何バカ言ってんだよ、シャープレスやスズキの言うとおりだろがっ、と思ってしまうんです。で、そりゃどう考えても違うよ、ってなことを大人がいつまでも言い張るというシーンは見ていてあまり気持ちのよくないもの。
 ぼくがそうした光景を目にする場がいけないのかもしれない。そういうのは、たとえばこっち側に帰って来る前の飯星景子だったり、パナなんとかの人たちだったり、定説な爺さんだったり、ラグビー選手でもないのに頭にヘッドギアかぶっている人たちだったりするからだ。
 人の言うことなど決して耳に入れず、親切な人の忠告をなじり、ピンカートンを信じ続ける、という「信」にどこか宗教臭を感じてしまう。
 これが原作通り15で嫁にいっちゃった女の子なら強い悲劇性を感じるのだが、どう見ても貫禄のある女性だ。そんな人が騙されちゃいけないよ。
 こちらの気分がそんなんであったせいとは関係なく、しかも第1幕での彼女はあまりよくなかった。スズキがよくて、ぼくがピンカートンなら間違いなくスズキの声に惹かれるのに、と思うほど。初日のせいか、声を置きにいっている感じがする。のびのびとこちらに伝わってこない。
 アリアをたっぷりと聴かせようとしたためか、若干遅めの演奏だったけれど、これはちょいと頂けなかった。蝶々夫人が好調ならOKなのだが、くぐもった声で声を置きにいくから、ものすごくテンポの悪い演奏になってしまった。
 しかし第2幕は好演。
 あとの人たちもなかなかよかった、と思う。
 演出は不思議な演出で、日本のことをあまり知らない外国人がやったらきっとこんな風になりますよ、というパロディをわざわざ日本人がやっているような感じ。変。光も変。奥の座敷の障子を開けると、どうして居間から光が差すんだ? 逆だろう?
 そしてラストシーン。
 今まで蝶々夫人で泣けなかったヤツは、これ見て泣けとばかり、子どもを出す。ずりい。泣くよ、そりゃ、だってあの子可愛いんだもん。
 子どもに見せるか、それを!
 それで涙しぼるなんて!!
 まあ、まんまとその計略にのってしまったわけだから、情けない、というか演出の勝利と言うべきか。
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赤紙仁王尊

2007年03月27日 10時37分28秒 | 観光


田端にある赤紙仁王さん。
惣門の中からにらみつけずに、雨の日も風の日もお外でみなさんをお出迎え。
それだけじゃない。
悪いところがあったら治してくれる。どこが悪いか仁王さんに赤紙貼って知らせれば霊験あらたか。
初めて通りかかると異様な光景だけれど、世界救済などとは違う下町の小さな願いが、ぼくの肩幅にちょうどよかったりします。
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エドヒガン 六義園のしだれ桜

2007年03月26日 19時12分56秒 | 写真


 三分咲きだった六義園のしだれ桜もこの暖かさ、たった三日で八分咲きまでになりました。
 お昼休みに行ったのですが、人出の多いこと。


 これからは染井吉野も一気に花開いて、いよいよ本格的な春ですね。

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しだれ桜

2007年03月26日 02時16分10秒 | 観光


  六義園での夜桜ライトアップ。
  でも、多くの人たちとともに気象庁にだまされ、3分咲きでライトアップに。
  予定を延長して対処するらしいけれど、今回の気象庁の開花誤報には右往左往する人たちが多かったと思う。
  昨日、小田原に行ったら、一本も咲いていないのに、「さくら祭」やってたし、昨日・今日で。
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日本対ペルー

2007年03月25日 21時27分30秒 | 


 俊輔が横浜に帰ってきた。
 強くなって。
 いつか同じように乾を迎えるような気がするな。
 試合についてはまた後日。
 久しぶりに6万突破の日産で盛り上がってきました。
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陽光

2007年03月23日 02時44分20秒 | 写真


 不忍池周辺にあった桜。
 染井吉野じゃあない、陽光という品種。
 満開でした。
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ナビスコ杯 大宮アルディージャ戦

2007年03月22日 09時32分18秒 | 


 チームとして何がしたいのかまったくわからない試合だった。
 選手起用も納得できない。松田をMFにして、隼磨をベンチスタートにする利点を早野は説明できるのだろうか。
 試合よりも途中火事の方が気になってしまったくらい。
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荒川サイクリングロード

2007年03月14日 08時30分10秒 | 観光

 最近よく走っているのが荒川サイクリングロード(後ろの柵は別にセルティック・サポーターというわけではない)。
 うちからだと北区を抜けて、足立区の江北橋からサイクリングロードに入るのが最短。約7キロ。
 そしてサイクリングロードを20キロほど走って、また7キロの帰路。
 荒川は昔からなじみの場所で、なんだかなごみながら走ってます。
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さまよえるオランダ人

2007年03月12日 09時20分59秒 | 音楽
ヴァーグナー「さまよえるオランダ人」
             3/7 新国立劇場  ミヒャエル・ボーダー指揮 マティアス・フォン・シュテークマン演出

 ちょっといい服を着て、ロビーでくつろいでいる。今日の演目はどんなんだろう、と期待に胸はふくらむ。映画の始まる前の暗闇にわくわくするように、グラスの音とおしゃべりが聞こえる明るいロビーにわくわくするのだ。
 やがて照明が点滅し、開演5分前を知らせる。
 いいな、この感じ。
 ぼくはオペラそのものももちろん好きだけれど、この雰囲気が好きだ。
 こうした気持ちでいっぱいになった観客たちにとって序曲(前奏曲)は大切である。今日はどんなメニューなのだろうか、期待できるのだろうか、パーティーの席についたばかりの観客に序曲は今日のできを教えてくれる。だから、だから、序曲は大切なのだ。
 なのに、序曲で人の頭を殴るとは。
 金管! 
 どういうことよ。どうなっちゃうんだ、と心配したのだが、あにはからんや幕があいたら平穏無事に流れていってひとまず安堵。いや、ま、ときたま金管が不安定なとこはあるんだが。
 「さまよえるオランダ人」はその名の通り、航海中呪いの言葉をはいたため、死ぬこともできず永遠に海をさまようオランダ人船長の話である。
 ヴァーグナーがこれを書いたのはパリ。パリの劇場に受け入れてもらえるよう、後期のヴァーグナーと比べると一般ウケを狙っている部分が散見する。しかし、それが傷ではなく、かえってこのオペラを特徴づけると思う、とくに合唱とか。そして特筆すべきは、新国立劇場合唱団のすばらしさ。男声、女声ともども、すばらしい声とハーモニーを聞かせてくれた。かなりの水準だと思う。
 借金取りに追われたヴァーグナーがパスポートも取れずに密航したときに遭遇した嵐もこのオペラに影響していると言われるが、たしかに嵐を描写するオーケストラの咆吼はすさまじい。よほど怖い思いをしたのだろう。このあたりも東京交響楽団、グッジョブ。
 パリで一般ウケを狙って作ったので、のちのちあらわれるヴァーグナー的観念はそれほど濃厚ではない。しかし、その萌芽はこのオペラの中にもかいま見ることができる。愛と死だの、自己犠牲や救済など。その概念をいかに前からの形式で表現するか、そこもこのオペラの面白さだろう。
 この悲劇は、雄弁な悪魔に対して、神が無口であることによる。悪魔の仕打ちに対して、神はたよれず、頼りになるのは7年ごとに上陸できる先での女性。ゲーテのファウスト同様、悪魔に責めさいなまれる魂を救済できるのは女性である(とぼくが主張しているわけじゃないんだよ、あくまでゲーテやヴァーグナーの話)。
 したがって、ここに顕れる愛は感情の次元にはなく、存在論の次元、アンドレ・マルローの言う「人間の条件」に直結する次元の話となる。だからここには男女の感情の機微などはない。しかしそれでは観客が何が何だかわからない。感情的なものを一身に背負わされ、状況を説明させられるのはエリックである(父親は一見人間的だが、どちらかというと話を進ませるための機械的役柄と言ってもいいだろう)。彼の役は、だから、難しいものだと思うし、難しい上に人から共感が持たれない辛い役でもあるだろう。あちらで救済や永遠や呪いの悲劇などといった大壇上に構えた大きな歌が歌われているのに、エリックはやれ父親がいなかったときに世話したじゃん、などと卑屈な歌を歌わされるのだ。
 それでもエリック役は好演。難しい役どころを下卑ずに歌っていました。あとダーラント役の松位浩ブラヴォ。
 しかし、やはり、圧倒的によかったのはゼンタ役のカンペ(カンペだのウーシタロだの、なんか日本人にはクスッな名前の人たちだ)。この役は、いわばイッちゃってる役。何しろ話に聞いた悲劇のオランダ人(見たこともない、いやそれ以上に名前さえも知らない、最後まで)を救えるのは自分だと思いこんでる。生身の彼氏そっちのけ。ぼくが彼だったら、相当イヤな状況だと思う。付き合っている彼女がいきなり「離婚したヒロミ郷を救えるのは私なのよ」などと宣言されたりした日にゃ。それがそんなに変な感じがしなかったのは、やはりカンペの歌の力量。ヴァーグナー歌いに求められる声量や強さを万全にこなした上で、繊細な表現も素晴らしい。
 合唱ともども今回の歌手陣の好演は耳に残るうれしさだった。
 あ、演出について書くの忘れた。第1幕は棒立ち男二人デュエットなどやらせて何考えてんだと思ってたけれど、あとはなかなかよかった。男声合唱が赤い靴、女声合唱が赤い靴下など、細部に凝ったりして。最後、ゼンタが船に入っちゃってどうすんだと思ったが、これは呪われた船ともども鎮めようということなのかと納得。
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戦い前

2007年03月11日 13時30分28秒 | 写真
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根津 鷹匠

2007年03月09日 09時31分10秒 | 食べ物

 不忍通り「根津神社入口」交差点を上野に向かって左に入る。昔ながらの街並みを眺めながら1ブロック進み右に曲がったところに「鷹匠」がある。
 ここらへんだったよなあ、と地図と通りを見比べても見つからない。おかしいなあ、と思っていたら、店の真ん前だった。それほどなんというか、両側を民家に挟まれ、ひっそりと目立たない小さな間口である。


 ちょっとした遊びを感じる、こういうの好き。やりすぎちゃだめだけれど。


 看板もこんな感じ。ちょこっと柏の竹やぶの風情を思い出した(あっちはやりすぎだと思う)。

 狭い間口に対して店内は狭くない。
 さらに小上がりが小上がりというほど上がってなく、大きな低い木のテーブルの前に腰を下ろすと、自分自身が低い場所にいるので空間が豊かに広がる。その豊かな空間を間接照明が雰囲気良く、しかしすっきりと照らしているので、大変居心地がよい。
 その場所にいるだけでなんだかほっと癒される気持ちがする。
 そばの前におつまみに、汲み出し豆腐とわさび湯葉、それに生ビールを注文する。銘柄はエーデルピルス。恵比寿ガーデンプレイスにある麦酒記念館でよく試飲をするのだけれど、ピルスナー系のビールの中では大変おいしい。
 さて、豆腐は歯触りを楽しめる木綿風のどっしりしたもの。つゆや薬味もついてくるけれど、豆腐だけでも十分おいしい。豆腐を一口、ビールを一口。ビールがうまい。うまいのは銘柄のせいだけじゃない。コップの洗い方から注ぎ方、生ビールの管理まで行き届いているからだろう。なぜ、そんなことがわかるかって? 飲んでおいしいからだ。
 それじゃ、ちょっと説明不足か。飲んでおいしいのも確かなのだけれど、飲み終わったグラスにきれいにエンジェル・リングができていたからだ。グラスに一口ごとにできる泡の輪。あれがエンジェル・リング。泡を再生させる層(フロスティ・ミストとかスモーキーバブルスとか呼ばれる層)が泡とビールの間にある三層ビールだと、泡が残りビールの味を最後までおいしく楽しめるのだ。これがないと二口、三口で泡が少なくなって、外気にさらされたビールはどんどん劣化していく。最後まで泡が残るから、グラスの下の方にまでエンジェル・リングがきれいにできる。銘柄がエーデルピルスで、ちゃんとそれをサーヴする。素晴らしいことだ。それでもビールは550円。他の店と変わらない。
 わさび湯葉は、だし汁に湯葉が入っていて、それをわさびとイカの塩辛を薬味にして食べる。イカの塩辛を薬味に使う発想はなかなか面白いが、この塩辛が薬味にするなんてもったいないほどの絶品だった。そしてだし汁と湯葉と塩辛とわさびが合わさると、これまたなんとも言えない。うまい。
 ぼくが伺ったのは12時半頃だったが、お店にいた6組のお客さんは全員昼酒を楽しんでいた。ぼくももう少しいきたいところだったが、平日だったし、実はその晩オペラの予定があり、客席でいびきかいたりすると困るので自粛。せいろを注文する。


 つゆいらない。このパツンパツンとしたコシ、味。おいしい。つゆはちょっと特徴的。こうした店ではもう少し辛いつゆかな、と思っていたらそうでもない。割と大人しい感じのつゆ。だしの風味がふわりと広がる。それにしてもこのそばはうまい。
 いい場所を見つけてしまった。ここはしばらく通いそうな気がする。
 さらにこの店の営業時間。昼の12時から夕方6時まで、と夜の営業がないのが寂しいところだが、なんと逆に仕込みの時間に店を開けてくれるのだ。朝の7時半から9時半まで。
 ああ、そして抑えきれない欲望が湧き起こる。朝から行って一杯やってみたい! 昼食べる以上にもっとつまみとお酒を朝、楽しんでみたい! 土日もやってるから朝からここで一杯やって、上野から浅草をぶらぶら散歩して、昼は並木の藪で菊正の樽飲んで、待乳山へお参りして、船でビール飲みながら隅田川下って、「船もいいが、退屈で退屈でならねえ、ふわあ」などとあくびをして、お台場で鴨にパンくずでもやる、そんな一日を過ごしてみたいものだ。
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根津神社

2007年03月08日 16時51分13秒 | 観光


 寒い中、モデルさんは大変です。
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フランス式

2007年03月05日 10時31分45秒 | らくがき


 空気入れに3種類あると知ったのはつい最近。ママチャリなどのイギリス式、自動車に使うアメリカ式、そしてロードバイク用のフランス式。
 で、ものの本などを読むと、乗るたびに空気を入れろ、と書いてある。教習所で教わる運転前点検と同じで一応書いてあるだけの話(←ほんとはちゃんとやれ、と法律に定められてる。パチンコとか売春とか日本の法律には建前と本音がありすぎですなあ)。
 と思っていたのだけれど、空気圧をはかってみたら基準より遙かに少ない。冬なのでだいたい7~8気圧程度入れておくのだけれど、5気圧しかない。
 仕方ない。早速アダプターと空気圧メーターのついたポンプを買って、初めての空気入れにチャレンジ。まあ、ここらへんは自転車屋さんに行く口実ができて嬉しかったりする。ショップを見ているだけで、初心者はワクワクですから。
 ゴムキャップを外しアダプターをセット。そこにポンプを繋ぎます。フランス式は初めてだったのだけれど、なんなく装着完了。入れる。ぜいぜい言いながら入れる。はあはあ言いながら入れる。一向にポンプの空気圧は7まで上がらない。そのうちこっちがばててしまう。
 おかしいな、と思っていったん外す。ブシューーーっと猛烈に空気が炸裂する。全然タイヤに入らず、ポンプ回りだけ高まってただけなのね。
 あ、イギリス式と違って、バルブを緩めないと入らないかも、と、少しバルブを緩めて再チャレンジ。ぜいぜい、はあはあ、以下同文。だめ。入らない。状況に改善のきざしが一向ないまま、ぼくだけがバテバテ。
 ネットで検索してみる。「フランス式」とgoogleに入力。アマゾンでDVD「フランス式十戒」やらフランス式風俗店情報などがヒット。
 フランス式風俗店情報?
 いったいどのあたりの情報がフランス式なのか(そしてそれは確かにフランス式であって、万人が見ても、おお、確かにこれはイギリス式じゃない、フランス式だな、と納得するものなのだろうか)知りたくもあったが、バテバテのぼくにそんな余裕はないのでありました。「フランス式 空気入れ」で検索掛けたら一発でヒット。その人のサイトを見ると、ぼくと同様の苦労をされたらしい。記事は3年前のものだけれど、ぼくと同じ空気入れを使ってらっしゃる。うん、まるでぼくのために3年も前から準備してもらった気分だ。なんとホイールについている空気を入れるバルブを全開しなくてはならない、とのこと。
 わかってしまえばこっちのもの。早速試してみます。うん、今度はちゃんと空気が入る。入るけれど、7気圧って、どんだけだよ。ぜいぜい、はあはあ。ママチャリだと3気圧以下。7気圧の空気を押し込むのは結構大変。
 自転車で痩せるって、ただ走って痩せるだけじゃないのかもしれない。こんなこと乗るたびにやってれば痩せるよ、そりゃ。
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