毎日が観光

カメラを持って街を歩けば、自分の街だって観光旅行。毎日が観光です。

北横岳

2017年03月23日 18時02分24秒 | 観光
 今シーズンはあちこち雪山を歩き、楽しく冬を過ごしました。そんな雪山シーズンも勤務の関係でこれが最後になりそうな北横岳。行程はらくちんですが、八ヶ岳の美しさを浴びに行きたかったのです。
 茅野で電車を降りてそこからバスで北八ヶ岳ロープウェイへ。そこから一気に標高2237mまで運んでくれます。超らくちん。


 ロープウェイを降りて、アイゼンをはきます。今回初めておろしたモンベルのアルパインクルーザー3000とグリベルの12本爪アイゼン。まさか登山靴に5万も払う日が来るとは思ってもみませんでした。思えば初めてロードバイクを買ったときも同じようなことを思っていたっけ。


 もうとにかく風が強い。そういうわけでこうした美しい風紋ができるのだけれど、それがもろに身体に打ち付けてくるのだから、なんともはや。まあ、そういうのが楽しいんだけれども。


 元犬なので雪と海が好き。どれだけ年を重ねても、雪があるだけで庭駆け回るだけの体力と幼さは消えない。死ぬときは雪の上で死にたい(嘘です。布団の上で死にたいです。あ、しかもあまり苦しまずに)。


 今晩お世話になる北横岳ヒュッテ。夕飯は馬肉のすき焼きでした。うまい! こんな山の上でこんなごちそう食べられるだなんて感激でありました。
 食事のあと、外に出て音楽を聴きました。降り積もった雪がまわりの音を吸収して、星の明滅さえ聞こえるかのような沈黙の中、寒さに震えながらも聴いたシェーンベルクの弦楽六重奏「浄められた夜」はなんというか、ただ音楽を聴くという体験ではなく、肉体をそこに運んでこない限り味わえない、ある意味一回性の経験でした。一回性の経験が死に至るわれわれの生を豊かにしてくれるように最近強く思うようになりました。かけがえのない経験をこれからいくつ積み重ねていけるだろう。真っ暗な冬の夜空の下でそんなことを考えていました。



 翌朝、山頂でのご来光を見るために日の出前に出発します。この時間からもう山小屋は始動していました。この仕事をやり続けている人にほんと敬意を表します。今回もお世話になりました。


 夜明け前の北横岳山頂。ここで日の出を待ちます。足は万全でしたが、手が寒い…… 樹林帯を抜けると風が容赦なく吹き付けます。指が取れそうな寒さ。


 そして日の出。


 眼下に雲海が広がります。ここに来ないと見られない風景。こういう風景に身体が囲まれることがなんだかものすごく大事な気がするんです。


 強風で木もこんなふう。美しさと厳しさを存分に味あわせてくれた冬の北八ヶ岳。何かに迷ったらまた訪れたい場所になりました。
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夜の高尾山

2017年03月01日 22時53分05秒 | 観光
 高尾山に登ってきました。え? なにをいまさら高尾山? そうなんです、なにをいまさら高尾山なんです。
 きっかけは去年行った甲武信ヶ岳。甲州、武州、信州にまたがり、笛吹川、荒川、千曲川の源流となる威風堂々たる山。とくちゃん新道を登り甲武信小屋で一泊。夜中トイレに起きたついでに外に出て感じる山の夜の深くも豊かな闇。それは普段街で暮らすぼくには到底手に入れることのできない暗さでした。その一方でこの暗さは根源的な恐怖とも一体で、魅惑と恐怖とがないまぜになった不思議な感情が足元からせり上がってくる気がしたのです。文明とそれ以外とが背中を接している場所。それが山小屋の外で感じた山の中の暗闇でした。
 いきなり初めての甲武信ヶ岳でその闇を探索するのもためらわれ(なにしろ時間は午前2時くらいだったし)、いつか手近な夜の山へ行こうとその時考えたのでした。
 それで高尾山に登ってきました。夕方高尾山口を出発し、日没と同時くらいに山頂着。こんな時間にほかに人なんかいないだろうと思ったら、豈図らんや、お鍋を囲む人、日没の写真を撮りに来た人、別段何をしにというわけでもないけれどぶらぶらいる人など、結構な人がいたのに驚きでした。


 山頂で迎えた日没時の美しさはなんとも言えません。この時間に山頂にいるという経験があまりないので(いや、初めてかも)、ほんと新鮮でした。


 そして太陽は完全に沈み、夜がやってきます(ジェットストリーム風に言うと「夜がそのとばりを下ろす時」。あ、今の人は昔FM東京でやっていたジェットストリームという番組そのものを知らないか)。見下ろす夜景はジェットストリーム(だから知らないって)。


 完全な夜の中、山をおります。身体全身の知覚レヴェルが少し上向きになるような気がします。ああ、これはいろいろとリフレッシュできる。そんな風に思いました。暗闇の中、足元を照らすヘッドランプの灯りで山をおりるとき、街で暮らしているときとは別の知覚が生れ、別の時間が身体の中を流れていきます。それによっていつもの日常が刷新され、リフレッシュできた感じに満たされるのです。
 危なくない程度に夜の山をたしなむのも、ときに行き詰まる日常の更新にいいかもしれませんよ。
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