毎日が観光

カメラを持って街を歩けば、自分の街だって観光旅行。毎日が観光です。

岩窟ホテル

2007年08月31日 01時29分10秒 | 観光

 すごい廃墟。
 山のような岩をくり抜いて作ってあるのだ。
 しかも、その名前がすごい。 
 岩窟ホテル。
 だが、ここは一度たりともホテルとして使われたことはなかった。
 いつ見ても、ここを作った主がくり抜くために一生懸命岩を掘ってる。
 いつ見ても、岩窟掘ってる。
 岩窟掘ってる → 岩窟ホテル
 それ、ありか?
 以前は立ち入りできたらしいのだが、その後一部崩落があり、現在は立入禁止。完全な廃墟である。このあたり、なぜか雰囲気が少しばかり恐ろしいのであった。

 つづく
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2007年 うどん祭

2007年08月17日 15時10分17秒 | 食べ物
 熊谷や多治見で気温の最高記録が塗り替えられようとしていた正午、気がつくとぼくは味噌煮込みうどんを作っていた。なんて季節感に乏しい食事。もしかして、M?
 いや、つい食べたくなって作ってしまって、食べて汗だるまになりつつ大変後悔したのだが、煮込まなければうどんは十分夏の食べ物としてやっていけるのではないだろうか。
 事実、今年の夏はうどんをよく食べた。とくに自転車で埼玉方面に出かけたときにうどんは多い。これは有名なのか、そうでないのか知らないのだけれど、埼玉のうどん度はかなり高い。以前新潟に行ったときに、どこで食べても枝豆がうまいのに驚いたが、埼玉のうどんがそれに近い。


 先日忍城見物の際、行田で入った店。「手打ちうどん」と書いてあるけどさあ、見るからにあまりうまそうな感じはしないよなあ、などと見くびっていたら、あにはからんや。

 出てきたうどんのおいしかったこと。昼の定食屋さんみたいなたたずまいなのに、うどんは専門店のうどん。コシ、喉ごしともにおいしい。思わずびっくり。

 ま、たまたまそうなのかな、と思っていたのだが、こないだ吉見町へ行ったときのこと。 お腹がすいたので道の駅へ入った。

 ドライブインみたいなもんで、味は期待できないけれど、暑くて暑くて、とにかく冷房のきいたところに入りたかったのだ。


 そこで頼んだうどん。手打ちだ、これ。
 よく見渡すと打ち場もある。


 これもコシ、喉ごしともに満足。
 これでもりうどん400円。
 埼玉のうどんレベルの高さを思い知った2007年の夏であった。
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土日きっぷよ、永遠に!

2007年08月16日 09時29分15秒 | 観光
 再び上毛高原駅まで乗り合いタクシーで戻り、上越新幹線で高崎へ出る。


 キオスクで普通に達磨が売ってる。さすが達磨の高崎である。
 隣に立ち食い蕎麦屋さんがあったのだが、名前は「八起屋」であった。さすが達磨の高崎である。
 この達磨の高崎で長野新幹線に乗り換えて軽井沢へ行く。


 ナイキとアディダスのアウトレットをひやかす。
 アディダスは自転車ウェアも作っているので、安くあったら嬉しいな、と思ったのだが、ない、と。それでもテニスに使えそうなのを2着ばかり買う。


 こんなトリコロールなやつを買いました(ああ、わたくしって、Fマリノスとフランス好き)。まだ着ていく時期じゃないけれど、なかなかいい買い物ができた。
 いい買い物ができた軽井沢をあとにして、長野新幹線に再び乗り込み、長野へ。
 ここらへん、もうどうでもよくなっているのだが、乗り放題だからとりあえず長野へ行く。


 長野駅近くのお蕎麦屋さんで夕食。
 写真が小さくてわかりにくいんだけれど、店内はなぜか若い女の子で一杯。
 若い女の子のソバ率が高い、というか、ソバ屋さんにおける若い女の子率が高い、というか、どっちも同じことだろ、それって、というか。いやあ、東京では目にできない風景。店内の男はぼくを含めてごくわずか。去年まで女子校だったんだけれど、今年まだ男子トイレもちゃんと整備していないけれど、実験的に男子も入れてみたって感じの学校並。ソニプラ並(そっちの方が早いだろ、たとえとして)。


 ちょっと落ち着かない雰囲気でお蕎麦を食べる。
 ソバそのものはまあまあなのだが、このつゆ、化学調味料使ってないか?
 アルコールが体内に入っていたので、断言できないけれど。
 まあ、不思議なものも見られたし、最終の長野新幹線で上野に帰る。
 2日間の電車賃は合計33970円使ったことになる。そう考えると土日きっぷ18000円はかなりお得であった(山形往復だってそれ以上かかるんだから)。
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尾瀬の花

2007年08月15日 11時40分26秒 | 写真






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尾瀬の写真

2007年08月14日 00時23分39秒 | 写真










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尾瀬

2007年08月14日 00時22分22秒 | 観光
 翌日、早起きして新潟駅を出発。
 新幹線で上毛高原駅へ。そこで予約していた乗り合いワゴンタクシーを使って、なんとわたくしってば、尾瀬に来てしまいましたの。
 

 いきなり、尾瀬ったら、コレ!的なもんに出会っちゃいましたよ。
 ときには100kgを越える荷物を運ぶ歩荷(ボッカ)さん。このネーミングは荷物が歩いているように見えるからかな。で、写真のボッカさんは女性でありました。おお。


 この辺はダムが多く、この尾瀬も東京電力の所有地が多いのである。だもんで、木道もテプコのマーク入り。H19はたぶん平成19年設置を表しているのだろう。他にも様々な年代のものがあったが、H13あたりになると朽ちかけているものも多い(朽ちる素材だからこそ自然保護になるのだろう)。


 その木道に熊の足跡を発見!
 まだ乾いていないから、ちょっと時間がずれたら第三種接近遭遇だったかもしれない。


 そんなわけで、道の何カ所かに熊を避けるための鐘が設置してある。
 熊だって人に会いたいわけじゃない。できれば、お互い距離を置いた方がお互いのためなんだ。と別居間近の夫婦みたいな感じで熊と共存していきたいものである。
 そして山の鼻着。
 散策を楽しむのだが、二つばかり厄介なことが。一つはやたら挨拶する人が多いこと。険しい山などお互いいつでも助け合う気持ちでいるような場所ならまだしも、ただのハイキングコースなのだ。鳩待峠から山の鼻など。さらに日曜日の竹下通りなみの人出(大袈裟だよ、そりゃ、いくらなんでも)。10人くらいのパーティーとすれ違うと、向こうは一人一回だからいいだろうが、こちらはパーティーの列に向かって日本語学校の生徒みたいに「こんにちは」を繰り返さなくてはならないのだ。
 二つめは歩く場所が限られていること。なぜかわからないが、景色も楽しまずにガシガシ歩いている人たちがいる。こちらが道を譲るにしても、ここは木道の上しか歩けない。対向者も多い。写真を撮っていると邪魔者になってしまうのだ。


 このような遠景はかなり難しい。この映り込んでいる人の少なさは奇跡と言っても過言ではあるまい。ってくらい人が多い。ま、自分だって、その内の一人なのだから、文句は自分に言えである。すいません。


 ぼちぼち散策して、山の鼻の売店に入る。このレートの自動販売機は珍しいので記念に1枚。
 このポカリスエットもボッカさんが木道をしょってくるのだ。
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山形の午後2

2007年08月13日 09時46分16秒 | 観光
 湯殿山、参拝してきました。

語られぬ湯殿にぬらす袂かな

 芭蕉の句にあるように、湯殿山での出来事は語ってはいけないんだそうだ。
 だもんで、湯殿山については黙っていることにする。ただ、ここはすごい場所だと思った。
 このぼくですら、身が引き締まる感じがした。素晴らしい場所。罪が少しばかり清められた気がする(全部清められるとぼくがなくなってしまう)。 
 いつか身を清められたいと願うとき、またここに来よう。
 裸足にならなきゃいけないので、女性はストッキングをはいてくると苦労するかも(そういう人がいた)。それから、人が足を拭くのに使った手ぬぐいはちょっとという人は、自前で用意しているといいだろう(ぼくはハンカチを使ったけれど、タオルくらいボリューム感のあるものの方がいい)。
 すっかり清められた気持ちで羽黒山。


 国宝五重塔。立派である。
 将門公が寄進したという説もあるので、なんだか親愛の情を感じてしまう。
 しばし見とれる。

 萬盛庵、月山と残念なこともあったが、山形いいとこ、また来りゃいいさ。東北好きだし。
 鶴岡駅近くで車を返して、特急に乗る。


 特急いなほ。これがまたいいのよ、すごく。
 夕暮れの日本海を右手に見ながら進んでいく。あたりは次第に暗くなってきて、海が闇にとけ込んでくる。ああ、旅をしているなあ、と。
 わたくしって旅人だと。詩人だと(いや、詩人は違うな)。狩人だと(あずさ2号は違う路線だが)。
 きっとこういう旅人に惚れてしまうんだよな、と。
 しかし、新潟駅に着いたときには、口半開きでぐーぐー寝ていたので、やっぱり誰も惚れてくれないのであった。
 新潟は居酒屋さんで夕食を食べて(駅近くの不思議なラーメン居酒屋)、そのまま爆睡。明日も早いのであった。
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山形の午後1

2007年08月12日 09時58分21秒 | 観光
 萬盛庵をあとにして、再びハンドルを握る。
 今度は出羽三山へ。
 今日の宿は、しかし、新潟なのである。18:20鶴岡発の特急を逃すと、今日中に新潟につけないのである。あまり時間はないのである。
 出羽三山初心者のぼくは、目標を3つにしぼる。
(1)月山でリフトに乗る。
(2)湯殿山を参拝する。
(3)羽黒山の五重塔を見る。

 今回は下見程度である。
 高速道路を40kmほど走り、一般道へ。そこから道は激しく登り、激しく曲がり、運転がたいそう楽しい。それにしても1リットルの車でもちゃんと登っていくものよなあ、と感心する。
 結構な距離走って月山着。車を停めて入山事務所へ行くと、本日台風の強風のためリフト運休、とある。
 萬盛庵がボディーブロー、今回のがぴたりと入った右フックみたいな感じでノックダウン。
 だが、ぐずぐずしていても仕方がない。
 今登った道を下り、湯殿山を目指す。湯殿山有料道路(往復400円)に入ると大鳥居のあるところまで登っていけた。

 立派である。
 左手の建物が参籠所で、ここに籠もって修行することもできる。
 そこからは一般車立ち入り禁止。本宮までぼちぼち歩いて登っていると後ろからバスがやって来たので、乗せてもらう(もちろん有料である)。

 湯殿山銭ふむ道の泪かな

 曾良が詠んだのとは別の意味で、湯殿山参拝すには銭を撒き続けなくてはならない感じがする。道を登るのに有料道路やバスに700円、参拝料500円。
 ま、そんなことは瑣末事。本宮に参拝しようじゃありませんか。
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萬盛庵

2007年08月11日 09時32分50秒 | 食べ物
 亡くなった杉浦日向子さんを中心に編まれた「ソバ屋で憩う」(いま手許にあるのは新しい版の「もっとソバ屋で憩う」だが)という、ソバ屋さん好きのバイブルみたいな本がある。
 いろんな名店が紹介されているのだが、その中でも冒頭を飾る「特撰五店」は杉浦日向子さんとソ連(ソバ好き連)が特別に大事にしているお店。
 並木藪蕎麦。ここの辛つゆと樽の菊正と午後に流れる時間がいいんだよねえ。
 室町砂場。蕎麦も素晴らしいが、仲居さんたちの客あしらいがまた見事。
 鞍馬。忘れもしません。杉浦日向子さんにほほえみかけられたお店です。
 傘亭。ぼくがソバ屋さん巡りを始めたきっかけになったお店。ご主人との一対一の緊張感がたまりません。
 と、4つのお店には行ったのだが、残りの1軒はなんと山形。なかなか行く機会がなかったのだが、今回山形を旅するわけでこれは是非詣でて来なくちゃ。
 お店の名前は「萬盛庵」。
 「もっとソバ屋で憩う」をひもといてみよう。

 「出されたソバは、水切れのよいキリリとした、見るからに小粋な細麺。つゆも熟成のまろみのある辛口。まさに江戸前だ」
 「ソバは、幾星霜連れ添った古女房以上に、あうんの連係プレーの完成した、地元製粉所に委託した地粉を、手ごね機械打ち。江戸前ののどごしを重んじて、小麦粉を、一、二割、そのときのソバのコンディションにより、九一、外二、二八の間で微調整する」

 期待できる。いや、なにしろ神楽坂の「たかさご」ですら入らない特撰五店である。期待できないわけがあるまい。


 山寺から車で山形へ戻り、いよいよ念願の萬盛庵へと突入。
 土曜日の正午チョイ前。
 ガラス戸を開けると客は誰もいない。おお、口開けのお客さんである、わたくし。
 ソバを注文して、庭を眺める。


 しばし待たされて来たのがこれ。せいろの上に4つの小山になって乗っている。
 細打ちで、星がきれいに入っていて、見るからにうまそうである。
 一口すする。
 うそ。
 無言ですする。
 残しても仕方がないので、どしどしすする。
 ゆで時間を間違えたのか、茹でてからおいたのかわからないが、コシがまるでない。当然喉ごしだってよくない。どっちを食べるかと言われたら、しまだやの流水麺を選ぶ。
 食べ終わる。時間は正午を回っている。客は相変わらずぼくだけ。
 何かが変わってしまったのだろうか。
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山寺三景

2007年08月09日 22時37分30秒 | 写真

 山寺というとこの構図をよく見かける。ぼくも真似して。


 五大堂からの眺め。台風が雨雲を引き連れてきて、好天には恵まれなかったが、却って山水画のような雰囲気を楽しむことができた。


 枯れ花も含めて、右からの流れるような形が面白かった。
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山寺(立石寺)

2007年08月09日 10時16分38秒 | 観光
 東北6県で唯一足を踏み入れたことのない山形。 
 その山形に土日きっぷで行ってみようと思い立ったが吉日。台風を追いかけるように上野駅から山形新幹線に乗った。最初は普通の新幹線なのだけれど、福島からは在来線となり、ぐっと旅情を感じる路線となる。踏切があったり、単線だったりするのだ。
 山形駅でレンタカーを借り、まずは山寺へ。
 山寺、本当は立石寺(りっしゃくじ)。でも、山寺の方が通りがよいかもしれない。
 これがまあ、結構な観光地で、規模の小さな中尊寺のよう。


 山寺に入り口にある日枝神社。日枝山(比叡山)の神社で、延暦寺の地主神である。もちろん山寺は天台宗のお寺。この先住神という考え方は面白い。先住神と今来神がその場をめぐって対立するのではなく、保護・被保護者の関係を持つ。ユニークである。
 津島神社縁起では、日本の地主神は牛頭天王で、今来神が天照大神という。古代神話とは別の仏教的な中世神話の面白いストーリーである。明治期の神仏分離の薄っぺらさには想像もつかない歴史の重層がそこにある。


 力こんにゃく。登る前にこれで力をつけて、というがこんにゃくであまり力はつかないのではないか、と思う。しかし、おいしかったので、これでいいのだ。


 奪衣婆。米朝が復活させた「地獄八景亡者戯」では、ずいぶん、くたびれた風俗老女として描かれていた。隈取りがきつすぎて、怖さよりも遊園地のお化け屋敷にちょっと通じるキッチュさを感じる。


 木の卒塔婆はよく目にするが、これは岩卒塔婆。
 最初のにぎわい観光気分が次第に大人しくなってくる。
 寺というのは、観光の場所であると同時に、宗教施設でもある。その宗教性が強ければ強いほど、宗教心のない人間を排する雰囲気も濃厚になってくるものだ。


 後生車。若くして亡くなった人を弔うもの。この車の部分に「南無阿弥陀仏」と六字の名号が書いてあり、回すことによって供養する。
 ここに至ると風光明媚な寺としてだけでなく、人の生き死にに強く結びついた宗教施設なのだと強く思う。


 このような穴がいくつもあいている。
 民俗信仰では山寺は死後の世界の入り口と考えられている。だから遺族たちは死者の歯や骨などをこうした穴に納めるのだ。穴に吹く風の音は死者たちのすすり泣きにも似ていることだろう。


 そして奥の院。撮影禁止なので撮らなかったが、ここにムカサリ絵馬があった。
 ムカサリ絵馬についてはこちらの動画をどうぞ
 
 絵馬だけではない。この奥の院では死者の結婚式も行われる。年若くして亡くなった子どもの親が同じくらいの亡くなった子どもを捜して結婚させるのだ。この世で結婚できない子どもたちはあの世で結婚する。つまり、この世とあの世の接点がここ山寺なのである。奥の院の周囲で死の匂いを感じる。


 頂上間近にある三重小塔。塔そのものは格子の中にある。確かに小塔だ。しかし、塔よりもその岩に強く惹かれるものがあった。2日後、こんな岩に引き寄せられるようにまた出かけることになるのだが、それはいずれまた。
 さっきまでの雨が上がり、急に晴れ間がひろがった。
 どこからともなくセミの声が聞こえてきた。なんというタイミング。300年以上前、この山寺で「閑かさや 岩にしみいる 蝉の声」と松尾芭蕉は詠んだ。急な晴れ間は単なる偶然だろうが、ここで蝉時雨を浴びたことは、なんだか山寺とのいい出会いを象徴しているような気がして、気分上々であった。
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涙のオルフェ

2007年08月07日 07時09分42秒 | 写真


きみの涙は この世で一番
小さな海だよ ぼくだけが知ってる

              フォーリーブス「涙のオルフェ」
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徒競走

2007年08月01日 10時07分29秒 | 写真


 オリンパスの小さなデジカメを買いました。
 画質は画素数じゃないと実感。710万画素と言っても、600万画素のα-7Dの方が画質は上だもん(まあ、値段が違うわけなのだが)。
 場所は埼玉県の秋ヶ瀬公園を通り抜けたあとに広がるたんぼ。
 このかかしの他、ところどころ自動で鉄砲の発射音がする装置があり、そばを通ったときに鳴ったときにはひっくり返りそうになった。アメリカ人なら銃撃だと思うだろうな、と。
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