毎日が観光

カメラを持って街を歩けば、自分の街だって観光旅行。毎日が観光です。

初台物語2

2006年01月31日 23時15分03秒 | 観光


 新国立の横。マックとかコンビニとか立ち食いそば屋さんのある通り。
 わかる人なら、あ、あそこ? 入り口んとこの脇? とわかってもらえるかな。
 あそこに建築中の今をときめくイーホームズ確認清建物。
 次のオペラのときにどうなってるかちょっと楽しみ。
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初台物語

2006年01月31日 22時18分11秒 | 観光


 初台。
 オペラシティの反対側には、とても楽しい商店街が。
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魔笛

2006年01月30日 17時31分02秒 | 音楽


 楽日に行ってきました。
 当日券はすでに売り切れたというのに、列を作る人々。人気ありますね。
 序曲からちょっとゆっくりめ。それにノリがいまいち。
 しかし、手堅い演出、楽しめるくすぐり、粒ぞろいの歌手たち(とくにパミーナ役の砂川涼子さん、モノスタトス役の 高橋淳さん!)。
 素直にすんなり楽しい時間を3時間過ごすことができました。
 うーん、もうちょっと指揮が歌と一体になってたらもっとよかったのにな。
 カーテンコールのパパゲーノ・パパゲーナ夫婦の演出も楽しかった(でもあれ、エヴァーディングの演出にヒントもらってない?)。
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黒と白

2006年01月26日 00時05分29秒 | 写真


 18-200mm 1/80 F6.3 ISO100 露出補正+0.7
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雪桜

2006年01月25日 12時01分10秒 | 写真


 大倉登山口近くで
 18-200mm 1/300 F10.0 ISO100
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春の準備

2006年01月23日 14時09分17秒 | 観光


 標高1000メートル以上の丹沢。
 氷点下の気温。
 吹雪。
 そんな中でもちゃんと春の準備してる。
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雪の丹沢

2006年01月23日 12時55分26秒 | 観光
 ロマンスカーの車窓からきれいな富士山が見えたが、山に入ってしばらくすると雲と霧で視界はかなり悪くなってしまった。
 おまけに登山用のスパッツを持ってない、手袋がゴアテックスなどでない、などなど装備の不備。
 金冷シ近くで、もうどうにもこうにもならなくなってしまった…
 塔ノ岳から下りて来る人たちの頭が凍っている。
 様子を聞いてみると上は吹雪だと言う。寒くて、冷たくて、風が強いので、いたたまれない、とのこと。
 展望がないことだし、ここで引き返すことに。
 なんなら来週にもまた来られるようなところ。体が冷え切って動かなくなる前にやめるのが賢明だろう。
 下るために、道の脇によけて、シューズにアイゼンをつけてると、カップルが下ってきた。
 「もう、あんな風に転ぶなんてショック。立ち直れないよお。お尻あざになってるよお、きっと」と女の子が言った瞬間、彼女はぼくの目の前で舞った。
 転んでお尻を打つ話をしながら、転んでお尻を打つ人を見たのは初めてだ。下りにはアイゼンが必要だろう。
 少し下ってテーブルのある場所でお湯を沸かしてカップ麺の昼食。こういう寒い日は温かい食べ物が何よりのごちそう。

 霜が降りても緑が美しかった。
 帰りのロマンスカーで宴会。スーパーで刺身と筑前煮を買って食べた。
 ナイスだ、小田急OX。
 朝6時に出て家に帰ったのは7時。
 塔ノ岳には立てなかったし、重い機材担いでいったのに写真もロクに撮れなかったが、また雪山に登りたくてならない。
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丹沢

2006年01月22日 21時54分44秒 | 観光


 雪の丹沢に登ってきました。
 いや、寒かったのなんのって。
 それと、アイゼンなかったら死んでたかもっていうくらいの雪と氷。
 詳細はまた。
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大雪

2006年01月21日 20時20分11秒 | 写真


 東京は結構な雪でした。
 車を車庫に入れようと悪戦苦闘してたら、近所の人がわらわら出てきてくれて手伝ってくれました。
 さすが下町!
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丹沢へ!

2006年01月20日 15時28分42秒 | 観光


 かつて水銀は丹と呼ばれ、丹生神社など丹生氏と関係が深い。
 もう一つ水銀と関係の深い氏族がある。秦氏である。
 秦氏ゆかりの伏見稲荷は水銀の朱によって赤く塗り飾られ、また水銀ハンターである空海との結び付きも強い。
 そして丹や秦のつく場所が水銀と関係のあるのも確かだ。
 となると。
 関東に住んでいるぼくはふと思う。
 神奈川の秦野だの、丹沢ってえのは、まさにそれじゃないか、と。
 おまけにここには秦氏だけでなく、徐福まで訪れたという伝説まで残っている。
 地名も乳牛なんてあり、牛祭もある。まさに秦氏。
 ぼくは前からキリスト教が聖徳太子に影響を与えたんじゃないか、などと秘かに想像して楽しんでいる。受胎告知はあるし、うまやどで生まれるし、その伝説にキリスト教が影響しているように思えてならない。その仲介が秦氏なんじゃないか、と。
 ちなみに秦野の牛祭では、牛の上に十字を組んでその上にヤソ神様を乗せる。ああ、なんかキリスト教っぽい。
 というのは、まったくのもったいつけで、気持ちはもっと単純。
 明日は雪。
 ということは、あさってあたり登ったら、さぞやきれいだろう、丹沢は。
 なわけで、山登りに行ってきます!

               写真は、秦氏ゆかりの神社の狛犬じゃなくて、狛牛
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阿射加神社

2006年01月20日 10時44分43秒 | 観光

                                                   (阿射加神社参道の森)

 一泊二日伊勢の旅もいよいよ終わり。
 最後はやはり猿田彦で締めよう。
 伊勢に来た猿田彦はそこで漁をしている最中、貝に手を挟まれて溺れ死んでしまう。その場所が阿坂村であった。
 現在その場所には小阿坂町、大阿坂町の2つの町があり、そのどちらにも阿射加神社がある。
 亡くなった神同様、この2つの神社は寂しい。
 誰もいない境内。
 無人の社務所。
 うっそうと広がる森に沈黙だけが流れていく。
 この寂しさは失われた神、猿田彦の寂しさだ。
 いたたまれなくなるほどの寂寥感。
 日の沈む出雲で生まれ、日の昇る伊勢で亡くなった猿田彦。
 あ。
 そうか、猿田彦は太陽そのものなんだ。
 太陽が見えなくなる出雲で太陽の代わりに猿田彦が現れ、そして伊勢で彼は太陽そのものとして天に昇っていく。夕方、太陽は猿田彦に姿を変え、消える。
 こうして猿田彦は、毎日出雲で生まれ、伊勢で死ぬ。
 今でもね。


 阿射加神社で、ヴィッツくんの写真を撮って松坂でヴィッツくんとお別れ。
 雪で10分遅れの快速に乗り、名古屋へ。
 午後8時過ぎに名古屋に着くと、そこへ「名古屋7時半発の」のぞみが到着。
 雪でハプニング満載の楽しい伊勢参りだった。疲れたあ。
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月出露頭

2006年01月18日 10時21分18秒 | 観光

 さて、上の図の赤線のように九州から四国を横切り、伊勢に至る中央構造線(日本最大の断層である)は、東に行くと急に北上する。そのため、伊勢の南と群馬とが同じ三波川帯となる(その上の領域が領家帯。おおまかな言い方だが)。もちろん、群馬の三波川にちなんだ命名だ。
 この三波川帯と領家帯とがはっきり姿を現しているところを露頭と言う。
 日本各地に露頭は存在するが、紀伊半島の露頭はなかなかの規模(国の天然記念物)。
 
 車は次第に山に入っていく。
 広い国道は車通りがあるので雪が積もっていないが、山は次第に雪深くなってくる。チェーンを積んでいない。ずりずり滑りながらも、慎重に慎重に山を登っていく。



 じゃーん!
 通行止め。
 写真は、帰りにもっと積もったらどうにもならなくなるので、とりあえず先にUターンさせたレンタカーのヴィッツくん。
 仕方がないので、途中から雪の中を歩く。
 ちょっと行ったところで、人気は一切なくなり、雪に残っているのは、獣の足跡だけ。



 かわいいウサギの足跡らしきものに交じって、結構シャレにならない大きさの足跡と遭遇する。
 大声で独り言を言いながら足早に進んでいく。向こうも人の声がする方へわざわざ出てこないだろう。
 そしてようやく登りきって露頭にたどり着いて見たものは、雪!



 そう、雪で隠れてしまって、断層がよく見えないのだ。
 それでも左側のグレーの岩帯と右側の黒い岩帯との違いはわかっていただけるだろうか?
 この断層帯に神社・仏閣が集中している。水銀と、それから地霊のせいかもしれない。不思議な雰囲気が伝わってくる気がする。

 しばらくたたずむ。
 人がいない。鳥も鳴かない。音という音を雪が吸い込んでいるかのようだ。
 耳鳴りがするほど、静かだ。
 恐ろしくて、恐ろしくて、自分一人で立つことができないほどだ。
 かつて、闇はもっと暗く、鳴り響く人工の音は寺院の鐘くらいであった。
 そんなとき、修験にしろ、生活のためにしろ、一人で山に入ることはどれだけの恐怖を伴ったものか。
 そうした恐怖への想像力が疲弊してしまっているような気がする。
 旅は日常で鈍化した想像力、感性を非日常的な世界から高めてくれる。
 伊勢の旅も終わりに近づいた。
 ヴィッツくんとともに松坂に向かう。
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通勤写真

2006年01月17日 17時36分15秒 | 写真
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丹生大師

2006年01月17日 16時47分11秒 | 観光

 かつて水銀は丹とも朱とも呼ばれ、非常に価値のあるものであった。
 金を採集したり、金銅仏などに金メッキを施したりするために使われるほか、仙薬や化粧品としての用途もある。
 丹生(にゅう)という地名はそうした水銀にちなんだ地名である。
 かつて伊勢の丹生には、日本で唯一水銀座があったほど、水銀が豊かであった。
 それもこの中央構造線によるものである。
 
 写真は丹生大師。天の岩戸から40キロほどのところにある。
 隣に丹生神社が隣接している。
 もちろん大師は神宮寺であり、明治以前は渾然一体だったのだろう。

 水銀あるとこに弘法大師、とアステカの古い諺にもあるように(ない)、ここにも弘法大師が足を運んでいる。
 この神社近くに水銀の大鉱脈があり、奈良の大仏の鍍金にはここの水銀が使われたといわれる。
 
 丹生一族はまさに水銀によって栄えた一族であったに違いない。
 しかし、往古のにぎわいはすでになく、さみしい風情の場所だ。
 丹生大師、丹生神社、少し長居したのだが、誰一人として出会うことはなかった。


 写真は参考までに高野山の丹生明神。
 さて、ここまで来たら中央構造線、じかに見たいではないか。
 ここからなら100キロほど。
 レンタカーを帰す予定の松坂までは250キロほど。
 走ることにしよう。
 今日一日で300キロ近く走ることになる。
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天の岩戸

2006年01月17日 12時19分59秒 | 観光

 次は伊雑宮そばにある。日本百名水の一つ恵利原の湧水。
 カルスト湧泉である。
 カルストとは、石灰岩が水によって浸食され穴が開いた地形。
 石灰岩は一様に水に浸食されるわけではなく、その弱いところを集中的に溶かされる。 そのため奇異な地形や湧泉、洞穴などとして姿を現す。
 秋吉台が有名だけれど、日本中に存在する。
 集中的に溶かされるところが小さな一点であれば、水が通るだけの穴だろうし、人が入ることができる程度に大きければ、鍾乳洞などとなる。
 この集中的に溶かされるところが断層である。
 したがって、こうしたカルスト地形は断層と切っても切り離せない。
 そしてこの伊勢近くには前述の通り中央構造線という大きな断層が走っている。
 水銀だけでなく、こうした湧水も断層のたまものである。
 さらに湧水地から山奥へ300メートルほど行くと、湧水より大きな穴のあいた、天の岩戸がある。

 ここに至る道からすでにものすごい雰囲気で、一人でここに来たことを激しく後悔した………。
 ここの写真はあまりありません。早足での訪問でした。あー、こわかった。
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