毎日が観光

カメラを持って街を歩けば、自分の街だって観光旅行。毎日が観光です。

先週の読書

2009年02月23日 12時43分19秒 | 読書

 高橋源一郎「一億三千万人のための小説教室」   岩波新書
 前書きには小説を越えて生きることに直接つながる何かが書かれてあった。すばらしい。文章だって難しくない。実に丁寧にゆっくり進んでいく。
もしこの本に実用的な文章技法みたいなものを期待している方には勧められないけれど、素晴らしい本だ。

「いまそこにある小説は、わたしたち人間の限界を描いています。しかし、これから書かれる新しい小説は、その限界の向こうにいる人間を描くでしょう。
 小説を書く、ということは、その向こうに行きたい、という人間の願いの中にその根拠を持っている、わたしはそう思っています」

 小説は教わるものではなく、その先に行きたい人が自分で道を探していくものなんだという出発点をこの本は教えてくれる。



山崎ナオコーラ「長い終わりが始まる」     講談社
 マンドリンの仲良しサークルで人間関係よりも技術を重要視して、周囲からういてしまう女子大生小笠原。ちょっと見ひねくれた人間性のように思われる彼女だけれど、実は悲しいほど一直線で不器用で。彼女のいる田中のことが好き。でも、そんな条件、彼女には関係ない。一途に思っている。
 小笠原の性格がゆがんでるとか言う人もいるが、そうじゃない。ゆがんでないから、小笠原は困ってるんだ。そんな小笠原の純愛物語なのだ。
 山崎ナオコーラは「人のセックスを笑うな」に続き読むのは2冊目なんだけれど、この主人公像を見事に描ききっていて感心いたしました。もっと読もう。



絲山秋子「ダーティ・ワーク」   集英社
 お見事。
 読むたびに感心する絲山秋子。この人の文章の余白ってすごいな。文章の外ににじみ出させる筆力。
 一つ一つが独立した短編でありながら、全部読み終わるとキレイにつながっている構造。そしていろんなことを含めて前向きである姿勢。いいねえ。



藤野千夜「彼女の部屋」     講談社文庫
「春らしい七分袖のブラウスなんか着た大河内ななえは、はにかんだようにゆりえを見返している」
 主人公はゆりえ。訳あって、男友達の棚橋と女友達の大河内の初対面コンビと待ち合わせをしたシーン。なんとない描写だけど、ブラウス「なんか」の「なんか」に細かな女性の感受性を感じる。こういうところが藤野千夜はうまいよなあ。
 何気ない話なんだけれど、こういう細かなところにうなりっぱなし。もっとも死んだ父がなぜか帰ってきた「父の帰宅」は何気ない話じゃないよね。でも、そういう突飛な話でも何気ない話になってしまう魔術。なぜ父が帰ってきたのかなどは一切説明なく、それ以上に兄嫁の細かな描写がにくい。


 


町田康「おっさんは世界の奴隷か」     中央公論新社
おかしい。言ってることは実はしごくまっとうなんだけれど、レトリックにやられる。くっくっくと笑いをもらしてしまう。
 スキーについて。
「ただただ、引力にまかせて斜面を滑り降り、「わきゃーん」と言っているだけで、つまりこれは三歳くらいの幼児が児童公園の滑り台を滑り降り、「わきゃーん」と言っているのと原理的にはなんの変わりもない。
 同じことを大の大人がやっているのであり、いったいなぜそんな無駄なことをいい大人がするのか並の神経では理解できない。だからこそつい最近まで日本人はスキーをしなかったのであるが、ではなぜするようになったかというと冒頭に申し上げたように、スキー場なる物を拵えた人があったからである」
 この人の文章力ってすごいと思う。
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一人酒盛り

2009年02月20日 22時18分35秒 | 食べ物


 どうでもいい疑問なんだけれど、いったい誰が初めてイカスミなんてもの食べようと思ったのだろう? イカスミ食べるぐらいだから、タコスミも食べてみて、だめだ、スミはイカに限るなんて、自らの身体をもって実験した上で結論づけた人もあったに違いない。頭が下がる。臆病なぼくなんて、賞味期限を2週間越えた卵を食べることすらビクビクもんである。あ、タンパク質の食中毒はひどいことになるので実験しない方がいいです。
 さて、そんなわけでイカスミ。偉大なるソース。だって、魚介にかけるだけでうまいんだもん。トマトソースに合わせれば、海の生き物に関してはかなりの支配率。エビだって、タコだっておいしい。
 しかも至極簡単に極上の味が楽しめる。イカスミ様々である。
 ガーリックをオリーヴオイルでローストしてイカをいためる。作り置きのトマトソースを加えて、プチトマトも入れましょう。今回は発作的な冷やし中華と違ってちゃんとトマトの用意も完璧。
 いい具合にトマトにも火が入ったらイカスミを加える。これだけ。簡単。
 はふはふ言いながら食べるトマトが甘い。きゅっきゅっとした歯ごたえのイカがうまい。
 ぼく何にもしてない。ほぼすべてはイカスミの風味のおかげ。


 ついでに作ったきぬさやとベビーホタテの煮付け。
 きぬさやはできあがり直前に入れました。色が悪くなるからね。

 さあ、今晩は、会社で一人酒盛り。DVDを見て、本を読んで、原稿の準備を致しましょう。

 あ、なんで写真のサイズが違うんだ? すでに酔っぱらってるのか、わたくし。
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今週のCD&DVD

2009年02月20日 13時25分43秒 | 音楽

 伊福部昭「ゴジラ・交響ファンタジー」 金洪才指揮大阪シンフォニカー
 最初の一音からワクワク。懐かしいあの響き。ゴジラ登場の音楽にばかり気を取られていたけれど、それだけじゃない豊かな音楽が鳴り響く。
 「シンフォニア・タプカーラ」はアイヌ語「タプカーラ(立って踊る)」の名の通り、心情のまま、喜び、悲しみにつれ舞い踊る様が、どこかストラヴィンスキーの「春の祭典」を思わせる響きとともに歌われる。それに「オーケストラのためのロンド・イン・ブーレスク」。ああ、コレも懐かしい。自衛隊出動の主題が繰り返し使われている(映画の中で怪獣に向かっていく自衛隊)。
 引き出しが豊富でしかも生々しい音楽。



 レブエルタス「レブエルタス作品集」エサ=ペッカ・サロネン指揮ロスアンジェルスpo
最近気づいたんだけれど、ぼくは思っている以上にラテン・アメリカの音楽が好きだ。もともと中学、高校をギター部で過ごしてるんだから、バリオスやヴィラ=ロボス、ポンセなんかとは10代から親密なおつきあいをさせていただいております、って関係だった。
 で、最近ニャタリやブローウェルなんかを聴いたりして、あ、俺ってラテン・アメリカ好きだったんだと改めて再認識したわけです。
 レブエルタスはドゥダメルがシモン・ボリバル・ユースオーケストラを指揮した「ラテン・アメリカ傑作集」で知った(と同時に、ヒナステラという作曲家も)。ドゥダメルのこのCDは最後の「マンボ」も含めていろんな収穫の詰まった楽しいものだ。
 で、レブエルタスの「センセマヤ」の他にも聴きたくなって探したのがこれ。
 圧巻はやはり4部からなる「マヤの夜」だろう。第3部「ユカタンの夜」の叙情が第4部「魔法の夜」のカオスへと変貌する様は興奮させられる。カオスにはコスモスにはない、すべてがある。すべてがあるから混沌で、そこから何かを排除しない限り秩序は生まれない。人はコスモスの中でしか生きられないが、それは精神の疲弊を招く。周期的にカオスに立ち返らなければ生きていけない。コスモスからはきれいに死は排除されているが、カオスには死も存在する。死に近づき、人々は活性化するのだ。
 レブエルタスの「魔法の夜」は、ベルリオーズの「幻想交響曲」ワルプルギスの夜以上に夜のカオスを表現していると思う。



 「シャカリキ」
 最近の日本映画って面白いと思いません?
 昔なら、どうせまたこんな感じだろう、などとたかをくくっていたら、その通りならまだしも、それ以下のつまらない展開、考えもない描写、くそみたいなセンチメンタリズムが延々展開されたものだ。
 でも今は違う。何かってえと人類が滅亡の危機に陥っちゃうアメリカ映画よりも、日本映画の方が面白かったりする。若干の例外を除けば。
 その例外がこれ。すごい。全員学芸会レベルの演技。紋切り調の設定と展開。あり得ない状況。たとえば50万もするんだぞ、この自転車、という自転車のリアディレイラーがSORAだったり(その半額のロードバイクだって105をつけてる)、自転車部にデブがいたり(男子群像にデブキャラは必需品なんだろうけど)。
 「自転車ってのは奥が深いんだよ」というセリフに「お前らの映画は奥が浅すぎるんだよ」と突っ込む。
 あと、大阪の人はこの映画を見たら主人公の大阪弁をどう思うんだろう? 東京出身のぼくでさえ、これ大阪弁として違和感あるわあと。
 原作と違うとかなんとかそんなレベルの話でない凡作。駄作。テレビ朝日の番宣見て、なんかイヤな予感がして映画館に行かなかったんだけれど、正解だった。
 いやあ、最近まれな通俗的なテレビドラマ以下の映画。
 ただ、一瞬だけちらっとパオパオのジャージが映ったところにニヤリと。


 「スネークマンショー」
 懐かしのCD。聴いてた当時はCDじゃなかったけど。
 ウォークマンに入れて、ニヤニヤしながら街を歩いた。昔より今聴いた方が面白い。子ども向きじゃないんだな、きっと。
 エディー? エディーだろ? 細野と高橋と坂本3人そろって来てるよお。
 ああ、懐かしいし、面白い。

こちらで試聴できます

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冷やし中華始めました

2009年02月19日 10時26分39秒 | 食べ物


 人間の欲望など千差万別である。
 それを理解できない人間は「あんな男のどこがいいんだっ!」「やめてお父さん」などという事態を招いたり、「え? 帰ったらまず自分の足の臭いかがないの?」などと自分の欲望と世間の欲望と同一視したような発話の挙げ句、周囲からの視線に絶えきれずに自爆炎上したりするのである。
 だから、人の欲望は聞き流し、自分の欲望は黙っているのに越したことはない。しかし、それでは町の便利な聞き上手として一生を終わらざるを得ず、何というか生きている甲斐もないではないか。
 そこでぼくは自分の欲望を暴露しようと思う。あますところなくぶちまけてしまおうと思っている。そしてそれを実行に移して、どんな目にあったのか、頬を赤らめながら語ってしまおうではないか。
 この冬一番の寒気が日本中を席巻したある日のことだ。
 ぼくは、自分でもなぜかわからないまま、強い欲動に心身ともにとらわれていた。
 ああ、冷やし中華が喰いたいっ。
 人の欲望が千差万別であると同時に、その欲望を評価する眼も千差万別である。中には体中縛られ、「この豚野郎」などとののしられながら天地真理にムチふるわれたがる奴より変態だ、と思う人もいるだろう。中には、わかる、わかる、俺も夏に鍋焼きうどん喰いたいしな、と共感してくれる人もいるだろう。だが、夏に鍋焼きうどんを喰いたがるような変態野郎に共感されたかないんだ、こちとら(→なんです、あんたは)。
 そんなわけで昼休みに会社であり合わせの材料で作った冷やし中華。
 麺を冷やし、かじかんだ手をふるわせながら拷問とか刑罰とかの言葉が頭をよぎりました。何かの罰か、こりゃ。
 なにしろ冷やし中華そのものが売っていない上、材料がないので苦労惨憺。具だってろくなもんはない。
 中華スープのもとに醤油とラー油とお酢でタレを作り、具はトマトやキュウリなどの買い置きはないので、三つ葉とシソと薄切りにした豚バラ角煮のみ。
 一口すする。案外いける。まあ、もっとも自分で自分のために作ったものだから、うまさの閾値はおのずから低め設定である。まあ、こんなもんかな、と思いつつ、人には出さないよなあとも。
 ごちそうさまでした。ああ、寒かった。もうやりません。
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だから清の墓は小日向の養源寺にある

2009年02月18日 09時11分44秒 | 観光
 夏目漱石「坊ちゃん」のラストシーン。

 「死ぬ前日おれを呼んで坊っちゃん後生だから清が死んだら、坊っちゃんのお寺へ埋めてください。お墓の中で坊っちゃんの来るのを楽しみに待っておりますと言った。だから清の墓は小日向の養源寺にある」


 そんなわけで養源寺。小日向というよりは本駒込。
 この「だから清の墓は~」の「だから」を井上ひさしは日本語で一番美しい「だから」の用例だと言っている。余情を含んで簡潔で美しいとぼくも思う。


 中の墓地にはこんな案内が。
 おや? だって、「坊ちゃん」はフィクションで、清はその登場人物じゃないですか。なぜリアル墓が?
あれですか、寺山修司が力石徹のリアル葬儀委員長やっちゃったみたいなことですか?
 清萌えの人たちが墓まで建ててしまったとか?

 と自分で疑問を呈しながらこれから答えを書くあたりの小芝居がくさいね、我ながら。

 1888年、漱石と正岡子規はともに一高に入学、建築を専攻しようと思っていた漱石だが、同級の米山保三郎に文学を志すよう言われて翻意した。言ってしまえば簡単かもしれないが、それほど米山の存在は漱石にとって大きかったのだ。同じように、正岡子規も哲学を学んでいる米山の姿を見て、彼にはかなわないと哲学科から国文科へ転科した。
 そう考えると、米山保三郎は、日本を代表する二人の文学者の育ての親と言ってもいいかもしれない。
 漱石の小説「我が輩は猫である」にも登場し(天然居士は米山の号)、また「こころ」のモデルになったとも言われている。
 

 「坊っちゃん」が書かれたのは、正岡子規も米山も亡くなってずいぶん経ってからだ。だがそれでも、米山への敬愛のサインとして漱石は「坊っちゃん」に米山の祖母清を登場させた。清と坊っちゃんとの間の情愛は、漱石と米山との間の情愛と相似だろう。
 米山家の墓は養源寺にあった。
 だから清の墓は小日向の養源寺にある。
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さよなら会津

2009年02月17日 11時18分07秒 | 観光

 会津は町並みが美しい。景観に気を遣い、観光客に便利なように巡回バスも運行されており、街を挙げて観光都市を目ざしているようだ。
 しかし、東京からのアクセスは決していいとは言えない。福島、郡山なら一本で行けるのに、会津には磐越西線を使わなくてはならない。しかもこの路線、会津まで結構時間がかかるのだ。
 街を歩いていると、「あいづっこ宣言」なるものを見つける。いくつかのきまりの最後に「ならぬことはならぬものです」が続く。これが会津精神の基本なんだろう。

「社会病質者は、社会的相互作用を規定している道徳律を認識できるし、それが彼の目的に合致する限り、道徳的に行動することさえできるが、彼には何が正しくて何が間違っているかに関する「本能的直観」、つまり外的な社会的規則に関わりなく「やってはいけないことはやってはいけないのだ」という感覚が欠けている」(ジジェク「ラカンはこう読め」)

 ジジェクに言わせれば「ならぬことはならぬ」という感覚の欠如が社会病質者の特徴だということになる。つまり、会津の人たちは当たり前のことを言っているのだが、その当たり前のことがなかなか当たり前じゃなかったのは、歴史を見てみればわかる。



 美しい鶴ヶ城。
 お腹がすいたので城の下にある店で会津ラーメンを注文したのだが、あいにく売り切れてしまったとのこと。
「あ、でも会津のラーメンならおいしいとこ他にもありますよ」と女性の店員さんが親切にいろいろ教えてくれる。隣接している観光案内所にぼくを連れて行き、ラーメン店のパンフをとって、そこの係の人とどこがおいしい、ここはどうかとお勧めラーメンの決定会議。
 このホスピタリティが東北の人の特徴なんだよなあ。東北っていいなあ。実は江戸っ子ってえのもちょっと甘え上手なとこがあって、東北人とは不思議に馬が合う。
 結局彼女たちが親切に教えてくれたラーメン屋さんを目ざすことにしてバス停へ向かう。向かいながらパンフをよく見るとその日は定休日だった。お茶目さんだな、まったく。



 帰りは時間がちょうどあったので快速会津ライナー。
 これに乗れるとラッキー。座席はいいし、速いが、残念ながら本数が少ない。下りは一日2本、朝の10時45分と19時40分のみ。もちろん乗れなかった。
 上りの会津ライナーに乗れたけれど、いずれにしても終点は郡山。これから、郡山~黒磯~宇都宮~上野と旅は続く。でも、昔ならやんなっちゃう局面なのに、なぜかうきうき。もっと電車に乗っていられることが嬉しいのだ。人間変われば変わる。
 今度の青春18切符の旅は3月だから水戸に梅でも見に行こうかな。
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先週の読書

2009年02月16日 20時04分02秒 | 読書

 橋本治/内田樹「橋本治と内田樹」     筑摩書房
 内田樹による橋本治の解剖対談。そして「橋本治」を出発点にあちこちふらふらしながら、やがてまた「橋本治」に帰ってくる。驚異的な多作者であり、精力的な執筆者であるのは両者共通。いろいろ気づかされることが多い。
 戦後教育なんて括り方は乱暴きわまりないというのも納得。だって戦後って60年もあるんだもん。
「僕らが小学生のときなんて、先生の半分くらい明治生まれだったわけですからね。明治生まれの、『坊っちゃん』や『三四郎』を四十年くらい老けさせた校長先生が朝礼の訓話でしゃべってるわけですよ。そういう先生が話すのって、だいたい自分が明治時代に小学生のときに聞いた訓話の焼き直しなわけでしょう。その校長先生のそのまた先生は天保生まれかもしれないし。だから、僕らの小学校のとき、教育空間の一部はほとんど江戸時代と地続きだったんですよ。」
 戦争初期にアメリカ軍を困らせた零戦の部品は牛車で運んでいた。昭和と江戸時代はたいして変わらなかったりする。



 内田康夫「地の日天の海」     角川書店
 上巻はそれなりに面白かったのだけれど、地の日=秀吉に対する天の海=天海、この両者が絡んだ話なのかと思っていたのだけれど、そうなった瞬間唐突に話は終わる。なんだ、今までの歴史小説の筋立てと同じじゃないか、ちょっとがっかり。違うところは、信長の残虐性。これについてよく書いてあって、英雄信長像に異議をはさむ内容になっている。この部分が光秀謀叛の原因の一つになっていったという話はわかりやすかった。



 林田直樹「クラシック新定番100人100曲」     アスキー新書
 一人の作曲家についてだいたい3pほどの記述。そこで作曲家と選んだ1曲などについて書く。多くの場合、こうした企画は作曲家のうわっつらをなでて終わり、読んでいて何の薬にも毒にもならない。
 しかし、この本は違う。スプラッタ的な表現で申し訳ないが、この著者は利き腕をぐっと作曲家のお腹に突っ込み、胆をわしづかみにして取り出してわれわれに見せる。何年にどこどこで生まれてなんて話はない。
 たとえばクープランについてはこうだ。
「クープランの音楽は、「私は悲しい」とか「私は嬉しい」とか、そういった一人称の音楽ではないように思う。それはロマン派の世界である。それよりも、響き自体が、現実と夢の境界線へと聴く者の心を誘い、不思議な精神的解放をもたらすのだ」
 深い洞察と優しい目線と細やかな感受性に裏打ちされた著者の語りは、音楽を聴く裾野を広げてくれるとともに、その音の精妙な調べの奥深さも教えてくれるだろう。新書の可能性を広げたと言っても過言じゃない。
 その新たな可能性はこの卓越した文章のみならず、ネットととのコラボレーションにも現れている。
アスキーのサイトにアクセスすると、著者の勧める100曲を聴くことができる。運用は今年いっぱいぐらい。ジスモンチやフィンジ、ブローウェルなどそれほどメジャーじゃない作曲家の素晴らしい音楽に触れるチャンスである。



 羽田圭介「走ル」     河出書房新社
ところどころの描写にうなるけれど、ぼく、だめ、これ。受け付けないや。
 ビアンキに乗って走り出したら停まらなくなって、青森まで自転車で走ってった話。そう聞けば食指がびんびんに動くんだけれど、どうにもこの主人公がつまらなくてイヤ。
 別につく必要もないくだらない嘘を数多くつきすぎることに違和感。



 大泉洋/松久淳「夢の中まで語りたい」     マガジンハウス
 「水曜どうでしょう」ファンであり、大泉洋ファンであるぼくは、「アフタースクール」などの映画に飽きたらず、今度は大泉洋の本まで読んでしまった。対談集。
 猫好きな人間に向かって「トイレに流れちゃえばよかったのに」と言い切りながら、なぜか憎めない性格が彼の持ち味。そういった大泉洋の雰囲気がよく出ていて、楽しめた。



 中沢新一/山本容子「音楽のつつましい願い」     筑摩書房
 ため息が出るほど美しい本。
 クラシック音楽の作曲家11名について中沢新一が文を書き、山本容子がエッチングを描く。文が美しく、エッチングが美しい。流れる文章の美しさに時間とともにある身体が流されがちで、意味をとらえることなく過ぎてしまいそうになるほど。
 慌てて戻り、また文章の美しさを体中に感じながら散歩をすることの、なんて幸せなことだろう。
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東京ウォーカー(下)

2009年02月13日 17時32分25秒 | 観光

 赤坂見附跡。
 江戸城の警護にあたった見附だけれど、その後は門の名前として使われるようになった。赤坂見附、四谷見附(喰違見附)、牛込見附など現在も地名として残っているところもある。
 このそばにあったのがホテルニュージャパン。火事のあと、周囲の雰囲気とは異質の廃墟としてずっと取り残されていたのが記憶に残っている。
 ここからはひたすら246号線一直線。



 豊川稲荷。愛知県にある豊川稲荷の東京別院。伏見稲荷が神道系のお稲荷さんだとすれば、こちらは仏教系のお稲荷さん。お寺である。
 このお稲荷さんは、もともと名奉行で知られる大岡忠相が勧請し、自宅で祀っていたもの。



 赤坂御用地。
 皇太子一家をはじめ、いろんな皇族たちが住んでる。散歩してて、「お、高円宮」「お、常陸宮かい。今度ビールでも飲みにおいでよ」などと出会って会話したりするんだろうか。



 無事ラグビー場に到着してラグビー観戦。
 望遠レンズを使った撮影が禁止なので、こんな程度。昔はそんな縛りはなかったから、一脚に500mmつけて撮影してたんだけどな。
 マイクロソフトカップ決勝戦。3億円盗まれたり、ここんとこ不祥事が続いた(おい、いつの話だよ、それ。だいたい不祥事じゃないだろ)東芝府中だったけれど、風下をリードして折り返して万全の戦い。
 どっちもハンドリング・ミス多し。国内じゃ強いかもしれないけれど、ワールドカップなどを視野に入れるとこの戦いぶりは、ちょっと悲しい。三洋も決定力なし。
 ま、そんなこんなで10kmちょいの東京ウォーカー。ラグビーの試合があったからここでやめたけれど、もうちょっと遠くへ行くのもいいかな、と。
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今週のCD

2009年02月13日 10時39分42秒 | 音楽

 舘野泉「ひまわりの海 セヴラック作品集」
 セヴラックが好きだった。エラートから出てたCDをよく聴いたものだ。で、舘野泉が弾いたものがあることを知り(知るのが遅いよね)、早速入手。2001年、まだ舘野泉の両手が動いていた頃の録音。
 ツール・ド・フランスという自転車レースをご存じの方もいらっしゃるだろう。レース中ひなびた街道筋にひまわりが咲き乱れているシーンがよく映し出される。あれよ、あれ。まさにセヴラックの音楽は。スペインとの国境に近い南フランスの田舎町。陽光にはえるひまわりの花。明るい色彩のセザンヌの絵画。
 すてきなCD。

 スティング「ラビリンス」 スティング/エディン・カラマーゾフ(リュート)
 スティングの声にダウランドがあうとは想像もしていなかった。クラシック音楽の範疇で言えば決して美声ではないのだが、真摯な態度でのぞむ彼の姿勢に打たれた。ただ、「ラクリメ」はその姿勢がちょっと空回りしてしまったような気がする。構えが固すぎる。もっと自分の持ち味で勝負してもよかったのではないか。
 その1曲を除けば、あとはどれもスティングの歌が素晴らしい。
 こういう試みって日本でもやんないかな。結構面白いかもしれない。
 死んじゃったけど三波春夫にベルナール・ド・ヴァンタドルンの「ひばり」を歌わせたりしたら面白かったんじゃないかと。



 エリカ・ヘルツォーク「日本の思ひ出」
 はっきり言えば、ぼくは「君が代」が嫌いだ。だいたい明治維新が好きじゃないんだから、「君が代」はダメ。薩摩琵琶歌の「蓬莱山」だろ、あれって。古今とか言ってるけど。
 その点日の丸にアレルギーはない(好きってわけでもないけど。でもそれは日の丸がどうのこうのってことじゃなく、国旗そのものに対する複雑な感情)。
 で、このCDの1曲目が君が代。面白い企画CDで、西洋人が日本を綴った曲ばかり集めている。その中にはワインガルトナーやバイエル、カバレフスキー、キーシン(そう、あのピアニストの)といった見知った人たちの知らない一面があったり、まったく初耳の作曲家たちがいたり。面白い。君が代はドイツのカペレンが組曲として取り入れていて、われわれの耳慣れたものとは違う和声を施しているので、ちょっと新鮮。
 こういう企画ものも楽しいもんだ。
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東京ウォーカー(中)

2009年02月10日 10時17分02秒 | 観光

 皇居向かいにあるイギリス大使館。
 皇居周りは、走っている人だらけ。歩いている人間よりもあきらかに走ってる人間の方が多い。歩くことと自転車に乗ることは苦にならないんだけれど、どうも走るのは苦手。しんどいから。しんどい割に自転車みたいに進まないし。



 服部半蔵に由来する半蔵門。地下鉄路線の名称にもなっているのに、地味な門である。今読んでいる「地の日天の海」にも半蔵は出てくるが、そこではもともとの出自は蜂須賀小六の手下ということになっている。
 伊賀越えや家康の妻と長男の自刃の際介錯をしようとしてできなかった話など、たぶん史実であろう事件が残っている忍者というのは希有な例なんじゃないだろうか。もっとも服部半蔵はその家代々の当主が名乗る名前であり、忍者であったのは初代だけなんだけれど。



 社民党本部。
 屋上で蜂蜜作ってます。
 「なくそう格差」のスローガン。でもさ、格差ってなくすべきものなのだろうか。貨幣社会と格差って1枚の紙の表裏。格差をなくすには貨幣社会をなくすしかないだろう。問題は格差ではなく、下への手当なんじゃなかろうか。いろんな階層がいる中、最下層でも生きていけるって社会を目ざすべきなんじゃないか。格差を攻撃するのは、無意味なルサンチマン。



 最高裁判所。隣が国立劇場。
 だんだん飽きてきた。足が疲れたとか痛いとかはないんだけれど、たとえば渡るべき信号が前方で青になってるじゃないですか、そのときなんとももどかしいんですよ、歩いていると。信号を渡るべきタイミングと進むスピードとの差、そのギャップが次第に不愉快になってきちゃう。
 しかし、2時キックオフの試合に間に合わせるためには歩きつづけなくてはならない、決意を固めてまた歩き出したのでありました(電車に乗りゃいいじゃん、ってことをすでに失念してしまってる)。
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東京ウォーカー(上)

2009年02月09日 17時54分51秒 | 観光
 手が痛くて自転車に乗れない →運動不足 →豚一直線 →太って自転車に乗れなくなる。
 そんな負のスパイラルを断ち切るために、そうだ、歩こう。縄文人のように。一歩一歩大地を踏みしめ、風を浴び、空気の匂いを感じながら、どこまでも歩いていこう。
 でも、どこまでも歩くと夕飯の時間に間に合わなくなるので、とりあえずラグビー場まで歩いて行こう。題して「東京ウォーカー」。どこまでも、と言いつつ、10kmほどしか歩かない羊頭狗肉もいいとこの企てである。
 まずは小石川へ。


 旧東京医学校。後の東京大学医学部である。現在は東京大学総合博物館小石川分室で、木曜・金曜・土日だけ公開されてる。



 小石川から一山登って、春日局ゆかりの伝通院。このあたりまではサクサク歩く。
 ここから飯田橋に出て、そこから市ヶ谷、四谷を経由して青山に出るか、皇居まわりで青山に出るか、思案のしどころ。



 とりあえず飯田橋。東京大神宮。天照大神と豊受大神両方を祀っているので、伊勢で言うと内宮、外宮いっぺんにまわれるお得な神社。
 しかし、写真を見て頂ければおわかりなように、まるでジャニーズ関係のコンサート会場での売店風景のようなことになっている。ここにお参りすると彼ができるという噂が口コミでひろがり、一気に大神宮はこのようなにぎわいになった。同じような例に埼玉県の吉見観音がある。こっちは、東上線に乗る前に池袋でパンを買うなどのジンクスまであるらしい。



 結局皇居周りを選択。
 北の丸公園の入口、田安門に到着。徳川御三卿の1つ田安家の門。北の丸公園には武道館や科学技術館があって、子どもの頃よく来た。科学技術館で行われる液体窒素の実験など夢中になって眺めていたものだ。



 武道館。
「俺は東京でビッグになるんだ」
「馬鹿言ってんでねえ。そんな夢みてえなこと言ってねえで、ちゃんと高校出るんだ」
「高校なんて馬鹿らしくて言ってられるか。俺はビッグになって武道館満員にすんだ」
 などとブツブツ一人小芝居うちながら北の丸公園を後にした。
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先週の読書

2009年02月09日 10時05分44秒 | 読書

 藤野千夜「ルート225」             理論社
 登場人物の微妙な感じが心地よくてこの作者の本を何冊か読んできたけれど、これはそれまでのものとはちょっと毛色の違うもの。ラノベじゃないヤングアダルト向き作品といったところかな。
 そんなわけでぼくは楽しむことができなかった。主人公の女の子がなんでこんなに偉そうなのか、威張っているのか、上から目線なのか、引いてしまう。ルート225(15)歳からルート256(16)に至る女の子の成長小説にちょっと不思議なパラレルワールドのSF風味を味付けた感じ。



 田中啓文「チュウは忠臣蔵のチュウ」     文藝春秋
 田中風アレンジの忠臣蔵。浅野内匠頭切腹の裏に暗躍する水戸、皇室、幕府のバトルロワイヤル。最後に仇討ち団が討ち取ろうとした人物は!?
 各章冒頭が講談調に始めるのだけれど、それがなかなかいい。最後までそのノリでやってもらいたいくらい。
 寝っ転がって、気軽に読むにはちょうど適した本。
 ところで不思議なことに忠臣蔵では大石と対立した家老大野九郎右衛門が没したのはここだという伝承が群馬、山梨、京都にある。慕われてない? 忠臣蔵では悪役めいた彼には当時の人の知る別の面があったのかもしれない。



 絲山秋子「豚キムチにジンクスはあるのか―絲的炊事記 」   マガジンハウス
 高崎在住、一人住まい作家の食い倒れ自炊記。
 いやあ、抱腹絶倒………じゃないな、ニヤニヤしながらずんずん読み進む。ああ、だめ、今すぐ厨房に立って無謀な料理を作りたい。だいたい夜に本を読むことが多いぼくにはものすごい誘惑の書であります。
 いきなり冒頭から「力パスタ カパスタではありません。ちからパスタです」の宣言高らかにイカスミパスタに焼いた餅投入。男っぷりのいい著者ならではの豪快な料理が繊細な筆致で味わうことができます。
 それにしても著者の料理にはどれもちょっとした創意工夫が感じられて、笑い読みだけじゃなく参考にもなります。「ヘナポコ」作ってみようかな。



 小川光生「サッカーとイタリア人」     光文社新書
 日本が戦後どこに行っても同じような顔をした街作りに励んだのに対して、イタリアの街は地方地方特色がある。そしてその特色のある街々にはフットボールクラブがあり、街の住人はどのカテゴリーでプレイしているかを問わず、街のクラブを応援する。
 日本の場合Jリーグは地域密着を目ざしてはいるものの、出発点は野球と同様企業スポーツ。街のクラブが発展したわけではない。ぼく自身、自分の街である東京のチーム(しかし、ヴェルディやFC東京が本拠地としている調布を自分の街とは言えないよなあ)ではなく、企業チームであった日産からの流れでFマリノスを応援している。浦和のように三菱から独立できたチームもあるが、それはやはりごく一部。
 という大まかな考えをしていたのだけれど、この本を読むとぼくの考えにはちょっと誤解があったようだ。イタリア人といっても、みながみな自分の街のチームだけ応援しているわけではないらしい。自分の街のチームを応援するのはもちろん、その一方でインテル、ミラン、ユヴェントス、その3つのうちのどれかを応援しているんだとのこと。著者はイタリア人ジャーナリストにこう言われたという。
「ユヴェントス、ミラン、インテルは(中略)、言ってみれば、銀幕のスター、憧れの大女優さ。一方、地元のチームというのは、自分の身近にいる美しい娘という感じ。その娘とシャロン・ストーンの両方を愛してどうしていけないんだい?」
 たいへんイタリア人らしい比喩の使い方だと納得させて頂きました。
 都市ごとにサッカーチームをまとめていて、語り口が普通にうまいので普通に面白く読めた。
 今度一度東京23サッカークラブの試合でも観に行ってみようかな。
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今週のCD&DVD

2009年02月06日 16時43分36秒 | 音楽

 波多野睦美「ひとときの音楽」
 パーセルは大好きな作曲家の一人で「次回はパーセルについて」などと予告したにも関わらず、申し訳ない。いつかそのうち。せめてこのCDでパーセルでも聴こう。このCDのすばらしさについては、ぼくが紹介するより専門家に任せた方がずっといいと思う。
「彼女の柔らかく暖かく、少し客観的な距離をもって揺るがないがゆえにいっそう優しく感じられる歌声は、遠い過去の偉大な作品を聞いているというよりは、いまを生きる私たちのために届けられている、最良の意味での非オペラ的な声である。波多野睦美の声が存在するということは、同じ国、同じ時代に生きる私たちにとって、ひとつの恩寵のようにさえ思う」(林田直樹「クラシック新定番100人100曲」)


 ガブリエラ・モンテーロ「バロック・アルバム」
 やられた。今年のベストだ、始まったばっかだけどさ。
 この音楽を聴いていると、夕日の輝きに胸が締め付けられる気がした。
 クラシック音楽の主題を使ってジャズっぽく演奏するのって、もともとの曲を薄めてるみたいな感じがして好きじゃないのだが、これは違う。パッヘルベルの「カノン」で泣ける。信じられない。なぜパッヘルベルで泣けるのだ? しかし、泣けてしまうんだよ。ヘンデルの「サラバンド」も素晴らしい。

こちらで試聴できます。



 タリス・スコラーズ「ライブ・イン・ローマ」
 タリス・スコラーズのメンバーであるソプラノのテッサ・ボナーさん追悼。このライブはぼくが上野の東京文化会館で聴いたのと同じ1994年のもの。テッサーさんは去年末にガンで亡くなった。57歳という若さだった。
 なんだか追悼の気持でパレストリーナを聴く。1994年はパレストリーナ没後400年にあたるため、その記念演奏会としてローマのサンタ・マリア・マジョーレ教会で行われたライブ。聖マリア大聖堂でコープマンが指揮した「マタイ受難曲」を聴いたことがあるのだが、残響が長すぎて聴きづらかったことがある。しかしこの演奏会ではそんな感じはなし。
 こういうの聴くとパレストリーナと教会とのつながりの強さを感じる。単にキリスト教的、ということではなく、彼の音楽の持っている深い構築性に教会建築が実にフィットしているのだ。



 「図鑑に載ってない虫」
 「亀は意外と早く泳ぐ」にやられたぼくは続けざまにこれと「ダメジン」を見た。
 三木聡って、ロードムーヴィーが好きなんじゃないか。それもこぢんまりとした。
「時効警察」の合宿、「ダメジン」の秩父、そして死ニモドキを探すために海に出かけたこの映画。目的はどれも別にあるんだけれど、なぜか仲良し旅みたいな描き方になる。そしてその旅の姿がいいんだ。ああ、こういう仲間っていいなあ、と。
 三木聡の映画の中でぼくはこれが一番好きかもしれない。ナイス橋本のエンディングテーマもウォークマンに入れて何度も聞き返してる。
 細かなところでのくすぐりも抜群だし、「探偵物語」の松田優作を意識した役作りは懐かしさもあって好感が持てた。。
 ああ、夏は終わっちゃったけど、生きていればまた来年夏が来る、愉快な仲間とともに過ごしたあの夏がまたやって来る、主人公の「生きている!」という絶叫にはこんな気持が込められていたんだろう。
 「帰ってきた時効警察」の最終回に出てくるオルゴール職人の遠藤ってこれかあ!
 あと「ダメジン」も見たけれど、こっちの方を先に見てしまったので、イマイチだった。
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先週の読書

2009年02月02日 12時11分04秒 | 読書
 高山文彦「鬼降る森」      幻戯書房
 高千穂を巡る思い出と民俗、歴史。その重層的な響きの向こうに、失われてしまった高千穂の姿が浮かび上がる。
 かつてここには相互扶助に支えられた共同体があった。険しい山中にあるため独立国として1000年間の安逸の中人びとは生きてきたのだ。しかしやがて豊臣秀吉による九州征討により、豊臣側の延岡藩の支配下に置かれるようになる。これからこの地は苦心惨憺な状況に置かれる。こう考えると、国なんてものはあった方が迷惑なんじゃないか。
 天孫が降臨したとされる高千穂には、その一方で抑圧された鬼八の伝承も残る。
「彼らはつくられた天孫の神話を食い破り、地方から神話まで奪おうとする中央の小賢しいたくらみを暴露する。それは私のことだ。たったいま、これを書いている私のことだ」
 高千穂には天孫と鬼八、両面の神話が伝えられてきたのだ。
 だが、残念ながら筆者の描く高千穂は、失われつつある。民俗的社会が消えつつあるのは全国共通だ。



 藤野千夜「恋の休日」     講談社文庫
 人と人との微妙な距離感。どこか求める前からあきらめている風情。そんな空気の漂う小説。高校を退学になったフィンが山梨の別荘で過ごした数日間を描く「恋の休日」、夫がゲイとわかり離婚した漫画家のその後を描いた「野生の金魚」。
 どちらも女性の細やかな心理描写にうならされる。いや、心理描写じゃないんだよな。その言動に彼女たちの心の動きを浮かばせる著者の心憎い筆致がすてきだ。
 「野生の金魚」の「思い出したときだけ忘れてことに気づく」、「そこに誰もいないと知ることでしか、そこに誰かがいたと思い出すことはできなかった」という逆説は実に真理。



 早乙女貢「敗者から見た明治維新」     NHK出版
 どんどん悲しい話になっていく「会津士魂」は4巻で挫折。でも、一応最後まで見届けようと、同じ作者の同じテーマのこの本を読んだ。ま、見届けるって言っても、どうなったのかは知っているんだけどさ。ミシュレの「ジャンヌ・ダルク」に、本を読んで泣いている男がいて、どうしたんだ、って尋ねると、今ジャンヌ・ダルクが死んでしまったんだ、と答えたってくだりがあったけど、どうなっているかわかっていながら、それを語る時間の中に浸ることも大切なんじゃないか、と。もう一度そのことを思い出すために。
 やはり転回点は慶喜が大勢の家臣、味方する武士たちを置き去りに大阪城を脱出して江戸に逃げ帰ったところだな。あれ以降、慶喜は薩長のいいなりになってしまった。だめじゃん、慶喜。
 徳川歴代将軍の中で増上寺・寛永寺、または日光に葬られていないのは、慶喜だけである。
 それにしても幕末~明治における長州のやり方は汚すぎる。著者の憤りも生半可なものではない。
「今日の道徳の乱れと悪事の横行、政治不信の淵源は明治政権に端を発することは、言うを俟たない。
 陸軍大輔から陸軍中将、近衛都督という要職にあった長州の山県有朋が陸軍省予算の半分に及ぶ大金の汚職を行い、嘗ての騎兵隊の同士山城屋和助こと野村三千三が陸軍省で切腹するという事件を惹き起こした。その衝撃性がさすがに隠蔽を難しくして辞職せざるを得なかったが、一年足らずで陸軍卿(陸軍大臣)として復活するのである。この最大の事件を摘発しようとした司法卿の江藤新平は、長州権力の憎しみを買い、追いこまれて下野し、佐賀の乱の主謀者として斬首。獄門台の生首が新聞を賑わすことになった。権力への抵抗が、蟷螂の斧たることを知らしめたのである」
 こういう山県有朋のような奸物が教育勅語などを作り、自分たちの体制に箔を付けようとしたのである。



 島田裕巳「平成宗教20年史」      幻冬舎新書
 新書だから仕方ないのだけれど、何か上っ面をすうっとなでていくような印象。
 ただオウムの事件が思ったよりも社会の深層に傷跡を残しているのではないかという指摘には納得した。あの事件の頃少年だった酒鬼薔薇聖斗にオウムの影があるという。もちろんオウムが裏で手引きしたということではなく、犯行声明に現れる「聖名」や「アングリ」など14歳の少年がオウムの影響で知った言葉なのではないか、と。
 ぼくらは別々の事件のように思ってしまうが、実は九州でバスを乗っ取って乗客1名を刺殺した少年、去年秋葉原の歩行者天国で7人を殺傷した男と酒鬼薔薇聖斗、この3人はいずれも同い年なのだ。酒鬼薔薇聖斗が同年代の少年に英雄視されたことを考えると、オウムの影響はこんなところにまで及んでいるのかもしれない。
コメント (2)
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近所の公園で

2009年02月01日 23時40分56秒 | 写真


 母船の迎えをずうっと待ってる。
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