毎日が観光

カメラを持って街を歩けば、自分の街だって観光旅行。毎日が観光です。

「私はマリア・カラス」

2019年01月20日 22時52分29秒 | 観光
「私はマリア・カラス」 @TOHOシネマズシャンテ



 若い頃からオペラが好きだった。ただその視線はヴェルディを除けば、イタリアに向くことはなくて、モーツァルト、ヴァーグナー、R.シュトラウス、ヤナーチェク、ベルクなどへの偏愛だった。ヘンツェの「若き恋人たちのエレジー」を聴いたことがあるのに、レオンカバレッロの「道化師」すら聴いたことがなかった(ただ高校生のときに来日したミラノスカラ座でのアバド指揮の「オテロ」とクライバー指揮の「ラ・ボエーム」は、もうなんというか別世界での素晴らしい出来事だった)。
 だから小さい頃亡くなったマリア・カラスはもちろん、クラシック音楽に夢中になっていた高校時代に亡くなったデル・モナコに対してもそれほどの気持ちを持っていたなかったくらい。
 イタリアオペラに多少関心が向いたのは、皮肉にもイタリアとあまり関係のない、南米アマゾンの密林を舞台にしたドイツ映画「フィッツカラルド」を観た大学1年の時だった(アマゾンでドイツだと、イタリアのイの字もないね)。アマゾン河を航行する船から朗々と流れるカルーソーの歌声。それはなんだか味わったことのない映像だった。そしてラスト、船上で演じられるベッリーニの「清教徒たち」のシーン。
 そんな風に世界的な名歌手マリア・カラスとは縁遠い生活をしていたのだけれど、美咲さんに教えられて「私は、マリア・カラス」を観て、もうね、びっくりですよ。歌の威力はもちろん、オペラの舞台ではないガラでも発揮される演技力、表情、目線、声の出し方、それらが総合されるマリア・カラスという楽器のすごさ。
映画の構成力、ドキュメンタリーでの演出の巧みさ、そしてなによりマリア・カラスという素材の爆発的威力。
 プッチーニ「ジャンニ・スキッキ」からの「o mio babbino caro」が流れると思うシーンで、ピアノ演奏になってしまって、でもその物悲しさが映像と相まって感動的。そしてタイトルロールになって流れる「o mio babbino caro」。本当に心にしみました。マリア・カラスという存在を忘れていた自分にお灸をすえます。
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映画「ボヘミアン・ラプソディ」

2019年01月03日 20時29分44秒 | 映画


 遅ればせながら、映画「ボヘミアン・ラプソディ」を観てきました。中学生時代、ある日FMから流れてきた「バイシクルレース」という曲を聴いて、なんととりとめのない変な音楽だろうと。中学時代のぼくは懐が広くないし、度量も狭いので、当時マーラーの交響曲も不純だと毛嫌いしていたくらいで、とても馴染めない音楽でした(当時はバッハとドビュッシーに夢中でした)。そんなクイーンと縁遠い人生を歩んできた人間にとってもこの映画は大変心動かされるものがありました。
 新しいものを作る、その生き生きとした現場に立ち会うのは本当に感動的です。シューベルトを題材にした1930年代の映画「未完成交響楽」でも、音楽が生まれる瞬間のシーンでの、ある種の祝祭感が素晴らしかったのですが、それを思い出してしまいました。あのレコーディングでのさまざまな工夫(ライムスター的に言うとkufu)のなんと誘惑的なこと。まったく自分もその仲間に引き込まれるようでした。
 そして歴史的事実はさておきつの経緯を経てのエンディング。最初のシーンがそこへの導入で、ラストがあのシーンですから、ぼくたちはそこへと至る過程を体験させられるわけです。そしてあのパフォーマンスですから、ぼくは号泣でした。
 何度も聴いたことがある同じ音楽でも、的確な場所で、的確なタイミングで奏でられると、それはまったく違う文脈での響きになって感動を喚起するのですね。ああ、そう言えば、農鳥小屋で朝焼けの中聴いたウラディミール・マルティノフの音楽のかけがえのなさ。そんなことを思い出しました。
 クラシックオタク的に面白かったことをいくつか補足的に。
 プロポーズのシーンに流れるプッチーニのオペラ「蝶々夫人」。幸せなはずのシーンに、夫が日本の現地妻を捨ててアメリカに帰り、彼女は自殺するという、悲劇が流れ、この結婚が決して順風満帆ではないのだろうという暗示を感じました。
 それからボヘミアン・ラプソディをシングルにするかどうかでもめていたシーン。あそこではビゼーの「カルメン」からカルメンのアリアが流れていました。あの歌詞は直訳すると「恋はボヘミアンの子だから、法律なんか気にしない」とシーンを象徴するかのようなBGMでした。
 そして、窓越しの電話のシーンで流れるのはプッチーニの「トゥーランドット」でのリューのアリア。王子に従順なリューが「王子様、もうリューは耐えられません、リューの心は砕けてしまいます」と歌います。乾杯しようとして彼女がグラスを持たなかった、あのシーン。あそこでこのBGMです。クイーンの音楽のみならず、ほかの音楽も本当に考えられて使われたのだと思いました。
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金峰山

2018年12月24日 14時51分09秒 | 観光
 ずいぶん前ですが金峰山に登ってきました。午前1時頃八王子出発のバスに揺られ、登山口に朝の5時。眠いです。おまけにその晩は職場の飲み会。悪魔のささやき「飲み放題」なる言葉に襲われ、新宿からどうやって八王子に辿り着いたことやら記憶にありませんでした。そんなお眠ヘロンヘロンな状態で登った金峰山でありましたが、これがなかなか素敵な山で、紅葉と霜とを両方楽しめるいい時期の山行となりました。


 落ち葉に霜が張り付いたさまはなかなか風情があります。





 一面に敷き詰められた紅葉。登る前から気分がアガります。




 霜の花。一見美しいのですが、これが後々牙をむいてきます。




 青空に映える岩稜。金峰山は岩の美しい山でした。




 金峰山頂。大変楽しい登山でありましたが、問題は下り。先程の霜花がここで牙をむくわけです。




 霜が付着した岩の上を歩かなければなりません。滑るのは必至、そりゃ、当然滑りますよ。こけますよ。こけましたよ。肘から出血しましたよ。




 さらには霜のついた岩を急降下。鎖はありますが、なかなかの難所。




 登ってきたルートとは反対の瑞牆山荘への下り道。それでも、その途中に美しい景色に出会えました。山は登っても楽しく、下っても(ときに痛かったり、怖かったりするにしても)楽しい。
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仙丈ヶ岳、甲斐駒ケ岳

2018年11月29日 22時42分34秒 | 観光
  夜中八王子を出発するバスに乗って、北沢峠へ。その日泊まるこもれび山荘が朝から荷物を預かってくれるので(この小屋はホスピタリティほか本当に素晴らしかった!)、デポして出発。天気はあいにくの雨。


 明日の天気に期待して、この日はまず仙丈ヶ岳を目指します。



出かけたのは9月下旬。ここらは早くも紅葉の装い。



初めて訪れた仙丈ヶ岳。眺望ゼロシステム。ピークハント的達成感。翌日の甲斐駒ケ岳に期待です。



 下山する頃には雨もやみ始め、周囲が次第に明るくなってきました。しかし、すでに山頂をはるか後にしてきたわれわれには、仙丈ヶ岳が微笑むことはありませんでした。



なにかの花。いろいろなことに無知であることを隠そうともしないわたくしとその現象ですが、花に対する無知こそ最大。まったく花のことがわかりません。これもなにかの花、ということしか。



この日泊まるこもれび山荘。おしゃれで快適な小屋でした。



 翌朝、まだ暗いうちに小屋を出て、ヘッデンの明かりを頼りに甲斐駒ケ岳へ。仙水峠で日の出を待ちます。昨日の雨天が帳消しになるかのような朝日!



なにか神秘的なものまで感じてしまう光景です。これを見られただけでも甲斐駒ケ岳に来た甲斐がありましたが、甲斐駒ケ岳の魅力はこれだけではありませんでした。



昨日の仙丈ヶ岳が優美な感じの山だったのに対して、甲斐駒ケ岳は美しい石の山。そのため、南アルプスでは数少ない長野県山岳遭難防止対策協会指定の「山岳ヘルメット着用奨励山域」となっています(あとは鋸岳)。



岩がちの楽しい尾根歩き。



 巨岩、奇岩がざくざくです。



そんなこんなで甲斐駒ケ岳山頂到着。おつかれさまでした。



 昨日の天気が嘘のような青空!



 登ってきたときは真っ暗だったので気づかなかったのですが、美しい、まさに甲斐駒ブルーの池がわたしたちの下山を待っていてくれました。いやあ、甲斐駒ケ岳。最高に美しい山でした。
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越後妻有アートトリエンナーレ2018 大地の芸術祭

2018年11月27日 11時04分03秒 | 観光
備忘録的に写真のみ

 7月29日から9月17日まで開催された「越後妻有アートトリエンナーレ2018 大地の芸術祭」に行って参りました。ずいぶん前だけれど、ずっと更新をさぼっていたので、写真をアップしようか、と。
 玉石混淆の展示だったけれど、面白かったものはとても示唆に富んでいたし、またその美しい自然を背景に現れる作品はインパクトがありました。一泊二日の駆け足で回りきれなかったけれど、また3年後が楽しみ。

















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白根三山

2018年09月05日 22時31分48秒 | 観光
 ぼくの職場の夏休みは5日間。土日、5日、土日と最大9日間の休みも可能だけれど、バラバラにとることも可能。7月から10月の間に消化しさえすればいいというゆるい夏休み。そんなわけである金曜日に最初の夏休み1日を消化して金土日と白根三山へ。白根三山、ご存じない方に説明すると、北岳、間ノ岳、農鳥岳の3つの山を総称する呼び名で、北岳は富士山に次いで日本で2番め、間ノ岳は3番めの標高を誇る、天空の縦走が楽しめる場所だったりするのであります。


1日目はたかをくくってた。歩くのはほんの3時間ほど。広河原から白根御池小屋まで。小屋は快適、食事は豪華、冷たい生ビールまである。しかし、それはこれから続く2日間への序章に過ぎなかったのである。快適ではあるが風呂やシャワーはない。ここは南アルプス。北アルプスのようにはいかないのである。


 2日目。いよいよ、今日は北岳、間ノ岳の2つのピークに立つ日。美しい高山植物などを愛でながら出発です。まだ、心に余裕あります。


 北岳は基本急登の山。次第に心の余裕がなくなっていくのがわかります。それにしても森林限界点から上の景色はたまりません。


 北岳山頂。日本で2番めに高い山頂。普段ならここで引き返すのですが、今日はこれから間ノ岳を登り返して農鳥小屋までの道行き。ここで100%喜んではいられません。


 間ノ岳への登り返し。急登の北岳に対し、でかい間ノ岳。とにかくでかいので距離が長く、またニセピークがいくつかあるので、山頂まで登っては降り、登っては降りの繰り返し。


 間ノ岳山頂。相当バテてます。農鳥小屋までなんとかたどり着いて本日の日程終了。


 朝食を午前4時にお願いしてあるので、午前3時起床。昨日は午後8時には疲れて眠ってしまっているので全然問題なく起きられる。このまま山で暮らしたら相当健康になっちゃいそう。


 夜明け前の富士山。


 朝食前にiPhoneで音楽を聴いていた。なんだかウラディール・マルティノフのこの曲がぴったりあっているような気がして、そのとき聴いていたのはギドン・クレーメルの演奏だったけれど。音楽を聴きながら、なんだか少し黙ってあたりを歩いてた。


 夜明け前に出発の準備をする人たち。今日はこれから西農鳥、農鳥と2つ登って下山。この下山がこれまた………


 湧いてくるのは霧ではなく雲。雲は基本的に自分たちより下か、あるいは自分たちと同じ高さ。雲に包まれる不思議な感じ。


 西農鳥岳山頂。しかし、


 3015m地点はここ!


 農鳥岳山頂。この行程で登る山は全部登ったのだから、もうちょっと何かを成し遂げた嬉しそうな顔をすればいいものを、こんな顔なのは、実はこの日、登るよりも下る方がかなりきついのであります。


 ここから奈良田まで、なんと標高差2300mを一気に下ります。もう、ほんと、延々。飽きるほど延々。途中から樹林帯に入ると眺望もない中をとにかく下ります。膝上の筋肉ぱんぱん。落石も怖いし、下りもきつい………

 それでも無事下山して温泉入って、冷たいビールを口にしたときの感動たるや! 登山は降りてこその登山。ほんと実感した2泊3日でありました。

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水と土の芸術祭 2018

2018年09月02日 12時59分06秒 | 観光
 ママチャリが苦手だ。自転車には結構乗っている身ではあるけれども、もしかしたら、そこらへんのママチャリ乗りと競争したら負けるかもしれない。この重くて鈍重な代物とどう付き合えばいいのか身体がまるで理解していない。
 そんなフラッフラな状態でレンタルのママチャリ漕いで新潟駅を出発してメイン会場の万代島へ。新潟暑い。


松井紫朗「Soft Circuit Fish Loop」
 それでも万代会場、のっけから面白い。海の中を歩いているような、体内を巡っているような不思議な感覚。そのどちらもがつながっているような気がしてくるから不思議。


潘逸舟「循環 海から捕獲された涙」
 声もなく部屋に立ち尽くしてしまった作品。ずっとここにいて、ずっと観ていたい。他の作品もそうだけれど、人の営みと海や川との関わりにさまざまな角度から光を当てるものに特徴を感じる。


山内光枝「みつち・みずち」
 よく見ると、大蛇の顔が女性。流動するエネルギー、異界から訪れる神の象徴である蛇=女性という縄文以来の造形が展開されてる。


管懐賓「心園の渡り」
 1日目のママチャリに懲りてクロモリの自転車をレンタル。晴れた青空の下、坂を登って海沿いを走ってみたこの作品に生きている喜びそのものを感じてしまった。ここにあることの喜び。


伊藤公象「地表の襞 eros&thanatosの迫間」
「マグマの隆起によって亀裂が走ったような《起土》シリーズと、生命の有機的な曲面を持つ《多軟面体》シリーズなどを対比的に見せる」(公式ガイドブックより)
 起土=thanatos、多軟面体=eros、そしてその間にわずかではあるけれど、5cm幅ほどの「迫間」があって、表現はその「迫間」に集中するかのよう。その迫間、断絶。その断絶はミケランジェロが「天地創造」で描いた神とアダムの伸ばされた指のごくわずかの隙間に匹敵する。ミケランジェロはあの隙間に永遠の隔たりを表現したのではないか。かつてエルヴィン・シャルガフという生化学者はその著「ヘラクレイトスの火」で、あの永遠の隙間を一歩ずつ埋めていくのが科学だというようなことを書いていた(うろ覚えで申し訳ない。名著なので、お好きな方はぜひ)。その断絶を科学によって、敬虔なクリスチャンなら信仰によって、バタイユならエロティシズムをそこに置くだろう。私たちの生はこの不断の断絶とその超越によって彩られていると言えないだろうか。生の豊かさは逆説的にその断絶の深さにあるのではないか。断絶とそれを超えるélan vital 。


  おつかれさんは、新潟限定ビイル「風味爽快ニシテ」で。
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霞ヶ浦

2018年08月10日 22時06分01秒 | 観光


霞ヶ浦サイクリングロードは最高なので、関東近辺のサイクリストはぜひ。出かけてその心意気を応援しましょう。
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ユヴァル・ノア・ハラリ「サピエンス全史」

2018年08月09日 19時52分58秒 | 読書


 カンブリア紀に堂々たる存在感を現した、たとえばアノマロカリスなどに比べれば私たちの祖先の脊索動物ピカイアはあまりにもひ弱だった。ひ弱なピカイア以後、脊索動物は強力な捕食者から逃げ回りつつ、劇的な進化を遂げて人類にたどり着いた。では、その人類は最初から堂々たる存在だったのか。否、と著者は言う。「100万年前に生きていた人類は、脳が大きく、鋭く尖った石器を使っていたにもかかわらず、たえず捕食者を恐れて暮らし、大きな獲物を狩ることは稀で、主に植物を集め、昆虫を捕まえ、小さな動物を追い求め、他のもっと強力な肉食獣が後に残した死肉を食らっていた」

 そうした人類がホモ・サピエンスへ変遷したところで肉体的にどれだけの明確な差異が生まれたであろうか。また、それ以上に大きな脳をもつことは生存に不利な状況も生み出す。たった体重の2~3%の重量の脳はじっとしているとき、身体の消費エネルギーの25%を使ってしまう。ヒト以外の霊長類の実に3倍の消費量だ。いわば、ヒトは筋肉に費やすエネルギーを神経細胞に回した。だから、「チンパンジーはホモ・サピエンスを言い負かすことはできないが、縫いぐるみの人形のように引き裂くことができる」

 そのような存在だったホモ・サピエンスがどうやって万物の霊長を自称するようにまで至ったのか、それをこの書では3つの大きな革命として説明する。すなわち、認知革命、農業革命、それから科学革命。

 認知革命によってわれわれは共通のストーリーに基づいて行動するようになり、同じストーリーに基づいた団体行動が可能になった。このストーリーはしばしば「神話」と呼ばれる。

「人間どうしの大規模な協力は神話に基づいているので、人々の協力の仕方は、その神話を変えること、つまり別の物語を語ることによって、変更可能なのだ」

 ネアンデルタール人がついに手にすることのなかった「神話」によってホモ・サピエンスの活動は飛躍的に拡大する。まさに、「認知革命は歴史が生物学から独立を宣言した時点だ」った。

 ネアンデルタール人からホモ・サピエンスへ。そして、狩猟採集民から農耕民へ、農業革命は歴史の授業では進化として教えられている。しかし、果たしてそうであっただろうか。

「古代の骨格を調べると、農耕への移行のせいで、椎間板ヘルニアや関節炎、ヘルニアといった、実に多くの疾患がもたらされたことがわかる」
「穀類に基づく食事は、ミネラルとビタミンに乏しく、消化しにくく、歯や歯肉に非常に悪い」
「食料の増加は、より良い食生活や、より長い余暇には結びつかなかった。むしろ、人口爆発と飽食のエリート層の誕生につながった。平均的な農耕民は、平均的な狩猟採集民よりも苦労して働いていたのに、見返りに得られる食べ物は劣っていた」
「以前より劣悪な条件下であってもより多くの人を生かしておく能力こそが農業革命の神髄だ」
 結局のところ、「農業革命は、史上最大の詐欺だったのだ」
 農業革命で得られたものは、個人の生活水準の向上ではなく、より多くの人を生かしておくこと、人口増加、要するに「ホモ・サピエンスのゲノムの複製の数を」増やすことだった。重ねて著者は言う。「農業革命は罠だったのだ」

 今日私たちの世界を覆うグローバリゼーションのもとになった3つの普遍的秩序も実は紀元前1000年紀に誕生していた、と著者は言う。1つ目の普遍的秩序は経済的なもので、「貨幣」という秩序。2つ目は政治的なもので、「帝国」という秩序。3つ目が宗教的なもので、「普遍的宗教」という秩序だった。これら3つのものは本来異質であるものを等しい価値観で結びつけるものだ。「あれほどアメリカの文化や宗教や政治を憎んでいたウサマ・ビンラディンでさえ、アメリカのドルは大好きだった」から、「貨幣のおかげで、見ず知らずで信頼し合っていない人どうしでも、効果的に協力できる」のだ。

 この3つの普遍的秩序が結果的に推し進めることになったのが科学革命であった。科学的知識の獲得には費用がかかる。これを支えたのが、帝国主義と資本主義であり、それぞれの互恵がループをなして互いに強め合い、そうして現代が誕生した。

 私たちの歩みを俯瞰して、その歩みを相対化することで多角的な視点を与えてくれる、暑さでだれる脳みそにぴりっと刺激的な著作でありました。
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安達太良山

2018年04月15日 16時24分47秒 | 観光

 いろんなところに行くけれど、実はそれほど危険なことをやってるわけではない。自分なりの安全許容範囲があって、それを越えそうな冒険とは縁遠い人生を歩んでおりました。


 山頂まで登ったものの、山頂直下、冷たい強風が吹きすさぶ中、寒さと風の強さに肩で息をしながら、今まさにその冒険の時だと思いました。木すらも真っ直ぐに生えない強風うずまく地。落ちたら下には何の支えもない斜度の高い雪原。しかもそこは、アイゼンが噛まない柔らかな雪質。トレッキングポールもピッケルも持たず、アイゼンは12本爪ではなく、いわゆるチェーンスパイク。風に煽られて足を取られたらよくて大怪我、悪ければ死ぬ。そして平日の安達太良山、人っ子一人いない。そうか、この状況では大怪我は死と同義か。舞い上がる雪が風に乗って顔にビシビシあたってきます。強風を避けるため岩陰に隠れます。そんな誰もいない山の中、聞こえるのは風の音と自分の荒い呼吸音だけ。岩から出たら強風にやられる、なんだか戦争映画の1シーンみたいでした。
 この時ふと、ぼくは山と自分以外の何物からも遮断された、ある種の特権的自由を感じたのでした。人間関係や仕事のこと、誰がああ言ったこう言った、そんなことは一切関係なく、山と自分の生命だけがここにあって、それだけが最大にして唯一無二の存在でした。恐怖と背中合わせの自由。まるで地球にただ一人生き残った人類のように、本来マイナスであるさまざまな感情すら、宙ぶらりんに漂い、何が悪いか何がいいかといった社会通念を超越する善悪の彼岸がそこには開けていました。
 こうした状況下でもなお、死は現実味をもって迫ってきませんでした。たぶん人間は死んじゃうなんて意識のないまま滑落してそこで慌てて死んじゃうんだろうなあ。それでも降りないと。その場所で何もしないと死んじゃうという状況は日常にはあまりないので、大変新鮮です。まさに風立ちぬです。Il faut tenter de vivre です。若い頃読んだニーチェもヴァレリも山の上では読書ではなく、実際の経験として内在化されます。


 耐えられない強風の度にその場にしゃがみこみ、ようやく雪原を抜けて比較的安全な場所まで来たら、なんだか風景がさっきより美しく見えました。世界が変わって見える。素晴らしい本や芸術に触れたときに起こるそうした自己更新が登山でも経験できました。常に刷新される自己。変わらないことなんて何一つ美徳なんかじゃない。「確固不動なのは白痴だけです」(モンテーニュ「エセー」)
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北横岳

2017年03月23日 18時02分24秒 | 観光
 今シーズンはあちこち雪山を歩き、楽しく冬を過ごしました。そんな雪山シーズンも勤務の関係でこれが最後になりそうな北横岳。行程はらくちんですが、八ヶ岳の美しさを浴びに行きたかったのです。
 茅野で電車を降りてそこからバスで北八ヶ岳ロープウェイへ。そこから一気に標高2237mまで運んでくれます。超らくちん。


 ロープウェイを降りて、アイゼンをはきます。今回初めておろしたモンベルのアルパインクルーザー3000とグリベルの12本爪アイゼン。まさか登山靴に5万も払う日が来るとは思ってもみませんでした。思えば初めてロードバイクを買ったときも同じようなことを思っていたっけ。


 もうとにかく風が強い。そういうわけでこうした美しい風紋ができるのだけれど、それがもろに身体に打ち付けてくるのだから、なんともはや。まあ、そういうのが楽しいんだけれども。


 元犬なので雪と海が好き。どれだけ年を重ねても、雪があるだけで庭駆け回るだけの体力と幼さは消えない。死ぬときは雪の上で死にたい(嘘です。布団の上で死にたいです。あ、しかもあまり苦しまずに)。


 今晩お世話になる北横岳ヒュッテ。夕飯は馬肉のすき焼きでした。うまい! こんな山の上でこんなごちそう食べられるだなんて感激でありました。
 食事のあと、外に出て音楽を聴きました。降り積もった雪がまわりの音を吸収して、星の明滅さえ聞こえるかのような沈黙の中、寒さに震えながらも聴いたシェーンベルクの弦楽六重奏「浄められた夜」はなんというか、ただ音楽を聴くという体験ではなく、肉体をそこに運んでこない限り味わえない、ある意味一回性の経験でした。一回性の経験が死に至るわれわれの生を豊かにしてくれるように最近強く思うようになりました。かけがえのない経験をこれからいくつ積み重ねていけるだろう。真っ暗な冬の夜空の下でそんなことを考えていました。



 翌朝、山頂でのご来光を見るために日の出前に出発します。この時間からもう山小屋は始動していました。この仕事をやり続けている人にほんと敬意を表します。今回もお世話になりました。


 夜明け前の北横岳山頂。ここで日の出を待ちます。足は万全でしたが、手が寒い…… 樹林帯を抜けると風が容赦なく吹き付けます。指が取れそうな寒さ。


 そして日の出。


 眼下に雲海が広がります。ここに来ないと見られない風景。こういう風景に身体が囲まれることがなんだかものすごく大事な気がするんです。


 強風で木もこんなふう。美しさと厳しさを存分に味あわせてくれた冬の北八ヶ岳。何かに迷ったらまた訪れたい場所になりました。
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夜の高尾山

2017年03月01日 22時53分05秒 | 観光
 高尾山に登ってきました。え? なにをいまさら高尾山? そうなんです、なにをいまさら高尾山なんです。
 きっかけは去年行った甲武信ヶ岳。甲州、武州、信州にまたがり、笛吹川、荒川、千曲川の源流となる威風堂々たる山。とくちゃん新道を登り甲武信小屋で一泊。夜中トイレに起きたついでに外に出て感じる山の夜の深くも豊かな闇。それは普段街で暮らすぼくには到底手に入れることのできない暗さでした。その一方でこの暗さは根源的な恐怖とも一体で、魅惑と恐怖とがないまぜになった不思議な感情が足元からせり上がってくる気がしたのです。文明とそれ以外とが背中を接している場所。それが山小屋の外で感じた山の中の暗闇でした。
 いきなり初めての甲武信ヶ岳でその闇を探索するのもためらわれ(なにしろ時間は午前2時くらいだったし)、いつか手近な夜の山へ行こうとその時考えたのでした。
 それで高尾山に登ってきました。夕方高尾山口を出発し、日没と同時くらいに山頂着。こんな時間にほかに人なんかいないだろうと思ったら、豈図らんや、お鍋を囲む人、日没の写真を撮りに来た人、別段何をしにというわけでもないけれどぶらぶらいる人など、結構な人がいたのに驚きでした。


 山頂で迎えた日没時の美しさはなんとも言えません。この時間に山頂にいるという経験があまりないので(いや、初めてかも)、ほんと新鮮でした。


 そして太陽は完全に沈み、夜がやってきます(ジェットストリーム風に言うと「夜がそのとばりを下ろす時」。あ、今の人は昔FM東京でやっていたジェットストリームという番組そのものを知らないか)。見下ろす夜景はジェットストリーム(だから知らないって)。


 完全な夜の中、山をおります。身体全身の知覚レヴェルが少し上向きになるような気がします。ああ、これはいろいろとリフレッシュできる。そんな風に思いました。暗闇の中、足元を照らすヘッドランプの灯りで山をおりるとき、街で暮らしているときとは別の知覚が生れ、別の時間が身体の中を流れていきます。それによっていつもの日常が刷新され、リフレッシュできた感じに満たされるのです。
 危なくない程度に夜の山をたしなむのも、ときに行き詰まる日常の更新にいいかもしれませんよ。
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暗渠フィールドワーク

2017年02月28日 22時42分02秒 | 観光
 2月26日(日)の夜、渋谷カルチャーカルチャーで「地図ナイト」が開かれました。
 で、その地図ナイト開催前の日中、暗渠の神本田さん、境界協会の小林さんによる暗渠フィールドワークに参加してきました。超楽しい。ずっと同じ教室だったけど、あまり口をきいたことがなかった三田用水がなんだか急に気になり始めて、もしかして、これは恋? 駒場東大前から渋谷まで、あちこち回っておよそ10kmの街歩きを楽しんできました。


 ケルネル田んぼ。駒場東大にこんなところがあるとは! 明治初期のお雇い外国人ケルネルが実習用に使っていた田んぼが今でもこうして残ってると。谷戸地形がこれまた素敵。ちなみにこの田圃は筑駒の生徒さんが育て、入学式などに赤飯として食べるそうです(偏差値高そうな米だねえ)。


 まるでアイドルがそこにいるかのようにカメラ片手に殺到する人たち。でも時間が制約されてるアイドルではなく、常にそこにある暗渠なのでおとなしく順番に写真を撮ります。


 撮った写真がこれ。なにが面白いのかわからないかもしれませんが、この暗渠ぶりは素敵です。


 この一部違う舗装の下に三田用水が流れています。玉川用水から取水した江戸時代の水系なのですが、その痕跡が平成の今でもこうして残っています。ここに夢中になってしまうんですよ。空間を歩くことによって、時間を遡っていくことができる。遠くに行くのも楽しいけれど、近くを深く歩くのも超楽しいんです。


 三田用水が流れているところの尾根感が素敵。山を登っていても尾根にとっついたあとの尾根歩きの楽しいこと。三田用水、今まであまり知り合うことなかったけれど、ちょっといい感じじゃん。


 三田用水の上の土地部分は売却されたので、その上に家が建ちました。そんなわけでこの辺には三田用水の水流幅の家が建ち並んでたりします。


 この日の終点近く。こちらは渋谷川水系。もうじき宇田川と渋谷川が合流するところです。ここで解散、さあ、このあと渋谷カルチャーカルチャーで「地図ナイト」が始まります。
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祝! Jリーグ開幕

2017年02月27日 22時28分40秒 | 
 いやあ、いよいよ開幕しましたね、Jリーグ。今シーズンももちろんこのブログは横浜F・マリノス推しで進んで参りますが、その大事な開幕戦に行ってまいりました。


 なんとこの開幕日に合わせて通りの名称変更がなされる、と。旧レンガ通りがその名も「F・マリノス通り」へと変更になりました。ありがとう、横浜市港北区。敵のチームもこの通りを通って日産スタジアムへ。


 街も全体的にマリノス色。
 試合は前半に先制したものの、後半、あっという間に逆転されて1-2。ああ、いつもの悪いパターンだと思ってたら、最後まであきらめなかった選手たちが残り10分切ったところで追いつき、そしてアディショナルタイムに入って逆転! こんな展開になるとは思いもよらない喜び。


 試合終了のホイッスルが鳴った瞬間。


 もちろん喜びは選手だけじゃなく、われわれにも等しく訪れた瞬間。


 あ、あと、マスコットたちにも!

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お誕生日おめでとう 国立新美術館

2017年02月26日 16時59分38秒 | 観光


 もう過ぎてしまいましたが、先月1月は国立新美術館が10周年を迎えた「国立新美術館 開館10周年記念ウィーク」。ちょうど「19th DOMANI・明日展」を見に行っていたので、10周年記念の展示も見ることができました。カラフルな数字が整列している様は圧巻でした。
 もう10年も経ったと少しびっくりですが、まあ、そんな風におじさんも10年という馬齢を重ねてきたわけで、なんともはや。


 外に出ると樹木が草間彌生ラッピングに。
 これからもたびたび訪れるであろう国立新美術館の祝祭的な雰囲気にすっかり楽しくなったひとときでありました。
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