毎日が観光

カメラを持って街を歩けば、自分の街だって観光旅行。毎日が観光です。

白根三山

2018年09月05日 22時31分48秒 | 観光
 ぼくの職場の夏休みは5日間。土日、5日、土日と最大9日間の休みも可能だけれど、バラバラにとることも可能。7月から10月の間に消化しさえすればいいというゆるい夏休み。そんなわけである金曜日に最初の夏休み1日を消化して金土日と白根三山へ。白根三山、ご存じない方に説明すると、北岳、間ノ岳、農鳥岳の3つの山を総称する呼び名で、北岳は富士山に次いで日本で2番め、間ノ岳は3番めの標高を誇る、天空の縦走が楽しめる場所だったりするのであります。


1日目はたかをくくってた。歩くのはほんの3時間ほど。広河原から白根御池小屋まで。小屋は快適、食事は豪華、冷たい生ビールまである。しかし、それはこれから続く2日間への序章に過ぎなかったのである。快適ではあるが風呂やシャワーはない。ここは南アルプス。北アルプスのようにはいかないのである。


 2日目。いよいよ、今日は北岳、間ノ岳の2つのピークに立つ日。美しい高山植物などを愛でながら出発です。まだ、心に余裕あります。


 北岳は基本急登の山。次第に心の余裕がなくなっていくのがわかります。それにしても森林限界点から上の景色はたまりません。


 北岳山頂。日本で2番めに高い山頂。普段ならここで引き返すのですが、今日はこれから間ノ岳を登り返して農鳥小屋までの道行き。ここで100%喜んではいられません。


 間ノ岳への登り返し。急登の北岳に対し、でかい間ノ岳。とにかくでかいので距離が長く、またニセピークがいくつかあるので、山頂まで登っては降り、登っては降りの繰り返し。


 間ノ岳山頂。相当バテてます。農鳥小屋までなんとかたどり着いて本日の日程終了。


 朝食を午前4時にお願いしてあるので、午前3時起床。昨日は午後8時には疲れて眠ってしまっているので全然問題なく起きられる。このまま山で暮らしたら相当健康になっちゃいそう。


 夜明け前の富士山。


 朝食前にiPhoneで音楽を聴いていた。なんだかウラディール・マルティノフのこの曲がぴったりあっているような気がして、そのとき聴いていたのはギドン・クレーメルの演奏だったけれど。音楽を聴きながら、なんだか少し黙ってあたりを歩いてた。


 夜明け前に出発の準備をする人たち。今日はこれから西農鳥、農鳥と2つ登って下山。この下山がこれまた………


 湧いてくるのは霧ではなく雲。雲は基本的に自分たちより下か、あるいは自分たちと同じ高さ。雲に包まれる不思議な感じ。


 西農鳥岳山頂。しかし、


 3015m地点はここ!


 農鳥岳山頂。この行程で登る山は全部登ったのだから、もうちょっと何かを成し遂げた嬉しそうな顔をすればいいものを、こんな顔なのは、実はこの日、登るよりも下る方がかなりきついのであります。


 ここから奈良田まで、なんと標高差2300mを一気に下ります。もう、ほんと、延々。飽きるほど延々。途中から樹林帯に入ると眺望もない中をとにかく下ります。膝上の筋肉ぱんぱん。落石も怖いし、下りもきつい………

 それでも無事下山して温泉入って、冷たいビールを口にしたときの感動たるや! 登山は降りてこその登山。ほんと実感した2泊3日でありました。

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水と土の芸術祭 2018

2018年09月02日 12時59分06秒 | 観光
 ママチャリが苦手だ。自転車には結構乗っている身ではあるけれども、もしかしたら、そこらへんのママチャリ乗りと競争したら負けるかもしれない。この重くて鈍重な代物とどう付き合えばいいのか身体がまるで理解していない。
 そんなフラッフラな状態でレンタルのママチャリ漕いで新潟駅を出発してメイン会場の万代島へ。新潟暑い。


松井紫朗「Soft Circuit Fish Loop」
 それでも万代会場、のっけから面白い。海の中を歩いているような、体内を巡っているような不思議な感覚。そのどちらもがつながっているような気がしてくるから不思議。


潘逸舟「循環 海から捕獲された涙」
 声もなく部屋に立ち尽くしてしまった作品。ずっとここにいて、ずっと観ていたい。他の作品もそうだけれど、人の営みと海や川との関わりにさまざまな角度から光を当てるものに特徴を感じる。


山内光枝「みつち・みずち」
 よく見ると、大蛇の顔が女性。流動するエネルギー、異界から訪れる神の象徴である蛇=女性という縄文以来の造形が展開されてる。


管懐賓「心園の渡り」
 1日目のママチャリに懲りてクロモリの自転車をレンタル。晴れた青空の下、坂を登って海沿いを走ってみたこの作品に生きている喜びそのものを感じてしまった。ここにあることの喜び。


伊藤公象「地表の襞 eros&thanatosの迫間」
「マグマの隆起によって亀裂が走ったような《起土》シリーズと、生命の有機的な曲面を持つ《多軟面体》シリーズなどを対比的に見せる」(公式ガイドブックより)
 起土=thanatos、多軟面体=eros、そしてその間にわずかではあるけれど、5cm幅ほどの「迫間」があって、表現はその「迫間」に集中するかのよう。その迫間、断絶。その断絶はミケランジェロが「天地創造」で描いた神とアダムの伸ばされた指のごくわずかの隙間に匹敵する。ミケランジェロはあの隙間に永遠の隔たりを表現したのではないか。かつてエルヴィン・シャルガフという生化学者はその著「ヘラクレイトスの火」で、あの永遠の隙間を一歩ずつ埋めていくのが科学だというようなことを書いていた(うろ覚えで申し訳ない。名著なので、お好きな方はぜひ)。その断絶を科学によって、敬虔なクリスチャンなら信仰によって、バタイユならエロティシズムをそこに置くだろう。私たちの生はこの不断の断絶とその超越によって彩られていると言えないだろうか。生の豊かさは逆説的にその断絶の深さにあるのではないか。断絶とそれを超えるélan vital 。


  おつかれさんは、新潟限定ビイル「風味爽快ニシテ」で。
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霞ヶ浦

2018年08月10日 22時06分01秒 | 観光


霞ヶ浦サイクリングロードは最高なので、関東近辺のサイクリストはぜひ。出かけてその心意気を応援しましょう。
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ユヴァル・ノア・ハラリ「サピエンス全史」

2018年08月09日 19時52分58秒 | 読書


 カンブリア紀に堂々たる存在感を現した、たとえばアノマロカリスなどに比べれば私たちの祖先の脊索動物ピカイアはあまりにもひ弱だった。ひ弱なピカイア以後、脊索動物は強力な捕食者から逃げ回りつつ、劇的な進化を遂げて人類にたどり着いた。では、その人類は最初から堂々たる存在だったのか。否、と著者は言う。「100万年前に生きていた人類は、脳が大きく、鋭く尖った石器を使っていたにもかかわらず、たえず捕食者を恐れて暮らし、大きな獲物を狩ることは稀で、主に植物を集め、昆虫を捕まえ、小さな動物を追い求め、他のもっと強力な肉食獣が後に残した死肉を食らっていた」

 そうした人類がホモ・サピエンスへ変遷したところで肉体的にどれだけの明確な差異が生まれたであろうか。また、それ以上に大きな脳をもつことは生存に不利な状況も生み出す。たった体重の2~3%の重量の脳はじっとしているとき、身体の消費エネルギーの25%を使ってしまう。ヒト以外の霊長類の実に3倍の消費量だ。いわば、ヒトは筋肉に費やすエネルギーを神経細胞に回した。だから、「チンパンジーはホモ・サピエンスを言い負かすことはできないが、縫いぐるみの人形のように引き裂くことができる」

 そのような存在だったホモ・サピエンスがどうやって万物の霊長を自称するようにまで至ったのか、それをこの書では3つの大きな革命として説明する。すなわち、認知革命、農業革命、それから科学革命。

 認知革命によってわれわれは共通のストーリーに基づいて行動するようになり、同じストーリーに基づいた団体行動が可能になった。このストーリーはしばしば「神話」と呼ばれる。

「人間どうしの大規模な協力は神話に基づいているので、人々の協力の仕方は、その神話を変えること、つまり別の物語を語ることによって、変更可能なのだ」

 ネアンデルタール人がついに手にすることのなかった「神話」によってホモ・サピエンスの活動は飛躍的に拡大する。まさに、「認知革命は歴史が生物学から独立を宣言した時点だ」った。

 ネアンデルタール人からホモ・サピエンスへ。そして、狩猟採集民から農耕民へ、農業革命は歴史の授業では進化として教えられている。しかし、果たしてそうであっただろうか。

「古代の骨格を調べると、農耕への移行のせいで、椎間板ヘルニアや関節炎、ヘルニアといった、実に多くの疾患がもたらされたことがわかる」
「穀類に基づく食事は、ミネラルとビタミンに乏しく、消化しにくく、歯や歯肉に非常に悪い」
「食料の増加は、より良い食生活や、より長い余暇には結びつかなかった。むしろ、人口爆発と飽食のエリート層の誕生につながった。平均的な農耕民は、平均的な狩猟採集民よりも苦労して働いていたのに、見返りに得られる食べ物は劣っていた」
「以前より劣悪な条件下であってもより多くの人を生かしておく能力こそが農業革命の神髄だ」
 結局のところ、「農業革命は、史上最大の詐欺だったのだ」
 農業革命で得られたものは、個人の生活水準の向上ではなく、より多くの人を生かしておくこと、人口増加、要するに「ホモ・サピエンスのゲノムの複製の数を」増やすことだった。重ねて著者は言う。「農業革命は罠だったのだ」

 今日私たちの世界を覆うグローバリゼーションのもとになった3つの普遍的秩序も実は紀元前1000年紀に誕生していた、と著者は言う。1つ目の普遍的秩序は経済的なもので、「貨幣」という秩序。2つ目は政治的なもので、「帝国」という秩序。3つ目が宗教的なもので、「普遍的宗教」という秩序だった。これら3つのものは本来異質であるものを等しい価値観で結びつけるものだ。「あれほどアメリカの文化や宗教や政治を憎んでいたウサマ・ビンラディンでさえ、アメリカのドルは大好きだった」から、「貨幣のおかげで、見ず知らずで信頼し合っていない人どうしでも、効果的に協力できる」のだ。

 この3つの普遍的秩序が結果的に推し進めることになったのが科学革命であった。科学的知識の獲得には費用がかかる。これを支えたのが、帝国主義と資本主義であり、それぞれの互恵がループをなして互いに強め合い、そうして現代が誕生した。

 私たちの歩みを俯瞰して、その歩みを相対化することで多角的な視点を与えてくれる、暑さでだれる脳みそにぴりっと刺激的な著作でありました。
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安達太良山

2018年04月15日 16時24分47秒 | 観光

 いろんなところに行くけれど、実はそれほど危険なことをやってるわけではない。自分なりの安全許容範囲があって、それを越えそうな冒険とは縁遠い人生を歩んでおりました。


 山頂まで登ったものの、山頂直下、冷たい強風が吹きすさぶ中、寒さと風の強さに肩で息をしながら、今まさにその冒険の時だと思いました。木すらも真っ直ぐに生えない強風うずまく地。落ちたら下には何の支えもない斜度の高い雪原。しかもそこは、アイゼンが噛まない柔らかな雪質。トレッキングポールもピッケルも持たず、アイゼンは12本爪ではなく、いわゆるチェーンスパイク。風に煽られて足を取られたらよくて大怪我、悪ければ死ぬ。そして平日の安達太良山、人っ子一人いない。そうか、この状況では大怪我は死と同義か。舞い上がる雪が風に乗って顔にビシビシあたってきます。強風を避けるため岩陰に隠れます。そんな誰もいない山の中、聞こえるのは風の音と自分の荒い呼吸音だけ。岩から出たら強風にやられる、なんだか戦争映画の1シーンみたいでした。
 この時ふと、ぼくは山と自分以外の何物からも遮断された、ある種の特権的自由を感じたのでした。人間関係や仕事のこと、誰がああ言ったこう言った、そんなことは一切関係なく、山と自分の生命だけがここにあって、それだけが最大にして唯一無二の存在でした。恐怖と背中合わせの自由。まるで地球にただ一人生き残った人類のように、本来マイナスであるさまざまな感情すら、宙ぶらりんに漂い、何が悪いか何がいいかといった社会通念を超越する善悪の彼岸がそこには開けていました。
 こうした状況下でもなお、死は現実味をもって迫ってきませんでした。たぶん人間は死んじゃうなんて意識のないまま滑落してそこで慌てて死んじゃうんだろうなあ。それでも降りないと。その場所で何もしないと死んじゃうという状況は日常にはあまりないので、大変新鮮です。まさに風立ちぬです。Il faut tenter de vivre です。若い頃読んだニーチェもヴァレリも山の上では読書ではなく、実際の経験として内在化されます。


 耐えられない強風の度にその場にしゃがみこみ、ようやく雪原を抜けて比較的安全な場所まで来たら、なんだか風景がさっきより美しく見えました。世界が変わって見える。素晴らしい本や芸術に触れたときに起こるそうした自己更新が登山でも経験できました。常に刷新される自己。変わらないことなんて何一つ美徳なんかじゃない。「確固不動なのは白痴だけです」(モンテーニュ「エセー」)
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北横岳

2017年03月23日 18時02分24秒 | 観光
 今シーズンはあちこち雪山を歩き、楽しく冬を過ごしました。そんな雪山シーズンも勤務の関係でこれが最後になりそうな北横岳。行程はらくちんですが、八ヶ岳の美しさを浴びに行きたかったのです。
 茅野で電車を降りてそこからバスで北八ヶ岳ロープウェイへ。そこから一気に標高2237mまで運んでくれます。超らくちん。


 ロープウェイを降りて、アイゼンをはきます。今回初めておろしたモンベルのアルパインクルーザー3000とグリベルの12本爪アイゼン。まさか登山靴に5万も払う日が来るとは思ってもみませんでした。思えば初めてロードバイクを買ったときも同じようなことを思っていたっけ。


 もうとにかく風が強い。そういうわけでこうした美しい風紋ができるのだけれど、それがもろに身体に打ち付けてくるのだから、なんともはや。まあ、そういうのが楽しいんだけれども。


 元犬なので雪と海が好き。どれだけ年を重ねても、雪があるだけで庭駆け回るだけの体力と幼さは消えない。死ぬときは雪の上で死にたい(嘘です。布団の上で死にたいです。あ、しかもあまり苦しまずに)。


 今晩お世話になる北横岳ヒュッテ。夕飯は馬肉のすき焼きでした。うまい! こんな山の上でこんなごちそう食べられるだなんて感激でありました。
 食事のあと、外に出て音楽を聴きました。降り積もった雪がまわりの音を吸収して、星の明滅さえ聞こえるかのような沈黙の中、寒さに震えながらも聴いたシェーンベルクの弦楽六重奏「浄められた夜」はなんというか、ただ音楽を聴くという体験ではなく、肉体をそこに運んでこない限り味わえない、ある意味一回性の経験でした。一回性の経験が死に至るわれわれの生を豊かにしてくれるように最近強く思うようになりました。かけがえのない経験をこれからいくつ積み重ねていけるだろう。真っ暗な冬の夜空の下でそんなことを考えていました。



 翌朝、山頂でのご来光を見るために日の出前に出発します。この時間からもう山小屋は始動していました。この仕事をやり続けている人にほんと敬意を表します。今回もお世話になりました。


 夜明け前の北横岳山頂。ここで日の出を待ちます。足は万全でしたが、手が寒い…… 樹林帯を抜けると風が容赦なく吹き付けます。指が取れそうな寒さ。


 そして日の出。


 眼下に雲海が広がります。ここに来ないと見られない風景。こういう風景に身体が囲まれることがなんだかものすごく大事な気がするんです。


 強風で木もこんなふう。美しさと厳しさを存分に味あわせてくれた冬の北八ヶ岳。何かに迷ったらまた訪れたい場所になりました。
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夜の高尾山

2017年03月01日 22時53分05秒 | 観光
 高尾山に登ってきました。え? なにをいまさら高尾山? そうなんです、なにをいまさら高尾山なんです。
 きっかけは去年行った甲武信ヶ岳。甲州、武州、信州にまたがり、笛吹川、荒川、千曲川の源流となる威風堂々たる山。とくちゃん新道を登り甲武信小屋で一泊。夜中トイレに起きたついでに外に出て感じる山の夜の深くも豊かな闇。それは普段街で暮らすぼくには到底手に入れることのできない暗さでした。その一方でこの暗さは根源的な恐怖とも一体で、魅惑と恐怖とがないまぜになった不思議な感情が足元からせり上がってくる気がしたのです。文明とそれ以外とが背中を接している場所。それが山小屋の外で感じた山の中の暗闇でした。
 いきなり初めての甲武信ヶ岳でその闇を探索するのもためらわれ(なにしろ時間は午前2時くらいだったし)、いつか手近な夜の山へ行こうとその時考えたのでした。
 それで高尾山に登ってきました。夕方高尾山口を出発し、日没と同時くらいに山頂着。こんな時間にほかに人なんかいないだろうと思ったら、豈図らんや、お鍋を囲む人、日没の写真を撮りに来た人、別段何をしにというわけでもないけれどぶらぶらいる人など、結構な人がいたのに驚きでした。


 山頂で迎えた日没時の美しさはなんとも言えません。この時間に山頂にいるという経験があまりないので(いや、初めてかも)、ほんと新鮮でした。


 そして太陽は完全に沈み、夜がやってきます(ジェットストリーム風に言うと「夜がそのとばりを下ろす時」。あ、今の人は昔FM東京でやっていたジェットストリームという番組そのものを知らないか)。見下ろす夜景はジェットストリーム(だから知らないって)。


 完全な夜の中、山をおります。身体全身の知覚レヴェルが少し上向きになるような気がします。ああ、これはいろいろとリフレッシュできる。そんな風に思いました。暗闇の中、足元を照らすヘッドランプの灯りで山をおりるとき、街で暮らしているときとは別の知覚が生れ、別の時間が身体の中を流れていきます。それによっていつもの日常が刷新され、リフレッシュできた感じに満たされるのです。
 危なくない程度に夜の山をたしなむのも、ときに行き詰まる日常の更新にいいかもしれませんよ。
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暗渠フィールドワーク

2017年02月28日 22時42分02秒 | 観光
 2月26日(日)の夜、渋谷カルチャーカルチャーで「地図ナイト」が開かれました。
 で、その地図ナイト開催前の日中、暗渠の神本田さん、境界協会の小林さんによる暗渠フィールドワークに参加してきました。超楽しい。ずっと同じ教室だったけど、あまり口をきいたことがなかった三田用水がなんだか急に気になり始めて、もしかして、これは恋? 駒場東大前から渋谷まで、あちこち回っておよそ10kmの街歩きを楽しんできました。


 ケルネル田んぼ。駒場東大にこんなところがあるとは! 明治初期のお雇い外国人ケルネルが実習用に使っていた田んぼが今でもこうして残ってると。谷戸地形がこれまた素敵。ちなみにこの田圃は筑駒の生徒さんが育て、入学式などに赤飯として食べるそうです(偏差値高そうな米だねえ)。


 まるでアイドルがそこにいるかのようにカメラ片手に殺到する人たち。でも時間が制約されてるアイドルではなく、常にそこにある暗渠なのでおとなしく順番に写真を撮ります。


 撮った写真がこれ。なにが面白いのかわからないかもしれませんが、この暗渠ぶりは素敵です。


 この一部違う舗装の下に三田用水が流れています。玉川用水から取水した江戸時代の水系なのですが、その痕跡が平成の今でもこうして残っています。ここに夢中になってしまうんですよ。空間を歩くことによって、時間を遡っていくことができる。遠くに行くのも楽しいけれど、近くを深く歩くのも超楽しいんです。


 三田用水が流れているところの尾根感が素敵。山を登っていても尾根にとっついたあとの尾根歩きの楽しいこと。三田用水、今まであまり知り合うことなかったけれど、ちょっといい感じじゃん。


 三田用水の上の土地部分は売却されたので、その上に家が建ちました。そんなわけでこの辺には三田用水の水流幅の家が建ち並んでたりします。


 この日の終点近く。こちらは渋谷川水系。もうじき宇田川と渋谷川が合流するところです。ここで解散、さあ、このあと渋谷カルチャーカルチャーで「地図ナイト」が始まります。
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祝! Jリーグ開幕

2017年02月27日 22時28分40秒 | 
 いやあ、いよいよ開幕しましたね、Jリーグ。今シーズンももちろんこのブログは横浜F・マリノス推しで進んで参りますが、その大事な開幕戦に行ってまいりました。


 なんとこの開幕日に合わせて通りの名称変更がなされる、と。旧レンガ通りがその名も「F・マリノス通り」へと変更になりました。ありがとう、横浜市港北区。敵のチームもこの通りを通って日産スタジアムへ。


 街も全体的にマリノス色。
 試合は前半に先制したものの、後半、あっという間に逆転されて1-2。ああ、いつもの悪いパターンだと思ってたら、最後まであきらめなかった選手たちが残り10分切ったところで追いつき、そしてアディショナルタイムに入って逆転! こんな展開になるとは思いもよらない喜び。


 試合終了のホイッスルが鳴った瞬間。


 もちろん喜びは選手だけじゃなく、われわれにも等しく訪れた瞬間。


 あ、あと、マスコットたちにも!

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お誕生日おめでとう 国立新美術館

2017年02月26日 16時59分38秒 | 観光


 もう過ぎてしまいましたが、先月1月は国立新美術館が10周年を迎えた「国立新美術館 開館10周年記念ウィーク」。ちょうど「19th DOMANI・明日展」を見に行っていたので、10周年記念の展示も見ることができました。カラフルな数字が整列している様は圧巻でした。
 もう10年も経ったと少しびっくりですが、まあ、そんな風におじさんも10年という馬齢を重ねてきたわけで、なんともはや。


 外に出ると樹木が草間彌生ラッピングに。
 これからもたびたび訪れるであろう国立新美術館の祝祭的な雰囲気にすっかり楽しくなったひとときでありました。
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弥彦山

2017年02月23日 13時55分44秒 | 観光
 新潟に着いたその日の天気は「暴風雪」。東京ではあまり耳慣れない言葉ですが、まあ、結構大変な天候であります。雪が風に舞うとか、そんな生易しいものではありません。まずこちらの雪はほぼ氷です。道に落ちているのも細かな粒になった氷。それがビュウっという風に乗ってこちらの身体に向かってぶつかってきます。ビュウっ、バチバチバチ。顔や手など出ている部分に当たるとこれがまた痛いのなんの。ビュウっ、バチバチバチ、いたたたた。だいたい、これの繰り返し。ビュウっ、バチバチバチ、いたたたた。人間よくしたもので、繰り返していくうちにだんだん面白くなってくる。ビュウっ、バチバチバチ、いたたたた。ビュウっ、バチバチバチ、いたたたた。ビュウっ、バチバチバチ、いたたたた。何やってんだ? 父も母も真冬の新潟でこんなことを面白がるようにぼくを慈しみ育てたわけではあるまいに。申し訳ない。


 荒れ狂う日本海。本気出すと怖い。

 暴風雪予報だったのでその日は市内で安居ゆかりの地を歩いたり、県立万代美術館で鴻池朋子「皮と針と糸」、新潟市マンガ・アニメ情報館で「江口寿史 KING OF POP」を堪能。弥彦は翌日の天候回復予報に賭けたのでありました。
 そして翌日。変わらぬ暴風雪予報。嘘つき…… 思わずうつむいてつぶやいてしまう。しかし今日帰る身としてはうつむいてばかりもいられません。吹雪の中ホテルをあとにし、一路弥彦へ。


 さすが天下の弥彦神社。JRの案内にも鳥居マークが。


普段なら参拝者で賑わうであろう弥彦神社もこの日ばかりは閑散としています。歯を食いしばってお参りして、本殿奥に見える弥彦山を目指します。


 登山道はだいたいこんな感じ。それでもちゃんと装備していたのとこんな天候なのに登る人がいるのか踏み跡もしっかりあって楽ちん。現地の人々は登山靴なんてはかずにゴム長で登っていました(あとで聞いたらこのあたりではスパイク付きのゴム長が大変ポピュラーなんだとのこと。さすが日本屈指の豪雪地帯)。


  ビュウっ、バチバチバチ、いたたたたの繰り返しがすっかり面白くなってしまったので、この状況をより面白く味わうために売ってたアイスを食べます。いいえ、やけくそではありません。違うんです。もうこうなっちゃったら、アイス食べるとかの方が断然面白いんです。たとえ味がなんだかほとんどわからないような状況であったとしても。


 山頂の御神廟(奥宮)に到着。ここで奇蹟が起こります。なんと到着と同時に吹雪がやみ、空が明るくなってくるではありませんか。その途端、ああ、自分はきっと山で死ぬ運命なんだなって思いました。谷川岳に登ったときの晴天、そしてこの弥彦山、山はどんどんその姿でぼくを魅了していきます。こうして人は深みにはまるのです。そして自分はどっちかというと喜んで深みに陥っていく性格。行き着く先が容易に想像できました。


 御神廟から眺めた日本海。美しい。この海が見られるなら、山登りは全然苦ではありません。ああ、またしても甘い山の罠。


 関東の人間からすると不思議な感覚になる海沿いの登山道。巨大すぎる関東平野のせいでこうした景色に出会うことがあまりないのです。

 そんなわけで暴風雪で一時は遭難も危ぶまれた新潟弥彦山でしたが、登ってみたらこれは大変楽しい山で、景色も最高、神社も立派。行ったかいのある旅になりました。
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鴻池朋子「皮と針と糸と」

2017年02月12日 22時34分42秒 | 出会ったものたち


 去年横浜で開催された鴻池朋子「根源的暴力」。非常に大きなインパクトを与えてもらいました。そして今回、新潟県立万代島美術館で開かれている「皮と針と糸と」に滑り込みで入場できました。相変わらず私たちの根源的な部分に掴みかかるような作品たち。
 デカルトの命題にもはや立脚できない私たちは私たちの主体を担保するものを模索する。たとえば皮膚によって内と外を隔てられたかに見える肉体にその役割を担わせようとする試みはどこまで有用だろうか。私の身体は果たして私という存在の基盤になりうるのだろうか。むしろ、肉体は「私」が最初に出会う自然的存在であり、最初に出会う他者であると言ってもいいのではないか。一時期ぼくは必要以上に山を縦走したり、自転車で山を登ったりしていたことがあった。そんな時にぼくの身体がぼくのまったく予想しない振る舞いを見せるその様が面白くてならなかったからだ。自分の身体だと思っていたものが、実は自分のまったく思うとおりにならない肉体だということが不思議でそして興味深く面白かった。
 あるいはまた、この身体の中には本当にぼくだけが存在しているのだろうか。身体の中に身体化された他者や歴史、自分のものではない記憶や他者の欲望が内包されているのではないだろうか。
 であるならば、屹立した自己同一性など実は存在せず、曖昧な主体と曖昧な肉体が存在しているだけなのではないか。そして、実はその曖昧さこそ、人間の多種多様な文化を生み出す多種多様な想像力の源泉なのではないだろうか。曖昧な「私」は常に他者の存在によって変わり続ける。小さな死を経て、新しい自分が誕生する。他者の肉体との接触によって私たちは小さな死を経験する。もちろん、その他者が人間であるとは限らない。民話的世界において動物と人間は常に入れ替わることの可能な対称的な存在であった。その世界において私たちはある時には動物を食べ、ある時には人間に変身した動物と交わった。他者の肉体を食べること、交わることによって、曖昧な主体である私たちは小さな死を経験する。
 さまざまな存在が入り混じり、そして変容していく様は圧巻の一言。
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アピチャッポン・ウィーラセタクン「亡霊たち」 東京都写真美術館

2017年01月12日 23時21分10秒 | 出会ったものたち
 去年、瑞牆山に登った帰り、バスの中でランダムにiPhoneが選曲したのが三宅純の「veins」という曲で、点在する街の光が車窓を後方に滑りながら明滅している中、その音楽はなんだか幻想的である一方、ある種の感興を催させた。バスは繋がった夜の中をどこまでも音楽と光を携えて走っていく。静かな夜の暗さに包まれて、このままバスがずっと走り続けていたらどれだけ素敵だろう。
 東京の夜とは違う、点在する光。その時ぼくは都会の夜ではなく、光がほとんどない、ないしはまばらな光が点在しているだけの寂しい夜がまとっている生々しい匂いに強くひかれる自分を発見した。都会とは違う。それでいて完全な闇とも違う。ぼくの乗るバスはそのちょうど真ん中くらいの光と闇の中を進んでいく。それはぼくをすごく興奮させたし、多幸感さえもたらした。
 アピチャッポン・ウィーラセタクンの描く夜を見ていて、ぼくはそんな瑞牆山の帰りを思い出した。知らない街に灯るまばらな光。そこには人工と自然の境界があった。未知の街と未知の人々と未知の地理があった。そこにはだからぼくの知らない異界と境界があった。「ナブア森のティーン」はまるで東松照明の写真のようにぼくの心を打った。異界からのぞくその存在は折口信夫の言うマレビトであり、まさに境界上に存在していた。
 その境界の不気味であると同時に魅惑的な佇まいはぼくたちの根源的な感情と結びついているような気がする。
 かつて映画「ブンミおじさんの森」でぼくたちを熱狂させたアピチャッポン・ウィーラセタクンの作品とまた出会えて、言葉にする以前にその世界に浸ってる。
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2017年の鍋焼きうどん

2017年01月09日 17時16分48秒 | 観光
 大倉尾根はおおむね営業しているものの、鍋割山荘は休業。計画の大要そのものの危機です。鍋割山荘がないならよそで鍋焼きうどんを食べればいいじゃないの。心の中のスモール・マリ・アントワネットがささやきます。そうだ、鍋割山荘の有無にかかわらず、とにかくおれは明日、丹沢で鍋焼きうどんを食べる。それが2017年への挨拶だ。頭が煮えていたのか、よくわからない理屈で勝手に高揚して再び床につきました。
 翌朝早く新宿から小田急線に乗り渋沢へ。
 初日の出は渋沢駅のコンコースで眺めました。


 鍋割山荘をはなから諦めたぶんだけよけいな欲が発生してきました。鍋割山、塔ノ岳は登ったことのある山だけれど、塔ノ岳の奥の丹沢山はまだ未踏。標準コースタイムで積算すると大倉バス停8時出発で丹沢山までピストンで行って帰って戻りは午後6時。この時期の午後6時は完全夜。あまり山の中を歩きたい時間ではありません。それで今まで未踏だったのですが、こないだ谷川岳登って、雪山でも標準タイムよりだいぶ早く登れる自信がつきました。こういう時期が一番危なかったりするんだけれども。
 とりあえず塔ノ岳登ってみて、そのタイムが早いようなら未踏の丹沢山を目指してみようかな、と。
 この日はいい天気。北を見れば富士山(裾野までばっちり)から北アルプスまで見渡せ、南を見れば江ノ島や大島まで直下に眺めることができました。



 バカ尾根を延々登り、そろそろいい加減飽きたところで塔ノ岳到着。標準コースタイムより1時間半ほど縮めての到着です。


 これに気をよくし、丹沢山を目指すことにします。でも、今回の大きな目的の一つ、鍋焼きうどんを食べねばなりません。それを忘れては、なんのために山に登ったのか、そもそもの意義すら問われかねません。コンビニで買ってきた冷凍の鍋焼きうどんをバーナーにかけて加熱、あっという間に冷めていくうどんと本気の競争を繰り広げつつ食します。


 塔ノ岳からはアイゼンをつけて歩行するのですが、これがまあ超快晴で、雪は溶けるし、道はぬかるし、木道はむき出しになるし、とてつもなく歩きにくい。サクサクと雪の上をアイゼンで進んでいくあの気持ちのいい感触はほとんど味わうことができません。
 こういう木道をアイゼンつけて下るのはなかなか面倒くさい。


 そして初めての丹沢山。


 もと来た道を引き返し、大倉バス停には結局標準タイムを2時間半近く縮めてのfinish。1月1日の登りぞめには上出来の満足で下山。バス停で飲んだ缶ビールが全身を巡ったときの快感については言うまでもないことでしょう。
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ようこそ、2017年!

2017年01月02日 22時08分39秒 | 観光
 ある目的がかなえられないことがわかったときに、それをすっぱり諦められる人間がいる一方、同じ方向で次善の満足を得ようとあがく人間がいる。などというような二項対立的な物言いはなんだか偉そうだから、それほど大したこと言っていなくてもなんだか正しいっぽいから便利かもしれない。
 それはそうと、その2つの選択肢で人を分類するならば、ぼくは断然後者にあたる。
 年も押し詰まった12月31日。のんべんだらりと2016年のくたびれた後ろ髪を眺めながら、仮想こたつの中で仮想猫などを愛でつつ酒を飲んでいると、2017年の目標だの問うべき姿勢だのはずっと後ろに退き、浮かんでくるのは明日なに食べようかなどという浅はかなよしなしごとばかり。
 寒さをバックに食べ物を考えるとだいたい鍋に行き当たるのだけれど、谷川岳で後悔した記憶もまだあたりに濃厚に漂い、そんな状況下ぼくの脳が次善の満足として叩き出したのが鍋焼きうどんだった。浅はかにして中途半端、それが俺流。今年の総括とか来年の展望とかそんなものは狼に食われてしまえばいい、とにかくおれは明日、劇的な形で鍋焼きうどんが食べたいのだ。ぱっぱとi386並の優れたぼくの頭脳はその手段を叩き出し、出た答えが早朝小田急線で新松田まで行き、そこから鍋割山に登って鍋割山荘で名物の鍋焼きうどんを食べる。「ごちそうさまでした」とどんぶりを返すや、天狗のように尾根を飛び歩き、塔ノ岳で不敵に微笑み、大倉尾根を経て小田急渋沢へ帰るという鉄壁な登山ルートだった。鍋焼きうどんを食べたいという欲望と登りぞめの2つを備えたハイブリッドプラン、さすがi386、32bit演算だってちゃっちゃっとこなします。
 おやすみなさい、2016年、きみはなかなか素敵な年だった、いつかまた出会いたいくらいだ。一陽来復を恵方に貼り付け、床につきます。おとなしく眠るぼくのまわりをいつしか2017年がやさしく包んでささやきます。「起きなさい、あきらよ、起きなさい、いいですか?」なんだか声が聞こえたような気がしますが、面倒くさいのでそのまま眠っています。「だから起きなさい、起きろって言ってんだよ」眠い目をこするぼくに2017年はこう忠告します。「年末年始は店やってかどうかちゃんと確認しなきゃだめだろ?」

 次回、鍋割山荘は年末年始がお休みだったの巻、どうぞよろしく。え? そもそもの鍋焼きうどんは?
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