大塚駅北口は池袋駅とともに子どもが近づくと怖いところだった。
風俗街のネオンがまばゆかったり、目つきの悪い人たちが何するでもなくたむろしていたり、傷痍軍人が軍歌をアコーディオンで演奏していたり。
経済白書が「もはや戦後ではない」と断言してから15年たった1971年でも、本物か偽物かわからないけれど、白い軍服の傷痍軍人たちは池袋にいた。それが本物か偽物かはどうでもいい。それ以上に傷痍軍人という存在が世間的にまだ有効だったということがその時代の空気を物語っている。
池袋はもともと土地柄のよくないところだ。池も袋も水を表している。低地で湿ってジメジメしたところ。なぜか風俗街はそうしたところに栄える。
一方、大塚は昔からの花街だった。南口には今でも大塚三業地がある。三業がしっかりしていた南口はいいのだが、北口は、明らかに子どもが近づいちゃいけない雰囲気の風俗店が軒を競っている。この風俗街のど真ん中を毎日、巣鴨中学・高校の生徒たちが通う様はなかなか異様である。
そんな北口ではあるが、なかなかのグルメタウンでもあるのだ。
ぼくが好きなのは沖縄料理屋さんの「なは」。となりがスナックの「はな」ってえとこがちょっと笑えるのだが、別に系列店でもなんでもない。この店のウマイ料理を楽しむコツは、なるべく早めに注文すること。時間がたつにつれ、店のおばちゃんがお客さんと一緒に飲んでしまうので、料理どころじゃなくなってしまう。途中、みんなで踊り出すなんてこともそれほど珍しいことではない素敵な店だ。安いし、ウマイ。欠点は、営業日が不定なこと。何度かフラレた。
ほかにも韓国、中国などの安くて美味しいお店が立ち並ぶ地区でもある。
その一角に店の造りはちゃちいが、いいうどん屋さんがある。
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恩田である。
夕飯を食べたあとなのに、なぜか誘蛾灯に釣られる虫のようにふらふらと立ち寄ってしまった。
客席はU字型のカウンターのみ9席。料理をする手許が見える造りだ。あまりジロジロ見ているのもぶしつけな感じがしたので、チロチロのぞき見。
となりで体育会系な体つきをした人たちが大盛りの天ぷらやうどんと格闘しているのをみて、それだけでお腹一杯になりつつ、ざるうどんを注文。周囲を見回すと、注文を間違えてしまったことに気づいた。天ぷらやおでんなど豊富なサイドメニューで一杯やって、それからうどんという楽しみ方ができる店だった。おでんはセルフで取って自己申告。天ぷらは格安。どちらも旨そうだ。ああ、これでうどんが旨ければ言うことなしの店だと、うどんが来るのを待ちわびることしばし。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/68/09/47f832cc9f3429270c39c5bd306f9e0d.jpg)
ああ、見るからにうまそうなうどん。
ワクワクしながら、箸で口に運ぶ。
歯に楽しいコシを楽しみながら噛むと、口の中にあふれる良質の小麦粉の香りとともに、喉をつるつると通っていく。
ああ、うどんという快楽。食には味覚とは別の感覚的な快楽があるって、こういうのを食べると思う。
今度は、つまみと酒から始めないと。