毎日が観光

カメラを持って街を歩けば、自分の街だって観光旅行。毎日が観光です。

鬼怒川 その二

2010年11月29日 20時18分33秒 | 観光
 利根運河から利根川に入るものの、鬼怒川は利根川の北側。つまり、利根川を渡らないと行けないわけなのだけれど、橋がない。ぼくはさ、マーケットガーデン作戦のアメリカ軍じゃないんだから、渡河するわけにはいかないのよ。で、橋を探す。文字とおり遠すぎた橋。結局12km以上迂回して鬼怒川近くへ。
 ここで、大イリュージョン。鬼怒川の河川敷探して走ってたら、はい、土手上のサイクリングロード発見。ほくほくして走ろうと近寄ると、「小貝川」との標識。へい、ジョージ、こいつったら間違ってるぜ、HAHA。負け惜しみであることは自分でもわかってる。ぼくはかなりの実力派方向音痴。国土交通省の標識と俺とどちらが信頼できるかは誰にでもすぐわかる。すげえなあ、自分でも感心する。鬼怒川のすぐそこまで行っていながら、河川敷探している内に別の川に来てしまう。大イリュージョニストだよ、だって、狐につままれたみたいだもの。
 かなり大きな音をたてて心が折れたのに気づきつつも、道を戻り鬼怒川を探します。はい、鬼怒川ありました。サイクリングロードもあります。やっぱり戻ってきて正解。気持よくしゃんしゃん走っていると、なんだか雲行きが怪しい。気候ではなく、道が。


 おいおい、さっきまでの整備されたサイクリングロードはどうなってしまったんだ?
 なんだか、いきなり不機嫌になる彼女に振り回される気持ちがする。
「さっきまであんなに機嫌よかったじゃないか?」
「なに? さっきまで機嫌よかったら一生ニコニコしてなきゃなんないわけ?」
「いや、なんで、急に怒り出したのかわからないって言ってんだよ」
「根本はね、その理由がわからないっていうあなたのにぶさがすべての原因」
「それ、原因と結果の論理レベルが一つ違う」
「ちがわないわよ。ああ、もう、そういうとこがほんとイヤ、わたしは論理レベルの話をしてんじゃないの。わたしはね、感情で生きてんのよ」
「それはそうなんだけど、さっきの説明だと、なんだかよく…」
「だからそれはあなたがにぶいから。いい? に・ぶ・い・から。わかる?」
みたいな鬼怒川。原因不明で、そして突発的な怒りの発作がおさまるまでぼくは揺さぶられ続けなければならない。そんな鬼怒川。鬼怒川の暗黒面。
それにしても、ごわんごわんと揺れていると、なぜだか決まって「わーれわーれは宇宙人だっ」と一人なのに一人称複数形自己紹介をしたくなってしまう、昭和の世代なわたくし。
 で、未舗装の砂利道すらなくなってしまって、完全な行き止まり。やれやれ、と一般道をつかず離れず走って、数キロ、なんだかほとぼりが覚めた頃鬼怒川に戻るとちゃんと舗装道になってる。
 なんだか、こいつは悪女の予感だよ。


ふいといなくなったきり帰ってこず、3日後、何事もなかったかのように帰ってくるような、そんな女、鬼怒川。
「ねえ、あたしが3日間外で何してたか聞きたい?」
「別に聞きたくないよ」
「そう。そう言うと思った。あなたが聞きたくないのは、勇気がないから。あたしはそういうとこが大嫌いなの」
「嫌いならなぜ帰ってきたんだ?」
「嫌いだから」
「え?」
「これからあたしがどこで何してたか話して、なぶってやろうと思ったからよ」

 なんだかわかんないけど、鬼怒川超悪女。翻弄されっぱなし。
 最終的にはですね、

 こんなような道になり、これはもうサイクリングロードではなく、ハイキングとかでしょ、ロードバイクじゃ無理よってことで、リタイア。他にも行き当たったら墓とか、鬼怒川隠し玉多し。
 その中で2つほどご紹介。


 行き当たったら墓だったから、それて未舗装の砂利&草道を走って、また行き当たったのがこれ。墓とか慰霊塔とか怖いんだけど。人っ子ひとりいないんだよ。たまに鳥がバサバサって音を立てるだけでびくびうしてしまう(もともと怖がり)。


 ハンターがこの小さな掲示に見てやめようと思うのか、それともこんなのに気づかないのか、ぼくがハンターなら断然後者である。それに人が多勢とか嘘。誰もいないんだって。だから怖いんだって。人がわんわんいたら、誰だって撃たないだろう? あえてそういう意図を持っている人以外は。それに多勢って、「たぜい」って読むんだろ? 揚げ足取るようで申し訳ないが。とにかく鬼怒川、最悪。整備しなさすぎ。半端にときどき走れるサイクリングロードがある分悪女。月に2日は最高で、残りは悪夢のような悪女。鬼怒川、ぼくの中でシャーロット・ランプリング認定。
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鬼怒川 その一

2010年11月26日 23時55分48秒 | 観光
 ふとした瞬間、思ってもみなかったことを欲望したことってありません? たとえば、歯を磨きながら、ふと、あ、俺、青森行って床屋になりてえ!とか。バス賃出そうと財布の小銭を探していたら、あら、やだ、わたし、四国の鰹節工場で働きたいのだわ、と気づいたりとか。
 人が意識するよりもずっと無意識の領域は広大で、自分自身からすると意外な思いつきかもしれないけれど、広大な無意識のグラウンドにその動機が転がっていたりするのだ。たぶん。ここで「ラカン的」とかそういう言葉を用いると格好いいのかもしれないけれど、ごくごく浅い部分でもツッコミが入ったらどうにもならなくなるので、自粛する。
 さて、前置きが長くなってしまったけれど、ある日ぼくはフライパンを洗いながら、ああ、雨が上がったら鬼怒川走りたい、と思った。それがどれだけ奇異な発想なのか、自分でも驚いたのだけれど、実は最近利根川が好きで、たぶん坊主憎けりゃ袈裟まで憎いの逆で、利根川好きなら支流も可愛い、みたいな? って半疑問。
 そんなわけで鬼怒川へ。
 いつもの荒川(こないだ銚子行ったときもちょっとしか走らず、なんだか悪い気がするが)をちょこっと走り、R6から江戸川へ。20km走ると千葉に出るってなんだか意外。もっと遠い気がしてたのだけれど、松戸から江戸川を北上。やがて左岸に利根運河が現れます。この利根運河がなかなか気持ちのいい道。


 こんな感じ。ここをシャーっと自転車で走ってく。気持ちいい。実はここまで延々北風の中北上。下り坂だって漕がないと後ろ向きに登ってってしまうんじゃないかっていうくらいの向かい風。辛うござんした。ところが運河に入ると多少は北上するものの、方角で言うと東北東って感じでずいぶんラク。あたりの風景を愛でながら、ほおほお、そろそろ色づきおってのお、などと太閤気分でサイクリング(ごめん、豊臣秀吉のイメージが貧困すぎることは我ながらわかっています)。

 つづく!
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街の校正シリーズ その5

2010年11月19日 22時06分15秒 | 観光


 ほかに何ができるというのか?!
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秋の備忘録

2010年11月15日 17時28分04秒 | 写真















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銚子 その二

2010年11月09日 23時43分00秒 | 観光
 考えてみたら、家を出るときに作りおきのクラムチャウダーを食べ、「海まで95キロ」地点でおにぎりを2個食べただけで、すでに約160km走ってる。お腹がすく。半べそかきながら走っていたぼくたちにとって、サイクリングロードの終焉は予期せぬ出来事であるとともに、強いられた幸運とも言える。サイクリングロードを走っている限り、ぼくたち(ぼくと愛馬ロシナンテ、でも、彼は少食なんだ)に何か人間の食べ物を口にする機会はない。しかし、一般道なら、どこかにあるだろう、食堂とか、コンビニとか。そして、ぼくは自分の格好に思いを馳せ、コンビニを探す決意をする。だって、シルバー地(そういう地の服着たことある? というか今までの人生でそういう「地」って想像したことある?)に、緑と赤の模様のサイクリングジャージ。しかも、上下で、さらに下パッツンパッツン。食堂などで、「ええと、98年のロートシルトと、あ、今日の肉は何?」などと注文できます? できません。まあ、んな店もないだろうけれど。


 そんなわけで、国道沿いのコンビニで腹ごしらえをして、利根かもめ大橋有料道路へ。これで、千葉側からまた茨城県側に渡ります。なんかジグザグ。橋って、能でもそうなんですが、向こう側は異界とつながってそうなんです。ぼくも走っていて、先の見えないあちら側を過剰に想像して楽しくなります。


 橋から見た河口。ここにも先の見えない、空と海とが渾然一体となった風景が現れます。ぼくは天国とか地獄とか、人が死んだあと赴く世界ってそんな剣呑なのはごめんだな、と思うんです。ほら、このすぐ近くに、でも、なんだか先の見えない不思議な空間に、そんなところに案外永遠とか来世とかがあるんじゃないか、と。死者たちはすぐそこにいる。ただ茫洋としたあちら側の世界だけれど。そんな風に考えると、ぼくたちの世界はまた印象を変えるような気がします。つまり、生きることは死者たちとどう付き合うかによって変わっていくのではないか、と。ぼくたちは誰も一度も死んだことがないのに、他者の死によって、自分の死を予見的に知覚します。それは人の生にとって大きなことで、だから、他者の死は自分の生に大きな影響をもたらすのではないか、と思うんです。なんだか、腕が動かなくなってからのぼくは、変なことをいろいろ考えるようになってしまいました。


 20円払って有料道路を降り、振り返るとこの風景。
 ここから海はもうすぐ、いさんで走り、海が見えたときの嬉しさ。ここまで走行距離170キロ。


 もう、海はそこに見えてる!


 茨城県神栖市の空と海岸。






 おつかれ、愛馬ロシナンテ。半分砂に埋まりながら、「やったね」という表情のかわいいやつ。でも、実は前日にチャレンジして、いろんなとこを迷い、100キロ近く走って断念した再チャレンジ。2日で270キロ走りました。1日300キロ走れると一皮むけるんだけれど、景色の見えない夜(あるいは早朝)に走るのはいやなので、たぶん一生達成できない距離だろうなと。でも、海は自転車で行く甲斐のある場所だと思う。

 写真はiphoneで撮りました。自転車に積めるデジイチが欲しいですねえ。
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銚子 その一

2010年11月08日 23時03分44秒 | 観光
 暑くて、あまりにも暑くて自転車に乗れなかった夏。急に寒くなって自転車に乗ろうとしなかった秋。寂しげ目でぼくを眺めてため息をつく愛馬ロシナンテに、ごめんよとつぶやきながら家を出る毎日でした。
 ごめんよ、ロシナンテ。この週末はきみに付き合おう。「どこ行きたい?」「海に行きたいです、ご主人」
 よろしい、ただいつもの海じゃあつまんない。葛西も九十九里も夏に行った。銚子まで走ってこうぜ、ロシナンテ。
 6km走っていつもの荒川サイクリングロード。「久しぶりじゃないですか、今日はどちらまで?」あ、いかん、ここにも久しぶりの友人が。いや、今日はきみを走るんじゃなくて、どっちかってえと利根川メインで。「利根川っすか? じゃあ、北鴻巣までの60km、あるいは熊谷までの80kmお付き合いしますよ」
 尻尾振ってニコニコしてる荒川に、ごめん、またね、とつぶやきながら、そして自分にはどうしてこんなに非実在の友人が多いのか、人生間違えてないか、どんな幻影見えちゃってるんだよ、と、いろんな疑念を自ら打ち消しながら、荒川から国道6号線、そして江戸川サイクリングロード。ここから北風を受けつつ北上、流山の先から江戸川・利根川運河に乗って、いよいよ利根川、ここは茨城県取手市。ここまで80km。


 ここで遅い朝ごはん+プレ昼ごはん。ウォークマンでブルックナーの7番聴きながら、おにぎり食べてるだけで体の内側からどしどし幸福感が湧いてくる。幸せも不幸も、ものすごく近いところにあって、というか、むしろ自分の体の中にあるくらい近いところにあって、というか、だから、自分自身とそれは同一のものであって、ただそれをいちいち感じていたら日常生活が送れないから、当たり前のような感じで受け流しているけれど、でも、自分の体の中にほんといろんなものがあるってことを、自転車によってぼくは知った。
 走りだしてもしばらく両手放しでエア指揮者。
 サイクリングロードでのんびりと日向ぼっこしてるバッタを驚かせ、ごめんよごめんよ言いながら走ってく内に、何を思ったのか、ぼくの靴に張り付いて「いやいや、わたしは動きませんよ」って感じでしがみついてるバッタが一匹。こいつをお供に愛馬ロシナンテと三位一体、利根川を下ります。


 千葉側は整備が全然進んでいないので、茨城側を走ります。ここはJR鹿島線の鉄橋。手を伸ばせば触れそうなところを電車が走ります。実際走るとこ見たら迫力あるんだろうけれど、ダイヤが薄いので待っていられません。
 すべてのものはつかの間の存在です。ぼくと茨城側サイクリングロードとの良好な関係もやがては終りを迎えます。海まで19kmに至って、茨城側のサイクリングロードは消滅してしまいます。しかし、誰がそれを責めることができましょう。なぜなら、北から流入してくる常陸利根川によって、それまでのサイクリングロードを支え続けた陸地は中洲のような状態になり、2つの川の合流地点で水没してしまうのです。その運命をともに嘆くことはあっても、決して責める気にはなれません。
 わかりました。今までありがとう。千葉に渡りましょう。ええ、あなたもお体大切に。


 怖いっす。ロードバイクって、サドル高いんすよ。だもんで、右側の手すり、ほとんど役に立たないんです。お尻から上、ほぼアウト・オブ手すり。右によろけると転落死します。で、左はバンバン車が向かってくる。左によろけると轢死します。そしてその左右の余裕は、ほぼありません。遊びのない真剣勝負のような橋です。この橋はこれによってぼくに何を伝えようとしているのでしょう。人生の失敗できない際どさ? 厳しさ? 何やら、重いメタファーと恐怖に全身包まれながら、「怖いよー、冗談じゃねえよ、無理だってこんなの、いやいや、とにかく前だけ見るんだ、前だけ見るんだ、おー、トラック厳しいよお」などと、だれもいないことをこれ幸いに大声で怒鳴り、少しでも恐怖を忘れようとしつつ橋を渡ります。千葉に着いたときには、何か、何というのでしょう、少し大人になったような気さえしました。
 しかし、千葉も案外冷たい仕打ちを見舞います。
 残り19kmで仕方なく茨城側が消滅したのに対して、千葉側はまるで、まったくそれらしい理由を示すことなく、淡々と残り14kmで終了を言い渡してきたのです。


 終点標識。
 このあと、別に水没するわけでもなく、河川敷は延々続いているにも関わらず、ただ標識を立てて終了宣言。どうでしょう、それ。どこか努力不足を感じさせます。
 さて、そんなわけで、残り14kmで消滅してしまった利根川サイクリングロードですが、もちろん、ここで帰りはしません。愛馬ロシナンテも「ここまで来て海を見ないなんてことありませんよ、ご主人」とぼくを見上げてる。「でも、ご主人、ぼくのこと愛馬って呼んでくださるのは嬉しいのですが、ドン・キホーテに出てくるロシナンテってロバっす」
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喜多方

2010年11月06日 00時01分18秒 | 観光
 会津若松で只見線と間違えて磐越西線に乗ってしまったわたくし、やることなく引換してきました。ただ知らなかったのですが、会津若松から喜多方までは電化されていて、喜多方発郡山行きの電車がある、と。
 そんなわけで喜多方で降りて、ラーメンと蔵の街を見物。




 駅前の道をあちらこちら歩きまわりながらも、実はこのときはまだ右手が麻痺していて、とてもラーメンを食べるわけにはいかず。
 でも、せっかくだからと勇気振り絞って、お店に入り、フォークを所望。「取皿いりますか?」と聞かれるけれど、ぼく、子ども連れじゃないし。
 左手でフォークを使って食べたラーメンはなんだか懐かしい味がして美味しかった。


 東北に来るといつも思うんだけれど、空が美しい。
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野沢

2010年11月05日 00時46分21秒 | 観光
 夏の備忘録。


 乗る列車を間違えて、訪れた野沢。ホントは会津若松から只見線に乗るつもりだったのに、磐越西線に。


 ここにも東北によく見られる大同年間の縁起話が残っている。毘沙門天や大同とか、東北人は素朴でそして少し悲しい。



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茅の輪

2010年11月02日 22時28分16秒 | らくがき

 神楽を観たあと、飲みに行った席で「高田純次に似てる」と言われて、喜んでいいのか、悲しむべきなのか、少し悩んだわたくしです。まあ、ぼく、たいがいいい加減なこと言ってますが、高田純次のいい加減は至芸ですから、名誉なことかもしれません。実は若い頃もそれ言われたことあって、鏡を見て首をかしげたものです。
 さて、何番か観て「茅の輪」。武塔神=牛頭天王=スサノオとして、スサノオが巨旦将来、蘇民将来のもとを訪れます。ストーリーは前回ご説明した通り。ところが、襲いかかるのはスサノオではなく、疫病神。つまり、スサノオは善神であり、病は疫病神がもたらす、と。いや、そもそもスサノオって善神か? この神楽の前に天岩戸やってたろう? あれ、誰のせいよ。スサノオに特に漂う、ヒーローやトリックスターとしての二面性を完全に否定しちゃってる。で、これ、やっぱり近代になって作られた演目らしい。つまり、善=善、悪=悪、という分かりやすい合理的な図式なのだけれど、近代合理主義の薄っぺらさがありありと散見される内容。
 神が大切に崇められるのは、その神が恵みをもたらす神であるだけではなく、その神が同様に災厄をもたらす力を持つ神であるであるからだ。善=A、悪=Bであるなら、A≠Bであるとするのが、近代的合理主義だけれど、それは神楽の世界とは相容れない。というか、神職がこういう神楽を新作してしまうことが、ちょっと怖い気がするのだ。
 保守的な政治家などが口にする「日本の美しい伝統」というのが、何を指しているのかわからないけれど(たぶん明治以降だけの浅い歴史認識なんだろうけれど)、古い伝統の側にいるはずの神職が同じように明治以降の浅い歴史認識を抱いているって、怖い。明治の神仏分離以降、中世以来の神話性豊かな神々の物語は失われ、ただ、素晴らしい神様であります的な説明ばかりが眼に入る昨今、その薄っぺらさは日本人の精神的支柱をも薄っぺらくしてしまうのではないか。そして、その薄っぺらいものを日本の伝統として考え、「日本の伝統大切にしましょうね、昔の日本人は今の日本人と比べて…」、なんて語りをしてしまうのではないか、分かった風な大人たちは。
 そういうのって、なんだかすごくイヤ。

 ところで、茅の輪って、言ってみればしめ縄を円環状にしたもので、そしてしめ縄は蛇を象徴するもの。蛇に対する古層からの信仰って根深いものがあって、それはたいへん興味深いと思う。
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竹寺 東西の来訪神

2010年11月01日 01時22分42秒 | 観光


 訪れた神をもてなすこと、それは人類共通のごくごく古くから根ざした感情である。何もかも持っている超人間的な神の姿ではなく、「もてなされる者」として神は往々にして乞食に身をやつして現れる。
 神をもてなした者には幸いが訪れ、もてなさなかったものには災がもたらされる。
 つまり、神は一方的によい恵みをもたらす者ではなく、その力の裏側に災厄をもたらす力を同じように持っているわけだ。ここに神のアンビヴァレントな性質が現れている。
 恵みをもたらす神、災厄をもたらす神。
 あるとき、ヘルメスを伴って旅に出たゼウスはプリュギアの村にやってきて、家々を訪問してまわった。けれど、どの家も門を閉ざして迎え入れなかった。そんな中、プレモンとバウキスの貧乏な老夫婦だけが歓待をしてくれた。そのおかげで洪水で村が全滅したときもプレモンとバウキスだけは助かった。
 オリンポス12神の頂点であるゼウスが、広場に村人全員を呼び集め、命令を下したのではなく、家々を訪問して回ったのだ。その形は、そう、乞食や門付けと同じだ。
 あるとき、武塔神が八人の王子を連れて旅に出た。ある村で長者である巨旦将来に宿を乞うと冷たくあしらわれたのに対して、貧乏である蘇民将来は彼らを心からもてなした。武塔神が巨旦将来の家人全員を疫病で滅ぼすかんな、と蘇民将来に言うと、ちょっと待っておくれ、と。わたしの妹がじつは巨旦将来んとこに嫁いでる。じゃあ、その妹に目印としてこの茅の輪渡しておきなさい、と。で、茅の輪を結んでいた妹以外の巨旦将来家は滅びる。
 ギリシア神話と見事に一致している。ちなみに、イザナギの冥府巡りもオルフェウスの冥府巡りと一致していて、お気軽な人は日本人とギリシア人はもとは同じだ、ついでにユダヤ人も、とか言いたくなるのだろうけれど、日本人とギリシア人だけが似ているのではなく、人類共通の、ユング的に言えば太古のプロトタイプとしてそういう思考が存在していたと考える方が納得できる(ディズニーの影響もあって、ばりばりの西洋人っぽい「シンデレラ」の説話だって、実は世界中に分布しているし)。
 疫病をもたらす武塔神に疫神である牛頭天王が同一視され、やがて天王信仰が日本中で流行する。「天王」や「須賀」、「八坂」などの語がついた地名や神社はこの牛頭天王にちなむ。
 つまり、神は恵みと災厄、その両面にコミットする存在だったのだ。その両面性こそが神の本質であった。善神と悪神とがいるのではなく、ひとつの神の中にその両面がある。このことは近代的思考となじみがよくないのだけれど、実は非常に大切な考えであると思う。
 長いよ、前振り。で、次回、神楽「茅の輪」。本業の原稿はさ、時期が時期だからディケンズの「クリスマス・キャロル」だって。明日締切りだって。そう、逃げてんの。逃げてブログ書いてんの。そんな場合じゃないの。ハロウィンもクリスマスも好きじゃないって。酉の市ぐらいがちょうどいいんだけどなあ。


 写真は飯能近くの竹寺。八坂神社など、牛頭天王を祀っていた多くの寺社が素佐之男を祭神として神社として再生したのに対して、神仏習合のまま頑張ってるお寺。だいたい祇園祭だってさ、あれ、牛頭天王が祇園精舎の守り神だからでしょうに。
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