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毎日が観光

カメラを持って街を歩けば、自分の街だって観光旅行。毎日が観光です。

九十九里4

2010年07月28日 14時32分02秒 | 観光
 今回は九十九里写真集、ということで。










 さあ、今日はビールを飲みに大宮まで行ってきます。
 おいしいビールが飲めるよう、ぜひマリノスには頑張ってもらいたいものです。17歳の小野くんを初めて生で見られるのが楽しみ!
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九十九里3

2010年07月27日 19時59分39秒 | 観光
 千葉神社との幸福な出会いの後、R.126へ。とにかく暑い。途中の100円ショップで、氷と水を買う。氷1.3kg、水1000ml。ボトルに両方入れて、残った水は飲み干し、残った氷は袋のまま背中のポケットへ。冷たくて気持ちがいい。
 時々背中から取り出してボトルに継ぎ足し継ぎ足し。おお、これは大変いいではないか。と嬉しくなったのも一瞬、あとは延々ものすごく走りにくいR.126が20km続いていく。片側一車線、対向車バンバン。そうすると、後ろから来る車が自転車を右側に避けて抜いていくということができない。おまけにどちらもでかいダンプ多し。歩道は幅30cmくらいで段差ばかり。走りどこ一切なし。それが20km。結構長いっすよ、20kmって。頭の中に太陽と地球の距離とか、雄大なスケールを湧き起こしつつ、20kmたいしたことないじゃん、と相対化する。もちろん、相対化したところで、道が走りやすくなるわけではないので、冗談じゃないよ、なんだよ、この道、などとぶつぶつ言いながら走る。
 途中、ところどころラブホテルがあり、入りたいと真剣に思う。気温35度。風呂入りたい。そんなホテルの中に「ホテル・ニューオータニ」という名称を見つける。これはまずいだろう、いくらなんでも。同業で同じ名前付けちゃ。ぼくなら、せめて「ホテル・ニューオークラ」ぐらいにとどめておく。ほんと、これ訴訟起こされるぞ、と思いつつ、ジェットバスの表記に惹かれる。俺、千葉でなんでラブホテルに欲望してるんだよ。ワケわかんない。



 ようやく東金九十九里有料道路へ。ここは自転車も通行OKな鷹揚な道路。ちなみに自転車の通行料金は20円。最初から最後まで走って、残念ながら1台の自転車も見なかったけれど。



 そして九十九里へ。
 湘南なんかより、絶対こっちが俺の海だと思う。この雄大さ。そしてどん詰まり感。ぼくが海を好きなのは、それが海だからというより、陸のどん詰まりだから。その周縁感がたまらない。雨に打たれたエロ本とか、朽ちた看板とか、そんな周縁のものが大量に放置されている陸地のどん詰まり。川も海も、そんな周縁の匂いに惹かれる。
 そして、案外近いことにも驚いた。前に九十九里を走ったときは佐原から利根川経由で銚子だったので結構な距離走ったんだけれど、このルートだと家から100kmも走らないで太平洋。カレー食べに前橋まで140km走って結局昼休みで食べられなかったことを考えれば、太平洋、超近い。



 そして、乾杯(ノンアルコールビール)。
 自転車用のグラブが、なんだか、樹木希林が「ジュリー!」と身悶えしてたときの格好のようだと思いつつ、それいったい何人に通じるんだろうと。そして、太平洋を前にして、俺はいったい何を危惧しているのだろう、と不思議な気持ちの九十九里。この海の向こうは行ったことのないよその国。
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九十九里2 千葉神社

2010年07月26日 22時52分26秒 | 観光

 偶然行き当たった千葉神社。早速参拝します。

 話は千葉神社からちょっと離れます。
 江戸という町はかなり陰陽道的に設計されていて、神社仏閣の配置などを鳥瞰するとそこにあからさまな意図を感じることができます。
 たとえば、江戸城から北上すると日光東照宮に突き当たり、その東照宮陽明門とその前の鳥居を結んだ上空に北極星が来るように設計されています。

「事実、日光東照宮の社殿の配置を見ると、陽明門、唐門、本殿が江戸城を向いて建ち、その真後ろに北極星を望むことができる。すなわち日光東照宮を拝礼することは、北極星を拝礼することに通じているのである」(宮元健次「江戸の陰陽師」)

 北方を守護する妙見はやがて北極星、北斗七星と同一視され、毘沙門天と習合することで武門の神として信仰されるようになりました。とくに関東の平家に広く祀られ、群馬から秩父、相馬、上総などへ信仰が広がっていきました。わたしたちに馴染みの深い妙見信仰の持ち主としては平将門公や江戸時代坂本龍馬が通った千葉道場の千葉氏(北辰一刀流)、あるいは葛飾北斎(北斎という名そのもの)などが挙げられます。
 最近、いろんな妙見社を見ていて、その社殿の後戸に気づくようになりました。後戸の神と言えば、そう摩多羅神です。

「翁・秦河勝・大避大明神・摩多羅神の根底にある観念は「宿神」である」(水城正人「宿神思想と被差別」)
 
「多くの専門家たちを驚かせたのは、そこ(金春禅竹「明宿集」)に「翁」が宿神であり、宿神とは天体の中心である北極星であり、宇宙の根源である「隠された王」であるという主張が、はっきりと書きつけられていたことである」(中沢新一「精霊の王」)

 事実、摩多羅神の図像には北斗七星が描かれている。
 翁=宿神=摩多羅神=北極星=妙見へと連なる古層の信仰の流れをそこに見ることができるわけです。宿神は縄文時代の信仰を色濃く残していた諏訪において、美称をつけてミシャグチ、ミシャクジさまと呼ばれていました。その別称は、石神井、象頭、石神などなど、さまざまです。


 千葉神社摂社。左が石神、右が星神。
 星の神、石の神として古層の豊かな信仰を摩多羅神や妙見さんは今に伝えているのではないか、と思います。
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九十九里1

2010年07月25日 22時55分05秒 | 観光
 先週、なんとなく海の日に海に行こうと、とりあえず葛西臨海公園へ。朝の海を眺めながら、こないだ途中で印旛沼行っちゃったけど、今日こそ九十九里へ行こうと8月の入道雲のように湧き上がる決意。季節も決意も夏、なのである。
 葛西臨海公園から湾岸通りを走る。


 市川の通称行徳富士。要するに産業廃棄物に草や木が生えてしまって自然の丘のようになってしまった物件。



 千葉市の中央部は自転車で走りやすい。左はじの路肩が広いので、そこを車を気にせず普通に走る。時速は35kmくらい。このまま走り続けられたら、すごく気持ちいいのにと思いつつも、こんなの続きやしない、って、日本の自転車に対する冷たい行政なんてわかってるよ、と。



 国道14号から126号へ行く際、道に迷っていて遭遇した千葉神社。
 額に大きく「妙見」。そして白い垂れ幕には、日月紋と九曜紋が互い違い。
 ここに来ることをあらかじめ目的にしていたわけではないんだけれど、たまたま遭遇するのも、何かの縁。ちょっとお参りしていくことに。
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写美開館15周年記念 カフェ・プロジェクション「映像人類学特集」

2010年07月23日 17時26分54秒 | 出会ったものたち
 昨日は恵比寿の東京都写真美術館で映像人類学の上映会。素晴らしかった。
 全3本なんですが、1本目はエチオピアの門付け夫婦。2本目はバリの影絵師。3本目はカメルーンのバカ(ピグミー)族の通過儀礼。
 こうした民俗的社会では富は共同体の外部からもたらされると考えられます。人間=共同体に対して自然=外部。全く離れた外部は人間には関係がありません。人間に関係のある外部は人間=共同体と自然=外部との境界に現れる外部で、そういう境界上に存在するものは、敬されながら、また疎んじられる存在になります。アルタミラやラスコーの洞窟で絵を書いた人たちは、まさに共同体と外部とを媒介する洞窟という中間地点で祈っていたわけです。そして、われわれの思考や脳の構造はその頃の人たちと基本的には変わりません。
 神は外部から訪れる来訪神として現れます。神は外部から訪れて、富をもたらすありがたい存在であると同時に、人を殺す怖い存在でもあります。
 日本でも富は外部から訪れるものでした。笠地蔵、花咲か爺さん、こぶとり爺さんなど、富をもたらすものは外部から訪れたもの、あるいは外部と接触したものでした。
 門付けは、だから、外部から富をもたらすために訪れる人びとです。共同体内の人間には、外部から訪れる人はありがたい存在である一方、怖い存在、そういうアンビヴァレントな存在でありました。エチオピアの門付け夫婦も、バスに乗って旅をしながら門付けをしている、共同体の外にいる存在なんですね。で、共同体はキリスト教の枠内、イスラム教の枠内で生活をしているのに対し、この夫婦はその垣根に頓着しない。それぞれの家で祝詞(?)を変えて門付けをするのです。ここに創唱宗教の世界の中での自然信仰の強さを感じました。ドキュメンタリーとしてたいへん貴重な作品でした。
 2本目のバリの影絵師はちょっとイマイチ面白くなかったんだけれど、白眉はバカ族の通過儀礼。これについては、ここに書ききれないほどの豊かな信仰世界を感じたので、いつか項を改めて。もうちょっと調べたいこともあるし。あれ見ながらマユンガナシだ、蓑笠だと、大興奮でした。アフリカ、カメルーンでの儀礼と沖縄に残存する儀礼、あるいは日本各地にある蓑笠への執着、こうした類似のものが全人類的に存在することの不思議さに圧倒されました。あと、殺して食らい、そして生む大地母神としての来訪神なども。
 刺激を受けたわけじゃないだろうけれど、8月に早稲田大学で幡屋神職神楽の上映会をやろうではないか、と今日話が盛り上がってきました。
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セミをめぐる冒険3 カエルもあるでよ

2010年07月22日 23時56分46秒 | らくがき
 前回「閑さや岩にしみ入蝉の声」って書いたじゃないですか。あれ、日本語ですよね。ということは、、あの俳句を英語なりフランス語なりに翻訳する場合、日本語にはない名詞の単複という問題が生じるわけです。つまり、「セミ」を単数にするか複数にするか、そこにすでに翻訳者の解釈が入るんじゃないか、と。
 森で鳴いているセミを知っている日本人の多くは直感としてあの「セミ」は複数だと感じるのではないかと思います。でも、今まで一度もセミの鳴いている森に入ったことのない北フランスの人たちは、最初の「閑さや」に引っ張られるんです。「セミ」、単数だ、と。
 逆に考えると、そこに芭蕉の妙味があるんですね。
 耳を聾せんばかりにワンワン鳴いているセミの声を聴きながら、それを「閑さや」と表現する。芭蕉、すげえ、と。昔から何度も聞いたあまりにも当たり前の俳句だから思わないけれど、一度外国語を通して考えるとその凄さが実感できたりします。
 で、「古池や蛙飛び込む水の音」。この「蛙」。おお、ようやく出てきましたカエル。実は、ぼくカエル大好きなんです。かわいいし、きれい。特に毒を持ったカエルの美しいこと。食用のやつは食ってもうまいしね(かわいい言いながら食うんかい? はい、食います)。
 このカエルを複数形として考える欧米系の留学生が多いとある本で知りました。カエル1匹飛び込んだところで、音などかすかで聞こえたもんじゃない、複数形だろう、と。脳内でカエル次々集団飛び降りの様相が浮かびます。マーケットガーデン作戦でのアメリカ第101空挺師団みたいな感じと言えばわかってもらえるでしょうか? 
 翻訳という作業は、ものすごく大変な作業であり、言葉一つ訳すだけでそこに作者の生きてきた経験すべてが入っていたりするわけです。そう考えると、どの外国文学を読もうかなと迷った場合、作者ではなく翻訳者で選ぶというのも一つの手なんじゃないでしょうか。たとえば、岸本佐知子さんが訳した本を読んでいくなんてことも面白いかもしれません。
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セミをめぐる冒険2 カエルもあるでよ

2010年07月21日 23時45分23秒 | らくがき
 さて、そんなわけで、実はコメント欄でこの冒険のオチがついてしまっていたわけなのですよ、こんばんは。
 「アリとキリギリス」の話がフランスに入って来たときに、なぜ「セミ」になってしまったのか。日本語でラ・フォンテーヌの「寓話」を読んでいたときから疑問でした。
 答えの根幹は、前回Nancyさんのコメントタイトルなんです。そう、「せみもカエルもここにはいません・・・」。
 Nancyさんのところと同様、北フランスにはセミがいません。だから日本人が夏に北フランスの森に行くとちょっと不思議な気がするんです。「え、音がしない………あっ、セミ鳴いてない!」
 セミの鳴かない夏の森。初めて体験するとちょっとびっくりです。
 で、北フランス出身のラ・フォンテーヌはセミを見たことも聴いたこともない。だから、鳴く虫として書かれた「Cicada」をなんの疑いもなく「Cigale」と訳してご満悦。それが全フランスに広まって、今ではあの小理屈っぽいはずのフランス人が「セミとアリ」(順序もセミ先の順番でした)の寓話を子どもの頃から親しんでいる、と(でも挿し絵入の本ではバッタみたいな、第九地区みたいな絵が書いてある)。
 で、そんなことを考えていたら、ふと思ったわけです、「閑さや岩にしみ入蝉の声」って、北フランス人には理解しがたい情緒なんだろうな、と。
 で、「Cicada」と「Cigale」と同様、翻訳の問題ってあるよなあ、と。
 そんな風にして、次回ようやくカエルも登場します。
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森ガール万歳

2010年07月21日 17時07分22秒 | らくがき
 先月、森ガールについてくさしたけれど、撤回。
 森ガールのおかげで、こんな楽しいページを見つけました。
 一人で見てるの勿体無いのでおすそ分け。

 もし森ガールがゆるゆるファッションで実際に『森』へ入ったら

 ありがとう森ガール。それからこの最高にいかした、くだらないページを作ってくれた方にも感謝!
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セミをめぐる冒険1 カエルもあるでよ

2010年07月21日 00時16分44秒 | らくがき
 この時期になると思う「アリとキリギリス」。
 あれ、ラ・フォンテーヌの「寓話」だと、「アリとセミ」なんですよ。
 セミ? 
 セミ、あり得なくないですか(と、少し若い女性を偽装した感じの中年男性って、すごく気持ち悪いよ、おれ)。
 そう、フランスではあの話、セミなんです。こないだ夏用にしたウォークマンで大貫妙子の「Cicada」を聴いてて、それがセミの音色に彩られてて、ふと思い出したんです、すごく昔にラ・フォンテーヌを読んだ時のことを。ラテン語のCicadaがフランス語のセミcigaleの語源で、あれ、「アリとセミ」っておかしくないか、と。
 だって、セミが冬間近になってアリに食べ物乞うってありえなくないですか(だから、その言いまわし気持ち悪いって)。セミ死んでるもの、その頃。
 そんなふうにしてぼくは、セミとカエルがにこやかに呼び寄せる2010年の夏を迎えたのだ。やれやれ。
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印旛沼

2010年07月20日 19時33分19秒 | 観光
 天気いいから、海にでも行こうかな、と自転車漕ぎ始める。荒川サイクリングロードからR14に出て江戸川目指して東に進むが、これが案外走りにくい道。走ってて楽しくない道。ようやく江戸川にぶつかる。


 ちょうどポニーランドのところ。馬車は調教中でまだ乗ることができない。ここから水門の上を通って、行徳橋を渡って千葉県入り。ところが、そこから先、江戸川を南下する道は工事通行止め。じゃあ、あれか、ここから全部一般道か。日本で市街地の一般道を遠距離走るってものすごいストレス。



 湾岸線に入って、船橋、習志野。習志野に入ると日陰の中を涼しく走れるんだけれど、交差点がない。立体交差になっていて、そのたびいちいち自転車降りて歩道橋を押して登り、押して下る。千葉、最悪。少し群馬でも見習って欲しい。



 途中花見川サイクリングロードと交差するところに出会ったら、もう、今までのストレスを発散させたい欲望もふつふつと湧き上がって、一般道から北上するサイクリングロードへ。ここで海を諦めて、沼への道を選択。かなりのスケールダウン。



 印旛沼到着。沼を回るサイクリングロードを走る。



 大きな沼って、風景が大きいので、それなりにストレス解消される。ああ、智恵子、ここで空見てればよかったのに、俺が高村光太郎ならここ連れてくる、などと思う。
 この印旛沼周辺のサイクリングロードは、高橋尚子や有森裕子の練習コースになっていたらしく、金メダルジョギングロードなどと名付けられていたりする。


 
 帰りは京成臼井から輪行。うちにも来る、千葉から野菜行商のおばあちゃん(通称千葉ちゃん)。行かないとね、玄関先に置いてかれる。いるもの、いらないもの、関係なく置かれるので、彼女が来て坂下通りんとこの豆腐屋さんの前で店開くときは駆けつけないとならない。でも、彼女が運んでくる枝豆とかトマトとかうまいんだ、この季節。
 で、このサイクリングで落車して、胸を打ったわけよ。
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東海道四谷怪談

2010年07月15日 23時10分24秒 | 読書
 夏です。
 夏っていえば怪談でしょう。いやだな、いやだな、こわいな、いやあ、なんか妙だなあ、変だなあ、だってそうでしょう、で、あたし気づいちゃったんです、という常套句が散りばめられる稲川淳二、通称イナジュンの季節。
 こないだ「東海道四谷怪談」に関する原稿を書くことになったので、お岩さんのお墓参りに行ってきました。「東海道四谷怪談」はお岩さんの八面六臂の活躍が有名だけれど、あれは、もともとは忠臣蔵のスピンオフとして企画された芝居でありました。芝居では、だから田宮家はもちろん赤穂ではなく、塩冶家臣。


 場所は巣鴨の妙行寺。お岩さんは、芝居ではああいうふうに描かれていたけれど、実際はずいぶん違うらしい。お岩さんが嫁いだ田宮家は貧しい家だったのだけれど、お岩さんが女中奉公などして家が次第に豊かになり、その家内神のお稲荷さんが近所の評判でよその女の人達が参詣に来た、と。ここらへんからお岩さんの霊力が噂されるようになったのではないか、と思う。



 これがお岩さんのお墓。手を合わせて、あなたのこと書きますけれど大目に見てくださいと、お願い。
 でもね、ここがお岩さんのすごいところだと思う。だって、菅原道真や崇徳上皇について書こうと思っても行かないでしょ、墓参りに。でも、いまだにお岩さんの芝居をやるときに墓参りしなかったから、誰それが怪我したとか、死んだとか、そういう話があるじゃないですか。その力量。
 お岩さんって、他の怨霊とはね、もう全然違うんですよ。天神様として祀られている菅原道真だって、数人祟り殺したと、病気とか雷とかで。でもね、お岩さんってもうそういうレベルじゃないんです。南北の描いた「東海道四谷怪談」でお岩さんが殺した数は18人、しかも手ぬぐいを使って絞め殺したりもしてるんですよ。祟りってえより、普通に殺人でしょ、それ。お岩さんがその手で人を殺した段階で、彼女は幽霊レベルを脱してお化けになったんです。
 先月原稿書いたものなので、深くは書けないんですが、「東海道四谷怪談」って、ものすごく面白いです。芝居を観る機会があればぜひ、いつか忠臣蔵を通しで見た後、四谷怪談を見たら、その裏返しの芝居と裏返しの主題について鶴屋南北について感心するかもしれません。
 でも、そういうこと一切なしに見ても、この芝居面白いんです。昔これを見て、わおわお喜んでいて、こないだ戯曲を読んでまた感心しました。南北、日本文学の巨匠の一人なんじゃないか、と。
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「ジェネラルルージュの凱旋」

2010年07月12日 20時44分38秒 | 映画
 さ、駅前TSUTAYAさん2010年上半期ベスト2は、「ジェネラルルージュの凱旋」。

DVD説明:累計700万部(2009年5月時点)を超えるシリーズ最高傑作、待望のDVD化!
救命救急医療の深い闇。“ジェネラル・ルージュ”の背後に隠された驚きの事実とは…?
 現役医師・海堂尊原作による映画『チーム・バチスタの栄光』の大ヒットから一年。田口・白鳥シリーズの中でも最高傑作との呼び声が高い『ジェネラル・ルージュの凱旋』が待望のDVD化。

 豪華キャストという点では「アマルフィ」と同じなんだろうけれど、そのキャストの使い方がぜんぜん違います。妙に格好つけて結局お笑いに走っていった「アマルフィ」に対して、「ジェネラルルージュ」はちゃんとしてます。正名僕蔵、阿部寛、堺雅人、三人のいやあな感じの演技も安定しているし、とくに堺雅人の目がいい。たまに狂気を帯びる感じもすごい。いつか、もっと汚い役をしている堺雅人を見てみたい気がします。
 で、それ以上にびっくりしたのが高嶋政伸。高嶋政伸がこういう目をするとは意外。実は今までぼくの中で非常に評価の低い俳優さんだったのだけれど、この目はすごい。CGで細工してるんじゃないか、というくらい。「ディア・ドクター」の鶴瓶といい、新たに驚嘆できる役者さんを見るのはすごく楽しい映画体験になります。
 それから師長役の羽田美智子さん、彼女もいい。今までほとんど印象のなかった女優さんなのだけれど、この映画ではかなり印象的な役どころだった。それをうまくこなしているように思われました。
 舞台は大学病院。倫理委員会に救急救命治療センターのセンター長が業者と癒着しているという密告書からストーリーは始まるんですが、その決して派手ではない展開も別に飽きるものではなく、見ていく興味を損なうことはないのですが、ただ、残念なのが異常なほどのテンポの悪さ。そして、そのテンポを一人悪くしているのが、主役の竹内結子さん。
 竹内結子さんの役どころは、かなり頭が悪そうで、これは脚本がことさら竹内結子をかわいく描写しようと思ったからなのだろうけれど、バカっぽい&天然=かわいい、という紋切り型の発想がとても貧困のような気がします。
 そして、一見頭悪そうで天然っぽいキャラが事件を解決する、そのギャップに萌えるみたいなのを表現したいらしいのだけれど、これがとことん図式的で、そもそもそういう頭の悪そうな人とこのストーリーとがなじまないんです。というか、竹内結子がいなくなるとストーリーが絞られ、映画の運びもスムーズになる。いや、ほんと竹内結子がだめなの、姿が現われると思わず舌打ちしてしまう。で、「ああ、ええと、あのー」と自信なく喋り始め、映画のテンポをとことん破壊します。で、その一見頭悪そうで天然っぽい竹内結子さんは、実は事件を解決しません。だから、本当に無駄なのです。この映画は2時間を超えるんですが、90分くらいにまとめていればもっとよかったのではないか、と思われてしまいます。竹内結子さんには、ストーリーとは別に、横で踊っててもらうとか、出張でアイスランドに行ってる設定にするとか、それがお互いのためになるのではないでしょうか。
 あと、たとえば、オーバードーズの子と竹内結子とがテンポ悪く会話するシーンの前に、効率よく治療し、一杯薬を出して患者を一生薬漬けにして病院に利益をもたらす医師についてのシーンを挿入することによって、そのテンポの悪さを患者のための丁寧さのことなのだ、と訴えようとしているみたいなのだけれど、治療の丁寧さと竹内結子のテンポの悪さとは実は関係がありません。突っ込みどころです。
 ぼくは彼女が決して嫌いではないし、「サイドカーに犬」での彼女は大好きなんだけれど、この映画では完全に足を引っ張る存在。良薬も使い方を間違えば残念な結果に終わる。胃薬を患部の殺菌に使って薬のせいにする人はいないように、竹内結子の使い方の悪さを竹内結子のせいにはしません。
 いっそのことニコール・キッドマンのアイドル映画「インタープリター」みたいに、徹底的に竹内結子アイドル映画として企画すると面白いのかもしれません。
 あと、ガラスのような目玉をした高嶋政伸&胡散臭い尾美としのりと堺雅人とが対立すれば、いいもん、悪もんがはっきり分かれそうな感じがしちゃうのですが、ほんとそのまんまなので、これはいかがなものか、と。
 で、ま、最後は大災害になって、なかったはずのドクターヘリが阿部寛の手配によって続々と飛来する。そのシーンは「地獄の黙示録」を彷彿とさせるのですが、実際、病院のロビーは野戦病院の様相を呈していて、そのあたりは大変楽しめる(人が苦しんでるシーンで、そういう表現もどうかと思うが)、あ、いや、上手だと思う。
 だから、この映画、前回の「アマルフィ」とはかなり違っていて、ちゃんと普通に話すべき内容はあるんです。ただ、竹内結子さんと記号的ないいもん、悪もんが残念かなあ、と。でも、人に暇だからDVD借りてみようと思うんだけどどうだった? と聞かれれば、「あ、いいんじゃん、結構面白いよ」と勧めるんじゃないかと思います。
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「アマルフィ 女神の報酬」

2010年07月09日 20時55分35秒 | 映画
 さ、始まりました、第1回新大塚ファンタスティック映画祭。駅前TSUTAYAさんで発表された2010年上半期邦画ベスト3。この3枚のDVDを借りて近所の友人と鑑賞するという、かなりこぢんまりとした二人映画祭。
 基本ルールは決してけなさないこと。映画のいい部分を見つめつづけること。それを我が身に課して映画を3つ見たいと思います。

 では、駅前TSUTAYAさん2010年上半期第3位に輝いたのは、「アマルフィ 女神の報酬」。
 DVDの説明:織田裕二、天海祐希、戸田恵梨香、大塚寧々、伊藤淳史、佐野史郎、そして佐藤浩市。声だけの出演で中井貴一。さらには特別出演に福山雅治という、かつてないほど贅沢で華やかなキャストがスクリーンを賑わせた。主題歌には“世界の歌姫”サラ・ブライトマン。壮大な世界観を後押しするだけではなく、日本映画初出演も果たしている。
 全編イタリアロケによる美しい映像と音楽。邦画のスケールをはるかに超えるサスペンス超大作が誕生!

 期待十分ですね。
 一言で言うと、この映画は、織田裕二と行こうイタリア観光旅行。織田裕二というのは、演技力のある人ではないので、基本的には大げさな顔で勝負です。映画俳優に演技を求めない、という斬新な演出によって、織田裕二は基本常にすごい顔です。すごい顔の織田裕二、すごい顔し続ける織田裕二。それに対抗するお魚のような表情と顔の天海祐希。顔と顔のぶつかり合い。血出ないかと心配になります。観客をストーリーとは関係のない部分でハラハラさせてくれる、まさにサスペンス映画の鑑ですね。そうしたすごい顔の織田裕二とめぐるイタリア旅行、ワクワクするじゃありませんか。
 さて、冒頭、通りに浮かぶフジテレビ開局50周年の文字の上を車が通りかき消していきます。開局記念を、ま、いわば土足で踏みにじるぞという決意あふれる象徴的シーンですね。で、サラ・ブライトマンの「Time to say goodbye」が鳴り響くんですけれど、この、なんというか遅れてしまってる緩めのダサさ感がいいですね。テレビドラマをつけたら、セリーヌ・ディオンの歌う「My heart will go on」がかかってた的な。今更使う感性が素晴らしいです。常人には恥ずかしくて思いつきません。さすが、映画を作るにはこの常人にない感性が必要なのですよ、きっと。
 で、この「Time to say goodbye」。使用料のもとをとろうとしたのでしょう。登場人物がTVを付けるたびに何度も出てきます。アマルフィという場所での信じられないだれたテンポでの天海さんの泣き演技のときにもピアノヴァージョンでこの曲が流れたときに、ああ、そうか、この映画はショーペンハウエルの「永劫回帰」も取り入れようとしているのだ、と。何度目だよ、バカの一つ覚えじゃあるまいし、などと思う観客はあさはかなのだ、と。
 だもんで、この映画、クライム&サスペンス映画だと思って見ようとした方、はっきり言って失望します。この映画は不条理前衛映画なのです。文芸大作なのです、きっと。
 だからクライム&サスペンス映画につきものの、アクションシーンはありません。で、アクションがない代わりに緊迫感を演出するため、駅をただ二人で走らせるシーンでカメラをおもいっきり揺らします。フジテレビ開局50周年記念の大作のはずなのに、そのチープな演出がたまりません。たぶん予算の多くが飲み食いに費やされたのでしょう。やべっ、アクションシーンに使う金もうねえよ、まあ、カメラ振っとっきゃなんとかなるか、という志の低い工夫、こうした工夫が随所に見られます。あと、誘拐犯が日本人に対して親切なのでしょう、いろんな観光名所を指定しちゃ、天海・織田コンビを走らせるので、お前ら、なかなかローマ来られないだろうから俺達が見せてやるよ、そんな親切なテロリストさんたちのおかげでストーリーと関係のない旅番組のようなそんな楽しみ方も提供してくれます、アマルフィだってストーリーとびた一文関係ないし、必然性もないけど、テロリストさんたちのご厚情で見られたわけだし。
 で、このテロリストさんたちが、親切な上にまたものすごい人たちで、天海さんの娘を美術館のトイレで待ち伏せして誘拐するんです。なぜ娘が美術館でトイレに行きたくなるのか、しかも美術館にはいくつもあるであろう中、そこのトイレに入ることを事前に知っていたのか、超能力者みたいなんです。おまけに自分が映っている部分だけ監視カメラの画像を入れ替えたりできるんです。もちろん、この映画は前衛不条理映画なので、そこら辺は一切説明してくれません。大いなる疑問を観客に投げつけるわけです。
 顔のお二人のみならず、役者さんたちも素晴らしいです。
 たとえば、戸田恵梨香さんは反映画的薄っぺらテレビドラマ演技をかまして見る者の目を覚まさせて下さいます。ドジっ子ぶりをさんざん展開後、「無駄遣いは外交官の特権か」という織田裕二のつぶやきに「えっ?」。いや、それ普通に聞こえてるから。あんた耳悪すぎでしょ的お約束演技。観客に対して、あれですね、「井上喜久子17歳です!」「おいおい!」的な、お約束の共有的な、いわば、戸田恵梨香さんは身を張って映画と観客との融和をはかってらっしゃるんですね。これ以降も戸田恵梨香さんは全身全霊込めて薄っぺらな演技に終始します。すごいです。女優生命かけてまでぼくたちのためにって感じです。
 で、テロリストさんたちは、わざわざ女の子を誘拐して、それを脅迫材料に、天海さんに警備会社のセキュリティを解除させようとするんですよ。自分が映っている間だけ警備会社の監視カメラに偽造の映像をすり替えさせられる技術を持ったテロリスト集団がですよ。自分でやった方が早えだろう、という普通の人間のツッコミは通用しません。前衛映画だから。しかもその誘拐方法がアレですから、どんだけ迂遠な、どんだけ急がば回れのテロリスト集団でありましょうか。
 で、セキュリティ解除のおかげで監視カメラに映らずテロリストは行動できるわけです。って、解除しなくてもできてたじゃん。すげえ、もう、ほんとすげえ、この映画。ぼくをどこまで連れていってくれるのだろう? 今まで結構映画見てきましたが、ここらへんはもう未知の領域、やばい、俺酸素足りるんだろうか、ですよ。
 で、いい加減このあたりから映画そのものがどうでもよくなり(それは言わない約束でしょ)、銃を振り回してイタリアの警官を人質にとった織田裕二をなぜ逮捕しないんだとかほんとどうでもいい話にする説得力。もう、他にもいっぱいあるツッコミどころをすべてなかったことに。それにしても、全然必要性ないとこで、なんで英語なのぉ? 映画が崇高すぎて、もう理解の範疇を超えています。
 で、気づいたんです、最後まで見て、この映画の崇高なテーマに。それは、美術館の中で携帯電話使っちゃいけないよってこと。それが言いたいがための豪華キャスト、オールイタリアンロケ。なあんだ、一言そう言ってくれればわかるのに、それをわざわざこの規模で教えてくれるなんてほんと親切な映画でありました。
 あ、タイトルと内容がぜんぜん関係ないなんてところは、全体が不条理前衛映画なので、観終わってからは気にならなくなりました。
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島田橋

2010年07月08日 19時57分23秒 | 観光
 ちょっとぶらぶら冠水橋までサイクリング。
 いつものように荒川を北上、鳥羽井沼で荒川を降りて、少し一般道。
 その途中、よく見かけるすてきな床屋さんを撮影。いいなあ、この風情。


 一般道から今度はこども動物自然公園自転車道、国道407号にぶつかったら自転車道を降りて国道を南下。ちょっと走ると島田橋。


 今の一般的な橋は、土手~河川敷~川~河川敷~土手を結ぶ大規模なものだけれど、冠水橋は川をまたぐだけの簡素なもの。洪水のときには水をかぶることが前提で作られているので欄干などはなし。下手に欄干があると流木などがぶつかり橋が壊れたり、障害物が引っかかって洪水になってしまうため。
 NHKの大河ドラマをはじめ、時代劇のロケによく使われる。




 橋脚に流木などがぶつからないように、このように上流側には斜めに流木よけが付けられている。要は、この上を通ってください、と。もう、最初から負けを覚悟してるから、穏便に済ませてください的工夫。最近思うんだけれど、すべてを万全にするようコストをかけるより、多少の負けを覚悟してその中で工夫する方がいいんじゃないか、と、人生全般。



 ま、そんなこんなで沈下橋に、すてきな風情と人生訓を与えられた一日でありました。
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夏ですので、稲川淳二風に。

2010年07月07日 19時09分25秒 | 観光
 今年初めて、プールへ行ったんですよ。で、着替えてたらね、なんかね、妙なんです。おかしな、おかしいなって思いながらも、ああ、たぶん、プールが久しぶりだからだろうと。で、更衣室から出て水に入ったんです。温水プールなんで温度はちょうどいいんですけど、あれ、おかしいな、って、なんか奇妙な感じなんです。なんだろ、なんだろと思ったんですけど、身体がまだ水になじんでいないからかなとも思ったんです。いや、それにしても、水着が後ろに引っ張られる感じがして、いやだな、変だな。船幽霊が水着を引っ張ってんのかなんて一瞬思ったんですが、区民プールで沈没事故って聞かないし、で、しばらく泳いで、あたし気づいちゃったんです。
 水着でかいやって。


 オチはそれかよって、こんな感じでお怒りのみなさん。すみません。今日は9時に眠る予定なので、この時間で酔っております。

 で、今日、またプール行ったんですよ。あ、ここからは稲川淳二捨て去って結構です。もちろん行く前に新しい水着を買って。男ってばかね、と思われるかもしれませんが、Sサイズの水着を持ってくって、なんか屈辱なんですよ。レジの女性が案の定少し不安げな顔で「水着は返品・交換ができませんが、よろしいですか?」と尋ねてくるんです。もちろん、「ああ、そうかXLぐらいじゃないと収まるもんも収まらないかあ、わっはっは」などと軽口叩けるわけでもなく、「はい、いま試着したので大丈夫です」と消え入りそうな声で告げ、そそくさとレジをあとにしたのでありました。俺の小心者めが。
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