毎日が観光

カメラを持って街を歩けば、自分の街だって観光旅行。毎日が観光です。

古代蓮の里

2010年06月28日 21時01分56秒 | 観光
 デンマーク戦の朝。歓喜に包まれた午前5時半。もちろん仕事はお休み。せっかく早く起きたのだから、行田まで蓮を見に行こうか、と。なぜなら蓮の見頃は午前中。午後には花が閉じてしまう、築地市場のように慌ただしい一発勝負を強いられる緊張感みなぎる場所。それが行田の古代蓮の里。ゼリーフライという不思議な食べ物の里。
 いつものように荒川を北上。今日は左岸ベタ。途中、キャンプ場であじさいを鑑賞。


 自転車だとコンパクトデジカメになってしまう上、ファインダーがないタイプなので、どんな写真撮れているのか帰るまでわからないという、危険なゲームを強いられる。
 糠田橋で一般道、北鴻巣駅を過ぎてさきたま緑道を行く。途中、石田堤を見物。


 石田堤に咲いていたガクアジサイ。

 石田堤とはなんぞや。ここで簡単に石田堤をご紹介。
 ときは1590年というから、結構昔の話。豊臣秀吉に従わない北条氏を攻めようと、北条方のここ北埼玉忍城に石田三成やら大谷吉継などが押し寄せます。そして石田三成はここに堤を築いて荒川、利根川の水を引き入れ忍城を水攻めにしようとするものの、失敗。忍城は持ちこたえたのでありました(でも本家本元の北条氏が降伏しちゃったので、開城)。江戸時代には忍藩として独立し、明治初期には忍県が短期間だけれど置かれていました。行田では今でも夏に浮城祭り、秋に忍城時代祭が行われていて、結構地元の人の誇りを感じます。
 にしても、まだ北条攻めをやってる時から10年後には関ヶ原の戦いなわけで、豊臣の天下統一ってものすごく短い間だったんだな、と実感する。

 もう今ではほとんど残っていないんだけれど、ここにちょこっとその遺構が。

 寄り道から戻り、再びさきたま緑道でさきたま古墳公園へ。そこから一般道をちょこっと走ると古代蓮の里。




 なにしろ午後には花がとじてしまうので、何もかもが前へ前へ、と。売店など午前7時開店。












 70km以上自転車で走ってきたので、うどんで補給。相変わらず、地粉を使った北埼玉の手打ちうどんはうまい。こういう公園に併設された売店のうどんがうまいってなかなかないような気がする。



 もちろん70kmじゃ走りたらないので、利根川へはしごして、北上。


 レンガ造りの建物が特徴的な前橋刑務所。ま、埼玉に蓮を見に行って、前橋まで走る必要はもちろんないのだけれど。
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利根川への快適ロード

2010年06月18日 20時09分03秒 | 観光
 「自転車生活における現在の課題は、いかに快適に利根川に到るか、この一点に尽きる」そんな風に脳内演説かまして、脳細胞たちに課題解決を迫るものの、やつらと来た日にゃ、脳内で解決出来る問題ではありませぬ、現地へ行かない限りだめであります、と自らの無能を棚にあげて「できません」から入る議論を仕掛けてくる。
 「けっ、最高機関のように言いやがって、できることは言い訳だけかよ」脊髄が吐き捨てるように言う。鼻はいつものようにだんまりを決め込み、右膝は結局そのとばっちりでまたこき使われるのかとうんざり顔で味噌汁をすする。

 そんな感じのよしなし事が脳内をぐるぐる回り、ぼくは自転車をこぐ。自転車をこぐことは、健康にいい。頭の中がからっぽになるからだ。こぎながら、目に入った看板を口にするようになる。こうなると、いよいよモノを考えてない。目からの情報が脳を経由しない感覚。いちいち、「お、田沼建設、わお」などと口走ってみる。田沼建設のどこがどんな風に「わお」なのか。脳の与り知るところではない。ぼくは延々100km以上の道程バカであり続ける。持続的に頭からっぽ。これはなかなか得難い経験だ。自転車を降りる頃には脳はすっきりリフレッシュ、パリっと皺一つない。
 さ、そんなわけで利根川への快適道捜し。江戸川サイクリングロードを使うと東に着きすぎる上、江戸川までがつまらない。荒川~芝川~見沼代用水ルートは芝川と見沼代用水の下流部がとにかく走りにくい。荒川ベタだと熊谷から妻沼にいたる一般道がつまんない。
 そんなわけで思いついたのが、荒川からさきたま緑道を使うルート。


 ポピーの咲き乱れていた御成橋を過ぎてしばらく進むと右側に土手が見えます。この土手の上がきれいなサイクリングロードになっているので、そちらに進みます。



 御成橋の一つ上流の橋、糠田橋。ここでサイクリングロードを右側に降り、一般道へ。道なりに東に進むと高崎線の踏切に。あとはその線路とつかず離れず、北に向かいます。



 で、北鴻巣駅。駅からアゼリア通りが伸びているので、その通りへ。



 少し進むとこのようなカワイイ道案内くん。一本道なのに、ところどころ置かれていて、自分の進路が間違っていないことを声高に教えてくれます。



 さきたま緑道入口。



 左側が自転車用、右側が歩行者用、と分かれているのが嬉しいけれど、歩行者はほとんどシカト。両方歩いてます。
 この道にはさまざまなオブジェが置かれていて、それを眺めながら走るのも楽しい。



 しかし、このなんだか切迫したコアラはどうだろう? 怖いよ。子ども泣くぞ、これ。いったいヤツは何を目の当たりにしてしまったのか? 妻の浮気? それとも何か口にするのもおぞましいような出来事? 友達に消しゴム貸したら角使われちゃったとか?



 しかし、このさきたま緑道、いいとこばかりじゃない。ところどころ、スピードを抑制させるためか、このような仕打ちを仕掛けてくる。これ、痛いのよ、ほんと。とくに手と尻。ママチャリみたいにサドルの下にバネがあって、空気圧が低くてクッションになるのはいいけど、ロードバイクだと、全部直接跳ね返ってくる。



 このさきたま緑道沿いにあるのが、「さきたま古墳公園」。この古墳公園は素晴らしい。もうね、なんというか古墳の群れ。牧場の羊みたいに群れてる。前後左右を古墳に取り囲まれて、なんだか古墳に軽く恐喝されているような気さえする。しない。ごめん。



 ゆっくり公園と博物館を楽しみたいところだけれど、今日の目的は、間違いだらけの利根川選び(違う)。なので公園&博物館はまた後日のこととして、この丸墓山古墳と

この二子山古墳との間の道を東に進みます。この道が田圃の真ん中の快適ロード。車なんか来やしません。気分的には夏休みにお爺ちゃんちに行ったら、たまたま同じように遊びに来てた年上のきれいな従姉と手をつないで買い物に行くイメージの道(わかんねえよ)。



 すると古代蓮の里の展望タワーが見えてくるので、それを目印に進みます。花の時期ももうじき。北埼玉の地粉を使ったうどんがうまいので、蓮の時期には古墳公園ともどもまた訪れる予定。ただね、蓮の見頃って、朝の7時から9時だって。ここまで70km以上あるから9時前に着くには6時出発。となると起きるのは5時台。



 古代蓮の里からさらに東に進むと見沼代用水のヘルシーロードへ。ここから利根川までは8km弱。


 
 利根大堰到着。ここまで82km。うーん、結局見沼代用水を使ってしまって、その分ロスが大きいような気がする。古代蓮の里まではかなり快適に走れるんだけれど、これから西に行こうと言うのに、あれよあれよと東に向かうのはいかがなものか。さきたま古墳公園から先、今後の課題です。

 ところで、何のトラブルもなく利根川に着いたかのような文面ですが、その直前でパンクしてしまいました。今回、長いです。では、以下、パンク修理編をどうぞ。



 道具一同ご挨拶。左から交換用のチューブ、軍手、タイヤレバー。サドルバックの中に常駐してます。



 タイヤとリムの間にレバーを差し込んでタイヤを外していきます。



 タイヤの片側を外し、中のチューブを空気入れのところから抜きます。



 前の手順と反対に、空気入れのところから新しいチューブをはめていきます。



 次にタイヤをはめていきます。これはレバーを使いません。レバー使うと、チューブに傷をつけてしまう可能性があるので。もぎゅもぎゅ、タイヤを入れていくのは簡単なんですが、最後の部分(写真の状態)だけ少し力がいる場合があります。



 タイヤをはめたら、携帯用ポンプで空気を入れます。実はここが一番汗かきポイント。ロードバイクの場合、タイヤの空気圧はママチャリの2~3倍。それをゼロからこの小さな携帯用ポンプで充填してかなきゃなんない。大変。

 結局この日は新前橋駅まで走りそこから輪行。走行距離は140kmしかないのに、翌日にダルさが残る。あれ、おかしいな、去年は200kmオーバー走っても翌日に疲れなんて残ってなかったのに、と不思議だったのだけれど、自分の身体を見て納得。日焼け疲れ、だ。顔は日焼け止めを途中2度塗り直したけど、身体は模様のようだもの。
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街の校正シリーズ2

2010年06月17日 23時16分01秒 | 観光


 そんな言葉、および事故は存在しない。
 音に引っ張られたんだろうなあ、「免責事項」の。
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踏切

2010年06月16日 21時50分26秒 | らくがき

 踏切に少し昔の夏を見る   石田千

 夏が近づくと、あの曲を聴きながら海辺の道をドライブしたいな、とか、草いきれと崖が素敵な外房線に乗って九十九里に行きたいな、とか思う。
 古代ギリシアに心酔して、「ビリティスの歌」なる偽著まで書いたピエール・ルイスは古代人になくて近代人にある快楽は、喫煙と読書だと言った。タバコをすわないぼくは、それを乗り物による移動と読書だと言い換えたい気がする(その二つを同時に満たすために、意味もなく大回り乗車などをする始末)。
 
 ぼくの心の中には架空の踏切がある。
 ぼくたちは海に続く道で電車が通過するのを待っている。踏切の向こうにまだ海は見えない。でも、その先を左に曲がればそこには海がある。
 蝉の声と太陽がぼくたちを包む中、ごわんごわんと音を立てて電車が通る。
 最後の車両が通り過ぎるときが、一番好きだとぼくは言う。
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ビール賛

2010年06月11日 20時36分58秒 | らくがき


 渋谷川沿いに熱帯植物園ができた。ワクワクして出掛け、楽しみ、外に出ると、そこは渋谷と恵比寿の中間ぐらい。ちょっと恵比寿に寄っていこうとブラブラ歩く。
 すると途中、一軒の店の前で素晴らしいふくらはぎをした女の子を見かけた。蠱惑的な曲線とすらっとした直線、両方を持ち合わせた素敵なふくらはぎ。その美しいシルエットには筋肉の持つ緊張感が漂い、あ、もしかしたら、この子は自転車乗りなのかもしれない、と思った。
 ふと足元を見ると、そこにはベネズエラのエンジェルフォールを小ぶりにした感じのハイヒール。なんだ、このヒールのせいか、と思ったものの、そのヒールの絶壁感は圧倒的で、あまりにもそのヒールが急なのでつま先はもう地面に届くことを諦め、地上2~3cmあたりを浮上していた。
 すごい、天使のようだ。
 その奇跡を目の当たりにしてぼくは彼女に話しかけたくてたまらなくなった。しかし彼女は20歳そこそこ。「なに、このおっさん」「キモッ」などと、どこぞのハイパーメディアクリエイターに対する罵声を浴びないとも限らない。
 「いや、違うんだ。けっしてきみがどうこうってことじゃなくて、ぼくの興味があるのは、きみのハイヒールなんだ」
 好転しねえ、驚くほど状況好転しねえ。いや、むしろその言い訳によって、ぼくはキモいおじさんから、ヘンタイのおじさんへと華麗なる変身を遂げてしまいそうだ。
 そして彼女は眼球の重さと同じくらいの脳を持ち、道を歩けば横になって歩道を塞ぎ、笑い声がでかければでかいほど人として正しいと勘違いした男を数人呼び、「この変態、あたしのヒールをなめようとしてるの」とあることないこと言われ、「ち、違う」みたいなことを叫ぶぼくを縛り上げ、「変態」と彫られた焼印をじう、と。イルナミティみたいに、じう、と。肉の焼ける音と匂いがあたりに漂う中、ぼくは気を失う。
 もちろん、そういうことはぼくの趣味ではないので、彼女に話しかけることもなく、恵比寿に向かう。じゃ、なんだ、ぼくは女の子の足をチラ見した、ただのおっさんか。
 そんな自己嫌悪を癒すために、ぼくは今日もビールを飲む。1杯のビールには、上記のようなものがすべて含まれ、だからビールは苦くて美味しいのだ。
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ポピー その弐

2010年06月09日 19時43分22秒 | 観光
 ホンダエアポートで飛行船に別れを告げ、さらに北上。
 御成橋近くのポピー畑に到着。日本一の面積らしい。





 間に麦を配置してあるので、そのコントラストも面白い。



 で、一応目的は達したのだけれど、まだ走り足らない。実は荒川左岸はここまでしか来たことがないので、この先がどうつながっているのかわからない。となれば、探検できるじゃん、と左岸をそのまま進む。とりあえずサイクリングロードではなくなるのだけれど、ほとんど車の通らない河川敷の道。そう言えば、右岸のサイクリングロードは「荒川サイクリングロード」と名がついているのだけれど、右岸は「県央ふれあいんぐロード」。うわあ、そのセンス、まいっちんぐ。



 ポピーは道沿いにも続いていて、自転車で走るのに、本当に気持ちがいい。



 結局細々ながら大芦橋まで左岸は続いていて、左岸ベタでも熊谷まで行けることを発見。
 さ、問題はこのあと。大芦橋を渡って森林公園、で、東武線で池袋まで帰るのが普通(熊谷からJRで池袋は湘南新宿ラインの本数も限られているし、運賃も割高)。でもなあ、と。でも、ここまで65km。まだ走り足らない。出発が時間は遅かったので、すでに午後2時半。行田と熊谷の間で佇む休日の午後、がアンニュイ一切なし。
 熊谷から利根川までの道がイマイチ面白くないので、面白い道を捜しに行かなくちゃ、と我ながら無茶な理由付けをして、ここから細い道を選び選び、田んぼの中をあちこちさまよい、とにかく北に行けば利根川だ、と。



 利根川。川のハシゴ。利根川沿いの駅というと、本庄が一番近いので、結局本庄から輪行。



 本庄市役所。ちょうどこの日はキャンドル祭の日にあたるらしく、市役所や駅への道などにキャンドルが設置されていた。日没後はきれいなのかもしれないけれど、まあ、それまで延々待ってるのもつまんないので帰る。
 やっぱり出だしが半端だとその結果も半端になってしまう、という人生の教訓を与えられた休日でありました。
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ポピー その壱

2010年06月08日 19時32分44秒 | 観光
 晴れた日曜午前11時。本を読んで過ごすか、サドルにまたがるか、微妙な時間。どこにも行かずに過ごすには、青空は美しいけど、出かけるには遅すぎる。ブリダンのロバさながら延々と迷った挙句、そろそろ御成橋のポピーもおしまいだから、と書を捨てて町へ出る。


 上江橋を渡らず、そのまま左岸を北上、坂を登って土手に出ると初夏の風景が急に開ける。土手で草をはむ牛。豊かな田畑から立ち上がる広い空。ウォークマンで「ぼくらが旅に出る理由」を聴く。時速28kmで過ぎてゆく景色、流れる音楽、髪を撫でる風、完璧じゃないか。

 世代でものを語るのは間違うことが多いのだけれど、あえてぼくが下の世代(今30代)に対して抱く無知によるコンプレックスは、オザケン(小沢健二)とガンダムだ。この2つはある時代を語る上で必須な存在だと思うのだけれど、この2つがぼくには分からない。
 オザケンが最近ライヴを行ったせいか、また多くの人が自分の人生におけるオザケン体験を語っている。わからないのが悔しい。

「むかし、いいともにオザケンが出たとき、タモリがこう言ったの。『俺、長年歌番組やってるけど、いいと思う歌詞は小沢くんだけなんだよね。あれ凄いよね、“左へカーブを曲がると、光る海が見えてくる。僕は思う、この瞬間は続くと、いつまでも”って。俺、人生をあそこまで肯定できないもん』って。あのタモリが言ったんだよ。四半世紀、お昼の生放送の司会を務めて気が狂わない人間が! まともな人ならとっくにノイローゼになっているよ。タモリが狂わないのは、自分にも他人にも何ひとつ期待をしていないから。そんな絶望大王に、『自分にはあそこまで人生を肯定できない』って言わしめたアーティストが他にいる? マイルスに憧れてトランペッターを目指すも、先輩から『お前のラッパは笑っている』と言われて断念して、オフコースが大嫌いで、サザンやミスチルや、時には海外の大物アーティストが目の前で歌い終えても、お仕事お仕事って顔をしているあの男が、そこまで絶賛したアーティストが他にいて? いるもんなら教えてちょうだい」(樋口毅宏「さらば雑司ヶ谷」)

 悔しいのだ、オザケンを受容できない自分が。
 そんなぼくに訪れた転機が安藤裕子がカバーして歌ったこの曲だ。
 「ぼくらが旅に出る理由」、一見爽やかな曲だけれど、この曲には巧妙に悲しさが隠されている。本人の歌は未だ苦手だけれど、安藤裕子が歌うこの曲は大好き。いつか、ここをとっかかりにオザケンの歌を受容できたらいいな、と思う。オザケンカバー集みたいなのが出ると嬉しい。


 収穫を待つ小麦。
 小麦畑の向こうに見える白い物体はツェッペリンNT号。倒産してしまった日本飛行船所有。それをふまえて見ると、なんだかツェッペリンも少し不安げな風情に見える。わたし、どこに売られるのかしら、と(sheで受けるんだよね、飛行機とか飛行船の主語って)。
 それにしても日差しがすっかり真夏。去年の秋に戻した夏モードウォークマンを復活させないと。
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小石川後楽園

2010年06月01日 18時28分56秒 | らくがき


 水戸黄門から由美かおるが降りて新シリーズが始まるらしい。
 なぜ?
 ぼくはとても不思議だ。
 毎週、毎週悪代官やら悪家老などを退治し続けて41年。いい加減気づけよ。モグラ叩きのように、出てきた悪を叩き続けてるけどさ、どうせ来週も悪いヤツ出てくるんじゃね? 経験則からすればさ。むしろ、これって、制度上、あるいは構造的な問題なんじゃね? なんか毎週、面白おかしく旅して回ってるけどさ、何一つ世直しに寄与してないんじゃね?
 なぜご一行様誰一人気づかない?
 41年やって誰も気づかないのは、おかしいだろ。あまつさえ、来年もまたぞろ愉快な仲間たちが日本中を旅する、と。いや、黄門。きみに必要なのは、日本中を旅することではない。むしろ江戸にこもって、抜本的な改革に着手すべきだ。
 今回で降板する由美かおるあたりがこそっと黄門くんの耳元で「その旅、無駄よ」などと囁いてくれないか。
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