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毎日が観光

カメラを持って街を歩けば、自分の街だって観光旅行。毎日が観光です。

そうだ、群馬に行こう

2007年06月29日 14時55分21秒 | 観光

 サイクリングロードをつないで行くと、東京から群馬まで行けることを最近知りました。
 一般道を行くよりたぶんかなり遠回りかもしれませんが、ちょっと興味津々。早速群馬へ!
 まずは江北橋からいつもの荒川サイクリングロードin。ちょこっと北へ走って次の鹿浜橋へ。写真のように芝川が荒川に注いでいる水門があります。この水門で荒川を離れ、都市農業公園を横目で眺めながら、芝川サイクリングロードへ。
 ところがこの芝川サイクリングロードがなかなかのくせもの。
 荒川と違って町中を通るので、300メートルほど走るとすぐに一般道と交差してしまう。そのたび、一時停止、サイクリングロードを降りて信号を渡ったり、アンダーパスやオーヴァーパス(そういう言葉があるんだろうか)へ逃れたり。道幅も荒川の三分の一あるかないか。時速20kmで走ると散歩している人やほかの自転車(ロードバイクは見かけなかった)から悪者扱いされてしまうんじゃないか、と。
 芝川サイクリングロード、早く終わらないかな、と思いつつ、延々走って行きます。
 江戸時代享保の改革で新田開発が奨励されると埼玉の見沼溜井のあたりも新田として開発されることになりました。溜井を埋めちゃうんだから、そうすると水が足りない。そこで利根川から水路を切り開いて芝川に接続させる、現在の見沼代用水が生まれました。


 この水神社あたりで芝川サイクリングロードは見沼ヘルシーロードと名前を変えます。うーん。ヘルシーロード。ここはやはり見沼健康道と称して、求道的精神を見せて欲しいものです。祭神は罔象女神とある。案内板には「もうしょうめがみ」とルビがふってあるが、「みづはのめのかみ」(あるいは「みつはのめのかみ」)の方が身近じゃあないですか? 少なくともぼくはデフォルトでそう読む。
 水を司る神なのでこうした用水では信仰されたことでしょう。
 でも、この神の背景にはもっと大きなストーリーが隠されているように思われるのですが、それはまた後日。
 で、この神とともに水と言えば「弁才天」。


 2つほど、周囲の風景とは別世界の真っ赤の祠を見つけました。もちろん祭神は弁才天。
 確かにヘルシーロードと名前は変わったものの状況は一向に改善されません。
 あいかわらずノロノロと自転車は進んでいきます。


 そればかりか、途中舗装されていない道もところどころ。
 MTBならお手の物でしょうが、ロードバイクだと辛い。
 メーターをみると平均時速、なんと16.8km。マラソン選手の方が速い。
 途中代用水に流れる星川に迷い、そちらに寄り道したりしながらも、なんとか利根川に到着。


 雄大だなあ、さすが板東太郎。長さ日本2位、流域面積は堂々の日本一。
 この利根川大堰の向こう側が群馬県。さ、これを渡らないと群馬には行けません。
 ところが、ご存じの方もいらっしゃるでしょうが、ぼくは高いところがものすごく苦手。 利根川が雄大な分だけ、渡らなければならない橋も長大なのです。
 おまけに自転車が渡れるところはこんなとこです。


 群馬側に渡ったところから埼玉側を写したところ。怖かったんすよ、渡るの。
 これ、たぶん、管理用の歩道なんだと思う。狭い。この狭い歩道のすぐ横を大型トラックがものすごい勢いで走っていきます。通り過ぎるたびに、ぶおんっと風が舞い、ぼくの自転車を襲います。平地ならたいして怖くもないのでしょうが、あいにくここはものすごく高いとこ。なにしろ自転車に乗っていると、川側の手すりはぼくのお腹くらいしかない。ふらついたら、転落必至。


 そんなこんなで群馬着。スピードがでなかったので、ものすごく時間がかかってしまいました。
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さとうきび畑

2007年06月28日 08時36分04秒 | 写真



ざわわ ざわわ ざわわ 風が 通りぬけるだけ
お父さんと 呼んでみたい お父さん どこにいるの
このまま 緑の波に おぼれてしまいそう
夏の ひざしの中で

                 寺島尚彦「さとうきび畑」



 明るい陽ざしを浴びながら古墳(残念ながらさとうきび畑じゃないんだ)を見上げていたら、頭の中をこの曲がかけめぐった。森山良子の歌が有名らしいのだが、ぼくが知ったのは鮫島有美子が歌ったもの。
 遠くへ、しかも自分の足で行くと、いつもと違う感性に包まれる気がする。
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初めてのビンディングペダル

2007年06月27日 14時25分10秒 | らくがき


 自転車に乗るようになって、いくつか乗り越えるハードルがあったように思う。
 その中でも、これは結構高いハードルのような気がする。ビンディングペダルだ。
 靴底の金具(クリートと言う)とペダルの金具をかみ合わせることによって、ペダルに足を固定させる、とんでもなく危ない予感に満ちあふれた道具である。
 停まるときはずれなかったら間違いなく転ぶ。
 信号のように前もってタイミングのわかっているものならまだいい。しかし、たとえば出会い頭に自転車などとかち合った場合、向こうはサドルに座ったまま足がつくからいい。こっちは、とっさにペダルから足をはずさなければならない。で、できずにふらあああっと転ぶ。これを立ちゴケという。

「スポーツ用自転車等ではビンディングシステムにより足をペダルに固定することができるが、この固定を外すにはコツが必要で、慣れないうちは外せずに、そのまま転倒してしまうことがある。オートバイと同じくビギナーでは珍しくない」(Wikipedia「立ちゴケ」項より)

 そんなわけでなかなか食指が動かなかったのだけれど、このハードルを乗り越えないといつまでたっても初心者。ロードバイク用のシューズとクリートだと靴底からクリートが出っ張ってしまうので歩きにくい。滑るので開腹手術後の患者さんみたいな歩き方になってしまうし、床も傷つく、クリートも減る。ぼくのように自転車でどこか行って、それから観光なんて人間には写真のように靴底から出っ張らないMTB用の方がいい。
 ワクワクドキドキのビンディングペダル初体験だったけれど、今んとこ500キロほど走って立ちゴケなし。これ便利。ただもうこれで、遅い言い訳の在庫が切れてしまった。
 今までは引き足が使えないから、あんなに速く走れないんだよ、と言えたのだけれど。引き足は鍛えないとどうにもならない。足で踏むという動作はあるが、足で持ち上げるという動作はまず日常ではやらないので、引き足のための筋肉がまるでない。ハムストリングスをもっと鍛えないと………。
 ということでビンディングペダルはなんとか導入に成功。あとはもう一つ高いハードル、すね毛剃り、か。もうちょっと鍛えて脚にきれいな凹凸ができてからにしようっと。
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川越

2007年06月26日 16時24分48秒 | 観光

 この写真を見て、何か思いませんか?
 左のお姉ちゃんたちではない。
 先日、サイクリングで川越に立ち寄って大変楽しかったのだ。
 この街並みを見て、何か思いません?

 じゃあ、これ。

 わかりました?
 そう、電柱や電線がないんです。
 
 昔の祭は、宮出しの神輿に続いて、町出しの山車が続いたものでした。それが明治になって「文明開化」という名の下に電柱や電線が張り巡らされると、上背のある山車が祭で使えなくなってきます。そこで、山車の替わりに町出しの神輿が使われるようになってきました。
 山車の上には人が乗って、山車を先導したり、からくりを操作したりしました。
 たとえば日枝神社の山王祭、神田神社の神田祭、根津神社の根津祭、この3つは天下祭とされ、江戸城へ入城することができ、将軍の閲覧を受けました。江戸城に入るには門がありますから、そのため、門より高い山車は上部が上げ下げができるようなからくりが作られていました。
 こうして山車に人が乗ることは当たり前のことでした。
 しかし、山車が使えなくなり、町出しの神輿に替わると、今度はその神輿に人が乗るようになります。町出しの神輿に人が乗るようになると、今度は区別がつかなくなって宮出しの神輿にも人が乗るようになりました。
 三社祭で神輿の上に乗ってはいかん、いや乗るんだってもめてることには、こんな背景がありました。
 しかし、ご覧の通り川越には電線がありません。
 江戸時代、江戸の山車をコピーした川越の祭は、東京の祭で山車が主力でなくなった現在も江戸時代の風景を今に残していました。
 川越の山車巡行には110万人の人が訪れるそうです。しかし、ぼくはそれに先立つ神輿を是非見てみたい(というか、今年都合が合えば絶対行きたい! 山車の前日だから人も少ないだろうし)。
 京都の祇園祭だって、山鉾巡行が有名だけれど、それに先立つ宮出し(という言葉でOKなのかどうかわからないけれど)の神輿が神事として重要で、荘厳なのだ。


 川越、時の鐘。
 いや、面白いところでありました。
 川越まで荒川サイクリングロードを使って45km。川越から帰ってもよかったんだけれど、もうちょっと走りたい。そこから入間川サイクリングロードを使って、西武線の入間市駅まで。ここからならレッドアローが使えるので、窓口(自動販売機でも買えるのだけれど)で一番後ろの席をお願いして発券してもらいます。そうすれば、席の後ろに自転車を入れておけて便利。輪行袋に入れても、やっぱり大きいから。
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さすらい

2007年06月19日 17時25分55秒 | 写真


風の先の終わりを見ていたらこうなった
雲の形を真に受けてしまった
………………
さすらいもしないで
このまま死なねえぞ
  
                    奥田民生「さすらい」
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最近の朝ご飯

2007年06月18日 07時23分15秒 | 食べ物

 最近は毎朝4時半から5時に起きます。
 自転車で40~50km走ってから会社で朝ご飯。
 自転車に乗るようになって、よく食べるようになりました(ま、そりゃ、それだけ走ればお腹もすくよ)。
 ぼくはもともと大食いの方で、高校生の頃などは昼間、ライスお代わり自由のカレー屋で9杯食べたあと、立ち食いうどんを1杯食べるなどという暴挙をたびたび行って参りました。
 その頃が戻ってきたかのようであります。
 今日も朝から冷製パスタ。
 しかし、ロードバイクを買って3ヶ月。収支としては、体重は-4.5kg、体脂肪-3%、BMI指数22.2→20.7。
 これ以上体重が落ちるとかっこわるくなりそうなので、体重はキープして、体脂肪を一度やってみたかった一桁台を目指してみたいのです。道のりは遠そうだ………。
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埼玉からの富士山

2007年06月16日 15時32分27秒 | 観光
 ぼくのブログタイトルは、確か、「毎日が観光」だったはず。なのに、最近、毎日が自転車日和とでも改名した方がいいんじゃないかという記事ばかり。おまけにキャッチコピーが「カメラを持って街を歩けば、自分の街だって観光旅行」などと書いているくせに、カメラなんか持って歩いてないじゃん。
 そんなわけで今日はカメラを持って出発することにします。荒川サイクリングロードを走って吉見百穴あたりまで行けたらいいな、と。
 念のため天気予報を見ると、はじめ北の風(おいおい、いきなり向かい風かあ)、のち南風(うそ。じゃ、往き帰り向かい風?)。うーん。
 荒川に着いて走るとこれがまあかなり結構な向かい風。自転車が思うように前に進みません。かなりきつい。
 うちを出て54km、吉見桜堤公園に着いた頃にはヘトヘト。
 これから吉見百穴に行って、帰りが向かい風になったら、もうそれに抗って進む足は残ってない。
 進む勇気よりも、退く勇気だ。で、108km自転車踏んで帰ってきました。

 


 これが重い思いしてα-7D担いで撮った数枚のうちの1枚。
 残雪が美しい富士山。
 ま、携帯電話じゃ、撮れないってことでカメラ持っていった意味ありかも、と。
 しかし、次の機会こそ、しっかり観光してきます。
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奥入瀬

2007年06月16日 14時29分47秒 | 観光
 お友達が今年奥入瀬にいらっしゃるとのことなので、奥入瀬の写真を2枚貼っておきます。
 ブログに貼ってありますよお、などと軽く言ってたのに、探してみたら、去年奥入瀬の写真を貼っていませんでした。





 
 ぼくも東北に旅行に行きたいな、自転車かついで。
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土手は今日、夏休みの匂いがした

2007年06月15日 15時54分35秒 | らくがき


 ぼくは自転車ツーキニスト(自転車通勤人)。
 毎日45キロの道のりを走って会社に行ってる。
 歩けば会社まで10分未満なんだけれど、自転車に乗るとなぜか荒川土手を経由したりして会社まで45キロほどの距離があるのだ。行きは45キロあるが、帰りはたぶん1キロない。
 我ながら不思議だ………。
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小さな空

2007年06月15日 15時49分00秒 | 写真


青空見たら  綿のような雲が
悲しみを乗せて  飛んでいった

いたずらが過ぎて  叱られて泣いた
子どもの頃を  思い出した    
                    谷川俊太郎「小さな空」
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小塚原 首切り地蔵

2007年06月15日 11時50分33秒 | 観光


 小塚原の刑場跡。
 そこに佇む首切り地蔵。
 江戸時代、ここで20万人の首が切り落とされた。
 この首は現代に至ると出土され、人類学の研究材料になる。
 なるほど、江戸時代の人間の大量の「標本」は貴重な資料だろう。
 刑死者からすると思いも寄らないことだが。
 刑死者を弔う回向院を常磐線が突っ切る。
 電車なんてもの想像もつかなかっただろうなあ。
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バーバラ・ボニー 「清澄なる歌声」

2007年06月13日 17時54分08秒 | 音楽
 物憂く始まりやがて激していく歌いぶりが素晴らしく、バーバラ・ボニーのファンになったきっかけはシューベルトの「糸を紡ぐグレートヒェン」。
 もともとぼくはこの曲が大好きなのだ。シューベルトが17歳くらいの頃の作曲だが、実にいい。
 話が横道にそれるけれど、シューベルトって、かなりエロティックな気がする。ベートーヴェンにはあまり感じられないエロスをシューベルトには感じるのだ。この曲もそうだし、弦楽四重奏曲の「死と乙女」や孤独と向きあった印象のある「冬の旅」ですら(別に彼が梅毒だったから、とかそういうことではなく。極貧で亡くなったところや女遊びが好きだったとか、啄木を思わせるなあ)。「冬の旅」に孤独という状況下でのエロスの希求、果たせぬあこがれを感じる。だからこそ、より孤独なのだろう。
 そんなわけで、今日のBGMはバーバラ・ボニーの「清澄なる歌声」。いろんな盤からの寄せ集めなのだが、却って、ダウランドやパーセルからロイド・ウェバーまでさまざまなものが楽しめる曲編成になる。基本的には彼女の歌が中心になるのだけれど、共演もなかなかいいのだ。バッハのコーヒーカンタータはレオンハルト、ペルゴレージのスターバト・マーテルはレ・タラン・リリク(レ・タラン・リリクの演奏、歌手にヴェロニク・ジャンス、サンドリーヌ・ピオーを迎えたF.クープランの「聖水曜日のための3つのルソン・ド・テネーブル」はよかったですねえ、とても)。
 ロイド・ウェバーの「ピエ・イェズ」はさすがミュージカルの作曲家、初めて聴いても耳馴染みがいい。
 が、しかし、ぼくの一番のお気に入りは何と言っても(誰も何も言わないが)R.シュトラウスの「けだかくも美しき花嫁に」(「薔薇の騎士」より)。バーバラ・ボニーという歌手とR.シュトラウスの相性はとてもいいと思う。R.シュトラウスの音楽はとても知的でよく計算されていて、そしてドビュッシーとは違ってある意味密室的である。そんな音楽には、彼女のような知的なソプラノ・リリコがいい。この音楽は見事に美しく、その声に触れるとまるで春の夢に包まれているかのよう。
 いいCDなのだが、今日自転車こぎながら聴いていて、まあ、自転車には合わないかな、と。だけど、自転車を停めて、朝の長い光に照らされた岩淵水門を眺めながら聴くには最適でありました。
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婆娑羅太平記

2007年06月06日 14時11分29秒 | 読書
黒須 紀一郎著 「婆娑羅太平記」     作品社

 全6巻、長編である。
 第1巻に話の発端が詰め込まれており、2巻以降は自然な流れで話が進んでいく。
 太平記であるから、舞台はご存じ鎌倉末期。
 鎌倉幕府、足利尊氏、後醍醐天皇、さまざまな人間が交錯し、戦ううちに足利氏の天下となる。この本はその舞台裏にの民や立川流の僧侶たちの力があったと物語る。
 武法興隆を目指す足利尊氏、王法興隆を目指す後醍醐天皇、そして芸法興隆を目指す佐々木道誉。これらの陰で民法興隆を目指す人々がいた。
 彼らにとって支配者など百害あって一利なし。

 「大覚寺統とか持明院統とか勝手に騒ぎおって、その内に、民を巻き込む争いを起こすかもしれぬ。院だの帝だの東宮だのと言っても、わしらのような溢れ者には、何の関わりもないわい。古来から、帝が民のためになったことは一度もない。帝が表に出れば、必ず民を巻き込む戦になる。壬申の大乱、源平の戦、みんなそうじゃ。今度の二統争いも、このまま行けば大乱になる。民から搾り取るのに慣れた輩は、始末におえんわい」

 だれが支配者になっても同じこと。彼らの民がかかげる民法興隆は、支配階級の交替ではなく、民みずからが大きな力を持つことであった。その力が立川流と結びつく。
 立川流中興の祖文観は後醍醐天皇の護持僧にもなった。しかし、それは後醍醐天皇のために何かをするためではなく、後醍醐天皇と武家を戦わせることによって、無政府状態を作り、多くの荘を悪党、の民の支配下におくためであった。
 その発端が詰め込まれた第1巻が一番面白かったのだ。あとは、史実の裏側のネタが実は無政府状態を作るためという1本だけなので、足利直義と執事との対立などすべてが、実は無政府状態のため、というノリ。6巻は長すぎたのかもしれない。
 一番面白いのは、立川流がなぜ民法興隆を唱えるのか、その理由かもしれない。つまり、人々(有情)が平等であればこそ、性における絶頂(忿怒)も平等なのだ(「一切の有情は平等なるが故に、忿怒は平等なり」)、と。
 しかし、立川流と茶枳尼天信仰はちょっと興味深いものがある。
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荒川左岸葛西 または自転車という快楽装置

2007年06月03日 22時41分14秒 | らくがき
 なんでこんなことやってるんだろう?
 今日は思いっきり南風。北上すればらくちんだけれど、帰りが地獄。南風に向かって荒川を葛西に向かって走る。脚が続かない。ケイデンス(ペダルを漕ぐ回数)を一定に保つため、ギアを一つずつ落として、ついにはフロントをインナーに入れる。スピードは25km/hがせいぜい。
 辛い。
 ペダルを漕いでも苦しいだけで何も楽しくなんかない。
 別に誰かと約束があるわけじゃない。レースに出ているわけじゃない。自分自身意地になってるわけでもないんだ。絶対ゴールしてやるなんて気張ってることもない。
 でも、なぜかぼくはペダルを漕ぎ続ける。自転車はペダルを漕ぐことによって目的地に向かって進む軽車両だけれど、ぼくにとって、それはあまり意味がないことかもしれない。手段の目的化。
 荒川にも多いランナーと同じ気持ちかもしれない。たぶん、彼らは荒川流域のどこかに行くために走っているわけじゃないと思う。ぼくも別に葛西に行きたいわけでも、行かなくてはならないわけでもない。
 ただペダルを漕ぐ。
 ウォークマンから流れるエリック・ドルフィーのアドリブに、そこが葛西の手前6キロ地点であることを忘れ、豊かな物語を含んだ猥雑さに満ちた白黒の新宿のような気がしてきた。トップスで芝居を見るときにダグで待ち合わせをしたのは誰だったっけ? コマ劇場の前の池がなくなったのは、何年生のときだったっけ? あの池にはまってコンタクトを落としたのは誰だったっけ?
 普段考えもしないことがペダルを漕いでいると浮かんでは消えてゆく。

 河川敷のどん詰まりまできた。
 ここに用事があるわけじゃない。呼吸がらくになったら、今度は風とともに走ろう。
 音楽がケイト・ブッシュに変わった。
 ペダルを漕ぐと、いや漕いでいるつもりがあまりないのに35km/hぐらいラクラク出る。風は坂と似ている。向かい風は上り坂、追い風は下り坂。延々30km近く向かい風という上り坂を走ってきたのだ、帰りはワザリン、ワザリン、ワザリンなどとケイト・ブッシュとともに口ずさみつつ、風を楽しみたい。
 追い風の楽しみはスピード以外にもう一つある。ウォークマンを外さなければならないのだけれど、追い風と同じスピードに達すると無音を味わえることだ。聞こえるのは自転車のコーっというロードノイズ、ディレイラーの音。この乗り物との恍惚感伴う一体感に身を震わせる瞬間だ。
 行きに苦労した上り下りも追い風は気分一新。
 Running Up That Hill.
 自転車は麻薬だ。
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