毎日が観光

カメラを持って街を歩けば、自分の街だって観光旅行。毎日が観光です。

早瀬優香子「SINGLES」

2015年12月30日 20時33分15秒 | らくがき
 若い頃深夜何気なくTVをつけたらガールフレンドが歌を歌っててびっくりした。結局他人の空似だったんだけれど、それが「サルトルで眠れない」を歌ってた早瀬優香子さんだった。それ以来何十年たっても彼女はどこかその時の現実と思い込みの不思議な端境を思い出させてくれる。なんとなく新宿のタワレコで懐かしくて、ちょっと早いけれど自分へのクリスマスプレゼントに買った一枚。
 思春期の一時期、一人の著者の著作を延々読んでいるとなんだかその内容が頭に入るというよりもむしろ肉体化される感覚が濃厚になって、それがその後の人の振舞いに大きな影響を与えるような気がする。それがぼくにとって大江健三郎とサルトル。早瀬優香子「サルトルで眠れない」はそんな意味でも忘れがたかったりする。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

恐山

2015年12月03日 15時25分54秒 | 観光
 前もって抱いていたイメージを覆す美しい青空と極楽的に透明な湖、白い浜。まるでどこか南の島のリゾートにやって来た感があるものの、ここは真逆、北の霊地恐山。いいんですか、このストーンと抜けた美しい風景は。


 三途の川を渡って恐山へ入ります。橋は此界と異界とのまさに架け橋。

「「橋」という記号は対立する二つの要素をもっている。断絶と結合である。そこでは彼方の世界は切りたつものによって日常の世界とは断たれていながら、「橋」によって結ばれている。能にとってその彼方は異界である。異界はだからまったくちがう世界でありながら往還可能な世界である」
 (土屋恵一郎「能 現在の芸術のために」)

 立山もそうなんだけれど、霊山の存在の根本はこの「往還可能」な点であると思うんです。そうでなければ霊山として存立しない。まさに「断絶と結合」、この二重性が霊山だけでなく境界の特徴なのではないでしょうか。


 菩提寺。いわゆる恐山はこの寺の中にあります。


 高山稲荷神社でもそうでしたが、ここでも石像はほっかむり。


 荒涼としたここは死者たちの霊が集まる場所。


 やけにまぶしい風車の色彩。


 ところどころ硫黄が吹き出す穴があいています。あたり一面たちこめる硫黄臭。


 美しい宇曽利湖。生物がほとんど棲んでおらず、水は限りなく透明でした。そしてここが1番トロピカル。


 境内には無料で入れる温泉施設があります。あるけれども、チキンなぼくは、地獄の底から湧いてくるお湯になんか怖くて入れません。一応中に入って足をつけてみるのが限界(あと、観光客が少ない9月の平日だったので、お湯がとにかく熱い!)。

 荒涼とした異界に触れて再び帰ってくることによって、なぜか魂が再生されたり浄化されたりするような感覚になります。激しい悲劇が時にカタルシスをもたらすことがあるように、日常とかけ離れた悲劇や場所に触れることによって、日常で溜まっていた澱のようなものが洗い流され、それによって再生と浄化が得られるのでしょうか。ちょっと考えてみたい感覚でありました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする