毎日が観光

カメラを持って街を歩けば、自分の街だって観光旅行。毎日が観光です。

熊谷への道のり遠し

2007年04月29日 01時23分50秒 | 観光
 実はぼくはまだ自転車で1日100キロ走ったことがない。せいぜい80キロとまり。
 今日こそ100キロ走ろう。熊谷ぐらいまで行っちゃおう。前回のチャレンジは荒川サイクリングロードの迂回路で迷って川越へ出て挫折してしまったが(そのときは結局80キロ)、今回は下準備も十分。秋ヶ瀬橋を渡って対岸のサイクリングロードに入ればいいんだ、といろいろ調べて、地図もプリントアウトした。工事してるから、新しい情報じゃないとだめなんだ。
 ところが秋ヶ瀬橋を渡って、秋ヶ瀬公園を通過すると、雷と雨。おいおい。目の前で稲光が落ちてるよ。なんの防御もない土手沿いの自転車って、ねらい打ちじゃん。
 仕方なく秋ヶ瀬公園に戻り、橋の下でしばし雨宿り。

 何人か、慌てて橋の下にやってくる。ホームレスのテントも点在している。雨露しのぐってこういうことなんだなあ、と納得する。
 晴れているのに、雨はつづく不思議な天気。
 小降りになったから待ちきれずに飛び出した。今日こそ100キロ走る。ここまでじゃ、まだ40キロ。帰っても80キロにしかならない。あと10キロ走って折り返さないと。

 荒川サイクリングロードの迂回路を通って(こちら側はご丁寧に看板が出ている)、ふたたび土手沿いの道に。雨上がりの風景が美しかった。こういう景色を目に焼き付けることができるから、自転車はやめられない。
 しかし、その後、再び嵐。今度は雹まで飛んできて痛えのなんのって。ばっつんばっつん直撃。こりゃ、いかんと慌てて引き返す。風で転倒しそうなことが2回ほどあり、天候の恐ろしさを実感する。
 はあはあ。
 雨が小降りになったのを見計らって40キロ来た道を引き返す。
 でもぼくの自転車には、泥よけがついていない。自転車が巻き上げる泥や泥水を体中に浴びながら、再び荒川サイクリングロードを走る。
 嵐のあとのサイクリングロードには誰もいない。普段にぎわっている場所に誰もいないのは、不思議な感じがする。
 まるで、人類最初の人間か、人類最後の人間のようだ。ああ、これって、アラン・シリトーの「長距離走者の孤独」にあったよなあ。あれ、読んだの中一だったから、もう30年も昔か。確かFM東京の「音の本棚」でやってたよなあ。あれはいい番組だった。あれで、ぼくたちはアラン・シリトーも井上ひさしもアーサー・C・クラークも、レイ・ブラッドベリも筒井康隆もウィリアム・サローヤン、サリンジャーも知ったのだ。晶文社の本にその頃出会えたのも、きっといいことだったに違いない。
 そんな回想がずっと頭を巡っていた。
 自転車を漕ぐことは、自分と出会うことだと思う。
 誰もいない荒川サイクリングロードを北区まで漕ぐ間、ぼくはぼくといつにもなく向き合っていた。これが、自由ってもんなんだ。だから、それを知っちゃったローディーは時間さえあれば自転車に乗る。たぶん、登山も一緒かもしれない。山に登っている間、その人は自分と向き合う。自分とちゃんと向き合える時間、これが貴重なんだ。
 でも、雨はちょっとイヤかな。
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箱根

2007年04月28日 10時44分29秒 | 観光
 箱根湯本駅からバスに乗って「ホテル前」で降りた。「富士屋ホテル前」ではなく、「ホテル前」。イングランドのサッカー協会を思い出す。日本のサッカー協会は日本サッカー協会だし、フランスのサッカー協会はフランスサッカー協会だ。しかし、イングランドのサッカー協会はイングランドサッカー協会ではない。ただのサッカー協会である。イングランドにサッカー協会ができた時、世界中どこにもサッカー協会はなかった。区別する必要がなかったのだ。富士屋ホテルも同じだ。日本に富士屋ホテルができた時、日本に他のホテルはなかった。

 「アップルパイが評判いいんです」客室まで案内しながら、ティーラウンジが横に見えるところで係の人が言う。「ジョン・レノンさんもお好きでした」
 ジョン・レノンが泊まり、昭和、平成両天皇が泊まり、三島由紀夫が新婚旅行に訪れたホテル。ラフカディオ・ハーンもチャップリンもヘレン・ケラーも泊まった。
 ホテルに泊まるのは、そうした歴史と物語の一部を共有することでもある。そして多くの場合、その歴史と物語に安からぬ金額を支払わなければならないのだ。ぼくの場合は、まあ、話のタネっぽいノリである。

 フロントでチェックイン。人ごとなので別に心配しなくていいのだろうけれど、ほとんどの照明が電球で、その数が半端じゃない。毎日どっかしらで替えているんじゃないか、と思う。

 今回泊まった西洋館。
 部屋は今時のホテルに慣れている人間からすると新鮮。今時のホテルって、入り口あけると廊下になっていて部屋の目隠しをしているものが多い。しかし、このホテルは入り口開けるとまるまる部屋。何の障害もなく部屋中が見渡せる。入った途端、ヨーロッパのホテルを思い出した。ヨーロッパの古いホテルってこんな感じだ。富士屋ホテルが開業した1878年当時、お手本にしたはずであるヨーロッパのホテルを偲ばせる。

 庭は広く、水車小屋や屋外プール(夏季のみ)、温室などもある。屋内プールで泳いでみたけれど、誰一人来なかった。観光ホテルを考えてくると共同浴場の小ささに驚くだろうが、もともとヨーロッパのホテルにはスパなどの特別な場合をのぞいて共同浴場などない。これもヨーロッパ流。その代わり全室備え付けのバスは、蛇口をひねれば天然温泉が流れるようになっている。

 雨だったので、ホテルの中を探検する。4時にロビーに集合すればホテル見学ツアーも開催されている。
 その日、たぶんぼくが最年少だったかもしれない客層に少しびびりながらも1泊の箱根を楽しんだのでありました。
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富士屋ホテル 資料室入り口

2007年04月27日 15時51分51秒 | 観光


 ロマンスカーで向かった先は、古いホテルでありました。
 箱根はあいにくの雨でしたが、ホテルの中を観光できました。
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ロマンスカー

2007年04月26日 10時10分55秒 | 観光

 ロマンスカーに乗りました。VSEという一昨年デビューした車種。
 前が全部展望になっているので、運転席は2階にあります。
 その運転席には、客席からはしごを使って登っていきます。


 なかなか面白いものを見ることができました。
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葛飾柴又

2007年04月19日 23時41分37秒 | 観光
 生まれも育ちも葛飾柴又、帝釈天で産湯を使い、姓は車、名は寅次郎………。
 別に寅さんのファンであるわけでもないのだけれど、口上はなぜか覚えている。そんな国民的理解ってものがある。年代や育ちによって違うかもしれないけれど。
 ぼくの世代は、だから、オリジナルを知らなくても、南ちゃんと言えばマネージャーだってことも、赤いザクが3倍速いことも、スーパーサイヤ人が強いことも、水戸黄門が漫遊してることを知っている。映画「茄子アンダルシアの夏」、ラストでかかる歌の歌詞に「のび太の友達ジャイアント」とあれば、ドラえもんも思い出せる(あの最後の歌は、いたるところに自転車に関する言葉が盛り込まれていた。ジャイアンじゃなくて、ジャイアントなのは、ぼくの自転車のメーカー)。
 まあ、そんな国民的理解が存在する葛飾柴又までちょいっと行ってきました。

 これが柴又帝釈天。
 松が立派でそれが一番インパクトあったが、帝釈天自体は都内にある古蹟の一つって感じだ。新井薬師や堀之内のお祖師様みたいなもの。護国寺の方がよほど立派。が、しかし、この柴又ムーブメントにおいて帝釈天は、実は脇役なのである。主役は帝釈天で産湯をつかった、寅さんだったりするのだ。
 そんなわけで、ここは帝釈天そのものよりも、柴又駅からの参道がメインな感じがするし、事実にぎわっている。おまけに寅さん装束を着た芸人風情な人も出没して参道を盛り上げたりしているのである。

 それにしても、この参道。
 なんでこんなに煎餅屋と饅頭屋ばかりなんだろう。両脇をびしっと2種類の店が固めている様は、一種異様である。ふふん。巣鴨のお地蔵さんと比べると面白い。どちらも年齢層は高いのだけれど、巣鴨がリピーターを中心に営業しているのに対し、こちらはどちらかというと一見さん、観光客相手に商売しているように思える。ぼくと同じくサイクリストが結構みかけられるのは、近くに江戸川サイクリングロードがあるからだろうか。
 ま、柴又駅に寅さんの銅像があるくらいなのだから、やはりこの町は帝釈天ではなく、寅さんなのかもしれない(どことなく、伊勢のおかげ横町を思い出したりもする。古い風情を演出してるのに、感じとして人工的な観光街だからだろうか。要するにテーマパークっぽいんだな)。
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川越 喜多院

2007年04月18日 00時21分09秒 | 観光
 気がついたら、ぼくは川越を走っていた。
 川越街道に「喜多院」の案内があったので、だから、喜多院へ行ってみた。別に喜多院に行こうと思って家を出たのではないが、まあ、臨機応変だ。
 当初の目的は荒川サイクリングロードを行けるところまで行くことだった。ところが羽根倉橋と治水橋の間が工事で通行止め。迂回して治水橋を目指している途中で道に迷ったのだ。お、川だと駆け寄ったらまったく違う川、びん沼川だった。そこからは延々道に迷い、気がついたら254号線川越街道に出たというわけだ。

 うちを出て、ちょうど40キロの地点。橋の上。下を単線の川越線が走っている。
 荒川サイクリングロードを使うと、川沿いに大きく迂回するのでここまで40キロもあるのだけれど、254号線をそのまま走ればたぶん30キロないんじゃないか、と思う。
 このあたりで当初の目的が貫徹できないことを悟る。

 ならば、観光でもしようと喜多院に。ここまで43キロ。しかし、右膝が漕ぐたびに少し痛くなってくる。自転車で訪れている人たちも結構いて、ロードバイクだけでルイ・ガノが2台、ジオスが2台、そしてぼくのジャイアント、計5台が寺院前に繋がれていた。

 喜多院の歴史は古いが、家康のブレーンであった天海が喜多院に来てから、非常に栄えた。ぼくは知らなかったが、日本三大東照宮というものがあるらしく、そのうちのひとつがここ喜多院の仙波東照宮とのこと。まあ、たぶんほかの東照宮に聞けば、日光と久能山と自分んとこだと言うだろう。一度上野の東照宮とガチンコで戦わせてみたいものである。

 そんなわけで、これが東照宮の正殿。もちろん、正殿には入ることができないので、拝殿の金網にレンズを突っ込んで撮影しました。
 さあ、問題は帰り。なにしろ道に迷ってここに来たのだから、再び荒川サイクリングロードに辿りつくことはほぼ不可能。というか、ぼくのような地図をもってない方向音痴にはどうすることもできない。仕方がないので、245線を延々と帰る。これが楽しくない。道が細いくせに交通量は多い。車道に自転車の走る余地はほとんどない。自動車はひっきりなし。歩道はでこぼこ、おまけに車が入りやすいようにか、入り口ごとに歩道を低くしているので、3メートルおきに登ったり、下りたり。結局家にたどり着く35キロ、ただただ苦痛に耐え、漕ぐことになる。道路ってものすごくお金かけているような気がするのだけれど、幹線道路が全然整備されてないじゃん。
 これからいろんなところに自転車で出かけるだろう。川越街道に限らず、しかし、帰り道はたいていいつもつまらないものだ。この帰り道をなんとかしなくては。
 単調に254号線を南下しながら、ぼくの頭にあるものが浮かんだ。
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両国回向院

2007年04月16日 09時34分40秒 | 観光
 両国回向院、別名本所回向院。
 明暦の大火での死者を葬った塚に始まる寺院。無縁仏をはじめ、いけとしいけるものを弔っている。行ってみて驚いたのは、ペットの墓が立派なこと。ペット業界が寄進した碑もあった。
 ここにひとつ珍しい墓がある。
 削ってもいい墓。
 それがこれ。

 鼠小僧のお墓である。
 このお墓を削って持っていくとギャンブルにいい、と評判がたち、削っていく人が跡を絶たない。そのうちお墓がなくなってしまう。
 そこで、とお寺が考えたのがお前立ち。ほら、本尊が秘仏で拝めないときって、その前に似たようなのを作って置いておき、それを拝ませるような仕組みになってるじゃないですか。それがお前立ち。本尊のお前立ちは聞いたことがあるが、お墓のお前立ちは結構珍しいかもしれない。

 こちらは削りやすい石灰でできていて、ご丁寧なことに削る用の石まで用意してある。
 今ではギャンブルだけじゃなく、合格祈願の受験生まで削って持っていくらしい。宝丹みたいな万能薬か。
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面白い雲

2007年04月06日 15時39分43秒 | 写真


 いつぞや撮った雲の写真。
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