毎日が観光

カメラを持って街を歩けば、自分の街だって観光旅行。毎日が観光です。

天皇杯準々決勝 横浜Fマリノスvsガンバ大阪

2016年12月26日 16時13分06秒 | 
 リーグ戦はあまりいいところがなかったわが横浜Fマリノスでありますが、天皇杯は順調に勝ち上がり、12月24日準々決勝戦が日産スタジアムで行われました。


 菊名からスタジアムまでの道、くっきりと姿を現した富士山がなんとなく勝利を予感させます。


 今シーズンで退団が決まっている小林祐三とひと試合でも多く時間を過ごすためには勝つしかありません。年を越して元日の決勝戦まで一緒に戦っていきたいものです。

ガンバ側
マリノス側
 ガンバ側ゴール裏にはヤンキー臭がたちこめ、わがゴール裏はどこの国だよと思う人もいるかもしれないカラフルなトロコロールが翻っておりました。


 試合は2対1で勝利、勝利の傘回しが起こります。次は29日準決勝、鹿島アントラーズとの対戦です(残念ながら大阪へは行けません)。
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谷川岳三昧

2016年12月21日 12時51分48秒 | 観光
 一人旅が好きです。いえ、決して一緒に行ってくれるような友だちがいないとかそういうことではなく、いや、ただ単に一人旅が好きなんです、だから、ほんとですって、違います、え? やだなあ、違いますよ、ええ、泣いてなんかいませんよ。
 そんなわけで冬の一泊旅行は一人で雪三昧。先週土合に行って、あ、ここ泊まれるじゃんと見つけた天神ロッジに一泊して、初日はのんびり(前日が忘年会だったので)、ワカンをはいて一ノ倉沢を見に行き、2日目に谷川岳に登るという、たぶんもう雪が嫌いになっちゃうんじゃないかというくらい雪まみれの2日間。いいえ、ごめんなさい、雪は嫌いになりません。

 
 2週続けて土合駅。なんだか奥深い色彩が舞台美術を感じさせる様相です。

 
 天神平ロープウェイ駅に着いたのがもう昼過ぎ。ラーメン食べたり、ビール飲んだり、初日はのんびりスタート。ワカンを履いて一ノ倉沢目指します。この日は吹雪。風と雪が容赦なく叩きつけてきます。

 
 吹雪にけむる一ノ倉沢。幻想的でまさに魔の山という印象です。魔の山の最大の特徴は魅惑的ということでしょう。ただ怖いだけならば人は近づきません。危険と同等以上の魅惑に人は惹きつけられるのです。
  一ノ倉沢に着くまで聞こえる音といえば風の音と自分の踏みしめる足音だけ。自然の音と自分の音。ほかの音が消え、そこには自然と人間の際のような境界が立ち現れます。熊すら現れない死の森の中にただ一人いることの感覚は都会にいては味わうことのできないものです。
 ふとかつて似たような感覚を覚えたことを思い出しました。あれは10年以上前、伊勢へ旅した際に訪れた月出露頭でのことでした。まあ、10年たってもおんなじようなことしているんだと我ながら持続する志。

 
 翌朝は快晴。宿のスタッフが初めてここに来た年は、12月から2月まで1日も晴れ間を見たことがなかったというほど、冬の快晴は珍しい。なんてラッキー。谷川岳に登る者、ロープウェイ駅付近で雪崩遭難時のビーコン操作を練習する者、滑落した際の姿勢や動きを練習する者、スキーヤー、ボーダー、いろんな人々が天神平に集います。そんな中粛々と天神尾根を進みます。ところが右足にすでに靴ずれが。ほんの小さな傷ですが、これが曲者の痛さ。一足ごとに顔をしかめながら登っていきます。

 
 肩の小屋付近のケルン道標。時折吹き付ける風に痛めつけられながらもここまで来れば頂上はもうすぐ。

 
 強い風が積雪に風紋を形作ります。これはこれで美しい景色なのですが、この風を受ける人間には厳しいものがあります。

 
 そしていよいよ頂上。足の痛みは続いていたのですが、気持ちが違います。一応ラーメンを作れるよう道具は揃えてきたのですが、寒くてお湯を沸かす気にすらならず下山します。止まって調理などは厳しいのでやはりおにぎりなどの行動食がほしいところでした。反省。

 
 途中まで降りて振り返ると今登った谷川岳が見えました。ああ、あそこのてっぺんに立ったんだなと思うと感慨無量でした。しかもこんな晴天に恵まれて、なんという幸せ! そんな雪まみれの2日間でしたが、帰りの電車で雪山の新しい道具を検索したりして、雪に飽きるどころかますますはまっていく始末。次はもうたぶん今年の登り納め。さて、どこに登ろうか、わくわくしながら計画中です。
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フランス2

2016年12月17日 20時32分39秒 | らくがき


 先日、フランス2夜8時のニュースを見ていて感心したことが2つ。一つはギリシアの年金問題で、緊縮財政中のギリシアが低所得者に一時給付金を出すという報道。これに対して「ギリシアはサンタクロースの役割をするのでしょうが、他のEU諸国は鞭打ち爺さんの役割を果たすことになるでしょう」と。気前のいいギリシアとそれを懲らしめるEU諸国ということを言い表しているんだけれど、これは、戦後サンタクロースがクリスマスに台頭する以前は冬至という光が最も弱まる時期には異界から異神が立ち現れて秩序を混乱させ、そして冬至から光が徐々に強まるにつれ消えていくというヨーロッパの古い伝承に基づいていて、その中の鞭打ち爺さんは、子どもたちにプレゼントをあげるなどもってのほか、子どもたちを貪り食らうサトゥルヌス神が原型(ゴヤにすばらしい作品がありましたね)という恐ろしい異神。しかしその中にアンビバレントな存在として子どもを守る部分がセットとしてあって、それが…… という話は興味のある方はレヴィ=ストロース「火あぶりにされたサンタクロース」を是非。そうした古い伝承が比喩として現在でも通用することに感心したのでありました。
 もう一つはラスコー4完成のニュース。ラスコー洞窟の完全な複製洞窟がいよいよ完成と(いま日本に来ているのは巡回型のラスコー3)。これが日本のニュース番組だったらヘルメット被った女子アナがラスコー4の中で、解説役の中高年の男性から説明を受けて、感心してびっくりするという地獄絵図が展開されそうなのに、ナレーションで淡々と、しかし、なかなか深い内容の解説をしていて大変感心したものでありました。
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寒いところでごちそうお鍋

2016年12月12日 12時55分16秒 | 食べ物
 12月ももう2週目。冬が深まって参りました。冬といえばお鍋の季節。仲間や家族、あるいは一人でも熱々のお鍋がおいしい季節です。
 でも、なぜ冬に鍋なんだろう。たぶん、外の寒さに対比して鍋のあったかさがよりおいしさを加えてくれるからかもしれません。であるならば、寒ければ寒いほど鍋はおいしいのではないか。
 そんな素朴で小さな疑問からこの旅は始まったのでありました。そう、「寒いところで鍋を食べたらおいしいんじゃないか」という仮説を実証するための大人の社会実験。雪の中で鍋を食べに行こう。
 早起きして、上野東京ラインで高崎に向かいます。快晴の高崎、雪一つありません。もしかしたらこの実験は失敗なのではないか、多少の危惧を胸に水上行きの上越線に乗り換えます。しばらく走っても雪はありません。後閑を過ぎたあたりから景色は一変、一面の雪景色が広がっています。よしよし、こうこなくちゃ。水上で長岡行きの電車に乗り換えて土合に向かいます。

 土合駅の下り線ホーム。486段の階段を上り、地上に出るまで10分くらいかかるといわれる通称「日本一のモグラ駅」。登山は駅から始まっていると言っても過言ではありません。



 確かに多少の雪は期待していたものの、明らかにオーバーワーク。行くも地獄、引くも地獄の鍋行脚が続きます。「これがホントの氷結」、ただこれをやりたいがために三脚に缶チューハイを持参したものの、思ったほど面白くなくてがっかり。それにしても状況的には鍋をやりに行くというより遭難していると言った方が的確もしれない、外は吹雪。気温は零下。しんしんと降り積もる雪が足あとを消していきます。行方不明なんて言葉も浮かびます。今1番近い状況は映画「八甲田山死の彷徨」で高倉健ではなく北大路欣也の方が率いる部隊、あれに近いかもしれません。雪が吹き込んでくるので目をあけているのも辛い…… 鍋担いで、おれ、なにやってんだろう。人生の根本的な疑問すら浮かんできました。思えば小学校5年をピークにおれの人生は負け続けだったかもしれない。かつて切った没落の約束手形の回収に残りの人生すべてを費やしているんじゃないか、降り積もる雪の中で静かに絶望が心を染めていきます。



 それでも鍋をやるんだよ。鍋をやるためにここに来たんだ。あたりを踏み固め、整地します。リュックから鍋やバーナーを取り出そうとする気持ちと、決してこの手袋を脱ぐものか、脱いだら凍えてしまうという切実な現実が火花を散らします。泣く思いで手袋をはずし、かじかみ震える手で用具を取り出します。冷たくて触るのもためらわれるほど凍てついた鍋が容赦なく手のひらから人間の暖かみを奪い去っていきます。ようやくすべての用具や鍋の具材を取り出したところでぼくの気力は底を尽きます。「天はわれを見放した……」心が振り絞る静かな慟哭の声を聞きながら撤収を決意します。



 駅へ向かう後ろ姿もどこか悲しげです。



 土合から水上へ、そして水上から朝と逆に上り電車で高崎方面へ向かいます。敗北感と挫折感がやすりがけした心はざらつき、悲しみが群馬全体を覆い尽くすようでした。そんな時、闇を払う光の一閃が脳内を貫きます。そうだ、新前橋なら利根川に近いから利根川の河原で鍋をやればいいんじゃないか。雪こそ降ってはいませんが、そこは前橋、寒さは東京の比ではありません。寒い中鶏鍋を作ります。上州名物からっ風が北から吹きすさぶ中、はふはふ言いながら熱いお鍋を食べます。鶏肉が、鶏団子が泣きたくなるくらいおいしい。寒い中で食べるお鍋、おいしいと同時に、生命をつなぐ糧という感じ。


 今回の教訓は、何事もやり過ぎはよくない、中庸こそが人生を楽しむのに一番の近道だということで、凍えたり、泣きそうになったりした割には、得たものが案外普通のことで、まあでも、そういう普通のことこそがかけがえのないものなんだよ、と薄っぺらな曲の歌詞みたいな着地点に行き着いてしまって、まだまだ修行が足りないな、と自分への反省ひとしきりの週末でありました。
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子の権現~竹寺

2016年12月05日 14時49分35秒 | 観光
先日山で転んで大腿部を強打(これについてはまた後日)、痛さのあまり歩き方がしばらくおかしいままでした。そうだ、足が良くなるように足にご利益があるといわれる子の権現(「ねのごんげん」と読みます)に参ろう、そしてついでと言っちゃなんだけれども、インフルエンザも流行りつつあるので、疫病予防の神様牛頭天王を祀る竹寺まで足を伸ばそう、そんな神仏頼りの巡礼行脚。冬もすぐそこ。西武池袋線西吾野駅からえっちらおっちら子の権現を目指します。
 

 その前の週、2週続けて2000m以上の山に登っていたので、今日は軽い寺巡り、そんな週末もよいではないか、と思って臨んだら、あにはからんや、いつもと同じような山道。まあ、軽いお散歩で済む話じゃないってことは薄々わかっておりましたの、わたくし。それでもなんだか楽しい道。古い信仰の道がもってる雰囲気がたまらなくいいんんです。


 子の権現到着。仁王様がにらみをきかせる中入っていきlます。
「早く足が治りますように、これからも山に登れますように」切実な思いでお参りします。


 足にご利益があるお寺ならでは、鉄のわらじが奉納されていたりします。


 絵馬すらわらじ。もはや絵でも馬でもありません。


 子の権現を出て見晴らしの良いところで食事の準備。ちょうどその日トレランの大会が開かれていて、通るランナー、通るランナーにいじられます。食事をしながら100人ほどの人間にいじられるという人生において貴重な体験をしたランチでした。ところでランチにも関わらず、じゃがりこが置いてあるのに疑問をいだいた方もおられるかもしれません。実はじゃがりこにお湯を注いでマッシュポテト状にしたものを入れるとたいへんコクのあるおいしいシチュウができあがるんです。


 これがそのシチュウ。ワインとシチュウ、それにこの日はチキンのトマト煮、餃子の皮を使ったピザで優雅な山ランチ。


 竹寺到着。以前竹寺に関してこのブログに書いたことがありました。「竹寺 東西の来訪神」 いや、あれからもう6年経ってるんですね。やれやれ年をとりました。やってることはあまり変わらないのに………
 帰りは名栗まで歩いて温泉に浸かって一日の疲れを癒やします。古径を経ての神仏散歩。たまにはこんなのんびりした休日もいいもんです。

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