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毎日が観光

カメラを持って街を歩けば、自分の街だって観光旅行。毎日が観光です。

動物ふれあい強化月間

2009年11月30日 20時20分10秒 | 観光
 先日訪れた荒川左岸の素敵な景色、そこで見つめ合ったぼくと猫。何頭かの犬と人生を分かち合ったことはあっても、猫と自分とが響き合うなどということが想像できない男。その人生に猫がかわいい、なんて言葉はなかった。しかし、その猫との出会い、それはまさに、手術台でのミシンとこうもり傘との偶然的な出会いのように美しかったよ、ロートレアモンよ。
 距離的にはだいたい50km、往復100km。遠距離恋愛とは言えないが、簡単な距離とも言い難い。でも、きみに会いにペダルをこぐ。
 そしてこの間出会った場所に赴く。
 いない。当たり前だ、そうそう猫は同じ場所にいるわけじゃない。
 なんだか、がっかりすると同時に、ちょっとほっとしてこの先にある榎本牧場へ出かける。
 荒川ローディーには有名なんだけれど、実は初訪問。
 イチゴミルクのアイスクリームを食べます。おいしい。アイスクリームだけじゃなく、カップのコーンも味がいい。
 で、ここで動物たちと触れ合い。


 ここで子猫と触れ合えるとは思わなかった。
 里親募集中とのこと。
 この年で猫に目覚めるとはなあ。なんだか今までまじめ一本槍でやってきた男が人生終盤で女に狂う、そんなイメージである。猫はディートリッヒか。



 もしかしたら、生まれて初めて豚をなでたかもしれない。
 毛が予想したのとは違って、固い。なんか巨大な歯ブラシを撫でているかのよう。
 牧場たって、牛・豚だけじゃない。鶏もいれば、ロバもいる。犬とも触れ合える。
 すごく楽しい場所。子どもたちも多く、遊具で遊んでる。


 そんなさまざまな動物たちがいるなか、なんだかこの子と仲良くなってしまった。落ちていた草をあげたらぼくの手から食べる。手を差し出すと頭をこすりつけてくる。生後2週間の子牛。
 しばらくたたずみ、「また来るね」と立ち上がる。
 なんだ、この、生後2週間の子を置き去りにするような罪悪感は。
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暗渠捕物帖

2009年11月29日 21時55分52秒 | 観光
 小石川の両脇には、川の水を引いた田んぼが広がっていた。小石川が暗渠になる以前に田んぼは埋め立てられ、一部が下水道として暗渠になっている。
 今回は、その小石川横の田んぼ跡をフィールドに、暗渠の特徴を5つほどレクチャーしましょう。


 まず一つめは崖。こういう崖のある下は、川が流れているか、その川が暗渠になっていることが多い。暗渠ハンターとしては、こうした地形をチェックしたいものである。



 丸がいっぱいついた坂。急坂の印。ぼくのうちのあたりはこういう坂が多くて、子どもの頃から坂ってこういうもんだと思ってた。こういう急坂の下はどうしても水が流れ込み川になりやすい。そして今、川が見えないのなら、そこは暗渠だ。



 田んぼ跡の横にある簸川神社。これもたぶん明治になるまえは天王社だったんだろう、それから氷川神社になり、簸川神社と改名。簸川は、確かにスサノオにゆかりの地だからスサノオとしてはそちらの方が漢字的にはあってるんだろうが、出自もともとは違うだろう。
 この入り口は暗渠の横にあるけれど、社殿は崖の上。ポニョか。
 入り口下、社殿上ってのも暗渠前の神社の特徴。しかも岬に立つ神社は、かなり特徴的でほかにもいろいろ見られる。



 そして、案外地味な特徴が、この多発するマンホール。
 写真でおわかりの通り、10mあたりの間にマンホール5つ。この路面面積からすると、人口密度よりマンホール密度の方が高いと言っても過言ではない、かな。



 そして最後、道のカーブ。こういうカーブがあると、これは元々は川だったんじゃないか、と思う。川にふたをして道にすれば、そのまま川の流れ同様の楽しいカーブ道。これも暗渠の特徴。
 ちなみに、この塀の向こうは徳川吉宗ゆかりの小石川植物園。この逆側の坂を登ると、そこには手塚良仙宅跡(今は東京学芸大中学の敷地内)。そう、手塚治虫の曾祖父で、小石川種痘所創設に尽力した人物。

 さて、こうした5つのヒントをまき散らしながら、今でも私たちの足下を流れ続けている河川。東京の暗渠の中には、縄文時代からの地形を受け継ぎ、その川を延々と流し続けているものもある。
 縄文時代の川と共感できる街。
 どんな建物よりも、どんなおしゃれな店よりも、それがぼくを魅了する。
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2009年11月27日 20時19分21秒 | らくがき
 実は上江橋以北、初めての荒川左岸。いつもは上江橋を半分ほど渡り案内通り再びサイクリングロードに入っていたのだけれど、今回はそのまま突っ切ってみる。ちょっと冒険心を起こした45歳児。
 ここがなかなか野趣あふれる道で、なんというか、狭い上に誰も片づけようとしない落ち葉が堆積しているので、道があるんだかないんだかよくわからない。だけれど、その枯れた風景は素晴らしい。夕暮れ、一人で走っていたら泣いてしまうかも。その寂れぶりの情緒に打たれる。
 ふと、道端に猫。太ったやつ。人間を利用するだけ利用しやがり、まるまると太りやがって。と、猫にがんを飛ばすと、みゃー、って。ものすごくかわいい声でみゃーだって。ああ、だめ、思わず自転車にまたがったまま身もだえ。うい。ういやつじゃ。背中のポッケに煮干しでも持ってきていたらよかったのに、手を振りそのまま走り去る。いや、ここらへん、地雷のように猫が待ちかまえてる。そのたびにふにゃふにゃになるわたくし。
 ついに降りて猫写真。しかも牛バック。猫も猫だけれど、サイクリングロードの両脇に牛が寝そべってるって、なんとのどかな場所だろう。

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おしゃもじさま

2009年11月24日 10時36分37秒 | 観光


 行きつけの自転車屋さんの目の前にある道祖神。
 おしゃもじを持っている。おしゃもじさまと呼ばれ、子どもの夜泣きや風邪を治してくれる神として知られる。おしゃもじさまは結構ポピュラーな存在で、各地におしゃもじさまを祀る習俗は存在する。
 でも、それはそれ。あまりにも言葉が近い石神なので「しゃぐじ」と関連、あるいは習合したのではないか、とぼくなどは思う。池袋のこの辺は縄文時代の岬にあたる。現在でもおおくの寺社、墓の立地は実は縄文時代の岬に多い。このおしゃもじさまもいつしか道祖神として子どもたちの守り神(あるいは塞の神)に祀られたけれど、来歴の古い岬神であるかもしれない。
 暗渠を歩いていると、そういうかつての岬に祀られている寺社に多く出会う。
 ミサキとはこの世界のサキに他ならず、そこで世界の内と外が出会い、豊穣がもたらされる。ミサキに相当する多くの部分から男性器状の石器が出土するのも、そのことと無関係ではない。普通に池袋を散歩していても、面白いものに出会えるものだ。
 それにしても、伊東美咲、パチンコ屋と結婚かあ(岬=美咲の連想か?)。なんだか女優のポジションも、芸能人の立ち位置も、半端な人だったなあ。
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朝霞~葛西臨海公園

2009年11月23日 17時31分32秒 | 観光
 天気がいまいちで自転車で走れない。
 おまけに寒い。自転車用のレッグウォーマー、アームウォーマーをつけていても寒い。寒いし、なんだかそれを着けているときに滅入る。
 ここから先は映像を想像してはいけません。
 まず、ソックスをはきます。それからレッグウォーマーをつけます。そしておもむろにパンツを降ろします。そう、自転車用のレーサーパンツ(略してレーパン)はノーパンではくからです。そうしないと、パンツ中央の縫い目がお尻をいじめるから。
 このパンツをおろしたあとの我が姿のなんと間抜けなこと。
 どんな罰だよ、と。こんな格好をすれば、ぼくの罪は許されるのか、そして、もう一度きみに会えるのだろうか、と。
 まあ、それでも雨やら悔恨やらで自転車に乗らない日が5日も続くと、やはりどうしても乗りたくなってしまう。



 そんなわけで久しぶりに荒川へ(この「久しぶり」って言葉、1年ぶりとかじゃなく、人によっては昨日行ってなかったから、とかの頻度なので要注意)。
 荒川サイクリングロードへの途中に出会った都電。
 よく見ると電光表示に「貸切車」なる文字。車内には黄色い帽子をかぶったかわいい子どもたち満載。そう、あまり知られていないかもしれないけれど、都電って貸し切ることができる。それも確かたいした額じゃないと思った。



 まずは向かい風に抗って北行き。
 荒川って、これもあまり知られていないかもしれないけれど、東京湾からタンカーが遡上する。これはジャパンエナジー朝霞油槽所へのパイプラインで、ここにタンカーが横付けされる。海から川を遡る水運が残っているわけだ、しかも海に面していない埼玉県まで。
 潮汐の影響は秋ヶ瀬橋まであるというし、案外、海と荒川とのつながりは大きいのかもしれない。



 反転して、思いっきり追い風に乗って葛西臨海公園へ。
 うわあ、気持ちいい、と思って楽しく走っていたけれど、考えてみれば、葛西からの帰り30kmはガンガンの向かい風なんだよね。結局50km追い風、50km向かい風の計100km。
 帰りはちょっとうんざり。向かい風なら上り坂の方がまし。
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待乳山への散歩6 最終回

2009年11月20日 19時54分15秒 | 観光

 暗渠をちょっとそれて近くの今戸神社へ。落語「今戸の狐」でも有名な今戸焼き発祥の地であると同時に、沖田総司終焉の地。しばし佇んでいると、キャイキャイと黄色い声。おお、ここも吉見観音や東京大神宮や熱海神社と同じく縁結びにご霊験あらたかな神社らしい。
 「これ、これがいいのよお」などと巫女さんと女の子たちがまじない物を間に話してる。
 こういうのって信心深い人からするとけしからんなどという話になるのかもしれないけれど、ぼくはなんだか嫌いではない。雑誌の星占い欄や血液型占いなどと同じく、なんだか微笑ましい。



 そして、今戸焼きによる招き猫の発祥の地でもある。
 さっきの本堂の中になんだか不思議な感じの猫が2匹見えました? あれあれ。



 あちこち歩き回って、ようやく待乳山聖天さんへ。
 なんというか超現世利益的御利益まんまんのお寺さん。ここにお詣りする人が絶えないのもわかる気がする。
 高い志を抱いて修行するのも一生、楽しく生きるのも一生。道は違えど、目的地は一緒だったりもする。そして楽しく生きるために見守ってくれるのがこの聖天さま。



 お詣り用に大根を売っているくらい、ここは大根と縁がある。しかも性的ふくみのある二股大根。ほかに巾着が象徴として使われているが、こちらは財産へのお願いだ。



 名にしおはばいざこと問はむ都鳥わが思ふ人は在りやなしやと 在原業平
 隅田川の都鳥。ここから浅草はもう目と鼻の先。



 松屋から浅草の地下街へ。
 地下街って、最近副都心線の開業やエキチカなど新しめな感じが漂っているけれど、ま昼真っからハイボールやらホッピーやら飲んでいてもまるで違和感のないこの地下街はどうだ。ぼくはたまんなくこういうの好き。おしゃれなところもいいけど、こういうとこも実にいい。飲み屋のほか、床屋、マッサージ屋さん、さまざまな職種の店があなたを待ってる。ここで一杯やって、水上バスでお台場行って、なんてえのも楽しいはず。今度やってきます。
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待乳山への散歩5

2009年11月19日 17時01分36秒 | 観光
 暗渠育ちである。
 いや、それだと暗渠の中で育ったみたいだから正確には暗渠の前育ちだ。
 goo地図には面白い機能があって、昭和38、22年、明治の地図と重ね合わせることができる(明治の地図を表記できるのは東京の一部だけかもしれない)。それによるとぼくの家の前の川は昭和22年にはすでに暗渠となっているが、明治時代の地図には川として記載されている。その川は、護国寺横を通り、やがて江戸川橋で神田川に合流、ぼくは中学、高校、大学と、その薄暗い暗渠沿いに自転車を走らせて通学していたわけだ。
 だからか暗渠には敏感である。道を歩いていると、あ、ここ、暗渠だ、とダウザーのように地下水脈の匂いを感じてしまう。
 たとえば、新宿区役所とゴールデン街の間のあの小道(それから延長して新宿文化センター前の通りまでのあの道)。
 裏原宿のキャットウォーク。
 谷中の藍染川跡。
 どこも歩いていてなんだか楽しい。
 山谷堀にもこれと同じ感覚を味わう。
 暗渠フェチなんているんだろうか、とお思いの方、「暗渠 マニア」でググってみて。いや、そう主張する自分でも意外に思ったほど暗渠フェチって多い。
 しかし、それにしても明治時代の地図を見ると、暗渠の少ないこと。今は地名としてしか残っていない小石川も暗渠ではなくちゃんと川として流れてる。渋谷川はgoo地図では記載されない東京外扱いだけれど、ぼくの持っている「もち歩き江戸東京散歩」(人文社)という江戸期と今の地図を両方載せている本によると、まさにキャットウォークから渋谷駅が暗渠になっているのがわかる。川の上に駅を作るようなことをしたから、池袋や新宿のようなちゃんとした地下街を作れず、渋谷はひたすら歩きにくい街になってしまった。
 東京は縄文の上に江戸が立っている街と前に言ったけれど、だから中沢新一の「アースダイバー」と「もち歩き江戸東京散歩」、この2つの地図があると、東京の町歩きはとても面白くなるし、刺激的だ。



 山谷堀。
 暗渠によってはその上の道路に重量制限があったり、そもそも車などの重量のあるものを通さないものも多い。この山谷堀も車を通さない遊歩道&公園として整備されているのだけれど、場所柄、休日の公園にもかかわらず、子どもは一人も遊んでいない、ただ、そこには大人の家なき子ばかり。



 子どもが来ないから、ぽつんとたたずんでいる遊具。
 なあ、子どもの倍くらいの体重あるんだけれど、ぼくと遊ぼうか、と思わず声をかけたくなる。さあ、はたしてきみは持ちこたえられるかな、などと不敵な笑みを浮かべつつ。
 やんないけどね。
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待乳山への散歩4

2009年11月18日 17時51分24秒 | 観光
 自転車でシャーっと通ったことならある、吉原。
 歩くとなると、なんだか大変なところだったのだ。チキンであることは重々承知。でも、今でもこんなにすごい街だったとは知らなかった。すごい。道の両脇に風俗店、交差点で見渡せばその左右の通りも風俗店。
 それぞれの店の前には背広姿の男性たち。目を合わせず、場違いなとこに来てしまい申し訳ありません的風情全開で通り過ぎるわたくし。チキンだ、あまりにも。
 いや、すごい、ここ。電気店をすべて風俗店に置き換えた秋葉原という感じ。
 出勤途中とおぼしき女性とすれ違う。池袋とか新宿とかの繁華街だと風俗にもそれぞれの段階があって、直接的な性サービスだけでなく、接客業の人もいて、すれ違う女性も華やかだったりするんだけれど、ここは、なんというか遊びのない風俗街。女性の雰囲気も重厚です。池袋の女の子がシャーマン戦車なら、吉原の女性はティーゲル戦車だ。いや、太ってるとかじゃなく。というか、わかりにくい比喩だな、それ。
 もちろん写真など撮れず、街を通り過ぎるのみ。


 見返り柳までやって来て、「今日はこれぐらいで勘弁してやる」などとむなしくつぶやくふりをして自分をなごませようとする。
 吉原は江戸的な情緒を失い、21世紀の風俗街となったわけだ。そう言えば若手経営者のセミナー(おお、わたくしってそうゆうとこに顔を出していたのか、以前)で、吉原みたいな風俗街は税金がとりやすいのでそれほど取り締まりが厳しくないと雑談みたいに聞いたことがある。いつなくなるかわからないような泡沫的な風俗店は取り締まるけれど、事前の設備投資を回収するのに持続的に営業を続けなければならない、いわゆるソープランドなどに対して取り締まりは行われないんだそうだ。ニュースで報道される風俗店の取り締まりって、風営法に基づく届け出をしていない外国人経営の店が多いけれど、そういう店は基本的に税金を納めていないからなんだろう。ちなみに、そのセミナーを受け持った税理士が言うには、ソープランドで働く女性たちはその店の従業員として扱われず(そうすると店が売春させることになってしまうから)、店の一部を借りて営業する個人事業主として税務上扱われるらしい。
 プロ野球選手と一緒です、と彼は言って笑った。
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待乳山への散歩3

2009年11月17日 14時54分23秒 | 観光

 かっぱ寺から直接待乳山に行くなら西なんだけれど、ここはついでに太郎稲荷へ。
 江戸時代に流行った人んち拝み。その家その家に神棚や祠があるのだけれど、成功した人の神仏には御利益の能力が高いのではないか、と他人の家に拝みに行ったりする流行。直接そこへ拝みに行く場合もあるし、その神様などを勧請して分祠する場合もある。
 こうした人んち拝みで、一番有名なのは於岩稲荷かもしれない。お岩さんは貧しい暮らしの中やりくりし、商家に奉公に出たりと苦労を重ね、やがて夫婦の蓄えも増え、周囲の評判になる。で、お岩さんちのお稲荷さんのおかげだということで、無病息災、商売繁盛などの御利益を期待する人々が拝みにやって来る。
 あの怪談は幕末、鶴屋南北の創作で、実際のお岩さんは夫婦睦まじく成功裡の人生を送ったのだった。
 この太郎稲荷も人んち拝みのお稲荷さん。樋口一葉の「たけくらべ」にも登場するし、落語の好きな方なら「ぞろぞろ」に出てくるお稲荷さんと言うとわかりが早いかもしれない。よほど太郎稲荷の効き目やあらたかだったのか、この近くにもう一つある。
 小さいながらも地元の人たちに篤く祀られているお稲荷さんだ。



 太郎稲荷から西に行くと、鷲神社。そこの熊手。酉の市のシーズン到来、ああ、かくも1年の過ぎゆく早さよ。
 で、ごらんの通り、鷲がいない。
 日露戦争時、敵国ロシアの紋章を飾るのはいかがなものか、というバカな意見によって鷲の姿は熊手から消えるのであった。



 そのお隣、長国寺。もともとは鷲神社と一つのものだったのが、明治の神仏分離令によって分断され、妙見信仰は長国寺へ受け継がれていく。ここんとこ、なぜか妙見信仰に縁があるな、そう言えば。
 ここから西へ、隅田川の方へ。
 しかし、この先の街がなんというか大変だったのである。
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待乳山への散歩2

2009年11月16日 19時02分45秒 | 観光

 日本唯一地下鉄の踏切から少し西、源空寺、伊能忠敬のお墓へ。
 伊能忠敬ほか、ここにはその師高橋至時、その隣になぜか幡随院長兵衛が眠る。長兵衛がその裏に住んでいた幡随院はこの近くにあったが、現在は小金井に移転。
 東京は縄文の上に江戸時代がのっかってる不思議な街。ほんとは街じゃないけど。街というのは、パリでもロンドンでも京都でもそうなんだけれど、通りで場所を把握する。しかし、東京では場所の特定は通りという線ではなく、何丁目何番地という面で行う。これは田畑の把握の仕方だ。江戸文化は連綿と続く歴史の上に立ったのではなく、縄文時代の上にいきなり立ち上がったものだ。
 中沢新一の言う「アースダイバー」が可能なのは、東京のそういう成り立ちにもよるのではないだろうか。
 そんなわけで、だから間はすっ飛ばして江戸期の名残はそこかしこにある。歌舞伎や芝居で身近な幡随院長兵衛だの花川戸助六なんかは、すぐそこに感じることができる。江戸はユートピアでもなんでもないけれど、そしてそれがどんなものか知らないくせに、ぼくは東京に感じない何かを江戸に感じ、シンパシーを覚えてしまう。



 北西に進むと合羽橋商店街で有名なかっぱの街、そしてその由来になった曹源寺、通称かっぱ寺がある。これはかおう会(ここら辺の商店街)がたてた、かっぱのたいちゃん。なんだろう、この哀愁漂う姿は。上向きな気持ちにはならないんだが。



 曹源寺のかっぱ像。近くの川太郎さんが私財を投げ打って治水工事を行っていたら、河童たちが助けに来た、と。それでここに河童を祀るお寺ができたのだ、と。
 幟に「波乗福河童大明神」とあるので、やはり水難よけの神社なのだろう。助けにきた河童たちは、と呼ばれる人たちだったに違いない。川太郎自身が河童の異名であることだし。
 まだまだ散歩は続きます。
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待乳山への散歩1

2009年11月14日 19時56分16秒 | 観光
 前日に雨が降ると自転車に乗れない。乗れないこともないのだけれど、泥よけがついていないので、体中泥だらけになってしまうから。仕方がないから今日はお散歩。
 久しぶりに待乳山の聖天さんにでもお詣りに行こうと。
 まずは上野へ。
 日本でただ一つしかない珍しいものをご案内。


 地下鉄の踏切。
 普通の踏切が車道をふさぐだけのものなのに対して、こちらは地下鉄の線路にも扉がついていて厳重に立ち入りを禁止している。
 銀座線、丸ノ内線に乗ってみるとわかるのだけれど、車両にパンタグラフがついていない。「第三軌条方式」といって、線路の間に電線をつないで車両下から電気を取り入れているからだ。
 実は銀座線、丸ノ内線は車輪幅が標準軌と呼ばれる幅で、少数派。他の地下鉄がどんどん私鉄と相互乗り入れしているのに、銀座線、丸ノ内線は車輪幅の違いのためスタンド・アローン。地上を走る電車の場合、線路内への立ち入りの危険からこの方式を取れないのだけれど、相互乗り入れがないこの2つの路線は第三軌条方式をとることができる。
 したがって、たまたまこういう踏切のような危ないところには立ち入れないよう扉がついているわけ。
 で、ここが日本で唯一の地下鉄の踏切。この踏切を出発点に、ぼちぼち廻りながら待乳山へ!
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越生

2009年11月13日 12時53分50秒 | らくがき


 今思えば、ぼくは草食系男子のはしりと言えなくもないだろう。
 ナンパしたこともなければ、押し倒したこともない。
 死ぬ前に一度でいいからナンパして押し倒してみたい、と望む老人になっている自分を想像する。
 ぜえぜえ言いながら、暗い死の床を抜け、ぼくはふるえる声でナンパするのだ。
 不気味な姿にたじろぐ女性に向かって、孫や息子たちが頭を下げる。
「おじいちゃんにナンパさせてやって下さい」「もうじき死んじゃうんです」「一生に一度のナンパをおじいちゃんに!」「おじいちゃん、しっかり。ぼくたちがついてる」
 そしてぼくはナンパで親子の絆を感じるなんて人間は、たぶん世界でぼくくらいだろう、と静かにほほえみつつも、おいおい、じゃ、押し倒しは来世への宿題か、と心悲しくこの世を去る。
 ナンパはその日まで封印か。
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荒川彩湖分岐の水門

2009年11月12日 12時22分50秒 | らくがき


「森ガールって知ってる?」
「ああ、そうか、あれ、森ガールって言うんだ」
「え?」
「ほら、最近よく見るよ。頭をだんごにした小太りの女の子」
「それ、森三中」
「あの子たちと似たような女の子を森ガールって言うんじゃないの?」
「言うんじゃないの」
「言わないんだ」
「言わないけど」彼女は少し思いを凝らす。「確かにそういう女の子はよく見るわね」
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北埼玉グルメ旅

2009年11月09日 16時54分51秒 | 食べ物
 実は若い頃のぼくは大食いだった。18歳くらいの頃、昼ご飯にカレーを9杯、そのあとうどんを1杯なんて無茶な食べ方をしていたものだ(それなのに今より痩せてたんだよな、あのころは)。
 大人になってからはそれほど食べなくなったんだけれど、自転車に乗るようになって大食いまではいかないけれど、そこそこ食べるように。とくに自転車で食べ歩き(走り?)というのが楽しくて楽しくて。
 で、今回は吉見~熊谷~越生という平地オーゴンパターン。山にも登らず、たいした距離も走らず、食べるものだけ食べる、と。


 道の駅「よしみ」で、まずは焼き鳥。北埼玉の焼き鳥は味噌だれが特徴。ここの焼き鳥は作り置き、あっためじゃなくて、ちゃんと生から焼いてくれるので肉やわらか。味噌だれ、これうまい。なんか店主、めちゃくちゃ訳ありっぽいし、その店主がギターいじってて、年の差ありそうな若い奥さんが店を切り盛りしてた。どんな経営だよ。



 80km近く走って熊谷「ささや」到着。
 実は熊谷、小麦の生産日本2位。その地粉を使った手打ちうどん屋さんが軒を連ねてる街。市のページでも地粉を使ったうどん屋さんを紹介してるほど。
 うまい。東京だったら、名店になるのに、熊谷だと普通のうどん屋さん。熊谷のうどんレベルの高さに仰天する。もしかしたら、ぼくのレベルが低いのかもしれないけれど。でも、うまいんだもん。蕎麦好きからすると小麦粉ってつなぎという位置づけなんだけれど、そうじゃなくて、小麦だって立派に主役を張る実力の持ち主、紅天女はきみだ。
 熊谷から戻って鳥羽井沼から西へ。



 越生に行って、シメにいつものおとうふ屋さんに。
 店頭で飲み物持ち込み食べするわけにはいかないので、駅のホームへ。次の電車が出る15分間で豆腐とノンアルコールビールを楽しむ。平坦で、ものを食べ食べ130kmって、必死さのなさが心地よい。
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我が青春のレヴィ=ストロース

2009年11月05日 08時50分21秒 | らくがき
 学生時代、ある友人は「将来年をとったときに、20歳の誕生日に何をやっていたのかしみじみ思い起こすような思い出がほしい」、そんなふうに、予見的にじじいになった自分を想定するような発言をしていた。
 残念なことに、ぼく自身の20歳の誕生日を思い出すことはできない。たぶん、この発言の前に誕生日を迎えてしまっていたか、さもなくばそういう作為的な思い出作りを当時のぼくがよしとしなかったか。
 結局友人が選択した誕生日の過ごし方は、「レヴィ=ストロースの『構造人類学』を読んで過ごす」というものだった。
 マルクスやフロイドが重要な思想家であることは言うまでもないけれど、彼らには同時代性を感じることはない。しかし、レヴィ=ストロースはぼくたちの同時代人であった。
 あれからもう20年以上経つけれど、ぼくのレヴィ=ストロースに対する敬愛は変わらない。先日も「レヴィ=ストロースの庭」という日本人の書いた美しい本を読んで心を豊かに震わせた。レヴィ=ストロースはアクチュアルな存在であった。
 100歳。
 ご冥福をお祈り致します。
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