毎日が観光

カメラを持って街を歩けば、自分の街だって観光旅行。毎日が観光です。

白根三山

2018年09月05日 22時31分48秒 | 観光
 ぼくの職場の夏休みは5日間。土日、5日、土日と最大9日間の休みも可能だけれど、バラバラにとることも可能。7月から10月の間に消化しさえすればいいというゆるい夏休み。そんなわけである金曜日に最初の夏休み1日を消化して金土日と白根三山へ。白根三山、ご存じない方に説明すると、北岳、間ノ岳、農鳥岳の3つの山を総称する呼び名で、北岳は富士山に次いで日本で2番め、間ノ岳は3番めの標高を誇る、天空の縦走が楽しめる場所だったりするのであります。


1日目はたかをくくってた。歩くのはほんの3時間ほど。広河原から白根御池小屋まで。小屋は快適、食事は豪華、冷たい生ビールまである。しかし、それはこれから続く2日間への序章に過ぎなかったのである。快適ではあるが風呂やシャワーはない。ここは南アルプス。北アルプスのようにはいかないのである。


 2日目。いよいよ、今日は北岳、間ノ岳の2つのピークに立つ日。美しい高山植物などを愛でながら出発です。まだ、心に余裕あります。


 北岳は基本急登の山。次第に心の余裕がなくなっていくのがわかります。それにしても森林限界点から上の景色はたまりません。


 北岳山頂。日本で2番めに高い山頂。普段ならここで引き返すのですが、今日はこれから間ノ岳を登り返して農鳥小屋までの道行き。ここで100%喜んではいられません。


 間ノ岳への登り返し。急登の北岳に対し、でかい間ノ岳。とにかくでかいので距離が長く、またニセピークがいくつかあるので、山頂まで登っては降り、登っては降りの繰り返し。


 間ノ岳山頂。相当バテてます。農鳥小屋までなんとかたどり着いて本日の日程終了。


 朝食を午前4時にお願いしてあるので、午前3時起床。昨日は午後8時には疲れて眠ってしまっているので全然問題なく起きられる。このまま山で暮らしたら相当健康になっちゃいそう。


 夜明け前の富士山。


 朝食前にiPhoneで音楽を聴いていた。なんだかウラディール・マルティノフのこの曲がぴったりあっているような気がして、そのとき聴いていたのはギドン・クレーメルの演奏だったけれど。音楽を聴きながら、なんだか少し黙ってあたりを歩いてた。


 夜明け前に出発の準備をする人たち。今日はこれから西農鳥、農鳥と2つ登って下山。この下山がこれまた………


 湧いてくるのは霧ではなく雲。雲は基本的に自分たちより下か、あるいは自分たちと同じ高さ。雲に包まれる不思議な感じ。


 西農鳥岳山頂。しかし、


 3015m地点はここ!


 農鳥岳山頂。この行程で登る山は全部登ったのだから、もうちょっと何かを成し遂げた嬉しそうな顔をすればいいものを、こんな顔なのは、実はこの日、登るよりも下る方がかなりきついのであります。


 ここから奈良田まで、なんと標高差2300mを一気に下ります。もう、ほんと、延々。飽きるほど延々。途中から樹林帯に入ると眺望もない中をとにかく下ります。膝上の筋肉ぱんぱん。落石も怖いし、下りもきつい………

 それでも無事下山して温泉入って、冷たいビールを口にしたときの感動たるや! 登山は降りてこその登山。ほんと実感した2泊3日でありました。

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水と土の芸術祭 2018

2018年09月02日 12時59分06秒 | 観光
 ママチャリが苦手だ。自転車には結構乗っている身ではあるけれども、もしかしたら、そこらへんのママチャリ乗りと競争したら負けるかもしれない。この重くて鈍重な代物とどう付き合えばいいのか身体がまるで理解していない。
 そんなフラッフラな状態でレンタルのママチャリ漕いで新潟駅を出発してメイン会場の万代島へ。新潟暑い。


松井紫朗「Soft Circuit Fish Loop」
 それでも万代会場、のっけから面白い。海の中を歩いているような、体内を巡っているような不思議な感覚。そのどちらもがつながっているような気がしてくるから不思議。


潘逸舟「循環 海から捕獲された涙」
 声もなく部屋に立ち尽くしてしまった作品。ずっとここにいて、ずっと観ていたい。他の作品もそうだけれど、人の営みと海や川との関わりにさまざまな角度から光を当てるものに特徴を感じる。


山内光枝「みつち・みずち」
 よく見ると、大蛇の顔が女性。流動するエネルギー、異界から訪れる神の象徴である蛇=女性という縄文以来の造形が展開されてる。


管懐賓「心園の渡り」
 1日目のママチャリに懲りてクロモリの自転車をレンタル。晴れた青空の下、坂を登って海沿いを走ってみたこの作品に生きている喜びそのものを感じてしまった。ここにあることの喜び。


伊藤公象「地表の襞 eros&thanatosの迫間」
「マグマの隆起によって亀裂が走ったような《起土》シリーズと、生命の有機的な曲面を持つ《多軟面体》シリーズなどを対比的に見せる」(公式ガイドブックより)
 起土=thanatos、多軟面体=eros、そしてその間にわずかではあるけれど、5cm幅ほどの「迫間」があって、表現はその「迫間」に集中するかのよう。その迫間、断絶。その断絶はミケランジェロが「天地創造」で描いた神とアダムの伸ばされた指のごくわずかの隙間に匹敵する。ミケランジェロはあの隙間に永遠の隔たりを表現したのではないか。かつてエルヴィン・シャルガフという生化学者はその著「ヘラクレイトスの火」で、あの永遠の隙間を一歩ずつ埋めていくのが科学だというようなことを書いていた(うろ覚えで申し訳ない。名著なので、お好きな方はぜひ)。その断絶を科学によって、敬虔なクリスチャンなら信仰によって、バタイユならエロティシズムをそこに置くだろう。私たちの生はこの不断の断絶とその超越によって彩られていると言えないだろうか。生の豊かさは逆説的にその断絶の深さにあるのではないか。断絶とそれを超えるélan vital 。


  おつかれさんは、新潟限定ビイル「風味爽快ニシテ」で。
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