毎日が観光

カメラを持って街を歩けば、自分の街だって観光旅行。毎日が観光です。

銀座まで歩く

2008年11月28日 19時50分27秒 | らくがき
 泥よけのない自転車に乗っていると雨は憂鬱だ。雨のときはもちろん、路面が乾くまで自転車に乗れない。乗ってもいいけど、お尻から背中にかけて、ものすごく汚れるし、濡れる。しかも原稿の〆切や仕事があってテニスにも行っていない。
 運動不足。
 このままじゃ、醜い豚と化してしまう。
 いや、この表現が大げさであることは重々承知の上の発言である。人は一週間じゃあ、豚にならない。長い年月をかけて熟成されるように豚になるのだ。だから、豚から人になるにも長い年月がかかったりする。お手軽なダイエットなんてあるものか。そんな大げさな言辞でありますが、まあ、原稿をあげたあとの躁状態として、ご容赦下され。
 原稿をメールで送信して、さあ運動するぞ、と思ったものの、路面は濡れていて自転車には酷な状態。ジョギングは、前にやったんだけれど、苦労な割りに自転車ほど前に進まないとこがだめだ。自分には自転車の方がむいてる。
 歩こう。ゴルフは結構歩くからそれなりに運動になるんだよ、などと飲み屋でのたもう親父みたいに歩こう、それなりな運動しよう。
 そう言えば多摩美術大学芸術人類学研究所特別研究員(なんだかお経みたいだ)の石川直樹が銀座のニコンで個展を開いているから、それを歩いて見に行こう。
 70分歩いて数寄屋橋近くに来るとなんだかすごい行列があった。見ると、数寄屋橋の宝くじ売り場の行列。西銀座デパートを取り巻き、隣のマリオンをぐるっと回ってる。
 ここの宝くじ売り場は当たりがいっぱい出るんだそうだ。でもさ、思うんだけど、100枚売ってる売り場で1枚当たりが出るのと、10000枚売ってる売り場で100枚当たりが出るって、結局確率は一緒なんじゃないか? 行列がこれだけあればさ、そりゃ当たりくじも出るって。違うんだろうか? くじ1枚あたりの期待値はどの売り場でも一緒なんじゃないだろうか?
 結局85分歩いて銀座ニコンサロン到着。ま、銀座だけどさ、新橋って言ってもいいんじゃん、という微妙な位置。
 で、ギャラリーを見る。写真にはやはり現場性というものがある。その場にいなきゃ撮れない。マッキンリーの頂点の写真を撮るためには、そこに登って行かなくてはならない。彼は、だから写真家であると同時に冒険家だ。アルゼンチンでは不幸な事故も経験した。
 それでも彼は写真を撮りにそこへ行く。そういう現場性がぼくにとって写真の魅力でもある。別に冒険だけが現場じゃなく、植田正治が狐のお面の子を撮るにしたってそこにいなきゃ撮れないってこと。その瞬間に立ち会うことの貴重さが写真の楽しさの一つかもしれない。
この富士山をしばらく愛でて帰る。帰りは丸ノ内線で。
 あ、そうそう、ここでちょっとテツ・クエスチョン。東京の地下鉄で銀座線と丸ノ内線、この2つだけ他の路線と違うところがあります。さて、それはなんでしょう。あ、黒柳さんはスーパーひとしくん?
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馬込文士村

2008年11月27日 13時23分32秒 | 観光

 大田区郷土博物館。考古学発祥の地、ということをアピールしたいのか、埴輪がお出迎え。しかし、埴輪って、貝塚の時代よりずいぶんあとだろうに。
 というわけで先日「雪が谷貝塚展」のために訪れた大森。
 展示はまあまあでした。先日の松戸とか横浜のがすごかったから、それに比べるとそりゃ仕方ない。ここんとこ縄文づいてる。

「縄文の人も脅えがあったでしょうけども、縄文の人は観念的に言うと、天地を動かそうとするところがありました。火焔土器を見ても、祈りで天地を動かそうとしていた気配があります。だから岡本太郎さんが大好きなんですよ。自分が天地を動かしているから。だけど、私らは千利休みたいに、天地にくるまって生きていることを美意識にしてきました。だから、どうも弥生式の文化の子孫であることは確かのようです」
(司馬遼太郎「時代の風音」より)

 こういう分け方は面白い。なるほどとも思う。

 ここの博物館に至るまでにこのあたりが文士村である表示がいくつか目に付いた。

 こんな風に要所要所に文士村散策MAPが装備されているのだ。MAPを手に入れて(手に入れたわけではないが)探検しないのは、ドラクエファンとは言えない。そこでさっそく文士村探訪を決行。なんというかドラクエというのは、階段を上がる音とか昔ならではザッザッザで、なんというか見た目のリアルさに欠ける。言ってみれば、ファイナルファンタジーが見た目を追求するのに対して、ドラクエは非常に象徴主義的なロールプレイングゲームと言っていい。
 「俊寛」を例にとれば、最後のシーンでの悲しみと絶望の表現。能の表現がドラクエとすれば、歌舞伎の表現がファイナルファンタジーである。と、ここで断言してしまう。
 どちらが上とか下とかそんなものはない。表現の方向性の問題である。

 で、文士村。ここまで迷いながらやって来たので、当然全部回ろうなんてことはできず、小林古径と室生犀星ゆかりの地だけ。


 古径が住んでいた家は今ではマンションに。それにしても、大森って、駅近辺は場末感ありありなのに、一歩坂を登ると高級住宅街なのにおどろき。このマンションも古径にちなんだネーミングなのがいい。ぼくの住んでるあたりも啄木だの漱石だのキリシタン屋敷だのいっぱいいろんな旧跡があるんだけれど、こうしたネーミングすらないもんな。


 こっちは室生犀星の住んでいたあと。やはりマンションになっていて、名前は「室生マンション」。いいね、大森。
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縄文と男と女

2008年11月24日 14時28分35秒 | らくがき

 博物館をあとにし、その森を散歩。ひろびろとした森がいい。人間は存在したときから森を壊してきた。それは森と上手に付き合ったと言われる縄文人ですら一緒。あるがままの自然や手つかずの自然と人間は両立できないのだ。人間は自然を壊しながら、そしてそれを自分の都合のいいように変えながら歴史を作ってきた。直接木を伐らなくても、誰の手も汚れている。
 縄文は、木を伐りながら、木を植えた。栗を植えるなど自分たちの都合のいいように植生を変えていった。そこに手つかずの自然はない。人間は自然を破壊しなくては生きていけないのだ。だから、どう自然と折り合いをつけるのか。それが文明のあり方として問われるのではないか、と思う。縄文的な人々はそれがとても上手だったんじゃないか。


 なんてことをぶつぶつ考えながら歩いていて、烏が多く飛んでいることに気づいた。烏もいいなあ。
 
 なんだかぼく一人、しみじみした秋を感じてんのもイヤなので、みなさまにもお裾分け。


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松戸市立博物館

2008年11月22日 00時41分14秒 | 観光
 地図で調べたら松戸は近かった。たぶん30km以内。往復しても、たった60km。楽勝である。松戸市立博物館で開催されている「縄文の東西」に行かなくてはならない。去年の暮れ、諏訪に行って以来、縄文はぼくのキーワードなのだ、と先日も書いた覚えが、デジャビュ。
 いつもの荒川を少し下って常磐線沿いに進む。で、ほんと毎回毎回で自分でも飽きちゃうんだけれど、道を間違う。今回はね、ぼくの責任でもない。なにしろ幹線道路が走りにくいのだ。道が狭い上に、でかいトラックが我が物顔でばんばん走ってる。交通量の少ない裏道を行こうとして迷ってしまったのだから、今回の迷子は日本の道路行政の失策によるものと断言してもいいだろう。
 ま、とにかく、そんなこんなで松戸市に入り、ようやく21世紀の森と広場に到着。しかし、道路の向こう側に市立博物館が見えているのに、渡れない。信号がないし、第一、中央分離帯に柵がある。


 どういう意図かしらないけれど、横断歩道一つ作ればいいものを、わざわざでかい地下広場を作り、エレベータを設置して、地下トンネル掘って道を横切らせている。

 で、博物館で展示を見る。いやあ、これが素晴らしい。押出遺跡の彩漆土器なんて鳥肌立っちゃいます。素晴らしい。多くの土器に水を表す波状の紋様や蛇を表す三角紋が見られる。この水や蛇の紋様は日本の縄文土器に特徴的なものではなく、全世界的なものであることはミルチャ・エリアーデの著作を読むとよくわかる。この蛇(龍)=水神信仰は、宗教のもっともプリミティブなものから延々と続いている。諏訪の神もまた竜神(蛇)なのであった。
 館内の人たちがみな親切。なんだか恐縮してしまうほど。


 博物館の外に出るとそこには縄文期の竪穴式住居が3基。1つが公開されていたので入ってみたら、係の人が中で火をたいて見せてくれていた。いい具合にけぶっていて、火の上にあった編み棚の上に保存食を置いておくというのがとてもよくわかる。薫製になるんだな。この人もそうなんだけれど、ほんとに、ここの人たち(みな女性)は、なんだかすごい。仕事を楽しくやっているから、こちらにも楽しく接することができるのだろうか、とにかく、おもてなしの心満載である。ありがとう。
 それでこの21世紀の森と広場がまたいいとこなんだ。松戸好印象。
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葛西臨海公園

2008年11月21日 19時11分50秒 | 写真



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巣鴨~板橋

2008年11月21日 10時12分17秒 | 観光

 地蔵通りのある旧中山道と並行して走る国道17号線。その通りにあるのが、豊島青果市場、通称ヤッチャバ。この裏あたりがソメイヨシノの発祥地。染井墓地をはじめ、有名な人たちが眠る墓地がたくさんある。



 地蔵通りの終点にある猿田彦を祀る庚申塚。都電の駅名にもなっている。ここがなかなか雰囲気がよく、ぼくは好き。地蔵通りという名前はここで終わるが、旧中山道はこのまま続く。



 板橋に至る。ここは新撰組局長近藤勇が斬首されたところ。近藤勇と函館で死んだ土方歳三が一緒に葬られている。横には永倉新八の墓もある。近所のレストランでは彼らのポスターも売っている。地元の英雄なのだ。
 さてさて巣鴨お散歩も板橋でおしまい。次回は、たぶん松戸へ行きます。
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巣鴨お散歩

2008年11月20日 13時57分55秒 | 観光

 酉の市ついでに巣鴨をお散歩。北島康介や中村礼子の所属する東京スイミングセンター。
北島は荒川区に住んでいるのに、なぜか文京区の小学校に通っていた。


 徳川最後の将軍慶喜も一時巣鴨に住んでいた。この人じゃなかったら、この国の形はもうちょっと変わっていたんじゃないか、と思う。幕末に多くの幕臣が死んだ中、この人は長生きした。だって、巣鴨を退去したのは、近くに山手線が走るから、ってどんだけ近代的なエピソードなんだよ(彼は徳川将軍の中でもっとも長生きした)。


 おばあちゃんの原宿と呼ばれる巣鴨地蔵通り。おじいちゃんは何してるんだろうと疑問を抱くほどおばあちゃんだらけ。


 通称とげぬき地蔵、高岩寺。


 本堂よりも、脇の洗い観音に人は集まる。観音さんに水をかけ、自分の悪いところを洗うと治る、というもの。みんなこの観音さんを洗おうと行列している。後ろに見える古奈屋はカレーうどんで有名なお店。ここも行列していた。
 地蔵通りは旧中山道にあたり(旧中山道を「いちにちじゅう、やまみち」と読んだアナウンサーがいたらしい)、こんなたたずまいが続いている。ちょっと脚を伸ばして板橋まで歩いてみる。
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巣鴨 酉の市

2008年11月19日 14時41分06秒 | 観光
 おとといは二の酉。巣鴨で酉の市が開かれていたので、ちょこっとお散歩。


 大小さまざまの熊手が売られている。ひとつひとつ観察していたのだけれど、やはり鷲のついた熊手はない。


 これは先日行った国立歴史民俗博物館にあった熊手。縁起物、ということで鶴が飾られていた。

 しかし、もともと熊手には妙見様が乗る鷲がいたのだ。
 熊手から鷲が姿を消したのは日露戦争時。ロシアのロマノフ家の紋が鷲であり、敵の紋を拝むのはどうかという声によって、鷲はどこかへ飛び去ってしまった。
 今年は三の酉まである。みなさん、火事にお気を付けて下さい。
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特急わかしお

2008年11月18日 19時26分34秒 | らくがき
 上総一ノ宮から輪行で帰ります。


 ホームに入ってきた特急の前が開かれます。


 ホームの反対側からも電車が現れます。


 この子とこの子が連結。
 面白いもんが見られました。


 新たに連結した車両。もちろん無人。ぼく一人だけを載せて電車は出発して行きました。
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九十九里2

2008年11月18日 13時47分50秒 | 写真




 サイクリングロードを使って、白子から一ノ宮まで走る。何なのかわからないけれど、養殖場所のようだ。



 南白亀川の河口。



 一ノ宮川。あとはこれを遡ると上総一ノ宮駅に至る。
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九十九里1

2008年11月17日 23時44分09秒 | 写真

 九十九里、白子海岸。



 この波がいい。



 天気が今ひとつなんだけれど、逆に面白い光にあふれてた。



 九十九里の海も空も広くてすてきだ。写真右端の海がぼうっとけむっていた。再び自転車に乗ってそのけむったあたりに行ってみたんだけれど、なおまだ右がけむっていた。決してたどり着けない鬼ごっこのような感じ。案外、死ぬってえのはそんなとこに行くことなのかもしれない。天国とか地獄とか、そんな大仰なもんじゃなく。ちょっとそこらへんなんだけど、なかなかたどり着けないような場所。
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九十九里へ

2008年11月17日 09時29分54秒 | 観光
 先週江ノ島でそこはかとない臨死体験をするはめになった、わたくし、今回は正反対の快適サイクリングを目指し、方向も正反対の千葉は九十九里を目指すことにした。
 湘南よりも九十九里の方がぼくは好きなのだ。海のたたずまいがなんともいい。
 そんなわけで今回は千葉まで輪行して、市街地をパスしてしまう。好きなことしかやりませぬ。考えてみればそれでいいのだ。ぼくは別に国体選手目指して自転車に乗ってるんじゃない。千葉まで車があふれかえってる市街地走っても何も楽しくない。楽しいことしかやりませぬ。
 そんなわけで千葉で内房線に乗り換え、1駅先、本千葉で降りて大網街道を走る。
 数キロ走るとぶつかるのが千葉外房有料道路。今日は記念すべき、生まれて初めての有料道路自転車通行なのである。赤飯とケーキくらい夕飯につけてしまうくらいめでたいのである。
 片側2車線の左端を走るのだが、快適この上なし。景色が開けたところなど思わず声を出してしまう。快楽サイクリング。
 後ろから車が追い抜いていくが、そもそも交通量が少ない上に、2車線あるので右車線にはみだして抜いてくれるので怖くない。悦楽の自転車行。
 しかしだ、おごれる平家が久しくなかったのと同様、いいことばかりはありゃしない(C忌野清志郎 )。半分ほど走ると、道が片側1車線になってしまった。おまけに中央分離帯も消えてなくなり、完全な対面通行。ただの車道と堕してしまうのだ。ここからは少し怖い。トンネルも怖い。橋も怖い。当初目指していた快適サイクリングはここにおいて、もろくも崩れ去ってしまったのだった。


 出口で料金30円也を支払う。
 さて、ここからだが、ぼくは相変わらず地図を持っていない。そしてぼくはここら辺の地理について詳しくない。しかし北緯35度あたりの地理は単純である。どこまでも東に進んでいくと海に落ちる。その落ちたところが九十九里なのだ。地図はなくとも磁石がある。105円の癖にたちどころに東西南北を指し示す優れものだ。道が分かれるたびに磁石を見て、東っぽい方向に進む。


 白子町に到着。先週の境川サイクリングロードに続き、また新しい自転車道と出会う。この自転車道は九十九里波乗り道路に沿って作られている―――つまり、海に沿って作られているので、サイクリングロードを走っている限り海には行けない。そこで、自転車道を走りたい気持ちを抑えつつ、とりあえず海へ向かったのであった。
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千葉外房有料道路

2008年11月15日 14時07分08秒 | 写真


 外房有料道路のパーキングエリアで。
 では、みなさま、よい週末を。
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江ノ島

2008年11月11日 23時29分53秒 | 観光

 江ノ島着。一応来たってことでサクサク帰る。
 みんな普通に傘さして歩いてるし。そんな天気に自転車でバカみたいに80kmも。寒いの、走りにくいの言いながら、なに一つ楽しくないなんて言いながら、なんだか自分で自分がわからないよ、今日は、ほんと。
 おまけに大勢の人たちが楽しそうに帰っていく様を見て、ああ、そう言えば江ノ島に一人で来たのは生まれて初めてだな、なんて妙な寂寞感抱いちゃうし。
 最寄りの小田急片瀬江ノ島駅は混んでそうだし、だいたい新宿直通の特急はあと2時間近く来ないし。
 仕方がないので、JRの辻堂まで134号線を走る。
 いつの間にかこの通りにラブホテルが林立していた。昔はこんなんじゃなかった。
 しかし、今日ほどラブホテルに入りたくなった日はないだろう。雨に濡れ、寒さに震える身に、ラブホテルの決して上品ではないがキラキラした明るさはやけに暖かなもののように感じられた。跳ね上げた泥水に汚れ、冷え切った身体が風呂を欲していた。
 きっとそこにはビジネスホテルでは味わえない、大きくてそして泡が出たりなんかするすてきな浴槽が待っているに違いない。
 江ノ島に一人で来たことがこんなに辛いことだなんて。


 辻堂の海岸から江ノ島を眺める。寒くて寒くて目的地まで走るので精一杯で海も見ていなかったけれど、ここで海と離れてしまうので。
 しかし、帰りの湘南新宿ラインのグリーン車でぼくは一人の女性と出会う。ぼくたちはたちまち曳かれ合い、彼女が大崎で降りる際、携帯の番号とアドレスを交換する。
 今回の自転車旅は、ここにきてようやく報われることになる。
 まあ、このくらいのことがなきゃ、家で寝てた方がましだったわけで、で、まあ、湘南新宿ラインはオリエント急行でもなければシベリア超特急でもないわけで、恋なんてそんな手数のかかることはなかなか容易に起こりようがなく、したがって、結局ぼくはそんな妄想もむなしく、家で寝ていた方がましだった休日を過ごすことになったのだ。
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特別展「縄文文化円熟」と境川サイクリングロード

2008年11月11日 09時01分36秒 | 観光

 30km走って横浜市立歴史博物館着。立派な建物だ。
 それにしてもたった30kmしか走っていないのに、疲れが尋常じゃない。途中雨が少しぱらついて寒さを2割り増ししてくれたりして、とにかく寒くて寒くて。
 常設展、特別展両方見られる共通券を買って入館。中に入るとちょうどガイドツアー中。横にくっついて話を聞く。これが非常にためになった。ただ展示だけだと「ふうん」で通り過ぎてしまいがちなものをじっくり見る、というその機会があっただけでもずいぶんとプラスだと思う。138体のイノシシの下顎の骨のうち115体が子どもだった、と。へー、不思議だな、と思うだけだが、説明を聞けば、ああ、なるほど、と。たとえば神送りの儀礼ではなかったか、とか、あるいはそれだけの子どもだけを狩ってくるのはよほど大変だから飼育していた可能性があったとか。一つの事実からいろんなことが導き出される。楽しい。アイヌは古い来歴をもつ人々だけれど、イヨマンテの儀式も縄文から連綿と続いている可能性さえある。
 満足して博物館をあとにする。
 雨はちょっと降っているけれど、予報では曇りなので15kmほど先にある境川サイクリングロードへ行ってみる。
 それにしても246は走りにくい。交通量は多いし、道はぎりぎりだし、それにアップダウンの連続。寒いのは246のせいではないけれど。


 藤沢大和自転車道(通称境川サイクリングロード)到着。
 雨が強くなってるし、本当に寒い。しかもこの境川サイクリングロードが案外くせ者で、いきなり何のことわりもなく舗装されていなかったり、普通の車道になっていたり、なかなか突飛なまねをしてくれるのだ。おまけに一般道と交差する部分が多くて、そのたびに停止し、車がとぎれるのを待たなければならない。一部には車道の脇に、自転車&歩行者用と区分けされた道もあったが、それは普通に歩道って言うだろ?
 とにかく寒い。冷凍庫に入れた寒暖計のように、免疫がぐんぐん下がっているのが感じられる。頭の中をヴォーン=ウィリアムズの「南極交響曲」が鳴り響く(←いや、いくらなんでも、スコット隊は大げさだろ?)。
 寒い寒いと走りながら、ふと気づいた。何一つ楽しくないのだ。道は走りにくかったし、寒いし、雨は強くなってきたし、景色は暗く鈍調で光が奪われたままだ。休日をつぶして延々と楽しくないことをやり続けている自分が不思議だ。
 いや、登山と一緒なのだ。ゴールを迎えれば、すべてが報われるのだ。今までやってきた峠の上り下りがみな価値を持つのだ。
 だが、今日に限って言えば、そうならないことが予想できた。江ノ島に行ったからって達成感なんかあるもんか。
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