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再手術ヘ向かって~覚悟

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<・・・一年前>

・・・2006年 7月7日


妻の必死の訴えで、やっとT医師が反応してくれた。

T先生とすれば、たまたまその時その場にいた事で、訴えられたわけだが。

それでも今更新しい話しは無く、それまで何度も聞いていた内容が中心だっ
た。



 ・後空域は状態が良いのでチューブの挿入は必要ない。

 ・前空域(この時点でチューブの入っている所)はチューブが交差部まで
  到達していないので、改善する必要がある。


 →これをどう解決するか

 ・さらにチューブを差し込む(第一外科でやるか、放射線科でやるか)
  しかし、これは難しい。
  
 ・開腹手術(決して簡単ではない)
  そして手術となると、シャントの手術と同時手術となる。




7月6日、前日の胃カメラに続きDIC-CTという造影剤を点滴しながらの
検査が行われた。



そして3日、6日、10日と、仕事に関する電話、メールが立て続けに入る。

自分の身体の事で精一杯で、ストレスで潰瘍になる状態であるにも拘らず、
仕事の話しには敏感に反応する。

もちろん、この時の状態ではどうする事もできないが。

もう元のように、普通に仕事をする事はきっと無理だと、思わざるをえなかっ
た。それどころか・・・。



7月7日、道東に住む妻の父が入院。

義姉の手術の時もそうだったが、こんな時に妻を実家に帰してあげられない
事は本当に辛いし、情けない。


「帰ってあげなくていいの?」

「こんな時に帰れるわけないしょ」


何度も繰り返した会話だ。




 この日の午前中、造影X線検査の後、T先生の説明で12日のPTCDが
決定した事と、それが失敗した場合、手術となる事を聞いた。

そして同日夕方の外泊許可が出る。


PTCDでは上手くいかない事はわかっていた。
患者の本能だろうか。

手術の覚悟は決まった。

それなのに、この時点ではその手術の方法さえ決まってなかった。




自宅に戻って、翌8日、9日は次男のサッカーの試合。

この時だけに限らず、6年生として、小学校最後のシーズンの勇姿を見る事
はほとんどできなかった。
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コメント
 
 
 
Unknown (プラム)
2007-12-08 23:05:17
ほんとにほんとに、何と言っていいか・・・。
よくぞ耐えてこられましたね。
息子が移植後、そういう状況が1年も続き
再手術になるようなことになっていたらと
考えると・・・。言葉もありません。
ご家族としては想像を絶するような日々を
過ごされた事でしょう。

かんぞうサンが「自分よりもっと辛い人がいると
思ってしまうことはあまりに、みもふたも無い事で
私達は何にも悪い事をしていません」とおっしゃって
いただいて心の中で耐えていたものが
ほぐれるようで涙が出ました。
世の中には省庁の次官にまで昇りつめた人間が
夫婦で平気でおねだり・・・いえいえ「たかり」を
やり健康で生きていられるこの矛盾。
正直に生きてきてある日突然降りかかった
災難に必死で耐え生きたい、
生きていて欲しいと願う私達に国は、充分に答えて
くれて最善の医療が受けられることが、前首相の
お気に入りの言葉だった「美しい国」だと
思うのですが、どうでしょう??
これは病気やケガをして辛い人たちばかりではなく
天災や人災など不幸なことが起き災難に遭われた
方々にも「美しい国」で良かった!!と胸を
なでおろす事ができる社会でいて欲しいと
願わずにはいられません。

かんぞうサンの移植後1年間を知れば知るほど
肝臓移植を受けた方も経過は千差万別なのだと
勉強させられます。
息子は移植後2ヶ月間Bilが下がらず
心配しましたがかんぞうサンからみたら
「それぐらいよくある事!」と一蹴されそうですね。
かんぞうサンのこれからは絶対大丈夫!
これだけの難局を乗り越えてこられたのですから
頂いた肝臓は50年はもちますって~。
長持ちしすぎかしらね~(笑)


 
 
 
他人の痛み (かんぞう)
2007-12-09 22:19:05
一年間、ずっと思っていたのが、「移植までしたのに、何で?」という事でした。
ドナーの姉も、家族も皆、そしておそらく先生方も一年間大変だったと思います。

「きっと治ると信じていればなんとかなる」という言葉もたくさん貰いましたが、結局最後まで自分の中に取り込む事はできませんでした。

このブログで色んな事語ってますが、いざその立場に立ってみるとそんな生易しいものではないですよね。

プラムさんならきっと同じ気持ちだと思います。

苦しみもがき、悲しみ泣き、絶望し、かすかな希望を見出そうとし、そんな毎日が本当の日常だと思うんです。

こんな事、きっと当事者でしか理解できない、ましてや机上の論理を振りかざし、現場を知らず物事を決めていく霞ヶ関や永田町周辺の人間にはわかりっこないですよね。

なんたって、財政不足を騒ぎ、自分達を棚に上げて、医療費の抑制に走る、そんな人達が司取る国ですからね。

痛みを知らない人間は絶対に他人の痛みは理解できないと思うんです。



入院中、確かに絶望の日々でした。
なんたって先行きがまったく見えないんですから。
自分の回復はもちろん、家族の生活はどうなるのか、と。

でもここまでの状態に戻れると、辛かった日々もいい経験と思えるようになりました。やっと。

でもプラムさんの息子さんにとっては、しなくてもいい経験だったかもしれません。
だけどきっと息子さん、大人になっても他人の痛みを理解できる人になります。


ワタシの場合はやっとこの歳でそれが少しだけわかりました。(遅い!)
 
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