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何も無いことの幸せ

 病室に居ると、特に入院生活が長くなればなるほど、
家に戻れたらあれもこれもやらなきゃと考える。
ところが思うほどできるものではない。
どこかここか痛みが有ったり、体中からチューブが出て
いたり、疲れやすかったり。


 昨日、一昨日の週末は特にすることも無く、ゆっくり
過ごすことができた。

人間誰でも色々な欲が有るが、一年間病気と闘ってきて
みて「何も無いことの幸せ」を痛切に感じる。
仕事もままならない、家の事もろくにできない、今はそ
んな自分であるし、情け無さで落ち込むことも多いが、
妻を中心に、支えてくれる人達がいる。

「何も無いことの幸せ」を感じさせてくれるたくさんの
人達が、自分の周りにはいっぱいいる。





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<・・・一年前>

・・・2005.8.13(土)

身体中に妙な疲労を感じる。
しかし、丁度一週間の出張から帰ったばかりで、その疲
れが出たかな、という程度の認識しかなかったと思う。


・・・2005.8.14(日)

疲労感は強まり、午前中吐いてしまう。
翌日からの仕事の事もあり、さらに休日だった為、当番
病院を調べ胃腸の様子を診てもらう。
採血し、翌日の胃カメラが決定。

出張中の仕事の整理が有る為帰宅後も仕事。
正直きつかったのを憶えている。


・・・2005.8.15(月)

昨日の当番病院(S医院)での胃カメラ。
特に以上は無い、ということで一安心。


・・・2005.8.16(火)

どうやらこの辺りから雲行きが変わってくる。
午前中S病院で診察を受ける。
採血の結果が相当悪いらしく、入院勧告を受ける。

帰宅すると、留守番をしていた息子がS病院から電話を
受けていて、入院に関して大事な話が有るという事。
今直ぐにでも入院してほしいとのこと。

でもやはり、自分の中では状況を良く把握できず、「仕
事の区切りをつけるので、もう少し待ってくれ」と言っ
ている始末。

しかしそうも言ってられず翌17日には、S医院の医師
に紹介された、SH病院に入院。
妻に連れられ家を出る時には、家族に「じゃあちょっと
行ってくるわ。」と言ったのを今でも憶えている。

この時はまだ、本当に「ちょっと行ってくる」という感
じしかなかったのでです。  ・・・この時はまだ。












コメント ( 4 ) | Trackback ( )
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« 定期検診 生体肝移植 »
 
コメント
 
 
 
がんばってください! (お世話になった者です。)
2006-08-08 17:42:20
再入院したと聞きビックリです。

早く治って仕事復帰を願ってます。

 
 
 
がんばります (かんぞうくん)
2006-08-08 21:52:53
ご心配して頂きありがとうございます。



入院・手術が近つ゛くたび、開き直ろうとする

自分と開き直れない自分がいます。

でも「常に前向き」に生きていきたいとは思って

います。



とにかく健康が一番!

みなさん、私が言うことではないですが、くれぐれも身体に気を付けて!!
 
 
 
Unknown (みー)
2014-05-31 21:37:07
こんばんは。
先日はお返事ありがとうございました。
周りに話しにくい内容なので、かんぞうさんからコメントいただき、とても嬉しく思いました。
臓器移植については、当事者じゃないとやはり理解できないところもあると思うので・・・。
かんぞうさんからコメントをもらったあと、生体肝移植について調べてみたんですが、ドナーになるのはとても大変なんですね。
しかも移植したといっても、助かるという保証はないなんて。
もし私がドナーになって、母が亡くなったらと想像したらとても複雑な気持ちになりました。

ところで、こちらの記事の2005年8月というのは、劇症肝炎を発症したときですよね??
私の母は胃腸風邪をひいたと思っていたらしく(病院からも胃腸風邪の薬をもらっていました)黄疸が出て初めて肝臓だと気付きました。
風邪と似たような症状だから気付くのが遅くなったんだと思います。

「何もないことの幸せ」心に響きました。
運良く母が病気になる前までは、大きな病院とは縁がなかったんです。
これってとても幸せなことなんだなと思います。
健康でいられること、当たり前のことで忘れてしまうけど、一番大切なことですよね。

 
 
 
みーさんへ (かんぞう)
2014-06-05 16:16:29
お返事が大変遅くなってしまい申し訳ありません。

臓器移植は、本当に、難しい事がたくさんあって、究極の救命医療であると同時に、色んな葛藤を産み出すものでもあると思います。

ドナーになること、これはもう移植される側よりも大変なことだと思います。
様々な環境が整わないと難しいですし、なによりも「意思」が最大限尊重されなければなりませんから。
そこの所に色んな外的要素が侵入してこようとするので、それは本当に大変なことなのです。

わたしなんか、ホンともう「まな板の上の・・・」状態でしたからまったくもって偉そうなことは言えないんですけどね。


この記事、発症時のことです。
この時の一年後、再手術前に書いていることです。
たぶん、大病をされた方皆さんそうだと思いますが、「まさか自分が」の連続で、心の片隅では「それでも何とかなる」と、思わせようとしている、そんな頃です。

死ぬまで大きな病気もせず・・・本当はこれが人間にとって一番幸せなことなのかもしれませんね。
でもなかなかそうはいかない。
だからこそもしもの時、その時が自分自身の見せ場なんだと思います。
どんな考えでどんな選択をし、どんな立居振舞いをするか、結局、どうであれ自分自身が後悔しないこと、これが大事なんだと思います。
 
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