英の放電日記

将棋、スポーツ、テレビ等、日々感じること。発信というより放電に近い戯言。

羽生名人、防衛(第73期将棋名人戦、通算9期)

2015-05-31 11:37:32 | 将棋
「2局目以降はずっと苦しい展開というか、作戦的なところから押されている状況が続いた。かなり厳しいんじゃないかなという気持ちを持ちながら指していた」
(朝日新聞デジタル、「羽生、名人防衛 将棋名人戦第5局2日目」より)
 この言葉通り、苦しい戦いが続いた。
 私も、手が空いた時に中継を覗いて、羽生名人が良くなる……と言うより、勝負に持ち込める指し手はないかと思案を巡らしたが、私ごときに局面打開の妙手を捻り出せるはずがなく、重苦しい気持ちが続いた。

 特に、第4局は「歩損した上、棒銀が後退せざるを得ないない」「頼みの綱の馬も1一の隅に封じ込められている状況」など、“完封負け”の雰囲気が漂っていた。
 第5局も、一方的に攻め倒されそうな状況が続いた。2日目、午後5時3分、△2七銀!……所謂“羽生ゾーン”の勝負手が放たれ、後に▲2五桂△3九飛と入玉と先手玉攻略の足掛かりができた段階で、一筋の光明が差した。(この飛車は、後手玉の入玉の代償となり盤上から消えることとなったが、大いに貢献)
 その後、入玉を確定させた羽生名人が、先手玉を寄せて勝利し、名人位防衛を決めた。
 巷では、持将棋に甘んじず、先手玉を寄せに行ったことを称賛されていたが、相入玉となった場合、後手の駒数が足りなくなることが想定される。羽生名人が先手玉を寄せようとしたのは、当然の選択だったように思える。
 なぜなら、先手が入玉を実現しようとする場合、後手陣の右翼の飛車銀桂香が健在で、真正面から突破するのは難しく、龍や馬で下段から後手の駒を掃討する方が有効で、後手も防ぎにくい。「先手の入玉を許す」=「後手陣の右翼の飛車銀などが取られる」駒数が足りなくなるのである。

 上記で「入玉を確定させた羽生名人が、先手玉を寄せて勝利」と簡単に書いたが、実際は非常に難解で、3六に玉がたどり着き、入玉が見えてからも、入玉確定させるのもまだまだ大変で、玉が一段目に到達しても、▲5九龍の王手に△4九金と合駒を龍に当てて打ち、▲5八龍と追いやってから△3九金と寄せるなど、苦心の指し手が必要だった。


 この第5局についての羽生名人の感想が光っていた。
――七番勝負の5局の中で印象に残る将棋は?……という問いに対し
「今日の将棋は一番印象に残っている。入玉模様になってからごちゃごちゃと。こっちが入玉して、相手が来るのを止めて。駒数がどうなるのかという意味で。意外と手数が短くてびっくりした。自分としては200手ぐらい指したのではないかと。非常に考えがいのある面白い将棋でした」

 ………“非常に考えがいのある面白い将棋”だそうだ。


 中継サイト・棋譜解説欄の152手目の行方八段の
「途中から何故か相手は金1枚の持ち駒だと思い込んでいたのですが、2枚あることに気づいて観念しました」
 について、“負け惜しみ”と非難する声も巷ではあったが、負けたことのいいわけではなく、最終盤の自分の指し手について、≪棋譜を汚してしまったのではないか≫という危惧の弁だったように思う。


 7番勝負を通じて、行方八段の序盤の将棋の組み立てが光った。戦いが始まった段階で既に、羽生名人が“苦しい”あるいは“思わしくない”ことが多く、羽生名人が動いてきたのを、最強の手段で迎え撃ち優位を築き上げた。羽生挑戦者を跳ね返した森内名人の強さを彷彿させた。
 しかし、リードを奪われた羽生名人も、そこから最強の追走を駆使し、行方八段を楽にさせなかった。

 時間と自身(体力、気力、思考力)の消耗で、終盤に逆転を許してしまった行方八段、
「二日間を戦う力が不足していた」
は、まさに今シリーズを言い表した言葉であった。


 「負けました」とはっきり投了の意を告げる行方八段は清々しかった。
 その言葉には、再起を誓うような力強さがあった。
 また、タイトル戦に登場して欲しい。

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4 コメント

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羽生名人9回目の防衛 (Stanley)
2015-06-01 08:37:59
英さん、こんにちは。

此の度は、羽生名人の9回目の防衛、大変におめでとうございます。英さんの笑顔が目に浮かぶようです。さて73期名人戦の開始前から、プレーオフで挑戦者が行方八段に決まったころから、今回の名人戦はきっと羽生名人の楽勝だろう、と勝手に予想していました。結果は4勝1敗で羽生名人の防衛となったので、これだけを見て将棋を知らない一般の方は今回は羽生名人の楽勝だった、と思ったのではないでしょうか。しかし、感想戦の後のインタビュー記事を読んでみると、実は羽生名人が大変苦しみながら第2局以降を指されていたシリーズだったのだと改めて知ることが出来、自分の浅はかな考えを大いに改めました。印象的な言葉は、「かなり厳しいんじゃないかなという気持ちを持ちながら指していた」「できるだけのことは頑張ろうという気持ちはありましたが。(中略)気持ちの面では折れないように指せたらいいなというつもりだった」などなかなかの名言ですね。そして英さんの言葉から羽生ファンが今回の名人戦をどういう思いで観戦していたのか、その時の気持ちも想像し、自分なりに理解することができました。英さん、いつも素晴らしい記事・コメントありがとうございます。また今回特に「ものぐさ将棋観戦記」の「人間的なあまりに人間的な行方尚史の名人戦その1その2」を読んでからは、行方八段は羽生名人を苦しめた凄い挑戦者だったのだ、と挑戦者に対する評価を改めるようになりました。まだお読みになっていない方のために、リンクを張っておきます。
http://blog.livedoor.jp/shogitygoo/archives/51985317.html
http://blog.livedoor.jp/shogitygoo/archives/51985332.html

名人戦終局直後、「羽生名人と対戦して何を感じたか」と問われた行方は、しばしの沈黙の後に、「こちらとの距離感を見切られているなと感じた」と答えられたそうです。この「距離感を見切られた」、とは少し分かりにくい表現ですね。具体的にどういうことを言っているのか、英さんはお分かりになりますでしょうか?もし可能でしたら具体的な指し手など引用して、英さんの感想やコメントを再度わかりやすく書いていただければ有難いです。(最終局でいえば、▲2七銀、第3局の△5八馬などでしょうか?)

ものぐさ観戦記では最後の一節がつぎのように締めくくられていました。・・・やはり、「人間的な、あまりに人間的な」「棋士」――ではなく「人間」である。その点では羽生もかなわない。・・・この言葉に英さんは同意されますでしょうか?私は英さんの影響を受けて、羽生名人のファンになったのですが、実は羽生さんこそ「人間的な棋士」の代表ではないかと思っています。だからこそ、100回近くもタイトルを獲得し続けて来られたのではないでしょうか。このように凄い歴代最高の名人にもかかわらず、例えば里見さんのところに飛んで行って心から激励されたり、タイトル戦の合間に将棋教室を訪問し子供達を激励したり、感想戦のコメントも謙虚なものが多いなど、これら一連の振る舞いから、ものすごく人間的な方であると思うのです。この点が私と、ものぐささんとで少し見方が異なるところでありました。いずれにせよ、羽生名人には今後も強い挑戦者を迎え撃つことになると予想されますが、連覇し名実ともに歴代最高の名人になって頂きたいと願っています。先ずは来る6月2日から始まる棋聖戦。挑戦者は若手のホープ、豊島七段です。どうなるでしょうか?楽しみです。
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距離感ですか ()
2015-06-01 15:00:11
Stanleyさん、こんにちは。

>此の度は、羽生名人の9回目の防衛、大変におめでとうございます

 はい、ありがとうございます…って言う立場ではありませんが(笑)、ありがとうございます。

>そして英さんの言葉から羽生ファンが今回の名人戦をどういう思いで観戦していたのか、その時の気持ちも想像し、自分なりに理解することができました。英さん、いつも素晴らしい記事・コメントありがとうございます。

 かなり主観的に書いていて、≪これでいいのかな?≫と思うことがあり、そう言っていただけると、うれしいです。

>今回特に「ものぐさ将棋観戦記」の「人間的なあまりに人間的な行方尚史の名人戦その1その2」を読んでからは、行方八段は羽生名人を苦しめた凄い挑戦者だったのだ、と挑戦者に対する評価を改めるようになりました

 『ものぐささん』と比較されると、恥ずかしいです。
 私も、この記事を読んで、≪さすがだな≫と。やはり、私などより、数段上を行く文章、考察ですね。

>「距離感を見切られた」、とは少し分かりにくい表現ですね。具体的にどういうことを言っているのか、英さんはお分かりになりますでしょうか?もし可能でしたら具体的な指し手など引用して、英さんの感想やコメントを再度わかりやすく書いていただければ有難いです

 う~ん、難しいですね。
 おそらく、ものぐささん、私、Stanleyさんは「距離感」について同じように考えていると思います。
 特に、Stanleyが例に挙げた▲2七銀や△5八馬が該当する手だと思います。
 せっかくなので、少し考えて、別記事としてあげたいと思います。

 また「人間的」という表現ですが、確かに、羽生名人の場合は「人間性が素晴らしい」です。
 でも、他の棋士が時々、羽生名人のことを「超人」と言うように、器が大きくて人間的なものを感じないこともあります。
 多忙な中でも、子供たちを励ましたり、イベントにも積極的に参加するのは、常人のレベルでは相当な障害物に感じるはずですが、羽生名人にとっては、道路にある小石のようなもので、サッと避けたり、拾って脇に置いたりするような感覚なのでしょう。超人です。

 行方八段は、ストイックで正直で、魅力あふれる棋士、人間です。特に、若い頃はもっと尖っていて、先崎九段とのエピソードはとても面白いです。
http://shogipenclublog.com/blog/2009/12/22/%E5%85%88%E5%B4%8E%E5%85%AB%E6%AE%B5%E3%81%A8%E8%A1%8C%E6%96%B9%E5%85%AB%E6%AE%B5/
 多少の脚色は入っていると思いますが。
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力のこもった投稿お疲れさまです。 (かみしろ)
2015-06-05 23:33:26
>「途中から何故か相手は金1枚の持ち駒だと思い込んでいたのですが、2枚あることに気づいて観念しました」
 について、“負け惜しみ”と非難する声も巷ではあったが、負けたことのいいわけではなく、最終盤の自分の指し手について、≪棋譜を汚してしまったのではないか≫という危惧の弁だったように思う。

これは、なんだろう、ある程度長く棋士を見ていれば「全く負け惜しみになってない」と感じるのではないかと思うのですが、電王戦とかで一応ファンが増えたということなのかしら。
「敵の持ち駒を勘違いしていた。勘違いが現実だったら勝っていたのに」
そんな恥ずかしいことを本気で言う棋士はそうそういないでしょう。棋士でなくても冗談でなければ相当の恥知らずですよ。
行方さんは単に事実を言ったか、英さんの考えるように思ったかでしょう。

羽生ファンとしてはほっと一息(棋聖戦が始まってるけど)ですが、行方先生とても強かったですね。羽生ファンとして熱が入った状態だと「全部勝って」となるからそう思わないのですが、ちょっと距離を置いて見ると「羽生善治に勝つって本当に大変そう」と思います。

電王戦はすっきりした形になったんじゃないですか。最初からこうした形式で、ガチ勝負にすれば良かったのに。
事前貸し出しなし、スペック制限なしでいいのでは。開始直前まで手直し可能でいい。プログラム停止とか停電とかで止まっても負けのガチンコで。
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いろいろと浅い方が多い ()
2015-06-06 22:10:17
かみしろさん、こんばんは。

>ある程度長く棋士を見ていれば「全く負け惜しみになってない」と感じるのではないかと思うのですが、電王戦とかで一応ファンが増えたということなのかしら。

 某掲示板やニコニコ生放送は非常に人が多いので、従来の将棋ファンとは違う思考法をする方も多いようです。
 多方向から物事を見ることはなく、一方面から物事を捉える。それでいて、確信を持って言い切ってしまう意志の強さ……
 新たに将棋に興味を持ったファンが、それらのコメントを見て、そうなのかと思ってしまう危険性が低くないです。

 正直に言うと、ドワンゴさんに将棋界をかき乱してほしくないです。
 エントリーされた棋士は、糸谷哲郎竜王、谷川浩司九段、佐藤康光九段、森内俊之九段、屋敷伸之九段、藤井猛九段、深浦康市九段、三浦弘行九段、佐藤天彦八段、豊島将之七段とそうそうたるメンバーですが、トップ棋士は無視してほしかったというのが、私の気持ちです。
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