英の放電日記

将棋、スポーツ、テレビ等、日々感じること。発信というより放電に近い戯言。

『八重の桜』 第18話 「尚之助との旅」

2013-05-06 01:45:22 | ドラマ・映画
尚之助と八重の周辺諸藩見聞の旅
背炙峠(大砲の鋳造所予定地)、猪苗代湖南(大砲の輸送経路)、白河の関(激戦の過去を思い、今後の会津を憂う)、白河小峰城(白河だるまを買う)、二本松(幼年者の銃の修練場を見学)などを巡る。
 今後の戦に備え、策を練ることが目的であったが、「会津周辺の史跡名勝巡り」という趣も。
 白河の幼年者が、銃の修練に励む姿を視るのは心が痛む。
 銃を撃つお手本を見せる八重だが、引き金を引く寸前に力が入りすぎ、銃身を後ろに引っ張ってしまうのは、いただけない。

尚之助の仕官
「居候では外聞が悪い」という権八だが、尚之助は「学問や銃のためには、今のままが都合がよい」
と理由を付けるが、「男手のいない家を守るため」だと八重は察する。
「会津に来てもう10年です。……ここは私にとっても、住み慣れた我が家なのですよ」
「……はい」

 尚之助は、各地の見聞録や軍備増強策を提出するが、守護職就任以来かさみ続ける出費により、もはや藩には尚之助の献策を実現させる余力はなかった。
 それでも、他の策を見出そうとあきらめない尚之助だった。

尚之助はヤン・ウェンリー
 今回まで、「1を聞いて10を知る」「運動は苦手」「柔軟な発想」「金や権力にこだわらない」「柔らかな物腰」「思慮深く、人を思いやる」などの人間性を見せてきた尚之助だが、これらは『銀河英雄伝説』のヤン・ウェンリーと合致する。
 今回、乏しい財力でも、それなりの策を見出そうとする姿、妻に後れを取る体力などを見て、その意が強くなった。
 八重は、さしずめ、アッテンボローかユリアンか。

 
一方、京の会津藩
秋月悌次郎(蝦夷)、山川大蔵(独・仏・露)が復帰
「美しかったぞぉ、八重殿の花嫁姿ぁ」
「そうか、美しかったかぁ、あのお転婆があ」
「(うん、うん)」(嬉しそうに、感慨深げに頷く大蔵)

覚馬は、薩摩も長州も戦力が揃っていて、今、戦をすれば、ねじ伏せられるのはこちら(幕府・会津)だと自覚。

「ええじゃないか踊り」の世相、民衆の気持ち(政治への不満や鬱憤)を大垣屋清八が代弁。

幕府政治派共和政治派、それぞれの動き
 「幕府・武士の統領=徳川家」と、徳川家に尽くす会津藩だが、当の徳川慶喜は、徳川家さえ守れさえすればよいと大政奉還を受け入れると腹を決める。(豊臣家の末期に似ている)
 とは言え慶喜も、260年続いた徳川幕府の幕を引くことにストレスを感じ、食欲に走り紛らわそうとするが、戻してしまう。

 共和政治派も土佐藩と薩摩・長州藩では方向性が異なっていた。
 土佐藩の倒幕は、徳川家による幕府政治を終わらせることで、「大政奉還」を迫る。
 薩摩・長州の倒幕は、徳川家を滅ぼしてこそ新しい時代が来るというもので、今にも戦を始める意志。
 しかし、慶喜に大政奉還されてしまっては、戦の大義名分がなくなってしまう。
 そこで、岩倉具視が朝廷に「徳川家・会津藩を討て」との勅命を出させようとする。さらに、朝敵討伐の証として、天皇から官軍の大将に与える錦の御旗(にしきのみはた)のねつ造も謀る。


【ストーリー】番組サイトより
 会津の防衛に不安を抱いた尚之助(長谷川博己)は、八重(綾瀬はるか)を連れて周辺諸藩見聞の旅に出る。二本松に立ち寄った2人は、熱心に砲術教練に励む少年隊士たちに出会う。二本松藩では変事に備え、藩士は皆、鉄砲を学ぶようにとの通達が出されていたのだ。
 会津に戻ると、尚之助の仕官が許され、八重も権八(松重豊)や佐久(風吹ジュン)と喜び合う。尚之助は早速、各地の見聞録や軍備増強策を提出するが、守護職就任以来かさみ続ける出費により、もはや藩には尚之助の献策を実現させる余力はなかった。
 そのころ、京にいる慶喜(小泉孝太郎)や会津藩士のもとに、薩摩兵千人が大坂に入ったという知らせが入り…。

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