英の放電日記

将棋、スポーツ、テレビ等、日々感じること。発信というより放電に近い戯言。

13-14 Wリーグ プレーオフ/セミファイナル トヨタ×デンソー 第3戦(4月8日)

2014-04-17 21:33:09 | スポーツ
 久手堅が完調でないのが痛かった。それでも、トヨタが勝つと思っていたが……

 ゲーム開始直後、トヨタが5-0とリードしたが、高田がオフェンスリバウンドからシュートを決め、チームも落ち着く。この後、膠着状態が続くが、なんとなくトヨタのオフェンスがギクシャクしている。久手堅の状態が良くないのだろう。うまくゲームを展開できない。チームもそれを意識しているのか、動きが固い。
 高田がゴール下を支配し始め、ガードの大庭、伊藤も縦横に動き回りトヨタのディフェンスを切り裂く。徐々にデンソーペースとなっていった。
 デンソーの基本に忠実なディフェンスも素晴らしかった。しつこくマークしプレッシャーをかけ、リバウンドも集中し、ボックスアウトをしっかりしていた。トヨタは自分のオフェンスをさせてもらえず、栗原の3Pシュートや積極的なプレーで奮闘したのみだった。あとは矢野の冷静な個人技と勝負をあきらめないプレーに心を打たれた。
 久手堅はやはり捻挫の影響があり、オフェンスを展開できず、2Qの4分で2つ目ファールを犯したところでベンチに下がった。代わった森澤は必死に頑張るが、オフェンスを展開できず、無謀なシュートや変なタイミングのシュートを放ち、オフェンスのリズムを崩した(2Pシュート…0-5、3P…0-3)。
 また、川原の不調も痛かった。2Pシュート…1-4、3P…1-9、しかも、初得点が4Q残り 1:14 というのは痛い。チームとしては2Qの7分過ぎまで無得点というのも、ゲームの流れを完全にデンソーのものにしてしまった。
 デンソーは集中力が素晴らしく、途切れなかった。高田は体幹がしっかりしていて、バランスを崩さないプレーが冴えた。
 決勝はJXの渡嘉敷、間宮のツインタワーにプラス宮澤の強力フォワードが待ち受けているが、ガード陣はデンソーが大きく優位。高田がうまく働けるかが疑問だが、勝機は充分にあるように思う。
 
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日野川堤防の桜 2014 (4月15日撮影) ~散りゆく桜、ほんのりピンクも美しい~

2014-04-17 19:21:05 | 歳時


 日野川堤防の桜もかなり散ってしまいました。
 前回「満開ちょっと過ぎ?(4月11日撮影)」から、4日経った15日(一昨日)、3割~5割弱ぐらい花が残っている感じでしょうか。
 私は、ほんのりピンク色の桜の樹も好きです。




 今年は長く楽しませてもらいました。
 桜シリーズも今回が最終回、「また来年」と、終わるつもりだったのですが………
コメント (2)
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電王戦雑感 その2「対局規定の整備の必要性」「電王戦仕掛人の思惑」

2014-04-17 19:15:41 | 将棋
 今日の記事を書くに当たって、昨年の「電王戦考 危機的状況なんだけどなあ」を読み返しました。(実は、「その1」の時は、≪考えは変わっていない≫と思ったので読み返していません)
 読み返して思ったのは≪やはり、今とほとんど同じことを考えている。しかも、私にしては簡潔に上手に書いてある。感心、感心≫(自画自賛かよ!)
 正直、コピー&ペーストすればいいんじゃないかと思います。(実際、項目③はそうなりそうです)

③将棋ソフトとの係わり方・その2
 スマートフォンなどの携帯機器の進化と将棋ソフトの進化によって 対局中、詰みの有無などを検証や指し手の参考にスマートホンなどを利用することは可能な状況と言える。
 昨年のニコニコ生放送の解説者のひとりであった木村八段の言によると、不正行為は許されないという意識(通念)はあるが、実際には携帯機器の規制(規則や実際の防止措置)が何もなされていないそうだ。
 私は以前(2009年)も「『週刊将棋』 驚きの記事」という記事でこの点を危惧しているが、ここまで切迫した状況(研究にソフトの利用、対局中の不正使用になっても、全く危機感がないのは、唖然としてしまうくらい不思議でしょうがない。
 「コンピュータに棋士が負けた」というプライドの問題よりも、はるかに棋士の存在を揺るがす問題だとまるで理解していない。


 棋士の誇りがあれば、そんな不正行為は考えられないと思っているのだろうか?多くの一流棋士はそうだと思いたいし私も信じているが、先述の記事をご覧くださればそれは杞憂でないことは誰もが思うのではないだろうか。
 百歩譲って、棋士がそういう不正行為を全く行わないとしても、不正行為が可能な現状において、一般的にはそういう疑惑の目で見られる可能性があるのだ。また、棋士が独自で汗を流した研究手順も、ソフトの研究成果と見られ、せっかくの会心譜が疑惑のスクリーンが掛けられてしまう可能性もあるのだ。

 早急な規制が必要だと思うが、せめて、棋士会の議題に挙げて、不正行為の重大性の確認を行うのが急務である。それと同時に「ソフトに教えてもらった手を指すことの意味」も話し合ってほしいものである。
 問題意識を持つことが第一である。


 以上、ほとんどコピー&ペーストです。


④「将棋や将棋ソフトへの愛」とは別の意思の介入
 これに関しては、nanaponさんが指摘されています。
 これも引用になりますが、ご容赦ください。

【以下引用】

さて、電王戦の仕掛け人の記事がありました。
「将棋、そして囲碁」電脳に負ける人類を待つもの (川上量生)

<一部引用させてもらいます。>======================
身の回りの強い人から挑んでいって負けていく。だんだん勝てるひとが少なくなって、そして、最終的にはプロが人間を代表して戦う。そういう構図です。素人から徐々に勝てなくなっていく様子をリアルタイムで歴史に残していける、というのが、囲碁電王戦の役割だと思っています。

 そこから人々は何を学ぶことができるのか。それは、コンピューターとのつきあい方でしょう。人間よりも優秀になってくコンピュータに対して、正々堂々と一騎打ちを挑む道もあれば、戦いを避けることもできる。また、利用するという生き方もある。

 だれもコンピューターに負けたくないわけですよ、人間は。でも現実はいつかは負ける。コンピューターが進化したらどうなるかというと、徐々に人間の頭脳は必要とされなくなっていくのです。

 この問題に対して向き合うというのが、これから21世紀を生きる我々にとって重要だと思っています。コンピューターの頭脳が人間を追い越したときのひとつの回答として、人間には共存を選ぶという道がある。将棋電王戦ではそれを試しました。

<中略>

そういう意味では、将棋電王戦はAIの進化に少なからず影響を与えるとは思います。でも、将棋電王戦をやったところで、AIの進化の速度はさほど変わらない。コンピューターは知らないうちに賢くなるし、知らないうちに人間に勝つ。

 ただ、将棋や囲碁というのは、人間がやってきたことにコンピューターが挑戦してくるわけで、分かりやすくその進化が可視化される。つまり、人間が知らないうちに追い抜かれるのではなくて、ちゃんとわかる形で追い抜かれるんです。

 そのとき、人間はどう対応していくかのモデルケースが電王戦です。進化していくコンピューター、人工知能にどう対応すればいいのかを人間側に考えさせる極めていいモデルケース、というのが、電王戦の意義だと思っています。そこに、社会的な意味がある。

 少なくとも5年10年は電王戦を盛り上げたいと思っています。人間がどこまでやれるか、見守る。それが僕らの義務だと思っているので。

==========================
僕はプログラマーとか科学者じゃないのでわからないけど、なんだかずいぶんと不遜な言い方に聞こえるし、上から目線も感じるし、正しいことを言ってるのかもしれないけど、どうにも友達にはなりたくない人っていう印象が残る。
いや、言ってるように電王戦の意味とか役割っていうのは理屈としてはよくわかるのだけど。。


【引用終】

 同感です。
「素人から徐々に勝てなくなっていく様子をリアルタイムで歴史に残していける、というのが、囲碁電王戦の役割」
「コンピューターの頭脳が人間を追い越したときのひとつの回答として、人間には共存を選ぶという道がある。将棋電王戦ではそれを試しました」
「将棋や囲碁というのは、人間がやってきたことにコンピューターが挑戦してくるわけで、分かりやすくその進化が可視化される。つまり、人間が知らないうちに追い抜かれるのではなくて、ちゃんとわかる形で追い抜かれるんです。
 そのとき、人間はどう対応していくかのモデルケースが電王戦です。電王戦の意義だと思っています」
「人間がどこまでやれるか、見守る。それが僕らの義務だと思っているので」

 「役割」「意義」「義務」という言葉を使っていますが、棋士がコンピュータに立ち向かい、苦しみ、敗れ去る様を見世物にするという意思を感じます。
コメント (4)
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