「序盤でリードして、中盤でその差を縮められてもリードして終盤に持ち込み、逃げ切る」が対コンピュータ将棋のパターンだと言われている。特に、第3戦の豊島七段の将棋は序盤のリードを短い中盤でリードを減らされることもなく、消耗も少なく、しっかりと勝ち切った理想的な勝ち方であった。
コンピュータ将棋の序盤は、膨大な棋譜や定跡のデータベースを備えているとはいえ、プロ棋士と比べるとまだまだ甘い。
これは棋士同士の序盤(2011年順位戦C級1組)だが、
ここでの先手の指し方は①棒銀、②早繰り銀、③腰掛け銀が考えられるが、先手の稲葉五段(当時)は▲7七銀と態度を保留。後手糸谷五段(当時)の△6四歩を見て▲2七銀と棒銀戦法を選択した。
棒銀には早繰り銀(7三銀型)で後に▲1五銀に△5四角と反撃するのが有力だが、▲7七銀で棒銀は1手遅れるが△6四歩と腰掛け銀に限定させて△5四角をなくしているのである。(と言っても、先手が有利になったわけではない)
このように、相手の動きを見極め手を進めていく駆け引きは、まだコンピュータ将棋は不得手で、相手の細かな動きには無頓着(明らかに隙がある場合は別)で目指す陣形に突き進んだり、定跡と評価関数の折り合いがつかず不自然な手順になることがある。
ちなみに、この将棋、▲7七銀△6四歩▲2七銀以下、△6三銀▲2六銀△1四歩▲3六歩△4四歩▲3五歩と進み
激しい戦いとなっている。
中盤は、「その3」で述べたように、コンピュータ将棋は恐ろしく強い。もちろん、「その3」の終盤戦についてで述べたコンピュータ将棋の射程距離を上回る先で落とし穴が見えずに間違うということは中盤戦でも起こりうるが、コンピュータ将棋の強い中盤はできるだけ短くした方が得策である。
形勢を損なう可能性だけでなく、次の渡辺二冠の言葉が切実な人間の心理を語っている。
「人間同士だと自分がミスしても相手もそのあと間違えるから、その1回のミスが致命傷にはならない。しかし、ミスのないコンピュータ相手だと、その1回が許されない。その緊張感が夜まで続くかどうか」
その上、「その4」で述べたような、棋士の思考やこれまでの常識を超えたコンピュータの指し手に読みや心理を揺さぶられるのだ。
中盤戦が長いと、例えリードをして終盤戦を迎えても、その消耗度は大きく、第5局の屋敷九段をはじめ敗れた棋士のように、最後に致命的なミスを犯してしまう可能性が高くなる。
終盤は、リードしていないと厳しいが、逆転の可能性がないわけではない。
必要なのはリードよりも、終盤を正確に指す棋力と、その棋力を発揮できる余力を持っているかの方が重要なように思われる。
コンピュータ将棋の序盤は、膨大な棋譜や定跡のデータベースを備えているとはいえ、プロ棋士と比べるとまだまだ甘い。
これは棋士同士の序盤(2011年順位戦C級1組)だが、
ここでの先手の指し方は①棒銀、②早繰り銀、③腰掛け銀が考えられるが、先手の稲葉五段(当時)は▲7七銀と態度を保留。後手糸谷五段(当時)の△6四歩を見て▲2七銀と棒銀戦法を選択した。
棒銀には早繰り銀(7三銀型)で後に▲1五銀に△5四角と反撃するのが有力だが、▲7七銀で棒銀は1手遅れるが△6四歩と腰掛け銀に限定させて△5四角をなくしているのである。(と言っても、先手が有利になったわけではない)
このように、相手の動きを見極め手を進めていく駆け引きは、まだコンピュータ将棋は不得手で、相手の細かな動きには無頓着(明らかに隙がある場合は別)で目指す陣形に突き進んだり、定跡と評価関数の折り合いがつかず不自然な手順になることがある。
ちなみに、この将棋、▲7七銀△6四歩▲2七銀以下、△6三銀▲2六銀△1四歩▲3六歩△4四歩▲3五歩と進み
激しい戦いとなっている。
中盤は、「その3」で述べたように、コンピュータ将棋は恐ろしく強い。もちろん、「その3」の終盤戦についてで述べたコンピュータ将棋の射程距離を上回る先で落とし穴が見えずに間違うということは中盤戦でも起こりうるが、コンピュータ将棋の強い中盤はできるだけ短くした方が得策である。
形勢を損なう可能性だけでなく、次の渡辺二冠の言葉が切実な人間の心理を語っている。
「人間同士だと自分がミスしても相手もそのあと間違えるから、その1回のミスが致命傷にはならない。しかし、ミスのないコンピュータ相手だと、その1回が許されない。その緊張感が夜まで続くかどうか」
その上、「その4」で述べたような、棋士の思考やこれまでの常識を超えたコンピュータの指し手に読みや心理を揺さぶられるのだ。
中盤戦が長いと、例えリードをして終盤戦を迎えても、その消耗度は大きく、第5局の屋敷九段をはじめ敗れた棋士のように、最後に致命的なミスを犯してしまう可能性が高くなる。
終盤は、リードしていないと厳しいが、逆転の可能性がないわけではない。
必要なのはリードよりも、終盤を正確に指す棋力と、その棋力を発揮できる余力を持っているかの方が重要なように思われる。