Sotto voce (^-^)

楽しみを待つ事は、それ自体が楽しみ。
そんなカンジの日々を綴ります♪
Non vedo l'ora!

歌劇「ばらの騎士」

2009-12-03 01:38:07 | オペラ
歌劇「ばらの騎士」
リヒャルト・シュトラウス作曲
ザルツブルク音楽祭
祝祭大劇場
1960年8月


指揮:ヘルベルト・フォン・カラヤン
演出:ルドルフ・ハルトマン
管弦楽:ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
バレエ:ウィーン国立歌劇場バレエ団


元帥夫人マリー・テレーズ:エリーザベト・シュワルツコップ
オックス男爵:オットー・エーデルマン
オクタヴィアン:セーナ・ユリナッチ
フォン・ファーニナル:エーリヒ・クンツ
ゾフィー:アンネリーゼ・ローテンベルガー


マルシャリンといえばエリーザベト・シュワルツコップ。
エリーザベト・シュワルツコップといえばマルシャリン!

1960年、ザルツブルク祝祭劇場のこけら落としとなったザルツブルク音楽祭での録音に、後から映像をつけたものだそうです。


絢爛豪華な舞台装置に、ゴージャスなお衣装!

これぞオペラ!ってカンジです(^O^)


第1幕の朝食シーン。
マリー・テレーズが使ってるティーセット(◎o◎)
アウガルテン!?
マリア・テレジア!
あ、しかも名前も同じじゃん(^O^)
さすが芸が細かい!(b^ー°)


いやいや、内容に集中です(`-´)

「ばらの騎士」は、リヒャルト・シュトラウスが脚本に加わった程の渾身の作品だけあって、
ホントにうまい作りになってます。

ばらの騎士が銀のばらを届けるという風習をでっち上げるなんて
なんちゅうロマンチスト(^。^)
その設定だけでもbravoです。

オクタヴィアンとゾフィ、若いふたりの
ロマンティックな出会いと爽やかな恋に心奪われがちだけど。

dolce-vita的にはどうしても元帥夫人(マルシャリン)マリー・テーズが気になります。
だって観るたび、マリー・テレーズの印象が違うの。
最初に観たときは、すごくモノの道理をわきまえたオトナの女性だと思った。
第1幕の嘆きの深さ(愚痴っぽさ?)もあいまって
32才にしてはひどく老成してるカンジ?
年の離れた夫のことはそれはそれで立てていて
若いオクタヴィアンと社交界的な節度を持って楽しい時間を共有してる。
オトナとしてマルシャリンとして
どう振る舞うべきか迷いなんてなさそうに思われた。

でも第3幕
マリー・テレーズは現れた。
オックス男爵をわなにかける現場に。
計画にはなかったのに。
マリー・テレーズ、なぜここに。
驚くオクタヴィアン(と、おいら(◎o◎))
何度か観て、(?_?)と違和感はあったものの
三重唱歌わなきゃいけないもんねo(`▽´)oうんうん
と納得してたけど(*^_^*)
それではマリー・テレーズの気持ちの説明にはなってない(¬з¬)

オックス男爵に貴族らしく黙って立ち去るように諭すマリー・テレーズ。
オクタヴィアンに、一人前の男として彼女のそばに行くように毅然と言い放つ。

嗚呼、でもマリー・テレーズ!
あなたは、もしやオクタヴィアンが自分を選ぶのでは、と一縷の希望を抱いていたのでは?
なんて悲しい期待。
気持ちはかわいいテレーズと言われた頃と何もかわらないのに。
でもオクタヴィアンはゾフィの元へ。

そっと涙を拭ってマルシャリンに戻るマリー・テレーズ。

ゾフィもオクタヴィアンとマリー・テレーズの関係を察して、
オクタヴィアンによそよそしい態度をとる。
取りなすマリー・テレーズ。
マリー・テレーズの懐の深い優しさに
なぜと問うオクタヴィアン(と、おいら(?_?))

「私もわかりません…何ひとつ」
シュワルツコップの言葉のなんて絶望的な響き(-.-;)
今までなんで気づかなかったの、マリー・テレーズの寄る辺のない悲しみに。

「マリー・テレーズ、私が誓ったことは」

もう目の前にいるのは、マリー・テレーズの坊やのカンカンではない。
愛する人を全力で守ろうとする男、ロフマーノ伯オクタヴィアンなのだ。

立ち去っていくマリー・テレーズの気品溢れる毅然とした後ろ姿。
もう涙で滲んで見えません(ノ△T)


第1幕で「私にもひとりの娘のことが思い出される」と歌ったマリー・テレーズ。

オックス男爵が、
花嫁を迎えるので
ばらの騎士を推薦してほしいと
マリー・テレーズの元を訪れた。
花嫁は資産家の下級貴族の娘。
オックス男爵は完全に財産目当てで
もう既に、浮気心を隠そうともしない。

たぶん、それに喚起されて
マリー・テレーズは昔の自分に思いを馳せて歌う。

昔、修道院付属の女学校を卒業して
すぐに結婚させられた女の子がいた。
かわいいテレーズと呼ばれていた。

まだ見ぬゾフィを昔の自分に重ねて
また一人、女の子が不幸になると
ブルーな気持ちになったのかもしれない。

観客も(視聴者も)
今のマリー・テレーズの嘆きに
ゾフィの運命をなぞらえる。

逆に第2幕でゾフィが、
結婚に対する希望と喜びに満ち溢れ、
未来への期待に、はちきれんばかりになっている無邪気な姿。
これがまさに、かわいいテレーズと呼ばれていた頃の
マリー・テレーズの姿だったに違いない。

うまい!うますぎる!

このまま行ったら、
ゾフィも陰鬱な表情を浮かべるマルシャリンに、
いえ、バローニン(男爵夫人)になってしまう(≧ヘ≦)
マリー・テレーズは、カンカンが好きになったゾフィを助けてあげたかったというのもあるけど
在りし日のかわいいテレーズをこそ
救いたかったに違いない。
考えれば考えるほど、マリー・テレーズの絶望はますます深いのです。

第1幕でカンカンに指摘された通り(優雅に笑って否定したけど)、
たぶん、マリー・テレーズは
自分を顧みず、狩猟だなんだにうつつを抜かす元帥を
夫として愛しているんだと思う。
「かわいいテレーズ」と言って、元帥が抱きしめて、大事にしてくれたら、
それで幸せになれるはず。
ただそれだけなのに
それも見果てぬ夢なんでしょうか…(∋_∈)


マリー・テレーズが再三
「男性はそういうもの」と嘆くけど。
その嘆きを聞くたび、モーツァルトの歌劇
「Cosi fan tutte(コジ・ファン・トゥッテ)~女はみんなこうしたもの」
を思い浮かべてしまう。
マリー・テレーズの気持ちをイタリア語にすると
「Cosi fan tutti」といったところなのでしょうか?

「ばらの騎士」では、ゾフィは第二のマルシャリンになる運命は免れたけど。
「Cosi fan tutti」
今は「セヴィリアの理髪師」のアルマヴィーヴァ伯爵のように
ゾフィを愛しているオクタヴィアンも
(マリー・テレーズが何度となく心配したように)
いつしか愛も冷め
「フィガロの結婚」の伯爵夫人のように
ゾフィは嘆き悲しむことになるのかもしれません。

あ、マリー・テレーズの嘆きが感染っちゃったみたい(^。^;)


あまりに、マリー・テレーズに特化した感想になってしまいました。


最後に、リヒャルト・シュトラウスの音楽について。

全編が美しい音楽に彩られてます。
ゾフィとオクタヴィアンがお互いに一目で恋に落ちて歌う二重唱「地上のものとは思えないばら」なんか
アンネリーゼ・ローテンベルガーとセーナ・ユリナッチ、ふたりの透明な高音域が溶け合って
まさに地上のものとは思えない美しさ(⌒~⌒)
ホントうっとりです。

なのに!
「ばらの騎士」の余韻に浸って口ずさむのは
オックス男爵のワルツ
「レルヘナウ家の果報者」(-"-;)
高慢で下司な男爵に
とびきり優雅なウインナ・ワルツが与えられているのは
本当に皮肉なことです。

濃密な美しい旋律と奥深い台本。
「ばらの騎士」は観るたび、新しい発見があるかもしれません。

「Heut oder morgen oder den uberachesten Tag(今日か明日か、あるいは明後日か)」