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23日の散歩 ( 西陣の空襲 )

2013-08-23 15:45:10 | sanpo
 きょうは 処暑 。とはいえ、こう暑いと「なんじゃそれ」と言いたくなりますね。
まー、二十四節季が一つ進んだという事で、見えない所で季節が一つ進んだと思いましょう。いずれ涼しくなるだろうと納得しますか?

 きょうは雨になる予報が出ていますが、降り出しは夕方からと言っていましたので歩いてきました。
雲が広がって日差しはないので散歩日和??イエイエ、蒸し暑さはいや増しています。

 歩き出す早々から汗が流れたきょうの散歩は智恵光院の下立売西入るへ。

ここには 「山中油店」 と言う江戸時代から続く老舗のお店があります。
( もっとも老舗と言ってもネット販売なども手掛けて、古いのは店舗だけの様です )

 歩いていると、如何にも由緒ありそうな建物が目を引きます。

下立売通りは片側一車線、一方通行の如何にも京都らしい狭い通りです。
ですので、敢えて、きょうもパノラマでも撮って見ました。

 でも今日のテーマは油屋さんではなくて、暖簾の下に展示してある物です。

通りがかりに一見した時は、仕事の道具かと思ってしまいました。

 近づいてよく見ると、添え書きに「西陣の空襲」と書いてあります。

そして台に乗っている赤茶けた物は爆弾の破片だそうです。


西陣の空襲

昭和20年6月26日午前9時半頃、B29の編隊 ( 6~10機 ) が近畿地方に侵入し
空襲警報が発令された。編隊は京都市上京区を北西から南東に進行中でそのうちの1機が
上京区出水地域に50キロ爆弾あるいは250キロ爆弾7個を投下した。この地域の被害が
京都市ではもっとも大きく、北は上長者通り、南は下立売通り、東は大宮通り、西は淨福寺通りの
約400メートル四方の範囲で、死者50名を出した。負傷者は正親、出水、待賢の各小学校の
救護所に運ばれ、手当てをうけた。その数は60名といわれているが、救護に当たった医師は、
負傷者は300名以上であったと言っている。6月30日には正親小学校で死者の合同葬儀が
行われた。被害家屋は全壊71戸、半壊84戸、一部損壊137戸の計292戸で、
被災者は850名に達した。
これは、この時の空襲の際、山中油店の家に落ちて来た爆弾の破片です。

墨書してある説明文は上の通りです。


爆弾の破片を少しアップで撮って見ましたが・・・・・


 「山中油店」から智恵光院を北に下長者町まで上がると、辰巳公園があります。

小さな児童公園になっていますが、ここは爆弾で破壊された家の跡に出来た公園だそうです。
説明書きがなければ何処にでもある街中の児童公園です。

 公園には石碑が建てられていて、

この石碑によると、京都で爆撃されたのは、西陣の他に東山区馬町と太秦の三菱工場 ( 今の三菱自動車? ) だそうです。
石碑の左に地図が彫ってあり、赤丸マーク7か所が爆弾の落ちた場所だそうです。

 不確かですが、この爆弾が落ちた所は、秀吉の聚楽第の中の北西側という事になりそうです。

 きょうの散歩は珍しく花が無い散歩です。
明日明後日は雨の予報です。せめて明日の午前中だけは降らないでいて欲しいのですが・・・・・
 
 きょうはパノラマ写真を横向けで配置しました。
IE10では横巾一杯に入っていますが、他のブラウザではどう配置されるのか???
ごちゃごちゃする事もないと思いますが・・・・・

カメラ  SONY α77
レンズ SONY DT 16-105mm F3.5-5.6

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コメント
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