Creator's Blog,record of the Designer's thinking

フィールドワークの映像、ドローイングとマーケティング手法を用いた小説、エッセイで、撮り、描き、書いてます。

PEN LIFE900. 桜はもう満開

2014年03月31日 | field work
 大学の桜はもう満開。平野部はどこもそうなのだろう。今年は満開までの期間が短いようだ。だから週末には散るだろうね。
 さてこのシリーズも900回、そして今月は年度最後の日と節目が続く。ではこのブログも、これではい終わり!?、とすると切れ味がよい。でも明日も書いているだろう。
 こういう風景の時に使おうと思って持参した超望遠ズーム。フルサイズならば150-600mmで巨大なサイズになるのだが、こちらは大変小さいのでザックの隅に入れておけるのがありがたい。
 といって自慢していても、海外のフィールド調査になると、撮影機材はどんなときでも確実に動くニコンしか選択肢はない。その点オリンパスE-M1は、使えるのか使えないのか未知数だ。ただしそんなに柔ではないと思いこんでいるのだが、実際に海外のフィールドで使用してみないとわからない。
 相変わらず話がそれた。話を戻すと、東祖谷山村落合の集落も茅葺き屋根は少ないが、建物の方は古い民家であることがわかる。それにしてもこの山の中で猛烈に吹雪くのだろうか、台風はどうだろうか、といった具合に、この土地の風土を想像する。
 明日は投稿論文を完成系に持ち込もうと目論む。あさって投稿だな。おれの仕事ではないのだけど2本ある。これを早く片付けて実習課題の準備と、あのいまわしき町内会の会計の決算をしなきゃ。今週中と、自分で自分にノルマをかけている。

三好市東祖谷山村落合
OLYMPUS E-M1,M.ZUIKO DG75-150mm/F4.8-6.7Ⅱ
ISO200,焦点距離150mm,露出補正-1/3,f8,1/640.
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PEN LIFE899. 桜

2014年03月30日 | field work
 忙しい時は、かたずけなければならない雑事のリストを作成して、終わったら赤線で消してゆく。今日は12項目あった。赤線で一杯になったときは少しやったという爽快感。まあ自己満足の域をでないのだが、自分で自分を励ますわけですね。
 さて一難去ってまた一難。明日から大会論文の制作だ。締切日にアクセスできないという難題を抱えている電子投稿の締切は金曜日の正午。終わったら僅かな時間を利用して旅に出よう。
 そして週があげれば、講義が始まるというあわただしい時間が続く。CG実習の課題はいつつくればいいんだ。これがないと全く授業にならない。難問続く春の桜の季節だ。
 四国を歩いていると桜が眼につきだした。 まあ毎年のことだけど来週末がピークだが、こちらは花見どころではない。つまり花見の最盛期頃から新学期が始まるので忙しい頃でもある。講義や実習が軌道に乗ると、一息つくが桜は終わっているのにも気がつくという有様だ。だから目の端に開花した桜を横目で見ながら走り続ける。
 地域おこしの仕事で、全山桜の山にしましようという提案は、容易に受け入れられやすい。だが、桜の寿命は25年と大変短い。例えば京都円山公園の桜も今は3代目と聞いたことがある。 その三代目もそろそろ寿命の限界である。
 急激な暖かさで、今年の名古屋の大学の桜も週半ばには満開だろうか。そして週末には散り始めているかもしれない。今年はそんなタイミングで私の身の回りの桜が咲くようだ。

美馬市脇町
OLYMPUS E-M1,LEICA MACRO ELEMARIT45mm/F2.8
ISO200,露出補正-0.3,f5.6,1/400.
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PEN LIFE898. 往事の空気

2014年03月29日 | field work
 徳島は、京都から高速バスで3時間で着くので意外に近い。その足でローカル線に乗ること1時間20分、さらにタクシーで吉野川を渡ると伝統的建造物群保存地区の美馬市脇町だ。うだつが特徴の商家のたたずまいがある。古民家を修復してあるため、ともすれば時代劇のセットのように往事の空気が感じられて、街並みは大変綺麗である。
 日本も、ヨーロッパのように昔の風景を今に残すとしたら、脇町のような風景が全国に存在していたであろう。こうした風景が今も日本中に残っていると仮定したら、そりゃイタリアのような世界遺産がばっこする国家になっていただろう。だが残念ながら、日本のほとんどの街は、美意識や文化を捨て、昔の風景を切り捨て、新建材の住宅や無粋な鉄骨やコンクリート造の無国籍建築ばかりになってしまった。もはや手遅れである。
 昔の建築や風景を残しながら、現代のライフスタイルを実現する方法は、インテリアと税制度の問題だから、実はいくらでも解決方法があったのに大変残念だと思う。つまり我々の世代で日本の伝統文化を葬り去ったというわけだ。悲観的な見方をすれば今あるのは、形骸化したジャパン・イメージでしかない。もう伝統的日本文化はないのだと言い切ってよい。

OLYMPUS E-M1,LEICA MACRO ELEMARIT45mm/F2.8
ISO200,露出補正-0.3,f5,1/320.
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PEN LIFE897. なんで・・・

2014年03月28日 | field work
 来週は、学会の論文が締切だ。というので2本進めさせているが、実にあわただしい。それに町内会の会計の仕事がある。決算だから集計するわけだが、何度やってもExcelの計算結果が合わない。つまりExcelが計算の範囲を勘違いしているではないか。これはすごく気分悪いぞー、なんで・・・。つまり3本の急ぐ雑用を抱えて四苦八苦だ。終わるときは一度におわるのだが、まだ1週間はかかる。
 ならば四国の画像。しかし私の嫌いな春の風景なので、霞んでいて発色が大変良くない。つまり赤み寄りの発色であり、大昔のカラープリントみたいだ。photoshopで加工してなんとか。これもなんで・・・、の世界だ。
 新月期の実週の課題のプリントもまだだ。本来ならばCG用にデータ画像をつくるところだが、もうそんな時間もない。
 なんで・・・とつぶやきながら、あわただしい時間がすぎてゆく。明日片付ける雑事をメモしたら9項目あった。明後日は町会の総会だからいたしかたない。頭の中が空回りして自分の仕事ができないストレス。

東祖谷山村落合集落
OLYMPUS E-P5,M.ZUIKO DG9-18mm/F4.0-5.6
ISO200,焦点距離17mm,露出補正-0.3,f8,1/160.
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PEN LIFE896. 東祖谷山村落合集落

2014年03月27日 | field work
 徳島県の伝統的建造物群保存地区を視察した。画像は、そのうちの1箇所東祖谷山村落合集落である。伝建地区の中では山梨県の赤沢集落に続き急傾斜地に立地する。およそ平野部がないこの地域の大変特徴ある立地である。人間の生きる粘り強さを感じさせてくれる。
 徳島市からレンタカーで3時間はかかるという山の中の集落である。この地域を観光地として売り出そうという村おこしの気配が濃厚な感じがした。
 たぶんいずれ小さな観光バスで大勢の観光客がやってくるだろう。その前に比較的自然な状態を見ておこうというのが、今回の視察の意図である。だから当然集落の中には、お昼を食べるなんていうところはない。朝コンビニで調達したおにぎりが、美味しかった。
 一寸小学校の遠足気分の、春の始まりであった。

OLYMPUS E-P5,M.ZUIKO DG9-18mm/F4.0-5.6
ISO200,焦点距離18mm,露出補正0.0,f8,1/250.
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PEN LIFE895. 悶々とする日々

2014年03月24日 | Kyoto city
 なんとも落ち着かない月曜日であった。その原因を探るとたわいもない事。町内会の会計の決算が間近だが数値が全部あがらないとか、お布施の封筒印刷がプリンターの不調で片づかないとった具合に、手っ取り早く片付けようとしていた実に小さな雑用が思いの外片づかないことが原因だった。
 大学の帰りに王将で中華丼を食したが、足りない。そこでマックに駆け込む。結局落ち着かない原因は、お腹が空いていただけか。
 ようやく明日は卒業式と謝恩会だ。これが片づかないと論文の仕事にとりかかれない。なんとも悶々とする1日であった。要は仕事が溜まっていたわけだ。

OLYMPUS E-M1,M.ZUIKO DG9-18mm/F4.0-5.6
ISO200,焦点距離10mm,露出補正-0.3,f8,1/160.
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PEN LIFE894. 春ですよー

2014年03月23日 | Kyoto city
 今日の画像は、朝出勤時に遠回りして歩いた3月4日の若宮通である。まだ冬の光が残っている京都の街は、寒いけれどクリアで大変気持ちがよい。E-M1と標準レンズの組み合わせで楽しんでいた頃である。もうこういう冬の景色が次第に見れなくなりつつある頃だというのは、春がやってきたことでもある。街を歩けば、早咲きの桜を眼にすることもある。
 この3月から4月にかけて大学院の頃に浜野商品研究所でアルバイトをしていた。つまり冬から春にかけての季節の変わり目を六本木ですごしていた頃、あの伸び盛りの会社の空気は独特であった。遠くから浜野さんの「春ですよー」という声が今でも記憶に残っている。
 今日は、「春ですよー」と叫びたくなる暖かい気候であった。今日は大役終えてお終い。なんのことやら。

OLYMPUS E-M1,LEICA DG SUMMILUX25mm/F1.4
ISO200,露出補正-0.3,f4.5,1/640.
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PEN LIFE893. フォトグラファー

2014年03月22日 | Photographic Equipment
 さてフォクグラファーという人種について考えてみよう。フォトグラファーは、機材が人並み以上に使いこなせるなど撮影技術のある人と言う答えは×である。我々研究者の立場から見ると、プロもアマチュアも同じ機材を使用する撮影の分野というのも珍しい。機材が同じであれば、あとは経験の差ぐらいしかないから、技術云々という話はありえない。
 では何が違うのか。例えば紛争をしていて入れないアフガニスタンのユキヒョウを撮影するといった具合に、合法的に入れないところへ潜り込んだり、容易には見られない対象にアタックする実行力のあるのがフォトグラファーだ。時には、戦時下の非合法的世界へ、時には南極へ、ときには酷寒のヒマラヤに行くといった具合に、命知らずのサバイバルな冒険者達なのだろう。
 従って撮影技術というよりは、非合法的世界をすり抜ける智恵や方法とか、酷寒の中で生き残れる方法とか、道なき道を四駆で走り回れる技能や装備に関する知識と言った具合にサバイバルの知識や技術や体力がまず必要になる。そんな生きるための、あるいは生き延びるための、サバイバル技術と体力があり、神経が図太く命知らずの輩がフォトグラファーだろう。まあ軍隊と一緒だ。
 日本の代表的フォクグラファーと言えば世界百名山を空から撮影した白川義員さんだろう。空からといってもヒマラヤでは高度8000m以上を、飛行機の窓ガラスを取り外して撮影するわけだ。酸素の希薄な世界で、窓から機材を出して撮影する、そりや異常な神経の図太さだろう。
 私はフォトグラファーの世界の人間ではないので、街を徘徊する研究者ぐらいで調度良い。従って機材もオリンパスで十分ということになる。元ニコンフリークはそう思うな。

OLYMPUS E-M1 LEICA ELEMARIT45mm/F2.8
ISO3200,露出補正-0.3,f2.8,1/50
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PEN LIFE892. ニコンの真骨頂

2014年03月21日 | Shinkansen commuting

 京都は氷雨、名古屋は強い風。あらしのような春分の日であった。というわけでもないが少し真冬の画像でもアップさせておこう。クレジットには12月28日とあったので、滋賀県に雪が降っていた頃であり、雪の車窓を見ながら年末の大学へ出勤していた。画像とともに、あの頃のキーンと冷え切った寒さを少し思い出す。
 LIFEという映画の予告編をみたとき、これは幻想イリュージョンの世界かなと早合点していたら、なんとアメリカの写真雑誌ライフ廃刊にまつわるお話だった。後半に登場するフォトグラファーが撮影していたボディにテーピングされた機材はニコンF3チタンとモータードライブであった。ニコンはヒマラヤだとか森林だとか砂漠だとか、或いは宇宙といった厳しい環境のフィールドに持ち出すと実に信頼性高く、そして実に絵になる機材である。世界の人跡未踏のフィールドこそがニコン活躍の場所なのである。
 当然ライフ誌でも相当の名場面がニコンやライツで撮影された。こんど手元のライフ写真全集などをじっくりみてみよう。
 言い換えればニコンは、都市の中で持ち歩くには、いささか大げさな機材でもある。だから、世界の酷寒のフィールドを歩かない軟弱な私は、オリンパスで十分でございますとニコンに敬意を表したい。手元のFや F3は、多分今でも使えるだろうと思う。世界の厳しい気候環境をフィールドとする機材、それこそがまさにニコンの真骨頂なのである。

新幹線・京都-米原
OLYMPUS PENE-P5 LEICA ELEMARIT45mm/F2.8
ISO2500,露出補正-0.3,f2.8,1/8000

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PEN LIFE891. 冬の旅の終わり

2014年03月20日 | Kyoto city
 雨が降りかけた画像は、京都裏千家の門前あたりだが、撮影したのが1月30日であった。 京都の街は冬が綺麗だ。 この頃から大学は1年の中で最も忙しくなるとともに、私はあいた時間に街の徘徊に出かけだした。そう、忙しい事と面白い事が同時にやってくるのは世の常だ。そして冬は雪とともにドラマティックな面白さを残して去ってゆく。
 今年は京都烏丸通の西側の街を丹念に徘徊し、最近では大阪にいたる。それが私流冬の旅だった。大変寒かったけど、空気が澄んでいて街の風景はとても綺麗だった。それは撮影日よりといってもよいだろう。 しばれる寒さと街の風景は、毎年忘れがたい記憶を残してくれる。
  最近の 春の霞んだ風景になってくると、そんな冬の旅も終わりである。そして明日は春分である。
 この頃あわただしい年度末の仕事や、やりかけの論文、何よりも新院生のために大会論文を仕上げるという仕事などがあり、しばらく多忙な時間が続く。しかも次年度は学科長や領域主任の当番で1年間やらされるので、ますますいやな時間。
 こう書くと、このブログも少しお休みしますと書くと、文脈は調度よいのだが、そこは時間次第。
 京都も観光客が多くなりだし騒がしい頃、 桜は私の趣味ではない。MacProも届いたし、あとは液晶ペンタブレットCintiqを調達して、私はイメージの世界に没頭していようかと思う季節です。

京都市
OLYMPUS E-M5 LEITZ ELEMARIT28mm/F2.8
ISO500,焦点距離11mm,露出補正-0.3,f8.0,1/125
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PEN LIFE890. 破調の美学

2014年03月19日 | field work
 街を徘徊している限りではわからないが、 こんな民家をみていると、大阪人は意外に個性的な感性が豊かではないかと思うときがある。だって蔵には小ぶりな窓に大きな庇、軒の部材は塗り込められ、それでいて白壁が美しかったり、それに隣家もないのに防火壁のうだつかよ、だけど色合いが大変よい、破調しているが綺麗だ、といった具合に。
 さて、どこからそのような感性ができてきたのかを大胆に類推すると、大阪の街の基盤を築いた豊臣秀吉に突きあたる。これだ!。つまり聚楽第や二条城などをみているとそう思うのだが、他に例がない奇抜なアイデアや特色があって成立するデザインが、大阪人の感性だろうと推測する。そうして秀吉の感性のルーツは織田信長ということになる。
 信長は西欧への憧れがあったから、そばでみていた秀吉は、「そうか!、奇抜にやればいいんだと」と早とちりの解釈をした。早とちりと農家育ちの合理的な精神とがブレンドされて聚楽第ができた。その意匠をみていると、そんな風に思われてくる。そして二人のデザインを軽蔑していたのが和の様式美を身上とする徳川家康だったのかもしれない。とまあ、そんな風に当てつけてみたのだが。
 私流に言えば、大阪の街は秀吉の感性だ!、アイデアだとか奇抜にやれだのとか、なにかとうるさいのだ。そんなことが破調の美学を築いたのかも知れない。

大阪市安堂寺町
OLYMPUS E-P5 M.ZUIKO DG 9-18mm/F4.0-5.6
ISO200,焦点距離11mm,露出補正-0.3,f6.3,1/200
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PEN LIFE889. 疲れる街

2014年03月18日 | field work
 さて今日のブログでも大阪の画像をと思ったが、躊躇する。疲れるんだな、あの街は。
 何故大阪という街は疲れるのだろうか。ビルが多い、緑が少ない、どこか不潔だ、浮浪者やスリが多い、いや街自体が疲れている・・・。
 私などは、京都の民家が真壁でスリムにつくるのに対して、大阪の古い民家は軒回りや大壁で塗り固めたデザインがドシッとしているのが重たすぎるように感じる要因だと思っている。だが、それが大阪の個性だろう。個性あるものは、頭の中にどこかカリカリとしたしこりをこしらえてくれる。だから本来個性とは、最初はそういう不快なものなのだろう。従って私には慣れるのにしばらく時間がかかる。やれやれの末に画像アップである。大阪は、そういう街なんだろう。
 そういう大阪へ古い民家を見に、また出かけようと目論んでいる。蒲生とか福島へ。疲れることはあっても憑かれることはないなと思いながら。
 大阪市長選挙の選挙カーの声が遠から空しく聞こえてきた。なんかバタバタしている街だぜ。

大阪市谷町6丁目
OLYMPUS E-P5 M.ZUIKO DG 9-18mm/F4.0-5.6
ISO200,焦点距離18mm,露出補正-0.3,f7.1,1/125
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PEN LIFE888. 大阪

2014年03月17日 | field work
 日曜日の午後、大阪一人旅。としゃれるほどでもないが、戦災に遭わなかったところが、市内に幾つかあるので訪ねようという意図だ。もちろんそれらは点在しているといってよく、街並みを形成しているとはいいがたい。
 戦災で町の大半を消失し、高度経済成長で民家がビルに変わり、バブル経済がはじけて空き地となり、住む人が亡くなると廃墟となり、かろうじて点在しているのが現状だろう。最近ようやく程度の良い古民家は、レストランやカフェーになどに再利用されてはいるが、時既に遅しの感もある。
 大阪の町は、ほとんどが高層マンションとなり、歩いていても何故か私は疲れる。だから、京都に帰るとホッとする。やはり東京人の感覚だと京都より西は肌が合わない、なんて言っていたら街歩きはできない。肌が合わなくても、自分の眼で見にでかけるのがフィールドワークだ。
 関西人の言い方に、京都で学び、大阪で仕事をし、大成したら晩年は神戸に住む、という言葉がある。街の性格が人生の時期に応じて設えられているところが、どこか街双六をしているみたいだ。
 日曜日のためか、或いは遅い午後のためか、空堀商店街はシャッターを降ろした店が多かった。大阪には、平日に行きたい。
 今日は、夕方からのゼミで帰りは遅くなった。また明日朝一番の出勤だ。このブログは昨日書いたんだけどね。

大阪市谷町6丁目
OLYMPUS E-P5 M.ZUIKO DG 9-18mm/F4.0-5.6
ISO200,焦点距離9mm,露出補正-0.3,f7.1,1/200
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PEN LIFE887. デジタルの生命線

2014年03月16日 | Photographic Equipment
 最近一番稼働率が高いのは、PEN E-P5とマクロエルマリート45mmレンズの組み合わせだ。日々の通勤では軽さが身上となるようだ。防塵防滴仕様のE-M1を持参するのは、やはりフィールドへ出かけるときだろう。
 それに最近よく使う機能に、2倍テレコンがある。焦点距離45mmのレンズを90mmにしてくれるわけだ。フルサイズならば180mmとなり、大変使いやすい焦点距離である。ニコンでもこの焦点距離の単焦点レンズを販売していたこともある。
 2倍テレコンは、ずぼらな方法だけどボタン一つで設定でき、レンズを変える必要もないので便利だ。画像解像度は落ちるが、それでも800万画素ぐらいだから、あまり問題にはならない。こういうところがデジタルの面白いところだ。これで 旅の荷物が多いときは、1本レンズを減らすことができる。
 さてGoogleマップを見ていたら、今度は大阪の古い街を撮影しようと思いついた。となると機材。うるさい大阪人だから、機材は目立たない方がよい。路地もあるから、レンズは9-18mm、ボディはやはりPEN E-P5か。やはり小さくて目立たないし、それでいてE-M1と同等の性能だというのが、その理由だ。
 あるいはPENミニE-PM2に24mmという方法もあるが、私のはシルバー仕様なのでちと目立ちすぎる。結局PEN E-P5の稼働率が高くなるわけだ。
 今度はどこへでかけようかという思索とともに、そんなときにどの機材を持ってゆこうかと考えるのは、なかなか楽しい時間でもある。
 結局大きなバッテリーが共用できる機種の出番が多くなる。OMシリーズのE-M5、E-M1、それにPEN E-P5だ。この3台のボディがバッテリーサイズが同じなので一番活躍する。逆にバッテリーサイズの違うPEN E-PM2の出番がほとんどない。どうもバッテリーサイズが使い勝手をきめているようでもある。そういえばバッテリーは、デジタルの生命線だ。夜は2台の充電器がフル稼働している。

OLYMPUS E-P2 M.ZUIKO DG 14-150mm/F4.0-5.6
ISO2000,焦点距離53mm,露出補正-0.3,f5.3,1/80
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PEN LIFE886. STAP細胞騒動

2014年03月15日 | Kyoto city
 STAP細胞が話題になっている。つまりNature誌に投稿した小保方論文を第三者が同様の手順で実験しても再現できないとか、あるいは博士論文引用ではないかとするマスメディアの反応だ。STAP細胞騒動である。
 さてそのNature誌の版元をしらべたら、なんと学術団体ではなく出版社ではないか。日本で言えばNewtonに該当するのか。だから出版社の記事であれば、世の中に論文の成果を知らしめるためだから、 博士論文の画像を引用しても一向にかまわない。従ってNHKなどの反応は間違っているといえよう。ホントに論文世界を知らない連中達ばかりだ。
 このNature誌は、学術論文を主に掲載しているわけだが、Wikによれば例外的だがネッシーに関する論文とか、超能力を扱った論文まであり、定説に異を唱えるとする編集方針からすれば、その性格は商業ジャーナリズム的といってよいのだろう。
 従ってNature誌には、何を書こうと自由である。当然発表した論文を取り下げる必要もない。問題は前者の一般性がないではないかとする問いに絞られてくる。
 私の見解では、商業誌であれば一般性がなくても仮説であってよいのだろう。その理由は、世の中大いに大胆な仮説ばかりで社会や行政が動いているからだ。例えば東海地震や南海地震といった話題や放送番組や、行政の対応がそうだ。そういうことを思えば、商業雑誌の記事ぐらいでマスメディアが過剰反応するのは、首をかしげるばかりである。
 今回の一件を振り返ると、マスメディアのアカデミック音痴と言うことばが思い浮かぶ。商業誌だから雑誌が売れることが大前提の編集だし、放送局は一般人の関心をもたれる話題に終始する。そんなマスメディアが、いきなりアカデミックな話をするものだから、珍奇なことばかりおきる。あまりアカデミック=知の世界を芸能週刊誌みたいに扱ってほしくないですね。

京都市・天使突抜道
OLYMPUS E-P5 M.ZUIKO DG 9-18mm/F4.0-5.6
ISO200,焦点距離9mm,露出補正-0.3,f6.3,1/160
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