Creator's Blog,record of the Designer's thinking

フィールドワークの映像、ドローイングとマーケティング手法を用いた小説、エッセイで、撮り、描き、書いてます。

横浜15. 住み替え(最終回)

2008年09月29日 | Yokohama city
 私は、街が人で溢れる状態をイメージしながら、プロデュースという仕事を通じて都市づくりの仕事をしている。
 ところで、このシリーズは今回で終わりとする。というのも住処を横浜から京都の町屋へ住み替えるからだ。そしてOSの入れ替えや光ファイバーの敷設で4週間ほど、このブログもお休みとする。さらに.macは、アップデータを手元のPCに保存できないので、288回続けたこのブログも継続できるかどうかは不明。最初からブログを作り直す場合もあるだろう。少しPCにまつわる諸事を整理して再度お目にかかりたいとおもう。

横浜元町商店街
Fuji FinepixS5pro,AF-NikkorF2.8/80-200mm
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横濱14. 日本丸

2008年09月28日 | Yokohama city
 この写真は、1930年に就航し、戦後は運輸省航海訓練所が所有していた練習用帆船、初代日本丸の舵輪ヘッドである。1984年に現役を引退した時、引き受け先として全国の都市が多数の案を出した。そのなかで、横浜市は、日本丸を浮かせた状態で永久保存するというユニークな提案を行い、現在みなとみらい21地区にあるメモリアルパークに係留し、公開されている。
 幕末1854年にアメリカ東インド艦隊提督マシュー・ペリーは、再度日本にやって来る。幕府に対する開港への条約締結が目的である。そしてベリーの戦略に押し込まれるように幕府は、この横濱の地で、日米和親条約を締結した。それは鎖国から開港による新しい時代の先駆けである。近代日本の歴史は、この横濱の地から大きく動き出したのである。条約締結後、幕末の動乱を経て、14年後に明治政府が樹立され、近代国家が形成されてくる。国家の体制が大きく変わるのに、僅か14年だったというのは興味深い。
 ところで当時インド艦隊の艦船が、蒸気機関を搭載した帆船であった。日本丸は、蒸気ではなくディーゼルエンジンであるが、やはり帆船であり、往時の名残を今に伝えている。歴史を振り返れば、この引き受けては横濱で当然だったであろう。
 このブログで紹介してきたように現在の横濱における新しい街づくりをみてもわかるが、歴史の経緯と同様に、横濱は他に先駆ける精神を持ち続けているのである。それは、横濱の個性の内実なのであろう。
 
Canon EOS Kiss Digital,SIGUMA F3.5-5.6/18-125mm
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横濱13. パブリックデザイン

2008年09月27日 | Yokohama city
 地下鉄みなとみらい21線の各駅のデザインは、ようやく公共空間にパブリックデザインが本格的に導入された最初のケースになった。二層吹抜空間による開放的な設え、ビルの内部と地下鉄駅とが吹抜でつながっていたり、洋風建築に地上への出入口がクラシックにデザインされ、また設備が美しく空間のアクセントになり、といった類のデザインは、地下鉄の計画段階から行わなければ、実現できないことばかりだ。結果として駅毎に異なった個性あるデザインとなり、地下にいることを忘れさせてくれる優れた空間ができた。大切なことは、計画段階でこうしたデザインが、必要なんだという認識があったということである。
 私も大学に赴任した10年以上前に、名古屋市に対してこうしたパブリックデザインを提案したことがある。ある鉄道新線の委員会では、他の委員と共に駅や列車のCI導入を提案したが、コンサルタント自体がパブリックデザインを知らず、形式的で方向違いの書類が出されただけで、別の議論に進み、実現はしていない。そうした保守性が名古屋の人的気質なのだろう。以後私は、名古屋では、デザインの提案をしないことにした。
 パブリックデザインは、ヨーロッパやアメリカではあたりまえだが、パブリックという概念に乏しい我が国では、残念ながら定着していない。精々東京・大江戸線の地下鉄のように後づけデザインで、その場をしのぐといったことが多い。そうこうしているうちに、みなとみらい21線で、先に行われてしまった。手法としては簡単である。計画の段階から優れた建築家やデザイナーを参加させながら、地下鉄整備事業をすすめれば、よいだけである。簡単なことができない。他方で私達の生活にとって重要なことが簡単に決まる。といった具合に、日本はものすごく変だと思う。
 歴史を振り返れば、近代水道、西洋式公園、鉄道、乗合馬車、風水を用いた中華街といったインフラに始まり、ガス灯、テニス、理容、クリーニング、アイスクリーム、ビール、オルガン、牛鍋、和英辞典、そして写真師といった具合に、横浜発祥となる物事が多い。そうしたことを思えば、他に先駆けて新しい物事を創り出してゆくところは、いかにも横濱らしいのである。

2004年:みなとみらい駅
Canon EOS Kiss Digital,SIGUMA F3.5-5.6/18-125mm
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横濱12. 都市デザイン

2008年09月26日 | Yokohama city
 横濱は、デザインが好きな街である。明治期からの都市形成だから、洋風建築は残っているが、それ以前の城郭といった和様式は存在しないという様式的明解さがある。従ってそこへ現代デザインが入り込んでも違和感がない。 何よりも都市デザインを我が国で、本格的に実施した都市だから、新旧の様式を混在させることは、お家芸のようだ。 都市の象徴となる空間には、優れた建築家を起用しており、そんなデザインがいくつも重なり合い、横濱らしい風景が現れる。
 特に大桟橋のデザインには、イギリス在住の建築家、アレハンドロ・ザエラ・ポロ氏とファッシド・ムサヴィ氏を、我が国最大規模の国際コンペで選出し、日本人にはみられない感性で実現されている。国際港に相応しい方法を用いた実現である。
 うねるような丘の大桟橋の屋上から対岸をみると、私がプロデュース企業に在籍していた頃に関わったアルテ横濱という公団住宅が見える。デザインは、米国の建築家マイケル・グレイブス氏である。明治期から、外国人が数多く横濱に来ていた関係もあり、今でも外国人の感性は、横濱によく合った風景を与えてくれるというのが、都市デザインのプロデュースをしてきた私の実感である。
 実は、そんなテイストを持った都市が、日本には意外に少ないというのも事実だろう。そんな古さと新しさとを混在させ、デザイン文化といった包括概念で包みあげ、絵になる風景を創り出すというのが、横濱の都市デザイン手法だと思われる。

横浜港大さん橋国際客船ターミナル
Canon EOS Kiss Didital,EF F3.5-5.6/100-400mm
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横濱11. 先生のアトリエ

2008年09月25日 | Yokohama city
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横濱10. バンドホテル

2008年09月24日 | Yokohama city
 夜と横濱のライフスタイルはよく合う。元町商店街の外れにあるバンドホテルの最上階で毎日開催されていたジャズ・ライブで朝まで踊り明かしたという話は、ハマッ子達からよく聞かされた記憶がある。
 バンドホテルは、気さくな雰囲気があり、ここから巣立った我が国の著名なジャズメンは数多い。踊れようと踊れまいと、そんなことは関係無しに、「さあ踊りましょうよ」といってウェーターが誘ってくれ、そしてジャズメン達がもり立ててくれるホットな雰囲気があった。こういうエキゾチックな空気が漂う気さくなホテルは、何かにつけて格好をつけたがる商業&メディア主義東京にはない。そんな由緒あるハマッ子達の社交場だったバンドホテルも、既になくなってしまった。施設が古くなったし、新住民が多くなりライフスタイルも変わったのだろう。横濱の昭和の個性ある光が消えてしまった。
 今の東京スタイルの商業が跋扈する横濱には、あまり魅力がない。バンドホテルのように地場のホテルは人を育て、音楽文化発祥の地となり、そして大人の社交場として君臨していた。そんな施設が日本からも、なくなっている。遊び心のない、つまらない世の中になったと私は思う。

元町商店街
CanonEOSkiss Digital,AF-NikkorF2.8/35-70mm
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横濱9. 負の遺産

2008年09月19日 | Yokohama city
 都市が完成するまでに少なくとも30年位の年月を要する。その間に経済は好景気と不況を繰り返すので、都市づくりにも影響を与える。「みなとみらい21」でも1990年代のバブル経済不況の影響を受けている。この時期から、比較的安易な事業が随所に出現し、現在に至っている。
 この写真は、みなとみらい21地区の北側に当たるが、高層高密度居住施設群が林立している。住戸の窓から眺めれば、隣の棟の部屋が見えるといった具合であれば、海沿いという立地を活かしたデザインとは言えない可能性もでてくるだろう。不況に翻弄された結果のようにも見える。にもかかわらず現時点では、賃貸ベースで10万~70万/月と比較的高価格である。
 人口が減少し社会基盤が変わりつつあり、核家族からみんなで住もうとするライフスタイルへと変化している。だからこの居住施設群が採用している核家族用プランは、過去の遺産となってしまった。
 そして最近の金融市場の混乱が追い打ちをかけるだろう。例えば六本木通りの実売地価が、昨年2,000万円/坪から今年は200万円/坪と1/10に激下している話を聞くと、この高層高密度居住施設群に、一体誰が住むのだろうかとする疑問も沸いてくる。それに高層高密度居住で分譲しても共有となる土地は猫の額にしかならず、居住者にとって資産価値がないに等しい。また建築は一度つくると、少なくても30年は建ち続ける。つまりあと30年はこの単調な風景が続くのである。経済動向でそんな負の遺産を創り出してしまうことも都市づくりの運命なのだろう。
 微かな期待を言えば、この全ての住戸に明かりが灯り、子供達の元気な声が聞こえてくることを祈りたい。負の遺産も居住者の生活の運営で、回復して欲しいと思われる。
 個人的な事だが、建築学会大会への参加があり、このプログも来週の月曜日ぐらい迄休みます。

Fuji FinepixS5pro,AF-NikkorF2.8/35-70mm
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横濱8. トワイライト

2008年09月18日 | Yokohama city
 横浜市の都市計画に「みなとみらい21」というのがある。従来造船所のあった街区を沖に埋め立て、新しい土地をつくり、21世紀迄に横濱の新都心をつくろうというものである。1980年代から整備が始まり、私のように都市計画を教えている立場から見ても、 海へ向かって建物のスカイラインが次第に低くなってゆく容積率の設定などを見ても うまい方法だとおもった。特に「みなとみらい」という誰にでも解りやすい巧いコンセプトを創り出したことは大きな功績である。
 それに企業誘致の際に本社機能を移すことを条件にしており、これも巧みな方法だと思った。それ自体が横浜市の産業の活性化に、なったと思われる。経済が活発に循環している時代はそれで十分都市が機能していった。
 実際にこの街を対岸から眺めれば、建築の個別的デザインの良し悪しはおいといても、都市景観を巧みに実現させた事業だと評価できる。またランドマークタワーは、現在でも日本一の建築高さを誇っている。観覧車がアクセントとなり、結構いい都市の風景ができあがったと、個人的には評価している。
 夕方のトワイライトは、特に美しいと思う。「みなとみらい21」は、東京への1極集中を排除し、横濱のポテンシャルを高めてゆく上でも重要なプロジェクトである。横浜市が明解なビジョンと事業の主体性を堅持した時代の風景だと思われる。

Fuji FinepixS5pro,AF-NikkorF2.8/80-200mm
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横濱7. カフェテラス

2008年09月17日 | Yokohama city
 最近道路をカフェテラスに利用する方法は、横濱でもいくつか試みられるている。私は、この利用方法で一番巧いと思うのが、 この写真にある大桟橋に入ってゆく道の入り口にあるカフェテラスである。というのも、大きな道路がS字型に曲がる交差点の近くに立地し、オープンスペースが広くとれ、背後の建物が古いといった具合に舞台が整い、落ち着く空間だからである。そして街路樹が適度な緩衝体となり、カフェテラスに緑を落とす。
 カフェテラスに行くと、日本人は室内の奥の席に座りたがる。 路地の奥の隠れ家のような空間に身を潜めることで、落ち着きを感じる感性なのだろう。これに対し外国人は、表-つまり外のテラスにすわる。 実際に体験すると表を通り過ぎる人々を眺めながら、テラスでの木漏れ日を浴びながらの飲食は、意外に心地よく、うまいと感じるのである。 これらは、落ち着く空間に対する感性の違いをみるようで面白い。ただし私は、屋外テラス志向だが。
 話題は変わるが、この写真は、S5でフィルムシミュレーションモードをベルビア調に設定して撮影したから、色彩コントラストが強調されている。それに黒がしまっているのが大変よいと思う。どこか外国的感性がある撮影機材だ。
 3年前銀座のアップルストアですれ違った、大きなカメラバックを担いだフランスのカメラマンが、マクロレンズをつけ、よく使い込んだ前のモデル機種を、鞄の外にぶら下げていた光景をよく覚えている。私は、そんな印象が強く残っていて、この機材を使っているのかも知れないが。

FUJI Finepix S5pro,AF-Micro NikkorF2.8/60mm
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横濱6. 隣は別世界か!

2008年09月16日 | Yokohama city
 隣の国でありながら、中国は別世界だと思うときがある。だが我が国の新しい神社である平安神宮や、東大寺などの会式における僧侶の袈裟などが極彩色であって、お互い様かと思うときもある。我が国は、中国渡来文化の影響を受けているから、やはり根本は同じである。その後の歴史の経緯によって異なった進化をとげた。今こうして進化してきた日本と中国の文化が再び出会うと、やはり隣は別世界と感ずる。
 横濱中華街の中心に二つの廟がある。街をつくってその中心が神様だというのは、わかりやすい構造だ。実際に我が国の多くの集落の中心には、鎮守の杜に囲まれた社に神様が鎮座し、コミュニティを祭がつなげていた。近代以降そうした神様不在の街が、ニュータウンである。人が住む街であることには、変わりはないが、神様の在と不在という相違が、興味深い。
 横濱にもニュータウンがあり、街の計画時には、神社は当然考慮されなかった。従って祭は商業イベントと化してしまった。そんな両方を併せ持つというのが、横濱なのだろう。
 そんなこともあって私は、専ら在のある街を徘徊している。というよりも、そのほうが絵になりやすい、ということかも知れない。 横濱媽祖廟では神様をダイレクトに撮影してはいけないので、遠くから八角形の建築空間全体を撮影した。

横濱媽祖廟
Canon EOS Kiss Digital,SIGUMAF3.5-5.6/18-125mm
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横濱5. Kissの試写

2008年09月15日 | Yokohama city
 実は、Kiss Digitalを購入して最初に試写に出かけた時に、つけていったレンズが、手元にあったカールツァイス・プラナーF2.8/80mmというハッセルブラッド用のレンズであった。要は、信奉するツァィスをデジタルで使いたかったのだ。デジタルで撮影したら、どんなんかな、という興味の方が大きかった。古いレンズだから少し黄色く色かぶりの傾向が見られたのはフィルムボディ時と同様だが、結果は申し分ないシャープさを伴っていた。それに四角いフードを持ったこの組み合わせは、スタイリングが良いと自負していた。これは使えそうだという実感を持った。だがKissのファィンダーは大変小さく、ピントの合わせにくさに懲りて、アングルビューファィンダーを購入したが、あまり解決にはならなかった。
 ところてで、数百程の中華料理店だ並ぶ横濱中華街は、とてもエスニックだ。こうした大規模エスニック街は、日本ではここだけだろう。 外国人が経営する外国料理店が建ち並ぶと言えば、東京では大使館が集積している六本木が昔から知られている。だが横濱中華街には、数で及ばない。 撮影時には必ずここに立ち寄り、そして重慶飯店で、高菜の肉まんを買って帰ることにしている。
 それにしても中華街を歩いていると人間の胃袋は凄いなと、いつも思わされる。日曜日は人手が多いので、ここへ食べに行くときは、いくつかの店が休む木曜日がベストだ。

横濱媽祖廟
EOS Kiss Digital,PlanarF2.8/80mm
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横濱4. 街歩きとKiss

2008年09月14日 | Yokohama city
 横濱の、少し堅い話が続いた。横浜駅から山手にかけて、よくでかける散歩コースは、大体は同じである。我ながら変化がないと思うときもあるが、そこは定点観察と自分にいいきかせている。それにこの界隈が横濱の中で、シンボリックな環境として、よく整備されてきたことも理由にある。それだけ街の変化も大きいといえる。
 こうした街歩きには、撮影機材を伴う。特にニコンのフィルム1ナンバー・シリーズから、後処理に手間がいらないデジタル一眼レフに乗り換えてからは、撮影枚数も俄然増えた。今でも初代のEOS Kiss Digitalを使用している。 今では古くなったが、 私の原稿やWEBで使うぐらいの写真であれば、この仕様で十分である。
 今日は撮るぞ!と意気込んでも写真が、撮れるわれではない。街を歩いていて、面白いと思った時に、自然に構えられ、設定も簡単で、 自慢する程のものではないので心理的負担にならない点でKissは優れている。そういう点では、むきだしで、ころがしておいても気にならないキャノンの身軽さというテイストは、横濱の気軽さとよく似合っている。Kissを購入したとき、18~100mmを超えるレンズがキャノンにはなかったので、SIGUMAが着いている。そのかわりキャノンの万人受けするような機能や画像処理には、撮影していて飽きやすくなる。Kissと同じような製品ポジションに、ニコンD40がある。評判も良いが、kissよりは随分と遅い市場投入であった。

Canon EOS Kiss Digital,SIGUMAF3.5-5.6/18-125mm
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横濱3. マドロス風情

2008年09月13日 | Yokohama city
 多分この洋館に置かれている本は、当時から据えられていたのではないかも知れない。だが、はげかかった装丁をみていると、洋館の歴史を感じるには十分な古さである。往時のこの街のエキゾチックな様相がしのばれる。明治、それこそこの街が、日本と言う国と歩調を合わせ、立ち上がろうと輝き始めた時代なのかも知れない。
 往時の洋館に人々の関心がゆくのは、明治という大きな時代の変わり目で、新しい街が生まれ、外来文化が輸入され、そして多くの外国人が住み着いた歴史的事実だろう。そうした時代から随分時間が経過した。 今でも横濱には、ミッション系スクールもあり、実際外国人も住んでいる。街の規模は、往時と比べれば、はるかに大きく、日本第2の人口規模を持った都市である。
 だが、「マドロス風情」といった煙草をくわえた少しヤクザな荒っぽい船員を表すこの言葉だが、 今の横濱にマドロス稼業の船員は、極めて少ないと推測している。船員達の意識や働き方も変わったのだろう。従って失われた要素も多いといえる。現代では、神奈川県自身が全県下の公共空間での原則禁煙を打ち出し、マドロス風情どころではない。多くの普通の生活者が暮らす、普通の街といっても差し支えない。このように私達の生活が平準化してくれば、街の機能も追随してくる。全国の街が平準化してくるのも、うなずけることである。
 現在の横濱の実態は、港町というよりは、むしろ全国どこにでもあるサラリーマン都市である。横濱も明治と比較すれば、港町のような顔をした普通の街だといえ、それはつまらなくなったのである。そこに、今の横濱のジレンマがあるのだろうか。

Canon EOS Kiss Digital,SIGUMAF3.5-5.6/18-125mm
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横濱2. 旧居留地

2008年09月12日 | Yokohama city
 横濱に港が開かれ、そして街が形成されてきたのは、江戸末期~明治期なので、歴史は浅い。だが当時の居留地に建てられていた洋館の幾つかが、今でも保存され公共施設として利用されている。何れも小さな民家であるが、エキゾチックで開放的な往事のテイストが感じられる。そんな海を間近にした異国性と開放性は、今の横濱の個性の一つであって欲しい。
 街づくりの仕事をしてきて思うのは、個性化という視点を加味した整備を目指しても、結果として街の個性が減じたことは否めない。スタバもあり、TSUTAYAやローソンもあるといった具合に、私達が欲する生活利便性を求め、全国的流通構造を導入すれば、現代のどの都市開発も、整備が進むほど類似性は高くなる。こうした全国展開している流通構造を内包した開発整備に重きをおくこと事態が、街を非個性化の方向へ進めてゆくのである。街の個性を喪失させているのは、実は私達自身の利便性追求やライフスタイルなのである。
 例えば横濱人と関西人とが会話をしていて、話題が通じなかったら大変でしょう。インターネットがさらに全国的画一化を進めてゆく。日本の何処にいても、会話になりうる商品が購入できる。そういうことを私達のライフスタイルが求めているのである。そして点のような小さな個性を、マスメディアがクローズアップしたところに、擬似的な街の個性が漂っているように思われる。
 個性化をめざしながら非個性的な都市が、数多く出現してきた現実、それが現代都市の内実である。
 
横濱、ブラフ18番館にて
Canon EOS Kiss Digatal,EF F1.8/50mm
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横濱1. 元町公園界隈

2008年09月11日 | Yokohama city
 少し我が町横濱をテーマにしておこう。東京生まれの私が横濱というのも少し変な感じであるが、1代住めば「ハマッコ」であり、東京の3代住めば「江戸っ子」よりは、身軽なところが横濱の良さである。つまりは、東京に住めないから、押し出されて横濱に住み着いたという言い方が、正しい。
 横濱の範囲も西へ意外に広がっており、私が歩く範囲は、精々京浜東北線沿線の至極一部である山手や元町界隈に限られている。この辺りは、しばしば散歩する。もちろん観光スポットでもあるが。
 1970年頃から横浜市は都心機能強化事業を多数行ってきており、そのおかげで、山手から横濱駅にかけてのウォーターフロント開発や多彩でユニークな事業整備が盛んに行われてきた。横濱は、全国自治体に先駆けたまちづくりの発祥といってよい。都市の計画やデザインを教える私の立場としても、こうした都市に住み着いていることは、何かと便利であった。なにしろ開発事業の素材が、街中に多数あったから、講義の教材を集めるにのは、大変都合がよかった。

EOS Kiss Digital,SIGUMAf3.5-5.6/18-125mm
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