Creator's Blog,record of the Designer's thinking

フィールドワークの映像、ドローイングとマーケティング手法を用いた小説、エッセイで、撮り、描き、書いてます。

京都暮らし62. 祗園祭が終わる

2009年07月31日 | Kyoto city
一ヶ月続いた祗園祭の最後の行事が、八坂神社の境内で行われる夏越祭。この茅の輪をくぐり、無病息災を祈って祗園祭りが終わる。また来年ね!という気分にさせてくれる。ここには写っていないが、鳥居にはめ込んだ茅の輪が人混みで撮れない。また夕方来ようと考えていたら、午後3時頃に茅の輪は、みんな引き抜かれて無くなりましたとさ。
 例年ならば山鉾巡行の頃で梅雨があけるのだが、今年は長引いた。今日の夏越祭の頃には、さすがに梅雨も終わろう。そして蒸し暑い京都特有の夏がくる。さらにあと1週間で暦の上では立秋だ。2週間程すればお盆になり、五山の送り火が行われて、秋になるのである。
 といって蒸し暑い夏が、あと2週間で終わってくれるとも思えない。今年は季節が少し後ろにずれていると、予想している。外れてくれればよいが、お盆以降も蒸し暑さが続くのかもしれない。
 暑い昼間はどうするか?そりゃもう家に籠もって、エアコンを効かせて仕事でしょう。外に出られるのは、夜ですな。枕草子も「夏は夜、月の頃はさらなり・・・」というぐらいですから。夏の夜、つまり夕方以降、私の場合、飲み屋さん等にいることのほうが多いのですね。
 そういえば私の出身大学の芸術の知恵袋として世話になった阿部公正先生などは、武蔵野美術大学や東京造形大学の学長をしていた頃は、家で夕飯を食べたことがない、というぐらいに街を徘徊していたようですし・・・。

京都・八坂神社・夏越祭神事
Fuji FinepixS5pro,AF-SNikkor16-85mm/F3.5-5.6ED


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京都暮らし61. 閑話

2009年07月30日 | Kyoto city
天気図を見ると、梅雨前線が次第に東へ移動し、このま消えれば暑い夏になりそうだという気配。昨日ようやく前期の講義も終わったので、文字通りキャンパスも休暇モードだ。
 朝の京都は、涼しい風も入り夏の開放感を味わえるが、10時をすぎると俄然蒸し暑く、空調が必需品になる。だから、早く起きた方が良いのだが、昨日の夜中に、ビデオで「TWENTY FOUR-6」を4編見ていたので、朝寝坊・寝不足だ。隣の寺の境内からは、複数の蝉のコーラス状態、2匹のトンボが飛びながら交尾している、器用な奴らだ。
 さてたまった雑事でも片付けようか。先ず机の周りの書類の整理、それに最も難儀な暑中見舞いだ。ボヤボヤしていると残暑になってしまう。
 暦の上では、8月8日が立秋なのであるから、この日以降は、「残暑厳しい折に・・・」、「立秋とは名ばかりの暑い日が続きますが、・・・」と挨拶も変わってくるわけだ。そう考えると学生達の夏休みも、「秋休み」と呼ぶ方が、暦には適っている。夏まで頑張ったので秋はお休み!。という考えるべきだろう。他方教員は、あまり頑張らないので、お休みはない。まあ、はかどりそうもない雑用で何かと忙しいけどね。
 このように季節にまつわる話をブログで書いているというのは、あまり話題がないからだろう。だから今日のお題は、閑話と呼ぶべきか。あたりは、静かなでいいのだが、少し倦怠感を感じ、雑用を片づける意欲も希薄だ。

京都・八坂上町
Fuji FinepixS5pro,AF-SNikkor16-85mm/F3.5-5.6ED
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京都暮らし60. 梅雨の終わりか!

2009年07月28日 | Kyoto city
 昨日の朝、警戒警報が出るぐらいの激しい雨が降っていた。昼前になると刺すような暑い日ざしに変わり、そして夕方、また激しい雨模様となり、それからまた晴れた。ああっ、ややこしい。天気図をみると、京都の上には梅雨前線がしっかり停滞しており、低気圧がゆっくり移動している様子が描かれていた。疲れそうな気候である。
 だから、夕方風呂にじっくりつかった。そんなことをしていると、昔のある友の顔を思い出した。少し照れたように笑みを浮かべ、私の家にやってきた彼である。多分二十歳前で、そして仕事をしていたのだろう。身なりからして彼の家は裕福ではなく、かなり苦労して育ったと記憶している。それだけに人と会うときの、あの笑顔を忘れる人はいなかった。そして、二十歳過ぎで他界してしまったのである。誰しもが、驚いた。笑みを残して去っていった彼である。
 もうじきお盆が近い。だからそんな昔のことを思い出すのかも知れない。昼間、散歩がてらに人気の少ない高台寺で涼んでいたら、幽霊を描いた円山応挙の掛け軸や、絵巻物が展示してあった。幽霊は、だれからも祀られることがなかった霊が、現世に現れたものだと縁起には記されていた。だから香をたいて、この世に未練を残した霊を祀るのだそうである。
 そうこうしていたら、古い人達から、絵画の個展や、デザイン展の案内が届いていた。夏というのは、昔を思い出させてくれる、季節なのかも知れない。そんな風に思える事自体が、梅雨の終わりかと思われる。
 ああっ、暑さでテンションが下がった今日のブログも、何回か書き直したり、写真を入れ替えたりして、やっとまとまったようだ。

京都・高台寺
Fuji FinepixS5pro,AF-SNikkor16-85mm/F3.5-5.6ED
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京都暮らし59. ボランティア

2009年07月27日 | Kyoto city
 京都とはまったく関係がない、昔の話をしよう。私が筑波の大学院に戻った頃、学部の体育の授業でヨットという種目があった。この種目をとるためには、100mを泳ぐことという試験があり、大学の競泳用屋内プールで泳がされるわれだ。
 うかつにも、私は水着を持参していなかったので、後日の試験になった。そこでなんとはなしに、競泳用プールを眺めていたら、試験が終わった見知らぬ学生が、私の水着を貸しましょうかといってくれたのだ。なんという親切!。
 私は 競泳用プールの大きさに圧倒されて今日は泳ぐ気分ではないし、ご厚意だけいたくことにした。そして私は、後日ずぼらで楽ちんな背泳で100m泳いで、試験に合格しヨットの授業を受けることができた。
 それにしても、見知らぬ私に水着を貸してくれるという、なんというボランティア精神に富んだ学生だ。同じ大学に学ぶということの、清々しさや面白さを感じていた。私が学んでいた頃は、概してそんな空気が漂っていたのかも知れない。
 さて、私が教えている大学ではどうか、プールはないしヨットもないので、体育の授業は、座学だと学生達から聞いた記憶がある。ああつつまんねぇー大学!!。
 そんなつまんない私の大学でも、北アルプスの蝶ヶ岳に、医学部の学生達が常駐する夏山診療所が開設されている。北アルプスでは、涸沢が東大、槍ヶ岳山荘が慈恵医科大学、奥穂高山荘が岐阜大学、徳沢園が日大といった具合に、大学医学部のボランティアによる診療所が数多く開設されている。だから、少しは鼻が高いのだが、蝶ヶ岳は結構登りがきついので、私はいったことがない(笑)。

京都・高台寺
Fuji FinepixS5pro,AF-SNikkor16-85mm/F3.5-5.6ED
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京都暮らし58. Experience

2009年07月26日 | Kyoto city
 歳をとると、突然何かの切っ掛けで、20代の頃の記憶がよみがえることがある。あの頃ほんとはこんなイメージを志向していたんだ、といった具合に。それも表層ではなく、深層イメージだったりする。
 こうした深層イメージというのは、やっかいである。何しろ当人が、当時、潜在的に意識していても、そこに様々な表層の利害や欲望や状況に攪乱されている内に、気づかなくなってしまっている。さらには忘却し、再度気づくのには、人生の半分以上の時間を過ぎてから、ということもあるだろう。そのときに気づいても既に手遅れである。
 このように書くと、何のことかがわからない人もいるだろう。まあ、それでいいのである。それが我々の生活世界なのだから。
 そう考えると人間って意外に表層の状況で生きているんだなと、いうことがわかるし、デザインはまさに表層そのものだなと思ったりする。
 こう考えたのも、アップル社のプロダクトデザイン取締役であるロバート・ブルナーの記述を読んでいたからかもしれない。「エクスピリエンス」(体験)というキーワードが面白いと思った。たしかチームディズニーもこの言葉を使っていた。表層も深層もエクスピリエンスである。デザインの現場では、そう書いておくほうが、解りやすいだろう。

京都・八坂神社
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京都暮らし57. 海よ!

2009年07月25日 | Shonan coast
京都には、海がない。そこが、時間があれば容易に湘南海岸に行くことが出来た横濱暮らしとは大いに違うところである。だから、海が見たい。そこで2時間の空き時間を使って、海へ向かったのである。
 海水浴シーズンだが、茅ヶ崎駅から海岸へ行くバスが見あたらない。後で聞いた話だが、30分に1本だそうだ。それ位今では、海水浴にゆく人は少ないのだろう。仕方がないので、30分程の道のりを歩いた。それにしても背中が焼けるように暑い!
 茅ヶ崎海岸は、海の中にある烏帽子岩だけが、すこし異色な風景なのだが、海岸には松林が続き、風景の変化が少ない静かな海岸である。
 今、日本経済新聞朝刊の「私の履歴書」という、相当に古くから設けられているコーナーで、加山雄三氏が執筆している。先日は、経営者の一人として彼が関わった茅ヶ崎の倒産したホテルの話が掲載されていた。今は茅ヶ崎駅前のストリートファニチュアに彼の手形が、飾られている。
 もう一つ私が思い出すのが、藤田敏八監督「八月の濡れた砂」(1971年)である。主演の村野武範氏が、いきどころのない無鉄砲な青春の気分を、好演していたのを覚えている。今見てもあまり古いとは、思われない作品である。
 そしてサザンオールスターズの桑田佳祐氏も茅ヶ崎の出身である。そうした青春時代を走り抜けたスター達も、もはや50歳以上である。
 海が媒介した昔の熱い風景を思い起こしながら、そして過ぎ去る時間の早さを感じながら、静かな海辺を歩いていた。

神奈川県・茅ヶ崎
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京都暮らし56. 海岸のライフスタイル

2009年07月24日 | Shonan coast
 暑い海岸を歩いていたら、瀟洒な建物を見つけた。あそこなら休めるかも、というのでいってみたらイタリアンレストランがあった。ライチタイムは、カフェテリア方式でパスタが食べ放題のようだ。近所の主婦グループがありついていた。
 室内は、エアコンが効いていて、心地よい。今は、こうでないと人は来ないと思うよ。こうしたレストランが、海岸にニースなどのリゾート地に多く見られる綺麗な着替えのためのボックスハウスや化粧室を設え、ビーチチェアやパラソルを貸し出せばいいのにと思った。海岸のビーチチェアで昼寝をしたり、本を読んだりしてすごそうというわけだ。呼べば、冷たい飲み物を持ってきてくれる。腹が減ればエアコンが効いた室内で、イタリアンにありつける。経営的に見れば、海の家と変わらない。
 だがこちらの方が大いにレスト的であるし、現代のビーチライフスタイルである。もはや誰しもが炎天下の海で真っ黒になって遊ぶという時代ではない。むしろ何もしないでポーとできる、そんなレストで時間を気にしないライフスタイルがあるだろう。
 きっと海岸には、利権があり「海の家」は、代々続けてきた実績で旧態然とした店を開くことができ、レストランは、あくまでレストランだけの経営に徹したままだし。
 実はそうした両者の間に、人々のニーズがあるのではないだろうか。人々の余暇スタイルがの方が大きく変わってしまい、利権や施設、そして経営者の意識が、ライフスタイルの変化に追いついていないように思われる。

神奈川県・茅ヶ崎
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京都暮らし55. 海の家!?

2009年07月23日 | Shonan coast
 先日仕事の合間に、茅ヶ崎海岸まで足をのばした。茅ヶ崎は、桑田佳祐の故郷であり、サザンオールスターズのサウンド・プレイス、或いはイメージ・プレイスである。そういうイベント時の環境の変化とは関係なく、茅ヶ崎海岸は大変人気が少ない。まだ夏休み前だから、訪れる人も少ないのだろう。
 「海水浴」というのも20世紀的な言葉である。かっては、夏のレジャーの代名詞だったが、今ではどれぐらいの人が行くのだろうかと思うぐらいに、流行らない余暇活動である。今の若い女の子に言わせれば、肌が日焼けするから外はヤダ!と言われそうである。
 だからかどうかは知らないが、海の家も閑散としている。私が、海岸を歩いてゆくと、海の家から「いらっしゃい」とかけ声がかかるが、私自信が水着をもっていないし、仕事の合間の時間つぶしであるからして、場違いな格好である。そんな場違いな私に声をかけないでよ、と内心では思っていたりする。
 そうはいっても、ものすごく暑いのであるから、気分としては休みたいのだが、といって「海の家」で、休む時間も意欲もない。
 海の家も、少しはお洒落志向になったようだか、それ以前に、海の家というコンセプト自体が変わってしまったように思う。そんなことを考えながら、日差しがとても強い人気の少ない海岸を歩いていた。

神奈川県・茅ヶ崎
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京都暮らし54. 蝉時雨

2009年07月22日 | Shonan coast
 今日は皆既日食だった。その時間、調度私は講義をしていてすっかりそのことを忘れていた。そんなとき、誰かが教えてくれれば、外に出て見に行ったのだが、後の祭りだった。名古屋は、部分日食だったのではと思うが。
 大学のキャンパスでは、ワンワンと蝉が一斉に鳴き出し、蝉時雨だ。だから今日は、れっきとした夏の盛だと理解する方が今年は正解だと思われる。だが集中豪雨もあり梅雨前線があるので気象台は、梅雨明け宣言を出せないでいる。通例ならば来月中旬までが盛夏であるから、ボヤボヤしていると夏が終わるけどなぁー。
 学生達の夏休みは8月から9月末頃迄だから、もう盛夏が半分終わり、大半が残暑或いは初秋であるから、夏休みというよりは、秋休みと言うべきかもしれない。
 京都に棲むと、真昼は刺すような暑さと湿気があり、ああっ、やはり盆地は凄いなととおもわせるものがあるが、朝晩は意外に心地よい。温度差があるのだろう。心地よいときは家も風が抜け、仕事をしていても快適である。だから、朝早く起きて仕事をし、昼は冷麺などをすすりながら、昼寝をしているのがよいようだ。どこかシニアのライフスタイルなのだか、それが暑いときには、正解のようでもある。
 俳句の季語にしたいぐらいに昼寝は、夏によくあうように思われる。
 
神奈川県・茅ヶ崎
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京都暮らし53. 夕立

2009年07月21日 | Kyoto city
 日本の一般的な気象現象だが、昼間のむせ返るような暑さが頂点に達し、それが崩れるかのように夕方になると雷を伴う激しい夕立が来る。地表面を暑く照らされることで上昇気流が発生し、地表と上空の大きな温度差が生まれて、大気が不安定になるからだ。
 先日の日曜日がそうだった。京阪の出町柳駅をでたら、激しい雨で糺すの杜が霞んでいる。それ自体は、大変魅力的な都市の風景であり、カメラを持ち出して雷雨の中を撮影したい気分にさせられが、突然のことなので、そんな防水対策はしていない。やむなく駅舎で、足止めである。テレビでは京都南部地域に大雨洪水警報がだされていることを報じていた。夕立は、夏の始まりをつげている。
 もう夏だから、学校はお休み!、といった具合に季節に呼応しているのは高等学校迄であり、大学は今月末まで授業があり、夏休みは8月からだ。それでも8月の初めは、何かと雑事に追われ、お盆の頃になってからようやくキャンパスは静かになる。つまりお盆迄の盛夏を過ぎてから、本格的な学生達の夏休みが始まるのである。 お盆を過ぎれば、海には土用波が来ており、海の家も店じまいし、挨拶の季語も異なり、つまりもう初秋なのである。大学の学事歴は、季節とずれていると思うが、学生達は若さ故にそんなことには無視して、たっぷり秋になる9月下旬まで、ずれきった夏休みとなる。9月というのは海外旅行をするのにチケットが安いから、むしろこちらの方が好まれるようだ。
 私自身が生活の中で、季節を節目とするという日本の風習を最近特に意識しているのも、締め切り日に追われる生活から解放されているからだとおもう。原稿を書いていれば、その締め切り日が生活の節目となってくる。そうなると、季節の変化も関心がなくなるのだろう。

京都・出町柳
Fuji FinepixS5pro,AF-SNikkor16-85mm/F3.5-5.6ED
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京都暮らし52. 足つけ神事

2009年07月20日 | Kyoto city
土曜丑の日の頃に行われる下賀茂神社のみたらし祭、特にこの足つけ神事が面白い。この日だけ清水が引かれるみたらしの池の水は、とても冷たく、夏の暑さを忘れさせてくれる。
 入り口で蝋燭をもらい、膝まで冷水につかりながら歩いてゆくと、池の中程に燭台があり、火をともしてから、神前に捧げ、無病息災を祈る儀式である。池から上がると御神酒にいれた冷水をいただく。そして帰りに鳥居の袂にある、みたらし団子をいただき、世界文化遺産の糺すの杜に出ている露店を冷やかしながら帰るわけだ。
 京都の祭には、必ず季節の和菓子がセットになっているところが面白い。それは京都だけのことではなく、昔からの日本の風習だったのかもしれない。最近の私達が忘れているのだと思うが、京都人はしっかり覚えている。
 私自身辛党なのであるが、やはり季節の和菓子にありついてしまう。祭と食はセットなのだなといつも思う。

京都・下鴨神社
Fuji FinepixS5pro,AF-SNikkor16-85mm/F3.5-5.6ED
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京都暮らし51. 祇園祭・神幸祭

2009年07月19日 | Kyoto city
 祇園祭・山鉾巡行日の夕方、八坂神社から3台の大御輿と1台の子供御輿が出て街を練り歩く。そして夜になると四条通の御旅所に、各御輿が集まってくる。今日から24日の還行祭まで、御旅所に神様が鎮座するのである。
 御輿は、いうまでもなく神様の乗り物である。祇園祭は八坂神社のお祭りなので、ちゃんと神様が御輿に乗って街にやってくるわけだ。御輿の担ぎ棒は、四条通の道幅ぐらいの長さがある。大御輿を回しながら差し上げているときは、四条通が担ぎ手達で埋まり、かけ声とともに大変壮観な風景である。
 大概の観光客は宵山と山鉾巡行をみて帰ってしまうので、それでは八坂神社の神様がいないときに、京都をかすめてゆくようなもので、あまり御利益はないのとちゃうか。神幸祭は、観光客がいないから地元の祭という空気が漂い、威勢良くどこかおもしろい。
 この時期にいつも思うのだが、7月一杯が祇園祭であり、地元のガイドブック等を開くと、私自身いつも暑さに負けて随分行きそびれた行事や施設が多い。例えば放下鉾の町会所の奥にある民家を斜めにまたぐ渡り廊下などとても現代建築的だし、石見神楽も見落とした。
 このように行事等が、目白押しというのも祇園祭の特徴である。そして巡行が終わると即座に山鉾が解体される。それは街の疫病などの悪霊達が飾り立てた山鉾に呼び集められ、解体されるのに合わせて消え去ってゆくのである。山鉾の華麗な胴巻きは、悪霊達を呼び集めるためのものなのだろう。
 山鉾巡行で悪霊達が消えさり、そして神様が街にやってくる。それが神幸祭である。祇園祭は西暦869年に始まったので、約千百年の歴史がある。
 調度今年は、 土曜丑の日が近いので下鴨神社のみたらし祭が、土曜日から四日間行われる。従って今年は、宵山、山鉾巡行、神興祭、みたらし祭と、夏の京都のハイライト行事を三日間で堪能できる珍しい年だ。だからまとめて京都の夏と祭を短期間に体験するのには、今年は大変よい年だったわけである。
 神幸祭の翌日、家の周りで蝉が鳴き出し、隣の寺院から法要の読響が静かに聞こえてきた。まぎれもなく真夏の風景である。

京都・四条通
Fuji FinepixS5pro,AFNikkor50mm/F1.4ED
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京都暮らし50. 続・祇園祭

2009年07月18日 | Kyoto city
 四条通でしめ縄を切って始まった山鉾巡行も、人いきれで蒸し暑いので、「とらや」に逃げ込んでお茶をしていた。さて次は新町筋に行こう。
 以前のブログでも、この通りについては書いた記憶がある。民家が連なる細い道を鉾がゆっくり軒先をかき分けるように進む様子が、間近に見られることもあり、面白いところだ。だがなかなか気に入ったカットが撮れないところでもある。道が細いために撮影アングルも限られている。そんなわけで私にとってのこの筋は、毎年撮影の練習場所と化している。
 何のために撮影しているかというと、講演会や講義の資料として撮りだめている。特にお祭りは、1年に一度しか開催されないので、必要だから撮影しているのではとても間に合わないので、撮影しておいて後で使い道を考えるという案配だ。そうしておくと次第に撮影データが増えてゆくが、必要性がなければ、消去してしまえるところがデジタルの良いところだろう。
 いつもこの場所にきて思い出すのは、大分前に映画監督の市川崑が撮影した瓦の家並みの間を鉾が通り過ぎてゆく俯瞰したカットである。そんなに高い建物が周囲には見られないので、どこで撮影したのか気になるところである。そんなことを毎年考えているうちに、瓦屋根の民家の方が減ってしまったのが現実だろう。波のように延々と瓦屋根が続く京都の風景は、今ではもう見られないといってよいだろう。

京都・新町通
Fuji FinepixS5pro,AF-SNikkor16-85mm/F3.5-5.6ED
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京都暮らし49. 山鉾巡行

2009年07月17日 | field work
 今日は、祇園祭のハイライトである山鉾巡行がある。麩屋町筋界隈で、しめ縄が四条通に渡してあり、これを長刀鉾のお稚児さんが切り落とすと、山鉾の巡行が始まる。ここから、御池でお稚児さんが鉾から降りるまでが宗教行事であり、それ以降がお遊びになるといった具合に、鉾の巡行の性格が分けられている。そのために、宗教行事とお遊びとではお囃子のテンポが違うということを、京都人から伺ったことがある。
 今年は少し雨模様であり、そのために胴掛けや山の飾り物にビニールを張り巡らしてある。こういう季節は、私のように写真をとりたい人間にとっては、ハズレ!、である。なにしろ見栄えが悪く、写真写りが悪いというのが理由だ。といっても洞掛けは、大変高価なモノなので、主催する側の気分としては、ビニールをかけたくなるのだろう。
 山鉾の高さは15m位だから、周囲のビル群と比べれば、可愛いサイズなのであるが、それがギシギシと音を立てながら、かけ声や囃子とともに、街中を巡行する様子は、やはり優雅な雰囲気が漂う。
 全ての山鉾は、四条通、河原町通、御池通を反時計回りに回って、鉾町に帰ってゆく。この頃梅雨が終わり暑い夏の始まりをつげるのが山鉾の巡行である。これから、8月中旬の五山送り火の日迄の間が、真夏なのである。盆地であるが故に蒸しかえるような暑い京都の夏が始まったという気分である。

京都・四条通
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京都暮らし48. 宵々々山

2009年07月16日 | Kyoto city
 この写真は、宵々々山に撮影した。晴天が続いているせいか、例年より人手は多い。山鉾巡行の前々々日で、このありさまだ。
 個人的には、いわゆる宵山という行事が、大変面白いと思う。夜が早い京都の街も、三日間の宵山の間は、街中に祇園囃子が鳴り響き、夜遅くまで店や露店が開き、鉾町の至る所の露地では祭に関連した美術工芸品を展示しており、浴衣姿で歩く人も数多い。そんな風に普段とは違った街のライフスタイルの姿は、心ときめくようで面白い。
 今週は月曜日から名古屋だったので、なにかと慌ただしかった。水曜日の夕方東京に向かい1泊して京都に戻ってきたところである。そして今日は祇園祭・宵山だ。
 今日の夕方は、この時期でも比較的空いている近所の日航プリンセスホテル京都で、中華料理を食べながらくつろいでいたのだが、帰りしなに四条通にでると、厚い人の列にぶつかった。新聞によれば、一晩で38万人が宵山に訪れたと報じていた。

京都・新町筋
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