Creator's Blog,record of the Designer's thinking

フィールドワークの映像、ドローイングとマーケティング手法を用いた小説、エッセイで、撮り、描き、書いてます。

エッセイ638. JR東日本のデザイン図書

2023年09月30日 | field work

 YouTubeには、鉄ちゃん達の投稿が多い。しかしどこをみてもこの本を紹介した映像が見当たらない。車両のデザインは彼らの関心の外側なのだろう。とはいいつつも、鉄道車両はれっきとしたプロダクトデザインの領域である。
 鉄道を軸にすると駅舎の建築や商業のマーチャンダイジン、ユニフォームやCIといった広がりに眼を向けると、鉄道会社は総合生活産業の1つだといえる。それも私達の生活に密着した次元での展開である。
 大学のプロダクトデザイン実習に搬送機器のデザインがある。それはズバリ!、カーデザインの勉強である。そこへゆくと当時鉄道車両のデザインを取り上げた大学は皆無といってよかった。今で言えば隙間産業デザインだったのである。
 それに鉄道車両はデザイン要素が少なく、どうせエンジニアの領域なのだろとプロダクトデザイナーは見ていた。そこへグラフィック&インテリアデザイナーの水戸岡鋭治氏が登場し、車両もこんな風にデザインできるよと実践して見せたわけである。
 もう一人あげれば、ピニンファリーナのカーデザイナーであった奥山清行氏である。プロダクトデザイナーがきちんと鉄道のデザインに取り組んだ例である。
 ところで私が感心を持ったのが、車のデザイン同様に鉄道車両の車体の図面は線図という方法で描かれる。それは曲面を持つ立体の設計における作図方法である。私も椅子の作図実習で線図を描いたことがある。
 JR東日本の本は、鉄道とデザインという展示会(1989年10月14日-11月12日,東京ステーションギャラリー)の時の産物だから市販はされていない。だが鉄道をデザインという切り口で語ったらどうなるかという編集は、大変面白い。編集者にGKの記載をみてなるほどと納得した。
 さらにこの本には、モデルとなる本がある。それがブリティッシュ・レイルウェイの本である。これが出発点だった。そんな風にみてゆくと、デザイナーの関心を引きつけて放さない大変面白い本である。JR東日本の本が市販されなかったのが大変惜しい。
 鉄道を鉄ちゃん達の興味本位ではなくデザイン文化表現体として語ってゆく事も大切な事であり、それによって次世代プロダクトデザイナーを養成し、社会の文化啓蒙につながると私は考えている。こうした本がもっと多方面の分野から出版されてよいと思われる。
 JR東日本:鉄道とデザイン,東日本旅客鉄道株式会社・GK,1989年.

James Cousins*British Rail Design,Danish Design Council,1986年
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エッセイ637. 私の本について

2023年09月29日 | field work


 ここであげてきたいくつかの図書に共通するのは、ヴィジァライゼーションであり、研究者やデザイナの多くはドローイングができる点だ。空間の定義を考えれば、XYZの3軸で定量化された座標軸を持つこと。そんな空間の中で図や概略的なデザインをドローイングで示すことができる。これらの図書が与えてくれた知見が、私のプロジェクト・プロデュースという仕事に活かされてきた。
 実際のプロジェクトを通じて成立してきた概念や方法論をまとめたのが、私の著書である「環境デザインのプロデュース、コンセプトクリエイション、イマジニアリング」である。
 ブログトップ画像は、コンセプトチャートを解説したもので本の中から引用した。このコンセプトにしたがって描いたスケッチの一部が2番目の画像である。いずらも中国の都市計画プロジェクトであった。
 3番目の画像は、現在名古屋駅前にたつ「明日なる金山」の一番最初のスケマティックデザインである。たしかホテルの部屋で一晩ぐらいで描いたものである。私の仕事は、ここまでであり以後民間企業によって実現を果たしている。
 このようにプロデュースという立場から、小はインテリアから大は中国の都市計画に至るまで関わってきたから、ノウハウの蓄積は並の専門家以上にあるだろう。今ならば、世界のどんな大プロジェクトでもこなせる経験を有する数少ない人間になってしまった。といって今は、そんな能力が生かせる仕事が地球上にそうそうあるはずもない。
 だからこれまでの知識や経験を全て私の本に凝縮しており、これにてプロジェクトはお終いとしている。そのためにこの本を出版した。今後私が世界のプロジェクトに関わることはない。
 目下の関心は文化財科学である。毎年この学術論文を書く事が当面の仕事である。
三上訓顯:環境デザインのプロデュース、コンセプトクリエイション、イマジニアリング,井上書院,2017.
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エッセイ636. マクハーグのデザインウィズネイチャー

2023年09月28日 | field work

 1960年代後半、世界的に地球環境に対する認識が立ち上がり始めた。時を同じくして、イアン.L.マクハーグ(1920-2001)は、私達を取り巻く環境を自然と社会の総和として捉え、彼はエコロジカルプランニングの方法論を発表した。それが地域計画のバイブルともいわれるデザイン・ウィズ・ネイチャーである。
 彼の考え方は、わが国の環境アセスメントにも影響を与え、環境情報を2次元の空間に表示するとともに、こうした空間を情報量に応じて何層(少なくとも25層以上)も重ねたレイヤーという概念をつくり、マトリックス評価を経るなど、地域計画策定の大きな方法となっていった。
 この本は、私が大学院修士課程の授業テキストであった。だから受講者達と分担しながら原文で読んでいた。
 これは、もちろん地域計画の大きなツールになっていった。だがわが国の狭小な地形では最初に空地有りで開発が進められ、とてもエコロジカルとは言いがたい状況が一般的だった。まあ当時は国民の意識が低かったのもあり、そして今もそうだが、土地や海の利権ばかりが議論され国民の意識は余り変わらないように思われる。
 日本のエコロジカルプランニングは、精々役所レベルの話なのだが、そうやって国民がボヤボヤしていると地球温暖化になり、魚が捕れないなど騒ぐ始末である。そんなことは1960年代から言われていたことである。
 和訳は1995年に集文社から刊行されている。

IAN L.McHARG:DESIGN WITH NATURE,JOHN WILEY & SONG,INC,1992再販
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エッセイ635. ニューアーバニズムの住まいづくり

2023年09月27日 | field work

ニューアーバニズムの初期の例:Seaside,Florida.


大規模な住宅開発:Kentland,Maryland.

 1990年代アメリカで台頭してきたのが、持続可能な社会を目指したニューアーバニズムの考えによる住宅開発である。
 それまでの大きなアメリカンスタイルの住宅を見直し、小さいけれどコミュニティが共同で豊かな環境を形成してゆこうするものである。そのスタートはランドスケープデザインであり、住まいから見える風景をどのようにデザインするかという手書きのスケッチから始まる。そしてスケールダウンされ住宅個々のデザインガイドラインに及び環境と整合した住宅環境開発なされてきた。
 その底流には、風景をつくるという発想がある。だから巨大スーパーマーケットや、工場や、鉄道操車場の跡地が住まいに変容したりといった具合に環境自体を作り変えるので、どこでも住まいとして最適で最良の環境を形成することができる。
 ニューアーバニズムの方法の一部は日本でも導入されたが、その後の展開は見られない。風景をつくり良好な環境形成を果たしながら持続可能な社会を形成してゆこうとする考え方が、不動産ビジネスにおいて、さらには市民ニーズにおいて、受け入れられていないのである。
 したがって個々の住宅性能は向上しても戸建て住宅止まりとなり、街全体で良好な風景をつくろうとする実現例は、わが国では存在しない。精々1つの敷地止まりの発想なのである。
 つまり建築群として環境形成をはたそうとするアメリカの考え方からは30年以上遅れている事になる。日本でいわれる持続可能な社会形成も、政治家やメディアの達のかけ声だけである。
 そもそもランドスケープデザインという考え方が、広く浸透していない。ランドスケープちゅうと庭師の仕事かぁー。うちは庭がないからええか、という程度の認識では、アカンでしょう。
 ニューアーバニズム方法論の特徴は、最初に風景をドローイングでデザインしてゆくところから始まって全体の環境をつくり、それから住宅の建築デザインのガイドラインを作成し、個々の住宅の建設を進めてゆく。こうした一連のデザイン作業が2週間で完了できる方法や組織が既に開発されているのがアメリカの住宅開発の姿である。
Peter katz:The New Urbanism-Toward an Architecture od Community,McGraw-Hill,Inc,1994.

追記
 100回を超えた。つまりこのブログの予約投稿の数だ。ということはつまり今年執筆するスペースはすべて埋まってしまったということになる。だから今は来年のスペースに書いている。
 そうなると季節が大いにズレるのがFieldworkの映像だ。なにしろ冬に夏の映像がアップされるのだから。リアルタイムでの視聴はYouTubeでみられる。映像の勉強も少し進んできた。こんどは多様な編集ができるソフトに変えてみよう。もし私のチャンネルを訪れたらチャンネル登録をお願いします。登録者1,000人越えが目標です。URLは以下。
https://www.youtube.com/@team_mikami/videos
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エッセイ634. 都市デザインの方法論としてのクリストファー・アレギザンダー

2023年09月26日 | field work

 都市開発の仕事をする以上、コンセプトワークが必要になる。それはいつまでに、どんな事業者と、何処の土地に、どんな理由で、どんな機能を導入し、どのように実現するかとするプロポーザルである。
 そんなプロポーザルは理論ばかり書いても文科系の作文になるので、やはり方法論が必要になる。そして方法論として参照した図書の1つに、クリストファー・アレギザンダーの幾つかの本がある。
 例えば、彼のA New Theory of Urban Designは、都市の開発が暫時的である事。そのなかで既存建築をリニューアルしながら、都市のディテールをすり込ませてゆくことなどの方法論がモデルデザインで示されている。そうしてデザインの過程で、人々の活動と都市空間との関わり方を示唆的に示した253のケースが、彼のパターンランゲージ(平田翰約,那鹿島出版会,1996)という本にまとめられている。この2冊は、プロポーザルを書くにあたり随分と参照した図書である。もちろん今でも入手可能。
 私は、かって東京都が道路拡幅事業を行いたいために高円寺北口地区の再開発事業に関わった。このときの理論は、まさにパターンランゲージを敷衍したプロポーザルだった。それは地元から反対された。あらっ、ヒューマンなまちづくりで一致しているのにさ。つさまり道路の拡幅なんかしないで、今のままリニューアルすればいいじゃん、という意見だった。この考え方は私も賛成だけど、道路拡幅によって防災性能を向上させたいとする東京都が背後にいる以上手を上げることが出来ないという立場上の板挟みにあった。
 結果として再開発事業は中止となり東京都も手を引き、その後少しずつ街が暫時的に不燃建築物へとリニューアルされ、当初私がイメージした姿に近づいていった。道路拡幅や防災性能向上は都市計画の理論である。それが敗退したということである。そして今も居心地の良さそうな街が続いている。そんな下北沢みたいな居心地の良い街が東京にはある。

Christopher Alexander:A New Theory of Urban Design,Oxford,University Press,1987.
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エッセイ633. ジョン・ジャーディのスケッチから・・・

2023年09月25日 | field work

 トップの画像は、東京湾臨海部副都心の事業コンペで、アメリカの商業建築家ジョン・ジャーディ(1940年-2015年)が最初に描いたデザインコンセプト・スケッチの部分である。ジャーディは、グレイブスのような写実的なスケッチは描かない。むしろ空間の作り方の概念スケッチといってよく、それは公開されることはない。
 私はプロデュース企業で、このコンペのためのディレクションを委託者の三菱地所の優れた担当者と一緒に仕事をしていた。
 そんな建築コンセプトが完成し、かっての丸ビルの三菱地所の大会議室で役員達に対するプレゼンテーションが行われた。もちろんジョン・ジャーディがアメリカから駆けつけた。私は三菱地所の担当者と並んで会場の一番奥隅の目立たない席からプレゼンテーションの成行を見守っていた。
 地所の担当者と小声で「どうなるんでしょうねぇー。景気が悪くなるみたいですよ。」と会話をしていた。そう当時はバブル絶頂期で、もうこれ以上は上にゆかない所まで経済崩壊のイエロー・シグナルが出始めた頃だったのである。
 私は、遠くから見ていると建築家もタレントだと思っていた。いや、建築家にはタレント性が必要なのだ。それは建築という超専門分野と社会を繋ぐ架け橋として必要な資質だったのだろう。
 私達の予測通り、この事業は1年後に中止となった。それは建築の設計が全て完了し、これから建設工事に取りかかる直前だったのである。不動産屋の先読みの力量に驚かされた時だった。
 時を同じくして私のプロデュース企業は、ジョンジャーディを福岡地所につれてゆき、当時の鐘紡工場跡地開発のスケマティックデザインを描かせた。そのスケッチが完成した頃、私達は福岡からも手を引いたのである。バブル崩壊の足音がヒタヒタと近づいてきた頃であった。
 その後私達の予想に反して、福岡地所の並外れた博多っ子気質で完成されたのがカナルシティ博多である。
 ジョン・ジャーディも5回目の結婚をした後だから乗っていたし、カナルシティ博多は彼の晩年の大作となった。彼は、ホートン・プラザ、ロサンゼルスオリンピックの会場演出、ラスベガスのホテルベラージォ、六本木ヒルズ等など美しい作品の大半を今でも見ることが出来る。ボスト・モダニズム様式が綺麗に昇華されてきたのである。


参考文献:JOHN JEORDE:YOU ARE HERE,PHAIDON,1999.
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エッセイ632. マイケル・グレイブスにまつわる私の記憶

2023年09月24日 | field work

 私が高校生の頃世界の建築家といえば、コンクリート打ち放しをモットーとするモダニズム建築のル・コルビジェだった。そこへ様式建築の美学をひっさげて風穴を開けたのがロバート・ヴェンチェルリ。そうポスト・モダニズムの始まりだった。ボスト・モダニズムを発展させ数多くの建築を実現してきたのがマイケル・グレイブスである。
 私がプロデュース企業に勤めていた頃、マイケル・グレイブスとは2度一緒に仕事をしたことがある。1つは横浜のアルテ横浜であり、もう一つはNTTデータ通信のインテリアの仕事であった。
 マイケルグレイブスが現場にやってきて、NTTの担当者が「この椅子は日本人には足が長いよ」といったら、彼は大きなノートを取り出して記録していた。はて修正するのかなと思ったら、そのままであったのには後で笑えた。
 彼は、現場視察の最後に私達のスタッフと通訳を両脇に抱え肩を組んで記念写真をとっていった。なんて気さくなアメリカ人なんだろう。
 そんなグレイブスの3品集は分冊になっている。なんといっても建築にしても、家具にしても色が大変綺麗だ。やはり実力と優れた感性の持ち主だ。
 そんなポスト・モダニズム様式もバブル経済の波にのり形式化してゆく。グレイブスのデザインとは似ても似つかない珍奇な疑似的ポスト・モダニズム建築が繁華街に建ち並び、バブル崩壊の証拠としてメディアに取り上げられてしまった。
 そんなわけで、日本では変なレッテルを貼られたポスト・モダニズム様式だが、今見ても大変綺麗な色と感性のデザインである。
 私がプロデュース事務所に勤めていた頃、安藤忠雄さんの建築をポスト・モダニズム建築と称してメディアに紹介する記事を書いていたお姉ちゃんがいたが、私はまさにえっ!、だよ。ものをしらない女達だ。なんでもくっつければ良いとするあまり勉強をしてこない、そして感性が鈍かった女達と一緒に仕事をしていたわけだ。
 そんなお姉ちゃん達は、まるでトレンディドラマの主人公のようにいばり、模様替えのとき私を経理の部屋の50cmの丸い簡易テーブルへ移動させてくれた。半日ほどして浜野さんに救われて個室を与えられたけど。その後お姉ちゃんは首になったらしい。当たり前だろう。実力もないのに人を指図するなよな。今は実力も感性もないのにWEB上でものを言う人間達のなんと多い事か。
 さてグレイブスのデザインで口直しをしよう。やはり実力と優れた感性があるんだね。


参考文献:MICHAL GRAVES:BUILDING AND PROJECT 1990-1994,Rizzouli,1995.
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エッセイ631. プロダクトデザイナー、シド・ミードの「センチネル」から

2023年09月23日 | field work

 はい!、はい!、読書の秋でしたね。ならば私の書架からひっぱりだした本でも紹介しましょう。
 手にしたのは、アメリカのプロダクトデザイナー、シド・ミード(1933-2019)の「センチネル」(1979刊行)から引用しました。プロダクトデザイナーが描いたヴィジュアルであり、もちろんスターウォーズが登場する以前の未来デザインであり、ハリウッドの映画制作者達は、彼のヴィジュアルセンスに注目し、「ブレードランナー」をはじめ、「スタートレック」、「トロン」、「2010年」、「エイリアン2」、「ショートサーキット」などにヴィジュアル・フューチャリストとして参加してきたとWikは解説している。
 私も学生時代、ほんの少しだけプロダクトデザインを勉強しましたから、彼のイラストは随分とレンダリングの参考にしました。こんな風に建築をデザイン出来ないかなぁーと学生時代は考えていました。もちろんそれは大学の設計実習で少し試みましたけど、なんか磯崎新風と先生達からからかわれ、私は一寸心外だったけど成績はよかったでしたね。
 今見ると古い本ですから、みていると目が慣れてくるのが不思議。もちろん彼は、この後日本でもバンダイなどと関わり、数多くの未来世界をゲームソフトを通じて表現してきました。
 彼はプロダクトデザイナーの出身ですから、初期の頃フォードやボルボ、イタルデザイン、フィリップス等とも関わり多くのプロダクトを世に送り出しています。
 さて次回は、ルイジ・コラーニを紹介・・・、あら!、彼の作品集をCAR STYLING(創刊号から揃えていた)と一緒に私の大学の図書館に寄贈しちゃったようだ。
 ならばジョルジェット・ジュージアーロか。だが彼は公的な本を出していない。彼のカーデザインはつとに有名だから、ここで述べる必要はない。だれしもが見ているジュージアーロのデザインというデロリアンだろう。そうあの映画バックトゥーザフューチャーに登場してきた車である。
VW Sirroco Rendering


参考文献:Syd Mead:SINTINEL,Dragon's Dream,1979.

Giorgetto Giugiaro:DMC DeLorean
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Fiekdwork837 熱気冷水の下鴨神社みたらし祭 4K

2023年09月22日 | field work

 ブログのスペースが一日分余っていた。祇園祭の後祭があるから、この映像でも入れようかと予定していた。
 だが山鉾巡航は二回目だし、花笠巡航で子供達や舞妓さんが都を練り歩く姿は、綺麗だけど私の映像としては面白みがない。そう思っていたら下鴨神社のみたらし祭りが開催されていた。こちらの足付け神事の方が絵としては面白いし、大挙して群衆が集まる祇園祭後祭でコロナ感染するよりは、世界遺産糺すの杜の方が健康的だ。
 気温34℃の京都で痛くしびれるような水の冷たさが大変心地よい。この時だけ50m下から組み上げた地下水が水路に流される。ここを蝋燭1本もって神殿前の燭台に灯し祖先の霊をなぐさめるという行事だ。このブログでも、過去に取り上げている夏にはゆきたい古都の行事だ。
 だが、出町ふたばのみたらし団子が境内で販売されているはずだが、早々に売り切れとなり、糺すの杜も臨時駐車場が設けられて料金を集めるなど、今は往時の静かな空気が漂う環境ではない。それに露店も代代わりしたのか、射的があったりといった昔懐かしい業態ではない。少し騒々しい荒れた感じもする糺すの杜である。
 帰りに空腹を抱えて、祇園の蕎麦屋「おかる」に出向いた。店内に入ったら京都人しかいないはずの店だが、外国人ばかりなのには驚いた。多分外国人同士の情報交換で知れ渡ってしまったようだ。「おかる」は年中無休で午前2時半まで営業している。京都では深夜まで営業している数少ない店だ。
 というのも海外から帰ってくると、夜到着するフライトが多い。だからリムジンバスの最終で駆けつけ、「おかる」でご飯を食べたくなる。天丼!、まさに海外から帰ったとき真っ先に食べたくなるメニューだ。
 前日、梅雨前線が日本列島から遠ざかり梅雨が明けた。

Fiekdwork637 熱気冷水の下鴨神社 4K
SONYα6600E18-135mm/F3.5-5.6
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Fieldwork836 祇園祭・山鉾巡航・神幸祭 撮影記

2023年09月21日 | field work

 一ヶ月続く祇園祭の要は、同日におこなわれる山鉾巡航で神幸祭とがセットになっている事。山鉾巡航は庶民の流行病治癒の神への誓願行事であり、それに応えて神が街にやってくるのが神幸祭。気温36℃の太陽の下、コロナ過で中止されていた山鉾巡航前祭が4年ぶりにフル開催。もちろん熱中症で救急搬送があったとメディアは報じていた。
 イベントの撮影は、不確定要素が多く私には面倒だ。
 だが夏の暑い空気を撮したい。
 ならばその方法論が必要になる。山鉾巡航は大挙してビジターがやっくるから尋常では撮影出来ない。そこで先ず長刀鉾の出発のしめ縄切りから撮ろうと考えた。
 この撮影方法は2通りある。1つは四条麩屋町交差点にしめ縄が貼られるから、マツキヨの近所に脚立持参で店舗の固い壁を背にして撮影する方法がある。間近で撮影できるが1時間以上前に陣取る必要がある。それに警察官から脚立禁止の注意をされる場合もある。最近脚立禁止が多い。
 もう一つは四条高瀬川。距離にして500mある。特に高瀬川にかかる橋のあたりがグランドレベルが高いので全ての山鉾の正面や辻回しを撮影できる。
 そうなると機材だ。まず600mmの超望遠レンズと観客の背より高い三脚と脚立が必需品。借りるか!?。だが、どうせ夏の陽炎で綺麗には撮れないだろう。私はいつもの機材で編集ソフトのクロップでゆこうと判断した。
 山鉾は、9時出発だから9時10分〜15分頃しめ縄が切られるはずだ。正確な時間は解らない。ジンバルを高く掲げたまま撮影機材を回しっぱなしにする。
 まわりの空気から歓声が起きない!。遅れているのか?。そして予想通り熱で撮影機材がダウン。だから肝心のしめ縄切りの部分だけが撮影されていなかった。これはフィリピンでも経験したが、ついに京都でもか。従って映像機材に冷却ファンが必須になるというこだわりは消えない。つまり日本のデジタル一眼レフの99%が冷却ファンがなく映像では使えない・・・。
 さてこれで遠景は押さえた。次は近景だ。山鉾に最も接近出来るのは新町通りしかない。ならばここで・・・。しかし4年ぶりの祭は段取りが悪いのか、たどり着くまでに1時間遅れた。結果は朝9時にでかけ午後3時前に帰った。帰りしなにうな丼で生気を養う。
 次は神幸祭だ。午後9時から3台の大型神輿と子供神輿がやってくる。9時前に出かけたから撮影ポジションは人垣で締められたいる。だが観客は飽きるので最後まで見ている人は少ないことを覚えておくことだ。2台目の神輿が来る頃には道路の前列が空いた。こうして3時間詰めていた。帰る頃には、午前零時を回っていた。
 2つの催事で4ポジションからしか撮影できなかった。人の波や警察官の規制もあり、考えた末にこの程度で撮影できればよかろうと考えるのが昨今の状況。
 そんな風に、予め撮影ポジションと撮影の方法論を考えておく事。それをしないと何も撮れないのがイベント撮影。だから私は、いつも避けたい気分が支配的なんだ。

Fieldwork636 祇園祭・神幸祭 4K
α6600、E18-135mm/F3.5-5.6
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Fieldwork835.京都・祇園祭 まだ梅雨明けぬ宵々山の頃 HD 1080p

2023年09月20日 | field work

 7月15日の京都は、太平洋高気圧に覆われ青空の夏日だった。そして秋田県では線状降水帯が発生し都心部の浸水が報道されていた。
 一日中Macの前で仕事をしているから、やはり1日2時間の散歩をしよう。それにこの日は4年ぶりにフル開催される祇園祭宵々山だから記録的な人出になりそうだ。このために5,000人の警察官が配置されるとメディアは報じていた。
 八坂神社までくると3台の大型神輿が舞殿におかれている。これに神様がお乗りになるのが今日の催事である宵宮祭だ。そして山鉾巡航日の夕方、四条通の御旅所にやってくる。YouTubeで宵宮祭の様子をみると催事の大半は室内でおこなわれる。それにしては境内にビジター達が大挙しているではないか。賽銭箱もビジター達の最前列に据え置かれた。はて山鉾巡航日までこのスタイルか?。そうであれば神輿が出るまで舞殿に近寄れない。まあ空気だけ撮し四条木屋町角のマクドナルドで糖分を補充し、宵々山ロケハンのイメージトレーニングをしていた。
・・・
 先ず山鉾のほとんどは烏丸通西側にある。マクドナルドの側に阪急河原町駅地下ホームへの入口がある。逆方向だから空いているはずなので電車で一駅ゆこう。
 さて阪急烏丸駅を突破するのが難儀だ。先ず改札口を出るのに苦労させられるだろう。その先は市営地下鉄からの動線が合流する地下の十字路だ。宵山徘徊の出発点でもあるから地上に向かう大量の人間をかわさなきゃならない。
 ここで地上にでると、大量の人混みと警察官の規制にあい撮影は出来ないだろう。ならば西側の京都経済センターから地上に出て千本通を目指そう。西へゆくに従い人出の多さが低減してくるはずだ。そして撮影出来そうなポイントから超焦点レンズでワンカットは撮れるだろう。
 そのあとは北へ向かうと一方通行に規制された道であり、あまり流れない人の群れだから、ここは南へ向かおう。下って仏光寺通りから東へ向かいながら油天神あたりから撮影しよう。
・・・・
 イメージトレーニング通りに歩き、実際にその通りであり、何だ!、毎年同じコースではないか・・・。というより人混みと交通規制のため毎年同じコースしか歩けないのです。したがって同じアングルしか撮影出来ない。翌日の新聞は7万人の人出、京都府警のカウントでは30万人だった・・・。
 さて本番の山鉾巡航だって?。人出は宵山並かそれ以上なのでゆきたくないですね。祝日で人出はかなりの数と思われる。ゆくとすれば精々後祭かなぁー・・・。

Fieldwork635.京都・祇園祭 まだ梅雨明けぬ宵々山の頃 HD 1080p
SONYα6600,E18-135mm/F3.5-5.6
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Fieldwork834 京都祇園祭宵山の頃、まだ梅雨はあけない

2023年09月19日 | field work

 京都祇園祭宵山の前日である。宵山の前日なら鉾町も空いているだろうと思ったのは早計だった。宵山同様に人出が多かった。鉾にあがるのも会所にゆくのもすべて予約制になった。過去のように夕方浴衣姿で気ままに鉾に上がったり会所を訪れたりというわけにはゆかない。明日は宵山だから、道は一方通行になり、コロナ過あけで3年ぶりのフル開催だから大変人出が多いのだろう。前日に撮影しておいてよかった。
 終日アトリエに籠もりマックで仕事をしているから、毎日の2時間の散歩は生活の必需品といってよい。だが時々糖分が下がったり、お腹がすくことがある。途中のマクドナルドで、冷たくて糖分たっぷりのシェイクで回復する。元気をつけて鉾町へ出かけた。
 祇園祭は2014年頃から前祭と後祭に仕分けられた。昔はそうだったようで、昭和40年代の初め頃に交通渋滞を招くというので、一つに統合された経緯がある。それに近年道を埋め尽くしていた露店がすべてなくなってしまった。狭い路地をすり抜けながら露店を物色する混沌とした空間も面白かったのだが、人出の方が大きく増加し露店どころではなくなってきたようだ。
 宵山の魅力は、昼間の和装店などがバーゲンセールをしていることである。木製の下駄などを500円で調達した記憶がある。暑いから夕方前に鉾町を訪れるのが正解のように思われる。
 こりゃ山鉾巡航も見られないだろう。一応動画撮影する予定でロケハンをした。9時に一番鉾がしめ縄を切って出発するところは高瀬川のあたりから正面を300mmで撮ろう。同時に四条河原町で山鉾が辻回しをするところも撮れるだろう。そして地下鉄で御池へゆき、運が良ければ御池から正面の山鉾群を。それから新町通にでかけ逓信病院前の空地で鉾の側面を青空を入れてとればよいか・・・、といった具合にである。最近脚立禁止のようでもあり、ガードマンから立ち止まるな!、と実にうるさいから撮影も難しくなった。撮れないならゆかないで家で仕事をしているか、とする考え方も頭をよぎる。
 でかけるか、やめるか、毎年そんなふうに考えさせられるところが悩ましい。
 それにしても函谷鉾のペルシャ絨毯の文様はアラブ世界を表現し、神輿の頂部にある葉を加えた鳥は陸地を発見した時のノアの箱舟の物語を暗示し、祇園祭とイスラエルのシオン祭が同日に開催されるなど、イララエルや古代ヘブライとの類似性の指摘(注)もある。旧約聖書の世界と祇園祭が親密な関係があるとする説が面白い。

Fieldwork634 京都祇園祭宵山の頃、まだ梅雨はあけない 4K
SONYα6600、E18-135mm/F3.5-5.6
注)【 京都 祇園祭 】 八坂神社 山鉾巡行 歴史 と ルーツ にせまる!!
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Fieldwork833. 京都・祇園祭のクライマックスが近づいてきた

2023年09月18日 | field work

 この日、7月12日も小雨が断続的に降りつつ突然青空がのぞく梅雨の天気だった。だから雨さえ良ければ、空気は澄んでいて撮影するのには好都合であった。だからいつもの外国人ばかりの散歩コースへでかけた。この日は、祇園祭の山鉾曳き初めがあるはずだ。帰りに寄ってゆこう。
 何時も立ち寄るマクドナルドを素通りし、四条通りを西に進むと長刀鉾がある。なんだ提灯もついてないしお囃子もいないではないか。メディアの報道用に曳き初め儀式をして、この日はお終いか。それが私には、一番鉾の地位に甘んじているように見えた。そんなに無精なら来年からどん尻鉾でもいいじゃん。ならば烏丸通を超して函谷鉾がお囃子をしている。ここは緞子も綺麗だし、一番祇園祭に意欲的だ。
 通り対岸のバス停から撮影する。こういうときにデジタルズームと鋭指向性マイクが役立つ。
 実は我が町内のワンブロック先が鉾町である。多分鉾町の町内から祇園祭担当役員を選出して、鉾町の複数の町内から人出を集めるのだろう。どこの町内でも体育振興会とか防災委員などの上部組織があるので、これと同じ扱いだろう。そうして人出を集める。もちろん鉾の引き手のアルバイトも集めなきゃならないし、お弁当の手配も必要だ。最近町内から弁当屋が廃業しているので、こうなると百貨店か。それに鉾組み立て職人もよばなきゃならないし、高価な緞子の取り付けもあるし、雨が降れば雨用の安い緞子に付け替える必要があった。いまはビニールが囲い込む。それに粽やお祭りグッズも用意して経費の足しにしなきゃならないし、もちろん伝統行事の経費は相当の赤字なので、公的団体からから補助金を受けられる山鉾連合会の資金提供かなあ?。
 そんなわけで鉾町町内は大変忙しい。おっと山鉾はお囃子の人間だって必要だし、春から稽古がいるし、浴衣も揃えなきゃ。そんなわけで人員がたくさん必要になり、つまり祇園祭の役員には、誰もなりたくないのが本音。たしか役員の顔ぶれは毎年変わらないかもしれない。というのも経費節約で支給した浴衣を今年もつかってくださいというわけだ。そんなわけで、鉾町に住んでなくてよかったと思うのが京都人の本音。無責任と言われようが祭は楽しむだけにしたいからね(*^▽^*)。

Fieldwork633 クライマックスが近づいてきた 4K
 SONYα6600、E18-135mm/F3.5-5.6
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Fieldwork832. 限りなく夏に近い梅雨 4K

2023年09月17日 | field work




 7月11日の京都市内は、気温34℃。昨日の雨も上がり朝から爽快な夏空が広がる。しかしまだ梅雨前線が日本海に停滞しており、限りなく夏の気候だけど梅雨は明けていない。京都市内では祇園祭の鉾立が始まった。
 実は、梅雨の合間の晴れの天気が個人的に好きである。前日の雨で塵が吹き払われて朝から爽快な青空が広がる。そんな晴天と豪雨とが交互にやってくる梅雨だった。それは変化があって面白い。幸いに京都市内は、一時的な豪雨もあったが、概して毎年の梅雨であったのは幸いだった。
 市内を流れる鴨川だって、上流部で避難指示が出された年もあったぐらいだから、いつ災害に襲われるかは自然相手の話だからわからない。市内は高台がないから家の二階か元小学校の屋上にでも逃げるのだろう。意外に避難方法が少ない。
 そんな季節も一週間ほどで終わる。例年祇園祭の日は梅雨明けになり、青々として晴天が続く年が多い。
 さて夕方の散歩コースをゆくと、やはり午後4時に家を出たのでは暑い。もう1時間ぐらい後の方が調度よい。だから今日は、清水寺で涼んでいた。時折風がふき、ここは暑さをしのぎやすい。寺院の階段に撮影機材を置いて時折シャッターボタンを押していた。後で画像をみたら全部外国人ばかりだ。日本人に見えるのは、すべて中国と韓国からのビジター達だった。
 散歩途中で血糖値が下がる。こりゃ糖分を補充せねば。さっさと撮影を終了しマグドナルドへ駆け込んだ。ストロベリーーシェイク!。味よりも糖分ばっちりの栄養補給だ。


Fieldwork832.限り夏に近い梅雨 4K

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Fieldwork831.京都・梅雨晴れ 4K

2023年09月16日 | field work




 映像撮影と編集の勉強も、既に242本をYouTubeにアップさせている。勉強方法は、沢山撮影編集をすることにつきそうだ。さしあたり500本アップを目指して・・・。
 編集する以上なんらかのテーマ性がありそうだ。といっても、この日は感性が刺激される被写体がない毎日の散歩コース。映像を編集しながらテーマとなりそうなのは光か・・・?。つまり女の子の髪の毛を透き通る太陽光と人工照明かなぁ・・・?。一応音楽に合わせ少しだけテーマ性をちりばめているけど・・・。
 清水の参道を歩くと外国人観光客が多いのは当然だが、母国の生活習慣を感じさせてくれるところが面白い。
 欧米人は、自分達の周囲への目配りや配慮が大変敏感である。それも私の行動を予想しつつ賢い動きをする。そうした生活環境なのだろう。そして少し私に触れたらソーリーと言葉が自然に出てくるあたりは、やはり生活大国の国柄だ。
 それとは逆なのが中華人民共和国の人達だ。なにしろ私を押しのけて撮影しようとするぐらいだし、わたしにぶつかってもソーリーという言葉を発することはない。多分心の中ではゴメンといってるのだろうけど、言葉にでない。つまり海外に出ると妙に出しゃばり、そして内心は腰がひけている感じもする。
 そんな中国人が海外で日本を凌駕したと豪語し、アメリカ人達から馬鹿にされている光景がYouTubeにアップされている。
中国人「尖閣諸島は中国の領土だ!」
アメリカ人「それは北京が日本の領土だ、というのと同じぐらいの話だよ!」
 1999年に私が中国・雲南省を訪れたときに、小さな田舎町で文物の研究者ですと紹介された中国人は、哲学者のように思慮深く、そして外国人である私達に温かく接する人物だった。そこに泰然としたな中国の確かな空気を感じさせてくれた。私は、日本より歴史がある国の中国人に敬意を払った。それが私が理解している中国人の姿である。
 最近、そんな中国人を見かけなくなった。あの泰然とした哲学者のような中国人達は何処へいったのだろうか?。すくなくとも習近平体制になって、マネタリズムとエゴイズムの中国人が顕著になってしまったのは悲しいですね。

Fieldwork831.京都・梅雨晴れ 4K
α6600、E18-135mmF3.5-5.6
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