Creator's Blog,record of the Designer's thinking

フィールドワークの映像、ドローイングとマーケティング手法を用いた小説、エッセイで、撮り、描き、書いてます。

エッセイ649. iPhoneスケープ 

2023年10月31日 | field work


 祇園祭の撮影で、やはりiPhoneが役立った。
 映像機材の超広域レンズの広角側はフルサイズ換算28mmまでだから、狭い京都では広角側が不足する場合がある。超広角レンズは持ってこなかったし、そんなときiPhoneがある事に気がついた。これで撮影した動画も祇園祭の映像編集に組み入れてしまった。もちろんカラープログラムの違いがあり同一表現にというわけにはゆかないが、先ず撮影するという所期目的は果たせた。そんな経験をするとiPhoneの使い方が映像撮影のキモになりそうだ。
 祇園祭を撮影していると、相変わらず大きなデジタル一眼レフにメーカー推奨の高画質レンズをつけたNとかCの機材で静止画撮影する姿を見かけた。そうした姿に共通するのがいずれもシニア層ばかりだ。他方で若い人達はライカですか・・・。ライカ・・・、これで動画を撮影する人を見たことがないけど、高価なガシェット感覚なのか!?。
 こちらは、いつもポケットに入れておけることができるiPhoneで、さっと撮りだして撮影し、気づけば自宅のMacに送り届けられている便利さになれてしまった。
 うるさい事を言わなければ、これでいいじゃん!。
 最近動画撮影をするようになって機構的に映像機材とは異なる静止画機材に関心がなくなってしまった。だから静止画は、そして時には動画も撮れるiPhoneスケープで必要十分だ。このエッセイシリーズも最近は、iPhone画像ばかりである。



iPhone13pro.
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エッセイ648.  ホテルのランドスケープ

2023年10月30日 | field work

 リーズナブルなホテルに泊まる必要があった。条件は関西空港へのアクセスが良く夜遅い食事ができる事。
 トップ画像は都ホテル京都八条。
 ここは関空リムジンバス・ターミナルから近く、駅側から見れば無愛想なファサードが広がる修学旅行などの団体御用達の空気が漂うが、イオンから垣間見える新館は外観をみる限りよさげだと思わせてくれて、実際宿泊してみたら中庭を介し瀟洒な空間であり、中庭側の部屋からは新幹線が走っているとは思われない都会の喧噪が届かない心地よい空間である。部屋のプロポーションや設えが外国のホテルのようであり、多分設計者は海外のホテルをよく知っているのだろう。
 そして本館は団体用とあってそっけない建築だが、1階のロビー回りは広々としており、玄関は観光バスアクセスが容易な大空間だから使い勝手がよい。食事のルームサービスは今時期待できそうもないので調べもせず、ホテルの裏を下がると朝までやっている居酒屋がある。ここでよかろう。

 二番目の画像は御堂筋ホテルの玄関前のランドスケープ
 大阪に泊まる泊まる必要があった。関空アクセスを考慮すると、難波ターミナルに一番近く御堂筋の場末に立地する御堂筋ホテルだ。それに御堂筋商店街に囲まれているから食事には困らない。ただね!、部屋が古い。大阪人からは、もっとリーズナブルで新しいホテルがあるだろうよ!!、といわれそうだ。
 部屋の改装はしているので一番よい部屋にした。それにしてもぼてじゅうの言葉が目立つから経営はお好み焼き屋というわけだ。
 どちらのホテルもコロナ過に発行されたクーポンが利用でき、クーポンのおまけで難波パークスで昼飯が食べられたし、南海のラピュートでほどなく関空についた。
 二つのホテルに共通するのは夜中でも食事ができる街中にあり、そしてコンビニが近かった事である。海外からの飛行機は夜遅く到着する便が多く、それに2〜3時間程度到着が遅れるのは当たり前だ。そんな時でも最終のリムジンバスで真夜中の12時過ぎに街へ着き、何かしらの食事ができることが私のホテル選びの規準だ。
 実は、こうした夜食対応が最近のホテルではしてくれない事が多い。だから繁華街の近くのホテルを選ぶが、夜10時をすぎると大方の飲食店が閉店する京都の街ではホテル選びは悩ましい。ルームサービスがありますよと言われても全てのホテルにあるわけではなく、その有無はWEBに書かれていない。レストランがあるからといって、それはケータリングなのでルームサービスがあるとは限らない。
 今は画一的なトラベルスタイルしか想定されていないといってよい。しかし私のように夜遅く日本に着き、そして空腹を抱えてホテルにたどり着く旅人は多数存在する。
 こんな手間がかかるのも、関空に日航ホテル一つしかないことが最大の要因である。WEBで見る限り真夜中のルームサービスをしないわりには、法外に宿泊価格が高い。回りに街がないのだからグレード毎に3種類ぐらいのホテルが必要だと思われる。それに空港内のコンビニも深夜営業は不明。そんなことを確認する時間が無駄なので、バスがあるうちに都心へでた方が夜中の食事にありつくことができる。

御堂筋ホテルの部屋から撮影した界隈。上から見ると御堂筋もただの雑居ビル群だ。こんなとこ撮さんといてー・・だよね。まあ私も次からはダイワロイネットか相鉄フレッサインあたりにするよ。

iPhone13pro
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エッセイ647. 関空のランドスケープ 

2023年10月29日 | field work


 iPhone画像のピックアップを続けよう。
 トップ画像は、関西空港隣の鉄道ターミナルビルで撮影した。動線上意味のない空間があり、何故こんな大空間があるのかは建築の人間としても理解出来ないが、夕陽を眺める広場としては絵になりそうだ。
 それにしても日本は意味不明の空間をつくりたがるし、眺めのよい空間を壁でふさいだりして、設計者のやることは建築の専門家の立場で見てもよくわからない。おそらくこの設計者は図面しか見ていないし、こんな場所が夕陽の見える場所になっていたなんて考えもしなかったのだろう。
 それに鉄道ターミナルビルの建築のダサい事。これじゃレンゾ・ピアノの空港ビルデザインが台無しだ。デザインについては全く配慮しない日本の設計者の悪しき能力を垣間見る思いだ。それに兎小屋に住む日本人大衆は建築デザインについては関心がないのだろう。そんな文化意識の低さは中国人と一緒だな。
 昨年コロナ過のなかフィリピンへ出かけた時の関空ビルは、マクドナルドと数店のミニ店舗を残して撤退してしまった。今年はようやくカフェテリアがオープンしている。だがたこ焼きと饂飩ばかりじゃないか。えっ、たこ焼きが1,400円!!、食欲喪失。今は新店舗工事中とのことだ。新しい店舗が営業を始めても、ローカル空港然とした姿は変わらない。つまり国際空港としての規模が小さすぎるってことだ。
 フィランドのヴァンター空港やトルコのアタチュルク空港をみると、そこは巨大なショッピングセンターとなっており、飲食店やショップが24時間営業している。私はそこで水中カメラを買った。
 それを思えば関空は国際空港としては大変恥ずかしい設備だ。通関後に飲食出来るところがカフェスタンドだけ!。何故ならセキュリティゲートは大変混む時があるので、さっと通関し、それからちゃんとご飯を食べたくなるけど、そんな店がない!。さっさと改装して欲しいですね!!。

iPhone13pro
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エッセイ646. 憧憬的ランドスケープ

2023年10月28日 | field work

 午後遅く大阪まで足を伸ばす用事があった。もちろんとんぼ返りで西京極の夜のジムへでかけるから大阪寄り道・・・。
 ジムへ行くには少し早い。そこで梅田一番街、大阪梅田店のドトール珈琲!。今日は一日雑用で走り回されたから小ぶりなバナナパフェ(430円)で糖分補給し疲れをとろう。これは大阪梅田店だけのメニューだが安いと思う。
 私が若い頃、洋菓子店不二家のショーウィンドーには沢山のフルーツパフェが並んでいて子供達にとって憧れのメニューだったし、食べたことがない果実がのせられていると値段も高くなっていった。食べたいなぁーと指をくわえているうちに、それは消えていった。
 それがドトール珈琲のメニューにあって、アルバイトの若い店員さんがその場でつくるというのは、新しい発見だ。
 だからバナナパフェをiPhoneでササッと撮影したら背景が綺麗にボケていて画像が綺麗じゃん。
 つまりこれまで使用していたNとかCとかいう撮影機材(海外にはLというブランドもあるが)は、不二家のフルーツパフェだったということに気づいた。つまり憧憬的プロダクトだったというわけだ。
 おそらく今はブログラムで発色の良さをコントロールしている。だからインスタ映えする画像が簡単に撮影できる。それに映像撮影に軸足を置くとなおさら静止画はiPhoneしか使わなくなってしまった。
 そしてサイトからコピーしてきた軽いデータの画像を27インチモニターの壁紙にしてみた。そしたらちゃんと見られるではないですか。これもカラーブログラムの力だ。何を壁紙にしたかというとカーリーヘアの若い黒人女性。肌の色が黒いってのは健康的で個性があって格好いいですね。
 だからの肌の白い日本人の若い女性をみると、ご病気ですか?、と私には見えてしまう。肌の白さが結核病人のようであり気持ち悪いから私はよけて歩くけど・・・。
 ドローイングの解剖学でみれば、外国人は胸の大胸筋全体に乳房が被さっていて胸のラインが綺麗だ。これに対して日本の女性は大胸筋の下半分に乳房があるから、乳房と大胸筋とが同時に見える。そこが外国人と日本人の胸部の体型の違い。まあ美意識の違いもあるから日本人が貧乳タイプだと断定はしませんが。そんなわけで私のドローイングシリーズの人体は少し外国人的乳房を意識して描いている。

Macの壁紙にしている画像
iPhon13pro
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エッセイ645. これはもう感性と文化の問題です

2023年10月27日 | field work

 この原稿を書いているのが6月下旬の月曜日。頭の悪いメディアは鬱陶しい梅雨と紋切り型のアナウンスで聴視者の共感を得ようとしている。しかし最近の6月は、毎日雨が降り続くわけでもなく気温も夏前だから涼しく、窓を開放すれば風が通り抜けるから、夜でもエアコン不用で実は大変すごしやすい季節だ。そんな気候のよさからジューンブライトという言葉もある。特に京都は、曇り空であるこそ夏姿で大変しのぎやすい時期だ。
 こんな時は、カフェテラスでモーニングをしたい。屋外で食事をするおいしさは日本人にも理解できるだろう。だが近所にカフェが皆無。唯一遠くのコンビニへゆくと、くたびれた椅子とテーブルがあり屋外で食べられるのはここしかない。私は、サンドイッチと熱い珈琲でカフェもどき・モーニングをしていた。
 道路の使用許可さえ出せば日本でも簡単にカフェテラスは出店できる。縁日の時は屋台が出ているではないか。要は建築を敷地一杯に建て、京都市内は道が狭いからスペースがない。いや新しい建築は十分なフロントスペースを設けているじゃないか。それでもカフェテラスにしない頑固な日本人の頭の悪さだけが目立つ。
 朝は、お家で卵かけご飯と味噌汁だと頑固にこだわっている。それでくたびれた空気を漂わせながら出勤してゆく姿は、もう50年以上変わらない。
 「カフェ!?、珈琲ショップが朝から開いてますよ!」と人は言う。そうではなくて私は外でモーニングをしたいのだ。COVID-19で気がついたでしょう。空調機がウイルスを媒介してばらまくのだから室内環境はたまったものではない。朝ぐらいはフレッシュエアのなかで食事をしたい。
 もちろん日本にもカフェテラスはある。だが落ち着かない設えであり空間の読み方が全く理解されていない。空間には、落ち着く場所とそうでないところがあり、空間の読みが必要不可欠なのだ。
 日本たばこ産業とファミリーマードがタッグを組めば、容易に実現できるけどな。そうカフェテラスは喫煙席なのである。しょぼい喫煙コーナーを提供して企業のイメージダウンをさせるよりは、はるかに優れた方法である。
 そんなカフェテラスの必要性を私は、何十年も研究報告書や著作物に書いてきた。それでもカフェテラスができないのは、日本人の感性と文化の問題だと思われる。私はカフェテラスに座り、街の風景を見ながらスマホでチャットをしながらモーニングをしたいわけ。コンビニの数だけカフェテラスをつくりましょう、というのが私の提案ですけど・・・。
 そんなわけで京都市内にはカフェテラスはありませんが、川床ならあります。これなら立派に屋外。だけどコンビニにゆくように気軽にゆくというわけにはゆきませんが・・・。

画像はパリ、撮影者:ジョッキー内田
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エッセイ644. ふがいない沖縄県!

2023年10月26日 | field work

 フィリピンのNIKKAのアパートに初めて行ったときに、全ての環境が違うから緊張するだろうとする見識は、日本人の考え方だ。
 私は、翌日隣家のテラスの前を通ったら、呼び止められて、朝から酒をいただいていた。それでテラスの主がルーイ、それに友人のマルコスと名前を覚えてしまった。初対面の距離の近さを感じていた。なんだ酒飲みというのが顔に出ていたか。というよりもPhilippines人はフレンドリーなのである。
 他方で日本人ほど無愛想な人種はいないというのが私の経験である。特に京都人は、相手の了解のなかにはいらないと親しく会話をしないという悪しき風習がある。京都人が優しいのは商売の場面だけであり、もうかるならば愛想はただだから沢山振りまくわけだ。
 今、海外との往来が容易になった。だから外国人達が盛んに地球上を動いている。そして異文化交流の時代になってきた。そこではフランス人にイスラムの彼女といった具合に明らかに国籍が違うカップル達の姿を数多く見てきた。
 そんななかで乗り遅れているのが日本人。抜け出したいけどジッと我慢の人種。それを作家安部公房は「砂の女」で表現した。砂の中の家にいるのは永遠に自力で這い上がれない日本人を暗喩している。
 個人的にいつも疑問に思われるのが、那覇空港から2番目に近い外国フィリピンへの直行便がないことだ。中国東海岸の諸都市を少しは網羅しているのに、何故那覇から2時間でゆけるフィリピン直行便をすっとばすのだ。それで沖縄県は那覇空港をHUB空港と位置づけている。そこに沖縄県人の国際感覚のなさと無知がある。HUBなら少なくともアジア諸都市、オーストラリアや欧米迄網羅するのが基本だし、トルコとつながればヨーロッパ全土とつながる。そんなHUBは今すべて中国東海岸の空港、上海、広州、台湾に集約されている。つまり中国に先んじられている。
 沖縄県とフィリピンとは地政学的に類似性が高い。であればフィリピン、台湾、沖縄県で、EUならぬAUをつくればよいではないか。人流と物流の流動を簡素化し自由で開かれた3国間の往来を促進させるべきだろう。
 もう一つ沖縄県人の無知を表す言葉に「本土並みを目指す」があった。それは日本本土が理想的な状態である場合の過去の話であって、今の日本本土には手本とする規範がない。目指すならばアジアやヨーロッパ並とかアメリカ並を掲げるべきだろう。言うことと実行することが乖離しているのも沖縄県人である。
 このように私は沖縄県に手厳しいのは、13世紀中世琉球の時代に、日本、韓国、中国(当時の明)、フィリピン、ベトナム、タイなどのアジア諸国と盛んな交易をし、当時の日本よりもはるかに主体的で国際的な国家が琉球だったからだ。そうした歴史事実を踏まえれば、今の沖縄県はあまりにもふがいない。補助金に頼る日本本土の犬ですか?。

フィリピン・ブラカン(2022年5月)
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エッセイ643. 老人力

2023年10月25日 | field work

 さて明治の都市の3DCGをつくるか・・・。
あらこの都市は都市地形図が1/25,000しかない。建築系CGの制作だから1/100スケールでつくるとなると敷地の精度が求められる。となると公図を使わざるを得ない。
・・・
 一般に個人が関与するのは精々一つの敷地ぐらいだし、それがマンションだといっても精々公図2枚ぐらいの世界だ。だが数ブロックの街区をつなぐ沿道全てを敷地図化とするとなると複数の公図をつなぎ合わせる複雑な作業になる。計測したら57枚の公図が必要になった。
 現代の公図をもとにして明治中期の街を復元しようというわけだ。そのときベースになるのが公図に基づく街全体の敷地図である。そして現在の公図から筆の単位を考察しながら、明治の敷地図へと戻してゆく作業になる。土地の正確な大きさというのは、明治も現代も街の大きな土地の面積は変わらないのである。だから研究資料として使う事が出来る。
 そうなると最初に一部の公図をとり、これから縮尺をあわせて欲しい公図のエリアを指示できる発注用の図面をつくる必要がある。これを京都市内の法務局に持ち込み職員と相談になる。
 私のペーパーをみて、老練な職員が出てきて即座に内容を理解し引き受けてくれた。こういうとき頼りになるのは、やはり老練な職員の老人力である。多分老練な職員はパソコンを巧みな手さばきで操作し私の要望に応えてくれるだろう。
 本来なら私が57枚に及ぶ公図の中央の地番を探り当てる作業をしなければならない事を覚悟していたが、ここは老人力に期待しよう。さてどうなるか・・・
・・・
 三日後に私のスマホに電話があったので法務局へ出かけた。私が作成した57公図の発注用図面をもとに、老練な職員が新たに57公図の作業用の地図を起こし、そこには紙片に酷使したあとがうかがわれ、複数のラインマーカーと線が重なっていた。そして各公図は少しずつ重ねてあり余白の出ない取り方をしてくれたうえに、57枚の公図を47枚分の印紙代に節約してくれた。
 これは公図請求した地番を中心に出力するためである。この地番が一枚の公図に納まらないときは複数出力されるが費用は1枚分の価格で済むという公図出力の性格に由来する。つまり請求した一つの地番で450円の印紙代という単位だ。老練な職員は道路の地番で検索してくれたので、複数枚にわたる公図になっても1枚分の価格になるため、46枚分の印紙代で当初の57公図が入手出来た。私は巧みな対応をしてくれた職員に頭を下げた。
 申請した公図は町名毎に整理され、さらに公図に鉛筆書きでナンバリングされ、すぐに研究資料として使える体裁に整理してくれた。やはり老人力の実力を見せてくれた。研究者の心を知る職員に感謝した。
 帰りにオフィスコンビニに公図を持ち込み、整理されているからそのままオートシートフィーダに公図を投げ込み、スキャンして容易にデジタル化でき、即研究資料として使う事が出来る。大変効率が良い作業だった。

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エッセイ642. 文化的鎖国と英語教育

2023年10月24日 | field work

 日本の歴史は、都市が移動する毎に歴史名称が異なる。例えば奈良時代の奈良、平安時代の京都、鎌倉時代の鎌倉・・・、その同一歴史名称のなかで都市が動いた室町時代、安土時代に至っては安土城を中心に新都市を形成中に志半ばで潰え去り、栄華を極めた桃山時代の大阪、江戸時代の江戸である。といった具合に概して都が置かれた都市がそのまま歴史名称となってきた。つまり都を移したら歴史名称も変わってきたのである。
 そんななかで都の構造や制度が大きく変わったのに都市を動かさず歴史名称だけ変えたというご都合主義的な都市がある。それが東京だ。しかも東のみやこだから、東の京都!。それは東村山とか東久留米とか東神奈川といった扱いと一緒だが、都市の名称としてはいかがなものかと京都人は考える。本来なら名称は江戸のままでよいか、或いは都をおく都市を変えるべきだった。
 ここまでの話は、既にこのブログで書いた。
 どこにそんなご都合主義的な要因があるか?。
 それは試論的にいえば江戸時代にあるといえそうだ。特に徳川3代将軍家光の時に鎖国(1641年)を実施した。それは、日本が奈良時代より海外交易を基盤とし国家形成を果てしてき歴史のなかでは、これまでなかった異質な政策だということにある。
 鎖国でやがて国内だけの規範ができてくる。というのも都がおかれた都市が変わらずに歴史名称だけを変えた唯一の例外が東京だから、江戸時代の規範は現代にも生きていることになりそうだ。それが江戸・東京時代であり、現在も江戸時代の規範が続いていると考えられる。その後全国統一を成し遂げており、江戸時代と政治のピラミッド型の構造は今も変わらない。
 京都人からみると、今も徳川時代の中央集権国家とかわらんのかなぁーと思われる。
 何が言いたいかというと、本来日本は海上交易を盛んにして発展してきた事は、沖縄県巨大グスクの出土品をみると明らかだ。そうした海上交易の範囲は、中国、韓国、ベトナム、タイ、ビルマ、インドネシアなど東南アジア全域に及ぶ。従って東南アジアをはじめとし、本来日本人は外国語に大変強い民族だったと考えることができる。そうした語学能力が鎖国によって中断されたとする仮説が成りたつのである。もちろん鎖国後に個別的に学ぶ蘭学等があったし、明治期以後英語教育も普及されつつあったが、公教育として国民全員が語学を学べるようになったのは、戦後昭和22年(1947年)の学校教育法が制定されてからの事である。
 つまり鎖国後306年間も、海上交易国家の日本人は外来語の勉強から遠ざけられていた事になる。これが文化的鎖国である。
 私が中学高校のときに受けた英語教育も、教育内容は読み書き(注)と、江戸時代の伝統を重視していたから文化的鎖国の弊害だろうか。
 大学教員時代に共通一次試験の試験監督を務めていた頃、英語のリスニングが導入された。受験生に配布されるリスニング教材の英語を聞いたら、私にはアメリカ東海岸の上流階級英語のように聞こえた。つまりいまだにクイーンズイングリッシュなのである。私は明治期に渡来したイギリス外交官アーネスト・サトウの残影(注2)かと思われた。
 いま世界の公用語は発音とコミュニケーションを重視するアメリカ英語である。それは読み書きではなく、発音矯正とコミュニケーション方法を学ぶことが必要になる。
 それは私が学んだことがない学習方法である。だから独自に学ぶほかない。日本の文化的鎖国のおかげて、今頃になって私は苦労させられている。
 私がフランス語を学んだ経験から言えば、語学は一端学ぶと、第三者が学習で右往左往している様をみると滑稽にさえ思える。あろうことか、それを優越感にすり替えてふんぞり返っている人種を私は文科系!、と言って軽蔑(注3)している・・・。

注1):高校の時に1学期間だけ英語発音の授業があった。そのとき先生の冒頭発言がすごかった「英語なんか読めりゃいいのですよ。どうせ入試に出ませんから・・・」
注2)アーネスト・サトウは日本を世界に紹介するとともに、日本語教材を残している。アーネスト・サトウ(坂田清一訳:1960)『一外交官の見た明治維新』岩波書店。
注3)大学の時の経験だが、私が英会話が上手でないことをいいことに、文科系英語の達人は酒の席で天井をゆびさし、こいつの頭は蛍光灯なんだよと外国人に紹介してくれた。私はフランス語での経験をしていたから、自分が優位に立ったからと言って語学力が不足する人間を侮辱するという、おごった態度をとってはいけないと悟った。

沖縄県慶良間諸島
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エッセイ641. 情報リテラシーが欠如した役所の案内

2023年10月23日 | field work



 申請していたマイナンバーカードの案内状が届いた。健康保険とリンクさせたら操作ミス続発の噂のカードである。それもそのはずで京都市の案内状をみたら馬鹿じゃないのといいたくなるぐらいのできの悪い案内だった。そのできの悪さを実証してみよう。


 トップの1頁に理解しがたい箇所を朱書きした。
最初に、これはなんの案内かとする表題がない。よく読むとカードの受取方法だということがわかる。
 次にこれが最大のわかりにくさだが、受取は市内の何処にお住まいでも一カ所しかないカードセンターと書かれてあるが、下を読むと地元の区役所で受け取れると書かれてあり伝えるべき情報が矛盾している。さらに受取には予約不要と書かれてあるが、下をみると事前予約必要の記載がある。これが同一頁で発生している。こんな書き方をされるとどっちなの?、と疑問を呈したくなる。パソコン世代は昔のように先頭から順に読むのではなく、画面全体を見て理解するパターン認識なのだということを文科系行政の人間達の意識にはない。
 こうした原因は、小見出しにわけて書かないからである事と不必要な情報の羅列だからである。上半分と下半分は、あきらかに違う小見出しを同一頁で説明しており、受取方法が違う案内内容である。にもかかわらずトップは案内全体の見出しのような扱いをしながら、実際は小見出し1なのである。つまり案内状の編集が構造化されていないことになる。
 さらには京都市のCIキャラクターを無視し、市のカラーとも違うヘッドカラーだ。そして小さな文字でチマチマと仰山書かれてある。これはユニバーサルデザインの規準に従えば、あきらにかフォントのサイズが小さすぎており規準違反である。
 このような不明朗な案内が4頁にわたって続く。そうなると構造化されていない4頁を判読するという実に混沌とした状態が続く。
 こんな構造化されていない書類は、外注先につくらせているはずだが、それを管理するのは市役所の仕事である。そしてテキスト文面が間違ってなければ良しと判断したのだろう。情報リテラシーは、テキストの校正屋ではない。情報全体が読む側にとって正しくに理解出来るように編集画面全体を管理する役割であるが、そうした視点が欠落していることがうかがえる。つまり京都市には情報リテラシーが皆無だ。
 さらにいえばマンナンバーカードというネーミングが悪い。国際的慣習ならば"J-ID"とか"MY ID"でよいと思うが、英語カタカナ表記では長すぎる。例えばUNIQUE CLOTHING WAREHOUSEを略してUNIQLO(ユニクロ)といった具合に簡略化したネーミングが欲しい。さらに略し方にも情報リテラシーや言語感覚を伴うが、マイナンバーカードだったらカタカナを拾って「マイナ」か「マイバカ」としか略せない。実際日本政府がつくったオバカなカードなので実態に即しているが、国際的に恥ずかしい「マイバカ」でよいのですか?。ネーミングと略し方にも専門的な情報リテラシーの知識が必要なのである。
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エッセイ640. カフェテラス論

2023年10月22日 | field work

 今日のブログを書いているのが7月2日。
 三日ぶりに素晴らしい晴天が広がるのが、この季節の特徴。こういうときは、夏の朝のすがすがしい空気を吸いながらモーニングを外で食べたい。しかし、そんなカフェテラスは日本の多くの町では存在しない。
「珈琲屋なら朝から空いてますよ!」
私は、コロナウィルスを吸い込んだエアコンのある室内ではなく。オープンエアで食べたいのだ。
 カフェテラスは、フランスやイタリアを初めとするヨーロッパではあたり前のように存在し、インド、ベトナムといった東南アジアにおいても、カフェではないが屋台が朝から営業しており屋外で朝飯が食べられる。およそ日本ぐらいが異質といってよいほどオープンエアで朝ご飯が食べられない。
 仕方がないから遠くのファミリーマートにテラス風の空間があり、椅子もテーブルも置かれている。そこでファミマのサンドイッチと珈琲を調達してプラスチックのベンチで食事をする。もちろんクロワッサンのサンドイッチなんか望むべくもないが、それでも屋外で食事をする心地よさは味わえる。
 そんな話を大学の先生としていたら、京都なら川床がありますよと返事がきた。そうだ!、オープンエアで宴会ができるではないか。だが朝は営業はしていない。結局川床で夕方の宴会を約束させられたが、オープンエアのモーニングは実現されていない。
 カフェテラスの必要性を私は何十年も言い続けてきた。
 もちろん西麻布あたりを歩けばカフェテラスはあるが私は京都に住んでいる。西麻布のカフェテラスでモーニングをしたいから、朝一の新幹線で駆けつけるという鉄道マニア風のことはしたくない。
 そして朝から町で食事できるところは珈琲屋位しかない。もちろんばっちい空気の室内でだ!。それじゃテラスのあるファミリーマート以下だ。
界隈イメージ(講義ノートより)

京都市内、ファミリーマート
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エッセイ639. chatGTPに小説を書かせてみた

2023年10月21日 | field work

 chatGTPは世界のオープンソースから瞬時に情報を引き出し回答してくれる。70代が喜ぶ話は何かと質問したら4つほどあげてきた。ならばその一つのテーマで小説を書かせてみることにした。

chatGTPの小説
「ある日、70代の男性、田村さんは孫との特別な瞬間を過ごすことになりました。孫の名前は太郎くんで、彼は10歳になる元気な少年でした。
田村さんは太郎くんと一緒に公園に遊びに行くことにしました。公園では太郎くんが大好きなブランコや滑り台があり、彼は笑顔で遊び始めました。田村さんはベンチに座り、太郎くんの元気な姿を見ながら微笑んでいました。
しばらくして、太郎くんはひとつの木の下に小さな鳥の巣を見つけました。巣には小さな卵が入っていて、太郎くんは興味津々で近づきました。田村さんも興味深く巣を見つめ、太郎くんに鳥の生態や卵の成長について教えました。
次の週、田村さんは太郎くんと再び公園に行きましたが、今度は巣には小さな鳥の赤ちゃんがいました。太郎くんは喜び勇んで田村さんに鳥の成長を教えてくれました。
数週間後、太郎くんは公園に向かう前に「おじいちゃん、巣の中の鳥たちが巣立つ日が来たんだよ」と言いました。田村さんと太郎くんは公園に駆けつけ、鳥の巣から飛び立つ姿を見守りました。
その瞬間、田村さんは感激の涙を流しました。彼は太郎くんと一緒に成長し、自然の営みを共に学びながら、家族の絆がより深まったことを感じたのです。
この小さな冒険は、田村さんと太郎くんにとって特別な思い出となりました。彼らはこの経験を通じて、自然への尊敬や家族の絆の大切さを共有し、70代の田村さんにとっても、太郎くんにとっても、感激に満ちた時間となりました。」

 chatGTPの小説は、あまりにもステレオタイプ化しており、私はクリエイションや発見がなくつまらないと思う。しかし、このような小説をどこかで読んだ記憶がある。それは、インターネットサイトだ!。つまりここのブロガー達は、chatGTPが書きそうな生活体験を実際にしていませんか?。あるいは日常の生活経験をいかにも高齢者好みに脚色して書いていませんか?。そうしたオープンソースがあるからこそchatGTPは、こうした小説が作れるわけです。
 言い換えれば、まだこの世に存在しない新しいクリエイションは、オープンソースに依存するchatGTPではできないのです。そこがこのソフトの欠点です。
 もし誰かがそんなステレオタイプ化したライフスタイルをしていたら、親馬鹿なんかやめたら!、と私は言うでしょう。親馬鹿をするのが、あるいは演じるのが、年寄りの仕事だと思い込んでいる明らかな勘違い!。さらにいえば歳を言いわけにして美食に走り、結果として肥え太り、高血圧になって医者通いをするというのは高齢者の甘えでしょう。持病があるなら食生活を改善し克服するのが人間の生き方ですね。
 そんな人間としての主体性を失ったら既に痴呆老人。社会制度や施設を使いまくって痴呆老人を10年ぐらいやらかしておだぶつになる!。それって生き方や考え方自体が狂っていると私は思います。
 既に80歳で次のアメリカ大統領選挙に立候補表明をしたジョー・バイデン大統領は、高校時代からフットボールチームでブレーをし、デラウェア大学のフッとポールチームの一員として活躍しました。さらに長年にわたりフィットネスにも取り組み、今でもジョギングやウェイトトレーニングを習慣にしています。それが彼の行動と意欲を支えています。
  因みに彼の愛用しているPCはMac book air、それにiPhon、そしてApple Watchと、猛烈なマックフリーカーとうかがえますが・・・。
 人生80年というならば、それまで現役でいるのが当たり前。いや人間は生きている限り現役ですし、現役であるためには、スポーツで体力を維持しながら、勉強したり、クリエイションしてゆくことが大切だと私は考えていますが・・・。


画像提供:WHITE HOUSE 
(記:2023年6月1日)
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Fieldwork846. 京都・三日月・猛暑 4K

2023年10月20日 | field work

 2023年8月23日。昨年だったら秋の気配を感じる季節だ。しかし今年は、猛暑が続いている。地球温暖化とエルニーニョ現象で、日本は大変暑い。だから雨が欲しいと思う。明日は降水確率では午後の1時間だけ30%の雨が降る予報だ。こういう予報の時は、京都では先ず雨が降らない。期待しても無駄である。従って明日も猛暑が続きそうだ。
 空を見上げたら、透明感ある景色だ。ならば暑いけど散歩に出かけた。暑いと家に閉じこもりがちだけど、やはり外を歩いてリフレッシュする必要がある。そのかわりシャツは汗まみれになるけど。
 散歩だから何時も同じ道をあるく。清水さんから産寧坂、二年坂、高台寺、安井金刀比羅宮、祇園とコースは変わらない。だから同じ風景かというと、太陽が沈む時間は少しずつ変わってくるし、これにともなって見えてくる風景も変わってくる。そのあたりが同じ道を同じ時間に歩く面白さかもしれない。
 それにこの界隈は、いろんな要素が多数集積している。そんな凝縮された日本の風景は、案外少ないだろう。
 光の変化と多数の要素のなかで撮影している。今日は猛暑の中の三日月がテーマだろうか。その猛暑が映像では表現しづらい。これはまた考えよう。考えているうちに雨でも降って秋の空気になればよいけど、向こう三ヶ月の天気予報では、10月まで例年より暑い日が続くという。だから紅葉も12月頃になるのだろうか。

Fieldwork846. 京都・三日月・猛暑 4K
SONYα6600,E18-135mm/F3.5-5.6
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Fieldwork845. 猛暑続く京都 4K

2023年10月19日 | field work

 2023年8月20日の京都は猛暑だった。雨は降らない。だから京都砂漠といってもよい。日曜日であるが、この暑さでは朝から何も出来ない。ようやく夕方機材を担いで散歩に出た。シャツは汗まみれになっている。夕方も暑い。少し違うのは日没が早まった事だろう。
 夕焼けの空を見上げる。小さな積乱雲がチョロチョロとみえる。こんな貧弱な積乱雲では夕立は期待出来ない。さっさと撮影してマクドナルドでシェイクにあやかろう。
 いつも撮影にでかけるときに、何をテーマにしようかと一応は考える。この暑い日は何も思いつかない。だが空を見上げると猛暑の光のなかで雲が綺麗だ。ならば雲をちりばめ編集した。
 少し日が短くなってきたのを感じる。願わくば雨が欲しい京都砂漠だ。それにしちゃ外国からのビジターが結構いるではないか。きっと彼らの脳裏には、暑い思い出しか残らないだう。

Fieldwork831. 猛暑続く京都 1 4K
SONYα6600,E18-135mm/F3.5-5.6
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Fieldwork844.京都立秋の頃残暑厳しく 4K

2023年10月18日 | field work

 京都も五山送り火が終わり街が静かになった頃だ。立秋だけど残暑厳しく、巷話によれば10月までこの暑さが続くというのにはガッカリする。毎年例年より暑く、そして例年より寒い、という極端な気候が続く京都である。
 いつもの散歩で清水さんにあがった。多分ここは西向きのアップダウンがある地形に、輻輳した境内の空間的面白さもあり、様々な映像撮影のカットが撮影できるのに加え外国人の多い事。しかし中国人じゃ撮ってもつまんないし、私好みの黒人の若い女性が皆無だ。推測すると、多分黒人女性は暑い気候に弱いのだろう。熱帯にいるから暑さに強いというのは妄想であって、多分熱帯にいるからこそ暑さには敏感であり、そして弱いと私は推測している。
 そんな事を考えながら、映像撮影の練習だから、まあええか、という気分だった。もちろん帰りにマクドナルドのシェイクで一息つくのだが、夕方とはいえすでに汗びっしょりであった。願わくばかき氷が良いのだが・・・。
 いつまで続くかこの暑さである。既に地球は温暖化の速度が速まっているので、来年はもっと暑いのだろう。
(2023年8月18日記)
Fieldwork830. 京都立秋の頃残暑厳しく 4K
 京都市清水・祇園界隈
SONYα6600、E18-135,,/F3.5-5.6
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Fieldwork843.精霊達が天上界へ帰る・五山送り火 4K

2023年10月17日 | field work

(In English)   It's the end of Obon in Kyoto. Today is the day when the spirits who came to our place of life return to the heavenly world. Gozan no Okuribi is the sight of spirits gathering from all over the city and returning to the heavens. 

(In Japan)  
 京都のお盆の最後だ。今日は私達の暮らしの場にやってきた精霊達が天上界へ帰る日だ。街全体から精霊達が集まりこぞって天上界へ戻ってゆく姿が五山の送り火だ。しずかに精霊達を見送った。六道詣りで精霊達を私達の暮らしの場に迎え、数日一緒にすごし、そして送り火で天上界へ戻ってゆく姿は、ストーリーがあって興味深い。それこそが日本のお盆の姿でしょう。
 さて、今年も撮影したいが今の京都は、五カ所でおこなわれている送り火全てを見ることができない。だから毎年何処で撮影しようか思案するが、やはり京都御所が一番綺麗に見える。昔から御所から一番綺麗に見えるように送り火が配置されたのだから、静かな御所で良いだろう。
 静かと言っても暗闇の中に結構人手がいるではないか。それが密にならないのは御所の広さで救われている。三脚を立てられる場所は背後が樹木で人がいない一カ所ぐらいだろう。既に機材をセッティングしている関係者らしき風情の隣に三脚をセッティングした。
 送り火が始まると前面に座っていた観客が一斉に立ち上がるではないか。オオッ、これではロックのコンサートかよ!。あわてて立ち上がった人々の隙間に機材を動かす。スマホの光も送り火の一つだろう。そんなわけでタイムラプス機能で撮影するのはあきらめた。
 今回は三脚が使えた。こんな小さな三脚でも結構撮れそうだ。となりのニコンの映像機材で撮影している画面を見ていたら、なんと送り火の準備をしている山腹まで写されている。さっすがニコンの500mmの威力だ。こちらは精々300mmまでの小さな機材。
 まあ撮影出来たので、今年のお盆の撮影もこれでお終いである。
(2023年8月16日記)

Fieldwork829.精霊達が天上界へ帰る・五山送り火 4K
京都市・京都御所
SONYα6600.E18-135mm/F3.5-5.6
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