Creator's Blog,record of the Designer's thinking

フィールドワークの映像、ドローイングとマーケティング手法を用いた小説、エッセイで、撮り、描き、書いてます。

エッセイ659. 大人の了解の姿

2023年11月30日 | field work

 今月のエッセイシリーズの最後も、黒人女性にしよう。
 カソリックの影響もあり、彼女たちは概して色恋には大変積極的である。もちろん愛されるこちらのキャラクターが大切なのだが、ひとたび愛されてしまえば、おそらく歳をとるまで愛され続けている。それはどこかプリミティブで幸せな空気だ。そのためには、異文化に寛容である事。どうせなにもかも生活習慣が違うのは当たり前だから、そんなので一々「日本では!」等と言っていられない。そこには寛容なる大人の了解の姿が必要なのだろう。
 そんな目線で散歩に出ていて、日本人女性に出会うと何かと七面倒くさいし気位が高いから、私は目線を合わさずに通り過ぎることにしている。下手に目線を合わそうものなら、こちらは痴漢呼ばわりされかねないという大変失礼な輩が多い。
 以前私がマクドナルドで休息していたら盗撮されていると店員に言いつける若い日本人女性がいて、私は寝ているところをおこされた。だから私は、レンズの前にキャップがしてあるじゃん。これで何で盗撮なのかい?。といったら店員が大変恐縮して、店長含め3人で謝罪されるというなんともよく分からない事があった。まったく日本人女性の勘違いの馬鹿さ加減にも呆れるけど、そんなに自分が盗撮されるほど魅力があると思っているんだろうか?。
 つまり日本人女性はうぬぼれが強いんだろう。それはこちらにとって実に迷惑な存在だ。だから私は、いつも日本女性の前は避けて歩くことにしている。そんな狭い根性の日本を脱出して海外へ出かけたいですね。

京都市
SONYα6600、E18-135mm/F3.5-5.6
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

エッセイ658. 撮影の見通し

2023年11月29日 | field work
 
 クズっている子供の姿も、右側の母親が映っていなければ、日本人と見誤るところだった。それにしても左側の男の子の姿は、なんで剣道着姿なのだと、貸衣装屋のチョイスには笑える。
 映像撮影をしていると、まあ撮れれば良いのだから、それ以外のことは二の次になる。機材の色!?、SONYでいいじゃん。どうせどうにでも後加工できるから撮れていればよいわけだし。というかリーブナブルな映像機材はそれ位しか思いつかないけど・・・。
 それより冷却ファンが必須。なにしろ京都祇園祭で炎天下10分機材を回していたら熱でダウンし、肝心の出発時のしめ縄切りが撮れなかった。ホント映像機材は熱に弱い。もちろん冷却ファンがあればよいかというと、それも10分が30分に延長されるだけであるが、それだけでも撮影チャンスは捕まえやすい。だから冷却ファンがない機材には関心がない。
 それに動画から静止画を拾い出すのが簡単であり、画質はこれで十分でしょう。そうなると重たく大きいだけのフルサイズ機材なんか使いたくないですね。
 そんなことを考えていると、これなら海外で全て動画で撮影しておけばよいとする撮影の見通しがたつ。

京都市清水寺
SONYα6600、E18-135mm/F3.5-5.6
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

エッセイ657. 映像は感性の産物

2023年11月28日 | field work

 可愛いじゃん、というのでビデオ機材のレンズが向いたんだろう。最近不思議に思うのが、ビデオ撮影の自己規制の高まりだ。なにかという「これ撮っちゃいけないんじゃない!?」と自己規制が働く。例えば人物の顔をぼかしているといった具合に。いったいどこからそんな殊勝な考え方が出てきたのだろうか。
 そんなことを言っていたら撮影という行為が存在しない、どこかナチスドイツの帝国主義の世界かと思いたくなる。特定の人物とわかる撮り方をするときは相手の了解が必要だけど、それ以外の公共空間では自由だ。まして公共空間に存在している人物を群衆として撮るのは自由だ。それも街の風景だからだ。
 京都を撮り歩いていると、当然他人の作品もよく見る。それにしてお決まりのポイントばかりで、もどうしてこんなに紋切り型のつまらない京都にしてくれるのだろう。京都人には、そこが大いに疑問だ。
 映像は感性の産物である。だからどこをどのように撮るかというのは感性の働かし処だし、いつどんな光の中で撮るかというのも感性の判断だ。そうして撮影した画像を編集するとなると、これも感性と論理を最大限に働かすステージだ。撮影後の映像からどこを切り取りどう編集するかというのも、感性のフル稼働が必要な作業だ。
 というのも何も考えずに安易に映像をつなげている作品が多く、私から見れば、オイオイ、この編集ステージこそが感性の働かしどころでしょうよ、と言いたくなる。即物的な話しに限っても色調整は最大の感性の働かし処だ。映像の記録は、できるだけ白飛びや黒つぶれがないように記録しているので、後で行う色調整は必須になる。
 そうやって記憶色に戻して映像素材となる。そんな色調整をしない映像が多いと思っていたら、今度は地味なS-Log処理が流行っていたりする。だから京都の街など昭和の頃の映像になってしまって、これってアンタの意図なの?。そうだとすれば京都人とは随分違う感性だなと思う。つまり撮影技法などをYouTubeなどで学んで、こう撮る物だという先入観に支配されているのだろう。そんな映像が多いので、こちらは少し辟易している。
 そんなわけで感性を働かせる訓練を日夜している画家やデザイナーなどは、映像の撮り方が大変旨い。
 日本は、感性を働かせる教育を、あまり体系的にしてこなかったというのもある。だから自分でものすごく勉強する他ないのだが・・・。

京都市、東山界隈
SONYα6600,E18-135mm/F3.5-5.6.

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

エッセイ656. 多民族国家というコンセプト

2023年11月27日 | field work

 外国からのビジターも、こんな格好をされると日本の空気そのものだ。普段とは少し違えて美しく装いたいというのは、世界共通の女達の心理なのだろう。それがインターナショナルな空気を醸成してくれる。
 インターナショナルと書いて、あら?、と思われた。というのもそれは世界に国境があるから、それを越えることに意味をおいた言葉だ。国境などと言うのは制度的なもので、私達庶民にはあまり関係ないとなれば、インターナショナル等という言葉は最初から存在していなかったし国境も人間が便宜的に設けたものだ。その便宜的な境界というのが実に面倒くさいというのが最近の私の気分である。
 そのことはヨーロッパのEU諸国にゆくと国境のない素晴らしさを実感出来る。最初にEU諸国のどこかの国から入国すれば、その先はEU内の何処の国へゆこうと国内にいるのと一緒だ。国をまたいでもパスポートも見せることはないし税関を通過することもない。
 後は人間同士大いに交流して親睦や愛を深めなさいというわけだ。それはある種素晴らしい制度だと思われる。だからEU諸国へ出かけた時の私のパスポートには、入出国したフィンランドの押印しかない。
 そんなことを考えてゆくと、日本も古代史の時代は多民族国家だった。渡来人達が各所からやってきてつくりあげた国家だ。今また各所から他民族が訪れる時代だ。多民族国家という日本国の将来コンセプトもあり得るだろう。

京都市東山界隈
SONYα6600,E18-135mm/F3.5-5.6.
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

エッセイ655. 美意識の違い

2023年11月26日 | field work

 今日の画像は、これまでアップした映像の中で、これは可愛いでしょうと私の自信作だった映像からひろったものだが、YouTubeのアクセス数が59回と意外に少なかった。つまり不人気。
 私はこれまで200人以上の裸婦をクロッキーしてきたが、最近肌の白い若い日本人女性をみると肺病患者みたいに病的な感じがして、それに中国人と見分けがつかないし、個人的には遠ざけたい気分。一寸日本人女性のボディは抱きたくない、ちがった!、描きたくない!!
 それに日本人の胸の大胸筋の下に乳房がつくのと、大胸筋全体に乳房が覆い被さる外国人体型とを比較すると、特に黒人女性に絵画的な魅力を感じてしまう。やはり出るところはドンと出ていた方がスタイリングだ。
 私の美意識ならば、女性は肌の色が黒い方が絶対に格好がよい事になる。ダイバーなんかバッチリ日焼けしているわけだし、そのほうがはるかに健康的だ。髪型はカーリーヘアが可愛いし、こちらがどうやって描こうかと悩まされるところに好感をもっている。
 絵具でスレンダーなボディに黒やパープルを配色すると綺麗なんだけどね。それが日本人になると黒でもなく白でもなく、つまり黄色人種の肌って、私はいまだに絵具の使い方に迷うところがある。
 そんなわけで、日本の女の子達の子供みたいなボディじゃ萌えないよと言うのが、こちらの最近の気分だ。私の美意識も変わったんだろうね。
(2023年8月12日記)

京都清水寺
SONYα6600、E18-135mm/F3.5-5.6
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

エッセイ654.  フランクな和服型のカップル

2023年11月25日 | field work

 最近手薄の番外編エッセイシリーズ。さて画像がないと思ったら映像撮影した画像が大量にある。こういうとき映像は便利だ。なにしろ60P、つまり1秒間に60枚のカットを撮影している。ブログの解像度は大きいサイズで1024dpiだから必要十分だ。
 そんな画像をみていて感じるのは、京都を訪れる和服姿の外国人の多さだ。それも結構似合っている。見慣れてしまっているからだろうか。もちろん着物のデザインが外国人向けに派手になっているというのもあるかもしれない。
 和服のほつれなどを直している姿をみていると、外国人と言うよりはカップル達の仕草のように見えてしまう。愛は世界共通だったかと違う方向へ考え方が飛ぶ。
 どことなく国籍を超えてインターディプシィナリな空気だ漂うところが面白い。学際的と言うよりも広範囲な国家を越えてと言う意味だが。
 かっての外国人のように意図的にジャパネスクを表現するという姿勢を越えて、フランクな和服姿のカップルの姿である。国家の違いなどどうでもよく、それよりも夏の古都を楽しもうよとする気分がすがすがしい。
(2023年8月12日記)

京都市清水寺
SONYα6600、E18-135mm/F3.5-5.6
 


コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

エッセイ653. 憧れの冬のフィールドドワークの候補地

2023年11月24日 | field work
 
 冬の北海道日本海沿いの集落が大変美しい。このブログでも積丹半島美国の画像をアップさせた。撮影の被写体として興味深く、私は積丹半島の美国集落ぐらいで満足しているが、さらに足を伸ばしたらと考えた。その参考図書がこの写真集である。
 瀨尾明夫:遠い海、マガジンハウス、1992.
 帯に書かれた北海道の地名が撮影地である。
 「小平、留萌、浜益、厚田、小樽、積丹、神恵内(かもえない)、泊、寿都(すっつ)、島牧、北檜山、大成、熊石、乙部、松前、枝幸、雄武、網走、斜里」
 小平、留萌、浜益、厚田は
 留萌の北隣が小平、さらに国道231号線を足場に日本海に沿って南下すると浜益、厚田の集落がある。
 また小樽から国道229号線で積丹半島をまわり、日本海沿いに南下すると神恵内、寿都、島牧、北檜山(きたひやま)、大成、熊石の集落があり城下町松前に至る。瀬野さんは、松前から小樽の間を移動しながら撮影している事がわかる。
 さらに網走、斜里を拠点にすると国道239号線、同238号線を北上すると枝幸、雄武の集落がある。
 いずれも日本海に面した集落であり、行動のベースキャンプとして留萌、小樽、網走の3カ所がある。
 いずれの集落も今の公共交通機関はバスだけである。そして寿都と神恵内は核のゴミ処分場調査地として手をあげた自治体であり、北海道知事が反対を表明している。それほど辺鄙な場所なのか?。
 小樽-江差の国道229号線をルートハンティングしてみる。やはり路線バスはつながっていない。江差から大成までは路線バスの乗り継ぎでゆけるが、その先須築まてば予約制のデマンドバス、そして11kmの徒歩でモッタ海岸温泉にたどり着く。雪道は倍の時間が必要だから5時間の歩き。酷寒の中をそんなに歩くならば冬山の装備が必要になるのか・・・。さらにモッタ温泉からまた路線バスの乗り継ぎで積丹半島神威岬までゆける。しかし路線バスの廃止も検討されており、今後さらに分断化が進むだろう。
 といってレンタカーで慣れない雪道をはしる気分ではない。もちろんタクシーもない。あの美国ですら1台しかなかった土地だ。結局冬のフィールドワークは出来ないという結論になった。
 観光ガイドにも載っていない国道229号線沿いの集落は、冬訪れると荒波の日本海と豪雪とで興味深い被写体に出会える可能性はありそうだが、無理ですね。憧れの冬のフィールドワークの候補地でしょう。これらの候補地は、冬が断然美しいのである。もちろん素晴らしい映像が撮れるところばかりである。ただし、冬山の装備は必須だ。



モノクロ画像は積丹半島美国
iPhin13pro.
NikonF3+MD4,Distagon25mm/F2.8,トライX.
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

エッセイ652. 猛暑の頃のOSAKA

2023年11月23日 | field work

 夏の猛暑の頃に限って出向かなければならない街がある。OSAKAだ。あの混沌とした街にはゆきたくないが、ゆかざるを得ない用事をつくってくれるあたりが都市集積力が巨大なOSAKAだ。
 気温が猛暑日をぬけた翌日、阪急でOSAKAに向かった。要件自体は10分で終わる。すでに休息モードだから駅ガード下のドトール珈琲へ向かう。前にも来た時の小さなチョコレートパフェにしよう。アルバイト高校生風ヘタレな姉ちゃんが甲斐甲斐しくつくるあたりもOSAKAだが、小腹を満たすのには調度よいサイズだ。
 だがその店がGoogle mapで探しても見つからない。同じ店にたどり着けないというのもOSAKAだ。ならば違うドトールで。今日は普通のタピオカで我慢しよう。
 そんな具合に猛暑日にOSAKAにくると、かき氷だ、パフェだ、と普段食べないものを食する。といってたこ焼きや串揚げは店の前に列をなしていても通り過ぎる。
 JR大阪駅に用事があるのに、私はいつも阪急を使う。私の家からは四条烏丸が最寄り駅だし、JR新快速は15分に1本と混み立ったままの可能性が高く、所要時間が早くても京都駅まで出て新快速を待つぐらいなら、10分ごとに出発する阪急特急の方がはるかに便利だ。
 さらにいえば、台風の時でも動いていたのは京阪である。だからJRがストップしていても多数の人を裁けたのは、これら私鉄の力である。
 だから京都人は、OSAKAというと阪急か京阪しか思いつかない。JRは遠来の滋賀県人達御用達だと思っている。つまりOSAKAへゆくのに座って寝てゆきたいのだ。それで猛暑の疲れを振り払おうというわけだ。その猛暑がピークを越したようだ。ようやくいつもの夏日に戻りつつある京都だった。・・・後日これは早計だったけど。
 (記:2023年8月9日)

追記

 後日またOSAKAだ。今度は道を間違えずにドトール珈琲梅田店についた。ここでは安い420円。結構これをたべている人がいる。こちらはダイエット族だから小さくてよいのだ。食べ過ぎは禁物。

iPhon13pro
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

エッセイ651. ピクチャーウィンドー

2023年11月22日 | field work

 家を新たに建てるとき、ピクチャーウィンドーの作り方に私は関心が及ぶ。敷地に木を植えたはよいけど、どこから眺めるのかという事まで考える必要がある。下から眺める!?、それじゃ公園の樹木と一緒じゃないか。アホちゃうの!!!。
 要は木々の葉の群れを真横から眺めるのが一番美しい。窓から木々の枝振り羽振りを眺め、そこへ光が差し込むと葉がワサワサと揺れて、そんなミラクルな光景が美しいわけだ。それでこそ樹木に囲われた感の漂うランドスケープといえる。私もそう考えているが、いつもそんな配慮に出会う実例は大変少ない。みんな無神経に植えているんだ。
 木々の葉は横から眺めるのが大変美しい。そのことを知っていたのが建築家吉村順三である。都心の小さな住宅でも小さな樹木を一本だけ植えて、それであたかも森の中にいるような空気を作り出すピクチャーウィンドーの名手であった。もちろん建売住宅業者には、そんな知恵は今もないが・・・。

iPhone13pro
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

エッセイ650. 関西空港というローカル空港

2023年11月21日 | field work

 関西空港へピックアップに出かける時がある。そんなときいつも不思議に思うのが帰国者のゲートと出口の設えである。
 北と南の二カ所のゲートがある。それぞれのゲートには、それぞれ左右二カ所の出口が設けられ出口正面には到着時刻を示す大型パネルが占拠している。日本への入国者は、その大型パネルの後ろから左右に分かれて出てくることになる。左右の分かれ目には構造柱が立ち相互の視線を遮っている。
 だから待ち合わせるときは、北か南かのゲートを確認し、二つの出口が見える位置に立ち左右に視線を配らせるという案配だ。そうしないと他方の出口から入国者が出てくるとわからないからだ。ツーリストの人間も南北ゲートを往来しながら左右の出口に眼を配らせるわけだが、ピックアップできなくて四カ所の出口の前を右往左往している姿をしばしば見かける。つまり大変ピックアップしにくい構造になっている。
 平面図で見れば人間の動線を、先ず二つに別け、それわさらに二つに別けて都合四カ所の出口という素人臭い考え方は建築設計者(設計:レンゾ・ピアノ)の発想ではない。多分事務屋の機器配置の際に、こうすれば明解じゃんと素人判断で決まったのだろう。おかげて大変ピックアップしにくい構造になっている。人間の動線つまり行動は平面図で判断できるが、認識はアイレベルで判断するという知識が欠落しているあたりは、やはり不勉強な素人がディスプレイの配置をしたのだろう。
 このように建築設計をしていると、サイン表示などの機器配置は建築家の領域外の仕事の事が多い。建築家も完成後に現場をみて、あれ!、という不思議な光景を目にする場面は経験的によくある話だ。
 さらにディスプレイをみていると、内部でつながっているから他のゲートから出る場合もありますと表示される。都合4カ所の出口を見張れというわけだ。こうなるとアホらしくて付き合いきれない。
 まあ国際空港とはいえ関西空港はローカル空港のようであり、出入国手続きなどが中央に集約されているから、まあ小さなコリドール行ききして四カ所の出口を見張ればすむ話だが・・・。
 この頃、いまだに外の食堂はフードコートしかなく、杵屋、ぼて十、カレーのサンマルコ、それに麵所ぐらいしかなく、えっ!、たこ焼きで千円以上と市中より高いのにあきれはて、さっさとビジターをピックアップし京都に戻った。こちらはやよい軒で定食のテイクアウトでもしよう。
(記:2023年7月26日)
iPhone13pro
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Fieldwork855. 京都・酷暑そして喜雨の後 HD 1080p

2023年11月20日 | field work


 京都は昼間少しまとまった雨が降った。砂漠に水がしみこむように待望の雨を喜雨という。雨のラインが見えるぐらいに降った。これは梅雨明け以来である。
 その待ちに待った雨も3時間ぐらいで上がってしまった。ならば雨上がりの散歩にでかけよう。
 散歩に出かけたら、全く雨上がりとは思えない夏であった。だが夜半から
北風が吹くので今晩は窓を開けて寝ることができる。もちろんそんな日は今晩だけだろう。
 古民家だから各部屋は襖の仕切りだけから、窓を開けていれば風が建物の中を通り抜けて涼しい。さらにトップライトは開閉式にしてあるので、暖かい空気は上から抜けてゆき、風の流れが確保されている。泥棒が入るって?。いまどきそんな古典的な泥棒はいないよ。それに我が家は取られるものがない。
 現代建築は各部屋が厚い壁で仕切られているから、部屋を閉め切れば、たちまち部屋の温度が急上昇しエアコン必須の環境になる。そこが現代住宅の最大の欠点である。もちろんマンションも同様である。
 いまいちど部屋という単位をすてて、全体が一つの家になるように設計すべきだと私は考えている。そんなとき襖というのが大変優れた建築の設えになる。そうすることで風通しのよい家ができる。
 現代人はエアコンに依存しすぎだ。もし電気が停まったらどうするのだろうか?。

Fieldwork855. 京都・酷暑そして喜雨の後 HD 1080p
SONYα6600,E18-135mm/F3.5-5.6
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Fieldwork854.まだ蝉が鳴く9月の京都 HD 1080p

2023年11月19日 | field work

 9月3日、白露が近く次は秋分だから二十四節季では秋の頃。耳を澄ますと鈴虫のような鳴き声?、違う!。まだ蝉が鳴いている。夏が続いている。猛暑は過ぎたが最高気温33℃の真夏日が続く京都。
 毎日デスクワークでマックのモニターをのぞいていると眼の焦点が近くに固定されたままの状態になりがちだ。だから空の雲を眺めたりして眼を休息をする。それだけじゃ身体は不足なので、夕方撮影機材を担いで散歩に出かける。そして夜編集しYouTubeにアップさせている。
 このところ、猛暑続きでブログ制作の意欲がない。
(2023年9月2日)

Fieldwork854.まだ蝉が鳴く9月の京都 HD 1080p
SONYα6600、E18-135mm/F3.5-5.6
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Fieldwork853. パフォーマンス「海」、撮影顛末記 HD 1080p

2023年11月18日 | field work

 2023年9月2日に、京都裏寺町通の高野堂妙心寺というお寺でパフォーマンスが行われた。私は、パフォーマーの一人からビデオ撮影をしてあげると約束していた。
 撮影は、現場の成行だから2台の機材(Aカメラ、Bカメラ)で催事の全てを撮影した。難儀なのはYouTube用の映像編集である。1時間に及ぶパフォーマンスをそのままアップさせるのも意味がない。そこで住職さんの法話も含めて短い映像にまとめることにした。
 さてどうやろうか?。
 全体の流れを捕まえるべく三脚に据えて撮影した映像を並べてみた。これをカットして編集しよう。だがよくみるとつながらない。そうだ、途中で機材は発熱で停止していた。幸いBカメラで山場は撮影していた。面倒だったけど2台持ちでよかったぜ!
 そんなわけで二つのカメラで撮影した映像を編集し17分の映像にまとめた。それは時間の長い映像編集の練習でもあった。
 痛感するのは今販売されているデジタル機材の全ては、冷却ファンがついていないとする理由から映像には不向きといってよい。
 α6600の場合、夏の室内で15分、炎天下の屋外で10分の連続撮影で確実に熱停止する。やはり映像用の機材が必要だということを痛感させられた。もちろん冷却ファンがついていても連続撮影には限度があるのがデジタル機材の悩みだ。
 そんな編集を終えて書き出そうとすると、こんどは4K出力が出来ない。だからこれまでの編集画像があるiMoveをNASに移動していたら途中でエラーがでた。もう一度同じ作業を数時間かけてやる意欲はない。そんな事を悩みながらおこなっているうちにiMoveのデータそのものが消えてしまい。新しいiMoveに上書きされてしまった。多分ブログ20回分以上、500GBの元映像が消えたことになる。
 もちろん出力した編集済みの映像はNASに保存してあるが、元の撮影映像が消えると再編集が出来ない。復元ソフトもあるが、ここは心静かに、よい!、再編集などしないと決めた。従って映像で使われなかった画像は、永遠に消えたわけである。データも増えるので、それでよい!、とかたく心に決めた。そんな大胆な思いっきりが映像撮影と編集には必要なのだろう。
 もう一つ知見があった。SONYにはZEISS用のレンズがある。動画撮影の場合は、他のレンズとの色が違いすぎるので映像では他のレンズとの編集場面では使わないことだ。
 映像では、静止画とは何もかも考え方が違うことを痛感している。

Fieldwork853 パフォーマンス、海 HD 1080p
SONYα6600,E18-135mm/F3.5-5.6、α6000,ZEISS Vario-TessarE16-70mm/F4.0.
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Fieldwork852. Limited Express Shinano 4K

2023年11月17日 | field work
 関西から信州へ行くときは、いつもLimited Express Shinanoでゆく。北陸新幹線ができようとも、日本列島の中央部を袈裟懸に走るこの列車の存在は揺るがない。そして高性能の振り子式381系である。1995年に導入され、もう30年近く走っている。この速達列車があるからこそ関西から北アルプス涸沢へ足繁く通うことができた。
 私が企業に勤めていた頃の同僚、ムーさんが平澤の木曾くらしの工芸館の仕事で何年かを奈良井宿の小さな古民家で暮らしていた。夏でも涼しい土地だから、同僚達はムーさんの家をけっこう足がかりにしていた。私もその一人だが・・・。
 野辺山の絵画展を撮影するため機材のバッテリーは温存。帰りにまだバッテリーが残っていたので、これまで経験がなかった車窓撮影の試写を試みた。それで気がつくのはクロップ数をあげると速いシャッター速度になるから画面はシャープになるだろうという事。しかし夕暮れ時で暗いレンズでクロップ数をあげられるかは未知数。それに列車の窓ガラスが雨だれで汚れている。そんな撮影条件の悪いところで、眠たい映像で使い物になるかなあと疑問視していた。そこは編集の後処理でなんとか・・・。
 いろんな記憶が蘇る中央西線である。車窓からのランドスケープはいつも大変美しい。

Fieldwork852. Limited Express Shinano 4K
SONYα6600,E18-135mm/F3.5-5.6、iPhone13pro
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Fieldwork851 児玉敏郎絵画展・静かな時間 4K

2023年11月16日 | field work

 野辺山の南牧村美術民俗資料館で開催された大学時代の同窓生である児玉敏郎・絵画展にでかけた。油絵80点の展示作品の過半は人物画だが、ここでは彼のファミリーに着目してプロモーション用の映像化を試みた。
 ファミリーというのは彼の娘さんだが、毎年描いてないかなとこちらは期待していたが、「娘はいつのまにかいなくなってしまうから描けないよ」、と彼はこぼしていた。そんな娘も孫ができる歳になり、ようやく4枚の絵が揃った。タイトルをみると「何処へ」。いつも何処にいってしまい捕まらないのだろう。
 ファミリーというのは大方そんなものだろう。そう外部の人間が考えるほど、いつもまとわりつくわけではない。だから画家の娘だから毎年描いたなんていうのは奇跡に近い。
 映像で個展を撮影するのは初めてだったので、準備不足もあった。何よりも円偏光フィルターを忘れた。これはガラス面に対して45度の角度で入射する光の過半の反射光を取り除いてくれる役割がある。特に静物画の額縁はガラスで覆われている。まさにアチャーだよ。
 三脚はジンバルより固定型の方が確かだろう。もちろんジンバルは撮影効率が大変良いが固定式の三脚にはかなわない。出かける時に私は、いらないかと判断してリュックからのぞいたのだった。もちろん絵が壁に対して垂直にかけられているわけではないので、水準器と分度器ぐらい欲しいところだ。これは次の撮影の参考としておこう。
  100号を越える作品が多数あるとなるとレンズは広角レンズに限るられてくる。あとは小作品用にマクロレンズだろうか。
 機材はフルサイズに越したことはないが、今はAPSサイズで十分だ。やはり小さいことは使い勝手がよくて正義なのだ。

Fieldwork851.児玉敏郎絵画展・静かな時間 4K
SONYα6600,E18-135mm/F3.5-5.6,F10-20mm/F4.0
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする