goo blog サービス終了のお知らせ 

Creator's Blog,record of the Designer's thinking

毎月、おおよそドローイング&小説(上旬)、フィールド映像(中旬)、エッセイ(下旬)の3部構成で描き、撮り、書いてます。

エッセイ939.追記:興味深かった、アラスカの会議

2025年08月17日 | field work

 
 面白かったので引越前にブログの追記を書いた。まだ忙しくて引越はしていない。おおよそ一ヶ月後に引っ越せると推測している。
 ロシアのプーチン大統領とアメリカのトランプ大統領との会談が8月15日にアラスカで開催され、質疑応答なしの記者会見がおこなわれた。トランプ大統領は「多くの点で合意した。ほんの僅かな点を残しただけ」と発表した。その後にアメリカの記者との独占インタビューがおこなわれただけであった。
 世界のメディアは、そして日本のメディアもだが、「合意はなかった。だから会談は失敗だ!」とする報道がなされるかもしれない。だとしたらそれはメディアの誤報道といわざるを得ない。ジョーは嘘は言わない。
 トランプさんの言葉を引用する。
"There's no deal until there's a deal."
合意が成立するまで合意はない。
これはウクライナ戦争の事だと思われるが、アメリカは合意すべき立場にはいない。
 さらに独占インタビューのなかで彼の言葉を引用する。
"Make a deal"
合意しろ!
 これはウクライナのゼレンスキー大統領に向けての言葉だ。
ゼレンスキーがYESといえばウクライナ戦争は終わる。
ゼレンスキーがNOといってもウクライナ戦争は終わる。何故ならアメリカはウクライナへの武器供与をやめるから戦争は続けられない。
どちらを選択してもウクライナ戦争は終わる。
そうした道筋を導き出したから、この会談は大成功である。
巧みな戦争の終わらせ方であるし、私には新しい知見である。
武器には武器で対抗するといったEU諸国の20世紀の古い論理を振りかざしている時代は終わったことが象徴的だ。
そうなると週明けからアメリカの株価が上がりそうだ。あとはFRBのパウウェル議長が公定歩合を下げればだが・・・。
だから、みえてきた光を壊すなといいたいね。

画像引用:ヤフーニュース
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

エッセイ938.最終回 過去ログから 始まりと終わりはセカンドライフ、追記

2025年08月15日 | field work








 このブログを始めたのは2007年8月16日。切っ掛けはセカンドライフ(SL)のシムの19回の制作記が最初だ。そんなSL・ランドスケープ画像を再度ピックアップした。そしてこのブログの最終回である。つまりブログの始まりと終わりである。
 当時私達4人のスタッフは実験的にシムの制作をおこなった。コマ画像のラスト4人が私達のアバターである。いくつかの外国人受けするブログラムも入れ高品位なビレッジのランドスケープを制作した。当時の多数のシムと比較しても完成度は高く、シム本部サイトでも高評価を得た。あとはプロモーション次第だ。その後シムは民間企業に引き取られ運営に供された。その後の行方は私達も知らない。
 セカンドライフの一般的な話を採録しよう。
 当時の3DCGソフトStudio MAX、Vueなどと比較すれば、 SLが無償提供している3DCGソフトは、光も影もなく オブジェクトの完成度は低い。だがその低い完成度が幸いし情報処理速度を格段に速めレンダリング能力を著しく向上させる事が可能だった。3DCG環境とアバターを同時に扱うことができ、スムーズなフルタイム・ウォークスルー・アニメーション・レンダリングができ、さらにスクリプト制作、チャット・・・後には翻訳機能までつけられ、動作やコミュニケーション機能を統合し、3DCG環境とシンクロさせている点は、他のSLSと比して群を抜いている。  
 であれば我々グループでシムを購入し、制作すれば、研究室や大学の活動自体をSL上で開催することができる。例えば、デザイン実習に於ける3DCGの使用場面では、シム上で制作指導が可能であり、他方受講生や教員は、大学に来なくても、或いは車椅子故といった個別事情があって大学にこれなくても、そしてお互いが日本に不在中であっても、インターネット接続環境があれば即座に授業は成立する。
 しかし問題は、その費用にある。当時シム購入費(サーバー購入代)1,675$=201,000円はよいとしても、年間サーバー管理料3,540$=約42.5万円は高い。こうした初期投資が回収できるビジネスモデルを構築しなけれはならない。例えば、SL内の貨幣価値ではすこぶる高い27,500L$=100円/1回のワンコインレクチャーを40人クラスで10回以上開催すれば、といったヒジネスモデルは思いつくが・・・、但し、シム制作をボランティアで行うというのが前提だ。SL上で開催されているオブジェクトやスクリプト・セミナーが大方無料という現況を考え合わせれば、果たしてそんなに集客できるコンテンツがあるのだろうか?。要はビジネスモデル構築がシム所有の鍵である。
 さて私達のシムに話を戻して、最後の画像がリアル世界でのシム制作風景だ。けっこう大真面目で製作打合せをしている。この画像を最後にして、このgooブログも今日で最終回。これまでの多数の訪問を感謝するとともに、ここで筆を置く。
さらばじゃー・・・!!!。


追記:このブログの引っ越し先は8月16日以降に掲載する予定です。引っ越し先は多分はてなブログを予定。ドメインはそのときに。引っ越しやアップデートで1ヶ月程度はブログもお休みします。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

エッセイ937.過去ログから ヴァーチャルアイランドversion2から

2025年08月14日 | field work











 私の3DCG制作のなかでVueというランドスケープソフトにはまっていた。多彩な環境が表現でき、大変美しいクリエイションができる。今はレガシーソフトである。
 ここでは、海に浮かぶ城塞跡を利用したリゾートビレッジのクリエイションをおこなった。実際この3DCGを制作してみると、予期せぬ風景を発見し制作過程も大変愉しかった記憶がある。
 港から続く中央階段から背後のコミュニティの集会所に至る都市軸を中心に左側がリゾートゾーン、右側がタウンゾーンであり住宅や商店や市場の建築群の中央に教会がシンボリックに存在する。もともとこの島は漁業で生計を立てていたから市場や漁師達の住まいがあるのだ。
 実際に3DCGの街の中のストリートや路地階段からは各建築群の配置が多様な景観をつくりだしており、地下には複数の劇場やカジノといったエンターテイメントやウェルネス・スパ、そしてコージェネ施設があり、私の環境デザインの理想型といってよい。
 こんな事が出来るならば、そして世界有数のリゾートビレッジになるならば、実際に建設もしようじゃないですかと私のテンションはあがる。こうしたデザインは、実際につくりだすとさらに魅力的な環境になってゆく事が計画していてわかる。地中海あたりのテイストだが日本なら長崎や瀬戸内海の廃魚村がある小島なら可能だろう。
 ところが、そんな事業化を考えるスケールの大きな事業家は日本にいないのよ。実際には瀬戸内海に著名建築家につくらせた施設が僅かに点在する程度。そんなショボい国家ですから、この提案は幻となり今も私のMacのなかで眠っている。
 このブログでは、2009年3月15日〜5月29日にかけ55回にわたって制作記を執筆している。因みに私が一番気にいっているこの作品サイトへのアクセス歴は皆無である。gooは私と異なる感性の世界なのだろう。
 こうした発想のルーツは、このブログの最初に連載したセカンドライフである。明日はこれについて述べておこう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

エッセイ936. 過去ログから、ヴァーチャルアイランドVersion1について

2025年08月13日 | field work

学生達に与えた課題のテキスト

P1-2現状の島のフィールドサーベイと環境条件の把握

P3-4現状のフィールドワークで現状土地利用の設定

P5-6コンセプトチャート

P7-8提案の構造と将来の土地利用構想

P9-10シンボル施設の提案と概略的な3DCG

P11-12シンボルエリアのスケマティックデザイン

裏表紙

 私が3DCG制作で遊んでいたら、ランドスケープソフトVueの登場が私のクリエイションにとって画期的進化をもたらしい。3DCGで制作したオブジェクトをVueに読み込ませると環境の中に配置した建築となり、その環境も世界の様々な天候が選べる。そうして様々なオブジェクトをVueに読み込んでは、いろんな環境のレンダリングを制作していた。それらを集めるとストーリー性がでてきた。
 そこで私の大学の3年生の芸術工学実習の課題にまとめあげた。画像は学生達が受講する際に最初に渡される課題出題プログラムである。この水準を目指して実習課題をつくりましょうという課題出題表であり12頁の参考作品である。
 課題内容は、3DCGで島をつくり地形図をつくりなさい。次にその島を地球上の緯度経度を設定し、その場所の環境条件を織り込みなさい。
 ここから課題はスタートする。従って緯度経度を設定すると気候、言語、文化、民族といった環境要素が課題に反映されることになる。ここまでくると現状の土地利用が見えてくる。とはいってもヴァーチャルだから地形図を読みながら環境条件に合わせて自分達で設定するわけだ。そんな現状土地利用図をみながら、学生達が提案したいコンセプトを考え、未来の土地利用図を作成し、そのなかから幾つかの建築群を3DCGでデザインしなさい。最後にデザインした街のスケマティックデザインをイラストあるいは3DCGで創作しなさい。この一連の作業はすべて仮想環境でおこなうことができる。
 結果として、これまでにない画期的な実習課題ができあがり、1学期間の課題としてはハードなボリュームであるが、ここに地域計画と3DCG制作の基本的要素がすべて反映されており、課題をつうじ広範囲な地域計画の基本を学び提案ができる能力を養おうとするものである。私が制作したこの参考作品は、学生達の到達目標や努力目標を定めている。ここまでとどけ!、というわけだ。このように実習の課題は、私自身が出題前に自分の手動かして実際におこなってて見ることが大切だ。
 実際に出題すると学生達は3DCGは容易にクリアし、なかには優れた作品を制作した学生も出現した。つまりこの課題の出題は成功だったといえそうだ。それも当時の日本では、だれも出題しなかった3DCGを踏まえた内容であった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

エッセイ935.過去ログから 沖縄県巨大グスク建築群の3DCGについて

2025年08月12日 | field work
図1.浦添城


図2.浦添城復元モデル

図3.浦添城本殿軸組

図4.勝連城復元モデル          図5.中城城復元モデル


図6.座喜味城復元モデル         図7.今帰仁城復元モデル

 このブログでも3DCGは私が制作した作品を取り上げている。ここでは学術論文(注1〜注5)に使用した3DCGについて紹介しよう。
 沖縄県の巨大グスクは城壁の位置が既に判明しており、図4〜7までは復元されている。また図1〜3の浦添グスクは位置は判明したが復元は一部である。
 そこでこうした城壁を前提として城内にどのような建築群が想定できるかについてを、史料及び史跡や出土品、さらには建築学上あるいは空間上この城壁であればこのようにしか成立しないとする知見や判断に基づき、各建築群の創造復元を試み3DCGで表現し学術論文にまとめたのが注でしめした5編である。これらは学術上試論に近いが、城壁を前提とする王宮としての住まい方や戦への備え、さらには地域統治といった機能を城に持ち込んだ際の空間上の考え方を考察し3DCGで表現した。
 このブログでは、そうしたエッセンスを紹介した。ここでの3DCGは立体化だけであり3プリミティブな制作だが、各建築群の考え方はわかるだろう。このように3DCGは、それまであきらかにされた歴史上の事実を文章だけで記述するだけではなく、空間として復元し具体的な検討材料を史的議論に提供できる。3DCGの有効な性質だ。
 各建築群は軸組構造から検討し制作している。そのため比較的原型に近い。勝連城本殿などは礎石が出土しており軸組構造がわかるが、礎石が出土しない建築群は建築機能を加えた上で配置をしている。そこが試論と断る所以である。
 だが3DCGによって一つの姿城郭全体の姿を試論的ではあるが視覚的に提示できるる点では、新しい方法だといえる。こうした論を積み重ねてゆくと、一定の方向性が出てくるだろうと私は考えている。

注1)三上訓顯:建築史上の2つの経験,名古屋市立大学大学院芸術工学研究科紀要:芸術工学への誘いvol21,2016,p3-18.
注2)三上訓顯:沖縄県勝連城創造復元モデルに関する研究,名古屋市立大学大学院芸術工学研究科紀要:芸術工学への誘いvol24,2019,p3-12.
注3)三上訓顯:沖縄県中城城建築群の創造復元について,名古屋市立大学大学院芸術工学研究科紀要:芸術工学への誘いvol25,2020,p3-12.
注4)三上訓顯:沖縄県座喜味城建徳群の創造復元,名古屋市立大学大学院芸術工学研究科紀要:芸術工学への誘いvol26,2021,p9-16.
注5)三上訓顯:沖縄県今帰仁城建徳群と一連の研究のまとめ,名古屋市立大学大学院芸術工学研究科紀要:芸術工学への誘いvol27,2022,p29-38.
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

エッセイ934.過去ログから 新幹線通勤

2025年08月11日 | field work




 毎日同じ所を移動しているから風景は同じだ。だが毎日天気が変わる。そんな天気の変化が毎日違った被写体をみせてくれる。新幹線通勤の醍醐味だ。
 朝7時32分京都発のひかり号に乗る。名古屋まで各駅停車だから車内は大変空いている。駅のスタンドで調達した紅茶をすすって車窓を撮影しているとすぐに米原だ。さらに関ヶ原で雪のため新幹線が徐行しようものなら最高の撮影チャンスだから遅れることは楽しみの一つだ。機材のシャッターを1/4000秒にセットし1秒間に数枚は連写してゆく。それで最速75m/秒移動する車内から撮影できる。
 京都に住んでいたから名古屋の大学まで新幹線通勤だった。交通費の半分は自前だが、それを支払ってもあまりある充実の通勤時間になる。
 それだけではない。帰りも大学の仕事が早くかたずくと季節によっては夕方の風景に遭遇できる。通勤時間がこんなに充実するとは思いも寄らなかった。
 いつもPanasonicのエルマリート45mm(90mm)のレンズを付けていた。新幹線からの撮影では調度よい画角だし、綺麗な描写をするレンズであった。ライツM4以来エルマリートという言葉に縁がある。そしてエルマリートは、いつも素晴らしい画像を提供してくれた。

OlympusEM5,LEICA DG MACRO-ELMARIT 45mm / F2.8 ASPH. / MEGA O.I.S.
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

エッセイ933.過去ログから ドローイングシリーズ、なんでも描いたる!

2025年08月10日 | field work



 小説:小樽の翠は幕間なども含めて922回続いた。その9割ほどがドローイングである。画材は透明水彩絵具やイラストレータを使用した。これまで延べ240人ほどの裸婦のクロッキーを描いたからデッサンのもとにしているが、その他のオブジェクトがあったのは静物画と一部の建築ぐらいだ。小樽の風景に至っては、こんな風景ならばありそうだとする創造デッサン。現実の風景に引きずられる事がないから、それはそれでよしとしている。
 時に車のレンダリングはニューパステルとマーカーを使用した。今、車のデザインはすべてCADでおこなっているが、こちらは古いデザイン方法を用いており小説になじみそうだ。
 一番多いのが人体だが、男と女の濡れ場となると絵具ではリアルすぎるからイラストレータ線書きで公序良俗に関わる部分は省略している。そんなので濡れ場のいやらしさが表現できるかなと疑問視したが可能だということもわかった。
 それでも筆が滑りすぎ公序良俗違反で4回程の警告を受けた。絵ならよかろうとおもったがダメらしい。そんなの数値で判断基準を示せよと言いたい。だがセックスも日常的な出来事の一つだから、特段色眼鏡でみなくてもよく毎日のご飯を食べる感覚で文章は書いていた。
 また小説はマーケティング手法の一つであるペルソナ法を用いて、現代日本の核家族や少子化とは、真逆の多産系で地元志向ファミリーのライフスタイルシミュレーションをした。その結果、こうした生活もありだと考えられる。このように地域に定着する社会構造があってはじめて地域の居住人口も維持される。小樽という町が大都市札幌に近いという立地の良さが、こうしたストーリーを可能にしている。
 私は人体を描くときは裸婦クロッキーを下図としている。だからコスチュームを被せても人体が感じられることに留意している。人体あってのファッションだからだ。
 そんなことを考えながらコロナ過の外出自粛の時代にドローイングを描いていた。それは有益な家ごもりの時間だった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

エッセイ932.過去ログから ダイビング

2025年08月09日 | field work






 沖縄を訪れる目的はダイビングにある。水中撮影をしたいというのがダイビングを始めた動機だ。そしてこれまでに魚類図鑑のように数多くの魚たちを撮影してきた。だが私の目的は魚ではなく、水中の地形や岩や珊瑚がつくりだすランドスケープにある。地上と同じように大きなスケールで水中のランドスケープをとらえられないか。だがそれは案外難しいことだ。
 ランドスケープ撮影の条件は、まず海水の透明度が高いことだ。沖縄の海といいつつも常に透明度が高いわけではない。それは気候の関係で海が攪拌され透明度が20m位に下がるときもある。それとて地上から見れば水が綺麗とビジターは喜ぶが、私のようなダイバーにはガッカリものだ。やはり50m先まで見通せる透明度と地上からの光によって水中のランドスケープは撮影できる。だから機材はハウジングをつけたGoproにINONの魚眼レンズを付けて待ち構えている。最初にダイブして透明度が低ければ今日は魚類図鑑撮影だと諦めるしかない。そうなるとマクロ撮影できるニコンW300に切り替える。これはハウジング無しで30mまで潜れる優れものだ。
 従って水中地形のランドスケープが撮影できる確率は低い。そのかわりに魚類図鑑風魚のストックが溜まってしまう。

このような魚図鑑的画像はごまんと撮れる。ウミウシは雌雄同体なので、1個体にオスとメスの生殖器を両方備えている。交尾はお互いに精子を交換する。これが契機となって産卵行動が始まり、交尾後にらせん状の卵塊を海藻や岩の表面に産みつける。

沖縄県・久米島・宮古島
Gopro7,NikonCoolpixW300
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

エッセイ931.過去ログから 沖縄・南城市

2025年08月08日 | field work
図1垣花桶川

図2垣花桶川


図3斎場御嶽


図4久高島


図6市中に数多く存在する拝所

図5沖縄民家を改装した食堂


図6南城市の海岸

 沖縄へダイビングに出かけた機会に県内の風土的姿を尋ねた。その一つ南城市は名水100選に選ばれている湧水、垣花桶川(かきのはなヒージャー)がある。
 南城市の桶水の記述の一部を以下に挙げた。
 桶川か流れ出た水は下の田をうるおし、稲作が盛んであった。垣花村の人々はシチャンカーで水浴び、洗濯。野菜洗い、水汲みをするためカービラ(川の坂)を行き来した。石畳の途中には女達が一息入れタナクユクイイシ(中休み石)、イーユクイイシヌヒライサー(上休み石の平石)が残っている。現在は、簡易水道として地域の飲料水等の生活用水や農業用水として利用されている。

 世界文化遺産の斎場御嶽(セーファーウタキ)は、琉球王国最高の聖地として古来から国王の巡礼がなされ。現代でも多くの人から崇拝されている沖縄自然信仰の聖地である。聖地から神の島と呼ばれる久高島を望むことができる。水辺線に見える島がそれである。太陽の上がる方向にある久高島は東方楽土ニライカナイ「お通し(遥拝)」所として沖縄各地で崇拝されている。沖縄史を学ぶ上で、この土地をみずして歴史を語ることはできない。熱帯雨林と巨石があるだけの祈りの聖地としては質素だが、そこには琉球王国以来の歴史と様々な意味が蓄積されている場所である。市中に数多く見られる拝所をみるにつけ、沖縄自然信仰の存在を今でも感じさせてくれる。
 南城市の海岸沿いの集落をあるくと、記憶に残るほど四六時中風が通り過ぎる音がしている。それでいて寒くはない。そんな体験を今でも思い出す。
 沖縄の風土を感じさせる濃密な場所であった。


沖縄県南城市
EOS1DsMark3、EF16-35mm/F2.8,
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

エッセイ930.過去ログから 集落のランドスケープ・風土的了解の姿

2025年08月07日 | field work



 トップ画像は滋賀県湖北地方の菅浦の集落。2番目は滋賀県湖西地方、そして3番眼は同じく高島市新旭町針江地区のかばたという設え。かばたは比良山系の伏流水が各民家で湧き出るので飲料水や炊事に使用している。そんな水路がこの集落に設けられている。その利用の仕方も見事で、飲料水の他炊事や食器の洗い物にも利用している。画面の水の仕切り方がそれを示している。そしてご飯粒等ののこりは鯉のエサとなる。
 日本の集落を訪ねれば、その土地固有の風土との関わり方がある。それは長い暮らしの中で自然環境と向き合いながら形成されてきた了解の姿である。それが暮らしぶりや民家の形態、さらには集落形成の基本となっている。風土的了解の姿を探るというのは、こうした古来からの民家をみてゆく視座といってよい。
 風土的了解の姿があるからこそ、長い風雪に耐えて今に生き続けている。それを思えば現代では、河川が増水すると浸水や水没をしたり、山崩れに遭遇したりと自然災害に遭遇する民家が多い。何故それが多いかといえば風土的了解の姿を無視して建設されているからである。水の出そうな土地、山崩れがある土地など、そんなところに昔の人は民家など建てなかった。
 そしてとうてい民家など建たないはずの山の急傾斜地に古来からの集落が存続し続けている。何故だろうか。そこには風土的了解の姿があるからこそ、このような土地でも集落が長く生きてこられた。民家をみてゆく視座とは、その風土的了解の姿を探ることにある。


徳島県三好市東祖谷山村落合(伝統的建造物群保存地区)

Fuji FinepixS5,AFNikkor24-70mm/F3.5-5.6
Olympus EM-1.
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

エッセイ928.過去ログから 名古屋・大学の建築実習室

2025年08月06日 | field work









 名古屋の風景といったら、私が勤務していた大学の建築実習室だろう。将来WEBデザイナーや映像作家、建築分野を目指す学生はいくつかの実習室で制作をおこなう。そのため12月から締め切り日までの2ヶ月近くは各実習室を24時間開放している。全国建築系大学では、どこでも同様の風景がみられるはずだ。因みに論文だけの学生も一定数おり、制作前に論文発表会がおこなわれてきた。
 学生達が制作テーマを提出したら教員はあとはしらねぇーよ!、といって関知しない。学生達自らが制作方法を決めそのためのスタッフを下級生から多数呼び集め作業の指示をだしてゆく。下級生を呼びこむこと卒業制作の方法が受け継がれてゆく。そして自分のことは自分で決めろというのが我が校のスタンスだ。
 24時間体制だから、学生達が下級生のスタッフの分も含めて食事をつくる。おおっ!、鯛飯ではないか。リッチだなあと思っていると別のテーブルではおかずが見えない!!。
 そんな粗食では可哀想だ。私はこの時期、毎年作業をする学生達に米を10kg単位で寄贈した。多い年では30kg消費した。教員が米を寄贈するなんて話は全国の大学でも聞かない。ちなみに私の研究室には炊飯器も電子レンジも冷蔵庫もあった。
 当然学生達の多くは泊まり込みであり、なかには泊まり込んでインフルエンザにかかり、泊まり込みながら直したという猛者もいた。
 そして講評会という卒業試験が催される。学生達は共同でつくりあげた模型を持込、パネルとともにプレゼンテーションをおこない各先生達から厳しい指摘をうける。
 そして最後は外部の展示施設を借りて合格作品の制作展を公開する。これも学生達が自分達で陳列をおこなうなど準備をする。
 学生達がテーマを決め制作し試験を受け外部展示に至るプロセスは、例年ブログラム化されており、そして教員は講評以外には口をださない。
 このようにして一つの目標に向かって多数の学生達がコミュニケーションしながら、同じ釜の飯をたべつつ、制作に没頭する時間を経験すれば、この先社会に出ても何でも出来るさと私は考えている。工学系固有の実務的教育方法である。

iPhon13pro
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

エッセイ929.過去ログから 京都・祇園祭撮影ポイント

2025年08月06日 | field work




 京都は、私が住んでいる街なのでブログでも1000回以上アップさせているから選ぶのも大変面倒だ。そんな労力はしたくないので祇園祭でもアップしておこう。いずれも過去ログやYouTubeでアップさせた。
 山鉾は御池通を左折する。かってはその曲がり際の通りの中央に脚立を建てると格好の撮影ポイントになり祇園祭が一望でき背後は東山だ。だから撮り放題のポイントだった。
 だからお稚児さんが長刀鉾を降りる場面なども撮影し放題だった。ちなみにお稚児さんが乗っているときは八坂神社の宗教行事。お稚児さんが降りると遊びとなり、祭り囃子のテンポが異なるという話を京都人から聞いた。
 今はそんな撮影ポイントも熱中症搬送の救急車が停車し、車の出入りのために警察官が常駐している。それだけ祭の参加者も増え、関係者の対応が社会的に問われる時代になった。つまり世知辛い祭になってきたといえる。当然撮影ポイントは限られ大概は報道関係者のスペースになっている。とはいっても祇園祭を生中継しているのは地元放送局ぐらいだ。それにしては実に沢山の報道関係者は何だろろうね?。仕事がなくて暇なのだろう。祇園祭を取材にゆくといったら今の時代では窓際族か退職間際のカメラマンの仕事だろうと推測。
 だからこの画像で揚げた撮影ポイントもすでに撮影不可である。だから私的には地元の祭も次第に魅力を欠いている。次第に地域性を離れ祭というよりはセレモニーのようだ。
 昨年は長刀鉾の正面をとらえる撮影ポイントがあいていた。祭開始のしめ縄を切る場が撮影できた。ここも直ぐに場所とり合戦にされるだろう。次第に私の関心から遠ざかる祇園祭である。ああっ、お祭りをやってはりますなぁー・・・、といって商いに精をだすのが京都人だろう。祭を見るではなく感じられればそれでよろしいというわけだ。私もそうなりつつある。



2024年祇園祭
EOS40D,EF100-400mm/F3.5-5.6
SONY FX30,F4/PZ 18-105mm/f4.0G OSS
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

エッセイ927.過去ログから 筑波・博士論文を書いていた頃

2025年08月05日 | field work






 筑波大学には、学部、修士、研究員と間をおいて3回通った。トップ画像の下から筑波山に向かって緑のなかに見え隠れしているのが筑波大学だ。森の大学と言われるほど緑地が建物を囲っている。
 不思議な事に研究室の画像がない。自分の活動を客観的に記録するという姿勢がなかったのだろう。やはり私はフォトグラファー向きではない。だから博士論文の執筆に没頭していたのだろう。手元に残された画像は、自転車で大学周辺を、ローライを持って徘徊したときのものが僅かにあった。
 大学の周辺は農家である。そんな農家を訪ね歩くのが面白かった。そんな農家のなかを徘徊すれば被写体は山のようにある。しかも機材は東ドイツ製のローライ・オプトンで申し分ない。今振り返ればもっと数多く訪れるべきだったと後悔しているが、研究室の勤勉と怠惰の極端な刺激ある暮らしで、撮影の方は忘れてしまった。昔の教訓で目的は一つに絞れ・・・、ではなく、その場で興味をもっことは全て追いかけるべきだ、というのが私の教訓になった。
 今頃悟っても遅いのだが、博士論文を書くというテンションを撮影にも拡大して、写真を撮っていれば個展が開けるほどのストックが出来た。これだけのモチーフがあって実に惜しいことをした。やはりそのときの勢いというものがある。それは研究オンリーだけではなく、分野を問わず関心がある物事をドンドン追求し広げててゆくべきだというのが、今の私のポリシーである。
 もっとも研究目的オンリー暮らしのおかげで博士号が取得できたが。
 田舎道を自転車で走り回っていたら、マイケル・グレイブスの建築に遭遇した。田んぼの中にアメリカ・ボストモダンですかぁー・・・。

ローライ・オプトン,テッサー75mm/F3.5.トライX,ヴェルビア,トライX.
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

エッセイ926.過去ログから 湘南・鎌倉高校前の海岸で

2025年08月04日 | field work




 当時橫濱の自宅から湘南電車と江ノ電を乗り継ぎ1時間もあれば鎌倉高校前のこじき浜にゆける。
 目的はサーフィンを撮影するためだ。特に8月から9月の台風シーズンは波が高く、台風情報を調べながら神奈川県の沖合を台風が通過したら即嵐のなかを湘南海岸に向かったこともある。仕事の合間の午後3時、仕事を放り出して家を出発するのがいつものスタイルであり、海の空気を吸いながらの撮影は気分転換になり、海岸を引き上げるときに七里ヶ浜のファーストフードで夕陽を見送りながらの珈琲が定番コースだった。
 連写ができるボディと400mmクラスの超望遠レンズと三脚があればよく、波と人間とがつくりだす風景は、予測できない偶然の産物だから興味深い。結構かっこよい画像も撮影したし、本人に差し上げたいと考えたがコミュニケーションがなかった。
 そんな中で私が好きな画像を以下にあげておく。鎌倉高校テニス部の生徒達だろう。全員の表情がとても素晴らしい。若いっていいなと羨ましく思ったし、人間はいつもこうありたいと教えられたし、彼らから元気をもらった。


CanonEOS40D,EF100-400mm/F3.5-5.6L
NikonF4,1000mm/F10,プロビア400.
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

エッセイ925.過去ログから 橫濱・よどんだ空気の西口

2025年08月03日 | field work



 当時東京が過密でアパートの家賃が高いから、若い人達は押し出されるように橫濱に移り住んだ。それだけに居住年齢も若く人口増大を続けていた。私も押し出され組である。
 横浜駅西口の雑踏を歩くとと、若い街であることは物欲や金銭欲や出世欲や性欲といった多彩な欲望がよどんで貯まりきった空気を感じていた。それは社会が若い元気な街という認識の様相といったらよいか。
 橫濱に移り住んだ頃から、それまで中座していた写真を取り始めた。そのために橫濱の街歩きをはじめたが、歩く範囲はウォーターフロント沿いから山の手あたりまでだったから比較的限られていた。明治の頃に形成された旧市街地といったらよいだろうか。だからいつも同じ場所にでかける事が多かった。
 筑波大の研究室で博士論文を執筆するためにデスクを並べていたU氏のすすめで調達したライカM4Pにエルマリート28mmを頻繁に持ち出していた。そのままこの機材を使い回していれば優れた写真も撮れただろうけど、その後私は機材フェチに転じ様々な機材を調達したりもらったりもした。それも多彩な欲望がよどんだ橫濱の空気の影響だったのかもしれない。

LeitzM4P,Elmarit28mm/F2.8,トライX
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする