Creator's Blog,record of the Designer's thinking

フィールドワークの映像、ドローイングとマーケティング手法を用いた小説、エッセイで、撮り、描き、書いてます。

エッセイ693. トライシクルの叔父さん

2024年02月29日 | field work

 嫁のアパートに入り浸っていると早速親戚の叔父さんがやってきた。翌日セブンイレブンまで歩いて行くと街でまた偶然叔父さんのトライシクルに遭遇した。暑いから乗ってゆけというわけだ。買い物を済ませて叔父さんのトライシクルで家に送ってもらった。そしたら夕飯を食べにまたまた嫁のアパートにやった来た。
 そうだ、叔父さんのトライシクルでブラカンのフィールドにゆけばよいか。そんな相談を叔父さんとしていたら、早速15カ所ほどの地名を書いてくれた。2時間で1,000ペソならよい仕事だろう。そんなわけで翌日から朝早い涼しい時間帯に叔父さんのトライシクルでブラカンの田舎を回ることになった。念願のフィールドワークができることになった。田園地帯へ、農園へ、そして海沿いの集落へとブラカンの面白いところを案内してくれた。そのときの画像はすでにYouTubeで多数アップさせている。
 叔父さんには、後日談がある。時折私の嫁の家に家事の世話でやってくる叔母さんがいる。ホテルに勤めているから料理は上手であり、プールや山のコテージ、あるいはマニラのホテルに出かける時は、鍋釜食材を持参して沢山のフィリピン料理をつくってくれる。だから私達は、料理人付きの旅をしていたことになる。
 その叔母さんと叔父さんがラブラブになったのだ。素晴らしいじゃんと思いつつ。そうか、叔父さんは叔母さんに会いたくて私の嫁のアパートにやってきたのだ。
 以来叔父さんは、叔母さんと一緒になり、叔母さんの料理で定食屋を開業し、そして私はトライシクルでフィールドにゆかなくなった。

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エッセイ692. フィリピンの生活に巻き込まれていった

2024年02月28日 | field work

 フィリピンは随分早い時期に渡航制限が解除された。関西空港では税関から用紙を渡され「この時期の渡航はお勧め出来ませんが、帰国時にはPCR検査証明書が必要です」と書かれてあった。
 日本からフィリピンへゆくエアラインは、いつも深夜にマニラに着く。スマホに着いたとするチャットをいれてカフェにいたら、嫁と親族達が大挙してレンタカーでやってきた。もちろん3年前にあったオジさん夫婦もいたが、大多数は私の知らない子供達や親戚ばかりだ。途中のジョリビーで親族達と会食会だった。そのときの初めて会ったときの子供達の正直な表情が面白い。
「えっ、日本から来たのってこのオジさん!?」
「ぶふっ!、わらっちゃう!!」
「人違いじゃないの!!!」
・・・
 これまでのフィールドワークで私の図々しい根性は形成されていたから、人間が始めて会うときはそんなものだろうと、こちらも平然としていた。
 やがて三日もすれば、親族15人が食材や飲み物を携えてレジャープールで大懇親会だった。以後嫁のアパートには、いつも誰かがいるフィリピンの生活に戻っていった。そして河川がオーバーフローしたときは、川辺の子供達が嫁のアパートに避難してくるのがあたり前になった。それはそれで良い風景だと思って私は見ている。



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エッセイ691. うちの嫁

2024年02月27日 | field work
 
 今では古い話に属するが、私の大学時代の同窓生の彫刻屋のオカンがフィリピーナだから里帰りするときについていったことから始めよう。それはフィールドワーク目的であり、フィリピンのリアルな生活が体験出来る良い機会だった。それにブラカンに友達ができたのも、よい体験だった。これこそがフィールドワークの醍醐味である。
 コロナ過で世界的に渡航制限がはじまった頃、彫刻屋のオカンから「この娘少し面倒見てあげてよ」とブラカンのギャルを紹介された。それに友人のオカンの家の前に住むローウェルからは「処女ですよ」と尋ねもしないのに売りこんできた。つまり25歳はフィリピンでは歳もいってるし、余っているからかたづけたいらしい。
 こちらの気分としては19世紀フランスの画家ゴーギャンみたいだ。ゴーギャンの作品には、「いつ結婚するの」があり、タヒチの女達から慕われていたことがうかがえる。しかし私としては、ゴーギャンみたいなライフスタイルも面白いかもしれないと考えた。
 そうしているうちに当人からチャットが来た。それが今の嫁である。
 嫁は既に両親を亡くしているからオジさんのところに預けられつつ、小屋のような質素なアパートに住み、印刷工場でバイトをして細々と暮らしてる子供好きの25歳のギャルだった。
 数回チャットを続けていると、「土地が欲しい、家が欲しい、ベイビーが欲しい、だから結婚して!」。そらきたおねだりのラッシュが。当時の画像をみたら男かよ!。ゴーギャンの絵画に登場するタヒチの女達と大差ない。
 まあ男みたいな女だけど、超ボロい自転車で通勤するのも限界みたいだからホンダのバイクでも与えよう。そんなわけで嫁はコロナ過に赤いホンダのバイクを乗り回し、息をひそめて暮らしていた地元の人間達を驚かす結果になったが、私と相性がよかった。この男みたいなギャルとフィーリングが合っていたこと自体が不思議な出会いだった。
 やがて小屋のような彼女の住処は水害に遭い、少し高台のアパートに引っ越しをさせて私が面倒をみることになった。その後バイクで事故ったりと一連の経験を積みながら、髪型を整え化粧をしだしたら。あら!!、こんな綺麗な女の子だったの!!!。
 それはイソップ物語の黒いアヒルの子だった。私は黒いアヒルでもいいよといって磨いたら、それは白鳥だった。ふぅーーん人生、いや女とは、そんなもんですか。
 今月のエッセイは、嫁にまつわる話しを書いてみよう。

今の嫁の画像
コメント (3)
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エッセイ690. どこまで近づけるか!

2024年02月26日 | field work







 知らない人間達にレンズを向けて、どこまで近寄れるか?。
 それは自分の知識と意識の戦いである。そんなに接近したら悪いじゃん、嫌らしい人間に見られて警察でも呼ばれるかな、第一知らない人を撮っていいの?。そんなことを考えていたら撮れない。
 街の時間の流れを記録するフィールドワーカーだと言い張れるアイデンティティがこちらには必要になる。それが支えになって堂々と撮る。文句を言われたら弁明すれば良い。撮っちまえば勝ちなんだ。そうして撮ってみたら、その時代の空気がある。平和な国で人間が写真になるのは20代か、あるいは余程の年寄りだけである。だからこの時は若い世代にこだわっていたのだろう。
 実際街を歩いていていて、撮った画像を見せてくださいと地味な女に言われたことがある。そういう人は少し前から私を観察していて信号待ちで止まった機会を捉えていっていいがかりをつけてくる。だから私も民家の写った画像をみせた。そしたら恐縮して「本でもだすんですか?」と話題を変えてくる。だから私は「こうした画像をあと10万枚ぐらい撮ったら本にするかもしれない」と返事した。それで終わりさ。
 クリエイションをしない人達は現象をみて類推する。例えば本にするといったクリエイションには、素材を集めて発酵させ創作してゆく大変長い時間が必要だ。私の本だって研究者として大いに努力した20年以上の活動のキャリアがあって出版できたぐらいだから、それが税別2,500円で購入できる。努力もしないで物事を簡単に言わないで欲しいな。
 クリエイションをしない人達には、そんな事情は全くわからないだろう。今、物事を簡単に考えて努力しない人達が世間には圧倒的に多くなり、そんな社会傾向が最近加速している。そんなに簡単に言うなら、おまえ自分でやってみろよ!、これが私の捨て台詞だ。
 画像のクレジットをみたら、レチナⅢcだって。こんな距離計の曖昧な機材でよく撮った。それに人に近寄って撮影したときの背景のボケ方が素晴らしい。あとはペンタックスMEだってさ。どちらも今は私の手元にはない。
注)撮影機材の2枚の画像はWikpediaから引用した。

渋谷(1996年)
トップ画像.RetinaⅢc,Schneider-Kreuznach,Xenon50mm/F2.0
2,4.PentaxME,Supertakumar120mm/F2.8
3.5.6.RetinaⅢc,Schneider-Kreuznach,Xenon50mm/F2.0
トライX.

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エッセイ689. 冬の京都のプロモーションにのって

2024年02月25日 | field work



 かって冬の京都が話題になった。
 今でも端境期である冬の京都を堪能しに観光客が来る。これは広告代理店の戦略勝ちである。観光客が来ない端境期があるのは日本の観光地の宿命だ。それをプロモーションで観光客を呼び寄せたいというのは観光地の人間達にとって悲願と言えよう。
 1996年、名古屋の大学へ赴任した年に私もプロモーションにもろにのって、冬の京都の徘徊を繰り返していた。今考えるとそんなのが簡単に撮れるとは思われないけど。
 それに手元にライツレンズが付けられるマウントを持ち、1/4000の高速シャッター、絞り優先AE、自動巻き上げのレンジファィンダー機材ConicaのHexerRF(注)があった。ついに当時ライカの悩ましい点を克服してくれた機材が登場した。それはミノルタCLE以来の出来事だった。満を持して登場した機材だが、すでにデジタル興隆の頃であり商品開発はあまりにも遅すぎた。中古市場での人気は高そうだが・・・。
 そのHexierRFのホディからライツの明鏡玉ズミクロン35mm8枚玉を高瀬川に落として拾いにいった経験があった。私と相性の悪い悪いボディは、早々に人にあげてしまった。だが大変優れたフィルム機材であっことは記しておこう。
 ライツマウントのカメラとしては完成形とも言えるのだが、何故か好きになれなかった。だから差し上げてしまった。ボディがライツと同じ大きさというのが張りぼてのように思われ、好感が持てなかった。いまでもミノルタCLEの価値を継承するといえばSONYα6000位だろう。小さく軽く高性、それがこの機材に求められる仕様だと思われる。
 さて寒波が来ると豪雪日本海側と異なり、冬の京都は晴天日が続く。つまり日本海側が豪雪になるほど太平洋側は暖冬というわけだ。寒いところはより寒く、太平洋側はより温かくといったように、両極のレンジが極端な方向へ広がったんだろう。


注)KONICA TECHNICAL REPORT VOL. 13(2000):Hexar RFの開発,吉 間 睦 仁* 鈴 木 和 彦* 大 田 耕 平

京都祇園(1996年)
HexerRF,Leitz Elmarit28mm/F2.8,プラスX.
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エッセイ688. お調子者のChatGPT

2024年02月24日 | field work

  時折フィルム機材を抱えた人間達をすり抜ける。外国人なら、どうせお前の国はフィルムしかないんだろう!、とタカをくくれるが、どうもそうではないらしい。
 そのフィルムカメラが見直されている根拠をChatGPTに尋ねた。
GPT「フィルムカメラに対する興味が再燃する傾向があることは、一部の写真愛好者やアーティストは、アナログ写真の魅力や手作業のプロセスに魅了され、フィルムカメラを再評価しているという報告があります。」
それはどんな報告ですか?
GPT「報告があるという表現は誤りでした。」
おいおい!、おまえは報告書があるといったじゃん!。
ナンダよ。いい加減な奴だな。
またまた予想通りの回答だった。
お調子者のChatGPTである。
 しかしフィルムによる画像は、ピントが合ったところはビリっとしていたり、背景が綺麗にボケていたり、粒子のある固有の画面だったりと、フィルムならではの画像であることは理解している。ただし私はそこまで努力する意志も必要性もない。
 このブログでも、表現ツールの一つとして存在するということを、版画技法のアクアチントの話しを引き合いに出しながら書いた。
 フィルム画像は被写体を選ぶんですね。フィルム画像の方がよい場合もある。このブログでも小樽のフィールドワークで雪の夜のフィルム画像を紹介した。だが最近そんな被写体が少なくなり、どちらかといえばアーティスティックな表現だろうなと想像しているが・・・。

トップ画像の機材は、左からキャノン6L1958年(ただしもらい物)、ホディ付属のレンズは、ライツ・ズマロン35mm/F3.5は1955年〜1963年に制作された。私は35,000円で銀座のスキヤカメラで調達した。最近これが復活、定価451,000円。オオッ!。それからキャノンの標準レンズはホディと一緒の物。ライツ・エルマー90mm/F4.0(今でも15,000円〜35,000円)それにローライフレックス(1950年頃)、35,000円で銀座三共カメラで調達。
2枚目の画像はキャノン6L,ライツ・ズマロン35mm/F3.5,トライX,東京江古田.
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エッセイ687. 難問にこたえた学生作品

2024年02月23日 | field work

 大学を退職する4年前に、4年生の消化授業を受け持たされた。学生達は既に必要単位を修得しているし、こんな授業にこないでしょう。就職活動もあるしさ・・・。そう思っていたら結構私の実習の受講者がいるではないか。
 そこでパリの三大美術館を3DCG制作させることにした。最初は図面がしっかりしているオルセーだな、次はルーブル、最後はポンピドォー。あと1年あるか。そこで手元に図面があったオペラ座を出題した。これ難しいぜ・・・。
 画像は、見事難問に答えた学生の3DCG作品。オペラ座の客席だ。本人は実物は見ていないだろう。WEB上で得られる画像からリアリティを参照したようだ。だからすごい緻密な作り方だ。シャンデリアなどは一つ一つの電球に3DCGの光源をいれてある。だから室内の空気もボワッとした古い建築の空気を漂わせている。
 今の学生達は、小さいときからゲームに始まりコンピュータに手慣れている。だから建築を勉強してくれば緻密な3DCGも、面白がってつくりあげてしまう。そういう世代だ。
 今日は、226事件で若い将校が反乱を起こした日だった。

画像:学生作品
 
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エッセイ686. 回顧

2024年02月22日 | field work

 トップ画像はかっての私のフィールド機材。オリンパスEM-1mark2に17mmのレンズが付いている。今はすべて手元にない。この画像を引っ張り出したのは、このブログアクセス解析にあるブロガー達がアクセスしたページが興味深かったからだ。私が書いた2007年からのブログにアクセスがあったとする表示だが、自分でも過去に何を書いたを忘れているので、そうした回顧が面白い。
 先日「番外編362. 二眼レフを中心にしたシステム、2018年05月21日 | Photographic Equipment」が表示されていた。
・・・
●二眼レフ:Rolleiflex、Zeiss Opton Tessar75mm/F3.5、
●オリンパスE-M1Mark2
●レンズ:M.ZUIKO DG 17mm/F1.8、LEITZ TELE-ELMARIT90mm/F2.8
・・・
 私は撮影機材はシステムで構成するという考え方だから、フィールドワークでは、広角・マクロ、標準、望遠(マイクロフォーサーズは焦点距離2倍だから望遠180mm、デジタルマクロを使うと300mm、F2.8のサンニッパ!)。全ての重さは2kg程度の少し威張りたくなるシステム。
 惜しむらくは標準ローライがプラナー付きだと今でも少しだけ関心がある!?。6×6サイズネガデュープは手元に専用装置がなくデュープしずらかった。今でもEPSONスキャナーと読込ソフトSilverFastを使えば出来そうだということがYouTubeで説明されている。かってのEPSONプリンターには、ネガキャリアが附属していたがも今はどうだろうか。それよりEPSONは、Macと相性が悪いので私は使いませんが。そのEPSONは、かってappleのPCを製造販売していた。
 最近ローライがインスタントカメラを発売したが、チェキと一緒のインスタントフィルム機材であり玩具に等しくフィールドでは使えない。プラナー付ローライ中古は美品で57万と今でもご立派な値段。そんな静止画の使い道はブログぐらいしかない。ならばiPhonでいいじゃんとなり、ここは気分だけでお終いとなる。
 映像が撮れないとか、飽きたといった気分になったら、そんな機材を集めてフィールドに出かたいが、そんなフィールドを思いつかない。
 それしても名誉教授の座右の名所が「注:日沖宗弘:プロ並みに撮る写真術2.-一人で仕事をする研究者・ライターのために、勁草書房、1993年」だから自分でも笑える。座右の名書とは、そんなもんでしょう。
 トップ画像はダイビングで訪れた沖縄旭橋東横インで撮影した。このホテルはその後コロナ病棟になったことも回顧の1つ。


再録:番外編362. 二眼レフを中心にしたシステム、2018年05月21日 
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エッセイ685. 関空アクセス

2024年02月21日 | field work


 関西人が海外へ行くときは、全て関西空港(関空)から飛び立つ。従って関空アクセスに関心が及ぶ。京都からでも関空なのだから、首都圏の住民が成田は遠いというのと一緒だ。
 京都からの関空アクセス方法に3種類ある。
 速達なのはJR特急はるかで京都からゆくと1時間10分ぐらいで第1ターミナルに到着する。最速最高値である。
 2番目は阪急、大阪市営地下鉄、南海と乗り継いで第1ターミナルへゆく方法だ。これはタップリ2時間以上かかり、最近では通しの切符の販売も終了しているが運賃は1600円と一番安い。どちらかといえば大阪人にとって便利であり、京都人にはあまり恩恵が少ない。
 第3は京都駅南口AVANTIAの前からリムジンバスでゆく方法である。バスは第2ターミナルまでゆき、運賃片道2600円。往復のまとめ買いだと2週間以内と使用制限があるが2300円と比較的リーズナブルだ。何よりも確実に座れるし所要時間も1時間30分と早いから寝てゆけるわけだ。国内線専用第2ターミナルへ行くときはこれが一番早い。
 11月に関空までリムジンバスで見送りにゆき、さて帰りはバスの往復切符ではなかったのでICカードで入れる私鉄で帰ることにした。ICカードを使わないと切符売り場は海外からのビジター達で混雑しているからだ。
 いやはやこれが所要時間が2時間10〜20分と時間がかかること。南海天下茶屋に乗り入れている阪急京都河原町行きに乗れるのは便利だが、阪急線にはいると準急となり、これに乗る人も少なく車内は寒々としている。足下が冷えるのでついに長岡京で特急に乗り換えた。実際は高槻で特急に接続している。もちろん京都烏丸につくのは大変心地よいが、これならリムジンバスの往復チケットを買っておけば良かったと、いつもこの私鉄に乗って後悔する場面である。もちろん国内線第2ターミナルからなら迷わずバスだ。
 話題は変わるが、飛行機のチェックインの列に並んでいるとフィリピン人の荷物の多い事。飛行機会社の制限なんかはるかに超えており、そのあたりの自由なところがフィリピンだ。つまり金次第というわけだ。一体何が入っているんだろうか。日清シーフードヌードルの1カートンかよ。どうみても高価な商品とは言いがたい。なかには壊れ物と書かれた複数の大きな段ボールを持ち込み、ついには税関職員も登場しセブ・エアの事務員とビジターの3者で相談している。どうせ金次第で解決するだろうけど、こちらは大いにまたされるだけだ。
 世界共通現象としてエアラインのチェックインは大変時間がかかる。もちろんオンラインチェックインもあるが所要時間は一緒。なにあれ!?。どうせ仕事は一緒なのだからチェックインの職員なんか全エアライン共通にすれば良いのに。
 次に手荷物検査の入口をみたら、また長蛇の列だ。既に関空の機能はパンクしている。12月だったらクリスマス帰省があるからもっと混むことは必須だ。
 私の気分としては、チェックインや手荷物検査ぐらいススッといって欲しい。並ばずに入れたのはEUから出国するときのフィンランドの空港ぐらいだ。海外との往復は、今も相変わらず何処の国でも待たされる。それは世界的に遅れている現象だ。ただし仮にススット入れても通関後の関空エリアには食べるところがないのよね。あれが悩みだよね。

追記
 2023年12月には、関空もリニューアルされ新たな飲食施設ができたみたい。セキュリティ✓後は、あらっ!、免税店だけ?。それいつもと同じです。さてカフェは!?。ご飯食べられないの!?。えてして機内食ってまずいから、食べて乗り込みたいし、それが無理なら空弁でもよいのだけど・・・。
iPhomn13pro
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エッセイ684. 我田引水の食文化海外普及戦略

2024年02月20日 | field work

 トップ画像は随分前から農林水産省が進めている「日本食・食文化の海外普及戦略」の政策を示した概念図(注)。もちろん今もこの政策は続けられている。
 この報告書を読むと、日本の料理は美味しいとする海外の評価があるようだ。それは本当だろうか?。一部の外国人が評価しているだけではないですか?。
 というのも日本人は、なんでも食べるから味覚の感覚的なレンジが外国人より広いだけではなかろうか?。
 例えばお弁当屋さんにゆくと鮭がある。塩鮭でなくても外国人には辛いと評価されるだろう。えてしてお弁当は保存のために塩をよく使う。例え柿安の鮭でも辛いとする外国人はいる。味覚は食生活習慣の影響もあるから、多くの外国人にとって日本食が必ずしも美味しく感じるとは限らない。
 要は舌の味覚を感じるレンジの幅が国によって違うという事だろう。日本人は雑食だから、なんでも美味しいと感じるかもしれないが、外国人によっては必ずしもそうではないということだ。
 だから日本食が世界の料理の中でもとりわけ美味しいというのは、少し我田引水の部分がある。
 世界の何処でも美味しいと思われるのは中華料理だ。世界の大都市には華僑中国人が経営する中華街がある。中国料理をその国の人間の味覚に合わせて調理しているから地元民からは受け入れられている。日本料理もその国の人間達の味覚に合わせて調理されてこそ、日本食・食文化の海外普及戦略だと思われる。だかそんなことは報告書にはかかれていなかった。一番重要なことであろう。
 食も海外普及に熱心な余り、果実などは日本人がたべられないぐらい高価になった。昨年は、桃とか梨や葡萄は食べた記憶がない。どうせ価格が下がるさと思っていたら、いつのまにか商品が市場から消えていた。中国が日本食材輸入禁止なんだからそんなに海外志向で高級化しても売れないじゃん。それでいて高すぎて日本人は食べられないという構造はおかしいと思うけど・・・。
 1つ海外で成功事例ができるとみんなそこへ突入する。だから桃なんか超高くなった。日本人の食を満たす方が先だと思うけどなーー。

注)農林水産省:日本食・食文化の海外普及戦略、平成26年10月。
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エッセイ683..  六角通り

2024年02月19日 | field work





 秋の都心の紅葉が始まる前に新町病院の耳鼻咽頭科へでかけた。病気ではなくいびきを改善しようとう殊勝な考えからだった。新町病院の正面が民家が並ぶ六角通りだ。比較的古民家が残っていることもあり、私好みのストリートだ。
 少し東にゆくと安八百屋叶屋がある。京野菜がスーパーより安い。民家沿いに歩くとビルの狭間に、この通り名の由来である六角堂がある。道行く商人が頭を下げてゆくなど、今も京都人の信仰のよりどころとなる寺院だから訪れる人も多い。隣の池坊のビルに上がれるので、境内を上から望むこともできる。さらに東に進むと老舗が点在し、典雅文具の嵩山堂はし本を越すと寺町通りだ。ここは随分前に牽引してきた社長が亡くなりインハウスデザイナー達はどうしたのだろうか。六角通りは河原町まで続いている。
 さてスーパーの八百一の近くまできたが、最近ここは元気がないからパスしよう。だってさっきの叶屋の方が安いしさ。ならば東洞院通りを下って大丸にゆこうか。
 この中京区あたりも面白いところだけど、ビデオ撮影をするにのは、民家ばかりで自然の変化が少なく撮影素材に乏しい。六角通りを折れて御射山公園まで来たら銀杏が色づいてきた。来週は京都市内の紅葉も見頃になるだろう。
 冬の気配濃厚な京都のシティスケープだった。毎年思うが、季節の変わり目が心地よい。これが真冬になると寒いだけで忍耐の二ヶ月間が続く。やだね。

iPhon13pro
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エッセイ682. 鴨と財閥

2024年02月18日 | field work


  11月の初め頃、京都人の常で大阪とは行き来がある。行きは阪急、帰りはヨドバシと中央郵便局に立ち寄るのでJRだ。運賃はJR の方が100円高く所要時間は15分早い。
 どちらの路線も山崎のあたりで、突然田舎の風景になる。それは僅かな一時だが車窓に見入る。関西には、突然こうした異質な風景が展開する経験が多い。つまり周囲が都市化されても、家は農家だから都会のことは知りまへんわ、となる。つまり頑固なのである。その頑固な関西人がいるから、関西に観光客がやってくるしテレビの話題にもなる。
 そうした都市近郊の辺鄙な田舎が住みやすいということを旧財閥達は知っていた。だから彼らの家も同居する。人と同じ事を考えていたら不動産屋の鴨ですわと彼らはいうだろう。その旧財閥系も沢山の鴨で利益を得たけど・・。
 つまり世の中は鴨と旧財閥の2つの構造があった。沢山の鴨がいなければ財閥の形成もなかった。その鴨と財閥の分かれ道は人と同じ考え方をするか、異なる道をゆくかの違いだろう。だから財閥になりたきゃ人と同じライフスタイルをしないことにつきそうだ。
 ただし他人と同じライフスタイルをしないからといって財閥になれるわけではないけど・・・。そんなことを考えているうちに杜の風景は通り過ぎていった。

iPhon13pro
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Fieldwork882.New Year's greetings in Kyoto's entertainment district. HD 720p

2024年02月17日 | field work

 2024年1月5日、私は、宮川町へ出かけた。置屋の主が、芸子、舞子を伴ってお茶屋に挨拶をしてまわる行事だ。私の友達の京都人は、何年か前に逝去した。だから私がここの花街にゆくことはない。お茶屋にゆくのにはひいき筋からの紹介が必要なのである。
 ならば空気だけでも撮っておこう。舞妓さんをアップにしたら悲しそうな顔をしていた。きっと舞子さんになったばかりで気苦労が多いのだろうか・・・。
 それにしてもシニアカメラマンが多い。よくみると何年か前に廃盤にされたCとかNの機種だ。そんな高性能機の中古が今は破格に安い。私も持っているが、叔父さんの証明になってしまうので今は持ち出さない。それに映像が撮れないもん。
 通りすがりのおばはん達の会話が耳に入った「家に籠もっているよりは、カメラかついで少し外を歩いた方がいいのよ!」。なんだみんなおばはん達に健康管理されていたのか。
 それにみんな一群となって撮影している。モチロンその方が邪魔が入らず撮影しやすいことは解るが・・・。なんだろう?、あの暗黙のルールみたいなものは。私はよくわからないから無視した。
 動画は邪魔がはいっても編集でカットするからねぇー。それよりもいろんな邪魔な人間達が横から入り込んできたほうがリアリティがあってよいと思うけど・・・。だから一群の撮影者も映像の被写体だ。
 大晦日に私の機材は、ジンバルから転げ落ちてダメージを食らった。ピントが合わないのでは修理にだすほかない。ならば予備機材だ。こんなとき同じシステムの予備機材があってよかった。ただし予後機材はHDまでしか撮影出来ずバッテリーの持ちが悪い。
 撮影していたら予想通りバッテリー切れ。ならばお腹もすいてきたから帰ろうと機材をしまい込んだ。そうだ!、iPhoneで撮影出来るではないか。最後のカットをiPhoneで撮影した。いつもiPhonがピンチの時に役立つ。ならば最初からこれでいいじゃん。
 iPhonをつつきながらすき焼き定食を食べていたらメールがあった。そうだ!、映像専用機材を注文していた。定食屋を後にし近所のATMで会社の口座から代金の送金を完了した。性能は変わらないけど、手持ちで撮影でき冷却ファンがついているから夏に向けて重宝するだろう。
 今日のブログで2月の予約投稿枠が全部埋まりホッとしている。次は3月、といっても既に半分は執筆ずみ。今も予約投稿が続いている。

Fieldwork882.New Year's greetings in Kyoto's entertainment district. HD 720p
SONYα6000、E18-135mm/F3.5-5.6,iPhon13pro
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Fieldwork881.KYOTO,New Year's Eve 4K

2024年02月16日 | field work

 2023年の大晦日、散歩に出た。すでに陽は沈み、雨が降り、八坂神社の境内が賑わっている。「おけら火」の行事だ。神様の火を縄の先にもらって、消さないように振り回しながら家に持ち帰りかまどに火をつける。そして新年のお雑煮をいただくのである。つまり火除けの伝統行事だ。
 今は、何処の家にもかまどはない。古い伝統に少し寄り添いたい現代人の気分がある。実は神社で売られているおけら火は、八坂神社のお札がつき、ちゃんと縄の先が燃えた跡がある。こちらのほうは家の柱に飾っておける。
 2023年の大晦日、底冷えがするが寒さがない。雨が降り風は冷たく、例年と比較すれば温かいほうだ。7年前、大晦日に雪が降り交通期間が遅延したことがあった。
 そして人出が多いのも今年の特徴だ。もちろん外国人達が多いのだが、ようやくコロナ過を耐えきった安心感があるのだろう。そんな師走の街を走り抜けた。
 石塀小路でジンバルから撮影機材が石畳に転げ落ちた。ジンバルのロックがかかっていなかったのか?。拾い上げたらモニター破損。モニターはピントとリンクしているから合焦できない。そう思って撮影を続けていたらまた落下。今度はレンズのマウントが外れかけている。どうやらジンバルのロックが甘くなってきたようだ。予備機材はHDまでしか撮影出来ない。ならば価格も下がったので新しい機材を調達しよう。2024年、最初の仕事だった。 

Fieldwork881.KYOTO,New Year's Eve 4K
SONYα6600、Vario-TessarE4/16,16-70mmZA OSS T*
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Fieldwork880.京都・師走人達 4K

2024年02月15日 | field work

 今年もあと2日で2023年が終わる頃、散歩に出た。デスクワークが続いたためか足がふらつく。いつもなら静かな古都だが、今年は人出が多く街が賑やかだ。そんな京都の街である。
 西高東低の気圧配置だから、日本海側は大雪。太平洋側は晴天が続きが日本の冬の気候。暖冬といってもそれは太平洋側の話しであって、日本海側は豪雪になる。豪雪、暖冬と気候が過激になってきた。
 とはいいつつ空を見上げれば曇天。夕方の天気は被写体にならない。
 もうお正月が近いから休みの店もあり祇園だって舞妓さん達は里帰りしてお茶屋は休業が多い。そういえば街からベートーヴェン第9の合唱が聞こえなくなった。あるはもう古いのだろうか。私は年末の空気を感じる音楽だと思っている。だから今日は被写体がない散歩だ。
 こういうときは一番目についた被写体で映像を構成しよう。それは着物をきた外国人達である。それを師走人達と呼んでおこう。少なくとも京都の街を賑やかにしてくれる。だから師走の空気が希薄なのだ。それは変化があって良いから好感をもって迎えたい。
 今日も清水さんにあがったら陽は山の際に落ちている。いつも日没が見られない。早く家をでたつもりだったが、参道が混んでいて思うように歩けなかったのが災いした。それだけ外国人が多い。
 正月は、論文の最後の章を完成に近づけなければと目論む。論文締め切りまであと一ヶ月半。それは十分な時間ではないが、夕方の散歩で3,000歩ぐらい歩いただろうか。

Fieldwork880.京都・師走人達 4K
SONYα6600、Vario-TessarE4/16,16-70mmZA OSS T*
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