Creator's Blog,record of the Designer's thinking

フィールドワークの映像、ドローイングとマーケティング手法を用いた小説、エッセイで、撮り、描き、書いてます。

Town Scape 9. 上海-そして年の終わりに

2007年12月29日 | field work
天目湖のプロジェクトは、翌2005年の夏にマスタープランを提出して、私達の手元を離れていった。調度中国は、インフレ抑制政策を始めた頃だったので、このプロジェクトがその後どうなったかについては、私も関知していない。私は、プロジェクトも一期一会だとおもう。
 一期一会とは、「茶会に臨む際は、その機会を一生に一度のものと心得て、主客ともに誠意を尽くせ」とする千家茶会の心得である。プロジェクトも、その後姿形となって私達の前に、現れる場合もあれば、そのまま記憶だけを残して消えてゆく場合もある。プロジェクトを介して、私達が提案書を作成している時こそ、異境の地で環境と人々とを結びつけてくれる。 それまで経験したことのない場面が入れ替わり立ち替わりやってくる。 プロジェクトに関わる人も街もイメージも、そうした時々の場面において創造され、そして輝いている。それが短くても長くても、一期一会の世界である。だから、私は、プロジェクトを行っている、その時々の時間や空気を大切にしたいと思う。それがプロジェクトの魅力なのかもしれない。
 今年の初夏に、私を上海に導いてくれた、写真右端のディレクターK氏が激務による過労で他界した。昨年の暮れ、九州小倉で酒を酌み交わしたのが、最後だった。まさしく一期一会だった。彼の冥福を祈りつつ、年の終わりの言葉とする。
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Town Scape 8. 江蘇省天目湖新鎮

2007年12月28日 | field work
 ディペロッパーの李さんのジャガーで 天目湖の現地調査に行くことにした。上海から南京へ通じる高速道路を、時速150km位で走り続けて3時間半はかかった。
 天目湖の現地は、都市どころか農村地帯であり、将来人口5万人の新鎮(新しい都市)が整備され、新しいTown Scapeが形成されるだろう。ここは日本より緯度が低いので、寒さは多少緩いのだが、あいにく天候が悪く、大陸的な冬の風景が広がり閑散としていた。現地を見ていても、新しい都市のイメージはわかない。
 天目湖周辺の特徴は、年間300万人が訪れる中国AAAクラスの観光地であり点、農産物が比較的豊富な点であり、アグリリゾートという方向位しか可能性はなかった。日本で言えば相模湖とか・・・国定公園以下の水準だろうと推測していた。平坦で景観的特徴がみられない土地なので、ランドスケープ・デザイン手法を多用しながら、魅力ある都市風景を意図的に作り出す構築的方法しかないだろうとおもわれた。それも大陸的なスケールで大雑把に展開してゆくのだろう。
 現地をみていても手かがりはなさそうだと思った。こういう退屈な環境が変わりうるのだという、イメージと期待を持ちつつ、以後の作業は、上海と東京で進めた。
 
Canon EOS3.F3.5-5.6/EF28-135mm.エクタクローム.
Nikon coolscan.
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Town Scape 5. 上海泰康路

2007年12月25日 | field work
「タ・イ・カ・ン・ル・ー」プートン国際空港で待ち合わせていたK氏が、タクシーの運転手に告げた乾いた声が印象に残った。2003年冬都市計画の助言で上海に呼ばれた。泰康路は、人民政府がある上海中心部の南エリアに位置し、黄浦江に近い。泰康路周辺は、上海では盛んに行われている再開発エリアから取り残されたように古い建物が比較的多く残っている。そんな古い建物を改装し、国内外のアーティストやデザイナー達のアトリエやオフィスが数集まっているところでもある。アーティストのアトリエがそのままショップになったようなユニークな店と、昔ながらの店とが混在するなど、街の風景は面白い。
 私の場合、風景の見え方に二通りあると考えている。このブログのビレッジデザインシリーズのように、調査という目的と期待感を持って意識的に見に行った風景と、今回のように他の目的で訪れながら、仕事の折々にたまたま垣間見た風景とである。個人的には、特に風景への期待感を抱かなくてすむ、垣間見える風景の方が意外性があり、印象深い。
 上海が近代の歴史の舞台に登場するのは、1842年の南京条約により開港された頃からだろう。以後上海は、各国領事官や金融機関が集まる極東最大の国際交易都市として大いに発展してゆく。世界各地から様々な利害を持った政治家、外交官、財閥や商人達が集まり、欲望、野望、計略、密偵、既得権益、魑魅魍魎、 権謀術策といった言葉が当てはまりそうな世界的駆け引きの舞台であり魔都だった。時には民族運動やクーデターの舞台となり、また旧日本軍によって爆撃や占領された時期もあり、さらに1978年の改革開放経済のシンボルとして、再び現代史の表舞台に登場するなど、いつもドラスティックな役割を果たしている歴史舞台都市である。
 こうした歴史の中で、この魔都を訪れた人間達が目にした風景は、まさに垣間見た上海であっただろうと思う。そんな垣間見える風景に上海を感じさせてくれる。魔都をもう一つ上げよと言われたら、私はジュネーブをあげる。
 
Canon EOS3.F3.5-5.6/EF28-135mm.エクタクローム.
CanoScan.

Town Scape 6. 上海泰康路
2007年12月26日水曜日
         泰康路の一角にある古い民居群は、おおよそ近代の建築様式であるが、上海最古と伝えられる民居があるなど、比較的歴史はある。こうした中国都市部の古民居と言えば、北京のフートンなどが著名であるが、改革開放以前の中国では、普通にみられた都市の風景である。
 建築は、団地のように規則正しく棟をそろえて配置されているが、民居内を貫く多くの路地は、結構複雑に設えられている。個々の民居が随時増改築をしたために、結果的に路地が複雑化したのだろう。こうした路地は、個々の居住者らが居室空間の延長として、使われている。路地をあるけば、コンビニエンスな店舗があったり、近所づきいの場であったり、出稼ぎ商人が露天を開いていたりと、利用の仕方は様々であ。路地は、泰康路界隈の生活の一部となっている。だが上海には、街区によっては薄汚れた物騒な路地もあり、一概に推奨される空間ではないようだ。そうした路地は、場合によっては再開発の対象とされ、高層アパート群への立て替え事業が行われている。
 上の写真は、比較的清潔で治安の良さそうな路地である。近年こうした路地沿いにヨーロッパ風のカフェテラスができたり、瀟洒な店ができたりと、上海市もこうした路地の魅力を認めたまちづくりを進めているようだ。
 私達が訪れようとしている、上海のデザイン事務所は、古民居群への入り口にあたる路地と泰康路の角地にあった。
 
Canon EOS3.F3.5-5.6/EF28-135mm.エクタクローム.
CanoScan.
 

Town Scape 7. 上海ジアオのオフィス
2007年12月27日木曜日
           5階建ての古いビルの上層階に「ジアオ」(中国読み)のオフィスがあった。オフィスは、デザイン事務所らしく設えられており、日本人を含む10名近いスタッフがいて活気があった。日本の大学に留学経験があるニイさん(上写真中央)が、大半の通訳とサポートをしてくれた。
 調度上海市内の工学系の大学3年生が、3DCGのフォートフォリオをPCで披露していた。こうした事務所に売り込んでくるぐらいだから、自信家であった。よくみると、公共建築物の3DCGのようだ。日本のパース屋の仕事とくらべて遜色ない技術であることはすぐにわかった。「どれぐらいの時間でこの作品を制作したの?」、「1日です!・・高層建築群ならば2日はかかります・・・私早くて上手です!!」。大学3年生で、しかも1日で、これだけの3DCGを制作するのだから、相当に早い。それにアルバイト費は日本の1/10程度だから、安い。こういう仕事は、中国人の方が速くて桁違いに安いとなれば、日本人なんかに依頼するのが馬鹿馬鹿しくなってくるぐらいの出来映えであった。
 そんなあわただしい最中、ディベロッパーの李さんがやってきた。場所は江蘇省天目湖付近の敷地7.9平方キロメートルに、計画人口5万人の新しい都市をつくろうというものであった。李さんがラフ・スケッチをもってきた。なんだ古都の長安や京都の条里制プランではないか・・・意外に簡単な話だが・・・・以後日本と上海、そしてこのジアオの写真にあるデスクとホテルの間を往復しながら、連日朝から晩まで、打ち合わせやプランを作成したりする仕事が続くのである。当然昼と夜は大量の中華料理の攻撃を受けるのだが。こうして出前で新都市のプランニングを行うことになった。特にジアオのニイさんが、すべての仕事のフォローを積極的且つ迅速にしてくれたので、私の仕事が効率よくできた。プランニングに専念できたのは、なによりも彼女のフォローによるところが大きい。おお優秀!!。後に彼女は、日本設計上海支社の総経理(CEO)秘書となったことを聞いた。当然だろうと私は思った。
 線書きの図:最初のマスタープランは、あるとき明日までデザインが欲しいと李さんがいうので、ジアオから紙質のあまりよくないトレペと鉛筆を借りて、ホテルの暗い照明の中で、夜なべ仕事で私が書いたもので、無数にある湖沼を運河などの水系で結んだ、最初の頃の総合計画図のスケッチである。以後この新都市空間の基本形となっていった。
 中国人学生の3DCGも早いが、人口5万人の都市の骨格プランを一晩で決断して描く私の方法だって、彼らに劣らず早いほうだろう。日本の場合だったら持ち帰って、専門家らとあれこれと三ヶ月位は協議するといった具合に、実にくだらない時間を浪費するところだが、ここではバサバサと一人で決断できる。こうした上海でのスピーディーな仕事は、個人的には結構楽しかった。
 このプロジェクトの総合計画の内容に関しては、既に別書(注)で述べているので略す。
 

三上訓顯: 海外プロジェクトにおける地域計画&デザインスクリプト-中華人民共和国江蘇省リーヤン市天目湖新鎮総合計画策定ワーキングを事例とする, 芸術工学への誘い10, p146-181, 岐阜新聞社, 2006.
 
Canon EOS3.F3.5-5.6/EF28-135mm.エクタクローム.
CanoScan.
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Town Scape 4. ニューヨーク5番街のSW

2007年12月22日 | field work
続き 
 ウィキペディアでサンタクロース物語を調べてみた。
「ある日ニコラウスは、貧しさのあまり、三人の娘を嫁がせることが出来ない家の存在を知った。ニコラウスは真夜中にその家を訪れ、屋根の上にある煙突から金貨を投げ入れる。このとき暖炉には靴下が下げられていたため、金貨は靴下の中に入っていたという。この金貨のおかげで娘の身売りを避けられた」という逸話が残されている。靴下の中にプレゼントを入れる風習も、ここから来ている。その後、1822年にニューヨークの神学者クレメント・クラーク・ムーアが病身の子供のために作った詩「聖ニコラウスの訪問」がきっかけとなり、このサンタクロース物語は全米中に広まった。
 クリスマスの基本には、キリスト教正教会の博愛精神がある。ある人にとって何かをすることによって、一つ不幸が消え、一つ幸せが生まれる。そうしたある人にとっての何かが、プレゼント本来の意味だと私は思う。人の幸不幸を思いやること程、難しいことはない。それにしても、この時期日本のティファニー・ショップに行くと、若いカップルが群れをなしている光景をみかける。一つ幸せ気分が生まれ、後には大いに散在させられた不幸 (笑) が残る気分とは、少し違うことは確かである。
 5番街のショーウィンドーをみていると、博愛精神を重んずる国らしく、ほのほのとしたストーリー性あるディスプレイは、心豊かな気分にさせてくれる。日頃忘れていた感性や精神を思い起こさせてもくれる。これこそ、クリスマスに相応しい、街行く人達への最高のプレゼントだと思った。クリスマスの本質をさりげなく語る、上手な表現だなぁー、とため息が出た。
 
1990年代
OLYMPUS XA-4,F3.5/28mm,エクタクローム400
CanoScan9950F
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Town Scape 3. ニューヨーク5番街のSW

2007年12月21日 | field work
         毎年クリスマス時期に、ロックフェラーセンタービル前に、 大きなクリスマスツリーが運ばれる。ニューヨークの風物詩として世界にも紹介されている。このビルを背に5番街の通りへ向かうと、調度このビルと対面するような位置にこのSW(ショーウィンドー)があった。よく見ると鑑賞用の誘導柵が、堂々とみちに設えらうており、人だかりがしている。私は、ここもニューヨーク子にとっては、都市名所の一つなのだと思った。
 調度私は、薄暮のショーウィンドーを撮影する目的で、夕方の5番街を南下していた。途中のショーウィンドーは、それこそ感動と時めきの連続だった。
 日本ではみちから見えるように棚を設えた。これを見世棚(みせだな)といい、見世(みせ)=店の語源である。世の中に見せるというこの漢字は、店の本質をよく表している。
 映画を引き合いにするわけではないが、ティファニーのショーウィンドーの前で、ため息をつきながら、「ああ、いつかは、あの指輪が買えるようになりたいな・・」。商品はそんな夢を抱かせてくれる。歳月が過ぎ、あのシューウィンドーの前に行くと、いつもと同じよう素晴らしい商品が飾られている。時間が経っても、商品という夢は待っていてくれるのだ。それが素晴らしい商品の本質だと、私は思う。別の見方をすれだブランドたる所以だなと思ったりもする。ところでこの五番街のショーウィンドーはどんな夢を見させてくれるのだろうか。続きはまた明日。
 
1990年代
OLYMPUS XA-4,F3.5/28mm,エクタクローム400
CanoScan9950
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Town Scape 2. フィレンツェとパリのゴミ箱

2007年12月20日 | field work
      左の写真は、フィレンツェのドゥオモであり、右はパリ市内で撮影したものである。「あたな、世界遺産ドゥオモの隣に建築をデザインしてくれ」、と言われたら、ドゥオモの隣にあるあのショボイデザインは何ですか?といわんばかりに、才能のなさを世界に発信してしまうので、そういう仕事に個人的には関わりたくないと思う。ところがゴミ箱はどこにでも置くことができ、撤去も容易だ。そんな気楽さもあり、あまり設置場所などをあれこれ考えないでデザインできる。プロダクトの気楽な部分だと思う。
 今のパリのゴミ箱は、もう少し彩度の高い美しい緑色であり、なんとCIが導入され、清掃員のユニフォームや車までが、美しい緑で統一されている。こういうところに手を抜かないというのが、さすがパリ!
 ところでゴミ箱の色を、国旗の色と見比べると面白いことがわかる。イタリアの三色国旗は、緑、白、赤であり、フィレンツェのゴミ箱は青である。他方フランス国旗は青・白・赤であり、ゴミ箱の色は緑である。自国の国旗の色をゴミ箱に使わないという点で、フィレンツェもパリも共通している。国旗に用いる色をゴミ箱に使うのは、恐れ多いと思ったかどうかは、知らないが、不思議な共通点である。
 ならば我が国では、赤の色をゴミ箱には使わないだろうなと思ったが・・・WEBでみるとあるらしい。郵便ポストと間違えそうなのが・・・・。
 
1980年代フィレンツェ市内,パリ市内
NikonF,Nikkor-H,AutoF3.5/28mm,エクタクローム.
Minoltaα3,F3.5-5.6/28-70mm,エクタクローム
CanoScan9950F
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Town Scape 1. ローマのみち

2007年12月19日 | field work
 私が学部3年生を対象に行っている地域空間構成論の講義ファィルの中から、任意にピックアップした写真を用いながら、 街のランドスケープ・デザイン、すなわちTown Scapeやその周辺の体験などについて述べてゆきたい。
 紀元前1世紀から紀元後5世紀の帝政ローマ時代、広大な領土を支配する方法として、ローマ人は延々と軍事道路を建設してきた。All roads lead to Rome. 「すべての道はローマに通じる」という諺にもあるように、みちはローマの歴史そのものである。
 翻って現代ではどうかと考えれば、みちが持つ役割は、軍事から生活のための流通や交通手段として、利用機能こそ変わったが、みちが持っている重要性は変わらない。そんなローマ市内を歩いていたら、堂々とみちをキャンバスとし、アートを制作している光景に出会った。おそらくこれも大道芸の一つなのだろう。画材は、パステルを使用しているので、雨が降れば作品は、流れて消えてゆく。
 帝政ローマ時代ならば、みちは一人の支配者のものだが、現在の民主主義国家にあっては、みちは俺たち市民ものである。使うのは俺たちの権利だ、と感じさせられるぐらいに堂々と描いている。そんなことに誰も文句は言わないし、作品を楽しみながらよけて歩いてゆく。これが同じく民主主義国家日本だった、お節介な人達が即座に警察や自治体に通報して、関係者が飛んでくるかもしれない。
 みちは、その国の民度や国民意識を表すインデックスだと思われた。みちは国民意識の表現体なのである。
 
1980年代ローマ市内
NikonF,Nikkor-H,AutoF3.5/28mm,エクタクローム.
CanoScan9950F
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Village Design 40. 麗江:玉竜雪山(結)

2007年12月16日 | field work
 夕刻遅くに私達は、ようやく麗江に戻った。車に乗っているだけでも10時間近くあり、中甸はつかの間の滞在だったが、多くのことを体験した大変長い一日だった。翌日麗江は、晴天になった。標高5596mの玉竜雪山の頂上部付近を辛うじて眺めることができた。写真中央から下に流れ落ちているのは、氷河である。
 
 このVillage Designシリーズでは、次の3視点から執筆してきた。
1.私達の暮らし方を視座とする居住コミュニティ・デザインにおいて、必要となってくる基本的考え方を見いだすこと。
 現代社会における私達の暮らし方や住まい方といった規範とて、まだ半世紀の経験でしかない。これと呼応する浅い歴史しかない現代建築にそうした規範を求めても、意味はないといえる。例えば、これまで見てきた民居を、現代建築では バナキュラーといった建築言語で捉えているが、そうした考え方自体ファッションでしかなく、環境における関係性を語ることはできない。
 民居を訪ねれば、どんな様式をみても、1世紀以上経過している。民居は、長い時間の中で、地域固有の気象や生業と暮らし方との関係性の中で、合理的な様式を形成してきた。そのことは和辻哲夫が論じた(注1)、風土論に記されている。その土地固有の風土を了解してきた結果として、人間の暮らしや民居様式が成立してきたからこそ、地域の環境条件に応じた多様な民居様式が発生してきたのである。そうした多様性を形成している要因は、風土的関係性に他ならない。現代建築が忘れてきた関係性の概念、それが風土性である。
2.これからの民居様式への知見とすること。
 既にニューアーバニズムと呼ばれる考え方で、アメリカでは数多くの新しい居住コミュニティが実現されている。他方日本では、アメリカの植民地様式を模した住宅が、プレハブメーカー等の商品で数多く見られる。ニューアーバニズムという本来の考え方は、持続可能なコンパクトなコミュニティを環境デザインの考え方と手法とによって実現してゆくことである。従って日本の商品化住宅にみられる形態模写とは大きく乖離しているのである。
 ニューアーバニズムが用いているアメリカの植民地様式とは、まさにアメリカ開拓時代の風土に適合した民居様式なのである。日本では、地域固有の風土に適合した民居様式があるだはずだ。比較的建築材料的類似性が高く、様式伝播の源である中国にその規範を探りながら、様式喪失に陥っている日本の居住コミュニティ・デザイン再構築の手がかかりになればと思われる。
3.中国雲南省を歩きながら、日本の将来の有り様を外側からあぶり出すこと。
 経済統計(注2)によれば、日本の経済成長率は、(2001)0.39%、(2002) 0.14%、(2003) 2.12%、(2004) 2.71%、他方中国では、 (2001)7.21% 、(2002)8.91%、(2003)10.2%、(2004)9.9%、となり中国の経済成長が顕著である。中国を歩いているときに、肌で感じられたことは、経済をはじめとする中国の国力が、数年以内には日本を追い越し、世界を主導する国家の一つになるという確信である。
 現在日本の政治や制度、経済、情報、教育、デザインや建築を含む文化、そのどれをとっても世界からは遅れに遅れ、構造改革も遅きに失した。日本が、将来において世界の主導的国家と同一歩調がとれる要素を、もはや見いだすことはできない。私達のようにデザインの立場からみても、数年後の日本の姿は、世界のあらゆる面での後進国になるだろう。
 
 以上 一応のまとめを提示し、ひとまずこのシリーズを終了する。 湖西から始まったVillage Designシリーズも40回となった。まだ多くの学ぶべき優れたビレッジがあるが、またの機会としたい。
 私達は、この後広州に向かった。このシリーズでは、私達がベースキャンプとした昆明、大里、麗江、広州といった都市については省略した。これもまたの機会としたい。
 
注1.和辻哲夫「風土-人間学的考察」,岩波文庫,1979.(再版)
注2.総務省統計局「世界の統計」,2007.
 
Canon EOS3.F3.5-5.6/EF28-135mm.コダクロームⅡ.
Nikon CoolScan3.
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illage Design 39. 桃源郷の民居

2007年12月15日 | field work
 中甸郊外に桃源郷と呼ばれている高原がある。実際、松賛林寺の拝観券には、”Shangri-La”と印されていた。これまで私達が歩いてきた中国の濃厚な風土に比べれば、この高原一帯には、息を抜くような開放感を感じた。かってこの土地を訪れた者は、そんな開放感を桃源郷と表現したのだろう。
 桃源郷には、いくつかの民居が点在し、日本の散居村を思い出す。民居様式は、土壁・木造との混構造とみられ、二階建てが多い。中国民居で二階建てというのは、比較的歴史の新しい民居にはみられるが、古い民居ではあまり見かけない。上図は古い民居に類するが、壁の隙間から、一階に薪がストックされているのが見える。冬を過ごすための燃料や食料の備蓄など、収蔵庫として使われていることが伺える。従って 主たる生活の場が二階であると考えられる。さらに軒の出が大きいことは、この地域の気候への対応だろう。こうした民居は、 チベット自治区固有の様式とみられ、中国の代表的な三合院や四合院の民居様式とは異なっている。 そういえば、この民居周囲に樹林が皆無であり、真冬この高原を抜ける風は、まともに民居に吹き付けるのではないだろうか。そのために建物の外周は、 土壁や板壁で囲われており堅固そうだ。それは厳しい冬を過ごすための暮らし方、あるいは生き抜くための知恵といってよく、民居様式に反映された結果であることが伺える。
 私達が訪れたのは9月初旬だが、標高2,300m の高原地帯に既に夏の気配はなく、紅葉の時期を迎えていた。やがて厳しい冬が足早にやってくることが伺える。日本だと北アルプス直下の涸沢あたりと同じ標高だが、こちらの冬季は閉山され雪の下に埋もれる。
 そうした点で、ここは冬は寒冷地なのだが、実はこの集落におよそ似つかわしくない風景があった。民居の屋根に、大きなパラボラのアンテナが建てられていたことだ。あまりの唐突さに、我を忘れて写真を撮ることを忘れた。今でもあれは幻の風景だったのではと思うぐらいに、唐突な風景だった。そういえば、このあたりの民居には、アンテナが必ずある。それがテレビなのかインターネットなのか、あるいはそれら以外の用途なのかはわからない。
 寒冷地でも中央政府の情報がわかる。場合によってはインータネット位可能なのかもしれないと想像していた。中国は国土が広いから、いちいち架線などを引いていられない。無線LANだったら面白いなと思った。そうであれば、当時の我が国の情報環境よりは、進んでいることになる。
 
Canon EOS3.F3.5-5.6/EF28-135mm.コダクロームⅡ.
CanoScan9950F
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Village Design 37. 中甸・松賛林寺

2007年12月08日 | field work
 遠目にはわからなかったが、近づくと松賛林寺の塔頭民居(丘斜面の住まいをここでは、そう読んでおく)の建具には、チベット調装飾が描かれている。儒教思想が支配的な中国にあって、このデザインは異質な世界だ。中甸をチベット自治区と呼んでいるのもそうした現れである。50 を超える少数民族をはじめ、今なお多様な民族、宗教、言語、文化、価値観、生活様式とを、中国は1つの国家のなかに納めようとしている。それはアメリカ多民族国家を想起させ、また典型的多民族国家のEUヨーロッパを連想する。世界をみていると、多民族を統治してこそ国家であり、またそのために国家が必要なのであろう。
 そうした多民族国家の中にどんどん分け入ってゆくと、最小単位が、それぞれの民族が構えている村にたどりつく。村自体は共同体だから、単一言語、価値観、宗教、文化、生活様式には同一性がある。このように大雑把に捉えると、現在我が国は単一民族国家だから、村社会に該当するのだといってよい。従って我が国には、イスラエルのような宗教戦争はないが、枝葉末節的な村社会特有の話題にはこと欠かない。そう考えていたら、学生時代に読んだ本で、今西錦司の書物(注)を思い出した。愛知県犬山市にあるモンキーパークで飼育されていたニホンザルの行動観察から、人間社会の行動や構造あるいは文化を読み解こうとしたものだったと記憶している。だからサッカーのワールドカップをみていると、世界の多民族国家VS日本霊長類的村社会という構造が頭をよぎり、勝ち目がないのは当然だといつも思う。
 そんな多民族国家が棲む中国奥地で、ラマ教寺院の若い僧侶が、自分の眼を指して「ニコン」といった。私が持っていたニコンF3を貸してあげたら、かわるがわるのぞきながら、レンズやシャッターダイヤルを指しながら、どうやらカメラの蘊蓄ある会話をしていた。よく知っているんだなとおもった。もし言葉が通じれば、しばしの間カメラ談義になるところだった。しかし私達には、そろそろ麗江に戻る時間が近づいていた。今日は日帰りだから、また5時間かけて戻らなければならない。
 
注:「今西錦司全集(増補版)」全14冊、講談社、1993年‐1994年
 
NikonF3 AF-NikkorF2.8/20-35mm.コダクロームⅡ.
CanoScan9950F
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Village Design 36. 中甸・松賛林寺

2007年12月07日 | field work
 ラマ経(チベット仏教)の寺院は、燦然と黄金が輝く仏教特有のデザインだが、私たちが訪れたときは、修復工事中であった。ラマ経は、我が国にも伝えられた大乗仏教の精神に即しているから、日本人でも馴染みやすいところであるが、建築様式のダイナミックさは大陸的である。石と土による厚い壁構造故に、開口部の小さいファサードはヨーロッバ建築的だが、中央部の突き出し窓がある部分を木造とするなど、すごく良いプロポーションで上手いデザインだと思う。こういう美の固まりのような建築だったらデザインしたいと、つくづく思う。宗教建築は、どの国を見ても美の固まりだと思う。建築シルエットをみていると、それぞれの宗教感を感じさせてくれる。
 別に宗教建築にこだわるという意味ではないが、このようなダイナミックな美的建築の仕事が、経済至上主義の日本にはあるわけがなく、私の一級建築士の免許も、生涯使う機会はないでしょう。ところが最近3DCGの性能がよくなってきて、美的建築を仮想空間であれば、デザインできるようになってきた。そこで世界の優れた建築を見たり勉強しながら、仮想空間で建築デザインしてゆくことには今とても興味があって、3DCGやセカンドライフの仕事で少し、興味の一端を実現させている。これからも、優れた建築デザインを仮想環境で制作してゆきたいと思う。アンビルド建築家ですね。
 私は長く都市開発プロジェクトのプロデュースの仕事をしてきたから、デザインはもとより、優れた建築家個性を集め、制度や資金調達や経営といった現実ファクターを駆使して、建築をつくってゆくことは、いつでもできる。そうやってプロデュースしてきた建築や都市は、社会的話題性も獲得した。しかしそんな多くのプロデュース経験で、実現できないことがある。それは建築美学の徹底的な追求である。本来建築とはそういうもんだと断言しておく。機能だ予算といった社会性を切り捨て、妥協なきところに時代の精神や美意識を追求した建築がある。その典型が現在世界に数多く残されている建築遺産だろう。
 美的建築は、現代社会ではあまり必要はないし、もちろんデザインする機会など皆無である。だけど3DCGの世界では、制度も資金も構造も必要ないから、美学・デザインといった方法に特化できるんだな!!、これが・・・。まして私は、建築で飯を食べていないから、おもねる必要もなく自由なんですね。私は3DCGでイメージを具現化できるバーチャル・アーキテクトで十分満足である。そんな3DCG作品をWEB上で、たくさん披露しようというのが、私の当面の企み。実際私にデザインして欲しければ、瀬戸内海の島を1つを全部デザインして欲しいといった程度の仕事を持ってくるんですな!!。そうしたら、気分が良ければ実際につくってあげることがあるかもしれない。
 貴方の趣味は?と問われたときに、私の趣味は、建築のデザインです。実施設計図書は、WEB上においてありますよ!。 建築の実施設計と監理!!・・ああっそれ!!、大変そうだからいいです!!!。 と答えられる老人になりたいですね。 松賛林寺をみていたら、せこい現代社会で建築をつくることがアホらしくなった。
 
Canon EOS3.F3.5-5.6/EF28-135mm.コダクロームⅡ.
CanoScan9950F
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Village Design 35. 中甸・松賛林寺

2007年12月06日 | field work
 松賛林寺は、標高3,200mだから階段を上がるのは、少し息が切れる。振り返ると周囲は、起伏の緩やかな高原の景観である。ここの僧侶達は、この風景を見て毎日暮らしている。彼等が日常見ている風景はどんなであろうかと私は想像していた。実際この写真ではのどかな田園風景かもしれないが、日々地平線から立ち上がり、沈んでゆく朝陽や夕陽を眺めることができるし、冬の積雪時には、雪原に太陽の光を反射するだろう。また砂塵が舞って薄く霞むこともあるだろう。そんな洞察力が必要である。
 通例私達が旅をしながら見ている風景は、特定の時期の、特定の時間に見えた1風景でしかない。従って、方位を見定めて、季節変化の情報を加味しながら、また時間変化によって変わるであろう風景を想像し、今私が見ている眼前の風景と重ね合わせる努力が必要になる。風景を見るということには、想像力と洞察力を伴うということである。こうした風景の見方がランドスケープ・デザイン流といっておこう。
 長く写真を撮影していると、場所こそ違うが気象条件や、それによって変わってくる風景の変化を体験している。そうした体験を基に類推しながら、今私が見ている風景に、異なる風景を重ね合わせてゆくことは、比較的容易なことである。
 というのも撮影に出かけるときには、事前に地形図と天気図とを見比べながら、どの方向に何時に陽が昇り、その照り返しがどこに映るか、 或いは雪の日に、空気が澄んだり雲ったりしながら、どのように光が反射し、そして影ができるか、或いはできないのか、 といったことを、頭の中でシミュレーションしながら、撮影方法を用いるかを決めなければならない。もちろん当たりはずれがあるのは当然だが、目論みという意識がなければ、撮影もデザインもできない。
 こう考えると撮影の目論みと、ランドスケープ・デザインの意図とはどこかで、一致している点があるといえる。もちろんこんなことは、常日頃自分達が住んでいる土地や地域や国といった、自分達が暮らしている外側の世界に対する観察と関心がない人に説明したところで、なんのことかわからないだろう。実際自分のことや自分達が住んでいる土地のことしか興味がない人は多い。もちろんそんな人達は、デザインをしてゆく能力(好奇心や感性や洞察力など)がないのだから、私の視野には入らない。
 
Google Earth表示:北緯27度51分,東経99度42分
 
1999年9月撮影
Canon EOS3.F3.5-5.6/EF28-135mm.コダクロームⅡ.
Nikon CoolScan3.
CanoScan9950F
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Village Design 34. 中甸・松賛林寺

2007年12月05日 | field work
 重畳景観という言葉がある。環境デザイン辞典から引用する[注]。「同一の景観要素が幾重にも重なり奥行感や連続感を感じさせるような景観。山間地帯でいくつもの山並みが重なり合って見えたり、斜面地で住宅の瓦屋根が重なり合うように見える景観。多くの場合、安心感や安定感をもたらす。」
 松賛林寺は、斜面を最大限利用し、丘全体を建築空間とすることによって、まさしくこうした重畳景観を呈している。 ここの斜面を上がってゆくと、視高の変化と共に見えてくる景観の変化は、デザインの視点から見ても興味深い。 中国には、こうした景観を有する寺院が他にもあるという情報を現地で得たが、私は確認には至っていない。
 類似景観にチベットのポタラ宮を想起すると人もいるだろうが、これは重畳景観とは異なっている。ポタラ宮は、大がかりな土塁を築き、その上に主要な建築物を建てている。そうした意味では、ポタラ宮は、我が国の城郭建築に近いといえよう。
 重畳景観が呈する空間構造は、下界から建築物が重なり合うって見えると共に、多くの建築物の中からは、下界への視界が確保され、 オープンテラスなどが設えられて人々がくつろぐ場となり、また上下をつなぐ道や階段や斜路など、高低差を活かしたデザインが展開できる点では、面白い空間コンセプトである。
 実際には、重畳景観を呈する都市をあげると、鎌倉七里ヶ浜、神戸、函館、尾道といったところが典型例だろう。海外では、世界遺産のアマルフィ、ポジターノ、或いはカンヌといった具合に多くの例がある。それらに共通しているのは、風光明媚という点であろう。それらは、優れた景観を暮らしの中に取り込み、活かしてゆく、そういう発想が当たり前のように、古来から行われている街だということである。
 
注:土肥博至編著:環境デザイン辞典,井上書院,2007.pp206.
 
1999年9月撮影
Canon EOS3.F3.5-5.6/EF28-135mm.コダクロームⅡ.
CanoScan9950F
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