キオスク(東屋)をいれたら、寂しくなりがちな北側の風景が、少し整ってきた。こうした小さなランドスケープ要素が、結構重要な風景のポイントになる。ここでの風景では、キオスクが主役で建築群が脇役といった案配だろう。
このように人間が見ているスタンディングレベルの風景は、主役と脇役が入れ替わったりするところが、面白い。 こうした変化する風景があるところが、リゾートスケープの面白さである。 建築群だけがいつも主役だとするような都市の風景は、単調で退屈なだけだ。
しかし3DCGも、最初の頃のエスキースをスケッチしている時と、完成間近の風景になってくる頃は面白いのだが、それらの間は、忍耐の日々である。特に建築の制作が退屈だ。
3DCGのサイトをみると、現実によりリアルにつくろうという作品が圧倒的に多いが、そうした成果は、そこそこにソフトウェアのライブラリー化してしまえば、良いと私は思っている。私の場合、そうしたリアルさにはあまり興味が無く、むしろこの世にない環境をデザインしてゆくことが主眼である。だから、CGデザイナーとは制作の視点が異なってくる。むしろランドスケープアーキテクトの世界に近いというのが、私のスタンスであろう。
こうした仕事は、昔であればサイトプランなどの図面をベースにして現実の姿を想像するほかないのだが、最近のCGでは、相当の説得力をもった風景が制作できるのは、ややはり新しいデザインスタイルなのだろう。
私の机上に、LEON KRIERの作品集が置いてあるが、彼はアーバニストだから、ほとんどノンビルトのアーキテクトといってよいだろう。彼の作品集をみると、ヨーロッパの古い都市におとされた新しいアーバニズムの提案が、いつも面白いと思っている。もちろん必要や需要があれば実際につくればいいのだが、経済社会では難しいだろう。それに21世紀は、再生型社会だから、そんなに建築需要が発生するとも思えない。だが都市や建築を考え抜いた提案は、いくらでも可能である。そんな提案を散りばめた本を作りたいなと思う。そう考えれば、都市や建築は、やはり文化の側面を持っているのだろう。
制作:Vue5
このように人間が見ているスタンディングレベルの風景は、主役と脇役が入れ替わったりするところが、面白い。 こうした変化する風景があるところが、リゾートスケープの面白さである。 建築群だけがいつも主役だとするような都市の風景は、単調で退屈なだけだ。
しかし3DCGも、最初の頃のエスキースをスケッチしている時と、完成間近の風景になってくる頃は面白いのだが、それらの間は、忍耐の日々である。特に建築の制作が退屈だ。
3DCGのサイトをみると、現実によりリアルにつくろうという作品が圧倒的に多いが、そうした成果は、そこそこにソフトウェアのライブラリー化してしまえば、良いと私は思っている。私の場合、そうしたリアルさにはあまり興味が無く、むしろこの世にない環境をデザインしてゆくことが主眼である。だから、CGデザイナーとは制作の視点が異なってくる。むしろランドスケープアーキテクトの世界に近いというのが、私のスタンスであろう。
こうした仕事は、昔であればサイトプランなどの図面をベースにして現実の姿を想像するほかないのだが、最近のCGでは、相当の説得力をもった風景が制作できるのは、ややはり新しいデザインスタイルなのだろう。
私の机上に、LEON KRIERの作品集が置いてあるが、彼はアーバニストだから、ほとんどノンビルトのアーキテクトといってよいだろう。彼の作品集をみると、ヨーロッパの古い都市におとされた新しいアーバニズムの提案が、いつも面白いと思っている。もちろん必要や需要があれば実際につくればいいのだが、経済社会では難しいだろう。それに21世紀は、再生型社会だから、そんなに建築需要が発生するとも思えない。だが都市や建築を考え抜いた提案は、いくらでも可能である。そんな提案を散りばめた本を作りたいなと思う。そう考えれば、都市や建築は、やはり文化の側面を持っているのだろう。
制作:Vue5