Creator's Blog,record of the Designer's thinking

フィールドワークの映像、ドローイングとマーケティング手法を用いた小説、エッセイで、撮り、描き、書いてます。

京都暮らし6. 実技試験

2009年02月27日 | Kyoto city
一昨日大学入試の試験監督をしていた。試験科目のなかに実技試験があった。二つの紙コップとCDディスクを構成して描写せよ、という出題であった。
 私は出題者ではないのでその意図はわからないが、私がかってデッサンを勉強してきた立場からみると、いろいろ類推できることがある。先ず紙コップとCDという三つのモチーフが円形であり、そして白いという点で共通しているところが興味深い。
 構成の仕方によっては、三つの楕円にパースペクティブがついてくるから、それらを描き分けられるかが一つの評価になるだろう。さらにモチーフの白さを表現できるかも、評価のポイントだと類推している。さらにコップの内部が、円筒としてどれだけ意識され描写されているかといった点も評価ポイントだろう。単純なモチーフだけで、様々な視点が盛り込まれており、出題意図や評価の視点が明確な大変優れた出題だと思う。
 見ている視点からみれば三つの円形の形は構成された位置によって少しづつ異なるし、コップの立体感をだすあまりに、黒いコップになってしまったのでは、モチーフの白さを表現できない。さらにコップの内部を陰影でしか捉えていないのであれば、筒だという意識や表現には行き着かないだろう。こんなことは、デッサンを勉強している人間であれば、容易に気がつくことである。そして受験生の予備校の先生から、同様の指摘をされていることだろう。
 こんなことを私が書くと、実技試験の採点に影響を与えかねないといって問題視するとんまな輩が日本には多いが、心配無用。受験生が試験を終えて家に帰り着く頃には採点も終わり、結果は、大学の金庫の中に納められているだろう。

2009年、京都市寺町通
FinepixS5pro,AFNikkor50mm/f1.4D
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

京都暮らし5. 暖冬

2009年02月26日 | Kyoto city
今年の京都は、まだ雪が積もらないので 、暖冬だと思う。既に立春をすぎているので、風は冷たくても、日差しは着実に明るくなりつつあり、春の気配が漂う。チェッ!、雪が積もらないなんて、今年は少し損をした気分である。
 7年ぐらい前に購入した携帯電話が、相変わらず使いにくい。長い間そのまま使っていたのだが、少し使いにくい仕様に限界を感じる。
 振り返れば、最初に使用した携帯電話が1995年頃だから、画面はモノクロ液晶で機能は必要最小限と、大変使いやすかった。当時携帯を持っている人間も少なく、堂々と車内でつかえたのは、さすがに便利だった。その後携帯電話の機能は、500ページのマニュアルがつくほどに多機能になり、社会的には普及したが、つかえない場面の方も増えてきて、それではなんのための高い仕様だったのかと思う。さて買い換えるか・・・。
 最近大学のサーバを変えるので、外部からのメールアクセスの設定方法が変わるという知らせがきた。内容は、Win系の設定方法だった。だから、Macの設定方法を知らせろと、返信した。
 私がパソコンを使い始めたとき、この世の中にはMacしかなかったのである。だから、いまでも私はMacである。それをなんで、後からノコノコでてきたWinの設定方法なのかと疑問に思う。
 それにWin系は、ウィルスに大変弱い。私のところにくるスパムメールも、Macサーバー経由は皆無だが、Winサーバー経由の大学アドレスでは、スパムメールばかりだ。窓があればウィルスは必ず入ってくる。大体Windows=窓というコンセプトであり商標なのだから、ウィルスに弱くても当然だろう。こんなセキュリティに甘いOSを日本の標準仕様としているのだから国民の個人情報などは、Winの窓を通じて既に海外に散々流れていることだろう。
 後からしゃしゃり出てきた奴が大手をふっているという、創造性を欠いた脳天気で厚かましい一般的日本人気質には、Win系の思想の方が良く合うのかも知れない。

2009年、ゑびす神社
FinepixS5pro,AF-SNikkor16-85mm/f3.5-5.6
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

京都暮らし4. クラシック

2009年02月21日 | Kyoto city
 オバマ大統領の明瞭な発音の演説をCDで聴いていたのが切っ掛けで、3バンドのラジオを買った。今時は、インターネットで海外のラジオ放送が聴けるが、G5のMacで仕事をしているときには、結構煩わしいのである。やはりラジオからのBGMとして聞く方が楽だ。
 横浜にいたときは、米軍横田基地からのラジオ放送が聴けたのだが、京都でそんなものは入らない。そのかわり中国や韓国あたりのラジオ放送は、よく入るようだが・・・。
 今時ラジオというのもクラシックな話だが、英語で流れてくる放送をBGMで聞いていると、これまで黙々とパソコンに向かっていた人間としては、気分が変わっていて面白い。クラシックだが、なくならないシステムだ。
 そういえば、毎年1月の成人式後の日曜日に行われる、通し矢もクラシックだ。二十歳を迎えた新成人だけが出場できる。出場者は、皆有段者だから、このために練習し段を取るといった、努力を伴う。そして晴れ着で登場するのがよい。
 個人的には、この行事が好きである。二十歳の人間達約1500人が集う風景は、どこかオーラが漂っているようで、こちらも元気になる。毎年脚立持参ででかける。写真は、調度矢が手元を離れた一瞬を捉えた。カメラの連写モード5コマ/秒を働かせても、1/100秒以下の一瞬を捉えるのは容易ではない。

2009年、三十三間堂・通し矢
Canon EOS 40D,EF100-400mm/f3.5-5.6
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

京都暮らし3. Bot!

2009年02月20日 | Kyoto city
大学のサーバーが、ウィルスへのガードを固めるという風評に対して、私が適わんなと書いたら、その直後にTVでbotというウィルスについて放映していた。あれっ!!という気分である。
 またまたWindowsの話だろうと私は、冷静に聞き流した。総務省・経済産業省によるWEBサイト、サイバークリーンセンターでは、Winの記載があり、Macについては触れられていない。今のところMacの被害はないものの、ウィルス対策ソフトを勧める意見もあるようだ。またあのトロイ、ノートンユーティリティを使うのかと思うと、意気消沈する。
 このbotウィルスは、自分で随時形を変えるので、ウィルス対策ソフトでは、対応が追いつかないようだ。それならば、ウィルス対策ソフトをいれてもしょうがないじゃないか。ルータを設定し、こまめにシステム再構築が一番良いと私は思うが。
 大体インターネットという窓を70億人の全世界に向けて開放しているのだから、ウィルスだってくるさ。前にもこのブログで書いた話だが、私は15年前Winが誕生する以前からパソコンを使っていたので(当時Macしかなかった)、その時モザイクやエクスプローラーというWEBソフトを使い、ホワイトハウスからアダルトサイトまで、2週間程夜を徹してネットーサーフィンをしていた。そのとき思った。ああっ、これは世界の縮図だ!。政治経済文化もあれば、ヤクザや戦争もあるなと思った。現在その通りのことになっているので、私は別に騒ぐこととは思わないが。
 ところで、botウィルスのような怪しい人ってどんな姿だろうと想像した。真っ先に思い浮かぶのが、映画「第三の男」のオーソンウェルズだろう。帽子がよく似合いそしてカッコいいのである。男は怪しいぐらいがカッコいい。だからイケメン!!・・・それは、ジャリ達のオモチャだな。私の世代は、そんな風にして成長してきた。
 今晩の京都は、夜来風雨が強まる。前線が通過しているのだろう。

吉田神社・節分お火焚祭
Fuji FinepixS5pro,AF-SNikkor16-85mm/f3.5-5.6
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

京都暮らし2. 端境期

2009年02月19日 | Kyoto city
 大学も、今開催している作品展が終われば、今年度の学生関連の私の仕事は概ね完了となる。これと入れ替わるように学会論文の投稿などが発生し、これからゼミらと頭を絞らなければならない。調度今頃が仕事の端境期なのだろう。
 ここ数日寒い日が続き天気も今一つなので、HDR(ハイダイナミックレンジ)のための撮影も進まない。ここにあげた写真もHDR処理をしたものである。上部の垂れ幕が風にたなびいているために、画像がずれているいるのがわかるだろう。つまり三脚にカメラを据え、露出を変えながら複数枚撮影したものを、パソコン上で合成するから、動いている要素は原則として扱えないのである。本来ならば、背景の空をもっと描写してほしいのだか、原画より描写が落ちてしまった。
 ここで使用しているFuji FinepixS5proは、元々広いダイナミックレンジで撮影できる素子を積んでいるので、こうした処理には効果が薄いようだ。いずれ時間のできたときにでも、再度トライしてみようと思っている。
 価格.comのデジタル一眼コーナーを見ていたら、もうじき製造終了になるNikon D40+レンズ付が、3万一寸とすこぶる安い。実際にファインダーを覗くと、大変ピントが合わせやすかったと記憶している。つまりピントの合う山がはっきりしているわけだ。画素数は、600万画素と今時のコンデジにも及ばないが、古いNikkorがマニュアルでつくという仕様は、私にとっては大変嬉しいしスペックだ。
 もう一つLUMIXG1というデジタル一眼も気になる。なんと言ってもマウントアダプターを介して、ライカMレンズがつくからだ。手元にあるズミクロン35mm/f2.0の8枚玉をつけたら、昔の写り方になるのだろうか・・・。迷うなー。
 そういえば、大学のサーバーが、SPAMメールのために外部からのメールアクセスができなくなるらしい、といった風評もある。そうなったらインターネットではなく、電話並だすな!。
 どうも仕事の端境期だと、人間はいろんなことを考えたくなるようだ。不景気とはいえ、社会は暇人が多く平和なんだろう。

清水寺
Fuji FinepixS5pro,AF-SNikkor16-85mm/f3.5-5.6
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

京都暮らし1. HDRへのトライ

2009年02月18日 | Kyoto city
 このブログも書き始めて、1年半で約323回書き続けてきた。アクセス数が少ないとはいえ読者があるので、私が比較的真面目に撮影した写真を掲載しており、文章もうまいとは言えないが雑誌並みに読める程度の書き方を心がけてきた。
 そうした編集姿勢はこれからも持続してゆきたいと思うが、今回からは、文章は少しフランクに、アップはマイペースで、気の向くままの話題を扱い、そして世間のブログ並に書きたいと思と思う。昨年10月に横浜から京都に引っ越したので、当然話題は地元暮らしのことが多くなるだろう。
 話題は変えて、ここ数日ほどHDR(ハイダイナミックレンジ)という画像処理方法を、少し試みながら勉強しているので、今日はこれについて述べよう。
 PhotoshopCS3には、HDR機能があるのでトライしてみた。ここにあげた左の写真は通常の撮影画像であり、右側が露出の異なる3枚の写真のHDR処理を行った画像である。結果は!!、このカットではなんとも言えないですね。HDRは、処理途中で32bitで行うので当然色調は変わる。HDR処理の方が少し空の抜けがよいようだ。暗部はあまり変わらない。
 例えば夕方の夕焼け空と、暮れなずむ街の風景といったように、露出のラチチュードが大きい被写体の方が、当然HDRの効果は大きい。そこでしばしば清水寺へ散歩するのだが、最近は夕焼け空にならない日が続くなどタイミングが悪い。
 或いはソフトの性質か・・・。Jungleのソフトだと、アーティスティクに処理がされるが、またPhotoshopだと商業写真的処理かもしれないと類推している。もう少しトライしながら勉強してみたい。

清水寺
FUJI FinepixS5pro,AF-S Nikkor16-85mm/f3.5-5.6GED
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ヴァーチャルアイランド・プログラム40.

2009年02月15日 | Design&3DCG
 ヴァーチャルアイランド・ブログラム・シリーズも40回ときりがよいので、今回で最終回とする。
 このシリーズは、学部生の実習を目的として制作した3DCGを多用した環境デザイン・プログラムの一端を紹介したものであるが、こうした方法で組み立ててゆけば、地域の環境計画の方法の一端を学ぶことができるという枠組みを示した。
 現在は、3DCGのオペレーションを覚えることは容易であり、攻略本なども充実しているので、そうした向きには、そちらをあたられたい。ヴァーチャルとは、リアル世界の写しなのである。リアルでできそうなことを、ヴァーチャルとして表現しているにずきない。それよりも、ストーリーづくりや、デザインのアイデアといったヒューマンソフトウェアを作り上げる事の方が、はるかに重要である。それは、ここで紹介してきたコンピュータソフトウェアではできないことなのである。やはり制作者の普段からの勉強と磨かれた感性が、ものをいう世界である。そんな勉強の方向を示し、感性磨きの手助けとなれば、それがこのブログラムの最終的な目的とするところである。
 その後ヴァーチャルアイランド・バージョン2というブログラムを考えた。そんなスケッチが私のイエローブックに随分残されている。いずれは制作しようと考えていたのだが、私自信は、これまでリアルライフの中で仕事をしてきた人間だから、ヴァーチャルの世界では今一つ意欲がわかない。まあいずれ時間があり、意欲がわいてきたら、制作してブログなどで紹介できるときもあるだろう。その時まで、このシリーズは、お休みとします。

制作年:2006年 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ヴァーチャルアイランド・プログラム39.

2009年02月14日 | Design&3DCG
 今日の京都は、気温が16度にもなり、2月だというのに春のように暖かかった。少し緊張感がある冬の気分も、大いに緩んでくる。確かに立春を過ぎたのだから暦の上では春になりつつあるのだが、それにしても、まだ雪が降らないのにもう冬が終わるというのは、すこし寂しいではないか。
 ヴァーチャルアイランドも、もはや書くこともない。ようは実際にオペレーションしてみるべきだろう。それは3DCG全般についていえることである。いろんなレンダリング場面に遭遇した際に、ああっ、これならばこうしようとか、様々な試みをやってみることが重要。そしてそのなかから、最適な風景を選び取る感性が必要になる。・・・というようなことは、言葉を変えて書いてきたように思う。こうした感性的な要素が入るので、このソフトなりプログラムは、面白いのである。どんな風景をつくりだすかは、受講者の感性次第なのである。
 建築などは、模型トリックといって、俯瞰してみるとよく見えるときがある。そうしたデザインを3DCGに取り込み、 人間の視点で見ると 至極普通だったりする。実際には、建築を俯瞰してみる機会は少ないのであるから、やはり模型であっても人間の眼の高さで確認すべきだろう。3DCGではそれにテクスチャーと光が加わるので、ある意味でリアルだ。
 「弘法筆を選ばす」という故事がある。才能あれば、表現ツールなど問わないのである。つまりなにをツールに利用しても優れたデザインができるということだ。まあ頑張ってくれたまえ。

制作:2006年
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ヴァーチャルアイランド・プログラム38.

2009年02月13日 | Design&3DCG
 「私的な時代」ということについて書いておこう。ここでは私的という言葉を明確に定義づけようとは思わないのだが、パーソナルコンピュータがもたらす社会概念かなと思われる。
 ヴァーチャルアイランドのように、パーソナルコンピュータがあれば、ヴァーチャル環境に撮影隊を派遣し、擬似的なプロモーション風写真が簡単に撮影できることは、これまでに散々書いてきた。そうした作業自体を個人で扱えるというところが、パーソナルコンピュータたる所以である。
 ひろくWEBのブログなどをみても、私的生活日記が数多く、もちろん読んでいて、そこそこには面白いサイトもある。そうした行為自体も私的社会化のあらわれだろうと思う。
 このように考えてくると、私達の生活自体が、私的になってきて、そしてサイトで大量に情報発信されている。それはそれでよいのだが、どこかこうした社会の退屈さを感じている日々である。その最たるところが、私の大学であり、今日などは修士論文の発表会だったから、終わるとしたたかな院生がいて、しっかりお膳立てされていて、コンパで反省会という口実で宴会となるのが私の世代の風習だが、今の学生達はそんなことはせず、さっさと静かな大学に戻った。
 そんなわけで、私の仕事は軽くなったが、しかし私的という大変つまらない時代になったと思う。もう少し言い方を変えると、ヴァーチャルの対句としてリアルという言葉がある。このブログでは、リアルなデザイン実現を果たすために、ヴァーチャルという方法を便宜的にもちいているのにすぎない。私達が暮らし、そして仕事にしようとしている世界は、ヴァーチャルでなく、そして私的でもなく、多数の人間達が寄り添うリアルライフなのである。
 さて大学の1年間の仕事も終わりつつあるので、追い出しコンパをけしかけよう。私から仕掛けるというのも、どこか本末転倒なのだが。

制作:2006年
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ヴァーチャルアイランド・プログラム37.

2009年02月12日 | Design&3DCG
 昨日は、情報認識格差が地域によって異なるとする可能性についてを述べたが、今日は情報表現、つまり何のためのブログラムかについて述べよう。
 ここでは地域の環境計画を策定案づくりのために、シミュレーション的実習を通じて学んでゆくことが目的である。そのための方法は多々あるが、ここでは時代ニーズと、多彩な情報表現ができるコンピュータを多用している。もちろんこれ以外にも、従来から行われてきたプリミティブな方法だって策定案づくりは可能である。
 このブログでは、そんな提案書参考作品を用いて、プロモーション的な3DCGを紹介しているが、本来は既に紹介してきたマスタープランや地区計画を策定することが、主である。つまりこのブログラム本来は、大変堅い話なのである。
 このブログラミングで行っている方法は、地域の環境計画以外にも、考え方次第では、様々な利用が考えられるであろう。ただ一つ重要なことは、コンビュータオンリーとしないことだ。幾つかの方法を組み合わせながら、コンピュータを介在させて、学ぶ面白さを実現しようというプログラミングとすることが大切であろう。

制作:2006年
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ヴァーチャルアイランド・プログラム36.

2009年02月11日 | Design&3DCG
 ヴァーチャルアイランドも、きりの良い40回までは続けようと思う。そう思っただけだが。今日は話題を広げて、12年前に名古屋に来たときの、一般的な第一印象について記しておこう。
 私自身東京の都心に生まれ育ち、そして六本木にある大変著名で癖のあるプロデュース企業で多彩な仕事を行い、雑誌にも取り上げられる程の多数の仕事をしてきた。だがテレビに至っては、数多くの取材依頼を受けたが、ほとんどは断っていた。それには理由があるが、そんな立場で少し述べよう。
 もっと具体的に言えば、何かを東京人に訴えかけようとする企画を立てたら、絶対にテレビに登場するタレントを使ってはならない。それは、私が仕事をしていた頃の不文律である。東京人は、テレビというものを信用していない。確かにクイズ番組は八百長だし、ネイチャー番組はやらせでしかないことは、東京人の認識である。だから、東京で良い仕事をしようと思えば、既に著名な人間は使えないことになる。
 だから私達が、企画の場面で心していたのは、テレビに登場しない、それでいて情報発信力ある実力者達である。そうした人間達を捜そうと思えば、比較的容易にみつかるところが、東京の集積力の凄さなのであろう。つまり東京人というのは、まだ人に知られていない未知情報を発掘し、情報発信してゆくところに最大の価値感を置くわけである。
 対して当時の名古屋では、テレビにでていれば、一も二もなく信用し、大学の人気も高まる風潮があった。そうした格差があることに、名古屋に来たときの私は驚いた。つまり名古屋は、既知情報に価値を置く田舎そのものだった。東京の未知、名古屋の既知、そうした違いは、都心で育った当時の私の第一印象であった。
 ヴァーチャルアイランドやプロデュースの話をしていて気がつくのは、首都圏の大学では人気が高く毎年呼ばれるのだが、名古屋では全く人気がない。そんなところからも、内容ではなくテレビを評価基準とする名古屋の学生の田舎臭さ気質が漂っているようだ。
 このように考えてくると現代の日本には、全国ネットのテレビ放映網やインターネットがあるなど情報格差は少ないが、情報を認識してゆく格差というものが存在するのではないだろうか。

制作:2006年
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ヴァーチャルアイランド・プログラム35.

2009年02月09日 | Design&3DCG
 話題は異なるが、外付けハードディスクのなかの一台をMacが認識しない(3万枚ほどのフォトデータが入っている)ので、目下復旧作業中である。
 不具合のHDは、Lacieというものすごく対応の悪そうなメーカーなので頭が痛い。WEBやトラブルシューティングの本などを見ながら、トライ&エラーを繰り返している。このようにPCのシステムが不調だと、仕事をする意欲も大幅に減退する。そんなわけで、ブログもあまり書く元気がない今日一日である。ようくメールが直ったばかりなのに。それに明日は会議だ。しゃあない、街へ珈琲を飲みにでかけると、相変わらず携帯メールをしているお姉ちゃん達がいる。あんな不安定な機器で、ようやるは、と思う。
 3DCGに話題を戻すと、Vueの色彩は、比較的暗部があまりつぶれない優れものとしての一面がある。このような写真をデジカメで撮影すると、人物はかなり黒くつぶれてしまう。こうした傾向は、他の3DCG系ソフトでも、同様の傾向があると思う。
 デジタルカメラの画像は、ラチチュード(像として再現できる露光の範囲)が狭いので、被写体の明暗差が大きいと、明暗のどちらかが写らず省かれてしまう。人物が黒くなったり、或いは背後が白くなったりといった具合にである。しかし、人間の眼は、補正しながら両方の映像をちゃんと見ているわけである。
 そこでデジタルの世界では、ハイダイナミックレンジ合成(HDR)という手法がある。夕焼けなどの明暗差の大きい被写体を露出を変化させて3枚以上撮影し、その中からいいとこ取りをして、合成しようというデジタルならではの方法である。商業写真やFlickerのサイトをみると、こうした手法による写真が最近特に多い。
 何が言いたいかというと、つまり3DCGのレンダリングも、少しではあるがHDR的な色彩に近いのではないかということである。デジタルカメラよりは、すこし人間の眼に近いラチチュードでレンダリングをしてくれるということだ。

制作:2006年
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ヴァーチャルアイランド・プログラム34.

2009年02月08日 | Design&3DCG
 グリフィンリゾートアイランド・ホテルの背後に広がる新しいリゾートタウンが、このイラスト・イメージである。大きな広場を囲むように、南面する海側に傾斜した地形にこうした街のイメージを描いている。
 この3DCGで進めてきたこのプログラムも、こうした大きな街全体のイメージを表現しようとすると、現在のパソコンでは、データが相当重く、そのため生産性が低くなり、時間もかかる。実際の街には、施設以外にも、実に多様な要素が混在しており、そんなものまでつくりだすと時間はいくらあっても足りない。そこで、ここではイラストレーションによる表現を推奨している。
 3DCGで制作した地形オブジェクトを書き出し、それを下敷きにしてイラストを制作したので、地形形状は、3DCGの世界を引き継いでいる。イラストは、なによりも3DCGより制作が早く、そして多彩なイメージをクリエイションしながら密度ある書き込み方ができる。
 受講者は、3DCGに凝り出すと、全てをこれで行おうとするところに、無理がある。ここでは、環境デザインの提案が第一の目的なのであるから、特に表現方法は3DCGに限定しているわけではない。やはり、提案目的に応じた最適な表現方法がとられるべきであろうと私は考えている。だから3DCGも、そんな表現方法の一つに過ぎないというのが、私の認識である。
 このブログラムは、こうして一連の提案の骨格ができるわけである。あとは語ろうという論拠があれば、様々な図表を加えておけばよい。そして、このブログでは、紹介する順序が逆になったが、最後にフィギャーをいれてナイスビューを探して欲しいというのが、私の希望である。

制作:2005年
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ヴァーチャルアイランド・プログラム33.

2009年02月07日 | Design&3DCG
 昨日のブログで、緑の波線が囲んだエリアを思い出して欲しい。その一つはクラシックな街を整備しようというものだし、もう一つは新しいリゾートをつくろういとうものである。
 その新しいリゾートの地区計画が、今日の写真になっている。調度地区の中央部に、グリフィンという要塞跡がある。この要塞跡を再生させてリゾートホテルとしつつ、背後の街を整備しようという計画である。マスタープランからスケールダウンし、こうした限られた環境の計画を示したのが、地区計画である。さらに街区や施設ごとに計画すれば、建築の仕事になるだろう。このように提案は、空間のスケールに応じて段階的に提示されるのである。
 だからヴァーチャル環境では、最初に制作した段階から、自分できちんとスケールを押さえておかなければならない。というのも仮想環境では、いかようにでもスケールが設定できるからだ。一度スケールを押さえ現状地形図を制作したならば、以後はそうしたスケールをもとに全ての作業をしてゆくことがポイントになってくる。
 よく受講生にこうした課題を行わせると、先ずそうしたスケール感が曖昧な作品が見受けられる。デザインを考え、そして図面化するのであれば、どんなものにもスケール感が求められる。そうした意識の甘い受講生が多いのが現実である。
 ヴァーチャルと銘打ちつつ、実はヴァーチャルからリアルへ変換してゆくことを、この課題では求めている。というのも、私達の仕事のフィールドは、ヴァーチャルではなく、現実の環境だからだ。だから、ヴァーチャルというのは、導入部の手法の概念なのである。
 この課題で求めているのは、仮想環境を使いながら、リアルな環境形成の方法を学ぶことなのである。そういう意味では、シミュレーション概念に近いだろう。私達のデザイン分野では、リアルな環境で制作してゆくことが、最終目的なのである。そのための訓練としてヴァーチャルアイランドという仮想環境から、リアル環境へ橋渡しできるブログラムとしているのである。
 次回は、ヴァーチャルアイランドの背後にある、この街の整備後の姿について語ろう。

制作:2006年
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ヴァーチャルアイランド・プログラム32.

2009年02月06日 | Design&3DCG
 仮想環境に現状地形図ができたら、ここからさきはこれまでの環境デザインの方法が踏襲できる。
 ここでは、島の将来ビジョンとなるマスタープラン(総合計画)づくりを行った。サスティナブルな環境形成のために、先ず数段階の土地利用のルールを設定した。島のレンダリングをしながら、一番風景明美な地域には、一切の開発行為ができない環境保全地域とし、集落に隣接し、島の将来の生計や産業のためにある程度の開発ができる環境形成地域とした。これらを両極とし、このあいだに緩やかな保全と開発の度合いを設定した地域をいくつか設けた。
 さらに開発のための地区を限定し、図ではブルーに塗り分けた範囲とした。といった具合に、環境保全と、島の生業となる開発との調和を目指したマスタープランとしている。そしてクリーンで囲んだところが、重点的に整備してゆきたいデザイン戦略地区である。
 オペーションは、難しいことはなく、現状地形図を用いて、環境保全と開発の考え方を、その人なりのコンセプトに基づいて、土地利用計画として作成すればよいのである。ここでは、主にIllustratorの作業が主であった。もちろんレンダリングしながら、ベストビューをさがすという、フィールド調査は伴ったが。
 実際に、世界のリゾートをみれば、大変優れた総合計画が多い。優れた環境をつくるためには、こうした緻密なフィールド調査に基づき、高度な戦略性や施策を秘めた総合計画が基本になるのである。それなくして、環境保全などできない。そんなことを、理解してもらうためのプロセスである。
 ところで、我が国!?。まあ付け刃みたいな計画は、私も自治体や企業の報告書でみたことがありますが、ビジョンやイメージをしっかり踏まえた環境計画はないですね。

制作:2005年
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする