Creator's Blog,record of the Designer's thinking

フィールドワークの映像、ドローイングとマーケティング手法を用いた小説、エッセイで、撮り、描き、書いてます。

EOSな日170. 4月1日までこのブログはお休みします。

2019年03月24日 | Kyoto city

図1.   さて建築写真風に試写した画像を並べてみた。建築物と撮影機材とを水平・垂直に維持するというのが原則だが、道が狭くそれでは全部はいりきれなかった。そこで上すぼまりで撮影しておき、photoshopで修正したが歪みはとれない。もともと水平・垂直が撮れていないことになる。水準器は必須だと思った。

 

図2.   これもphotoshopで修正。できるだけ建築物に撮影機材の水平・垂直を維持すれば周囲に余分な要素が周囲に入り込む。だから大いにトリミング。京都の風景は、トリミングが必須。それでも取り切れない道路標識がうつる。

 

図3.   露出を切り詰めたので夜の空気がでたかな。屋根の上に見えるのは、おぼろ月夜。舞妓さんの十八番。ぼんぼりが歪むのは超広角レンズのなせる技。このあたりが、こうした通例の機材による撮影限界。つまりぼんぼりがないときに撮影するほかないだろう。

 

 図4.   なんとか立面図風に撮れただろうか。今回もWEBライティング補正をオートのままなので、もろに白熱電球の色がでてしまったけど、冷たい色よりは、こちらの設定でよかろうと理解した。つまりなにもいじらないというわけだ。

 

図5.   それにしても手持ち撮影でシャッター速度1/6。ぶれていないのは、EOS1Dsのボディが重たいからだろう。撮影機材は軽くすればよいというものではなく、やはり必要な重さがある。月が楕円形、修正できなくはないが、それをやると絵画だろう・・・。

 

図6.   建築の立面を撮ることを意識しなければ、やはり普通に撮れる。このほうがいいかな。

 

 古い建築物を撮影するのには、建築立面を歪まずに撮れるシフトレンズを使うか、ミラーレスならシフト補正をする。この場合は三脚と水準器があれば申し分ない。それ以外に建築全体をとりあえず撮影しておいて、後でphotoshopで修正する方法もある。歪曲収差はキャノンのプログラムで補正する。いずれにしても簡便な方法という程度のもので、しゃきっとせずどこか緩いのであり、図面とはほど遠い。

 どの方法をとるにしても大きな建築は空間上引きがないと、歪まずに撮影するのは難しい。これに1mの折り尺のスケールを一緒に写しておけば、後で立面図をつくるときの目安になる。もちろん一番良い方法は、メジャーを持って実測するか、いまならレーザー測定だろうか。

 そんな撮り方を意識して、といって三脚も水準器も使わずに、建築立面の試写を夜遅い祇園で試みた。夜の方が人が少ないし、雨だし、木曜日はお店が休みの所も多く好都合だ。被写体と撮影機材を水辺・垂直を意識したが、夜の街は暗くてそんなのはよくわからんという結末。

 そんなわけで明日からフィールド調査なので、このブログは4月1日までお休みします。

 

京都市祇園南町 2019年3月21日

EOS1DsMark3,EF16-35mm/F2.8L 

ISO3200,焦点距離16mm,露出補正-0.67,f/4,1/13

ISO3200,焦点距離16mm,露出補正-0.33,f/5.6,1/8

ISO3200,焦点距離16mm,露出補正-0.33,f/5.6,1/25

ISO3200,焦点距離22mm,露出補正-0.67,f/5.6,1/15

ISO3200,焦点距離16mm,露出補正-0.67,f/4,1/6

ISO3200,焦点距離35mm,露出補正-0.67,f/4,1/60

 

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EOSな日169. 薄暮の街で

2019年03月23日 | Kyoto city

図1.   夕方も早いとまだ民家に明かりがともらない。デジタル画像はラチチュードが狭いので空の描写を出せば民家は黒くつぶれるし、逆なら空が飛んでしまう。そこをphotoshopのトーンカープを逆S字カープにして大いに補正した。

 

図2.   前にも撮影したけど、建築の人間としては空間がドン付きで行き止まりとかL字になっているような錯覚感を感じさせて面白いと思った。通例ならぶれるシャッター速度1/8、手振れ補正機能と重たいボディが、こういうときに役立っている。

 

図3.   このメリハリがないなんとも同じ明るさになっている頃が薄暮の時間である。正面の赤くあかりがついた民家の室内と外とが同じ明るさになる。毎日やってくる数分ぐらいの僅かな時間が、不思議な空気を漂わせてくれる。

 

 図4.   これぐらいの画角で民家が入ると調度よさげなのだ。40mmという焦点距離が、レンズにマーキングをしておこうかなと思わせるぐらい民家をほどよく画面に納めてくれる。それに歪曲収差も小さい焦点距離だ。 

 

図5.   さて人通りの多い花見小路をどのように撮りゃいいんだといつも迷う。しゃあない、クラクションを鳴らして、蹴散らすようにやってくる車を正面に入れて、都踊りのぼんぼりの列でも・・・。全然花見小路が写っとらんじゃないか。ええんちゃう、画像が傾いていて混沌としているような気分もあって・・・。

 

図6.   また正面から舞妓さんがやってくる。バッチリ取れる距離だけど撮らない。すれ違いざまに顔の表情をみると緊張している。10代という歳を考えれば、お座敷とはそういうものなのだろう。撮らなくてよかった。しかしグーンと離しておいて民家をバックに300mmで一気に撮るのが私流。舞妓さんがやってくると、職人さん達が、さあ仕事だと持ち場に散ってゆくようにも思われる。ここでも重たいボディと手振れ補正機能に助けられている。

 

 薄暮というのは、日が暮れて外の明るさが失われてゆく頃、室内の明るさが増して、調度両方の照度が同じになる自然現象だ。曇天だろうが雨が降ろうが、やはり外の方が照度は高いのである。それが外と内とで逆転する数分程度の時間帯なのである。1日2回は体験している。朝は寝ている頃なので関心が薄いが、夕方はハッキリと見て取ることができる。それも天候とは関係なしに。

 その頃に室内の写真で窓から外の風景を加えると、室内も外も綺麗に描写される。だから撮影する側にとっても大変貴重な一瞬なのである。特に春のボンヤリとした天気の頃などは、なんともいえない空気を漂わせてくれる。冬だったら空が紫色に描写されるだろう。

 今の季節だと18時から18時30分の間の僅か数分程度である。夏だったら19時以降だろうか。そんな時間をどうやって過ごしているだろうか。仕事が終わって、さあ飲みに行こうなんてはしゃいでいる間に薄暮が通り過ぎ、お食事を18時に予約しちゃったのよ!、遅れないでね!!、なんていわれて薄暮を見逃したり、つまり私達の行動の節目にあたる時間帯なのだ。

 特に写真に興味のない女達は、この薄暮の頃にいろんな予約を入れてくれるわけだ。「あら、夜景が綺麗ね!」なんていわれても、撮りそびれた薄暮の方がとても綺麗なのだ。女達はそんな自然現象に関心がないわけだ。そういうとき、私は憮然としてバカな女を相手にしちまったぜと後悔する。「毎日みているだろうよ!、そんなことに気がつかないのかよ!!、自然の光の変化に鈍い女なんかに手を出したのが私の間違いだったな!!!」と心の中でつぶやいている。

 写真を職業としない限り、薄暮は女達には全く関心が沸かない時間帯だ。

 

京都市祇園北町、南町 2019年3月19日

EOS1DsMark3,EF28-300mm/F3.5-5.6L IS USM

ISO1600,焦点距離70mm,露出補正-0.33,f/8,1/50

ISO3200,焦点距離40mm,露出補正0,f/5.6,1/8

ISO3200,焦点距離105mm,露出補正-0.33,f/5.6,1/20

ISO3200,焦点距離40mm,露出補正-0.67,f/5.6,1/13

ISO3200,焦点距離135mm,露出補正-0.67,f/5.6,1/200

ISO3200,焦点距離300mm,露出補正-0.33,f/5.6,1/20

 

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EOSな日168. 奥へ続くろーじ

2019年03月22日 | Kyoto city

図1. 辰巳橋に通じるろーじ

 

図2. 玄関に通じるろーじ

 

図3. 通り抜けるろーじ

 

 京都では、路地をろーじと読んでいる。それが街の中に数多く存在している。それも古都魅力の1つを形成している。洋の東西問わずろーじは存在している。例えば小さなテーブルと椅子をだしてカフェテラスにしているモナコの狭い路地がある。しかしそこを利用する人々の意識が異なる。

 私がかって名古屋のカフェテラスでみた経験では、表のテラスから座席が埋まってゆく欧米人に対して、店の一番奥から座席が埋まってゆく日本がいた。日本人は路地の奥のさらに店の中の一番奥のテーブルにたどり着いたときに、つまり隠れるような感覚になれたときに落ち着くというわけだ。そんなところが欧米の意識とは大きく異なっている。

 そんな欧米人と日本人の意識の違いは何に由来するかという研究もなく、世代が変わり次第に日本人にも欧米的カフェのように利用意識が広まってしまう。

 日本の路地は公道はおろか、店の中にまで引き込まれて植栽のあしらいとともに狭さの美学をつくりあげている。要は土地が狭かったので、どうしようかというあたりが出発点なのだろう。

 都市計画の視点で見れば、路地こそ排撃すべき対象であり、そんな消防車も入れない狭い道をつくってはアカンという考え方が底流にあるから、意図的に計画されることはなく、道はできるだけ広く真っ直ぐな方がよいのだという計画側の論理があり、建築基準法では4m未満の道は道にあらずという法律もある。

 ろーじは、色々な思惑がうごめく面白い空間だ。私が街をデザインすれば、やはりろーじをつくるだろう。奥へ続くろーじは、様々な人々によって多様な意味づけをもって存在してくるからだ。私がろーじにこだわるのも、そうした理由があるからなのだけど。

 

京都市祇園北町、祇園南町 2019年3月2日 

EOS1DsMark3,EF16-35mm/F2.8L USM

ISO1600,焦点距離16mm,露出補正-0.33,f/2.8,1/25

ISO1600,焦点距離16mm,露出補正-0.33,f/2.8,1/30

ISO1600,焦点距離35mm,露出補正-0.33,f/3.2,1/40

 

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EOSな日167. いつも思うのだが・・・

2019年03月21日 | field work

 ミニ旅4日目の最後は、13時発便で那覇から関空にもどるから街を徘徊する時間がない。いつもの20時発便にして首里でも散策すればよかったと思ったが、もう空港に来ちまったぜ。早めの昼をA&Wのアメリカンバーガーで食べるとしても、さらに時間をもてあますから文庫本を調達する、三浦しおんの「光」だな。

 フィールド調査の癖が抜けないから空港には2時間前に着くことにしている。しかしそれって待ち時間の使い道がない。

 いつも思うが、チェクックインしてから風呂にはいれるとかマッサージとか、時間をつぶすアイテムが欲しいが、役人気質の日本の空港では無理。あの関空や中部国際空港ですらチェックインしたら、免税店はあるが食べるところがないという不手際だ。実は荷物を預けて身軽になったチェックイン後のすごし方が欲しいですね。我々は、航空機会社のラウンジに逃げ込み仕事ばかりしているわけではないのだ。

 そのpeachも、これまで無料バスで運ばれた貨物エリア内の倉庫搭乗口から、3月18日以降、空港際内連絡ターミナルに移転する掲示がされていた。ようやく長蛇の列をなす連絡バスや殺風景な空間から解放される。それにしても那覇空港っていつも混んでいる。JALはpeach以上の人の列だ。あれをみるとますます避けたくなる。そこへpeachとバニラエアが乗り込むわけだ・・・・。

 今回気を使ったのが持込手荷物の重さだ。事前計測したらpeachの手荷物制限7kgを越えていた。EOS1Dsだけで3kgある。那覇空港でpeachの秤にかけるときは、ダウンジャケットを着込みペットボトルや文庫本をポケットにいれてと涙ぐましい努力。その結果リュックは4.4kgで、はいOK!、となった。ジャケットの後ろに隠すように担いだ機材は計測しなかったのだ。それで救われた。

 今回は、3kgの機材を毎日担ぎ回せ、以前のように毎日撮影気力が続くかの訓練だった。RAW画像で185枚撮影してバッテリー消費量は32%、1枚あたり平均0.17%消費するということは、1本のバッテリーでRAW画像が588枚撮影可能。つまり500枚過ぎたらバッテリー交換、4回バッテリーを交換したらCFやSDカードも交換というわかりやすい目安だったことを再認識した。

 最後に、リムジンバスからみた、あべのハルカスを望む大阪市内の画像(丸一鋼管かぁー!)でも上げて、ミニ旅はお終いにしよう。ここは、夜便で帰ると大阪の街の夜景が綺麗なんですけどね。

 

iPhon7

ISO32,焦点距離3.99mm,露出補正0,f/1.8,1/120

EOS1DsMark3,EF28-300mm/F3.5-5.6L IS USM

ISO400,焦点距離170mm,露出補正-0.33,f/5.6,1/8000

 

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EOSな日166. 南風原からの道

2019年03月20日 | field work

図1. 南部原の空

 

図2. テラスハウススタイルの死者の舎。本当は生きている人間のマンションをこのようにデザインして欲しいのだけど・・・。

 

図3. 坂を下るから街並みはよく見える。沖縄の現代住宅は結構カラフルな家が多い。こっちの道を下ればよかったか。最近決断力も萎えている。

 

図4. ハイビスカスかな。那覇市内ではよく見かける。2階建ての家の壁面を覆うぐらいに成長している。

 

図5. 牧志の飲み屋街も、時間が早いのか、あるいは飲み手が少なくなったのか閑散としている。もう泡盛をチビチビという時代ではないのか。まあ夜遅くにこないと実態はわからない。

 

(本文)

 ミニ旅3日目は、米軍の古い地形図を探すために南風原の沖縄県公文書館に出かけた。南風原という地名が古い記憶にある。調べたら旧陸軍野戦病院があったこと。そして艦砲射撃で多数の戦死者がでたことが記載されている。ここを越すと反対側の与那原の海岸へゆく。だから南風原は沖縄本島の背の部分にあたり、那覇と首里とのアクセスの要衝なのである。

 米軍の地形図は、日本軍が作成した地図を元にしてつくられたと公文書館のWEBで読んだ。なんだ戦争前からバレバレの世界じゃないか。これをもとに沖縄本島に米軍が進駐してきた。いまもいるけど・・・。

 公文書館からの帰りは、Google検索で住宅街のなかを右へ左へと続く道が検索できるはずだった。目標を牧志市場にしたら大きな道でガイドされた。農連市場を目標にすればよかったか。まあ前回とは違う道なので歩いてゆくか。

 しかし、この道はつまらない。撮影行脚もいつも発見があるとは限らない。むしろつまらない事の方が多い。だから、つまらないなりに撮り歩く忍耐力の世界だ

 牧志市場まで1時間半以上歩いたか。疲労回復に牧志食堂でステーキ定食だった。

 今回初めてMR.KINJYOに泊まった。ワンルームマンション風のつくりで合理的だし、IH付きキッチンや電子レンジ、洗濯機もあり落ち着くではないか。ここいいじゃん。つくる予定もないのに調理セットを借りてみた。ないのは調味料だけか。炊飯器も貸してくれるから、今度は米に調味料持参か、昔の旅みたいだ(笑)。

図6. 千円で貸し出される調理セット。何日借りても価格変わらず。ただし数がある分だけ。

 

EOS1DsMark3,EF28-300mm/F3.5-5.6L IS USM

ISO400,焦点距離28mm,露出補正0,f/11,1/1250

ISO400,焦点距離135mm,露出補正-0.67,f/11,1/400

ISO400,焦点距離105mm,露出補正0,f/11,1/320

ISO400,焦点距離50mm,露出補正-0.33,f/11,1/40

ISO1600,焦点距離28mm,露出補正0,f/5.6,1/40

iPhone7

ISO32,焦点距離3.99mm,露出補正0,f/1.8,1/30

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EOSな日165. 朝の神楽坂

2019年03月19日 | field work

図1. やはり路地はこのように折れ曲がり遠くが見通せないところが素晴らしい。だれがこんなことを考えたのだろう。それにレンズも標準レンズの焦点距離だ。この画角が実に自然だ。

 

図2. 路地に差し込む光は貴重だ。光が採れればいいさという気分でシャッターを押していた。

 

図3. 坂の街だからね。敷地の高低差がこんなところに顔をだしているんだ。

 

図4. オッ、和服姿!、シャッターチャンス!!。EOSのドライブ設定がSモード?。何これ!、アチャーッーぶれているか??。そう思ったらチャンと撮れているのがEOS1Ds。どんな場合でも押せば写る、撮影機材の基本はそこだよ。押しても写らないというのが一番ストレスが大きい。ちなみにSモードは静音設定だった。音はするけど小さい。こんな時代にすでに付いていたのか。

 

(本文)

 さてミニ旅2日目は、筑土八幡で東京都の役人達と打合わせだ。遅がけに宿を出ても時間があるから、神楽坂の路地を歩きつつ・・あーっ、こんな時間帯に路地を歩いてもなぁーと期待感はない。フィールド撮影のための練習だ。練習といっても撮影ではなく、機材は3kgあるのだから重さになれる練習だ。

 それにEOS1Dsは画像に空間感を感じさせてくれる。つまりカメラのイメージセンサーと被写体の間には空気があって空間があるわけだけど、それが画像に捉えられているような絵の作り方だ。だから、まだしばらくこの機材が活躍するんだろうな。

 さて、さっさと打ち合わせが終わり、お昼は翁庵のカツ蕎麦と決め込んでいる。小さい頃、肉、乳製品が嫌いでタンパク質不足で栄養不良児になったこともある。そのときここのカツ蕎麦をはじめて食べて肉って旨いんじゃんということに気がついた。当時のカツはハム並みに薄かったが、つゆがしみこんで美味だった。私を栄養不良児から救ってくれた翁庵のカツ蕎麦だ。いまは厚いカツになったが、まあ私には美味しいのよ。

 そのあともう何十年ぶりかで東京モノレールに乗って羽田空港へ。沖縄へ出発するまでかなり時間があったはずだが、多分搭乗口前で文庫本をよんでいたんだろう。しかし本は捨てちゃったから、なんの本を読んでいたかは記憶にない。実に退屈な羽田空港だ。

 空港建築としては、羊羹みたいな箱のデザイン。こんなのでオリンピックのときは世界から人を迎えるのかよと思っていたら、隣で建物を建設中だった。といって話題にするほどのデザインでもない。これじゃ日本には文化がない!、そんな第一印象を外国人達に与えるか。実際日本文化なんか形骸化して消失しているのだから、それは正直な姿勢なんだけどさ。

 そんなわけで夕方那覇についた。夜は、あいつを誘って飲みにゆこう。

 

EOS1DsMark3,EF28-300mm/F3.5-5.6L IS USM

ISO400,焦点距離50mm,露出補正-0.33,f/11,1/320

ISO400,焦点距離28mm,露出補正-0.33,f/11,1/160

ISO400,焦点距離28mm,露出補正-0.33,f/11,1/60

ISO1600,焦点距離220mm,露出補正0,f/5.6,1/600

 

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EOSな日164. 湘南海岸へ・・・

2019年03月18日 | Shonan coast

図1. 鎌倉高校前 昔のレコードやCD等のジャケットのカバーみたいな、なにもない画像を撮る人は多い、まあ撮ってみたけど・・・。

 

図2. 七里ヶ浜駅なんだけど、天候次第で面白い画像が撮れるポイント。今日はアカンでしょう。

 

図3. 被写体が乏しい。この店位しか気づかなかった。つまり大概のお店はしまっていた。こうなると寂しいねぇー。

 

図4. 稲村ヶ崎のあの店は何回も経営者が変わってきたけど、まだやっている。

 

図5. 富士山、江ノ島、手を上げている人を頂点とする鋭角三角形。といってそれがどうしたんだい。

 

 ミニ旅初日の午後はキッテ(元東京中央郵便局)で打ち合わせだった。夜の会食会まで少し時間があるから、夕方東京駅から東海道線の電車に乗って湘南海岸へでかけた。しかし実際に出かけてみると、事前にあれをとりたい、これはこう撮りたいといった、あれこれとイメージを膨らませていたのとは裏腹に、レンズを向けたい被写体がないシーズンオフの様相が色濃かった。まあ撮影なんてそんなもんなのだけどさ。

 湘南海岸は、かって随分とサーファーと波を撮影しに出かけた。このブログでは、2008年8月18日とか2008年5月18日をはじめとして多数撮影している。それにこのブログでも湘南海岸というカテゴリーを設けている。さらにお姉ちゃん達のボディも撮っているけど。

 だがまだ水温が低いのか、サーファーがいない。やはり9月の台風通過後に一番よい波が来るので撮影に来たいけど、ここには友人がいないから撮影以外に目的がない。つまりこの土地に縁がない片思いの場所だ。

 帰路江ノ電稲村ヶ崎駅で、カメラを趣味にしている叔母半と立ち話をしつつ画像のみせっこをしていた。叔母半は由比ヶ浜で下りていったけど、あら鎌倉行きの江ノ電に乗っちまった。横須賀線は東京まで時間がかかるんだ。

 夜は、東京・神楽坂5丁目のCASA UOKINでイタリアン風魚料理だった。昔の魚屋「魚金」。まあリーズナブルで美味しかったけどさ。さて文京区の宿で今日は時間を無視して心ゆくまで休もう。

 さて昨日の京都は、最高:最低気温が8°:1°と冬に近かった。もちろん肌寒い日なのだが、あの冬のようなゾクゾクとする寒さに厚着で対抗するのとは少し違うようだ。つまり底冷えがしないのだ。それに今日からまた気温が上がる予報だ。そうなると冬の寒さが懐かしい。まあ人間なんて勝手なモノなのだが。

 

EOS1DsMark3,EF28-300mm/F3.5-5.6L IS USM

ISO1600,焦点距離105mm,露出補正0,f/5,1/13

ISO1600,焦点距離28mm,露出補正-0.33,f/14,1/13

ISO1600,焦点距離60mm,露出補正0,f/4.5,1/40

ISO1600,焦点距離300mm,露出補正0,f/5.6,1/30

ISO1600,焦点距離70mm,露出補正0,f/5,1/40 

 

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EOSな日163. いつもの・・・

2019年03月17日 | field work

図1. 京都-米原   猿木の集落だ。背後の山は多賀大社のご神体。実は集落の背後にキリンピパレッジの工場があるが樹木で隠れているのは幸いだ。

 

図2. 京都-米原   滋賀県も結構面白い集落風景に遭遇できる。

 

図3. 米原-岐阜羽島   東海道新幹線のなかでは、関ヶ原あたりに古民家集落が残っている。あとは山陽新幹線の岡山、広島、山口のホンの一部ぐらいか。だから東京から博多までの沿線は開けすぎているから、あまり撮影意欲が沸かない事の方が多い。つまり実に退屈な新幹線なのだ。

 

図4. 熱海-小田原   山に囲まれた小さな漁港だ。私の記憶では江浦としておこう。スケッチをする人たちのポイントだけど。

 

 東京・沖縄へ出張、私的にはミニ旅だった。誰かが言った、旅は帰るためにある。帰ってきてから画像を整理しブログを書く翌日の時間がとても心地よい。そんななか旅グッズをほどきつつ、旅の記憶があるうちに、まとめて書いておこう。

 旅の初日は、いつもの新幹線ホームでホットレモンティーを調達し、スタンドの叔母半達からまだ元気にやっているよーと声をかけられ、いつもの空席ばかりのひかり号で、いつもの車窓撮影だった。

 東海道新幹線も速度を上げたために、民家のあたりは防音壁が建てられてしまい、空しか見えない。これがリニア新幹線になるとトンネルの闇夜か。乗客は詩人になるほかないな。

 曇天はデジタル機材の嫌いな色だ。カラーモードは合わせない。まだ桜は咲いてない。桜の話題にこだわるというのは、冬と決別したい意識の表れか。

  これまで2月〜3月に旅に出かけていることが多かった。この時期は大学の講義がなくなった頃だったが、大学を去っても、またこの時期に旅をしている。多分街が静かでよいのだよ。

 

東海道新幹線・京都-東京 2019年3月12日 

EOS1DsMark3,EF28-300mm/F3.5-5.6L USM

ISO1600,焦点距離100mm,露出補正-0.33,f/5,1/8000

ISO1600,焦点距離105mm,露出補正-0.33,f/5.6,1/8000

ISO1600,焦点距離85mm,露出補正-0.33,f/5,1/8000

ISO1600,焦点距離50mm,露出補正0,f/6.3,1/8000

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Nikin Freak359. 3.11、そしてこのブログは3月16日まで休みます。

2019年03月11日 | Kyoto city

 

 桜が咲き始めたのだろうか。

 さて、BS1スペシャル「緊急被爆医療の闘い〜誰が命を救うのか〜」(2019年3月10日放映)をみていた。福島第一原発(F1)の事故をはじめとする医療現場の混乱の様相のドキュメンタリーのなかで、私は特にテーマから外れるが2つのことに眼がいった。

 1つは、浪江町などからの避難者の放射線量測定の場面で基準値を上げないと大量の人間の測定ができないということがあったことを報じていた。もちろんそれは緊急時の現場の措置だったと報じていた。

 2つは、その後に東京消防庁がF1へ消火活動をゆくのに際して、国から「人体が受ける放射線量の安全値を引き上げられないか」とする国の要請があったことを報じていた。

 この2つのことの関係性は、テーマの趣旨から外れるので放映されていなかったが、時系列から類推するには、現場の経緯を知らない国の役人の誰かが基準値はあげられるのか、そうだとすれば消火活動の時間がかせげる、じゃ基準値をあげてはどうかと判断したのだろうと考えられた。

 私は、いかにも科学の知見を欠いた文科系の人間が考えそうなへ理屈があったなと思ってみていた。ようは国の指揮系統も混乱していたわけだ。

 いつも歴史が教えてくれることだが、前代未聞の出来事がおきると必ず対応できない日本の姿がある。そして万事やることなすことが遅いのである。アメリカの9.11のときにすぐさまアメリカ上空を飛ぶ全ての航空機の飛行を禁じたりする対応がとられたが、なぜ日本は、万事やることなすこと、そして決断が遅いのだろうということを考えさせられる。そうした対応の遅さがF1をメルトダウンさせ被害を大いに拡大させてしまった。もちろんメルトダウンを回避できる時間はあったにもかかわらずである。そこが大いに悔やまれる。

 本来ならば、F1が全交流電源喪失となったときに、メディアの専門家も私も、即電気を送らないとやばいぞと思っていたから、当然非常用発電機を自衛隊に空輸させる措置がとられていたのかと思っていたら、電源車は震災で渋滞している常磐道にいたというお粗末さだった。現場にいない人間達の危機感の欠落が自体を悪化させる方向に動いた。そこには、地震だったからしょうがないよな、とするいいわけが成立がすればよしとする姿勢、そして地震津波、全交流電源喪失による原子炉の科学的意味がわからない文科系的的対応だったと思われる。

 3.11のこの日が来るたびに、自然災害よりも日本人の対応のお粗末さと遅さが事故を拡大したんだということを教訓として思い出す。万事文科系マネージメントにすべてゆだねていないで、もう少し自分で科学を勉強し、科学的物事の見方や考え方を身につけておこうね、と私は教訓にしているけど。

 さてさて明日から仕事で東京・沖縄と出張なので、このブログも3月16日まで休みます。

 

京都市宮川町、祇園南町 2019年3月10日

NikonDf、AF-SNikkor85mm/F1.8G

ISO12800, 露出補正-0.67,f/4,1/2000

ISO12800, 露出補正-1,f/2,1/3200

ISO12800, 露出補正-0.33,f/2.8,1/4000

ISO12800, 露出補正-1,f/11,1/25

ISO12800, 露出補正-0.33,f/2,1/320

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Nikon Freak358. アドレスホッパー

2019年03月10日 | Kyoto city

図1. 河端通   実は、このアングルで舞妓さんの髪飾りを撮りたいのだがと思いつつ、今日は撮りそびれた。このアングルはフォトグラファーの奈良原一高さんがスペインのマタドールを撮った写真が記憶に残っているからなのだが。

 

図2. 安井金刀比羅宮   縁切り寺だから絵馬には切りたい縁が書かれてある。実は、それを読むのが面白い。「旦那が芸子の××と縁が切れて我が家に戻りますように」というのがあれば、「ダーリンが奥さんと縁が切れますように!」というのもある。そんな本音がズラーッとだ。京女は旦那に奥さんがいようが、そんなことは関係なく、うちにきたらわてのもんという意識。

 

図3. 四条河端通 アドレスホッパーというのは、こんな感じかなとイメージしているけど。

 

図4. 祇園南町   この街を歩けば舞妓さんに必ず遭遇する。あらっ回りを見渡したら、私しかいないではないかと少し慌ててしまう。

 

図5. 花見小路   4月から都踊りが南座で始まるんだ。だからぼんぼりが建てられている。都踊りをみたら京都は、もう十分じゃないか。

 

(本文)

 昨日の京都は、外気温が16°と高かったのだが町屋のなかは寒いぐらいに冷えていた。まだまだガスストーブとダウンコートが離せない日々が続くようだ。

 さて日経流通新聞3月6日号が、「アドレスホッパー」というライフスタイルを紹介していた。

 それは、自分の家をもたないでシュアハウスなどを転々としながら、ウェブメディアなどで仕事をしつつ、日本全国や世界を移動しながら仕事をするノマドワーカー達、あるいは多拠点生活者という概念だそうだ。アドレスホッパーの医者もいるそうだ。いまの20代から30代の若者達のライフスタイルの1つだ。多拠点生活者数は17万1千人と推定している。

 私の回りを見回すと、そうしたライフスタイルをしている人間達が確かにいる。昨年もそうしたアドレスホッパーが結婚式に呼んでくれたし、仕事と恋人が一緒という人間もいた。場所が変わると彼氏も変わるけど。

 最近シュアハウスやゲストハウスが増えているのも、長期滞在をしたいアドレスホッパー達のニーズを満たしている部分があるだろう。実家に住民票をおいておけばよく、あとは自分の家を持たない身軽さがある。

 そうした人々のニーズに応えられる都市サービスがあり、仕事情報をもったコミュニティがある。それは成熟した都市を使いこなしている姿か。あるいはホントに人生旅暮らしを実戦できるほどに私達の生活環境がよくなっているわけではあるが。

 さて今日は、背景が大いにボケる85mmレンズを意識的に使った。

 

京都市祇園町南側、2019年3月9日

NikonDf、AF-SNikkor85mm/F1.8G

1)ISO800, 露出補正-0.33,f/2,1/2500

2)ISO5000, 露出補正-0.33,f/4,1/100

3)ISO3200, 露出補正-0.33,f/2,1/100 

4)ISO5000, 露出補正-0.33,f/2,1/100  

5)ISO2000, 露出補正-0.33,f/2,1/100  

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Nikon Freak357. 黄昏の街

2019年03月09日 | Kyoto city

図1.  なにしろ85mmのレンズだもんで背景をたっぷりぼかしたい。だがそんな風に撮れる空間がない。しかたなかいから、こんなので背景をぼかそう。

 

図2. この画像をみたとき、まさに黄昏の街という古くさいタイトルを思い出した。しかし、これがかっての日本全国どこにでもみられる一番的な街の姿だったのではないですか。そんなかっての街は美しかった。そして今は既に私達の回りから消えている。私達は近代合理主義を選択し、代わりに美意識を失ったということだ。

 

図3. 街を撮影していると、いろんな声が聞こえてくる。「あんなー、彼どうなったん・・・」、「それなぁー、三角関係なんやわ・・・」。そんな声が聞こえてきた。そして舞妓さん達が追い越していった。あら!、彼女たちの会話だったのか?。三角関係ねぇー、そんなもんで京女はたじろがないですけどね。

 

図4. どこかホラー映画に登場するオカルトファミリーみたいに見えたんだけど。街の空間は無関係な人が偶然並んだだけで、様々な意味を持つことがある。なにしろ都市は劇場だそうな。

 

 久しぶりにニコンDfを持ち出した。

 あらっ!、オートブラケットの設定はどうしたかとMEMU画面をつつく。しかし夜の暗い街で、そんな設定は不可能よ。ドトール珈琲に落ち着いてようやく設定できたけど撮影は終わっていた。

 こういうところは、どんな場合でも機能する使い慣れたEOS1Dシリーズが私には一番使いやすい。今のEOS1Ds mark3のボディに不足を感じたら、次もEOS1Dシリーズですね。それだけのことがある機材でしょう。

 今のデジタル機材は、ある程度ブログラム化された設定方法が多い。もちろん設定できれば、それなりの効果があるはずだけど、その設定操作が煩わしい。だからEOS5Dシリーズなどは、露出がとても正確なんですといわれても私は使いたくないわけ。その正確な露出をEOS1Dシリーズに組み込めばいしじゃん、と思うけど。そして今年は次のEOS1Dが登場するかもしれない。少なくとも通信機能は、いまよりははるかによくなっているはずだから、その頃に後継ボディを調達したいですね。

 なにしろフィルム機材からデジタル機材にシステムを変えるときにEOSに乗り換えちゃったから、フィールドで使うときはEOS、近所の街歩きはニコンと役割が定まってきたようだ。それまではニコンの代わりがオリンパスだったけど、これは水中機材も含めて処分しちゃった。

 撮影機材って、性能よりも使い慣れる、使い慣れることを裏切らない、そうしたデザインが欲しいですね。そうした機材は、いまのところ私にはEOS1Dシリーズ以外にはないですね。

 

京都市祇園町南側、四条通、2019年3月8日

NikonDf、AF-SNikkor85mm/F1.8G

1)ISO3200, 露出補正-0.67,f/2,1/320

2)ISO3200, 露出補正-0.67,f/2,1/160

3)ISO3200, 露出補正-1,f/1.8,1/200 

4)ISO25600, 露出補正-0.33,f/3.2,1/640

コメント (3)
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ZEISSの空気50. 3局巡りの散歩

2019年03月08日 | Kyoto city

図1. 寺町通   2階建ての家並みが続く昭和のプロポーションが心地よいと思う。日本の空間は2階建てまでが調度よかったりするのかもしれない。

 

図2. 信富町の路地   思わず門構えのある小道を奥に進んだから路地に行き当たった。この路地を挟んで町内が別れるという京都では珍しい仕組み。だから路地を介してのお互いのつながりは少ないのだろう。

 

図3. 新烏丸頭町   塀かぁー、確かに日本の住まいは昔から塀ばかりだった。とくに江戸時代の藩邸などがそうだろう。だから商店街をのぞけば街並みという認識が最初からなかったのだろう。

 

 (本文)

 朝から書類作成のため国税局、郵便局、法務局と3局めぐりの散歩だった。いつも役所に行くときは時間つぶしに撮影機材を持参する。しかし最近役所も待つことが少ない。唯一パスで出かけた法務局の帰りは歩いて街徘徊だった。このあたりが町の小さい京都の強みだ。

 それでも荒神口の法務局から下がって信富町の路地を抜けて丸太町通りを横切り、寺町をさがると進々堂は満席か。二階建ての家並みが続く寺町通は日本的な景観だ。ただ軽く立ち寄れる店が少ない。次の御池通を横切り寺町をさがってゆくと、今日はスマート珈琲のランチもお休みか・・、ついてない。そのままさがり錦小路を抜け東洞院通りの定番の上島珈琲でランチという散歩コースだった。街歩きとしては、私的にはいささか退屈な徘徊だ。

 ひな祭りも過ぎて京都も暖かくなってきた。桜の開花も少しだけ早まりそうだ。もう冬はいっちまったか。

 さてSONY機材ではじめてRAWで撮影し画像ソフトで修正してみた。修正しても良くはならない。むしろ修正しないほうがよいようだ。α6000はシャープな画像だが、今ひとつウっーーん、ツルッとした感覚の優等生的な画像ねえ・・・私の好みとは少し違うけどなぁー。それにしてもこの機材はjpg画像を主に調整されているのだろうか。そう思うのは私だけか。そうなると来週の東京・沖縄出張はEOSにしようか・・・。

 

 図4. 上島珈琲   定番の座席で遅いランチ、昼の時間を過ぎると開いている事が多い。

 

京都市中京区

SONYα6000,Carl Zeiss Vario-Tessar f4/16-70mm ZA OSS T*

ISO100,焦点距離16mm,露出補正0,f/8,1/200 

ISO400,焦点距離16mm,露出補正0,f/9,1/60 

ISO400,焦点距離24mm,露出補正0,f/9,1/60 

iPhone7

ISO25,焦点距離3.99mm,露出補正0,f/1.8,1/30  

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ドローイング179. お寒い国家

2019年03月07日 | drawing

 このブログでフェイクニュース、すなわち風評のことを取り上げたので、この話題を少し続けよう。

 

1.フェイクニュースを制するためには、先ず情報伝播の速度が必要だ。

 フェイクニュースが出そうだという予測はSNSをみているとわかりそうなものだ。最初に事実があり、次いで曖昧な情報が流れ、そこにユーザーの論拠なき憶測による意味づけ行為が加わるとフェイクになる。そして拡散すれば、誤情報でユーザが動きだすことにつながる。こうした時間は、ものすごく短い。

 だから最初に事実なり事件が起きたときの情報の発信速度が重要なのだ。単に「空港は浸水のために閉鎖します」、という情報だけではアカンのである。閉鎖したら予約した国際線はどうなるのか、どうやって家に帰るのか、そのための足はどうなるのかということにユーザの関心が行くことはわかりきった話だし、これを継続情報と呼んでおこう。そうした継続情報がすぐにSNSで発信されないというのが、なんでも遅い日本の体質だ。

 

2.フェイクニュースに勝てる情報量と論拠が必要なのだ。

 フェイクニュースは一気に大量に拡散する。それに勝てる情報量を提供することである。フェイクニュースには大方は論拠がないのが特徴だ。そこを論拠ある情報を論述的に発信させることが必要になる。論拠があることによってフェイクニュースを駆逐できるだろう。

 

3.情報発信者のアイデンティティを表示すること。

 アメリカ大統領がツイッターに投稿すれば世界は聞き耳を立てるが、それは彼が世界一の著名人だからだ。1国の行政や公共機関の事務職員が情報発信をしたところで、誰が発信した情報なのかということの信憑性がない。だからロゴマーク等の視覚的要素をともなった情報発信をすべきなのである。ユーザーは視覚的認知によって物事を判断するというのがコンピュータ時代の特徴なのである。公共施設や企業には、ロゴマークがあるでしょうがぁー。それをSNSを通じて発信すべき情報につけておくべきなのである。それも通じないのであれば、日本国のシンボルをお借りするのだろうか・・・。

 

 情報の基本的なことを書いたけど、はたして日本でできるだろうか。

 1については、なんでも遅い体質の日本だから無理でしょう。正確な情報収集をしているので時間がかかりますなどと平然という人間もいたりして、こちらはあきれる話なのだが、それって、つまり自分達の組織や現場を普段から把握していないということじゃないですか。つまりメディアがうるさいから逃げようという役人体質だよね。私がいうのは、メディアより早い速度で情報を発信しろといっているわけである。

 2については、論拠を示すというのは当事者しか持ち得ない情報だから説得力がある。しかし組織というのは秘密主義が横行しているわけね。都合の悪いことは隠そうというわけだ。それに継続情報になると、各企業や組織との協議が必要になるので時間がかかりますという話に当然なる。協議なんなていうのは平和時の話であって緊急時に行う意味はない。

 もう一つ書き加えると論拠に対する認識が薄すぎる。大学の卒業論文をちゃんと書いてきたのだろうかと思いたくなる場面に私はよく遭遇する。そういうのは定量的な論拠を数式で扱わなかった文科系出身者に多いのだけど。いま私達が経験するのは論拠ではなく、現場の人間達の思いつきばかりだ。接遇は、そうしたユーザのかわし方だと勘違いしている場面によく遭遇する。それじゃSNSのフェイクニュースに先手をうつことはできない。

 だから結論としては、これからもフェイクニュースは暗躍するし、それによって不利益を被る人、殺される人もでてくるでしょうね。そう、我が国は、お寒い国家なんですよ。

 

クロッキー帳No42.

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ドローイング178. 関西空港

2019年03月06日 | drawing

 3月5日のブログで関西空港のことを書いたら、タイムリーに翌日地元放送局のニュースで、同空港は大規模地震時の避難訓練をしていることを放送していた。

 ニュース放送によれば、安全・安心できる空港を目指すはよいけど、やっていることがやはり20世紀的だ。あれで訓練になるのだろうか。地震で建物が崩壊することはないが、最大の課題である津波はどうするんだい。昨年の空港閉鎖も浸水による電力喪失が最大の原因だった。そこが不明のままの報道だった。

 どうも基本的な原因を解決しないまま、社会的に安全ですというPR目的のやらせ訓練のようだ。それに平成も終わろうとしている今頃になって、災害時の統一的組織づくりをするという前時代的な古くささにはあきれた。だからやることがオッサンくさいのだよ。

 それに東北大震災以降SNSが日常的に使われている。そんなSNSの風評被害はどうやってくいとめるのかとする訓練をしたのだろうかと疑問を感じる。まして価値観や考え方が違う外国人が多い空港でSNSの風評をはじめとする情報に対して、どのように対処するのだろうか。そこに科学の知見が必要なのである。

 とくに人間は情報で行動するから、SNSによる風評被害に対する訓練は不可欠だ。風評に対してどのように正しい情報を伝えるのか?。それは単に正しい情報をWEBなどにアップさせれば済むという程度のことではないのだ。正しい情報も風評に勝てなければ無視されるだけだ。

 今度大災害が起きるとすれば、風評によって生死を分ける場面があると私は予測している。かっての関東大震災時でも、風評によって殺された人間がいた。そんな風評がいまはSNSによってもたらされる。そこがこれまでの社会と大きく違うところだ。しかし関西空港は、そんな問題意識がないようだ。災害で実際に経験してから考え出すという、すべて後手後手になる様相を今の段階から呈している。そこがまたオッサンくさい関西空港なんですね。

 そんなことを感じながら毎月関西空港を利用しているけど・・・。

 

クロッキー帳No40.

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ドローイング177. フェイクニュース

2019年03月05日 | drawing

 夕飯を食べながらNHKの番組、3月4日『クローズアップ現代+「暴走フェイクニュース駐日外交官はなぜ自殺私たちへの教訓」』をみていた。あらすじをWEBから引用すると「去年9月、台風で関西空港が孤立した際、旅行者への対応を巡り責任を問われた台湾の外交官が自殺した。きっかけは、SNSで瞬く間に拡散したフェイクニュースだった。

 外交官自殺の原因の発端の1つになったのが、空港閉鎖の翌日、空港で取り残された人々を拾い上げるために、空港へ派遣されたバスが中国大使館の手配だとする誤情報だった。そうした誤情報がSNSで拡散し、中国と台湾の関係まで取りざたされ、挙げ句の果てに台湾政府への非難が続き対応に多忙に追われていた外交官を自殺においやった・・・、と番組は伝えていた。

 大筋は番組にゆだねるとして、私が気になったのは、何故関西空港がバスを派遣したとする正確な情報をSNSで発信しなかったのだろうか、そしてバスには関西空港が派遣したバスだという大きな外国語表示をなぜ出さなかったのだろう。そんな外国語はすぐにわかるはずだ。

 多彩な価値観と理解の仕方をもった外国人が多数いる空港である。それらの人間達に正確な情報が伝わる努力を行うのは空港側の仕事のはずだ。日本人の悪い美意識で、これは私が派遣したバスであるといった主張をすると、批判がましい眼でみる奴がいる。やはり価値観の違う外国人のいる社会では、私がやったという主張はうるさいぐらいに主張すべきだ。そうしないと外国人には、わからないことだってある。

 もちろん現場のバス運転手はアナウンスはしただろうけど、そんな現場のアナウンスといった場当たり的日本固有の対応は、今のリアルタイムで情報が流れる時代では無意味。やはりリアルタイムで流れるSNSを通じて、正確な情報を発信し理解させる努力が必要だ。SNSで誤情報の数だけ正確な情報を何回もしつこく流す努力である。要は情報戦なのだ。

 実際関西空港へゆくと、なんかおっさんくさいのだよ。とてもSNSなんかやっている人たちがいるという空気ではないのだ。だから誤情報が流れるている事実すら把握できていなかったのではなかろうか。

 現場のガードマンは、災害時こそ常にSNSで最新動向を把握するぐらいのことはすべきた。制服をきて威張っているなんていうのではピエロだ。そんな雇われ制服ガードマンになんの能力もないことは誰でもしっている。やはりリアルタイムで状況をウォッチできる能力が必要だと思うよ。災害時にフェイクニュースから我々を守ってこそガードマンではないですか。


クロッキー帳No42.


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