Creator's Blog,record of the Designer's thinking

フィールドワークの映像、ドローイングとマーケティング手法を用いた小説、エッセイで、撮り、描き、書いてます。

PEN LIFE1067. なごり

2014年11月30日 | Kyoto city
 京都の紅葉は人が多いから出かけたくない、と思っていたら東京から客人があり、「なごり」と記した札の立つ天龍寺と、長蛇の列の永観堂へ案内するはめになった。京都の紅葉騒ぎも今週でおわり静かな古都に戻りそうだ。
 さて画像は、なごりの地味目の紅葉なのだが、デジタル機材の高彩度の発色であでやかな姿に変わるあたりは拍子抜けする。まあ、つきあいの紅葉ツアーだからええか。
 しばしば京都は、標準レンズ1本で十分だと思うことがある。画像に誇張のない方が、古都の風景には調度よいのだろう。そろそろ冬の光が美しくなるので、標準レンズを付けモノクローム・モードで冬の古都の街歩きをしようという季節である。
 だから手元にある3本の標準レンズをボディにつけてみた。PanasonicのOEM LEICA SUMMILUX25mmは、使い勝手がよいが今一つPENには大きすぎる上につるっとしたデザインが難点だ。付属品のフードの大きさに起因するのだろう。
 どうせ大きいのならばコシナのCARL ZEISS DISTAGON25mmをE-M1につけてみるが、これもいかつすぎる。E-M1のもさっと緊張感のない大きさは、どんなレンズを付けても似合わないデザインだ。余談だがニコンの50mmF1.4は、大変優れたレンズであり、望遠用にと思いE-M1に付けてみたが今一つ格好がよくない。
 結局E-M5に本家LEICA ELMARIT28mmというシステムに落ち着く。本来が広角レンズだからパンフォーカスで撮れるし、マニュアルフォーカスだからバッテリーの持ちが良くなる上に、これが一番スタイルがよい。今年の冬の古都は、やはりこのシステムだな。これにパンケーキレンズか12mmを付けたPEN miniでも加えておこう、という結論になる。こんな風に、ボディとレンズをとっかえひっかえしながら、システムをくみ上げるというのもミラーレス一眼の良いところだ。
 よく観光先で見かけるが、量販店の入れ知恵で、安価で非実用的な標準ズームレンズを付けた高価なニコンボディのシステムが1台!、などという1点豪華主義の選択肢のない機材はわわびしい限り。
 であればグラフィックデザイナー等のように、EOS1に標準レンズ1本だけという潔い選択の方が実用的。つまり印刷で使うことを考えると、できるだけ高画素で撮影しておこうという専門家の意図が働く。それはそれで実用的で格好いいよな。
 つまり撮影機材は、実用的であることが格好良さにつながるという結論になる。ズームレンズが必ずしも実用的とは言い難くオーバースペックなだけだろう。それにライツの金属鏡胴のレンズは、磨くと艶を取り戻すのが良い。みんながみんなiPhoneみたいな材質になるとわざわざデジタル機材を使おうという意欲はなくなるですね。
 今日は支離滅裂の機材論になってしまった。

京都市 嵐山
OLYMPUS PEN E-P5,M.ZUIKO DG 17mm/F1.8
ISO200,露出補正+1/3,f2,1/80.
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PEN LIFE1066. 無形文化遺産

2014年11月29日 | field work
 PEN LIFEも、通勤の新幹線で撮影するぐらいであり、まれのアップになってきた。まれといっても毎日撮影している。ボディはE-P5、レンズは17mmと45mmの二本をいつもリュックに入れっばなしだ。
 さて昨日は岐阜市まで出張であった。岐阜市は、これまで駅前に降りたぐらいの経験しかない。そこで車で別ルートからアクセスした。金華山が街に迫る独特の地形が面白そうだ。特に国道から旧市街へアクセスする道路は、長良川にせり出し、山側はオーバーハングの岩がそびえるというなんとも野趣があるアプローチである。こんな空間がまだ日本にもあったのか。その先に川原町という古い街並みが残っている。
 さて寿司屋のない鮨通を歩くと、尾関提灯という岐阜提灯の店がある。そこでイサム・ノグチの和紙と竹の提灯に再開した。そうか、ここで作っていたのか。
 昔イサム・ノグチの一番大きな置きな型の提灯を調達したことがある。しかし悲しいことに当時は部屋が狭く提灯が引き立つような空間ではなかった。そのうちに紙の提灯は、ボロボロになり捨てられてしまった。いまなら京都の町屋においてもイサムノグチのアートな和紙の提灯は、引き立つだろうな。
 岐阜市から近い美濃市の手漉き和紙である本美濃紙は、埼玉県の細川紙、鳥取県の石州半紙とともに、ユネスコが制定する無形文化遺産に指定されたばかりだ。
 それはイサム・ノグチと無形文化遺産とが一本の世界的な感性の糸で結ばれたようでもある。

岐阜市川原町
OLYMPUS PEN E-P5,M.ZUIKO DG 17mm/F1.8
ISO200,露出補正-1,f4.5,1/500.
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番外編94. アートの時代

2014年11月28日 | Kyoto city
 またまたPENも含めて撮影機材が活躍しない話題になりそうだ。
 撮影機材全般についていえるのだが。画質からすればPENやOM-Dの方、ひいては世のなかの一眼レフの方が優れているのだが、ユーザーの評価基準は、メーカーのそれとは大いに異なっている。画質なんかそこそこでいいじゃん。それよかいつもポケットに入れておいて、音楽が聴けるし、電話もメールもできるんだから、こっちの方が全然便利じゃん。それがユーザーの気分である。
 性能仕様で勝負するというのは、日本製品の定番戦略でもあり個性でもあった。企業はそこを技術開発とセールストークにするが、ユーザー側は、そうした性能仕様自体をあまり問わなくなった。それよりも便利さのアイデアのある方を支持する。そこにメーカーとユーザーとの乖離がある。
 つまり、すべてはMacで処理するからデジカメを始めとする周辺機器の性能なんかそこそこでいいよ。そんな気分がユーザー側にあると私は思う。だって今時プリントなんかしないでしようよ。スマホで送ってハイ、終わり!!、だよ。
 そのMacだって最近は、PC のことではなくiPadやiPhonにとって変わりつつある。どうせWEBしかみないから、iPadでいいじゃんの世界である。
 例えば、車のナビのガイドブックのぶあついこと。そんなのだれも読まないじゃん。使う箇所は決まっているので、もっとわかりやすく作ればよいのに。Macなんかガイドブックは付いていないですよ。そんな実例を思うと、企業とユーザー意識は明らかに乖離している。
 私は、リビングルームに4Kの大型テレビを置くという時代は終わったと思う。テレビなんか邪魔であり、むしろできるだけ部屋に物を置かないで、そのかわり大きなアートを入れた方がインテリアは冴えるよな、という時代へと変わってきたと断言する。だから家電は売れず、そのかわりアートが売れる時代になってきた。アートの時代といってもよいだろう。

豊田市足助町
iPhone5,ISO50,4.12mm,0EV,f/2.4,1/30
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番外編93. 憧れの生活

2014年11月27日 | Nagoya city
 フラッと車で散歩に出る。向かう先は足助の伝統的建造物群保存地区。それに幹線道路、自動車専用道路、山道と車の練習コースに調度良い道中だ。散歩がてらこんな紅葉に遭遇した。さてデジカメ・・・散歩だから相変わらずPENすら持参していない。でっポケットを探りiPhoneで撮影。撮影機材は、ポケットに入らないと持ち歩かないようになった。小さなPENでさえ持ち歩くのが面倒だから、それより大きい撮影機材だったらどうなるか。
 だがEOS1位ごっつく大きければ、体のバランスをとるために、いつも持ち歩くのかも知れないという考え方も成り立つ。そうかなぁー。やはりiPhoneだろう。赤に弱いiPhoneだが、もつていることを忘れさせてくれるという重要な条件を満たしている。
 apple watchもでることだし、身の回りがappleで埋まりそうだ。appleのプロダクトだけで生活できたら、言い換えればそれ以外のものは持たない割り切った生活には憧れもある。Mac BookにiPhone、それにapple watch、あとはお気に入りの本にイエローブックとステッドラーのミリペンだけ。そりゃいいではないか。様々な欲望を捨て去ると気分は解放されるだろう。
 それができないのは、身の回りの物に対する様々な思い入れがあるからだろう。だからトランクスペースを借りて思い出を記録し、すべて詰め込んで封印するという方法がよいかも知れないと思う。そうすれば、家の中が随分すっきりするだう。それこそ憧れの生活である。
 だがそれができないのが現実の生活である。

豊田市足助町
iPhone5,ISO50,4.12mm,0EV,f/2.4,1/275
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最近のドローイングから124.

2014年11月26日 | drawing
 これは言うまでもなく、アマルフィーの集落環境のスタディだ。あの集落の外れに位置し道が180°折れ曲がる海に突き出た教会のあるところといえば、わかるだろうか。狭隘な、そして大きなレベル差のある山の斜面に民家が密に折れ重なるように立ち並んでいる。そうした環境自体が世界遺産なのであるが。
 一つ一つの家の住まいのプランがどうなっているのかを頭にイメージしながら、多彩な空間を勉強しようと思ってスケッチをはじめた。それは結構面白いし、写真だけではわからないところも出てきたりして。
 そんな多彩な空間を3DCGに引用しようと思って始めたスケッチである。もちろん一部は引用して、公式HPに掲載した3DCGに使っている。3DCGにすると細かいところは省略せざるを得ないし、結構概念的になってしまうが、それでもなんとはなしにその空気が伝わるところは面白い。
 そんな風にして、世界の集落から引用してくるという方法も面白いやり方だ。そんな方法を、学生達に教えてもピントこなかった連中ばかりなのであきらめて、さっさと私の趣味の世界に封印してしまった。
 もちろん陣内秀信さんの調査でアマルフィーの中央部分は図面化されて図書になっているが。
 何故斜面に都市をつくったかというと中世に起きた津波で人々は山の斜面へと移り住んだという話である。東北地方の都市に適用できそうな話でもある。

イエローブック2005.
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最近のドローイングから123.

2014年11月25日 | drawing
 名古屋市桜通の堀川をはさんで構想していた複合施設のスケッチだな。複数の街区をひとまとめにしたので、かなり規模が大きい。2層分を1層として描いているので、低層の部分でも15階ぐらいはあるだろう。それに描いてはいないがホテル棟の高層棟が加わるというもの。3DCGにしようとしたが、形にならないので未完のままである。当然実現化など想定外だ。
 多分この時期は3DCGの新しい表現に関心があったのだろう。だから得意な建築形態を追い求めていた。つまり3DCGにしたときにはえる形態を。特にVue4というランドスケープ・ソフトにはまり込んだのもこの時期である。結構面白いソフトでのめりこんだようである。
 その後Vueは、バージョンアップを続け、大変使いにくいソフトに成長した。一時期は不具合が多発し毎年バージョンを変えるありさまだ。やめときゃいいのにWin対応のバージョンにしたので、もう動かないことしきり。私のMacにいれたVue11なんか過去の登録履歴を参照するありさまで、未だに新規登録すらできないので一度も使用していない。そうなると次第にこのソフトから関心が薄れて行く。ひととおりのことはVue5迄でやったし、画像もどこか動画向きになってきたし、静止画には多向かないようでもあるし。
 ソフトウェアも利用のガードが堅くなると、使いにくいどころか、そうしたソフト自体を使うことをやめてしまうことがある。大変魅力的なソフトだっただけに残念ですね。もう廃盤でもいいですよ。他にも使いやすいソフトがいくらでもありますから。
 今3DCGソフトで使いやすいのが、GoogleのSketchUpだ。安いしその我には、他のソフトとの相性も良く、大学ではこのソフトを主に使用している。学生に3DCGを教えるのには、これで十分だな。
 結局コンピュータでデザインを考えるのは無理だと言うことがわかった。ただしドローイング職人とか模型職人用には、こうしたソフトが有効だとは思いますが。そう考えるとコンピュータは職人仕事をデジタルに置き換えただけ。ともすればそんな職人仕事をデザインの人間にも要求してくるところが、コンピュータなのだろう。私は職人ではないので、クリエイション以外の仕事は増やしたくないですね。
 ふと思うのだけど、MacOS10.3時代のソフト構成で一つ既存のMacを初期化して再度セッティングしようかな。その方が使いやすいし、私好みの画像がレンダリングできそうだ。Macも余っているし、やっみたい方法ではある。ソフトもバージョンアップし多機能化してくるので、やはりフィーリングが一番合う設定は、いつも最新型とは限らない。

イエローブック2014.
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PEN LIFE1065. 冬がやってくる

2014年11月24日 | field work
 今年は涸沢に行かなかったから、代わりに民家調査のついでに立ち寄った香嵐渓の紅葉。 少し早いためかあまり色づいていない印象だ。というかPENの高彩度モードだから実物以上に発色の良い描写だ。これが良いのか悪いのか。
 香嵐渓の道すがらは、屋台やジャンクフードの出店が多く、落ち着いて食べるところがなさそうだ。だから紅葉を見てさっさと帰る人の方が多い。それでは地元にお金が落ちない。
 飯田街道を少し上がれば、明治期から営業をしている鮎と鰻の老舗もある。こんな山奥で鰻!?、と思って食べたら美味しかった。
 この時期京都の紅葉も最盛期だが、私は人が多いのでパスしている。個人的には、西山の善峰寺は紅葉も綺麗だし、天気が良いと京都の街が一望できるので好きな場所だ。あとは天龍寺。それに夜間拝観のライトアップの一つも見れば、京都紅葉ツアーになる。
 今年は大学の仕事で行かれなかったが、紅葉は自然がたっぷりある方が、森林浴でリフレッシュし心地よい。さてアウトドアをしたかったという未練たっぷりのまま、紅葉が終われば、まもなく冬がやってくる。

愛知県足助町
OLYMPUS E-P5,LEICA DG TELE ELEMARIT 45mm/F2.8
ISO200,露出補正-1/3,f4.5,1/250
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最近のドローイングから122.

2014年11月24日 | drawing
 あら、このモデルさんは、陰毛を全部剃っていたんだ。クロッキーを描く側からすれば、邪魔なものはない方がよい。結構陰毛が毛深い女性もいて、美容クリニックで永久脱毛する人も多いようだ。みえないところのケアも大変なんだろうと想像する。そんなもの想像しなくていいよという悲鳴も聞こえてきそうだが。
 もう一つクロッキーを描くうえで邪魔なものがある。長い毛髪である。クロッキーの時はアップにしてくれるので、首が見えて描けるのだが、なかには長い髪の毛のまんまというモデルさんもいて、こちらは、うーーん首が見えないと悩むよね。それに髪の毛のボリュームもとらえどころがなく難しいので、頭蓋骨の形が明解なスキンヘッドなんかが理想的なんだけど。まあ髪の毛も頭蓋骨の延長として描けばいいのだけどね。
 髪の毛といえば、先日東京へ出かけた際に、なじみの美容室で伸びすぎた髪の毛をカットしてもらった。そしたら寒いのなんのって。やはり髪の毛は保温性が高かったのか。といって長い髪のままではうっとうしいし。
 はるか昔の日本の古代人は、全身熊のような黒い毛で覆われていたのだろうか。となるとヨーロッパの古代人はオオカミのような金髪か。いや栗毛色の人もいるから、金髪と栗毛のブチか、それでは犬みたいだな。などとたわいもないことを考えている週末である。

クロッキー帳NO16.
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最近のドローイングから121.

2014年11月22日 | drawing
 絵画の人に多いのだが、クロッキーの描き方にデッサン的な陰影で描いて行く方法がある。だが10分~5分のクロッキーでは、私はせいぜい線で描く位で手一杯だ。
 クロッキーを描いていて思うのだが、私の意識の中に全体は8頭身に近く、頭は小さく骨盤は横に広がり、尻はでかい方が格好が良いというプロトタイプがあるためか、クロッキーも私好みに近いプロポーションになってゆく場合が多い。絵画の人はシビアに見ているが、私はデザイン系なのでそのあたりの見方は雑である。さらには、顔などに興味が薄いためか描かないこともある。それじゃトルソになってしまうので、一応立体と関わるところは描くが。もちろんモデルさんに似ているとか似ていないといった本筋から外れることは無視している。
 時折手を大きくかく人がいるけど、その気持ちはわかる。というのも人間の手は顔と同じぐらいの大きさがある。つまり見ている以上に大きいのである。それが日本の仏像になると大半は顔が大きく、その割には手が大変小さい。顔が大きくないと仏様になりにくいのだろう。
 俳優も顔が大きい方が表情の演技を捉えやすいので、仏様体型に近い方が理想型という話をどこかで聞いた。昔の映画俳優板東妻三郎などがその典型例かもしれない。
 他方でギリシャ彫刻は人体の理想型を求めたので、頭は小さく8等身以上で大変格好がよい。どちらに美意識の基準を置くかは人それぞれだが、私の意識は仏像より、ギリシャ彫刻の方が理想型。デッサン教育の影響かな(笑)。

クロッキー帳NO16.
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最近のドローイングから120.

2014年11月21日 | drawing
 ブルータス、マルス、アリアス、アグリッパ、ラオコーンと言えば若い頃に描かされた石膏像だが、これに始まり静物などのデッサンを何年もしてきたし、大学の入試にもデッサンがあったので、クロッキーを描くのは難しいことではない。だが描けるポーズと描けないポーズとがいまだにある。
 私のクロッキーは線で立体を表現する練習だが、モデルさんのポーズによっては量感が捉えられないことがしばしばある。肩はこれぐらいで、骨盤のあたりはこれぐらいのボリュームかなと思いつつ、大いに外れることがあるわけだ。
 まあそれ以前に、体のフォルムに最大の関心が必要なのだが、最近それが次第に希薄になってくる。見慣れてしまったというのが要因だと思う。せいぜい私好みの体型、例えば頭が小さく骨盤が大きくお尻が大きい体型とかに(今日東京大江戸線の車中で見かけた)、デフォルメして描いているかも知れない。その方が女らしく表現しやすいし。
 数多くのモデルさんを描いていると、大方の体の構造というのが骨身にしみこみ、毎日通勤時に、この人はこれぐらいの太さで骨盤はこんな大きさでお尻の肉はこれぐらいかなとか、 こりゃあちこちつったりかさ上げしているかといった具合に、 コスチュームの上から体の体型が私なりに類推できてしまう。だから希に通勤時の名古屋駅を女の人が裸で歩いているのではと錯覚することがある。もちろん画家や彫刻家は、私以上に見えているわけだが。そうでなければ絵画や彫刻にはならないからね。
 ところで、そんな風に見ていると、どこかユニセックスという言葉を思い出す。ただし、私は男の体は描いた経験がないから断言できないのだが。つまり男女という区別がつかなくなってくる。そこにいるのは、有機的に構成された2種類の物質だといったぐらいの感覚である。
 だからファッションという概念が成立してくる。人間をコスチュームによってどうしたら女というイメージとして表現できるか。そんな風に考えてくると、女というイメージは、当然作られたものである。
 だから脱がせちゃったらもともこうもないよと、週刊ポストをみていて思ったが、よく考えるとあれもまたフォトグラファー達によってつくられたイメージなんだな。
 つまり私達の社会は、作られたイメージによって刺激されているのだと思った。そこにクリエーター達の社会的な存在理由の一端があるのだろうか。

クロッキー帳NO16.
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最近のドローイングから119.

2014年11月20日 | drawing
 毎月第三月曜日から第四火曜日の間が会議などがまとめて続き、結構うっとおしい時である。ある時期に集中しているというのはある種効率的だ。
 これがすぎると後の2週間ほどは授業だけとなり、一日フルに使える日が続く。だからこのうっとおしい時にいろんな用事をまとめてかたづけてしまうというのが私の習慣である。だから明日は、東京へ出かけ4件ほど1時間刻みでかたずけようと目論んでいる。これが片づくと年末の仕事に取りかかれる。先ずは年賀状、それから沖縄行きの検討、飛行機とか宿とかスキューバダイビング教室とか。それに家の大掃除もあるし。随分散らかったままだ。その合間に宿題となっていた論文の解析を進めようと目論んでいる。
 考えてみると、准教授の時代は、市の委員会や外部のプロジェクトもあり、忙しいのが当たり前だった。毎日多忙な仕事で走り回っていた日が続いていた。つまり准教授というのは使いやすいというのが役人達の考え方だ。それが教授になってからは扱いにくいので周囲の足は遠のき、さて今日は何をしようかと考える、大変素晴らしい日々へとゆるやかにシフトしていった。
 この契機を逃してはあかん、というわけで車の免許を取ったりしたわけである。つまりようやくああつ、これが人並みの生活かと思われる仕事量になったのだろう。忙しいことが面白いという生活から、次第にゆるゆると暮らすのが楽だという生活に変わってきた。ああっ、その背景には、体力が落ちてきたことがあるだろう。それは鍛えていないから当然なのだけど。当然精神もゆる褌である。
 いったんこうした意識になったからには、元に戻す気配はいまのところない。ゆるゆるの人並みの生活をしばらく続けさせてもらおうと考えている。

クロッキー帳NO16.
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PEN LIFE1064. 冬の沖縄

2014年11月19日 | field work
 PEN E-P5を多用していると使いやすいし単焦点レンズで間に合うし、不足はないのだが、何故か飽きる。そこでOM-D E-M1を持ち出してみた。
 今は、デジカメよりはiPhoneを評価したい気分だが、これまであまり使わなかった超広角ズームをつけて遊んでみた。結構よい感触であることを実感。ならばもっと活用しようという気分になるあたりが、いかにも安易な私なのだが。
 やはりボタンやダイヤルがほどよく抵抗があり、しかも押しているという感触もあるなど、指の操作が明確に触覚としてわかる。WEBの画面クリックではないのだから、やはりプロダクトは、明解な触覚感覚が必要だと思った。
 このシステムだと、マリンハウジングに納まるのである。水中では9mmという画角も準広角レンズ程度だろう。であれば、年末に沖縄へダイビングの免許をとりにゆくかなぁー。ついでに米軍キャンプのあたりも徘徊したい。国際通りの裏なんかモノクロでというのもよさげだ。昔とは随分風景も違うだろう。冬の沖縄という発想はいいのだが、飛行機の席が取れるのかなぁー。
 それ以前にプールに通って体力の回復に努めなければ。なんかやることが多そうだ。気後れしそうだ。いゃ、もう何もしないで寝ているか。そんなことをつらつら考えていると、眠くなってきた

足助町
OLYMPUS OM-D,E-M1,M.ZUIKO DG9-18mm/F4.0-5.6
ISO200,焦点距離9mm,露出補正-1/3,f9,1/320
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最近のドローイングから118.

2014年11月17日 | drawing
 天気のはっきりしない、1日であった。特に自慢できる仕事をしたわけではないので、書くこともない。まあ、平凡・平和な1日ということか。
 個人的には「平」のつく漢字がしっくりこない。平凡・平和・平成・平等・平家・・・とこの漢字はは近寄りがたいものがある。
 それに平和・平等という言葉には、ニュースなどで見慣れ、辟易しているいったらよいだろうか。つまり言葉と実態とが著しく乖離している。そう書かなければ国民が許してくれないので、しかたなく建前言葉として使っているようであり、そこがしっくりこない一因かも知れない。
 世界は決して平和でもないのに、平和を目指すというのは、はたせない夢を掲げているようで、うそ寒いように思われる。これまで世界が平和だったためしがない。世界史は、まさに戦争の歴史でもある。だから平和論者に口を合わせるのも、私のテイストではない。
 だから平和国家を論じるよりは、戦争を回避したり、巻き込まれない術を身につけた方が現実的な判断だろう。日常的に言い換えるならば、災いに巻き込まれない術を身につけるべきだということだろうか。
 そこまでは、わかった。さて災いに巻き込まれない術とはなんだろうか。それが手元にはないことだけば確かだ。今の私にあるには、精々振り込め詐欺に巻き込まれない術ぐらいだが・・・。
 例えば・・・
詐欺師「お金を振り込んでくれますと○×○×・・・」
私「はっ!、お金をくれるんですか、それならばうち金庫開けて待ってますけど・・・」

クロッキー帳NO16.
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PEN LIFE1063. 足助町

2014年11月16日 | field work
 さて週末は、広島から来てくれた先生と論文の解析方法で勉強会。今日は一緒に足助へ講義用の素材収集のため街歩きあった。
 涸沢の絶景を目にしている経験からすると、香嵐渓はさして驚くようなものではないが、中部圏有数の紅葉の名所と聞く。
 だから今日は迂回路経由で行き、すんなり到着、小学校の校庭を利用した臨時駐車時用へ車を入れることができた。多分紅葉が赤く色づくのには、数日早いというのが大変ラッキーだったようだ。帰りしな夜間ライトアップを目指した大変長い列の車の渋滞とすれ違った。
 昼飯を食べに香嵐渓迄足を伸ばした。PENE-EP5にマクロエルマリート1本だけ持参。次第に撮影も無精になってきた。さてブログにアップする画像・・・紅葉は撮影したけど、みんなアップしているからパスして・・・まあこれかな。マクロエルマリートの小気味よいシャープさがあってよさげだ。
 足助町は、そんなに古い伝統的建造物群保存地区というわけではないが、それでも所々に見える光景は、どこかさびれてゆく郷愁があったり、伝統と現代の意匠の思考錯誤があったりして、少しばかり面白い。

足助町
OLYMPUS E-P5,LEICA DG TELE ELEMARIT 45mm/F2.8
ISO200,露出補正-1/3,f3.5,1/160
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最近のドローイングから117.

2014年11月14日 | drawing
 今週も 僅かの時間差で伏見のクロッキー教室へ行きそびれた。残念というほかない。手を動かすことで、頭を刺激し爽快な状態になるはずだったのだが。このままダラダラと週末というのは後悔の念ばかりだ。来週は、頑張って行こう。
 不思議なもので、毎週クロッキー教室へ通うともう一週間かよという時間の早さを実感。毎週ひたすら描き続けると結構マンネリ化する。だから2週間に一度ぐらいが調度いいかな。といっても、このところ一ヶ月ほど出かけていない。となると今度は本業の方がマンネリ化する。なかなかそれらのバランスをとるのが難儀だ。
 今週は、マンネリ化打開のための別途の方法を考えなきゃ。といって土・日は論文の解析で出勤だよな。こういう気分転換のないローテーションは、後でなんかしらの疲労だけが残る。
 そして今週は、ついに冬が来た。札幌では雪だ。日本海側は、しぐれている。太平洋側は晴天、そして寒い。まぎれもなく冬の気候だ。やれやれ長い冬が始まった。その寒さに耐える毎日というのも、一つのドラマの始まりのように気が重たい。
 
クロッキー帳NO18. 
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