Creator's Blog,record of the Designer's thinking

フィールドワークの映像、ドローイングとマーケティング手法を用いた小説、エッセイで、撮り、描き、書いてます。

PEN LIFE1532.  標準レンズ・カリッとシャープに、そしてライフ写真講座

2018年05月31日 | Kyoto city

 天気図をみると太平洋側に前線が中国から延々と東に延びているが、それって梅雨前線かい。これが停滞すると梅雨かとおもわせる天気図だ。このブログも書きため原稿に加筆している。天気の話だけは、加筆しないと書けないですから。その書きためたストックも早く消化したいのだが、あと1週間分あるぜよ。

 さて標準レンズは。絞りを絞れば画面全体にピントがゆき、大変シャープな画像になる。それは広角レンズと同じ案配なのだ。元画像を解像度の高いモニターでみると、そのあたりの事がわかる。まあスマホの画像でもわかるだろう。

 そうしたフィルムで撮影したモノクロ画像の綺麗さは捨てがたい。実際、昔の画像は手焼きプリントだから、全紙のサイズで自然の風景でもみていると大変綺麗だし部屋に飾っておけるアートだ。いまのデジタルの画像ではどうなのかなあー。そうした画像は、現代のインテリア空間の中でも十分に飾っておける。だから署名フォトグラファーの画像でも絵画や版画に比べれば、はるかに安く買いやすいと思われるが・・。

 GoogleにLIFE photo archiveというのがあり、ライフの写真のごく一部が閲覧できる。以前はプリントサービスがあったのだが、いまは見当たらない。しょうがないので、手元のライフ写真講座全15巻を時折眺めている。それでもいささか古いライフの良い写真がちりばめられている。

 実はこのライフ写真集は、高校生の頃に公立図書館で初めてみた。当時公立図書館では、受験シーズンになると受験勉強にやってくる多くの学生達の列などというのが当たり前のように報道されていたし、社会をあげて公立図書館の間違った使い方を認めていた時代だった。

 そこで私は参考書を持って公立図書館に出かけたのが人生の間違いの始まりだった。受験勉強よりは蔵書されている図書を読むのが面白すぎて、こんな世界があるんだと乱読で読みふけっていた。だからキュルケゴールからハイデッカーに至る実存哲学なんかを読み始め、私の哲学もこの頃の知識である。でっ、そこでライフ写真講座なんか発見したモノだから、終日これのために日参した。そんなわけで、本を読むという図書館本来の目的に沿った使い方をしたおかげで、受験勉強などをすることもなく、当然浪人してしまった。

 まあ私は、そのときの若い感性で写真の勉強をしたんだろうな。だから世界の優れたフォトグラファー達の写真を納めたライフ写真講座がテキストであったわけだ。その別冊という小冊子があって撮影のための機材や画像のコピーや収納方法などなど写真に関する技術的なことが書かれていた。そこにニコンFと28mm、50mm、105mmの3本のレンズが登場していたのである。おおっ、これだ!、当然私はその説に傾倒し、アルバイトしたり家から借金したりして調達しましたね、ニコンFのシステムを。

 その後ライフ誌は休刊されたけど、ニコンFのシステムはいまだに手元にある。そのニコンFもそろそろメンテナンスから帰って来る頃だろう。

 

2018年5月2日、京都市中京区壬生御所の内町

OLYMPUS E-M1Mark2、LEICA DG SUMMILUX 25mm/F1.4

ISO250,露出補正-0.3,f/4,1/640

 

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PEN LIFE1530.  標準レンズ・望遠レンズ風に

2018年05月30日 | Kyoto city

 京都の都心部の道は縦と横の構造が原則だ。だから方角さえ決めておけば、どのようにでも歩いて行けるし距離はさして変わらない。二条の現像所へゆくときも、街角から古そうな建物がありそうだという道を進んだり、曲がったりしていた。多分油小路通を北に上がり、姉小路通を西にむかって、それから二条駅をこして住宅街の中を抜けて現像所へ行ったんだった。

 そんな風に様々な道を歩く楽しみが京都の街にはある。これまで随分歩いたと思っても新しい風景に出会ったりする。そこがこの街の面白さなのだろう。そんな街歩きは、今頃の季節の朝が暑すぎず調度よい。なにしろ朝の早い京都だから、私のように夜更かしの習慣がつくと、大いに眠く出ずらい。まあ歩きながら眼を覚ますほかない。

 さてそのオリンパスE-M1Mark2にも、プロユースとは思えない欠点がある。一例をあげるとプロユースならバッテリーグリップ付きが必須となるが、本体へ電源を供給しているバッテリーしか管理できないことだ。もう1本あるから大丈夫と思っていたらバッテリー切れになっていたりする。2本のバッテリー状態が一目同時に確認できないのが欠点。

 実際に昨日の経験として、うん!!、ボディのバッテリーが少ないという表示か、グリップ側に2本目があるんだろう、でも確認できない。まあいいや、そう思っていたら散歩の途中でフルバッテリー切れ。そうなると散歩は打ち切り、京阪で七条のマッサージ屋へでかけたのだった。

 全部のバッテリー状態を一目で確認できるようにしてよ。さらにいえば予備電源を本体に内蔵すべきではないですか。もうオリンパスシステムは、ニコンミラーレスが出たら処分検討だな。

 さて、まだメンテナンスが終わらないかな?、ニコンF3。F3は2年に一度交換するバッテリーが消耗していても1/90の機械式シャッターが付いているから、どんなときでも使えるんだな。それがプロユースでしょうよ。ニコンミラーレスとレンズの互換性があるだろうから、F3は予備ボディでまだまだ使用価値がありそうだ。そうなるとモータードライブMD-4が中古で安いし、WEB画像で見ていると惚れ惚れとするような格好の良さ。特に連写はいらないが、これ付けようかな!?。

 

2018年5月2日、京都市中京区四条大宮、OLYMPUS E-M1Mark2、LEICA DG SUMMILUX 25mm/F1.4、ISO250,露出補正-0.3,f/11,1/60

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PEN LIFE1529.  標準レンズ・広角レンズ風に 

2018年05月29日 | Kyoto city

 京都の街では何かしらの用事をつくり、バスに乗るのではなく歩いて街を撮影しながら目的地へ行くことが最近の傾向。4月の連休前も足指骨折を引きずりながら久しぶりの街歩きだったし、二条の現像所へリバーサルフィルムを出しにゆく目的で、道すがらを撮影していた。少し肌寒い晴天下ではあったが、歩いた事がない道もあり、久しぶりに標準レンズだけをもってゆく楽しさを感じていた。

 昭和の末頃まで一眼レフとセットで標準レンズがついてきた。それぐらい基本的なレンズであり、今でも写真学校で生徒に買わせる機材が標準レンズではなかろうか。歪曲収差はほとんどないし解像度も高くそして安い。写真の勉強の最初は標準レンズに始まり、そのまま他のレンズを買い足すこともなく標準レンズだけで終わった人もいただろう。

 標準レンズは、広角レンズ風にも望遠レンズ風にも撮れる。それに明るいので露出に気をつかうことがない。だからAモードにして絞りを変え写り方や背後のボケ方を楽しんでいた。しかし使い込んでゆくと、広角でも望遠でない中庸的な性格に飽きることもある。

 アンリ・カルティエ・ブレッソンのようにパリのほとんどの写真を標準レンズだけて撮影したという逸話もあるぐらいだから標準レンズの格があがる。

  まあそれぐらい蘊蓄もあり面白いレンズではあると思われる。

 

2018年4月28日、京都市中京区因幡町、OLYMPUS E-M1Mark2、LEICA DG SUMMILUX 25mm/F1.4、ISO200,露出補正-0.3,f/11,1/125

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番外編367. デジタル機材のバッテリー

2018年05月28日 | Kyoto city

 画像は、私が使用している撮影機材のバッテリーを並べたモノ。バッテリーの後ろ下を揃えて撮影した。

 左から順にEOS1シリーズ、オリンパスEM1-Mark2、オリンパスEM-1及びその他のシリーズ、オリンパスPEN初期の頃の3タイプ、右端がSONY用のバッテリー。
 EOS1シリーズは1シリーズのどの機種にも使える共通性をもった非ミラーレス用。オリンパスとSONYがミラーレス機材用。バッテリーを多く必要とするミラーレスの方がバッテリーが小さいという不思議さ。

 ミラーレスの欠点は毎日充電が必要な点。なかでも右端のSONYバッテリーが一番小さく、これでα7シリーズも動かすという冒険もの。最近では同サイズで使用回数が倍とうたっているSONYバッテリーもあるけど多分程度問題かな。

 バッテリーは国内では、パナソニック、GSYUASA、SONYなど製造メーカーが限られているでしょう。だから中身は変わらず容量だけが使い勝手に関係するのでは。

 私の経験からいえば、フィールドに持ち出してバッテリーのことを気にしなくても撮影機材が使えるのはEOS1Dシリーズしかない(私はニコンDシリーズは使いませんがほぼ同様仕様と理解しています)。

 だからミラーレスのSONYの色が良いといってもバッテリーが持たなくては意味がない。バッテリーグリップを付けても最大2個、一度は交換するから4個/日は必要という勘定になる。

 フィールドでは、原則としてホテルなどに戻って充電できるが、それは先進国の場合であって、そうでない国だと電気は意外にあてにならない。電気は来ていても年中停電などあったり、コンセントは通電していないとか、帰りの船がないので現地へお泊まり、山小屋2泊ならもう降参、という場合もあるでしょう。記録が目的の調査に来たのに記録できない。それではフィールドへくる意味がない。

 そういう状況にいなくても毎日のバッテリー充電が煩わしい。机の上は充電器とケーブルだらけ。しかもAppleのように白でデザインされているならまだしも、おしなべて黒ばかりで、どれがどのメーカーだかわからない。せめてニコンは黄色。キャノンは赤、オリンパスは青、SONYはオレンジ、といった具合に充電器やケーブルをコーポーレートカラーでコーディネーションしてくれたらよいのだけど。

 そんな風に考えて行くとミラーレス歴9年の立場としては、ミラーレス機材にあまりメリットを感じていない昨今。だから発表予定のニコンフルサイズミラーレス・・・、さてこのバッテリー課題をどうやってクリアするかは楽しみなところです。理想的なのは、ニコンD5同様にボディの下部にボディ幅サイズの大型バッテリーを横に積んでくれることなのだけど・・・。

 

2017年5月25日、SONYα6000,Carl Zeiss Vario-Tessar E 4/16-70mm、ISO1250,焦点距離50mm、露出補正0,f/8,1/100

 

 

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番外編366. 浅草2. 教育研究業績書

2018年05月27日 | Tokyo city

 浅草も2回目となると通俗的な話題しか書くことがない。だから少し堅い話をしよう。

 大学教員が自ら書く書類に、教育研究業績書がある。大学教員になる時、昇進する時、あるいは研究室のホームページを作成した時など、これまでの論文の題目、掲載誌、日付、そして文科省の様式に従えば、200字の論文概要まで付けさせられる。それだけではなく、原則民間企業に在籍していたら自ら関与した業績も全て書くことになる。ようは何をしてきたかを全て書くというのが原則なのだ。

 だから私の場合でも、論文概要付きでA4版36頁になったこともあった。それだけの執筆をすると、行送りとかアキなど印刷時で必要とされる校正が必須になって、やってみたら400カ所も修正した。そして大学の各研究室のホームページをみれば、主催者の研究業績書の全文または一部がアップされている。それは業績を自慢するためではなく、社会に対して正確な判断材料を提供するというのが趣旨なのである。

 だから私が出版した本「環境デザインのプロデュース・コンセプトワーク・スケマティックデザイン、井上書院、2017年」でも業績は、200字の論文概要を除いて全て掲載し、さらに私が直接関与した都市開発プロジェクトや雑誌などの目録も掲載している。そうした業績にもとづいて、この本を執筆しましたから、貴方にとって私の本が買うに値するか、或いは値しないかは、貴方ご自身で判断くださいという意図で業績リストを付けている。

 どんな場合でも、教育研究業績書を自慢してつける研究者はいない。社会の判断材料として提供しているのであって、大体は量が多すぎて面倒くさいから全部付けておく、はい!、それで全部ですぅーーと解釈してアップしたことはすっかり忘れてしまうのが研究者の頭。

 白を切る、という言葉がある。それは知っていることを知らないと偽ることだが、研究者は忘れているのだから、白を切る以前の話なのだ。

 もちろん忘れているから、後で61番目の学会発表論文の内容でおたずねしたいのだが・・、といわれても実は全然覚えていないのよね(笑)。工学系の人間は、過ぎ去ったことには関心がないので、文化系のように過去の発言が・・云々なんていわれても、しらねぇーーよ!。書いてあるだろ、そこに・・と開き直ってお終いです。

 人間は、明日どうするかという考え方で私達の暮らしが成り立っているのであって、歴史ばかり追っかけてゆける裕福な人間はよいとしても、普通の人類だったら過去を追いかけても食べてゆけないでしょう。

 しかし気がつくと、我ながら珍しく感心なことに、この話も以前ブログで書いた記憶がある。書き直すのも面倒なのでよしとしよう。

 

2000年、東京都台東区浅草

Leitz M-4P,Summicron50mm/F2.0、トライX

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番外編365. 浅草とズミクロン

2018年05月26日 | Tokyo city

 銀座があれば浅草がある。

 中学生の頃浅草にゆくと、映画館は古色蒼然とた個性的な形の建築であり、なんかスげぇーなと思ったし、怪しいマジックや出し物を演目とするどさ回りの仮設テントが立っていて、それが面白かったのだ。そう寺山修司の世界に近いのだ。観客が少なかったからサクラが始終出入りしてなんとか賑わいを演出するという涙ぐましい姿もあったりして笑えたし、街を歩けば、怪しい人間達と田舎の人間達とで混沌としており、スリも警察官もいたし、B級グルメの店が多く、焼きたての鯛焼きは中学生には美味しかった。ああっ、これが街だと思っていた。それが浅草を感じた最後だった。

 この画像を撮影した2000年には、浅草は古い特異な形をした映画館が取り壊され、どこにでもある商業ビルに新築されたりするなど様変わりした後だから、私の徘徊も消極的だ。まあそれでも夜は余計な景色を隠してくれるので、おどろおどろしい空気を少しだけ感じさせてくれたようだ。

 当時浅草からほど近い旧遊郭玉ノ井(東向島)にも出向いたが、永井荷風や漫画家滝田ゆうが描いた世界は既になくなり、食品スーパーが進出し住宅街に変わってしまっていた。

 そんな経験をすると、お祭りの時だけ下町っ子だとはしゃいでも、下町と銘打つのは商品の販売促進上やメディアの上でのことであり、下町という空気は形骸化してなくなったと思われる。

 大学の頃、浅草寺を「あさくさでら」と読んで、それ「せんそうじ」じゃないですかと群馬県人に笑われたが、それぐらい私の認識では浅草がなくなっていた。

 このとき海外調達のライツ・ズミクロン50mmを使っていたのだ。ピントの合ったところはシャープであり、それ以外は固めにボケてくれるM4時代のレンズだ。しかし何故かこのレンズは、その後さっさと売却してしまった。

 浅草と一緒にズミクロンも消えてしまったさ。

 

2000年、東京都台東区浅草六区

Leitz M-4P,Summicron50mm/F2.0,トライX

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ZEISSの空気21. フィルム機材の勧め

2018年05月25日 | field work

 ツァイスの空気といっても、コンタックスT3とポジフィルムによるけど、最近このフィルム機材に少しはまっている。もちろん昔さんざん使ったポジフィルムだけど、その色の良さや柔らかい画像は捨てがたく今でも使ってみる価値がある。

 最近フィルム機材がすこぶる安い。当時このコンタックスT3も確か量販店のポイントをためて新品調達した記憶がありますが定価は当時10万円代だったと記憶しています。それが今は中古6万円代で手に入る。それとて中古機材としては高価な方だ。

 なにしろニコマートFTNボディが5,000円以下で、当時のニッコールレンズもほぼ同価格という時代だ。ニコンのボディ+レンズセットで1万円。これって機械式ボディだから今でもメンテナンスできるし、ちゃんと動作していれば今でも使えます。1万円で一眼レフの機材が揃うなんて素晴らしい話です。

 お勧めはファインダーがクリアなニコンでしょう。機械式ボディのニコンFM2。中古39,000円という価格をみると安い。あるいはニコンの最後のフィルム機材FM3なんか人気商品であり、当時のニコンの技術を結集させ機械式シャッターと電子式シャッターのハイブリッドという優れもの。

 そんな風に今でも使えるフィルム機材は結構多い。他方で高いのはフィルムですけど、先ず乱射しないで大切に使うことでしょう。撮影目的にあったフィルムを選択し、1枚1枚、撮影意図や露出や構図やシャッターチャンスをよく考え、何より感性を最大限に働かせて撮れば良いのではないですか。連写モードは、スポーツなどの動く被写体か、あるいはこちらが動いているときにしか使わないですよ。

 私もニコンF3HPがメンテナンスから戻ってきたらフィルムをつめて撮影したいですね。さらにいえばモノクロフィルムは、意欲と廃液の管理さえできれば自分で現像できます。すべて自分でできる可能性があるということが、今の時代では特に大切なポイントでしょう。

 そうして撮影したネガをデジタル機材で複写すればよいわけ。最近私は色を忠実に複写できるEOS1DsMark3を使用しています。今では少し古い機材ですが文化財を記録した実績があります。複写すればパソコン上で加工ができます。そのあたりの方法は書かなくてもよいでしょう。キャノンのソフトは使いやすいです。

 それに複写というのは、昔から用いられてきた方法。あの森山大道さんのフィルム画像でも、プリント焼き付けの段階で試行錯誤しながらイメージに合わせたプリントを制作しているそうです。そんなプリントの作業過程を再現することは不可能のようです。だから試行錯誤の結果できあがった1枚のプリント画像を複写して、本になったりTシャツにしているという話をWEBで読んだ記憶があります。

 そんな知見もあってフイルム機材の勧めというわけです。

 

2018年5月3日、福岡市

ContaxT3,Sonnar35mm/F2.8T*、プロビア100F

 

 

 

 

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番外編364. 銀座2. 国立大学系と私学について

2018年05月24日 | Tokyo city

 昨日のブログと同じ1990年代の銀座だが、レンズはこの時期に使っていたズミクロンだったかもしれない。そこは記憶にないので、今日は少し堅い話をしよう。

 大学も新学期の一連の騒がしい時間が過ぎ、この頃になるとようやく次年度にむけて準備が始まる頃だ。調度入試関係の各種委員が選任されるのもこの頃である。それによって教員間に喜怒哀楽が走るわけだ。原則として教員の子弟が大学を受験するという場合は、すべての入試関係の委員から外してくれる。だから子弟がいればもれなく申告し、選任から外してもらい研究に専念できる1年間となるわけだ。

 そして受験生は、目標を定める頃だろう。あまりプロモーションとか大学の文化系的な言葉(個性を伸ばす!とかそういう類いの言葉)に惑わされないためにも、ここでは定量的に説明しておこう。

 過去のブログでも書いた事の最加筆だが、国公立大学系と私立大学とではどちらが教育環境が高いか。それは主に文化系、理工学系、芸術系の学部に限っての話だか。

 算出方法は簡単で大学のホームページにアップされている教員紹介から教員数が数えられる。そこで1学年の学科の定員を教員数で割れば、教員1人当たりの学生数が算出できる。教育がヒューマンファクターの産物だと考えれば、やはり教員の眼が届いた方が教育密度は高く、教員一人が受け持つ学生数は低いほど教育密度が高いことになる。

 私が教えた公立大学芸術工学部の建築都市デザイン学科の定員数は40人、これを担当する教員数は13人、従って常勤教員一人当たり3.0人の学生を受け持つことになる。そして学生数3人というのは、そのまま教員研究室のゼミ生数になってゆく。1ゼミ3人の学生まで受け入れますということだ。

 そこで私が非常勤で教えた私学の芸術学部をみてみると、建築学科30人に対して常勤教員数3人となり、教員一人当たり10人の学生を受け持つことになる。

 こうした数値比較をすれば、国公立大学の方が教育環境の水準が高いという結論になる。そこで私学は非常勤講師を大量に雇用して乗り切るわけだ。非常勤である以上私立大学の教育に責任はない。当然会議も参加できないし、ゼミ生を持つこともない。その分数少ない常勤教員が頑張るわけであり、過重労働の可能性すらあるかもしれない。

 工学系でこの値だから、文化系になったら当然私学の数値は増大する。そして注意しなければならないのは、私学のホームページをみると常勤教員と非常勤教員との区別をしない書き方をしているところが多い。あたかも非常勤教員が常勤教員であるかのようなホームページもある。従って私学の常勤教員数はWEBではわからない場合が圧倒的に多い。

 さらにいえば著名な芸能人や現役のアーティストなどを教員のなかに加えていたりするのも私学の特徴だ。それも客員教授であったり特任教授という称号で。これらの称号は非常勤講師と同じである。年1回講演してお終いというのが多く、もちろん学生の指導などはしない客寄せパンダなのだ。

  教員の質を見分けるのは、博士号の学位と審査付き論文数である。国公立大学は教員個々のホームページを開けばわかるが、大概は博士号を持ち教育研究業績で審査付論文題目が掲載されている。他方でそうした対応は私学ではまちまちであり、掲載させないところもある。それは教員自体が学位がなく論文業績もないからである。

 これまでは私学もそれでよかった。しかし学生数が減少するとなると、今後はやはり教育の質を向上させるブログラムの開発や教員の質をあげることに力を注がざるを得ないだろう。そうした努力と私学の個性とがリンクし、社会的に認められて私学の存在理由も出てくるわけだ。

 まとめると、国公立系大学と私学ではどちらが教育環境(とりわけ教員というソフト面で)の質が高いかを定量的に語れば、前述の結果から国公立大学系だというのが私の見解である。この話は、以前にも書いた記憶があるんだけど・・・書いてから気がついたので、まあいいか。

 

1990年代東京都中央区銀座、LEICA M3、CANON 50mm/F1.4、トライX

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番外編363. 銀座

2018年05月23日 | Tokyo city

 銀座の街は、夜なら絵になりそうだという見込みで、少しだけ裏路を探して情緒的な空気を捕まえようとしていた頃だ。こういう風景も捨てがたいところがあり、本来は横浜の夜の港の辺りでマドロス的な空気でも撮りたかったのだが、既に横浜にはそんな空気がなかった。

 このときLEITZ M3を所有していた。アメリカから3万円でファィンダーのブラックアウトした製品を調達し、日本で修理したら完全に使えるようになった。135mmのレンズをつけるとドンピシャでピントが合ったところは素晴らしかった。とはいっても古い機種であり、銘機といっても私は使う気分ではなかった。

  LEITZ M3はファィンダー50mm、90mm、135mmのファィンダー・フレームしかない。だから広角レンズを使うときはレンズに大仰なファィンダーがつくという、マニアが泣いて喜びそうな製品があった。実用的に広角側を使いたいという私には相性が悪い機種だ。

 これに、このブログでも3月頃に書いたが、貧乏高校生時代のもらい物の50mm標準レンズだ。さすがに貧しい過去は思い出したくないが、50mmの画角はなじんでいたのでとりだして使ってみた。

 今日の画像がそれなのだが、これぐらいボケると明るいF1.4のレンズだけのことはある。もちろんこのレンズにライカMマウントをつければ、オリンパスでも使えるのだが、そこまではやりたくないですね。

 

1990年代東京都中央区銀座、LEICA M3、CANON 50mm/F1.4、トライX

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ZEISSの空気20. 博多っ子

2018年05月22日 | field work

 このポジフィルムを複写した画像は、結構メリハリのある画像だし、ポジフィルムが大変優れていることを示している。これは使わない手はない。

 コンタックスレンズは、渋い色が綺麗に発色されるということは、多分彩度が高くなるのだろう。もちろんレンズ設計も製造も国内なのだが、ヨーロッパで撮影したらよいのかと思うぐらいだ。

 そんな話は置いといて、福岡市内の小学校校舎を再利用した、若い起業家向けのスタートアップ事業のスタジオだ。表の表示をみると19の企業や店舗テナントが入居しており、これらでコミュニティを形成しているようだ。だから、どこかに若さを感じさせてくれて、ショットバーもあるからビジターも随分と訪れるくる。

 まあ場所が天神の界隈だからというのもあるのだろう。もちろん起業の支援をする一室もあり、なかなか熱心に若い起業家達のコミュニティをバックアップしてゆこうとする姿勢が感じられていてほほえましい。こうした市の施設って貴重だよな。京都市なんか博物館ばかりだもん。少しは考えてよと思うけど、こうした施設づくりでは、地元のよし新しいことやってみよう!という人間達がいることも重要。福岡は、そんな気風にみちている。

 博多どんたくを冷やかしつつ、少し天神界隈を散策していた。実はどんたくは町の中に数多く設えられた仮設の舞台で芸を披露している、それが祭の中心なんだ。だから博多っ子になると、芸のひとつも覚えておかなければならないわけだ。いゃーそりゃなかなか大変だよな。さすがエンターテイメント・シティさ。

 

2018年5月3日、福岡市

ContaxT3,Sonnar35mm/F2.8T*、プロビア100F

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番外編362. 二眼レフを中心にしたシステム

2018年05月21日 | Photographic Equipment

 日沖さんの本(注)のなかでユニークなシステムだと私が思ったのが、二眼レフを標準レンズに据えたシステム。なるほどこういう手があったかと当時思った。そこで実際に使うことはないけど、試みとして構成してみた。

二眼レフ:Rolleiflex、Zeiss Opton Tessar75mm/F3.5

ボディ:E-M1Mark2、

レンズ:M.ZUIKO DG 17mm/F1.8、LEITZ TELE-ELMARIT90mm/F2.8

 フルサイズ換算の焦点距離は、35mm、50mm、180mmの準広角-標準-望遠となり、標準レンズに二眼レフを使い、少し望遠系に配慮したシステム。

  このローライフレックスがシステムの要であり、二眼レフだから6×6サイズのフィルムを使います。もちろんリバーサルフィルムを使えば大変綺麗な色の画像が得られます。Optonと記載してあるのは東西ドイツが分断された当時の西ドイツ側の生産であり、東ドイツ製はJENAと記載されています。だから東西ドイツの記載をわざわざするぐらいだから、当然私の廉価版ローライフレックスは1950-60年代頃の西ドイツ生産。

 それに二眼レフは腰の位置で撮影することが多く、被写体に頭をさげて撮影するという格好が、どこか謙虚になったみたいで精神上心地よいところがあるのは不思議な感覚です。もう一つローライには、露出計代わりのデータが裏蓋に印刷されている。これが結構役に立つんですね。

 M.ZUIKO17mmは、老体著しいローライフレックスが故障したり、あるいはデジタルで広角側の画像が欲しい場合を想定した。接写は0.25mであり、通例のポストイットの150m×100mmサイズ(660PR-50Y)までなら接写可能。特にE-M1Mark2にZUIKO17mmレンズを付けたときの使い心地が軽快で、これ1本ですんでしまいそうなほど便利なフルサイズ換算で35mmレンズ。

 LEITZ TELE-ELMARIT90mm/F2.8は解像度はよいけどピントはマニュアル。ただしフルサイズ換算で180mmとなり、ちと焦点距離が長すぎる嫌いもあるので、45mmなどにすれば使い勝手はよくなる。なおE-M1のデジタルテレコン機能を使うと、この小ささで360mmになる。サンニッパというわけだ。マイクロフォーサーズの撮影素子が小さいということは、こういう機能が特性なのだ。

 いつもシステムにはオリンパスが登場するが、私のキヤノンは高性能ズームレンズシステムなので他社機材が介入する余地がない、ニコンはデジタルボディがない、というわけでいつもこれ!。

 WEBサイトをみると個々の機材毎のユーザー評価は多数見られますが、システムとして構成した提案が全くみあたらない。やはり一眼レフはレンズ交換ができることが最大の特徴なので、これを活かして小型軽量でリーズナブル且つ高性能なシステムで提案してみた次第。

 そしてフィールド調査に使える機材システムという視点で複数案を過去ログ(2018年4月22日、5月3日、5月13日)で述べた。ここでオリンパス機材にこだわるのは、建築調査で必須のデジタルシフト機能がついているからだということを付け加えておきます。

 小型軽量な機材システムですが、世界のどこへ旅に出ても、しっかり撮っておける構成ではあります。旅で出会った情報もまた一期一会。・・・ここまでは調子よく書いてきたけど、私のボロ・ローライフレックスはもう青息吐息状態。綺麗に写るときもありますが、半分ぐらいは露出の加減が違って真っ暗とか・・・。ほんまにこれ、もうええわっ・・。二眼レフ好きのシステムといったらよいかな。

 追補だが、複写するとき6×6ネガの画像を、それより小さなイメージサークルのデジタル機材で複写すると、ネガ本来が持っている解像度と比較すればデジタル複写の解像度は下がります。そこでスキャナーで等倍でスキャンする方法もあるが、これは色があまり良くない。やはり解像度は落ちるがデジタル機材でデュープした方が色はネガ忠実に出ます。

 さて京都も、土、日と寒い週末だった。こういうときは、外の光が綺麗だし撮影日よりだったかな。それにしても、この時期にこんな寒い日があったかとなあと昨年のことを思い出しているけど思いつかない。ハワイの火山が噴火するなど自然界の変化が激しい1年なのかもしれない。

 

注:日沖宗弘:プロ並みに撮る写真術2.-一人で仕事をする研究者・ライターのために、勁草書房、1993年

α6000,Carl Zeiss Vario-Tessat16-70mm/F4.0、ISO8000,焦点距離70mm,露出補正+1.7,f/8,1/125

 

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番外編361. 六本木2. そして旅の機材のさらに続き

2018年05月20日 | Tokyo city

 おっ!、女子高生だ、てんでレンズの絞りを∞マークに合わせて被写界深度を使って、隠し撮りどころか堂々と歩きながら目一杯近寄ってササッと撮っていた。ミノルタCLEだから音は聞こえない。女は化粧をしている時は外の気配に無関心ですから。

 さて私の機材システムに関する提案ブログ(2018年4月22日、5月5日、16日)でズームレンズを外してある。実はズームレンズは使い勝手が悪いからだ。

 先ず焦点距離が中途半端。一般的には24-105mm程度の標準ズームレンズが多いが、肝心の135mmという意味ある焦点距離を省いたのが私的に使えないえない理由。だから小さく軽い28-135mmというのが一番理想的。

 それに画質が悪いか、画質をよくすればガラスの枚数が大幅に増え当然重く大きい。これが使えない2番目の理由。ならばはるかに軽くて性能が良い単焦点レンズでよいではないですか、という結論になる。

 そしてズームレンズは、歪曲収差が大きすぎる。建築写真で水平方向に曲がって写る直線では撮影する意味がない。それが3番目の理由。私のEOSシステムですと28-300mmズームレンズは、盛大に歪曲収差が出ますがプログラムで補正できるので使っている。ズームレンズを使うのには諸収差が補正できるプログラムが必須。今は機材に内蔵されている機種もある。

 だから先ずレンズの本数を減らして高性能、広角-標準-望遠の単焦点レンズが原則、マクロ撮影ができ、F2クラスのレンズがあって夜でも撮影でき、万一デジタルボディが充電できなくても使用可能な機械式ボディがあるシステムが理想的。もちろん他の機材で組み合わせても可能。
  オートフォーカスが登場してから、逆に撮影のタイミングが遅くなった。というのもレンズには被写界深度があり、その範囲ならピントが合うので、これを利用すると速射できるわけ。
 それに置きピンという方法がある。例えば前から綺麗なお姉ちゃんが歩いてくるとすれば、10m歩く先を予測してピントを予測点に合わせ、どんな構図になるかを予めイメージして機材を構えておく。あとは通過したときにシャッターを押せばいいわけ。もろ狙ったら気づかれて自然な表情がなくなるけど、そうすれば自然な生き生きした表情が撮れる可能性は高くなる。だからオートフォーカスはピントを合わせる必要がなくても真面目にピントを合わせようとするところが実に煩わしいのだ。
 
 それに人間はどんなに遠くからでもレンズを向けられていることに気がつく。多分銃を向けられているときの狙われているとする生物的な防衛本能が働くのでしょう。
 E-M1は、音を完全に消すことが出る。だから撮影しやすいほうだろう。といってだらりと下ろした手にぶら下げていると、スカートの中を盗撮していると勘違いする輩もいるから、ご注意。世の中は犯罪者をつくりたがっている。誰かを血祭りに上げようとする潜在的なイジメ本能が働くのだろう。都会とはいえ、アフリカの原野をあるくときと同様に、こちらも警戒心が必要なのだ。一応被写体はアフリカ同様に生物だからね。
 
 

1997年、東京六本木、MINOLTA CLE、ELMARIT28mm/F2.8、トライX 

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番外編360. 六本木 そして旅機材の続き

2018年05月19日 | Tokyo city

 西麻布に会社があったから、六本木界隈は土地勘がある。東京も丘と呼べる高台が島のように点在する。赤坂から坂を上がり六本木交差点で頂点。そして西麻布にかけて下り坂となり、西麻布の交差点から渋谷にかけてまた坂を上がりといった具合に地形のアップダウンが連続している。そこへ街がへばりついている。だから街の徘徊はおもしろかったのである。

 旅機材の続編を続けよう。例えば、貴方が海外へゆくことは決まっていた。だが前日まで仕事が続き最終電車で家にたどり着いた。明日は朝一番の電車で空港にゆかなければならない。そんなケースは誰にでも訪れてくれる。旅の支度で目一杯の所へ撮影機材の選択なんかしている暇はない。パスポートとお金があればいいさというあきらめモードになって、そのまま旅に出るというわけだ。

 だから普段から、そのまま旅に出ても後悔しないぐらいの機材は、毎日の鞄の中に入れておくべしというのが私の考え方だ。いつもリュックの中に入っている機材でそのまま旅に出る。被写体と光は向こうからやってくる。仕事で機材も持たずに出かけたら素晴らしい光景に出会ったなんていう皮肉はよくある話。

 さて足指骨折も医者からスポーツしてよいですよと診断され、昨日はスイミング教室へ出かけた。二ヶ月ぶりの水泳をしたら体中が筋肉痛で縛られているみたいだ。少し水に慣れたり体をほぐしながら一ヶ月後からダイビングを再開しようと目論み、ホテルも飛行機も取れた。あとは行くだけ。沖縄も混んでくる時期、もう主なホテルは満室の気配濃厚。つまり沖縄は夏真っ盛りだ。

 

1997年、東京都港区六本木、LEICA M4-P、Elmarit28mm,トライX

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ZEISSの空気19. ゾンネで・・・

2018年05月18日 | Kyoto city

 京都の街には、旗竿敷地と呼ばれる街区が数多くあり、そのため奥の宅地へ続く路地が存在している。そんな路地を一寸のぞきこむようにコンタックスで。これがコンタックス・ツァイスの色だろう。画像をPhotoshopで自動補正すると左側のパープル系の壁の色もつまらない色になってしまうので、これはいじらずにコンタックス固有の色にしておこう。路地の緑が効いている。

 コンタックスのレンズSonnarは太陽という意味だ。つまりゾンネで沖縄の太陽と空気を撮りたいわけだ。フィルムはベルビア100。デジタルデュープ複写はFUJI FinepixS5でよいだろう、と一連のシステムが構築できると、コンタックス持参で旅に出たくなる。

 そんな妄想をしつつ、いざ実際に出かけると結構がっかりしたりするのが通例だ。妄想が勝手な方向へイメージをつくりあげてしまうこともあるし、実際に歩き出したら暑くて体力を消耗して這々の体で引き上げたとか、現実の事柄もある。

 あるいは今日はお休みだからせっかく揃えた自慢の機材をかついで撮影に出かけるぞと意気込んでも、そのお休みのときの被写体と光がベストとは限らない。被写体と光は、こちらの都合に合わせてはくれないのだ。だから仕事であれ余暇であれ常に機材を持ち歩き、ついでに見かけた風景にいいなと思った時こそシャッターチャンスだ。それは飲み会に出かけ酔っ払って帰るときかもしれないし、体調悪くて病院帰りに良いシャッターチャンスが訪れたりと結構皮肉なことが多い。チャンスはいつも環境の方からやってくる。こちらがそれに気づくかどうかなのだ。

 だからいつも持参するから機材は、小さく軽く高性能が条件になる。そうした近所にでかけたつもりがやがて世界に広がる場合だってある。世界に飛び出しだしたら、ああっ、あのレンズが!などといっても後の祭りだ。いつも持ち歩いている機材で撮りまくるしかないだろう。そんな小さく、軽く、いつでも世界のどこでも持ち歩けるシステムを、私なりにこのブログで提案(2018年4月22日、5月5日、5月16日)してきたわけだが、少し時代がかっていたか。

 そしてもう一つ加筆すると、

 私が愛用しているオリンパスの機材は、コンパクトデジタルカメラを一眼レフのシステムに乗せたらどうなるすか、という視点で開発されたと推測する。だから早い話がそれと写り方は一緒といってもよい。それぐらいコンパクトデジタルカメラも進化してきたということなのだが。昔の感覚でいえばオリンパスは、やはりハーフサイズに限りなく近い。

 まあそれでもシステム化されているのでオリンパスは仕事に使える機材だとは思うけど。しかしEOS1Dsと比べれば、やはり描写力がなぁーと思うわけ。そんなわけで研究に使えるニコンDfとか、フルサイズのミラーレスが欲しいなと思うわけ。コンタックスT3を使おうと思ったのも。実はハーフサイズよりやはりフルサイズでしょう、という昔の感覚があるからだろう。

 

2018年、京都市中京区

ContaxT3,Sonnar35mm/F2.8T*、プロビア100F

 

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番外編359. 高画素≠高画質という論拠

2018年05月17日 | Photographic Equipment

  今日の画像は、ポジの複写で左側がフルサイズのEOS1DsMark3(2100万画素:フルサイズ)と見右側がFUJI FinepixS5(1234万画素:APSサイズ)のデジタル一眼レフで複写したポジ画像を拡大して比較したもの。画素数が違うのだから(gooの画像は解像度が低いけどモニターで見ると明快だし、右下のトタンなんかをみるとわかるのではないかな)一目瞭然、だから画素数が高い方が良い?。本当にそうなのか?

二つの機材が撮影したデジタル画像の撮影素子の面積は・・・

APSサイズは23.4×16.7mm=390m㎡

フルサイズは36×24mm=864m㎡

面積比で2.2倍である。

面積が違うからFUJIをフルサイズの面積に揃えみよう。

そしたら画素数はどうなるか?

FUJIは・・・

1234万画素×2.2倍=2715万画素

ちなみにEOSは・・・

EOS1DsMark3=2100万画素

 つまり撮影素子を同じ面積サイズに換算比較するとFUJIの方がEOSより画素数が高い結果になる。ブログ画像をみれば、FUJIの方が画素数が高くて解像度が低いということがわかるだろう。だから高画素≠高画質なのだ。

 つまり画素数が高い分1画素あたりの受光面積、そしてマイクロレンズも小さくなり、その結果読み込める光情報も少なくなる。当然アウトプットされた画像の解像度が低くなるということになる。

 つまりEOSは、撮影素子のマイクロレンズも大きく、FUJI以上の光情報を取っているわけ。それがブログ画面の解像度の差になっている。これは二次限空間上の話なので、電子工学以前の初歩的なことなのである。そしてブログ右側のFUJI画像はピクセルを揃えるともっと大きな画像になり、もっと解像度が低くなるのです。面倒だからそこまでしなかったけど。

 このあたりがデジタル機材の仕組み。だからプロユースのフルサイズ機材は、みな2000万画素台であり、それより大きくするならば撮影素子自体を大きくする方がよいことになる。フィルムでいえば中判フィルムというわけだ。解像度をあげたければ撮影素子の面積サイズを大きくすることだ。

今のオリンパスEM1Mark2(2177万画素:マイクロフォーサーズ)の撮影素子面積は・・・

17.4mm×13,0mm=226m㎡

これをフルサイズにするのには面積を3.8倍にする必要があるから・・・

2177万画素×3.8倍=8272万画素になる。

もうひぇーー、これでは安物のコンパクトデジタルカメラと一緒ではないか。確かに写り方にもそれと類似する点が見られるから特にオリンパス機材にこだわる必要もないわけだ。だから、もう画素数をあげすぎだと思うよ、まあ500万画素程度でマイクロフォーサーズは調度よいのだよ。

 つまり1画素の撮影素子が小さいからEOS1Dsの1/4程度の光情報しか届かないことになる。だから画素数をあげても意味がないわけ。そう考えるとマイクロフォーサーズの性格もコンパクトデジタルカメラと大いに類似してくる。レンズ交換ができるコンデジというわけだ。こう考えるとマイクロフォーサーズの魅力半減かも。さっさとオリンパスはしまってEOS1Dsをもっと使おうという気分になる。

 それを打ち破るのが裏面照射型撮影素子。前面にあった回路基板が背後にいったので、その分、光情報が取れるわけ。あるいは同じ光情報でよければ画素数をあげられるわけ。それがSONYα7シリーズとか、ニコンD850なわけ。

 だからやたらに画素数をあげればよいというものではないわけ。高画素≠高画質、つまり高画素と高画質はイコールではないということ。

さらにスマホでみると・・・

SONYの裏面照射型CMOSセンサー“Exmor RS for mobile”を積んだ2000万画素スマホだと、

撮影素子サイズが4×3mm=12m㎡とすれば・・・

フルサイズでは面積の72倍だから、フルサイズ換算の画素数を算出すると・・・

2000万画素×72倍=14億4000万画素

iPhoneだと1200万画素

1200万画素×72倍=8億6400万画素

もうスゲースマホカメラというほかないが、といってスマホがEOS1Dsより解像度が高いという話は聞いたことがない。つまりスマホは解像度が特段良いわけではない。ものすごい僅かな光で画像処理をしているんだろう。プログラムの力かな。iPhoneの画素数が低いのは、こちらの方が綺麗に撮れるというアップルの考え方だ。

ポジネガの複写をしていて、そんなことを考えていたのだった。 

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