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Creator's Blog,record of the Designer's thinking

毎月、おおよそドローイング&小説(上旬)、フィールド映像(中旬)、エッセイ(下旬)の3部構成で描き、撮り、書いてます。

ドローイング1000.小説:小樽の翠904.海風が吹く頃

2025年06月03日 | drawing

 ナンタルの文さんの居酒屋でも、今日は健さんがフィールドから戻ってくる。春から初夏になると博労の仕事も暇になり、牛の種付けや農家の相談事にのっているのだろう。もちろん牛の燻製を沢山つくって。
深夜店を閉める頃になると軽トラックが止まる音がして健さんが暖簾をくぐってはいってきた。
テーブルに燻製をドサッとおいて、文さんを抱きかかえて奥の間へ。
健さん「待ち遠しかったぜーーー」。
文「私だって、寂しかったよ!」。
奥の間の小箪笥の上に文さんを据えると、足を抱えて作務衣とパンツを脱がせた。そして文さんの足を上に織り上げて、文さんの鼠径部を眺めている。
文「いつも変な格好をさせるんですね!」。
健さん「文はいつもどんな格好をさせても驚かないからさ。その腿の間にある茂みと縦の割れ目の眺めがいい!」。
文「女の鼠径部なんか面白いんですか?」。
健さん「そりゃいつまでも眺めていたいさ。そうしていると次第に勃起してくるんだ」。
そして健さんがコックを鼠径部に突き立てる。
文「ああっ、乱暴な、まだ全部濡れていないですよ」。
先端を射し込み、少し前後させると、文さんの鼠径部も潤ってくる。
健さん「この膣にペニスが入り始めた格好を眺めるのが好きなんだ。なんか女の身体のなかにズルズルとはいってゆく光景がさ」。
文「まあ、スケベなのね。もっともそれが男の元気の素か・・・」。
健さん「こうして奥まで射し込むと、文が仰け反る光景も好きだな」。
文「ああっ、ああっ、奥を健さんの太いのが突いている・・・・」。
健さん「もっと奥まで射し込んでみよう。文の身体が持ち上がるぐらいに」。
文「ああっ、ああっ、ハァー、ハァー、いいですよ。凄く感じます」。
文さんの足が健さんの骨盤に絡みつき、手は健さんの広い背中に爪をたてている。
二つの骨盤が一つになって前後に律動しゆく。
文「ああああああつ・・・、クルクル・・」。
そういって文さんが健さんの身体にしがみつく。
健さんのペニスの力で文さんを上に持ち上げたとき、文さんの足が僅かに痙攣し、一気に撃ちはなった。
そのまま二つの身体が脱力し畳に沈んだ。
文「久しぶりだもん、すごかった。さあお風呂が沸いてますよ。一緒に入りましょう」。
健さん「そうだな、背中を流してもらおうか」。
ふと文さんが、もう二ヶ月も生理がこないことを思いだしていた。
・・・
初夏に近い小樽の夜中は、心地よい海風が吹いていた。
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ドローイング999.小説:小樽の翠903.ベーヤンの和恵さんが妊娠した

2025年06月02日 | drawing

 夕方も早い時間に、札幌のベーヤンから少しだけ飲もうよとメールがあった。きっとCFの撮影も早く終わったのだろう。そういえば小樽も随分と陽が長くなった。
・・・
 オーセントホテルのラウンジにゆくと、べーヤンが一人ポツネンとジンを飲んでいる。今日はいつもの元気な雰囲気ではなく、しんみりとしているではないか。
ベーヤン「俺も広告業界の人間だから、これまで女やその妖艶なセクシーを利用して映像もつくってきたさ。それ自体モデル業界でセクシーの度合いのアイデア比べや競争だったさ。俺たちは、それに一喜一憂して制作に励んできたさ。そしてLove of Lifeの表現もした。そんな考え方が、今じゃ社会や文化の1つとなりジェンダーなんて大きな概念までたどりついた」。
「札幌の歩く下半身にしては今日は、ばかにしんみりした話だね」。
ベーヤン「うん、和恵に子供ができたんだ。もう3ヶ月だって」。
「和恵さんって、2回目の奥さんだったな」。
べーヤン「そう、あいつはまだ20代なんだ。おれはもう50歳だよ」。
「歳の差は関係ないだろ。おめでとうじゃないですか!」。
そういってグラスをかかげ祝杯のサインだ。ペーヤンもグラスをかかげて、しずかにカチンと音がした。
「おめでたいのに、ばかにしんみりしているじゃん。前妻の間に何人いたの?」。
ベーヤン「二人」。
「つまり3人目か・・・、いや違う。ベーヤンのお手ツケの未婚の母もいるから4人目じゃん。日本の人口増加に大いに貢献したわけだ。立派ジャン」。
ベーヤン「未婚の母は、子連れで札幌でブログラマーをしているらしい。風の頼りだけどね。俺、ふと気がついたんだ。これまでLove of sexで、人生はsexを楽しめ、セクシーな女の美ボディをなで回せ、そしてそれがファッションとなり、化粧品からはじまってライフスタイルにまでひろがり、そんななかで広告を作ってきたさ」。
「まあ、社会はそうなっている。それが悲しいの?」。
ベーヤン「そんなSEX概念や文化や生活の広がりも、1つの帰結に向かうということに最近気がついたんだ。それが妊娠さ」。
「妊娠という言葉には、CONCEPTという意味もあるよ。世界の始まりなんだろう。そんなこととは関係なく女達はセクシーをくさるほど振りまき、SNSをもりあげ、それは何ためかというと男を引き寄せ、良き遺伝子を残そうとする女達の生殖行動に最後は結びつく。つまりSNSや社会はそんな構造だったわけだ」。
ベーヤン「そう、そのために俺たちは膨大な遠回りをして、大きな労力をそそいで、はしゃいできたわけだ。目的は妊娠というただ一つの行為に向けて・・・。だからなんか力や緊張感が抜けたさ・・・」。
「神は、女に魅力的な容姿を与えた。それは遠回りに走り回り、最後に妊娠にたどりつくための便法だったというわけだ」。
ベーヤン「だから俺も、これからは子育てに専念しようとおもう。前の妻との間には子供もいたけど俺は仕事ばかりしていたから、まったく子供達から父親だなんて認知されていなかった。これからはすこし仕事をセーブしてさ・・・」。
「和恵さん、喜ぶんじゃない?」。
ベーヤン「多分ね。あいつには言わないけど、出産の頃は仕事も休むつもりだ。誕生の時ぐらいマイビデオで撮影して、家族の記録づくりを始めるかな。いままでそんなことすら気がつかなかった」。
「普通のファミリーというわけだ」。
ベーヤン「まあね。これまでしてこなかった家庭の仕事をしようというわけさ」。
そういってベーヤンは懐胎の準備だといって、早々に小樽に戻っていた。
少し後姿が変わったな。
・・・
もう春から一気に初夏の空気が漂う小樽の街だ。
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ドローイング998.小説:小樽の翠902.女盛り

2025年06月01日 | drawing

 6月にもなると毎週仕事場の名古屋と小樽の間を定期的に通勤移動する日々が続く。アチキも今日は仕事を終えて夜小樽に戻る。家に近づくと、ドアが開いて灯りが外に飛び出す。すると翠が「おかえり!」と元気な顔をみせた。
翠「だって、足音でわかるもん、あっ、アチキが帰ってきた」。
「そっか・・・」。
翠「お腹空いたかな?」。
「翠が食べたい」。
そういって翠を抱え、スウットを1枚1枚はぎながら、2階の寝室へ抱えていった。
翠がキスをしてくる。どうしてこんなに女の唇は柔らかいのだろう。
翠が股間にタッチしてくる。
翠「あら、たってるじゃん!」。
「だって帰りの汽車で、連想していたもん」。
翠「なんだ、そんなことを考えながら帰ってきたの!」。
「だって退屈だったもん」。
翠「よしよし・・・」。
そういってアチキの洋服を脱がせパンツをエイッとおろして・・・
翠「なんかシャワーをあびた?」。
「空港の国際線のところにラウンジがあるんだ。アチキは利用回数が多いから、ここが使えるんだ。そこでスナックをかじりながらシャワーをあびた。帰ったら真っ先にできるようにさ・・・」。
翠「なんだ、そんな準備をしながら帰ってきたのーーー」。
抱えあげた翠の膣に切っ先を少し入れてみる。
女盛りのボディは直ぐに反応し、次第に潤ってくる。
少しずつ膣の深みに入れてみる。
翠の頭が後にそる。
奥まで射すと、翠が眼をとじて快感を反芻しているようだ。
閉じた眼がアチキのペニスを味わうかのようだ。
やがて荒い吐息になる。
翠「ハア、ハア、ハア・・・・・」。
翠の身体が後ろにそる。
アチキが撃ちはなつ。
翠の頭が起きてきてアチキの眼を見ている。
翠「ふぅー・・いった」。
翠がアチキの腕に指文字を書く。
LOVEと・・・・
・・・
初夏の心地よい小樽の風が家並みを抜けてゆく。
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エッセイ874.異国の地、病のなかで5.

2025年05月31日 | field work

 フィリピンで処方された薬の副作用で寝たきりが続いた。頻尿だったから夜はオムツをつけていたし、昼は雨も降らない蒸し風呂のような暑さが続いた。あるとき筋肉は落ち歩くことも面倒になる。ふと寝たきり生活というのは、自力を放棄した延長上にあることに気づいた。
 まずい、これでは本当に寝たきり生活になる危機感をかんじた。そこで夕方散歩に出て撮影をした。既に身体に力が入らないし声が出ない。それでも身体をならすために撮影を続けた。というのもYouTubeにアップする直前で全ての編集済み画像データを消してしまったから再度撮りたいモチーフがある。ここはささやかな執念というほかない。
 翌日はコンビニまで歩いて出かけもした。汗をかくと頻尿が少し納まる。我慢するから次第に筋肉がついてくるのだろう。つまり寝たきりは、筋肉が衰えてゆく一方なのだ。だから日本への帰国に向けて起き出して動くことにした。そうすると次第に身体が慣れてくるようだ。
 この頃、テレビ代わりに毎日みていたスマホに飽きたし、映像を撮影するなど健康なときの所作であり、映像機器の更新なんかどうでもよくなっていた。デジタルということ自体に嫌気がさしていたからだ。さらにgooのブログが終わる。
 考えてみれば、次次と好奇心を引き出し書いていた私のブログも、私自身が飽きていた。マンネリ化している。さらにあれほど緻密に考えていたい映像機器の更新など、どうでもよくなっていた。つまり関心が映像から離れていった。しばらくPC環境から離れるのもありか。
 そんな考え方がネチネチと湧き上がっていた。これは元気になってから意欲があったら考え直すかもしれない。どちらにしても日本に帰国して元気を回復してからだな。

フィリピン・ブラカン復活祭
撮影:NIKKA PAGUTALUNAN
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エッセイ873.異境の地、病のなかで4.

2025年05月30日 | field work

続き・・・
 これを執筆している日は4月22日のフィリピン・ブラカンだ。在留カードの申請を取りやめようと考えた。当初、クリスマスもあるから2ヶ月と言われ、それなりのスケジュール調整をしてきて書類申請をはじめた。イミグレーションから3ヶ月と言われた。だが5ヶ月後たってもいまだに届かないのが今の状況だ。
 そこで2月にコンサルタントに確認してもらった。結果は審査されていない。さらには家庭訪問の対象に選ばれている、と返事があった。だから係官の訪問をまった。だが一ヶ月すぎても係官が来た形跡もないし、私の常備薬もなくなっている。遅くなると嫁の日本での在留カードの更新時期と被ってくる。さらには、私の会社の納税時期ともかぶり、すでに滞納期間になっている、さらに運転免許の更新もあり今年から実習を伴う・・・など、日本での仕事が山積みだ。あらかじめ余裕をもってスケジューリングをしたのに、ことごとくフィリピン政府に破棄されている。
 そのときに思った。どんな理由があるにせよ、私のパスポートを預けているのだから、責任をもって私のフィリピンでの在留カードを発行の有無をするのが国家の勤めだろうが!!!。ダメならさっさと通知し、外国人のパスポートを返せよ!!!!。このとき私はフィリピン政府のいい加減さを痛感した。もうこの国とは、つきあいたくない。
 なんでも遅いのはフィリピン人も自覚している政府の対応だが、5ヶ月まっても音沙汰ないのはひどいではないか。だからコンサルタントにしばしば打診してもらい、アジェンダを発行してもらった。
 私は、もうこの国に来ることはない。それが私の決断だ。だから在留資格は不要!。私の!パスポートを返せ!!。すでに四ヶ月分の延長ビザをしているではないか。それでもフィリピン政府は動かない。もうこの国とはつきあいたくないし住みたくもない。
  私は帰国日の航空券を再度、再再度、再々再度、予約し直し、5月1日の便に予約変更した。この日に確実に日本へ帰れるとコンサルタント指示した。というのも日本ではゴールデンウィークシーズンでありこの日をのがすと10日位はチケットが取れないからだ。
 この原稿を書いている頃、コンサルタントはどちらかの方法でパスポートを確保しますと言ってきた。私の不安は山積したままである。
続く・・・

フィリピン・ブラカン復活祭
撮影:NIKKA PAGUTALUN
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エッセイ872.異境の地、病のなかで3.

2025年05月28日 | field work
 
続き・・・
 終日寝ている日々が続いた。映像撮影する意欲もなく、ブログを書く元気もない。私がすることはスマホでYouTubeとInstagramを見ることぐらいだ。
 そんなYouTubeの映像の過半は、事実の大幅な誇張であり、なかには事実と違う解説をするサイトがぶら下がってくる。Instagranにいたっては、ミャンマーの地震で建物が崩壊する様子なんかCGはかりで辟易させられる。それは視聴者を騙し、アクセス数を稼ぎ出そうとする演出ばかりで詐欺に近い。そんなのをみていると嘘同然の虚構の世界に嫌気がさす。
 つまりWEBサイトに載せられている記事は、せいぜい執筆者が元気だからアップできる画像ばかりであり、つまり登録者稼ぎの証左でしかない。だが世界のアップデータの大半は、そんな記事ばかりだ。私には、ちっとも癒やされる知見も要素もない。今度登録サイトを絞ろうと考えた。だから今は知的刺激のある確かな情報のサイトぐらいにとどめた。
 そう思い始めたときに、これまで一定のクオリティを維持する努力を続けてきたgooのサイトの執筆も私には面倒になってきた。もう私のブログも辞めようか・・・。
 その矢先にgooのサービス終了のお知らせが来た。私は最後に本にまとめて、今のブログはお終いにしよう。今後他のサイトに設定する元気があったら全て新規登録でいいじゃん。しばらくそんな考え方が続いている。どこか好奇心を発掘しては書き続けるという、これまでの私の執筆姿勢にも飽きてきたということもある。
 これは日本に帰り養生して元気を回復してから再度考えよう。
 内容面でみるとドローイングシリーズの小説に終わりを設ける必要がある。これまで900回は書いてきただろう。ドローイングが主といえ、よくここまで書き続けたと自分なりに笑える。そんなものであっても終わりを書くのが執筆者の使命だろうと考えた。

フィリピン・ブラカン復活祭
撮影:NIKKA PAGUTALNAN
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エッセイ871.異境の地、病のなかで2.

2025年05月27日 | field work

続き・・・
 一度体調を崩すと容易にもとに戻らない。やはり歳だと悟るほかなかった。ときには食事も進まないぐらいに前立腺の薬の副作用があった。だから夜は嫁にオムツをつけてもらい、休んだ。そんなもんどり打つような苦しみの中で、もう若い頃の体調ではない。年相応のことを考えなきゃならないのか・・・。
 頭をよぎるのは、もうこの国には住みたくもない。嫁は日本の在留カードを取らせたので、それで十分ではないか。なんといっても私が日本の医者に容易にかかれることの方が大切なのだ。
 だからフィリピンに家を建てる計画は破棄しよう。設計者のMarkには、悪いけど頭金の返却も放棄して日本に早く帰りたい。調度嫁からは、家ではなく、アパートビジネスをしたいといってきた。それはそれでよいではないか。マイホームよりは、私が突然死んでも嫁に一定の収入のあることの方が大切だ。それに嫁は親戚達をかき集めてアパートをつくるといっている。ならば私が手を出す余地はない。
 それにあの土地は街から遠く、大きな街のマロロスに出るにはトライシクルしかない。もうまとめ買い必須の郊外生活に私が絶えられる歳でもない。
 そうなるといつ発行されるかが不明の私の在留カードの申請も取り下げよう。こんなときコンサルタントを仲介していてよかった。病の時に英文を読む意欲は無く、マニラのイミグレーションに2時間もかけて頻繁に通う元気がない。申請取り消しをコンサルタントに伝えた。コンサルタントはアジェンダを申請すれば、59日以内にフィリピンに戻れば再申請できますよ、という返事だったが、それも必要ない。私の決断は決まっている。もう、この国には住まない。
 この頃、カトリックの国では復活祭だ。ブラカンでも復活祭の催事が毎日のようにおこなわれている。元気だったらカトリックの2大イベントは、映像に記録すべく走り回っていたはずだが、起き上がる事もできない。嫁からの画像にすがるほかない。在留カード申請の目処は立たず、薬の副作用は続き、異国の地で絶望の毎日が続いていた。早く日本へ帰りたい。
続く・・・
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エッセイ870.異国の地、病のなかで1.

2025年05月26日 | field work

 今日は4月22日、前立腺を小さくする副作用の強い薬をマロロスの病院で処方してもらい飲続けている。副作用で頻尿が40回/日つづいている。そのために一時期食欲もなく終日寝ていた日々が続いた。今日およそ一ヶ月ぶりにブログを書くことが出来た。異国の地で 服用しなくてもよい薬を飲み続けたとき副作用が大きい。
 少し思い出すと最初の尿道感染の治療の頃、クリニックでカテーテルで排尿させられ、若い女性の看護師さんは「いとしい、いとしい、可愛い坊や」と歌いながらカテーテルを尿道に射し込んできた。「げっ!、いたたた!」と私が唸る頃にはカテーテルが射し込まれていて、十分もすれば排尿され少し快適になった。患者の気分を和らげるには、最適な歌だった。
 2回目のカテーテルの治療をする頃、超音波検査で前立腺が大きい事、大きな病院の泌尿器科へ行けとなった。直ぐに治療をする必要性はないが、調度長逗留で常備薬もきれていたのでマロロスの病院へ診察に出かけた。ここで処方された薬は副作用が強く、頻尿を加速させてくれた。やっぱ日本の薬でないとアカン。といって帰国の目処はフィリピン政府のトロい仕事のおかげで目処が立たたない。他に方策がないのだから副作用の強い薬を飲み続けた。
 しばらく飲み続けていると食欲がなくなり、寝たきり状態が続く。しかも熟睡していると、排尿の警告も無しに尿失禁だ。嫁は頻繁にマットレスを天日に干し、シーツの洗濯におわれることになる。
 この頃からフィリピンでは、市長や議会の選挙活動が盛んになる。毎朝轟音に使い音楽が流れてくる。数年前に来たときも、そんな経験をした。それは音楽にたたき起こされるというわけだ。
続く・・・
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エッセイ869.旅と病気

2025年05月25日 | field work

 地球上には、開発途上国をはじめとする病気要注意国は多数ある。従って旅と病気は密接な関係にある。予防しつつが旅の原則になる。私も在留許可の手続きが予想以上に長引いたので病のとばっちりを受けた。その経緯を記しておこう。

3月12日水曜日、下痢。これはよくあり、サリサリストアで下痢止めを3錠調達服用。すぐに治った。

3月13日木曜日、朝起きたら排尿ができないし尿道が痛い。
これはペニスなどが便器に接触し雑菌が入った可能性がある。過去にも日本のホテルで同様の症状で一晩苦しみ、翌日近所のクリニックを紹介してもらい、抗生物質や排尿剤を処方してもらったことがある。幸い薬服用後に快方に向かい、次の訪問地である門司へ新幹線のグリーン車で休みながら向かった。ホテルで休んでいたら快方に向かった事があった。旅から旅への移動途中に体調を崩すことは仕事ではよくある。
ブラカン市内のクリニックにゆき、抗生物質を処方してもらたった。

3月14日金曜日、朝起きたら排尿ができないし尿道が痛い。
そこで同じクリニックでカテーテルを挿入し尿を取り出す。同日夜から排尿可能。だだし水分摂取量より排尿量は少ない。排尿時に痛みがある。午後同クリニックで超音波診断結果を受け取る。前立腺が大きい。
実は、渡航日より二ヶ月以上前日本のクリニックで検査を受け、前立腺が大きい事。そのために薬を服用していた。旅用に2ヶ月分の薬を処方してもらった。だが滞在期間が予想外に延びたために、この薬は先月末で飲み終えていた。

3月15日土曜日、
休日だったクリニックを開けカテーテルの治療を受ける。
一時的回復は見られたものの、排尿がすくなく、膀胱周辺部が膨らむ。

3月17日月曜日
午後からマロロスの病院の泌尿器科にゆく。混んでいる。1時間半後に診察。医師と会話し、日本での治療継続することとし1ヶ月分の薬を処方してもらう。多分前立腺を小さくする薬だろう。服用後二日後から効果が出始める。だが副作用も多々あり、これに依存しすぎはやめよう。

3月18日火曜日
マロロスの病院の薬を服用。排尿回数が減らないというのは気になるが、これまでの症状はほぼなくなりつつある。

3月18日水曜日
マロロスの病院の診断書をもらいに嫁に出かけてもらった。頻尿以外は改善した。

 この過程の中で、夜は寝られず、頻尿でトイレに通い続け、もうこの国には二度と来たくないと思いながら、悶々とした苦闘の日々を過ごしていた。病は人間の意志を大いに砕いてくれる。

教訓:
継続して服用している薬があったら旅には在留期間の2倍は持って行くべきだろ。通院には同行者が必要である。私の場合は嫁がいた。それで随分とサポートされていた。

画像:iPhon13pro
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エッセイ868.2つのスチル写真の決定的瞬間、記:トランプ大統領が公開したJFK暗殺の記録

2025年05月24日 | field work

 撮影機材の更新ブログを書いていた頃、2つのスチル写真の決定的瞬間をとらえた画像に目がとまった。昨年のアメリカ大統領選挙におけるトランプ元大統領が襲撃されたときの2枚のスチル写真である。
 撮影者は、前者がピューリッツァー賞受賞のフォトジャーナリストでAP通信社のエヴァン・ヴッチ。このスチル写真が世界に配信(注1)された。
 私がこの画像をみたときに感じた、トランプ氏の拳、そして星条旗に視線が誘導される巧みな三角構図はなんだろうかと考えていた。元画像をみると少しトリミングされていたことがわかる。アマナでプランナー・ディレクターを務める鈴木陸の解説(注2,注3)によれば、近代絵画の技法を用いた三角構図とする指摘もある。おそらく私は撮影者か或いは編集者によってトリミングされ配信されたと推測している。
 さらに2枚目の画像(注4)は、Xで発表されたダグ・ミルズがとらえた弾丸が耳元をかすめる瞬間の画像である。
 情報の断片を集約するとプロンプターに銃弾があたり飛び散った破片で怪我をしたと記述されていた。後者の撮影機材はSONYα1、1/8000秒とあった。
 このスチル写真をビデオで撮影できるかというと、物理的には記録されるが判読や画像解析作業が必要となる。速報性を問うなら無理といってよい。というのもビデオカメラの映像は、1コマ24枚の画像で撮影されているが、通例シャッター速度は24コマ×2倍=1/60だからである。さらに早くても4K120fpsでは1/250以下だろう。常時そんなはや回しで映像撮影することはない。従って銃弾の軌跡は映らないほど早く、普段の映像映像では撮れないといってよい。
 2枚のスチル写真をみると、映像では撮れない一瞬を記録するスチル写真の重要性を世に知らしめている。そんな歴史的事実とあわせてスチル画像の紹介記事をブログに書きとどめた。

Xにアップされた(注5)エバン・ビッチ氏の元画像とコメント
Evan Vucci @evanvucci 2024年7月14日
Republican presidential candidate former President Donald Trump raises his fist as he is rushed off stage  after an assassination attempt during a campaign rally in Butler, Pa. @apnews
(エヴァン・ヴッチ @evanvucci  2024年7月14日 共和党の大統領候補ドナルド・トランプ前大統領は、ペンシルベニア州バトラーでの選挙集会中に暗殺未遂事件に遭い、急いでステージから追い出される際に拳を振り上げた。)
(記:2025年3月12日)

参考文献
1)トップ画像:Farst companyの画像。エバン・ピッチ氏の画像が世界のメディアを通じた発信された。Why Evan Vucci’s Trump photograph feels so historic(エヴァン・ヴッチのトランプの写真がなぜ歴史的に感じられるのかについて解説している。わが国でも日本経済新聞社などが画像をアップさせている。各紙がアップした紙面画像を引用した:
2)エバン・ピッチ氏の画像について紹介している日本のサイト:
https://insights.amana.jp/article/38650/
3)鈴木陸氏:
https://insights.amana.jp/event/speaker/22207/
4)ダグ・ミルズのスチル映像はHindustan Timesから引用:
https://www.hindustantimes.com/world-news/he-got-very-mad-meet-nyts-doug-mills-who-took-shot-of-bullet-whizzing-past-donald-trump-101721002726927.html
5)Xにアップされたエバン・ピッチの画像とコメント

追記:トランプ大統領が公開したJFK暗殺の記録
 奇しくも大統領就任初日に大統領令にサインの一つにJFK暗殺の記録がある。約11万頁に及ぶ資料であり、世界がその読込にはしばらく時間がかかるだろう。
 少なくとも新しいフレームが注目されている。
1)暗殺者はCIAではないこと。
2)イスラエルの影:最初の暗殺者とされたリー・ハーヴェイ・オズワルド、オズワルドを射殺したジャック・ルビーが二人ともユダヤ人だったこと。これまで二人は無関係だったとされているが実は知り合いだったこと。さらには当時副大統領でJFK暗殺後に大統領になるリンドン・ジョンソンは、熱烈なイスラエル支持者シオニストであった。彼らの背後にイスラエル情報機関モサドやイスラエルの影がうかがえる。JFKはイスラエルの核開発計画を中止させた経緯があった。さらにはなぜCIA暗殺説が登場したかのいきさつにもあきらかにされている。
3)当時のソ連は暗殺情報を事前に把握しておりアメリカに警告していた。
 現時点で暗殺犯は特定できないが、解明に向かうキーワード・コンテクストがいくつも登場している。今後の研究と図書の発刊を待ちたいし、映画にもされるだろう。
 JFK暗殺の第一報は、日米衛星テレビ放送が開設された初日に飛び込んできたニュースであった。私は小学校の校内放送で事件をしった。以来四半世紀論拠のないまま放置されていた事件である。資料の膨大さには圧倒される。研究者達の結果をまちたい。
(記:2025年3月20日フィリピンにて)

記録のダウンロード
アメリカ合衆国国立公文書館(NARA)
検索項目:https://www.archives.gov/research/jfk 2,168報告書 
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エッセイ867.しょうもないこと3.ようやく結論か・・・

2025年05月23日 | field work

 フィリピン滞在も時間がタップリあるので、つまらいないことをネチネチと考えている。
 というのもやっぱ撮影機材の2台持ちが海外の長期滞在で使い勝手が良い。こんなトップ画像をみているとツァイスの魔力にはまる。といって今持参機材では少し役不足だった。
 それに今持ち出した手元のレンズは広角ズームと準望遠のレンズをボディ1台で使い回している。やはり長い焦点レンジのズームレンズが使い勝手がよかったしミラーレスホディは2台必要だった。機材の仕様表を丹念に解読した挙げ句、散々迷ったすえの結論は、マクロレンズを加え手持ち機材FX30のシステムと組み合わせると更新システム案は・・・
・・・
FX30(646g)+E PZ 18-105mm F4 G OSS(427g)、E PZ 10-20mm F4 G(178g)、E 30mm F3.5 Macro(202g)
α7Ⅲ(2025年末に新モデル登場)或いはα7Ⅳ(658g)+Sonnar T* FE 55mm F1.8 ZA(281g)、FE 24mm F1.4 GM(445g)
撮影機材合計重量が2,387g
ハンドルユニット(300g)
イベント用でInsta360 Acepro2(117g)
ジンバル:DJI RS3mini(850g、預け入れ荷物でもよい)
Mac Book pro(1,550g)
全部の合計が5,204g

・・・
 バッテリーを含めて5.2kg!。これならば飛行機の持込手荷物7kg以下になる。OKじゃん!。手元のα6600をフルサイズホディに更新しF1.4の明るいGMレンズを1本追加すればよいだけで済む。それにα7Ⅲやα7Ⅳにはスーパー35mmモードがあるのでどのレンズもどのボディにつけられる。後は持ち運べるバックパックを捜さなければ。こんなメモをデスクに貼っておきたい。
 最近価格サイトをみていたらα7Ⅳが次第に値下がりしている。予想通り新機種が出るのだろうか。今のSONYは私が使う機材に関してだが端境期だ。バッテリーの持ちが良い旧機種α7ⅢとGMレンズを中古にすれば20万円の追加で更新できる。さてどっちにするか?。
 本来なら映像関係者が口を揃えて推奨するFX 3がベストだが、半導体不足のときに発売(2021年3月)され価格構造的に値下がりできないこと、アクションカムでも撮影できる8Kが撮影できない事を考えると次の機種を待ちたい。
 今は情報過多であり、YouTuberは口を揃えて機材の長所と短所をあげて紹介をしてくれる。だが私の仕様には合わない事もある。だから断片情報をかき集め私なりの仕様をつくらなければならなかった。例えば10bit、60pで撮影できますがバッテリーの減りは早いですよ、と言った具合に性能を向上させれば、バッテリーにひずみがくるのが機材の特徴だ。
 もう一つ映像撮影では課題がある。APSボディFX30にフルサイズレンズFE 24mm F1.4 GMをつけると焦点距離が1.5倍になり、結果36mmとなる。これにアクティブ手ぶれ補正をかけると1.1〜1.13倍にクロップされるので、39.6〜40.68mmに画像が小さくなる。つまりAPSホディでは40mmF1.4のレンズとなり、標準域の明るいレンズになる。便利というか不便というか・・・。SONY映像機材固有の特性である。
 さてこれまでの検討結果を反映させた機材システムのビジュアルをアップさせておこう。さて今年のSONYはAIチップを搭載するなど、これまでとはワンランク上の次世代のステージの機材仕様といってもよい。後継機種も矢継ぎ早に登場しそうだから、こんなところで5年前の機材に手を出す必要はない。次世代機材FX3Ⅱとかα7Ⅴとか・・・。
(記:2025年3月9日、フィリピン・ブラカン)



 これで重量5.2kg。手持ちのシステムと組み合わせフルサイズ機材とレンズを加えても互換性があり、ここまで検討した私的システムになる!。もちろんこれは誰にでも勧められるシステムではない。それでも海外に持ち出す必要十分なシステムになった。さあシステムは整った。次は被写体だ・・・・、と考えたとき、そんなものが登場するかは未知数。まあ世界は皮肉なんだね。
注)機材の引用画像:SONY、Amazon、Appleのサイト

フィリピン・ブラカン
トップ画像:Sonnar T* FE 55mm F1.8 ZA
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エッセイ868.田植えの頃

2025年05月22日 | field work

 さてブラカンの夕陽をもう一枚続けよう。フィリピンの主食は米だが、3月の始めに田植えをする。そんなときは水田に貼られた水に空の風景が映る。日本なら5月中旬頃の風景だ。
 僅か3分以内の映像ドキュメントといっても、変わりゆく風景、作業をしている人物、作業をしている手などのアップなどなどと、多彩な映像が必要になる。ブラカンでは、私が、Hello!と挨拶するとすぐに子供達が集まる。そしてYouTubeにアップするよというとニックネームを教えろという。すかさずYouTubeのトップ画面を見せると写メをしてくれる。だからフィリピンの撮影は、比較的楽だ。なによりも元気な子供達から、こちらがパワーをもらっている。ビザ申請待ちで落ち込んでいるときは、彼らのパワーで私は元気になる。
 これが日本だったら煙たがれるだけだ。まして小学生など撮ろうものなら親がすっ飛んでくるだろう。実に撮影しにくい日本だ。
 つまり撮られることが好きなフィリピン人と、嫌いな日本人がいるということ。映像は前者でなければ成立しないし、撮影するモチベーションが異なる。

フィリピン・ブラカン
 iPhon13pro
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エッセイ867.新しいブラカンを一緒に、一緒に・・・・!?

2025年05月21日 | field work

  カンパニーカーが通り過ぎる。ボディには、新しいブラカンを一緒に、一緒に、と書かれてある。自治体のプロモーションみたいだ。といってブラカンの街が綺麗になったかというとあまり変わらない。
 だが沖合に新しい国際空港を建設中である。これができると、我々が建設予定の新居から空港まで30分ぐらいでゆけそうだ。そして周辺の市街地化が進むと予測している。回りが住宅地ばかりになり田舎の風景が消えるのも惜しいが、多分空港周辺には大きなスーパーやホテルでも進出すれば便利だろう。私の心は複雑だ。
 新居の予定地からは、2方向に遠くの水辺線近くに山が見える。一つはヒナトゥボ火山だろうか。1991年に20世紀最大規模の噴火を起こし標高が249m低下した。そんな光景が見えれば神かがり的で面白いが当面噴火予報はない。もう一つはタール火山だろうか。これも先史時代から34回の噴火歴がある。どちらも我が家の建設予定地からは相当に離れており、岐阜市から御嶽山をみるような案配だろう。フィリピンも火山国である。
 そんな農村部の景観も、新空港開業によって次第になくなると予測している。新しいブラカンを一緒に・・・、なのである。


ピナトゥボ山(Mt. Pinatubo)は、フィリピンのルソン島西側にある火山である。1991年に20世紀に陸上で発生した噴火として最大規模の大噴火を引き起こした。噴火前に1745mあった標高は、噴火後に1486mまで低くなっている。
引用:ウィキペディア:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%94%E3%83%8A%E3%83%88%E3%82%A5%E3%83%9C%E5%B1%B1

2020年1月12日の午後、ルソン地方バタンガス州のタール火山の噴火

トップ画像:フィリピン・ブラカン
機材::FX30,Sonnar T* FE 55mm F1.8 ZA
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エッセイ866.冬嫌いということ

2025年05月20日 | field work

 橋詰め広場の帰り道は、いつも綺麗な夕焼けに遭遇できる。もちろんそんな時間をあらかじめ想定して散歩に出るわけだが。
 そして夕焼けに遭遇できる確率は高い。晴天の時の夕焼けを見たいが、今は乾期から雨期へ移行する時期だから、時期を待つべきだろう。薄暮をすぎてあたりが暗くなる頃家にたどり着く。
 フィリピン・ブラカンが気候的に心地よいのは、11月から3月上旬ぐらいまでだろう。この頃は、日本で言えば夏の高原地帯にいるようで涼しく快適であり、キッチン兼テラスでブログを書いている時間がここちよい。
 調度その頃、日本の各所で豪雪に見舞われ、私は、あっちは苦労しているみたいだと他山の石状態だ。ブログをみていて梅が咲いた!、と書かれてあってもピンとこないどころか、なんか暗い花ですねぇー・・・、とこちらは冬忘れもいいところだ。だから日本に帰ると唖然とするのだろう。なんがまだ夏じゃないのかよ!。多分日本の気候風土の暗さと、かたづけなければならない仕事の多さに嫌気がさすだろう。冬嫌いの私としては、それは、やだな。
 ああっ、そうだ映像機材の更新を心の励みにして日本暮らしをしよう。だが夏のフィリピンは、京都より気温は低いが日差しが強く昼間は外を歩けない。さてどこへゆこうか?

トップ画像:フィリピン・ブラカン
機材::FX30,Sonnar T* FE 55mm F1.8 ZA
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エッセイ865.橋詰広場のこと

2025年05月19日 | field work

  嫁ノ家の前の道を南下すると田園風景が広がる。そこを30分ほどあるくと川があり湾曲した橋が架かり、直ぐ側の三叉路にはバスケットのポールが立ち、いくつかの露店が建ち並び、夕方の涼しいときには、バスケをやる青年達や近所の人達が夕涼みにやってきて橋詰広場になる。映像では、そんな橋詰広場界隈を撮影していた。
 そして最近の日本では見かけなくなった界隈でもある。そもそも日本では、人が特定の時間に多数集まり露店が成立するという空間がなくなった。日本では自治体が広場らしき空間を整備するが、人はいないし、まして露店などできない。日常の生活の周りに、そんな空間が成立しなくなさったのが最近の日本の街である。じゃあどこで人が集まるかと言えばスーパーかコンビニぐらいだ。都市デザインの視点で見れば寂しい日本の空間である。
 この三叉路を曲がり田んぼの方へゆくと真っ直ぐな道がある。そこにはいくつかのベンチが置かれて歓談の場になっている。いずれもたいした施設ではないが、それでもスポーツができて、歓談できるベンチが至る所にあり、気候風土もあって人々が集まる。トライシクルや車が通る道は、広場的な空間に変わるのである。そんな都市デザイン的な空間が、いとも簡単に成立している。
 そんなことを考えてゆくと、日本にも高層ビルの足元に広場的空間が設えられているが人だまりではない。イベントでも開いて意図的に人々を集めない限りにおいては。だから歩いて通り過ぎる通過空間ばかりだ。座りたい空間は有料のカフェテラスだ。そんな光景をみていると、日本は違うなと思う。
 歩く、座る、滞留する、コミュニティが生まれる、そんなことは生活の基本だから無料に決まってるじゃんと私は思いながら、機材を回していた。テラスの椅子に座れば必要なら飲み物を注文してというプレートがあることと、珈琲でも注文するから椅子に座れる、というのとは随分異なるのである。コモンセンスの問題だろう。

トップ画像:フィリピン・ブラカン
機材::FX30,Sonnar T* FE 55mm F1.8 ZA
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