Creator's Blog,record of the Designer's thinking

フィールドワークの映像、ドローイングとマーケティング手法を用いた小説、エッセイで、撮り、描き、書いてます。

ドローイング574. 小説:小樽の翆502.幕間 空間感と光

2022年02月11日 | drawing

 

 今月は小説:小樽の翠を4回しかアップしてないのに、幕間とはこれいかにだ。

 他所の話題が多かったので頁を取られてしまった。最近アップする記事のローテーションみたいなものがあって、毎月11日は幕間とし、小説から他の話題に転じている。

 作業量を見計らいながらクロッキーデッサンを着彩しイラスト化するというのも、ブログのイラストは消耗品だからだ。ここに精魂込めて描こうという時間はない。どちらかといえば、すぐに忘れ去られる消耗品だからこそイラストなのだろう。

 それでも1年以上つつけていると、これは描けたというイラスト作品は、いくつかある。それを集めて東京のカフェで個展をしようと考えているうちに、時間もたってしまった。

 じゃあ、個展を開いて私的に何かの意味があるかと思うと、実は皆無。通り過ぎる街の風景の1つに、私のイラストが登場したところで人々の眼にとまることはなく、記憶もされない。それだけ私達の日常はイラストであふれている。つまりお菓子の包装紙のイラストと同等の気分でしかないだろう。

 そう思うと、個展なんて面倒くさいという結論になる。

 もう一つある。昔美大入試のためにデッサンや水彩画は勉強してきたから描けるはずだと思っていた。しかし今は描き方を忘れている。それでブログ用に描きながら技法を思いだそうと試行錯誤だ。

 そこでブログ用に毎日描くのは技法を思い出す上でも調度よい訓練だが、それでも一寸の間だけ描かなでいると、人体などはボディの面の構成がわからなくなっている。随分前に描いたクロッキーだから、面の構成を忘れているのもあるのだろう。

 裸婦を使って何を描こう、あるいは表現しようとしているかといえば、空間と光だけなのである。2次元空間に奥行き感のある3次元的空間と、空間の中を走るまわる光を描きたいだけである。そのために人体や風景を借りているに過ぎない。といってそれは絵具の混合技術も相当数関係があるので容易にゆかない事が多い。

 そう考えていたら昨年水害にあってから、高台のアパートに引っ越したフィリピンのNIKKAの家が住めるように整ってきた。ならば長逗留して描きながらブログにアップさせようという企画もありそうだ。

 そしたらNIKKAから「あなたは、私の裸を描いたら発表するでしょう。私は女ですよ」だって(^_^)。違う国の空気の中に長期滞在するというのは、私の当面の夢だけど・・・。

  さて、いつもデスク周りの画像を幕間の挿絵にしている。ここまでマクロ撮影ができて簡単に撮れるからiPhonで十分だ。撮れば即Air LanでMacに保存され、ブログに使うことができる。ブログを書くテンポを阻害しないところが優れものだ。こうなるとデジタル一眼レフへの関心がさらになくなる。ニコンだキャノンだといわれても大きいし、操作が面倒だし、こちらは、そんな高画質は望んでいないし・・・。そんなわけで撮影機材を取り出す機会が急速に減少した昨今である。

 

iPhon13pro

ISO160,焦点距離26mm,露出補正0,f/1.8,1/60

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新年の挨拶

2022年01月01日 | drawing

  昨年は、数多くの方々にこのブログを訪問していただき、ありがとうございました。また本年も時間の許す限りこのブログを続けたいと思います。今年もよろしくお願い致します。

 フィリピンのNIKKAから画像が届いた。大晦日から新年にかけて、沢山の料理とゲームの景品を用意して、多くの親戚が集まってパーティーだ。

 そして大晦日の夜半にフィリピンのお祭りの光景が届いた。日本の除夜の鐘に対してフィリピンは爆竹や花火だ。屋台ではトロトットと呼ばれる筒が売られている。大きな音をだす。さらには鍋やヤカンを叩きまくり、バイクは轟音を上げている。それは、大きな音を出すことが魔除けになるという理由がある。そして丸い果実を12個集めて食べる風習がある。12というのはそれぞれの月を示している。服も水玉が縁起が良い。そして窓や扉、引き出しも全部開け放つ。子供達はジャンプして、自分の歳と同じ回数を高く飛ぶ。最後にpakisamaだ。つまり小銭をばらまくわけだ。それがフィリピンのお正月である。

 

(In English)

 Thank you for visiting this blog last year. I would like to continue this blog this year as long as time permits. I look forward to working with you again this year.

 The image arrived from NIKKA in the Philippines. From New Year's Eve to New Year's Eve, many relatives get together for a party with lots of food and game giveaways.

 Then, on New Year's Eve, the sight of a Filipino festival arrived. The Philippines is firecrackers and fireworks against the Japanese joya no kane. At the food stalls, tubes called Trotot are sold. Make a loud noise. Furthermore, the motorcycle is making a roaring sound by hitting pots and kettles. The reason is that making a loud noise is a talisman. And there is a custom of collecting and eating 12 round fruits. 12 indicates each month. The clothes are also auspicious with polka dots. And all the windows, doors and drawers are open. Children jump and fly as many times as their age. Finally, pakisama. In other words, it scatters coins. That is the New Year in the Philippines.

2022Philippine New Year HD 1080p

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新年の挨拶

2021年01月01日 | drawing

 

 新年明けましておめでとうございます。

 不条理とは、合理でないこと、理屈の通らない事、論理では推し量れないこと、等の意味がある。アルベーヌ・カミュの小説ペストは、伝染病の流行を描いた作品だが、その底流に不条理というテーマが横たわっている。

 新型肺炎が流行している。だからいまの世界は、まさにカミュの小説にある不条理という言葉があてはまる。人間は、いつこの不条理の世界から抜け出せるのだろうか。

 辛丑(かのとうし)の年の初めに一つ言葉を選べと言われたら、今年は、この言葉を選ぶだろう。

2021年元旦、辛丑

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ドローイング206. 網膜

2019年12月30日 | drawing

 さてドローイング・シリーズも今年最後。

 こうした裸婦のドローイングが、昔はあっただろうかと文献を探したら、やはり存在した。 

 貴道裕子:伝えたい日本の美しいもの ぽちぶくろ,文京書院,1992、の貝づくし(頁未掲載)の項目で、江戸時代頃の裸婦の意匠があった。貝づくしというのは、子安貝という呼び方で女性性器のシンボルであり、安産のお守りだそうだ。こうした裸婦の意匠は、浮世絵や江戸川柳などの世界につながってゆく。つまり浮世絵にみる春画の世界だ。私のクロッキーは、春画ほどにはデフォルメしておらず、まして安産のお守りにもならないよ(笑)。

 ところで外国人は、相手の眼をみて会話をするのが鉄則だ。眼をそらすと、こいつは敵だと思って射殺されることはないとは思うが、好印象は与えられない。

 私は、窓口で若いお嬢様と対峙しているとき、時折瞳の奥の網膜が見えないかなぁー、とまじまじと観察している。カメラと同じで絞りが開く、つまり人間の眼は瞳孔が開いていて、うまいこと突然横から光が来ると見えるんではないか。調度眼科医がライトで瞳の奥をのぞくように。人間は、視覚情報を眼で知覚し頭で映像を組み立てている。

 それにしても日本人のお嬢様は、真っ直ぐ目線を向けてくる私の態度をどう思っているのか。

 それにこのブログでアップさせているクロッキーのモデルさん達は、いずれも鍛えられた体型だ。普通の二十歳すぎの女の子の裸体だったら、もっとお腹に皮下脂肪がつき、いずれ叔母はん体型だろうなと若くして予感させられるものが多く、わざわざ見たいというほどのものではない。

 だから他所に関心をもたれないようになんとか騙され、引きずり込まれて、ゴールインして一巻のお終いとなり、女達の初期目的に従わされるわけだ。従って鍛えたボディとスウィーツ大好きとばかりに暴飲暴食したボディとでは、格段の相違があるということです。

  そんな風に調子に乗っていたら、Twooというベルギーの出会い系サイトから1万円近い支払い請求が届いた。もちろん身に覚えはないが、FBを使っていると滑り込んでくるようだ。支払いはカード会社と相談だ。Mac miniを調べたらクッキーらしいソフトがあった。当然削除。あら今度はgooのブログやiPhoneの接続ができなくなった。まあ複数のMacを使っているので、ことなきを得ているが。

 ああっ!、WEBの世界も詐欺師だらけか。いや、そんなのはノイズでしかない。そんなわけで、お正月はMacの大掃除で、このブログも休もうかと思案中。

 さて、こんな与太話を書き続けて本当に年末になってしまった。つまり年末まで書く話題が続いたということだ。

 

クロッキー帳NO47.

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ドローイング205. わかってはいるけどいわない

2019年12月29日 | drawing

 クロッキーの基本は、骨格や人体の表層の筋肉ぐらいは勉強しておくことだ。モデルさんは、俳優だったりダンサーだったりしているから筋肉質なのだ。むしろその筋肉を描け!、といわんばかりのボーズをしてくれる。

 そこまではゆかなくても、デッサンを勉強していれば、コスチューム(衣類)の上から、女性の裸形は類推できるようになる。ちなみに私は男は勉強していないので、観察するのは若い女性だけ。

 だから退屈な事務仕事で、企業の窓口にでかけたり、なにがしかのチケット売り場にでかけるときは、お嬢様の裸形を眼でなぞっている。もちろん事務処理に時間がかかるほど、私には観察できる時間が長くなるので好都合。

 ウッフフ!、オオッ綺麗な骨盤じゃん、彼氏はさぞ満足しているだろう、うらやましいなぁー・・・、などなどと考えていると、突然「・・・この説明でおわかりになりましたか?」と尋ねられて、ハイ!(もちろん裸形を理解したという意味だが)、と返事をすることにしている。

 もちろんお嬢様の説明は、聞くそぶりだけ。どうせたいしたことを説明しているわけではないのだ。今時の物事は構造的に組み立てられているので、説明なんかなくてもよいぐらいだ。

 それじゃ、人生は退屈だというので、世の中には窓口があり、そこにはお嬢様が座っている。だから電話で処理するよりも、私は窓口に出かける方を選ぶのである。

 そうやって出会ったお嬢様達を、後でデッサンしろといえば、できるのである。もちろん今の形のよいブラに惑わされることなく。

 しかしブログにアップさせていいのかなぁー。××銀行△支店のお嬢様のAさん(名札をつけている)の裸形、なんてキャプションをつけてだよ。そりゃまずかろうというので、アップするのはクロッキー教室のモデルさんだけにしている。

 そもそも人体を描くとき、最初は裸婦で下書きをするのが絵画の基礎だ。だからレオナルド・ダ・ビンチのモナリザも、裸形が起こせるはずだよ。そうしないと人間を描いた絵にはならないからだ。

 そんな絵画の基礎技法は、美術系の大学でデッサンを勉強していれば、学生だってできる技法だ。そんな学生達も含め、わかってはいるけどいわない、ことにしているだけ。女性に対して失礼だからさ・・・。だって乳房をよせたり、ブラの形に拘ったり、インナーでヒップアップしたりと、もう普通のお嬢様はモデルさんと違って補正に大変なんだから。でっ、脱がせるとズルンとたれたりするわけだけど。

 でっ、こんなことを書くと若いお嬢様が眼を三角にして、「たれちゃぁー!、いけないんですか!!!!!」と怒られそうだ。いやいや!、つまりナ・マ・でいいんだけど・・・、「何!!、ナ・マ、だって!!!、ど・ん・な・意味・で・す・かぁー!!!??」、とさらに怒り心頭で・・・・もう言い出すと悪循環だろうな(笑)

 

クロッキー帳NO47.

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ドローイング204. アンニョイな年末

2019年12月28日 | drawing

 さてほんとうに年末になってしまった。だからしまったと叫んでも遅い。まして昨日の京都市内は夜来襲雨の音、暗く、寒く、陰湿。午後から晴れてきたけどアンニョイな時間であることにかわりはない。

 私は美術系の学部出身で建築を勉強していた。だからデッサンはもとより、ついでに車のデザインもホンの少しだけ勉強した。正しくはトランスポーテーション・デザインという、つまりプロダクトデザイン。造形的には量感という点で人体デッサンと共通性が高い。

 でっ車のボディは、金型で整形するから比較的数学的な曲面やボリュームの組み合わせだ。簡単だからすぐにあきてしまいモデルチェンジとなる。

 そこへゆくと人体は、人の数だけシェープがある複雑系だから好奇心が持続する。特にあの微妙なカーブを持った若い女の骨盤をなでているアンニョイな時間は、少し感性を刺激してくれる。

 それはおいといて、冬は厚着だから体型がわかりにくいだろうと思われるが、実は若い女の子はパンツ、それもぴっちりしたGパンだから腿の太さがわかる。そうすると骨盤の大きさも類推できてくる。そこから身長を加味しつつ、などということがわかってくると頭の中でデッサンしている。いつもそんな意識を働かせていないと、デッサン力が落ちてくる。

  そんなブログを書いていたら、iPhoneにソフトバンクから電話だ。iPhoneは別室だからMacのFaceTimeで受けていた。これライブ画像だが(昔風にいえばテレビ電話)、寝起きの乱れたスタイルで対応していた。ソフトバンクの佐貫お嬢様のモニターに、私の寝起き画像が映っていたのだろうか?(笑)。こちらは会話はできるが画像がこない。できれば佐貫お嬢様のお顔などを拝見できると、親しみもわいたのだが。自信を感じさせるしっかりした声だったので、絶対美形だと確信しているが。

 まあFaceBookのMessengerでも同じことはできるが。

 さてお嬢様の姿を見そびれたので、せいぜい書きかけの学術論文の原稿に戻ろうか・・。いや、その前にアンニョイな気分から脱出しよう。

 今年いくつかクリスマスカードをもらったけど、これが一番の私のお気に入り。音楽がいいよね。

https://www.facebook.com/Idressitalian/videos/608264143313162/?v=608264143313162


クロッキー帳NO47.

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ドローイング203. 続・FaceBook

2019年12月27日 | drawing

 ヤバい!、もうクリスマスがすぎて街では年末大商戦なんかやってるではないか。クリスマスをお正月忘れの防波堤にしていたのだが、それもなくなっちまった。お正月が真っ正面から近づいてきた。

 年末のブログに裸婦!、で・す・かぁー、とからかわれそうだな。だが裸婦効果があると思っている。

 私のブログはFaceBookにリンクさせている。FBには500人以上の友達がいる。そのなかには国際ロマンス詐欺師やアダルトサイトへのプロモーション目的の友達もいる。野放図に友達承認をしていたから、1割位はまともではないはずだ。

 そして綺麗で若いお姉ちゃんの画像がついたXがアクセスしてきて、「私の裸がみたいですか?」、と友達承認を求めてくる。うん、みたい、みたい、とサイトをくくってゆくと、なんてことはない、ただのアダルトサイトだった。

 そこで私のブログでクロッキーの裸婦画像をアップさせているときは、そんなアダルトサイトからの友達が、不思議とこなくなる。そりゃそうだろ、「私の裸みたいですか・・・」、「毎週ライブでみているけど・・・」、ではプロモーションにならない。

 さて国際ロマンス詐欺師については、この以前のブログ(2019年4月19日、同1月30日)でも紹介した。最近、不思議と国際ロマンス詐欺師もこないのだ。

 以前詐欺師との会話の最後で、"Shall I send my beautiful assassin to you?"、と書いたのが効いたかな。

 信用されないと思って、ちゃんと次の素材も用意しておいた。

 "With that sharp sword, your neck will quickly leave your body"、妙齢の美人で血に飢えたポーズをし日本刀を持っている私の大学の教え子の画像をつけて、おくろうと思っていたのだが、結局そこまでする必要はなかった。従って教え子の名誉を損なうことなく、平穏に片づいたのは幸いだった。

 あとで考えると、あまり脅し的発言はよくなかったなと、こちらは反省している。

 それにしてもあの教え子は、なんでタイムリーに刀を(もちろん撮影用だが)もった画像なんかをFBにアップさせているんだいと、こちらは笑ってしまう。

 そんなこともあり、FBに恥ずかしい画像を沢山残して、詐欺師達とエロプロモーターと私との友達関係は切れていった。

 そんな静かになったサイトが、いいね!


クロッキー帳NO46.

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ドローイング202. Messengerの動画

2019年12月26日 | drawing

 クリスマスイブの日に、FaceBookを使って、Marry Jeanがやってきた。彼女は、ブラカンのセラピストだ。 なにしろフィリピンの人たちはFBが大好きなのだ。おかげて私のFBの友達リストに、ブラカンの人たちが大勢登場している。子供から大人まで。

 ブラカンは、S君の奥さんの故郷だ。だから私が語る必要はない。しかしFBに大挙してブラカンのお友達がいるから、Messengerをつかってメールがやってくる。日本流にいえば、気さくな人たちなのだ。

 でっ、彼女は私のブログもみている。ブログのなかで、トックリキワタ(Ceiba speciosa)の話まではよかったが、今はヌードのドローイングを話題にしている。日本流にいえば、おーーっ、スケベ!、といって、彼女は、笑っているだろう。

 なぜならば、彼女の国はカソリック。だから男と女が逢えばラブラブはあたりまえだ。

 例えば一般的な話だが、1日彼氏が出張すると、「寂しいよ!」、と彼女から彼氏のスマホに電話がかかってくる。そしてフィリピンでは、セックスは結婚しても毎晩の義務だって。それが二人のラブラブが続いている証拠なのだ。

 それが何年も続くと、男も飽きる。じゃ、バイバイ!、というわけにはゆかない。カソリックの国では離婚ができない。なぜならば、「永遠に愛する」、と神と契約をとりかわわしているからだ。

 さて私がなんでMarryを信じているかというと、Messengerのライブチャットだ。そこには、私が滞在したブラカンの家や、私が知っているお姉さんも映っていた。

 私は考えた、そうかmessengerのライブ動画は、お互いの存在証明だったのだ。動画ってFB時代の必需品なんだね。

 

クロッキー帳NO46.

 

In English

 On Christmas Eve, Marry Jean came using FaceBook. She is a Bulacan therapist. After all, Filipinos love FB. Thanks to this, there are a lot of Bulacans on my FB friends list. From children to adults.

 Bulacan is S's wife's hometown. So I don't need to talk. However, there are a lot of Bulacan friends at FB, so emails come in using Messenger. In the Japanese way, they are friendly people.

 , She's also reading my blog. In my blog, I was good to talk about Ceiba speciosa, but now I'm talking about nude drawing. Speaking of the Japanese style, uh, horny !, she would be laughing.

 Because her country is Catholic. So if a man and a woman meet, love love is natural.

 For example, as a general story, when a boyfriend goes on a business trip on a day, she calls her boyfriend's smartphone saying, "I'm lonely!" And in the Philippines, sex is a duty every night even if you get married. That is the proof that two love lovers continue.

  If it continues for many years, the man gets bored. Well, bye-bye! Divorce is not possible in Catholic countries. Because he exchanges the covenant with God, "I love you forever."

 Well, what I believe in Marry is the live chat of Messenger. There was also a house in Bulacan, where I stayed, and a sister I knew.

 I thought, yes, the live video was proof of each other. Video is a necessity in the FB era.

 

Clocky Book NO46.

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ドローイング201. クリスマス

2019年12月25日 | drawing

 年末の気候っていつも同じ・・・、あたりまえか。

 それも寒くて曇天の気が滅入りそうにな陰鬱な日々がつづく。ヨーロッパの冬も厚い雲が広がるが、それよりははるかに湿度が高く氷雨と言う言葉がぴったりの雨。もちろん気分は大いに憂鬱。だから空を見上げながら、スカッと晴天にならないかなと思う。

 まして今日は恋人達のクリスマスイブあけだ。

 あるブログで、男を押し倒して恋人にしたという記述があった。うーーん、そこまで女に惚れさせるとは素晴らしいじゃんと思っていた。そういうのを男冥利につきるというのだろうか。

 昔の歌に「神田川」があった。

あなたはもう忘れたかしら

赤い手ぬぐいマフラーにして

二人で行った横町の風呂屋

・・・・・

窓の下には神田川、三畳一間の小さな下宿・・・・

・・・

作詞:喜多條忠

 三畳一間の下宿で愛をはぐくむというのは、当時の若い世代の共感をえた。そうした同棲生活の時代だった。そんな喜多條忠が通っていた早稲田大学の界隈は、今では下宿がワンルームマンションに変わり横町の風呂屋はない。

 なんでもないしごく普通の日常生活にこそ人間達の生の息づかいがある、とする精神は今も受け継がれているようだ。よく考えれば、それは当たり前の話なのだが。

 そんなのは貧乏くさい!!、とその後に登場したのは松任谷由実だった。

・・・・

恋人はサンタクロース

ほんとうはサンタクロースつむじ風追い越して

・・・・

作詞:松任谷由実

 感性を感じさせてくれる歌詞に、そこから時代が1つ次に進んだと感じた時だった。クリスマスになると、いつもそんな時間の経過を思い出す。

 そういえば、この画像のポーズ、大臀筋から大腿筋に続くボリュームが色っぽい。女の後姿って結構色っぽく描けちゃう。そんなのに関心がそれていると、肝心の仕事が先に進まない。

 肝心の仕事の1つがこれ。

 日本建築の屋根の3DCGは、ひとつながりの部材としてつくると、先ず斜めの屋根部材だから図面で同じ形状になるのは屋根板の断面部分だけ。それを押し出しても端部の三角形はつくれない。後は三角関数をつかって計測しなきゃ。しかも微妙なむくりがつき、大変ゆるやかな曲面だから、どうすんだこれはと悩ましい。最初からCADソフトでつくっておけばよかったか。

 ちなみにフィギャーソフトを使うと女のボディは見事なまでに美しくつくってくれますが、不思議なことに色気は皆無ですね。やはりデッサンの曖昧さが、色気を感じさせてくれるのだろう。


 

クロッキー帳46.

3DCG :StrataDesign3DCXJ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ドローイング200. 色っぽい骨盤

2019年12月24日 | drawing

 原稿執筆で忙しくて、合間にクリスマスイブの空気を少し感じられたら幸せかな。

 さてクロッキーは、なんか色っぽい骨盤だとみとれていた。こういう骨盤を日がな一日なでながらすごすというのも幸せなクリスマスイブの時間だろうと考えた。池田満寿夫のエーゲ海に捧ぐ、という小説の影響か。

 しかし実際に女の骨盤をなでている現実は、そんな幸福感なんか感じないわけ。あら、こんなところにホクロがあるとか、虫に食われた跡がある、豚の肌みたいだな、あげくに息づかいで上下し、寒いよ、と文句も出てきて・・・、といった具合に、色っぽさを鑑賞していることと現実との間は乖離している。

 つまり、見ている、見せている、という客観的な場合であるとか、見ている側が思い入れがあるとか、さらには妄想の産物といった具合に、他者が存在する後付け的性格があるのだろう。だから絵画の世界で美人画などが成立してくるわけであり、創作上でつくられた概念と整理しておこう。

 さて手を動かしてデッサンしないと次第に面倒になるし、写真の方が手っ取り早くていいじゃんという姿勢に傾いてくる。これは困った傾向だと思ったが、実は私は絵を描くことが嫌いなのだと合点した。

 その典型例が年賀状だ。ああっ、また絵を描くのか、世の中には出来合の優れたイラストが無料で数多くあるじゃん。それ使えばいいじゃん。みんなそんな方法をつかっているぐらいだから、真面目に下手な絵を描いてもさ!、とテンションは下がる。

 それならは、年賀状を早くかたづけちゃおう、というので、さっさと年賀状をつくりあげて投函してしまった。そしたら喪中の葉書が届いたりして。

 プレッシャーが1つ片づいたから、締め切り日迫る原稿に没頭していたいが、今度はAPRIN学習ラーニングプログラムを受講してください!、というメールが大学から届いた。

 科研費申請をするとすべての研究者に義務づけられる政府のシステム。つまり科研費の不正使用を防止し適切に運用しようという倫理的なブログラム。全部で7講座受講が義務づけられている。結構これが大変かつ、面倒かつ、それに日本語が意味不明。文科系がまとめているんだろうな。終日このできの悪い文科系ブログラムにつきあいテストにも合格したので一件落着。どっと疲れが吹き出した。

 じゃ全部片づいたかと思ったら、早めに家の掃除をしておかないとゴミ屋がこなくなる・・・、と次々と面倒なことがでてくる。

 いつになったら原稿に没頭できるのか。ジリジリとしながら雨模様の暗い時間が過ぎてゆく。もうお正月はやめようよ、原稿で忙しいしさ・・・!!!。


クロッキー帳NO47.

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ドローイング199. モデルさんが2人

2019年12月23日 | drawing

 ある時クロッキー教室のモデルさんが2人来てしまった。ならば二人を同時に描こうという珍しい機会に恵まれた。女二人!、1人の主役が常であるモデルが二人というのは、少し不思議な感覚だが、群像だと思えばいいか。

 2人のモデルさんを描きながら、例えば2人の女が同時にあなたの前に現れて、どちらかを選べ!、と迫られたらどうするんだろうか?、どういう判断を男は下すんだろうか?、と想像していた。一人は理性的な顔だちであり、もう一人は陽気でかわゆい系と外見もキャラクターも正反対だ。そんな答えにならないことを考えながらクロッキーをしていた。

 まあわてならかわゆい系を選ぶな。どうして!?、理由無し、万事可愛ければええんちゃう、という単純な考え方。

 クリエイションの能力を落とさないためにも、少しクロッキーを描き続けている。建築をしているから、別に裸婦である必要はないけど。

 そんななかで、やはり裸婦を描いていた建築家がいた。宮脇壇(まゆみ)である。Wikをひくと洋画家宮脇晴とアップリケ作家宮脇綾子の子として名古屋市で生まれたとあるから、なるほどデッサン心はDNAだったか。裸婦、あえていえば一番基本的な空間のモジュールの1つとする理由だろうか。

 さて年末も原稿執筆の仕事で忙しいので、多分街へでかけて撮影する時間はなさそうだ。ならば手元にたまっているドローイング系でブログを続けよう。

 それに京都市内は、外気温6°、雨、実にくらーーい毎日が続いている。日本海沿岸にいるような、この陰惨な天気は、あらゆる気力をそぎ落とし実に悩ましい。


クロッキー帳47.

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ドローイング198. 手が早くなる!

2019年10月02日 | drawing

 だんだんクロッキーが下手になってくる。二次元の中に空間感を認識したり、若いときのような形態を執拗に追いかけるといった情熱は失せ、手が勝手に動いているときもある。もっと人体を子細に観察して勉強して考えろよ!、と自分に言い聞かせているが・・・、言い聞かせるだけ(笑)。

 なにしろ1ポーズ5分間、かっては何時間も勉強したかのような集中力が働いたこともあったが、今は手慣れてしまって3分で描きあげているときもある。手が早くなる!、というのはクロッキーの副産物だが。

 ただ人間は、手を動かして外的世界の物事を考えている。テキスト、記号や図で、数式で、スケッチでといった具合にである。手を動かして外的世界を記録し、表現し、頭の中の経験的な蓄積情報と照らし合わせ、こりゃ愚作だ!、と評価もする。手と頭とは常に交信しているわけだ。いやもう少し正確にいうならば、頭で考えたことを、テキスト、記号。図、崇信、スケッチで表現してみて、頭の中の考え方と比較しているといったほうがよいか。

 画家パブロ・ピカソは92歳まで現役で活動し、Wikでは「1万3500点の油絵素描、10万点の版画、3万4000点の挿絵、300点の彫刻と陶芸を制作し、最も多作な美術家であると『ギネスブック』に記されている」と記載されている。生涯2度結婚し3人の女性との間に4人の子供をもうけており、最後は65歳でフランソワーズ・ジローとの共同生活で息子と娘を設け、その後73歳でジャクリーヌ・ロックと結婚とある。まあ社会の制度に乗らなかった仕事であったこと、そして女がいたから、まあ手が早い!、というべきか、それで仕事をする意欲もあったと私は理解しているけど。

 そうなると人間は、社会制度、つまり何時間働けとか、定年は何歳だといった制度的しがらみ以外の仕事を持つべきなのだろう。ピカソもプラド美術館の館長を勤めたことがあり、彼の場合、社会制度に組み込まれたのは僅かの期間だった。

 手は頭の延長であるとする認識、社会制度に乗らないこと、女を絶やさないこと、つまり手が早くなること!、私の生活をみても世界をみても、そんな教訓しかないよ。


クロッキー帳NO45.

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ドローイング197. 百害あって一利無しのJABEE、振替休日

2019年10月01日 | drawing

 秋が近づいてきた。その先には、枝葉が散った冬の景色しかない。そんな平均気温が低減するグラフ推移に身を任せる気分ではない。そううそぶいていたら、陰湿に暑いではないか。この猛暑の根っこを引きずるかのような今頃の陰湿な残暑が私は嫌いなのだ。少し動けば汗が出てくる、じゃ夏の格好でいると足下が冷える、どうすりゃいいんだ。

 さて大学教員時代に月曜日にできるだけ講義や実習を集中させた。これは結構快適なリズムで教員も学生達も調子がよかった。だがある時から振替休日が登場し、月曜日休みが増えた。それに加え学部がJABEE認証を受けることになった。JABEEとは、理工学系大学において「全ての修了生が学習・教育到達目標を達成しているか」を主眼とした国際認証システムだ。

 そうすると振替休みにした授業分を学期末に振り替えて実施する必要が出てきた。期末試験の直前に3回分とかの集中授業をするわけであり、これは学生達にとって大いに不人気だった。ある年度は祝日を無視して授業をしたら、国民の祝日を無視するとは何事だという官僚の一言で消え去った。それに出席日数を満たしている学生だと、先ず出席しないで試験勉強!・・・、ではなくバイトに専念している。そうなると何のための国際認証だったか疑わしい限りである。

 そもそもJABEEは、大学としての体裁をなしていない大学が一定の水準に達するための認定であって、男女共学校でありながら女子学生比率全国トップとするリケジョの本学としては、社会的に認知されている実績があるので、すでにそんな認定に従う理由もない。

 話題がそれた。実は月曜日に、京都アクアリーナのエアロビクス教室を受講している。教室の直前には、ウエイトトレーニングで筋力をつけている。8月、9月は、お盆休みも加えると、月曜日振替休日のため教室休みの日が続き、飛び飛びの開催日には、こちらはダイビングに出かけている。そんなわけで8月から1ヶ月半ほど、この教室に参加できなかった。そのおかげて、肥えた!。体調狂う。

 この政府が定めた振替休日が曲者なのだ。ヤ・メ・タ・ラ!、と思う。連休が増えるから人々が一斉に繰り出し、我が国の貧弱なレジャー施設や道路や鉄道は、すぐに容量オーバーとなり、結局どこへも出かけない方が正解だということになる。私だって連休ダイビングはしませんから。

 そのかわり国民の都合で2週間の休日をとることを義務化する制度に切り替えたらと思うけど。だから百害あって一利無しの振替休日制度であるところは形式的なJABEE認証と同じだ。

 

クロッキー帳NO45.

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ドローイング196. ラスターデータとベクターデータ

2019年09月30日 | drawing

 画家や彫刻家、そして漫画家、或いは私のようにクロッキー・デッサンを勉強してくると、特に目の前を歩いている若い女性を意識的に観察すればだが、コスチューム(衣服)を身につけていても、その下のボディの形態がみえてくる。特に夏は薄着だから私達の前を歩く女性は裸同然で歩いていることになる。骨盤がこれぐらいの大きさで大臀筋から続く大腿二頭筋と下肢が綺麗なカーブでつながっているし股が切れ上がっていて綺麗な下半身やな!、おおっ!、ビューティフル!!、じゃあ前に回ってお顔も鑑賞してゆこう、といった具合にだ。そんな風に夏は街で随分と若い女性を観察しながら頭の中で裸体のデッサンをしていた。

 先日仕事をしていて、ユニフォームのスケッチがいるよなと思いつつ、Illustratorで遊んでいたら、こんな方法を思い出した。それは、クロッキーの裸婦をトレースしてコスチュームにした画像をスキャンし、これをIllustratorに読み込んで着彩する方法であり、絵画や彫刻の制作プロセスと同じであり芸術的な理と、私の屁理屈に適っている。

 トップ画像の左側が元画像であり、これをトレースしてコスチュームを加えた画像が2番目だ。ここまでは行と列の格子状に並んだセルで構成されるラスターデータである。写真の画像は全部ラスターデータだ。だから画像を目一杯拡大すると正方形のセルがみえるし、斜めに走る直線はセル上を斜めに走るわけだから輪郭が階段状になってしまう。

 このラスターデータをIllustratorで、点と点の位置を数式化してソフトが解析するベクターデータに変換したのが3番目だ。点と点でつながりが綺麗な曲線で構成されるベクターデータに変換したわけだ。

 そうすると4番目の画像のように簡単に着彩でき、カフェ従業員のイラストができあがった。ベクターデータは、拡大や縮小をくリ返しても元のデータ量が変わることがなく、CAD、編集、印刷などの作業は、すべてベクターデータ上で行われる。

 このようにコンピュータのデータには、画像を扱うラスターデータと、点と線で数学的に構成されるベクターデータとがある。

 さてillustratorで変換し点の数を制御すると以下の画像になる。うーーん、綺麗な曲線が出て少し色気が出たか・・・。それはペンタブレットを用いてイラレでベクターデータのイラストを描くよりは、むしろソフトの数式に任せた方が綺麗な曲線に変換してくれる場合もありそうだ。

 裸婦をイラスト化するときは、やはりベクターデータの方が俄然曲線が綺麗だ。ここまでくるとその先はイラストレータの仕事になる。だから先へ進むのはパスし、こちらは所期の雑用をかたづけて、お終い!。

 注)ブログ画像はラスターデータなので、便宜上ベクターデータの画像を書き出してラスターデータにしました。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ドローイング195. 文科系人間達の処世術

2019年06月19日 | drawing

 私の若い頃、文科系の人間達に欺されていたことがあった。

 多分芸術の話でもしていたのだろうか。芸術好き人文系出身のA君は、私の話の論旨とは異なる断片的な言葉をみつけ、そこにA君の解釈をいれて横へ話を脱線しつつA君なりの世界へ膨らましたくれた。結果として私が話したい主旨とは異なり方向違いに進んでゆく。つまり私の意図はA君には全く通じなかった。それは、なんか違うよなと私は感じていた。

 あとでわかったことだが、それが文科系出身者の処世術だった。古今東西の文献をあさり、何を勉強していたかというと、会話の誘導であり、話術であり、理屈のつけ方であり、つまりは処世術だった。話を自分の世界へ引きずり込んで、自分の都合にそわして展開するという、論旨脱線の技法に、さもありなんとする理屈をつけるあたりは詐欺師同様に見事だ。どうりでサラリーマン的あるいは役所の人間達を思い出す。文科系出身者の技法は処世術だということに気がついたのは、後のことであった。

 都市開発の仕事をしているときも、そんな文科系人間達の処世術に随分とつきあわされ、かき回され、そして私は無視した。

 とくに甚だしいのがメディアの人間達だ。「つまりあなたのいいたいことは、こういうことですね!」と要約し上位概念を押しつけてくるような解釈だ。それって、私の発言ではなくて、あんたの意見だろうが・・・、と思ったけど。そんなメディアの都合の良い解釈で私の発言責任までとらされたのではかなわない。最近では年金2000万円不足論など政治の世界ではよくあるようだ

 実は、いまの社会のなかでもそうした場面が多数存在している。報道である以上視聴者が理解できるストーリーに置き換えているわけだが、その結果現場とは異なったストーリーができる。だからといって報道内容が視聴者に理解されたからといって、事の真相が明らかになったこととは別だ。そこには伝えることの難しさもあるが、時にはそんなメディアの手法が、文科系の処世術を感じさせてくれる。

 翻って人間がコミュニケーションできる2次元の方法には、文系、数式系、図系、絵系の4系統がある。

1)文系(文章、詩文、コンピュータプログラムなど)

2)式系(数式、数値、論理式、分子式など)

3)図系(地図、設計図、グラフ、表、楽譜など多数)

4)絵系(絵画、スケッチやイラスト、漫画、写真や映像など)

※これに私のような建築の仕事をしていると、3次元の方法を伴う。

 だから仕事の場面で、そのなかの一つの系統だけに執着していてもアカンでしょうよ。言葉で語れないから、数式や図や絵があるわけで、それを言葉だけに集約させることが間違いなのである。

 そうしたわかりにくさの典型がWEBサイト。とくにソフトウェアのQ&Aを、図で示せば明快にわかるのに、それを言葉で説明されても魑魅魍魎の世界。言葉で説明したから、相手は理解したとでも思っているとしたら、それこそ文字しか扱わない文科系出身者のお目出度さだ。

 そんなわけで、事があると「なんとかしろ」という他力本位な文科系の人達、つまり自分の手でものをつくらない、あるいはクリエションをしない人達の言葉を、私はあまり信用していないのです。

 そもそもクリエイションは苦労の連続だから、ものをつくらない文科系から簡単に次!、なんていわれてもね。それをいうなら、お前!、自分でつくれよ!!、とこちらはいいたいね。


クロッキー帳NO44.

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする