ちょうど20世紀と21世紀の境の期間に、米国で「ジョージ フォアマン グリル(George Foreman Grill)」というものが大ヒットしました。角度のついたサンドイッチ状になった電気プレートに肉などの食材を挟んで調理すると、余分な脂が食材から垂れ落ちヘルシーな食べ物に大変身するというもの。まあ、いつの時代にもある代物です。
(グリルを紹介するフォアマン)/ Photo: Men`s Health
この商品は名前から察することが出来る通り、元世界ヘビー級王者ジョージ フォアマン(米)から名前を冠したもの。フォアマンがどのぐらいか商品開発に関与したかは不明ですが、氏はこの商品紹介の番組に頻繁に登場していました。
(この商品は大きな進化を遂げ、様々なサイズやアウトドア用まで開発されました)/ Photo: Facebook
商品のページは氏のパートナーが行い、彼はひたすらに料理の出来具合を気にしていたことが印象に残っています。
(テレビに頻繁に登場していた当時のフォアマン)/ Photo: Youtube
もう2ヵ月も前になりますが、「ビック・ジョージ」の愛称で親しまれた偉人ジョージ フォアマンが永眠されました。
ボクサーとして偉大なる戦績を残したフォアマン。そのボクシングキャリアはあまりにも有名なため、ここではザっと触れるのもにします。
1968年:メキシコシティで行われた夏季五輪に米国代表として出場し、金メダルを獲得。
(星条旗を振りかざすフォアマン)/ Photo: Media Storehouse
1969年6月23日:プロデビュー。
1973年1月22日:ジャマイカの首都キングストンのリングでジョー フレージャー(米)を倒しまくり、世界ヘビー級王座を獲得。
(チャンピオンベルトを腰に巻くフォアマン)/ Photo: Athlon Sports
同年9月1日:日本の首都東京の日本武道館のリングでジョー キング ローマン(プエルトリコ)を瞬殺。世界ヘビー級王座の初防衛に成功。
(フォアマン、日本のリングに初登場)/ Photo: Wikipedia
1974年3月26日:ベネズエラの首都カラカスでケン ノートン(米)をボコボコにし、保持する世界ヘビー級王座の防衛記録を伸ばす。
同年10月30日:ザイール(1997年からコンゴ共和国に改名)の首都キンシャサで、モハメド アリ(米)の巧み(?)なボクシングの前に敗北。世界ヘビー級王座と決別する事に。
(さすがのフォアマンも、アリの前では引き立て役に)/ Photo: NPR
1977年3月17日:プエルトリコのサンファンで、世界王座への挑戦経験もあるジミー ヤング(米)に予想外の判定負けを喫す。試合後、脱水症/熱中症などもあり、一時的パニック障害に陥る。その間、「神の声を聞いた」そうで、それを期にボクシングから引退。
1987年3月4日:米国カリフォルニア州サクラメントでスティーブ ゾウスキー(米)にTKO勝利。10年ぶりに現役に復帰する。
1991年4月19日:米国ニュージャージー州アトランティックシティのリングで、統一ヘビー級王者イベンダー ホリフィールド(米)に挑戦。歴史に残る大一番で勝利を収める事は出来ずも、予想以上の大善戦。その結果、この試合後のフォアマンは「中年の星」として世間一般の大注目を浴びる事に。
(ホリフィールドと大激戦を演じるフォアマン)/ Photo: the Fight City
1993年6月7日:米国ネバダ州ラスベガスのリングで、現在(2025年5月末)までの米国白人最後のホープであるトミー モリソンと当時空位だったWBO王座を争うも判定負け。
モリソンは西部劇の大俳優ジョン ウェインの甥っ子で、「ロッキー5」にも出演。準主役のトミー ガンを演じる。
(トミー ガン(若い方)として登場したモリソン)/ Photo: Facebook
1994年11月5日:ヘビー史上初のサウスポー(左構え)のチャンピオンであるマイケル モーラー(米)に10回逆転KO勝利を収め、45歳10ヶ月にして実に20年ぶりに世界の頂点に返り咲く。
(20年ぶりに世界のベルトを腰に巻いたフォアマン)/ Photo: Texas Sports Hall of Fame
1996年11月3日:千葉県浦安市のNKホール(2005年に閉鎖)に登場。クロフォード グリムズリー(米)に判定勝利を収めマイナー団体WBU王座の防衛に成功。同時にマイナー団体IBAタイトルを獲得。
(再び日本のリングに登場したフォアマン)/ Photo: Wikipedia
1997年11月22日:後のWBO王者シャノン ブリッグス(米)と、自身最終戦を行うも0対2の判定負けを喫する。
*フォアマンは最初に引退する以前に4度の世界戦に登場しましたが、そのすべての試合を米国外(ジャマイカ、日本、ベネズエラ、コンゴ共和国(ザイール))で行いました。理由は、当時米国内で科された高額の関税を避けるためです。トランプ関税が世界を騒がせている今日この頃ですが、米国の科す関税というものは、今も昔も社会的影響力が甚大なようです。
一時引退前はいつも不機嫌そうなピリピリ感を漂わせていたフォアマン。再起後は常にニコニコの笑顔を絶やさない人懐っこい「おじさん」に大変身。アリ戦での敗北を含め、自身の内の中で様々な葛藤があったんでしょうな。
(中年と若き日のフォアマン。あくまで同一人物です)/ Photo: Culture Slate
プロボクサーとしての終身戦績は76勝(68KO)5敗(1KO負け)。凄まじい数字ではありますが、リング上でのパフォーマンスはそれ以上にインパクトがありました。またリング外でもジョージ フォアマン グリルをはじめ、庶民の生活に甚大な影響を与えた人物でした。「ビック・ジョージ」、永遠に人々から愛される事でしょう。
(フレージャー、フォアマン、アリ!)/ Photo: The Straits Times
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます