DAISPO WORLD BOXING EXPRESS

今年もやってるやってる~

この階級、この選手(ミニマム級編)

2014年07月24日 14時47分13秒 | ボクシングネタ、その他雑談
ボクシングに興味を覚えたのが1990年代初頭。元WBCバンタム級王者辰吉 丈一郎(大阪帝拳)の世界初挑戦直前からです。

さてここで、この20年あまりの間に、全17階級のそれぞれの階級で印象に残った選手を挙げていきます。各選手、登場するのは1階級のみとなります。

この新たな試みの第一弾は最軽量級のミニマム級から。選んだ選手はこの人、リカルド ロペス(メキシコ)。自分にとって最軽量級のみでなく、ボクシングを代表する選手です。



終身戦績は51勝38KO1引き分け。KO率は73%とこの階級では非常に高いものですが、印象としては「もっと高いかな?8割ぐらい」というものを持っていました。またロペスはアマチュアで40戦全勝の記録を残しています。

1966年7月25日(明日)生まれのロペス。プロデビューは1985年1月。地元メキシコでコツコツと白星を重ねていったロペスは1989年11月に行った23戦目に、同国人レイ エルナンデスを破りWBC米大陸王座を獲得。この勝利を機会に徐々に世界ランキングを上げていきます。この地域王座の初防衛戦は意外にもメキシコ国外、米国テキサス州で行っています。米国のテキサス州といえば、メキシコのご近所。とはいえこれはロペスにとり国外初の試合となりました。

ロペスの世界初挑戦は1990年10月25日、場所は後楽園ホール。当時のWBCストロー級(現ミニマム)王者大橋 秀行(ヨネクラ=現大橋ジムの会長)に挑戦し、見事な5回TKO勝利で王座奪取に成功しています。



この試合前、ロペスの公開練習を見に行った大橋の先輩、柴田 国明(元世界フェザー級、ジュニアライト級王者)やガッツ 石松(元世界ライト級王者)が視察後、青ざめた表情で戻ってきたという逸話がありますね。

同じ日、といっても太平洋を渡り米国ネバダ州のリングになりますが、世界ヘビー級戦が行われ、イベンダー ホリフィールド(米)がマイク タイソン(米)を東京でKOしたジェームス ダグラス(米)を3回でKOし初のヘビー級王座を獲得しています。偶然にもホリフィールドもヘビー級王座獲得前に、WBC米大陸王座を保持していました。これはあまり語られない話です。

その後、アジアを拠点に防衛回数を伸ばしていったロペス。10度目の防衛戦までに登場した国は、日本が3度、米国、韓国のそれぞれ2度、タイに1度、そして地元メキシコに3度登場となります(大橋戦+10度の防衛)。

10度の防衛中KO出来なかったのは2試合のみ。しかし順風満帆のキャリアを歩んでいるように見えたロペスが本領発揮するのはここからになります。後にWBOでミニマム、ライトフライ級(ライトフライは暫定)の2冠王ケルミン グアルディア(コロンビア)との10度目の防衛戦で苦戦を強いられたロペスは、その試合後名伯楽イグナシオ ベリスタインの指導を受けることになります。それまで左ジャブからしか試合を組み立てられなかったロペスは、上体を柔らかく使うボディーワークに大きな進歩を見せていきます。

90年代半ば、ドン キングが主催したいくつもの複数世界戦のリングに登場していったロペス。最軽量級ながらもそのボクシングは本場アメリカでの評価もグングンと上がっていきます。1996年3月に行われたアラ ビラモア(比)との防衛戦は、何とマイク タイソンの世界ヘビー級戦のセミファイナルの試合として決行されました。

大台の20度目の防衛戦ではようやく王座統一戦のリングに登場。当時WBO王座を5連続防衛中のアレックス サンチェス(プエルトリコ)を一蹴しWBO王座を吸収。しかし1998年3月に行われたWBA王者ロセンド アルバレス(ニカラグア)との王座統一戦では、自身唯一のダウンを喫し、52戦でたった一つの白星以外(引き分け)の戦績をつけられる事になりました。



再戦でアルバレスを破りWBA王座を吸収したロペス。その後ライトフライ級に転向しIBF王座を獲得。ゆったりとしたペースで2度の防衛に成功し、無敗のままリングを去っています。



2007年にボクシングの殿堂入りを果たしたロペス。現在は後進の指導に励む傍ら、HBOのラテン語サイトで活躍しています。

最軽量級で一時代を築いたロペス。このクラスではWBC(21連続防衛に成功。アルバレスとの第2戦目はWBCの認可が下りず)、WBO、WBA王座を獲得し、ライトフライではIBF王座(2度防衛)を獲得。ガードが高く、フットワークは常に止まらず。そして放つパンチは早いために対戦者はカウンターが打てませんでした。また、踏み込みが大きく体全体を使ってパンチを放つためパンチが伸び、相手は避けたつもりでもパンチを貰う羽目に。大橋やロッキー リン(ロッキー)はそのパンチで敗れています。

自身の衰えのためにスピードが落ちたキャリア後半のロペス。アルバレスに喫したダウンは、スピードの落ちたロペスの左ジャブに、ニカラグア人が右を被せたものでした。

慎重な性格から、相手選びには十分に注意を払っていたロペス。一階級上で激戦を繰り広げていたマイケル カルバハル(米)やウンベルト ゴンザレス(メキシコ)と対戦していたらどんな結果になっていたのでしょうか?

個人的に一番印象に残っているのは1992年10月に後楽園ホールで行われたロッキー リン戦。世界ランキング1位のリンは、ロペスの左フックになすすべもなく敗退。会場はあまりのロペスの強さに、シ~ンとなっていました。

またロペスの時代、最軽量級の呼称がストローからミニマムに変更。WBOはマイナー団体の域を出ていませんでした。

ロペスの獲得した王座:
WBC米大陸ストロー級(現ミニマム):1989年11月獲得(防衛回数1)
WBCストロー級:1990年10月25日(21)
(*1998年11月に行われたロセンド アルバレスとの再戦はWBA王座のみ争われる)
WBOストロー級:1997年8月23日(0)
(*WBCの指令のため、この王座は即返上。当時のWBOはそれだけマイナー団体と見られていた)
WBAストロー級:1998年11月13日(0)
IBFライトフライ級:1999年10月2日(2)
(*ウィル グリスピー(米)から獲得。グリスピーはマイケル カルバハルのデビュー戦の相手(判定負け)も務めた、中々の強豪選手だった。)
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