キュヴェ タカ/cuvee taka 「酔哲湘南日記」

新鮮な山海の恵みを肴に酒を吞み、読書、映画・音楽鑑賞、散歩と湘南スローライフを愉しんでいる。 

送別の夜

2018年02月21日 | Weblog
やや二日酔いの感じがしたが、朝、食べるものがなく、かき玉饂飩を作って食べたのがよかったのか、二日酔い独特の頭の重さとだるさをあまり感じず、その内に忘れてしまった。

妻が今日も寝たきりなので、必要な食料を買い出しに行かなければならず、ヤオマサに下の息子と散歩がてら出掛けた。
妻から上の息子が毎日ワンパック食べ、僕も三分の一パック食べ、マルも薬を混ぜて食べているので、ヨーグルトを沢山買ってきて、それにヨーグルトドリンクとプリンを食べたいのでと頼まれた。
母の昼飯にカツサンドを買った。
魚はO君からヤリイカを薦められたが、昨日食べたのでと断り、生の帆立、明日の味噌汁か昼のパスタ用に浅利を買った。
前回は細かな砂が残ったので、今回は前回より薄目の塩水にしたら、水管を出して盛んに水の出し入れをしているが、容器の底に砂はまだない。

昼は妻にヨーグルトドリンクとプリン、母にカツサンドとプリンを出した。
上の息子と娘は夫々平塚に行って居なかったので、下の息子と二人、赤ジャガイモの味噌汁、焼売、豚のテイル煮、サンマの甘露煮、大根浅漬、生姜の甘酢漬ととりとめのないモザイクランチを食べた。
息子が、何時も料理が大量にあるので、夫々がちょっとずつのこういうのだと大切に食べるから美味く感じていいと喜んで食べた。

プレシネは「ジャイアンツ」1956年 米映画で監督はジョージ・スティーヴンス、今週はジェイムス・ディーンの特集のようで、農場の使用人から石油を掘り当てて大金持ちになる準主役ジェットを演じた。
この映画の後に自動車事故で死んでるから見納めの演技になる。
ヒロインはエリザベス・テイラー、写真で見たことはあったが映画で観るのは初めてで、この時代の美人なんだろうね、マリリン・モンローも同じタイプだなあと感じた。
ロック・ハドソンが主役なんだけど、もちろん初めて観たが、エイズで死んだことで名前だけは知っていた。
時代は20世紀初めのテキサスの開拓時代で、インデァアンやメキシコから略奪した砂漠で牧場経営を始め、大きな牧場経営をしている3代目のロック・ハドソン演じるビックが東部でエリザベス・テイラー・演じるレズリーにと会い結ばれ、テキサンとして生きるが、妻の洗練された東部の考え方の違いの中で、徐々に変わって行く物語。
テキサスの石油と中東の石油の絡み合いを良く知らないが、あの時代のアメリカを支配した資本がこの地にあり、ついこの間まではブッシュなどの後ろ楯になっていた。
僕はアメリカ嫌いだったから、あの「鉄の爪」フィリッツ・フォン・エリックがプロモーターだったテリトリーの印象だけで、政治的なこの地の重要性を気にしていなかった。
映画は3時間21分の大作で、主人公の結婚から孫が出来るまでの30年間を描いていて、途中に1分間の休憩時間があったのが、なんとなく愉快な気分だった。

見終わってすぐに、下の息子と妻に頼まれた買い物のため西友に向かった。
またヨーグルト2個、納豆4個、低脂肪牛乳、お粥5個、玉子、鰹、地蛸、「大山」純米を買った。
6時前に帰り、夕飯の支度をする。
といってもたいした料理を作るわけでもなく、鰹、帆立、地蛸を切って刺身にして盛付け、湯豆腐を作り、ブロッコリーを茹で、冷凍してあった雪花菜を戻した。
「大山」純米は、燗にして呑んだ。
娘が明日からタイに行くので、下の息子がカネを出し、二人で酒肴を調え、簡単ではあるが門出を祝ったのだ。
8時を過ぎ、息子は母の着替えを手伝い、娘はパッキングをするのでいなくなったが、そのまま台所でひとりストーブを背負い、オリンピックを肴にして呑み続けた。
コニャック、フランスの有機ビール、カルバドスと気分よく呑み続けたが、渡部の金メダルは呆気なく夢と消えた。
勝負は負けることのほうが多いから、その無念さを味わえなければ、勝負の妙味であるコクを知ることもなく、底の浅い楽しみで終わってしまう。

ところで、手持ちのカルバドスが、残り少なくなった。
死ぬまでに飲むハードリカーとして、コニャック、アルマニャック、カルバドス、マール、グラッパ、オルホなど貯めてきたが、供給が止まり消費一方となると思いの外無くなるのが早い。
このカルバドスは23年前にメーカーを訪ね買い付けたものだが、長い間楽しませてくれた。
このブランドはもう生産してないが、出来ることならフランスに行き、新たなカルバドスを10ダースほど買ってきたいと思っている。
生きているうちに飲み切れないかもしれないが、誰かが読んでくれるかもしれないと溜め込んでいる本同じで、妻か息子か娘か、その友達たちか、誰かが飲んでくれればそれでいい。
ふと気が付いたが、日本人の新し物好きは、100年先、時には200年先の人達が飲むことが出来るハードリカーの伝統を持たず、毎年出来る新酒を愛でてきた習慣により培われたものかもしれないね。
日本人には、女房と畳に加え酒も新しいほうがいい。
コメント
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