朝5時に目が覚めて昨夜の続きでユーミンを聴いていたが、6時半になったので慌てて起きて、鰊をオーブンに入れ、茸と豆腐のみそ汁を作り、葱を切って納豆をかき混ぜ「新日本紀行」に備えた。
昭和48年の北海道の幸福町だった。
この放送の後、日本中からこぞって幸福駅を訪れ切符を買ったのを覚えている。
日本が急に豊かになり、旅行ブームに沸いた時代だった。
当時も離農する人が多かったが、農家は今52戸から25戸にさらに減っていた。
でも機械化と大規模化で豊かに見えた。
二階へ上がって山口紗弥加の「Romantics」を聴いていたが、今とは違いチョットかすれた声で地のままで歌っていて悪くない。
全ての楽曲の作詞もしている。
若い頃はアイドルなのに変わった子で面白かったみたいだが、「ドリームチーム」で観ると、整形していて綺麗だが詰まらないオバサンになっている。
女は若い頃美人だと衰え出す頃に大騒ぎとなる、自分の女じゃないから整形して魅力的ならそれで構わないけど、やっぱり違和感がある。
目の皴とほうれい線を消すために、不自然に顔の皮膚が突っ張っていてツルツルしてるから、針でパチンと破裂させてみたくなる。
その後、久し振りに鮎川麻弥の2枚組の25周年ベストアルバムを聴いた。
バブルへの助走時代の84年にデヴューしているが、去年初めて知って、あんまり可愛かったのでつい歌も聴かずに買ってしまった。
カネに糸目を付けない時代だったから、レコード会社のバックアップも強力で、楽曲依頼やバックミュージシャンも充実していたんだろうねえ、2枚目は自作の曲だが、1枚目は筒美京平の曲が多い、全体的に悪くないアルバムだ。
CITYPOPってある意味そういった時代の賜物だったのかも知れないなあ。
何故か寺島靖国の「JAZZ雑文集」DUO文庫2012年と「JAZZ偏愛主義」DUO文庫2013年を持っている。
前者が696頁で950円+税なのに1年後に出た後者は415頁で1,500円+税と値段が跳ね上がっている。
本の価値はページ数じゃないけど、この理不尽な差は一体何だったのだろう。
それでも買って持っているのは、前者が凄く面白かったからで、音痴で不案内の僕が面白かったのだから、寺島靖国のジャズに対する愛情は、愛好家に閉ざされた偏屈なものではなく、素人にも啓かれた豊かなものであったわけだ。
歌が横好きなのは父の遺伝で、音痴は母からの遺伝、ジャズに興味を持ったのは深く愛したMちゃんの影響だ。
本人は孫に囲まれて幸せに暮らしているらしく、まさか僕がジャズを聴いているなんて思いもよらないだろうけど、深く愛しあった傷跡はそう易々と消え去るものじゃない。
昨夜、鎌倉高校駅で寅さんが甥の光男に「分かったようなことを言うな、恋はそんなかっこいいもんじゃない、のたうち回って胸を掻き毟るような激しいもんだ」と諭していたなあ。
そして死ぬまで胸の中に残るものなんだよ。
午前中、大磯落語茶屋で珈琲を飲んで、昼に豚バラ肉の煮込み麺を食べて、デザートに壺焼き芋を食べた。
午後、2階のベッドで、豊島たづみ、佐藤奈々子、亜蘭知子、須藤薫を聴きながら、蓮實重彦の「見るレッスン」を読了し、寺島靖国の「JAZZ雑文集」を読んだが、夢現だったなあ。
5時過ぎにゆっくりと風呂に入り、鰊、納豆袋焼き、菜花、煮豆、蕗の薹と椎茸の佃煮、落花生で「菊正宗生酛純米」燗を3合呑んだ。
演歌の藤あや子、安西かおり、坂本冬美、伍代夏子が松田聖子を歌ったが、6年前の映像で未だ皆さん今より6年分だけ若くて綺麗だった。
既にその頃から演歌に将来が無い事が分かっていたはずで、今主流のいわゆるシンガーソングライターは、よほどの才能が無い限り生き残れないのだから、プロによる作詞作曲歌唱が廃れるとは思えない、手を打っておけばよかったのにねえ。
10時に「カンパニー」最終回を観た。
子供の頃、母がボリショイバレーの「白鳥の湖」に連れて行ってくれたが、その影響があるのか、オペラは苦手だが、バレーは華やかで好きだ。
ドラマの中の「白鳥の湖」でさえ素晴らしいと思って観た。
日本人女性ダンサーの台頭は目覚ましいが、このドラマで宮尾俊太郎を初めて観て、日本にもこんなダンサーがいるんだなあと時代の移り変わりをしみじみ思った。
織田理沙は若くて綺麗だった。