昭和38年に発売された庄野潤三の「つむぎ唄」を読んでいる。
この頃の庄野潤三は家族ものではなく、サラリーマン、大学教授などを主人公にして書いていた。
しかし、特別なことが書かれているわけではなく、日常のことが長閑な文体で書かれていて、それが何とも云えずゆったりとしていて良い。
近頃、電子書籍が大分普及しているが、昭和の人間としては自分が8歳の時に出版された本に触れているだけで懐かしい。
紙の質も悪く、前の所有者が汚した箇所もあるのだが、若しかしたら半世紀ぶりにページが開かれて読まれているんだと思うだけでも胸が震える。
読書は視覚を多く使う作業で、そこを拡大解釈すれば電子書籍で機能は充分果たすわけだが、本は触覚をも刺激してこちらに迫ってくる。
古来より三所攻めなどといい、快感は一点集中攻撃より分散攻撃の方が増幅する。
紙の本に縋る昭和人は、電子書籍の平成人より、密かに多くの快感に浸っているといえそうだ。
この頃の庄野潤三は家族ものではなく、サラリーマン、大学教授などを主人公にして書いていた。
しかし、特別なことが書かれているわけではなく、日常のことが長閑な文体で書かれていて、それが何とも云えずゆったりとしていて良い。
近頃、電子書籍が大分普及しているが、昭和の人間としては自分が8歳の時に出版された本に触れているだけで懐かしい。
紙の質も悪く、前の所有者が汚した箇所もあるのだが、若しかしたら半世紀ぶりにページが開かれて読まれているんだと思うだけでも胸が震える。
読書は視覚を多く使う作業で、そこを拡大解釈すれば電子書籍で機能は充分果たすわけだが、本は触覚をも刺激してこちらに迫ってくる。
古来より三所攻めなどといい、快感は一点集中攻撃より分散攻撃の方が増幅する。
紙の本に縋る昭和人は、電子書籍の平成人より、密かに多くの快感に浸っているといえそうだ。