キュヴェ タカ/cuvee taka 「酔哲湘南日記」

新鮮な山海の恵みを肴に酒を吞み、読書、映画・音楽鑑賞、散歩と湘南スローライフを愉しんでいる。 

イルカが喰えなくなる日

2009年09月23日 | Weblog
シルバーウイも最終日です。何をするでもなく過ごしましたが、終わるとなると寂しいものです。休み後半は海も凪いで釣りをしましたが生憎の坊主に終わっております。今日午後最後の挑戦をして見たいなあと思います。

さて、魚を獲って生きてきたここ湘南地方の人間にとって閑居できない問題が和歌山県で起きています。太地町のイルカ漁がドキュメンタリー映画「入り江」になって、欧米で大きな反響があるとのことですが、イルカの保護団体の人が太地町にやって来て、9月1日から解禁になったイルカ漁を行なわないように見張っていたとの事です。

鯨についても同様ですが、自分達の価値観を正しいとして押し付ける欧米流のそのやり方に腹が立ちます。夫々の人達が持つ食生活は長い歴史と変遷のなかで培われて来たわけで、文化といえるものです。それは宗教やアイデンティティーにまで影響するわけで、そこまで含めた生活を否定する事になるわけです。アメリカインディアンやアポリジニー、アンデスのインディアンを皆殺しにし文明を破壊した事を踏まえての行動なのかどうかを問うてみたいものです。それは過去の事でしょうか、イスラム文化に対する不寛容が、今この瞬間にも人殺しを行なうことを正当化しているのではないですか。イルカは保護すべきもので日本人の風習文化は唾棄すべきものなのでしょうか。日本人は殺してもイルカは殺してはいけないとの論理が見え隠れします。

牛を組織的に交配して集団で育て、大量殺戮するそのことはどのように考えているのでしょうか。自分たちでコントロールしている生命ならば、勝手に処分する権利があるのでしょうか。その肉を喰って、その足でイルカ保護のためのシュプレヒコールを挙げる、その行動が理解しにくいのは私だけなのでしょうか。イルカが喰えなくなる日は、同時に我々の生命が危機に瀕する日でもあるかもしれないのです。多面的な価値観を認めることは争いをなくす事でもあります。どうせ大きな声を上げるのなら、この事を世界に向かって発信したいものです。

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