ー 昨日からの記事の続き ー
さて、期せずして、起きている間はずっと『英語漬け』の毎日となりました。
こういう生活が続くと、バカでも僕でも、2年目からは相手(オージー)の言うこともかなり解るようになり、4年目からは、自分の考えていることもかなり話せるようになりました。なにせ、『英語漬け』の毎日ですから、いやでもそうなります。
ここらへんに罠がありました。。。
シドニー在住4年目から5年目に差しかかろうとしていたころ、”帰国命令”がでました。オーストラリアはいいところで、もっと居たかったのですが、しょうがありません。
駐在期間には、独身のせいもあり、オーストラリア中、さらにはニュージーランドまで仕事や休暇の旅行で飛び回り、面白い話、失敗談や武勇伝は沢山あるのですが、機会があれば、またの機会に書かせて頂きます。
さて、駐在約5年経った時点の僕の英語力を、今、冷静に振り返ってみますと、
●リスニング・・・これは駐在前に比べ、相当伸びている。ニュースのアナウンサーやキャスターの言っていることはほぼ全部解る。(しかし、ニュースのアナウンサーは、『伝えること』が仕事で、それなりに発声の訓練もされ、口角もはっきりし、スピードも極端に早くはない。むしろ、加工された特殊な場面での英語。実は映画の英語(加工なしの自然な英語)は半分も解っていない。
映画では、当たり前の穏やかなシーンを繰り返しても、ドラマにならないので、怒りや、感動や、愛憎や、いさかいのシーンが多いが、そういうシーンでは、当然アナウンサーのようには喋らないので、ほとんど解らない。解るのは普通の日常のシーン(全体の30%~40%ぐらい)だけ。
●スピーキング・・・ 自己主張が強いネイティブの中で、負けじと、恥も外聞もなく、時制の間違いや三単現のSの落ちはおろか、単語をずらっと並べたような英語でも、喋っているうちに、5年もたてば、3分ぐらいは自分の考えを途切れることなく、しゃべれるようになり、『英語がペラペラになった。』と勘違いしている。(これが罠ですね。。)
リスニングについては、実は、昨日の記事に書いた僕がそうであったように、彼ら、彼女らからみれば、黒い瞳、黒い髪の日本人は、ぱっと見、外国人(非英語ネイティブ)であることがすぐ解るので、話しかける時は、ゆっくり、丁寧に、しかもやさしい語彙を選んで話してくれているから聞き取れるだけです。
また、スピーキングについても、聞いている彼ら、彼女らからしてみれば、珍妙な不自然な英語ですが、基本的に彼ら、彼女らは、自分と異質な、価値観が違うであろう人にも、興味を持ち、話を聞いてみようという姿勢があるので、相当無理をして聞いてくれているだけです。(話す内容がつまらないことが解ると、昔日本に住んで、親切にされたことがある、などのよっぽどの親日家でもない限り、無理してまで聞いてくれなくなる。)
しかし、自分では彼ら、彼女らの話していることが解り、(実はゆっくり、丁寧に話してくれている。実は彼ら、彼女らの中では相当のフラストレーションがある。)自分の言いたいことが言えるので(実は彼ら、彼女らは相当無理して、聞く努力をしてくれている。実は彼ら、彼女らの中には相当のフラストレーションがある。)”ペラペラになった”と勘違いしている。
●リーディング・・・社内、社外文書は全て英語なので、属するビジネス関係(業界)の英語のリーディングはかなり早くなる。しかし、属する“業界”で使われる英語は、英語全体のほんのわずかの部分ですので、自分で自主的、主体的に英語を読まない限りは、文学作品や論評などはほとんど読めない。僕は仕事(と豪州でも購読していたTIMEをちょこっと)で読んでいることで安心してほとんどそれ以外では自主的にはやらなかったので、実は、業界のビジネス英語以外、リーディングもほとんど伸びていない。
●ライティング・・・これもリーディングと状況は同じ。“業界”内のビジネス文書や社内文書はそこそこ書けるようになりますが、広い社会問題や深い問題について、考察や課題提起、提案など書けません。
・・・ということで、リスニング(しかも限定的)以外は、駐在前と後では5年も経っているのに、実はたいして変わっていません。(起きている間はずっと英語でもこの程度です。)
せいぜい向上したのは、ガイジンと話すときでも、ビビらない度胸というか、場数だけですね。(話はそれますが、やはりガイジンは身体もでかく、腕力もありそうだし、声もでかくて、やはり最初はビビりますね。僕も駐在当初は、5人のオージーに囲まれて議論された時には、言っていることが解らないより前に、相手が吠えているようで、ビビりました。通常オージーの男性は、オージー・ビーフばかり食べているので、体重が100 kg 以上あり、背も190 cm ぐらいある。でかい。これでも同じ人類かと思った。『象部隊』のハンニバルに攻め込まれて象を生まれて初めて見たローマ人が、『なんじゃこりゃ。』とビビったのと同じですね。 特に島で育った日本人は、異種なものに弱い。でも現地に長くいると、その身体と声のデカさにもだんだん慣れてきます。)
しかも、これが罠ですが、自分は”ペラペラ”だと大きな感違いをしたまま、気付かないんですね。また、日本の社会は、海外と国内は、物理的にも、心理的にも隔たりがあり、外国とはまだまだ垣根がありますので、”海外経験組”はなぜか結構ちやほやされたり、特別視されたりし、ますます天狗になります。まず、こういう経験をした人の大半は、本当は限定的リスニング力以外は、大して英語力もついていないのに、日本で行われている英語の試験をバカにして受けようともしません。いわく、『現地の生の英語は、日本での限られた時間のテストなんかとは全然ちがうよ。こんなテストじゃ、生の英語力の測定なんて出来ないよ。』とかなんとか。。。
(本当は生の英語力など、身についていないにも関わらず。。。)
僕もご多分にもれず、しかも、帰国後もそこそこ英語を使う部署に戻り、悪いことに仕事上はなんの支障もなかったので、(実はネイティブの彼ら、彼女らの内面では相当フラストレーションがあったのでしょうが、それにも気づかずに)『何の問題もないじゃん~。』と1998年に帰国してから、2008年まで、なんと10年も日本の英語の試験は、全然受けなかった。。。。
ーまた長くなってしまいましたので、続きは次回。次回は”完結編”にする(予定)です。ー