昨日までは肌寒い日が続いていましたが、今日はまた一転暖かい一日でした。 ただ、夜に入ると北風が強くなってきました。気候の変化が激しいですね。
今日は久し振りに午前中時間があったので、今更ですが、ユーチューブで『 第87回 アカデミー賞 授賞式』を観ました。
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ここ数年は忙しくて映画を観る機会はぐっと減ってしまいましたが、元々映画フリークですし、アカデミー賞の授賞式は、各賞の錚々たるプレゼンテーターのユーモアとウイットに富んだ紹介と受賞者のスピーチを聴くのが好きで、またショウとして観てもたいへんおもしろく、毎年観ていました。が、今年は2月の下旬に行われた授賞式を8か月後の今日観る羽目になってしまった。
しかし、これから日本で公開される作品もあるし、このタイムラグはそれほどひどいものではないのかもしれない。
授賞式の冒頭から、司会のニール・パトリック・ハリスが、緊張からか、"Tonight, we honor Hollywood the brightest." というべきところを、"Tonight, we honor Hollywood the whitest ." と言い間違える場面もありましたが、プレゼンテーターは二コール・キッドマンあり、シャーリー・マックレーンあり、イディナ・メンゼルとジョン・トラボルタの掛け合いあり、ケイト・ブランシェットあり、で楽しめました。(なお、ニール・パトリック・ハリスは授賞式のさなかにパンツ一丁で“熱演”する場面もあったということですが、放送版ではそのシーンはカットされています。)
また、作曲賞は、『 サウンド・オブ・ミュージック 』の製作から50周年ということで、名場面のショートカットが写されたあと、レディ・ガガが腕のタットウも露わに、『サウンド・オブ・ミュージック 』の中の数曲を熱唱し、そのあとのプレゼンテーターとしてジュリー・アンドリュースガ登場しました。彼女は1935年10月1日生まれのはずですから、授賞式当時は79歳、現在は80歳の筈です。が、英語は今でもキレイです。
作品賞は『バードマン』でしたが、個人的には『ブダペスト・ホテル』か『博士と彼女のセオリー(原題は The theory of Everything)』の方が好きですが。
次回(第88回)のアカデミー賞授賞式はもっと早い時期に見ようと思います。
さて、今を遡る16年ほど前、しんどいことや勉強が嫌いな僕でも、オーストラリアの駐在から帰国した当初は、日本では英語で話す機会がほとんどなくなってしまい、日に日に英語がしゃべれなくなっていく自分に気付いたため、僕としては殊勝にもなんとか在日のネイティブ・スピーカーと定期的に話す機会を持ちたい、と考えていました。ただし英語学校ではマン・ツー・マンではないし、費用も当時はべらぼうに高かったので、通ったことはありません。
今は日本を訪れる外国人も爆発的に増え、東京駅に立っているだけで、100人に上のネイティブ・スピーカーを見かけますが、当時は在日あるいは、来日外国人の数は極めて少なく、またユーチューブやスカイプなど影も形もなく、漸くインターネットが一部のフリークの間で使われ始めた程度。もちろんスマホなどもありません。(いまは少なくともリスニングについてはユーチューブなどをかけ流して一日中英語を聴ける環境を簡単に作れるので、隔世の感があります。)
そこで目を付けたのが、西東京地域に広大な場所を占める米軍『横田基地』。
『横田基地』については詳しいことはここでは書きませんが、一旦ゲートを抜けて基地内に入ると、そこは住所もアメリカ合衆国。中には軍人、軍属のための住居、小学校から高校まであり、ショッピングセンター、数ホールのゴルフ場、 字幕を作る手間がいらないので、最新作を上映している映画館、フィットネスセンターや50mプールまであり、まさに自己完結した『リトル・アメリカ』(日本からみれば治外法権)です。
今でもあると思いますが、当時は『アーミー・イングリッシュスクール』というところが、基地内のネイティブとの仲介をしていて、お互い会って話してウマがあえばその人と値段など取り決めて個人レッスンを続けるというシステムでした。
横田基地内は年に1度の”基地祭“以外は完全にオフリミットで、基地のゲートまで車で”面接者”に来てもらい私の身分証明書やその人から入場の証明書などを発行してもらい、広大な基地を車でその人の自宅(コンドミニアム)に連れて行ってもらい、自宅で面接すると、基地内の高校教師ということで、思考も温厚、英語もスラングも偏りもなく、奥さんもきれいなアメリカ英語を話す、ということで、毎週1時間半ほど個人レッスンを受けることになりました。当時の金額で1回3000円で格安でした。(とかく軍人には思考に偏りがあったり、英語も独特のスラングが強かったりするのですが、彼は良識に富んだ親日的なよき一般市民でした。)
レッスンは僕から提案したもので、当時『 TIME 』の最終頁にあったエッセイを私が事前に読んで予習しておき、分からない部分を質問し、そのサブジェクトについて議論するというかなり高度なものでした。
また、基地の中で行われるパーティに招待してもらったり、基地の外でも米国大使館のそばにあるアメリカン・センターに行き、彼の友人と引き合わせてくれたり、大変お世話になりました。
ある時、僕が『 映画が好きで、映画の中で喋られる英語はナチュラル・スピードなので、生きた教材として手本にしている。』というと、彼は『 確かに映画の英語はナチュラル・スピードだが、映画の中には通常の生活にはない極端なシーンや描写、表現がある。日常ではめったに使わないような非常に極端なセリフや言葉が多い。』と忠告してくれたことがあります。
たしかに、日常の当たり前の出来事を映画にしても、劇的でも面白くもなく、観客も呼べないので、そういう意味では普通ではない英語が喋られることが多いのでしょう。
映画の英語自体、聴き取れない部分が非常に多いのですが、彼の忠告以来、映画自体はアクションでもSFでも小品でもラブ・ストーリーでも好きになる映画は好きになるのですが、英語を学ぶ上での手本としての映画は、選ぶようにしています。
1年半後に彼と奥さんは、ドイツの基地内にある高校に転勤になって横田基地の中の住居を引き払ったので、彼との個人レッスンは1年半で途切れてしまいました。今も続けていれば、僕の英語ももう少し普通に喋れたのですが。彼は今どうしているでしょうか。